第206話 次の一手
屋敷に着いてから石箱の中をそっと覗いたが、まだしっかりと雪山が保たれていた。しかし当の本人はまだドレスのデザインの打ち合わせが終わっていないらしい。やはり女性の洋服にかける情熱というものは男性とは比べ物にならないものがある。軽い気持ちで足を踏み入れて良い領域ではないことを改めて思い知らされた。
俺たちは食堂でリーサを待つことにした。そして俺は雪山フレンチトーストを食べるためにナイフとフォークと、渋めのお茶を持ってくるようリースに頼んだ。それから箱状になっている石が皿のようになるよう壁を消しておいた。
「何買ってきたの?」
「へぇ、フィーロさんの店か。またコーヅに作らされた新作?」
女性たちの賑やかな声が徐々に食堂に近づいてきているのが分かった。すると隣でホビーもソワソワしはじめた。そして「コーヅ……。」と不安そうな顔を見せる。
「大丈夫だよ。リーサさんが間違いなく好きなものだから。」
「うん!」
食堂のドアが開くと、その音にホビーがビクッとした。そんなに緊張しなくても……と思う程に緊張しているようだ。
「あの……リーサにもってきました。」
ホビーはリーサを見つけるとすぐに自分の前に並べてあった石の皿を押し出した。
「わぁ、これはあの生クリームというものですわよね?ホビーありがとう。」
リーサは嬉しそうにホビーを抱きしめると頭を撫でまわした。ホビーはフガフガ言いながらも嬉しそうに口元が緩んでいるのが分かった。
「あら?1つ多いんじゃないかしら?」
「シャルロッテさんの分です。呼んでもらうのを忘れてました。」とキキに目配せをするとすぐに食堂を出ていった。
「まぁ、お母様の分まで。ありがとうございます、ホビー。」とリーサがホビーの頭をさらに撫でた。
少しするとシャルロッテが慌てて食堂が入ってきた。
「まぁまぁ皆さんようこそ。これがホビーが持って帰ってくれた雪山フレンチトーストというお菓子ね。」
既にキキからある程度情報を得ている様子だった。そしてシャルロッテが席につくとすぐにお茶が注がれた。その後にリーサ、ティア、シュリという順番でお茶が注がれた。
「ではいただきますね、ホビー。」
シャルロッテは優しくホビーに話しかけると、ナイフとフォークで上品に生クリームを小さく掬って口に運んだ。
「まぁ!」
目を見開いてそれだけ言うと、またすぐに生クリームを掬って口に含んだ。
「まぁまぁ!」
シャルロッテの言葉を待っていたリーサはしびれを切らせたように自分の目の前の山になっている生クリームをシャルロッテよりも大きく掬って口一杯に含んだ。
「あっまーい!」と幸せそうに頬を手で覆った。そしてホビーに「ありがとう。」と幸せ一杯の笑みを向けて頭を撫でた。ホビーも嬉しそうな幸せそうな笑みを浮かべてリーサを見ている。何という相思相愛感だろう。しかし2人の関係が親密であればあるほど、俺は疎外感を味わうのだ。
ティアとシュリも美味しいと言いながら食べていた。
「これもコーヅ殿の知識ですか?」
あっという間に食べ終えて、満足げな表情でお茶を飲み始めているシャルロッテが聞いてきた。
「一応そうですけど、このレシピははあまり覚えてなくて、憶えていたヒントだけ伝えたらフィーロさんが完成させてくれました。」
「まぁ、優秀な方ですわね。」
シャルロッテに褒められると、自分のことではないけど嬉しくなって得意げな表情を浮かべると「いや、あんたのことじゃないし。」とすかさずティアに水を差された。
ささやかなティータイムが終わると、食堂からリーサとホビーが手を繋いで出て行った。
今日もホビーを取られたままみたいだ。そうだろうな、という諦めに似た気持ちで後ろ姿を見送った。寂しさもあるけど、本を読んだりトレーニングしたり、俺にも個人的にやらないといけないことがあるので、割り切ってしまえばさほど気にはならなかった。
俺はキキに連れられて部屋に戻る途中に、昨夜読みかけだった魔獣の本を書斎から借りてきた。
夕食まで、そして夕食後も深夜まで本を読んだり、魔力や剣技のトレーニングをして過ごした。とにかくまだまだ力不足なことが分かったので、それを埋めるために時間を使った。
「さて……。」
ひと息ついたのでこのまま寝てしまうか、それともホビーのおもちゃ作りをするか。……んー、おもちゃかな。やっぱりホビーが取られている状態は落ち着かない。取り戻すための次の一手もおもちゃだ。でもおもちゃを作るなんて言ってもパッとは思い付かない。
色々と悩んだ末にすごろくにしたいと思った。アズライトから王都までの街や道を遊びながら覚えるというアイデアだ。
でも王都までのルートなんて何も知らないので、また書斎で勉強が必要だ。まず地理の本から地図を作ってみようと思うが、そうすると今日できることはもう無いかな。
ふと窓の方を見るともう外は白んできていた。そして時折小鳥の囀りも聞こえてくる。慌ててベッドに潜り込むとヒールで体を満たしてから眠りについた。
「コーヅ様、おはようございます。」
キキの声で目を覚ました。
「おふぁぁぁあよう。」
大きなあくびが出た。
昨夜は魔力を指先に集めて人差し指に火、中指に土、薬指に風と3つの魔術を同時に出して維持するというトレーニングを行っていた。3つ同時はなかなか上手くいかず、時間と魔力をかなり消耗したし、夜更かしもしたから、ヒールの力を借りても睡眠が足りていなかったようだ。
しかし今日は大聖堂だ。今のルーチンワークの中では治療が1番楽だと思う。眠いけど何とかなると思う。
「あのさ、アズライトから王都までの地図ってない?」
ホビーを間に挟んで並んで歩いているリーサが不思議そうに顔を上げて俺を見た。
「書斎にあるんじゃないかな?」
「やっぱりあるよね。ありがとう。」
「なになに?何なの?教えてよ。」
これはホビーを引き戻す手の内だからリーサには隠しておきたい。
「王都に行く準備だよ。俺、何も知らないし。何日かかるのかも分かってないしね。」
「本当に?なんか怪しいなぁ。ねぇ、ホビー?」
「ホビーもそうおもう。コーヅはあやしい。」
ぐっ、ホビーめ!すっかりリーサに迎合してやがる。ますます教えるわけにはいかない。
大聖堂が近付いてくると、今日はいつも以上の賑わいを見せていた。屋台だけでなく、露店も増えている。大聖堂の祭りか何かだろうか?
敷地内は更に人が多いし列は動かずに皆が立ち止まっている状態だ。小さなホビーがいなくならないようにと抱っこしようとしたが「ひつようない。」と断られた。そのやり取りをリーサは成長を喜ぶ母のような表情で見ていた。
しかしそれではいけない俺たちは、人の隙間を縫うようにしてやっとの思いで大聖堂の裏口に辿り着いた。
「何なの、これ?」
大聖堂に詳しいティアも理由は分からないようで裏口を開けてくれたラーラに聞いた。
「治療を求める人たちですよ。」と言うラーラの目の下には隈ができていた。
「あの人たち?悪いところなんてなさそうだったわよ。」
「外は付き添いの人が多いのかもしれませんね。」とラーラ苦笑した。
大聖堂の中も混雑しているようで上の階からの咳や話し声がここまで届いている。だからかラーラはここでゆっくり立ち話をする気は無いようで、俺たちを促しながらいつもの階段から2階へと向かった。
廊下には布団や布などが敷き詰められ、そこに沢山の患者が寝かされていた。あちこちから治療の支援を求める悲痛な声が聞こえてくる。そこを司祭や修道女、ボランティアの人たちがバタバタと治療や看病にあたっている。ここは野戦病院より酷いんじゃないかと思うほどだ。これまでの治療とは緊迫感が全く違う。
俺はそこに吸い寄せられるように一番近くの患者に近寄るとしゃがみこんだ。そして肩に触れてヒールを流した。
「ゴホッ。」と咳が漏れた。これだけ強い咳が出るくらいならマシになったんだろうと隣の患者に移った。
「コーヅさんは治療室へお願いします!」
廊下に響き渡る指示の声に俺は2人目の患者にささやかなヒールを流して立ち上がった。
「分かりました。」
ラーラやティアたちに付き添われて治療室に入った。この部屋も模様替えされており、ソファは無くなり、ベッドだけが4台並んでいるだけの部屋になっていた。
「誰からですか?」
「こちらからお願いします。」
一番奥のベッド脇で治療していた司祭が手を上げた。俺は頷くと、すぐにその司祭と場所を入れ替わった。その司祭はすぐに隣のベッドの患者の治療を手伝い始めた。
俺は肩に手を置く前に深呼吸した。このままの勢いでヒールを流すと強くなりすぎそうな気がしたからだ。
改めて肩に手を置いて微弱なヒールを流した。魔力を全身に流すようにして体内から感じられる引っ掛かりを優しく削るようにしながら全身にヒールを満たしていく。自分自身に毎晩流しているヒールだ。
「痛っ!痛い痛い!お腹が!あーーっ!」
突然目の前の女性患者が目を見開いて暴れ始めた。俺はすぐに感じ取れた腹部に手を当てて直接違和を削り取るためのヒールを送った。ある程度削り取れたら落ち着いたようで、また目を閉じた。下手に体を活性化するとこういうことになるのか。まだまだ分かってないことが多い。気をつけよう。
その後は体から感じる大きな違和を狙って削り取り、細かな違和はヒールの波で全て流してしまった。
「ふぅ~……。」
俺がひと息つくとすぐに「次はこちらを。」と隣の患者の脇を空けられた。そこへ移動するとすぐに治療を始めた。
自分なりに効率良く安全に治療する方法を探りながら部屋にいた4人の治療を終えた。
既に治療を終えた3人は部屋から出ていっている。
「助かった……のか?」
職人のような雰囲気をもつ初老の男性が体を起こした。
「もう大丈夫と思います。」
「また酒は飲めるのか?」
「ははは。どうぞ。」と苦笑交じりに答えた。
今は少なくとも悪いところはどこにもない。また倒れるほど悪くなるまでには相当な量の酒が必要になると思う。残りの人生を謳歌して欲しい、と送り出した。
男性は司祭に促されて部屋を出て行く間際に「今度一杯奢らせてくれ。」と言ってジョッキを持ち上げる仕草を見せた。俺も同じようにジョッキを持ち上げるように返答すると嬉しそうな笑顔を見せて帰っていった。
「少し休憩しましょう。」
こういう時にいつものラーラなら水を持ってきてくれるのだが、今日は部屋から出にくいので、ベッドに腰掛けて携帯水道から水を飲んだ。
「何で急に?」
「どうやらコーヅさんのことが王都まで噂が伝わったみたいで、そこから国中に広まったようです。」
今日の人たちはその中でも動きが早かった人たちだろう。それにしてもこんな症状で移動してくるなんて命の危険があるんじゃないのかと思う。でも危険を承知でここまで来たということは、治せる人が他にいないということだよな。きっとこれからもっと増えると思う。でも、これ以上に増えて対応しきれるのか?
……いや、今それを考えるのは止めとこう。




