第217話 リーサの意図
「今日はコーヅ殿に感謝をする宴を開くことにしました。」
「それは良い考えじゃな。」
クリストフが合図に手を叩くとメイドたちが大皿に色とりどりの料理を載せて来た。
前菜はサラダの中に唐揚げが積み上げられている。その香ばしい香りで思い出したかのようにお腹が空いてくる。続いてスープやステーキ、天ぷらなどが次々に運ばれてきた。
これを並び終えたら手を伸ばして良い訳ではない。まずは順番に希望を伝えて取り分けてもらうのだ。
俺は待てを指示されている犬のようにオルテンブルクから順番に取り分けられていく様子を目で追いかけていた。
グゥ〜ギュルギュル
リーサの皿に天ぷらが取り分けられているときに盛大にお腹が空腹を主張した。
「ワハハハ。すまんすまん。美味そうな食事で選ぶにも時間がかかってしまったな。」
「コーヅ殿のための宴ですのに申し訳ありませんわ。」
「よしよし、コーヅ殿。詫びの印に一本持ってこさせよう。」
「いけません、クリストフ。一杯ずつになさいませ。」
「ぼくものんでみたい。」
「駄目ですよ。ホビーはまだ子供なんですから。」
この家族は一度会話が始まると途端に賑やかになる。この温かな家族の中に受け入れてもらえていることは、とても幸せなことだと思う。でも……残念ながらこの家族の一員にはなれない。いや、なる気がないという方が正しいのか。
「オルテンブルク様、本当に俺をクリソプレーズへ連れていってもらえるんですか?」
俺は俺のやるべきことに向かって進まなくてはいけない。だから、みんながいる前で言質を取りたい。
「もとよりそのつもりじゃ。賓客として我が領へ招待させていただこう。皆も良いな?」
「賓客?」
「えーずるいです、お祖父様。」
「お前の婿様だけを誘うわけがなかろう。お前も一緒に来なさい。」
「ホビーは?」とすかさずホビーもねだった。
「勿論じゃとも。コーヅ殿の警護の者たちも一緒で良いじゃろう。春に向けた良い訓練となろう。」
「確かに一度程々の距離で移動を経験しておくのは良いかもしれませんね。」
シャルロッテの声からは積極的という感じでは無かったが同意する言葉を得られた。
「儂がしっかりと鍛えながら我が領地のクリソプレーズまでお連れいたそう。ワッハハハ!」
オルテンブルクがここまではっきりと言うとそれはもう決定と同義だ。俺はみんなの前でクリソプレーズに行けることが確認できたし、エルフに会えるかもしれない希望を持てて晴れ晴れした気持ちになった。
食前酒1杯だけという宴にはやや寂しく、どちらかと言えば豪華な食事会というものが終わると、いつも通りキキに連れられて部屋に戻った。いつもならこのままダラダラした時間を過ごしてから風呂に入るが、今の俺はやる気に満ち溢れている。ソファに座るとすぐに魔力増幅トレーニングを始めた。
「ちょっと良いかしら?」
ドアがノックされリーサの声がドアの外から聞こえた。
「どうぞ。」
俺は魔力増幅トレーニングを止めて、部屋のドアを開けた。リーサは部屋に入ってくるとソファに腰掛けた。そこには一緒にいるものと思っていたホビーの姿はなかった。
「お祖父様の領地に行くのね?」
そもそもそういう話は出てたのに何を今更……?リーサの質問の意図を掴もうと顔を上げた。リーサは笑みを浮かべて真っ直ぐ俺を見ていて、むしろこちらが恥ずかしくなり、またテーブルの木目に目を落とした。
「うん、エルフに会えたって場所があるらしくて、そこを見てみたいんだ。」
「エルフに……?」
「あとは街の外に慣れたいってのもあるよ。」
「うん……そっか。」
会話が続かずに沈黙の時間が流れた。その時間がなんだか気まずくて俺は会話をひねり出した。
「勝手に話を進めるようにしちゃったのは不味かった?」
「ううん、違うの。ただ……。」と言うと黙ってしまった。
ただ……何だろう?俺はまた何かしてしまったか?
記憶を辿るが何も思い当たらない。でもそれは駄目だ。こういう時は必ず何か俺の言動に問題があるはずなんだ。
考えろ、思い出せ。絶対に理由があるはずだ。
……あっ、分かった。ショーンだ!ショーンを呼んでなかった。ショーンは王都には一緒に行くけど、騎士団への入団試験で向かうので警護扱いではなかったはずだ。
俺は努めて分かっている風に顔を上げた。
「ショーンだって警護チームの一員だよね。タイガー隊長に王都までの旅の予行演習をしたいって頼もうと思ってるよ。」
「は?なんでショーン?」
リーサの目は明らかな怒気を含んでいた。自信満々だった答えだったが、残念ながら間違えてしまったようだ。
「あ、いや、えっと……イザベラ?」
しかし言葉が続かずにしどろもどろになっていると、リーサが立ち上がった。
「もう良いですわ!」と言って部屋を出ていった。
良くないだろう……とリーサが乱暴に閉めて出ていったドアをしばらく見つめていた。
一体何の話をしに来たんだろう?しばらく考えていたが、ショーン以外に思い付くことは無かった。でもショーンの同行のことは話を進めておこうと思う。イザベラはどうするんだったっけ?……まぁ、いいか。
いくら考えても怒られた理由への心当たりに辿り着けなかったので、リーサのことは気になりながらも魔力増幅トレーニングを再開した。
俺たちはあと3日でここを発つ。それまでに短所を補うより、長所を少しでも伸ばしたいと思っている。それが身体強化をベースとした剣技とヒールだ。
それに土地ごとの特色も調べたい。こういう準備が役に立つのかどうかも知りたいし。残り少ない日数だけどやっておきたいことは沢山ある。
その後は風呂に入るまでの時間を使って石剣の素振りを行った。これは身体強化を使わずに動きの確認を丁寧に行うのが良いとオルデンブルクに習ったやり方だ。
じっとりと汗が出てきた頃にキキから風呂に入るように言われた。
「何されてたんですか?」
「剣の練習だよ。オルデンブルク様に習ったから自主練だね。」
「コーヅ様って爆炎のティア様とケンセイ様に教わってるんですよね。それってすごい環境ですよね。」
ケンセイ?県政?政治?……いや、違うよな。
「そのケンセイって何?」
「えー!?」
振り返ったキキの目には驚愕の色が浮かんでいた。そんなに驚く?という勢いで見られた俺も驚いた。
「ケンセイ様は剣の達人のことでオルデンブルク侯爵しか名乗ることを許されてないんですよ。」
「ケンセイ……剣……聖……?剣聖!?」
「今更何を……。」
今度は呆れた目を向けられた。
普段使いしない言葉なんだから突然言われたって分からないよ。
「まさか知らずに剣聖様から教わってたなんて……。」
「この世界のことは教えてもらってないことは知らないんだよ。仕方ないでしょ?」
この世界の常識よりも日本に帰るための知識を得たいと思っているし。
「そうなのかもしれませんが……。」
「じゃ、風呂上がりに勉強するからまた書斎に連れて行ってよ。」
「かしこまりました。」
ゆっくりと風呂に浸かってたっぷり汗を流してから上がると、キキに書斎へ連れていってもらった。
「寝る時間に迎えに上がりますね。」
「ごめんね、ありがとう。」
俺は早速本棚からオルテンブルクの領地であるクリソプレーズや、道中の街について勉強するために地勢に関するような本を探した。しかし街の名前や特産品くらいが書いてある大雑把な記載のジルコニア王国についてまとめた本は見つけたが、人口規模や地形などの詳しい記載は見つけられなかった。もしかしたらこれがオルテンブルクも言っていた機密にあたるということなのかもしれない。
本を探すだけでこれ以上の時間を潰すのは勿体ないので魔獣の本を読んだ。これは旅先で絶対に役立つからだ。
―――
今朝も目を覚ました時には既に外は明るくなっていた。お陰で深夜まで魔力増幅トレーニングをやっていたけど疲れは残っていない。スッキリした気分で起きられた。
リーサへの正解を持たずに顔を合わせるのは気まずいが、俺の気持ちとは関係なく時間になるとキキは迎えに来た。そして食堂では待ち構えていたかのようにオルデンブルクに話しかけられた。
「今日の予定はどうなっているんじゃ?」
「治療後は旅の準備をしたいなって思ってます。」
これがリーサにどう思われるか気になったが、リーサの気持ちが分かってない以上は仕方ないので、思っていることをそのまま伝えた。
「そうじゃな、コーヅ殿はまだ魔獣と戦うにはまだ心許ないからな。分かった。儂が稽古をつけてやろう。」
どう解釈するとそういう受け取り方になるのかは分からないが、本人はやる気で嬉しそうにしている。しかしここは『準備』という言葉の解釈について、ご理解いただくべきだろうか?
「えーっと……。」
「遠慮するな。儂もこの街にいる間しか時間を取ってやれんからな。」
「お祖父様、私にもお願いします。」
「おお、リーサもか。勿論じゃとも。」
「やった!」と笑顔を浮かべるリーサにオルテンブルクは顔を綻ばせた。俺もそんなリーサを見たら余計なことは言うべきではないなと黙った。
でも俺がやらないといけない旅の準備なんてショーンたち一緒に行く人の許可と、魔石や予備の剣くらいで半日くらいで終わるかなと思っている。
魔石はエアコン作る時に一緒に渡しちゃったから手元にあるものは残り少なくなってきてる。旅の前にアデリーナ婆さんの店に顔を出して補充したい。きっとあの籠にクズ魔石を山にしてるんじゃないかな?それから冒険者ギルドでまた剣を見繕ってもらいたい。
それから2日後に大浴場をオープンするとのことだった。結構無理やりなスケジュールな気がするが……。どうしても領主がオルデンブルクに見てもらいたいってことらしい。まぁ、領主が挨拶をしてくす玉でも割ってオープン!ってやるくらいなら大丈夫なのかな。
「大浴場というものは風呂の大きいものなのだろう?何がそんなに良いんじゃ?」
「そうよねぇ。ウチのお風呂と何が違うのかしら?」
オルデンブルクとシャルロッテはそれぞれが同じような疑問を持っているようだ。お風呂に浸かってた人たちからすると感動は少ないかもしれない。でもそれは俺も分かる。だから大浴場をそれ程優先する理由が良く分かっていない。
「大きなお風呂にみんなで入れるのが良いんですよ。それに星空が見えたり気持ちいいんですよ。」
「ふーむ……よく分からんのう。」
オルデンブルクはリーサの説明にも納得していない様子で白く立派な髭を撫でていた。




