第212話 大きな壁
オルデンブルクの姿はあっという間に小さくなって森の中に消えていった。
俺は壁の上にいた警護者に「えっと、これはまだ作業が続くってことですよね?」と聞いた。
「侯爵様はあなた様のことをとても気に入っておいでです。一緒に働けることに幸せを感じているのでしょう。」
んー、意味は分からないけどまだ働くってことだな。
俺はそう理解して、盛られている土を少し均してから石に変えていった。月明かりと足元に置いた光魔石を頼りに作業を進めていく。それを壁の外に立ってシュリとリーサが見守ってくれている。ホビーは壁の内側でティアに魔術を教わっている。ホビーのうなり声と「魔術に声は関係ないから。」というティアの冷静なツッコミが耳に届いてきた。
俺の作業は土を石に変えるだけなので、実は大した負担ではない。無造作に積まれた土を足で均してから水晶に変えていくという作業を続けていった。街の壁のところまでの土を石の壁に作り終えると、オルデンブルクが新たに土を積んでいるところに戻った。そして積み上がった土を石に変えた。
その仕事を近くで見届けていたオルデンブルクが「よし、今日はここまでにしよう。皆も良い仕事じゃった。」と声を張り上げた。そして「あやつらには小銀貨を2枚やってくれ。」と壁の下にぐったりと座り込んでいるあのスラムの親子たちを指差した。
働き慣れない人には半日でも大変だったと思う。毎日働くことに慣れるまで頑張れると良いんだけど。
「承知いたしました。」
警護者はそう返事をすると、壁を飛び降りてスラムの親子に向かって歩いていった。下の2人の子供たちは眠っているようだ。
「働くということはこういう事だ。明日も来い。儂もここに来る。今日はそれでしっかり飯を食ってゆっくり寝ると良い。」
スラムの親子は硬貨を受け取ると目を見開いて手のひらの小銀貨を見つめていた。そして我に返ると逃げ出すように街の方へ走っていった。他にも無理やり引っ張ってきたスラムの人たちに小銀貨を渡すと、はしゃぎながら帰っていく後ろ姿を見送った。そしてオルデンブルクが俺の方に向き直った。
「コーヅ殿。儂はもう少しここでお主と話がしたいんじゃが時間はあるか?」
「えっと……。」
俺の場合、自分の予定というよりコルベール家の予定の方が問題なんだよな。
俺が助けを求めるように壁の下にいるシャルロッテを見た。
「お爺様、皆さんの食事も準備させてます。そろそろ戻りましょう。」
「そうか。それなら食後に戻ってこよう。」
―――
「わざわざすまないな。この世界には慣れたか?」
「はい。みんなに良くしてもらっているので。」
食事を終えたオルデンブルクとその警護者たちと共に、誰も歩いていない静かな街道を門に向かって歩いていく。そこは自分たちの足音、そして主にはオルデンブルクの声しか聞こえてこない。
「オーガを倒したり、ホビーをテイムしたり魔獣にも慣れてるようだしな。どの世界でも男は強くなければいかん。違うか?」
「そう思います。」
強さの種類にも色々あるけど大事なことだと思う。俺自身は……微妙だけど、息子にもホビーにも強くあって欲しいと思っている。
「それなら話は早い。お前は魔力は強いが体の線が細い。」
これでもかなり筋肉も付いたんだけどな、と思ってこの世界で焼けた腕をちらりと見た。勿論衛兵たちみたいに丸太のような腕からは程遠いけど。
そして門をくぐり抜けると落ちていた木の棒を投げてきた。
「治療の礼に鍛えてやろう。かかってこい。」
そう言って木の棒を持って構えるオルデンブルクには言葉以上の圧というか凄みがある。
これは剣で語るということだろうか?オルデンブルクらしいのかもしれないが俺は言葉で語りたい。
しかしオルデンブルクにそんなことを言える訳もなく。身体を丁寧にヒールで満たしてから自分にできるだけの身体強化を全力で行った。
しかしその状態でもオルデンブルクはとても大きな壁のように感じた。対峙しているとそれだけで飲み込まれてしまいそうになる。俺はその圧から逃れるように、そしてその圧が少しでも薄い場所を見つけようとオルデンブルクの周りをジリジリと動く。
「打ってこんと訓練にならんぞ。正面から来んか。」
そうは言っても……と躊躇したものの、その通りでどれだけ移動しても隙らしいものなんて見当たらない。覚悟を決めると一つ息を吐き出して、正面から思い切って踏み込んで打ち込んだ。
しかし甲高い音を立てて木の棒は弾き飛ばされた。
「イテテテ……。」
痺れるような衝撃が手首に伝わってきた。しかしヒールで体を満たしているので、痛みはすぐに引いていく。
俺は飛んでいった木の棒を拾い直した。そしてオルデンブルクに対峙すると、短く息を吐いて打ちかかった。
木の棒を弾く甲高い音だけが響いている。どれだけ打ち込んでも簡単に弾かれてしまう。しかし無理ですで許してくれるような相手ではないのは伝わってくる。フェイントを織り交ぜながらひたすらに打ち込むが、バランスをほんの少しも崩すことはできなかった。
「力が弱いぞ。踏み込みが弱いからじゃ。」
「剣筋が素直過ぎる。相手の意表を突くことを考えろ。」
「動きが鈍くなってきたぞ。戦場ではそれが命取りだ。」
俺が打ち込み、それを弾くたびに檄が飛ぶ。繰り返し繰り返し打ち込み続けていると、カン!とひと際高い音がしたかと思うと俺の木の棒が遠くに飛ばされていた。
俺は呆然としてその場にへたり込んだ。ここのところ魔力や身体強化には少し自信がつき始めてきていたが、この瞬間、それらは全てどこかへ流れ去ってしまった。
目の前が真っ暗になってくる。俺には街の外を安全に旅できるような力はないということだ。一体どれだけ頑張ればこの世界を自由に旅する強さを手に入れられるんだろうか……。
「魔力の強さを活かすには剣技が必要になる。この街にいる間は毎日稽古をつけてやろう。」
俺は絶望の目でオルデンブルクを見上げた。そして「次はこの壁じゃ。いつまでこんなものを作ってるつもりだ?」と話題を変えてきたオルデンブルクに思考が追い付かない。
「えっ?えっと……、春までに作り上げないといけないです。」
「遅い!」と一喝された。俺は驚いてオルデンブルクを見上げたまま固まった。
「遅い……ですか?」
「毎晩やれば進むじゃろう?何故目的のための努力を惜しむ。」
確かに魔術のトレーニングしかやってないけど、屋敷の中すら自由に移動できない軟禁状態だし、勝手に外にも出られない。それなのに夜間にこんな場所で作業をするというのは無理だよ……。
俺が不満の色を顔に浮かべたが、そんな事はお構いなしにオルデンブルクは警護の人たちに指示を出し始めた。
「おい!お前たちも手伝え。これからこの壁を作っていくぞ。コーヅ殿も良いな?」
「は、はい。」
有無を言わせない圧に瞬間的に返事をしてしまった。オルデンブルクは意思決定と行動が早い。すぐにその辺りに散らばっている土嚢袋を集めて持ってきた。そして自分でも何枚か持って壁の外に飛び出していった。
警護者たちは慣れたもので、驚きもせずに同じように土嚢袋を持つとオルデンブルクの後を追った。
一人ポツンと残された俺はシャルロッテが持たせてくれた魔力回復薬をクイッと一飲みした。それは必要ないと固辞したけど、押し付けられたものだ。きっとシャルロッテにはこうなることが分かってたんだな。
俺は魔力が満ちて軽くなった体で壁の上に飛び乗ると土をがこぼれ落ちないように両側に壁を作っていった。そして俺が壁を作っているそばから土がドサドサと降り注いでくる。俺は急いで土を溜めるための壁を作った。そして今度は街側の壁まで移動して壁の高さを揃えていく作業を始めた。
もう今夜はやけくそだ。回復した魔力は出し惜しみせずに壁を高積みしていった。そしてこういう静かな環境でコツコツやる作業は性に合っていて徐々に集中していった。
「ずいぶんと進んだじゃないか。」と背中を強くたたかれた。
「ゴホッゴホッ!」と思わずむせ返った。
「よし、今日はここまでにしよう。明日もやるぞ。」
俺はオルデンブルクたちが積み上げた土を丁寧に均して石に作り替えると作業を終えた。
改めて今夜の成果を眺めてみると、100mくらいの壁が出来上がっていた。この広大な土地を囲う壁としてはまだまだだけど、この短い時間の作業としてはかなり進んだと感じられる。
街に戻ると、ほとんどの家の灯りは消えていて通りに置かれた光魔石ランプがポツポツと足元を照らしているだけだ。そして外を歩く人の姿も無かった。もしかするともう夜中なのかもしれない。オルデンブルクもさすがに疲れたのか、それともただ近所迷惑を考えてなのか口を開かず、じっと前を見据えたまま歩いていた。
そもそも今朝まで死にかけていた老人ということ自体がもう信じられない。でも警護の人たちに驚いた様子は無い。と言うことは、普段からこんなに活動的なんだろうか?だとすると、もしかして明日も……、いやいや、今はちょっとそれは考えたくない。
俺は思わず首を振って、明日のことは考えないようにしようとした。
やがて屋敷が見えてくると、そこだけは煌々と明かりが灯されていた。
「お帰りなさいませ。」
そしてセバスたちもいつもと変わらぬ様子で出迎えてくれた。その後ろに控えるメイドたちは眠たそうに見えるけど。
「うむ。色々とすまぬな。」
「いえ、それをお支えするのが私たちの役目です。何なりとお申し付けください。」
オルデンブルクは満足そうに頷くとそのまま階段を上っていった。俺は足取りが重たいキキに連れられて部屋に戻った。そして風呂を断ると、ベッドに倒れ込んでそのまま眠りに落ちた。




