第213話 ローちゃん
「コーヅ殿、起きんか。いつまで寝ている?」
……あれ?もうそんな時間か?昨日は働き過ぎたから疲れが取り切れなかったんだろうか。
キキ相手ならグダグダするんだけど、このオルデンブルクにはそういう態度はとれない。
「おはようございます……。」
俺は欠伸が出てしまわないように気を付けてドアの外に向けて挨拶をした。とは言うものの尋常じゃないほどに眠たい。体は起こしたものの目がまともに開かない。
「早く準備をしなさい。下で待っとるからな。」
食事もせずどこへ行くんだろう?
俺は力を込めてシパシパする目を開けるとベッドから降りてカーテンを開けた。
「まだ夜じゃん……。」
俺はがっくりときてベッドに倒れ込んだ。横を向いて窓の外を見てみたが満天の星空が瞬いていた。
まさか俺は1日以上寝ていたのか!?……いや、そんな感覚じゃないよな。あの爺さんはこんな早朝から深夜まで活動してるのか?
俺はベッドに横たわったままもう一度ヒールで体を満たしたが、これ以上の眠気を取り去ることはできなかった。
もう一度起き上がって欠伸を繰り返しながら軽鎧を着込んで廊下に出ると、キキではなくオルデンブルクの従者が待っていた。
「おはようございます。」
「おはようございます。……あの、眠くないんですか?」
「私たちは交替してるんです。朝から夜まで侯爵様のペースについていける人は領内にもいませんよ。」
交替制と聞いて納得したが、是非とも俺にも交替制を適用して欲しいと欠伸混じりに思った。
そして従者に連れられて玄関に行くとリーサとホビーも前後左右に揺れながら立っていた。ホビーはいつもの大きくつぶらな瞳が閉じられて頭が前後に揺れていた。これは寝てるよな……。俺より遥かにショートスリーパーなホビーを更に上回るショートスリーパーぶりに恐れ入った。
「よし、揃ったな。さぁ朝食前の運動に行こう。」
静かな屋敷にオルデンブルクの野太い声が響いた。何で深夜からこんなにも元気なんだろう?
この屋敷の人たちはオルデンブルクの事は元々知っているようで、特に気にした様子が無かった。前に来た時もこんな感じだったのだろう。
深夜の空気はとても美味しいし、この冷え切った空気の刺激で目が醒めてきた。コンビニも深夜営業の酒場も無いこの世界では当然のように、こんな時間帯に出歩く人はいない。でも今だけは大聖堂周りは人が多いのかもしれないけど。
この辺りは大丈夫だろうと、ホビーは自分で歩かせている。しかしまだ十分に身体強化が使えないホビーは歯を鳴らして震えていた。するとリーサが自然な動作でホビーを抱きかかえた。
「リーサよ。男は魔獣であれ強くなければならん。歩かせなさい。」
「でもまだ小さな子供ですし。」
そう言って胸元のホビーに目を落とした。
「歩ける者に歩けと言っているだけじゃ。違うか?」
「ぼくあるく。」と言うとリーサの手を解くようにして降りた。
「それでこそコルベール家の魔獣じゃ。その気持ちで精進しなさい。」
オルデンブルクは全くぶれない。誰に対しても厳しい。それは自分に対してもだ。死にかけていたのが昨日の事とはとてもじゃないけど信じられない。
そう言えば食事の時に聞いたのだが、殺しても死なないと評判だったオルデンブルクが食事を終えて立ち上がったときに一つ二つ言葉にならない言葉を口にしたと思ったら突然倒れたということで大混乱に陥ったそうだ。
領地中から司祭を動員して治療にあたったが意識は戻らずに、体からの反応が弱っていく一方だったそうだ。そこで俺の噂を聞きつけて文字通りの命を賭けてアズライトまで馬車を飛ばして運び込んだということだ。
行き先を聞いてなかったが、また外壁の方に向っている気がする。散歩と言いながら昨日の続きでも始めるんだろうか?
「もしかして……?」
俺は小声でリーサに話しかけた。
「お爺様がただの散歩はしないでしょうね。稽古か壁かどっちかよ。」
「やっぱりそうだよね。」
俺たちは大股で進んでいくオルデンブルクの背中をため息と欠伸混じりに追いかけた。
「よし、始めよう。」
オルデンブルクは足元に落ちている土嚢袋を取り上げると、警護者たちも同じように土嚢袋を取り上げた。
門の外は月明かりが増した気がする。そんな照り輝く星空の下、外壁作りの作業を始めることになった。警護者が光魔石をいくつか渡してくれたので作業場所の近くに置いた。
そんな中、突如ギャーと言う鳴き声が聞こえたと思うと空から星が消えた。上空では大きな鳥が旋回していた。
「コーヅさーん!」
上空からかすかに声が聞こえてきた。この組み合わせはロックバードとアリアしかないだろう。俺も上空に向けて手を振った。すると羽ばたきながら徐々に降下してきて地面に降り立った。そしてアリアが跨いでいたロックバードの首から飛び降りた。
「こんな遅い時間にどうされたんですか?」
「壁を早く仕上げてしまおうってことで。アリアさんは?」
「私もこういう時間にしかローちゃんに会えないから……。」
そう言うとロックバードのローちゃんの首を撫でた。ローちゃんも気持ち良さそうに目を閉じて「ギャギャ。」と鳴いた。するとホビーが恐怖と好奇心に挟まれるように、俺の足にしがみつきながらローちゃんを見上げていた。
アリアと雑談を続けていると、ホビーは次第に好奇心の方が勝ち始めてローちゃんに近付いて、指で足を突っつき始めた。
「ほう、ここにはこんな立派なロックバードをテイムするような者がおるのか。」
オルデンブルクの野太い声にローちゃんは驚いた鳴き声を上げて飛び上がった。
「ローちゃん!」
アリアはすぐにローちゃんに飛び乗った。
「わっわっ!」
ホビーも思わずローちゃん足にしがみついて一緒に空へ舞い上がっていた。
「おお、すまんの。」
全く反省した様子の無いオルデンブルクは笑いながら謝っていた。
ローちゃんとホビーはしばらく上空を旋回していたが、落ち着いたのかゆっくりと降りてきた。オルデンブルクが歩み寄るとローちゃんの首を撫でた。
そして何とか無事に地上に降り立てたホビーの表情には恐怖の色が浮かんでいるかと思ったが、好奇心に目を輝かせていた。そしてローちゃんの足をよじ登るとら柔らかな羽毛の中に体を埋めた。
「この大きさでは一緒に暮らすのは難しかろう?」
「はい。だからこうやって夜に会ってるんです。」
「そうなってしまうな。」
「いつか、一緒に暮らせるようにしたいとは思っていますが……。」
「その時は儂を頼れ。」
「えっと……?」
アリアは目の前の人物のことが分からないようで困ったようにオルデンブルクを見上げている。
「アリアさん、こちらは私の曽祖父のオルデンブルク侯爵ですわ。」
「オルデンブルク侯爵!失礼いたしました。」
その場で直立不動に背筋を伸ばし、衛兵式敬礼で胸に拳を当てた。
「よい。」
「いえ、そういう訳には参りません。」
「アリアさん、そういうつもりで紹介した訳ではありませんの。手を下ろして楽になさってください。」
アリアは戸惑った様子でしばらく敬礼を続けていたが、もう一度「よい。」と言われて恐る恐る手を下ろした。
「儂の領地であればロックバードと自由に会えるように図らおう。」
「ありがとうございます。しかし私はサラ様の警護の役目を仰せつかっております。」
「ほう、サラのか?それは大切な任務じゃな。よろしく頼むぞ。」
「はいっ!」
その後もアリアとオルデンブルクはローちゃんの前で話し込んでいた。
俺はその様子をしばらく見ていたが、こちらには会話が振られなさそうだったので、リーサと顔を見合わせてから壁作りに戻った。
思わぬ来客で目が醒めたものの、作業していると眠気がちょこちょこと顔を覗かせてきた。それでも空が薄く明るくなってくる頃にはそれなりに作業は進んだ。職人たちがポツポツと集まり始めると職人たちを怖がらせないようにとアリアがローちゃんを帰らせ、アリアも急いで家に帰っていった。アリアは今から仮眠するらしい。
そしてずっとローちゃんの羽毛に包まって寝ていたホビーはスッキリした顔をしている。
オルデンブルクが俺が作業している壁の上に飛び乗ってきた。
「次は治療だ。コーヅ殿を待っている者たちが今日も沢山いるらしいぞ。」
そりゃ、そうだろうな。それにまだまだ増えていくとも思っている。もちろん人助けはやり甲斐がある仕事だ。でも休み無く働いていると、あまりの忙しさと睡眠不足で煩わしいという気持ちが湧いてきてしまう。俺は首を振ると、無理やりそんな後ろ向きな気持ちを心の奥深くに押しやった。
そんな俺から何かを感じ取ったのか心配そうに見てくるリーサやホビーには笑みを返したが、もしかすると目は笑えてなかったかもしれない。
今朝も大聖堂の周りには多くの治療を求める人たちで賑わっていた。
しかし大聖堂に着くとオルデンブルクは「儂はやることがある。後で外壁で落ち合おう。」と言って従者たちとどこかへ行ってしまった。そのオルデンブルクの周りには、この混雑した大聖堂前でも自然と一定の空間ができていく。あの体格とオーラだとそうなるよな。
それにしてもまた外壁か……。でもそれは治療を無事に終わらせられた後の話だ。俺は気を引き締めて大聖堂に入っていった。
昨日のことを思い出すと今でも背筋が寒くなる。あんな思いは二度としたくない。
―――
昼頃には病人、怪我人たちの治療を終えることができた。今日は何事もなく全員を治療することができた。喜んで帰る人たちの背中を見ながら、本当に良かったと安堵した。
治療を必要とする人の姿が無くなると俺は大聖堂の入り口の階段に座り込んだ。
「今日はもう帰りたいよぉ……眠いよぉ……。」
一度気を抜くと疲れに飲み込まれてしまい、もう立ち上がれない。そのまま目を閉じて少しだけ、と眠り始めた。
「コーヅ?」
そういう気付かなくても良いところに、機微なホビーは気付く。そして俯いて眠っている俺の頬を引っ張った。
「少しだけ寝かせて。」
俺はホビーの手を外して両手で頬を覆って寝続けた。
「ありゃりゃ。本当に寝ちゃったよ。」
「駄目よ。お爺様が待ってらっしゃるでしょ。」
「あれ?まだ何かあるの?」
治療の途中から合流したシュリが聞いた。
「お爺様が外壁を早く作ってしまうと息巻いてまして。」
「良いんじゃない?さっさと終わらせて魔術の勉強時間を作って欲しいわ。」
ティアの言葉は理解できるし、その通りとも思うけど、現在進行形でやらされている身としてはこのペースは辛い。2日目の午前中でもう心が折れた。
「じゃあさ、せめて美味しいご飯でも食べてから行こうよ。……それとも寝てた方が良いかな?」
「ご飯で良いよ。今日は朝からパンしか食べてなくて。」と俺は目を閉じたまま答えた。
「本当に?寝なくて大丈夫なの?」
「ごめんなさい。お爺様はスイッチが入ると寝食を忘れてしまうので……。」
それを何故止めない!?……とは言えない。俺にもできないし。それにしても完治したとはいえ、病み上がりなんだから少しは大人しくしてくれれば良いのに……。




