第209話 治療失敗
「コーヅ殿はどうお考えですの?」
「俺?」
こういう親子喧嘩には首を突っ込みたくない。しかしこの母娘のよく似た切れ長の鋭い視線を受けてしまうと、黙ったままやり過ごすということはできそうにない。
俺は以前に出会ったスパイたちのことを思い出しながら話した。
「……そう言えばありましたわね。私もコーヅ殿の捜索に加わりました。」
あの時のことを思い出したリーサは力なく答えた。これで親子喧嘩はシャルロッテの勝利となった。そして改めてシャルロッテからは警護無しでの外出は禁止された。となると、この前のような買い物も本当は駄目だったのか……。俺には覚えきれない程に注意事項が多いので、またいつかやらかしてしまうという確信的な自信がある。
その時、外から金属の擦れる音が聞こえてきたと思うと、ドアを荒々しくノックする音が聞こえてきた。
「おはようございます!シュリです。大聖堂に急ぎ向かうとのことでお伺いしました。」
「あらあらシュリ殿。ご苦労でしたね。ティア殿が来られるまでお茶を飲みながらお待ちください。」
「へ?お茶……ですか?あー……。」とシュリはチラリとセバスを見ると姿勢を正して「いえ、先を急ぎますので、ここで待たせていただきます。」ときっぱりと答えた。
「この場合、シャルロッテ様のご厚意を断ってはなりません。」
誰にも忖度することがないセバスは冷静に指摘した。
「少しでも早くコーヅ殿を大聖堂へお連れしたいので、こちらで待たせていただきます。」とシュリは固くなだった。きっと鎧姿でのお茶の作法なんて、分からないことだらけだからだと思う。
「ふふふ。遠慮深いのですね。」
「コルベール様もオルデンブルク侯爵様のことなのに落ち着いていらっしゃるのですね。」
「お爺様ですって!?」
穏やかだったシャルロッテの表情が一変した。
「はい、そのように祭司様から伺いました。」
「まさか……そんな……あのお爺様に限って。コーヅ殿……あ、いえ。私も参ります。」
ありありと見えていた動揺を隠すように踵を返して階段を上っていった。するとヒルダが2階の廊下から音もなく現れてシャルロッテの後ろについた。
すると今度は落ち着いたノック音が聞こえた。
「ティアです。」
すぐ近くにいたシュリがドアを開けると、寝癖で髪の毛が乱れたまま、ローブだけを纏ったティアが立っていた。
「あら?もう揃ったのね。じゃあ行きましょうか。」
ティアはクルリと振り返ると大聖堂に向かおうとした。
「えっと……シャルロッテ様が一緒に行くって。」
「待ってたら時間がかかるんじゃないの?」
ティアもある意味忖度が無い。ティアの場合、リスペクトという心を持ち合わせていないようにも感じるけど。
「シャルロッテ様に待っててって言われたら先には行けないよ。」
「そうねぇ。」
ティアは応接室の方へ歩き始めた。そこでゆっくり待とうということだろうが、本当に肝が据わっている。
「お待たせしましたわね。」
すると階段の上から声が聞こえた。そしてシャルロッテにしては珍しく急いで下りてきた。そしていつもとは違う動きやすそうなパンツスタイルの軽装で、髪の毛も後ろで1つに縛っただけだ。しかも綺麗には束ねきれていない。ヒルダはそれで許したんだろうか?
「参りましょう。」
俺たちの答えは待たずに玄関のドアを開けた。その後ろを慌ててついて行く。玄関には馬車が準備されていた。
「狭いですけど皆さんお乗りください。」
そう言うと颯爽と馬車に乗り込んだ。この馬車の御者の左右には警護と思われる人が座っている。こちらを向いていないのに独特の威圧感がここまで届いてくる。
6人乗りの馬車は狭くもないが広くもない。しかしすぐ目の前にシャルロッテがいるので落ち着かない。
「急いでね。」
「かしこまりました。」
シャルロッテの合図で馬車が動き始めた。
静まり返った深夜の道路を唯一の音を立てながら少し乱暴に進んでいく。馬車の外は光魔石に照らされた景色が流れていく。いつもと同じはずの景色も馬車の中からは少し違って見えるので、ホビーはべったりと窓に貼り付いている。
通りを1回、2回と曲がり、大聖堂が近付いてくると突然馬車が速度を落とした。
「どうしたの?」
「人が多くて進めません。」
何でこんな時間に!?
昨日も人出は多かったけど、馬車が大聖堂の手前で止まってしまう程ではなかった。それが今日はこんな夜中から馬車も進みにくい程に人出が多いとは。馬車はしばらくの間ノロノロと進んでいたが遂には止まってしまい動けなくなった。
「仕方ないわ。降りましょう。」
シャルロッテが合図をするとすぐに馬車のドアが開けられた。そして警護者たちが足元を照らした。俺たちが馬車から降りると、人だかりが遠回しに見ている。
「おい、シャルロッテ様だ。」
「あれがコーヅだぞ。」
「ティアまでいるぞ。爆炎の。」
普段は何も言われないのに、こういう悪目立ちをすると途端に芸能人のような扱いを受ける。シャルロッテやティアは堂々としたものだけど、俺は頭を下げながら大聖堂の敷地へと足を踏み入れた。
するとそこはコンサート会場かと見間違うほどの人だかりで前に進めない。まさかこれだけの人が患者をつれてきたのか!?冗談だろ?しかし体調が悪そうで寝かされた人が多くいる。
「仕方ないわね。行儀は悪いけど塀を伝っていきましょうか。」
シャルロッテが大聖堂を囲う敷地の塀に飛び上がった。すると警護者もそれに続いて塀に飛び上がった。
「あんたも急いで。」
「あ、うん。」
それに続いて塀に飛び乗ると、塀の上を飛び跳ねながら駆けていった。するとシャルロッテは大聖堂の近くまで来ると大きく飛び上がり、大聖堂の壁や窓を使いながら4階のバルコニーに着地した。それに続いて警護者や俺たちもそこに降り立った。
おおー!というどよめきが大聖堂の広場から沸き起こった。警護者たちがシャルロッテを遠くからでも見えるように照らした。
「皆さん!私はシャルロッテ・コルベールです。はるばるアズライトまでようこそおいでくださいました。このコーヅが治療に来られた人たちを全員お助けいたします。順番が来るまでしばらくお待ちください!」
わぁ!という歓声が沸き起こった。シャルロッテは笑みを浮かべながら慣れた様子でその歓声に手を上げて受け止めていた。
声が小さくなってくると「行きましょう。」とドアを開けて勝手に大聖堂に入っていった。
「シャルロッテ様。」
祭司たちが祈りを止めてシャルロッテの方に歩み寄ってきた。
ここはドーム型の高い天井の部屋で、簡素な祭壇設けられている。しかしそこには像のようなものは無かった。そう言えば創造伸を型取った像とか絵を見たことがない。何でだろうという疑問が一瞬頭をよぎったが、今はそれどころではない。
「遅くなったわね。お爺様はどこ?」
「ご案内いたします。」
祭司に続いて階段を下りた。祭司は急いでいるのか急いでいないのか分からないような速度で1段ずつ階段を下りていく。しかも天井が高いので1階下りるにも結構な段数あってなかなか下の階にたどり着かない。
もどかしく思いながらも、やがていつもの治療部屋があるフロアに着いた。その廊下には昨日と同じように症状が重たい人たちが所狭しと並べられて寝かされていた。布団も足りていなくてまともにかかっていない状態だ。でもエアコンのおかげで暖かくはあるけど。
「まぁ……。」
シャルロッテは目の前に広がる光景に息を呑んだ。ある程度想像はしていたと思うが、それを上回る悲惨な光景に目を疑ったのだと思う。
「ぼく、ここにのこる。」
「私も。」
リーサとホビーは治療部屋に入らずに残った。
俺たちが治療部屋に入ると、身なりの良い人たちが1つのベッドを囲んでいた。他のベッドは使われていない。侯爵ともなればそういう扱いにもなるのだろう。
「シャルロッテ、参りました。コーヅ殿、早速治療をお願いします。」
「分かりました。」
祭司が3人がかりで治療をしていたが、俺の治療の場を作るためにその場を離れた。ベッドには土色の顔をした白髪の大柄な老人が寝かされていた。これがシャルロッテの祖父なのだろう。
俺はいつもの様にベッド脇に膝をついて治療を始めた。魔力を流していき体の隅々までを丁寧に治療していく。ヒールが体に届いているという手ごたえを感じながら治療を続けた。
大丈夫そうだな。
俺は安心して魔力を流していった。
しかし治療を続けていると、いつもと手ごたえが違うことに気付いた。何というか、ヒールは流し込んでいるんだけど、送り込んだ魔力はどこかへ吸い込まれていく感じで、治っているという手ごたえを感じなくなってきた。おかしいと思いながら、少しだけ魔力を強くしてみてもやはり感触は変わらなかった。
いや、ヒールは届いているはずだ。最初にそういう感触はあった……はずだ。もう今となってはその感覚も朧げになってしまっているけど。
焦りを感じながら、でも魔力は強くなり過ぎないように調整しながら治療を続けた。しかしこの眠っている老人は一向に良くなっている感じがしない。これまでに経験したことがない反応だ。
何かおかしい。もしかすると治療が上手くいっていないのかもしれない。
そう思うと、背筋に冷たいものが下りてきた。
俺は恐る恐る胸の部分を見た。しかし呼吸をしているような胸の動きが見えない。まずい、こんなところで失敗してしまった。俺は怖くなり魔力を強くして流した。
いや、違う。体の状態を調べるのが先だ。
俺はこの焦りを落ち着けるために、一度目を閉じて呼吸をした。
しかし体の状態を調べようとしても魔力が震えてしまい、反応を上手く掴むことができない。いや、掴めないのではなくて、もしかして……。
自分の心臓の音がうるさくて苛々する。
やばいやばいやばい。
俺は人を救えなかったという恐怖心に心臓をギュッと掴まれた。そして胸が痛くなるほどに苦しくなり、呼吸が荒くなってきた。




