第204話 教育ママ
静かなノックの音に気が付いて顔を上げた。
「あの……コーヅ様?」
ドアが静かに開いてキキが顔を覗かせた。
「あ、コーヅ様。やっぱりまだいらっしゃいましたか。」
「そろそろ戻った方が良い?」
「はい、できましたら。私たちも寝るような時間ですので……。」
そんな時間とは思ってもみなかった。まだ半分ほど読んだところだから、もう少し読み進めたい気持ちはあるけど、そんなことをするとキキの寝る時間まで奪ってしまうことになる。とにかくこの世界には沢山の魔獣がいて、思った以上に賢い存在なことは分かった。
「ありがとう。戻るよ。」
本を書棚に戻すと、キキに連れられて部屋に戻った。
ほんの短い期間なのにホビーがいない静かな部屋に違和感を抱くようになっていた。きっとこのまま今夜も戻ってこないだろう。それはそれで体や心は楽なのだが、何か胸に引っかかるものが残った。
俺はホビーを喜ばせようと、この前作った車のおもちゃの続きを作り始めた。上に乗せる車体は格好良くしたいと思う。そうするとスポーツカーだよね。カウンタックとかフェラーリのイメージで。
「うー、難しい!」
タイヤの大きさや距離がそもそもスポーツカー向きではなかった。……結局出来上がったのは丸っこいスバル360もどきだった。これはこれで好きだけど、作りたかったものとは全く違った。
仕上がりには満足はしていないけど、完成はさせられたことには満足したので、俺はベッドに潜り込んだ。そしていつものように体をヒールで満たしてから眠りについた。
朝、目覚めてもホビーの姿は無かった。夜中に淋しくなって俺のベッドに潜り込んで……という展開はなかった。作り上げたスバル360もどきがテーブルの上に置いたままになっている。
食堂に行くと、今朝もリーサとホビーは既に来ていてクリストフやシャルロッテと談笑していた。
「おはよう、コーヅ。」
ホビーの言葉が滑らかになってる。気がする、というレベルじゃなく明らかに上達している。
「おはよう、ホビー。」
なんか悔しかったので言葉の上達には触れずに、隣に座った。心が狭いな……と思いながらも、やはり悔しくて褒め言葉を口にできなかった。
「今日は服を仕立ててもらいますよ。」
「リーサ、ぼくはいやだよ。」
「駄目よ。あなたもいつまでも女の子の服じゃ嫌でしょ?」
ホビーはパンツ姿でもシャツにフリルがついているので女物と分かってしまう。
「う……うん。まあね。」
ホビーは渋々といった様子で頷いた。そのやり取りはとても軽快で、リーサがテイムした魔獣なのかと勘違いしてしまいそうになるほどだ。それには何となく疎外感を抱きながらも、俺がこの世界からいなくなった後のことを思うとありがたくも思う。でもやっぱり悔しい気持ちは残ってしまう。そんな複雑な想いを抱えたまま食事を済ませた。
今日は外出しないので、部屋着のまま応接室に向かったが、ホビーはやはりリーサと一緒だった。抱っこの感触が懐かしくなってくる。でも手を繋いでいるリーサから奪い取るようなことはできない。どうしたもんかと2人の後ろを歩いた。
応接室にはティアもシュリも来ていた。相変わらずシュリは、お茶を飲まずにニコニコと固まった作り笑顔を浮かべて、姿勢良く座っている。ここのお茶は美味しいんだけど、セバスの視線を受けると味が無くなるという不思議な現象が起きるので仕方ないとも思う。
俺たちがソファに座ると、すぐにお茶が置かれた。
「もうしばらくお待ちください。仕立屋が参りましたらお呼びいたします。」
そう言うとセバスが一礼して部屋を出ていった。やはりセバスがいないとお茶が美味しくなる。そしてシュリもはぁ……と大きなため息をついて項垂れた。
「お嬢様、ティア様、シュリ様はこちらへ。」
しばらくするとセバスが3人を別室へ連れ出していった。
「行って参りますわ。」「じゃ、またね。」
俺とホビーはその場で見送った。考えてみれば当たり前だ。女性と一緒に採寸をする訳が無い。
「ホビー、言葉が上手になったね。」
『しかたないでしょ。リーサは厳しいんだよ。』
「でも嬉しそうにしてたじゃん。」
俺はついつい子供相手に嫉妬心を口にしてしまった。
『リーサは良い子にしてたら美味しいお茶やお菓子をくれるんだ。でもコーヅは何もくれないよね。』
アメとムチだったか。
「そりゃ、俺は子供の我儘には付き合わないよ。」
『だったら僕はリーサと一緒にいたいな。』
「そんなの駄目だよ。」
『駄目じゃないよ。僕にだって選ぶ権利はあるよ。』
「子供にそんなものありません。」
俺たちの幼稚な喧嘩はドアをノックする音に止められた。これがセバスのノックであることをお互いに瞬時に理解したからだ。そしてすぐに姿勢を正して座り直した。
「コーヅ様、仕立屋が参りました。」
俺は立ち上がると、笑みを浮かべて「ありがとうございます。本日はよろしくお願いします。」と頭を下げた。
あっ……。
下げた頭に注がれる冷めた視線に冷や汗をかいた。
そんなことから始まり、セバスからその都度、温度感のない冷静な指摘をされながら、俺とホビーは採寸を終えた。そして4つずつの選択肢から礼服と平服のデザインを選んだ。
貴族の平服はとてもつまらないデザインだ。少しは遊び心を入れられないものだろうか?
「あの……、平服は日本のデザインも参考にしてもらえませんか?」
「ニホン……でございますか?」
仕立屋は怪訝な顔を見せた。デザインは言葉で説明は難しい。それよりも見せてしまった方が早い。
「キキさん、部屋に戻りたいのですが。」
「かしこまりました。」と一礼すると応接室のドアを開けた。
「ぼくもいく!」と俺の胸元に飛び込んできたホビーをがっちりキャッチした。そのしっくりくる重みと温もりに心地良さを感じた。
俺は部屋に置いてあったスマホの電源を入れるとポケットにしまい、すぐに応接室に戻った。
「もうおわりなの?つまんない。」
ホビーはつまらなさそうに口を尖らせて、胸にしがみついたまま降りようとしなかった。
「ちょっと待って。」
俺はホビーには構わず、スマホを操作すると全身が写ってる写真をピンチアウトして見せた。
「おお……。」と仕立て屋が声を絞り出すように唸った。そして画面を食い入るように見ている。そして他の写真もスワイプしながら見せていった。
「あ、あのスケッチをしても良いでしょうか?」
「どうぞ。」
仕立屋がスワイプをしながら選んだ写真には立ち話をしている男性たちが写っていた。そして羊皮紙の上にデザインを描き写していく。
俺が見ているときっと落ち着かないだろうと思い、ホビーと部屋を出た。
「どこかに行くの?」
「うーん、庭で遊ぶ?」
「うん!」
キキを見ると静かに頷いた。
「やったぁ!」
ホビーは胸元から飛び降りると玄関を開けて庭に飛び出て行った。
「まてー。」
俺は形式的にホビーを追いかけた。するとカーテンが閉まった部屋からリーサたちの甲高い笑い声が聞こえてきた。楽しそうに感じるがそういう場にいる男子はとても退屈なのだ。
服を並べられてどっちが良い?と聞かれて、こっちと答えると、私はそっちじゃないのよね、と言われたりするやつだし。
しかしホビーとの追いかけっこはすぐに終わった。
「つかれたー。あきたー。」と言って庭の芝生の上に大の字に寝転んだ。
そんな姿を見て俺は庭の端の方に即席の砂場を作った。そしてそこへ少し水をまいてから砂の山を作り始めた。
「なにしてるの?」
ホビーが目をキラキラさせて駆け寄ってきた。
「山を作ったでしょ。ここに穴を掘って道を通すよ。」
「ぼくがやる!」
ホビーは俺を押しのけるようにして山の前にしゃがみこんだ。そして山の中腹に穴を掘り始めた。大した山ではないので穴はすぐに貫通した。
ホビーは楽しそうに穴から覗き見ている。そして今度は穴を掘り始めた。
思いの外、砂場はホビーに受けが良かった。俺もホビーの隣で一緒に穴を掘ろうとしたら「コーヅはあっち。」と邪魔者扱いをされてしまった。それだけ楽しめてるなら良かったと、ホビーから少し離れたところで穴掘りをしてるフリをしていた。
「そうだ。ぼくのまじゅつをみて。」
おもむろにホビーは立ち上がって手を前にかざしすと、風が巻き起こり、砂が一緒に吹き上がった。
「うわっ!」
予想をはるかに超える力ある風魔術は俺たちを包み込んだ。砂が目や鼻、口へと飛び込んで来た。
俺は慌てて風から逃れると、風に包まれて回転しているホビーに気付いて引っ張り出した。
「はわわわ……。」
ホビーは目を回して、長い舌を口からだらしなく垂らしていた。
「大丈夫か?」
そう言いながら俺自身も目がまともに開けられず、涙目になりながら口に入った砂を吐き出していた。
「もう、だめ……。」
まだまだ魔術の使い方には課題があるものの、しっかりとした魔術を使えるようになっていた。リーサは魔術の教育でもこれだけの成果を……。競っている訳では無いんだけど、子育て経験者としてはフツフツと悔しさがこみ上げてくる。それにしてもリーサの教育ママっぷりはかなりのものだと思う。何でこんなにも短期間で言葉も作法も魔術も上達させられるんだろう?
「もうかえりたい。」と体中に砂を浴びたホビーが頭の砂を払いながら言った。
「砂を落としてからね。」
俺はそう言うと自分とホビーの服を叩いて砂を落とし、顔や頭の砂も払った。でも細かくて取り切れない砂がある。これは風呂じゃないと無理だな、と諦めて屋敷に戻ることにした。
キキに連れられて応接室に戻ると、既にみんなが戻ってきていていた。
「お帰りなさい。」
「終わったの?」
「まだですわよ。午後も頑張りますわ。」
……さすがだ、昼だから切り上げただけだった。彼女たちはまだまだやる気だ。本当に男女が別で良かったと思う。
「では、こちらへ。」
セバスの案内で食堂に連れていかれた。そこにはクリストフの姿はなく、シャルロッテだけがいつもの席に座っていた。
「ようこそ。気兼ねなく過ごしてね。」と微笑んだ。
皆が座るとすぐに料理が出された。昼食の間も服の色やデザインの話をしていた。
「コーヅ殿は私のドレスは何色が合うと思いますか?」
絡まれないように大人しくホビーと食事をしていたが、リーサに話題を振られた。何でも似合うとか、分からないという答えは厳禁だ。
「赤い髪には黒かなぁ。」
「それは分かってるわよ。そうじゃなくてニホンでも合わせ方とかないの?」
「コーヅくんに聞くよりも綺麗な絵が見れる箱を貸してもらった方が良いんじゃない?」
「そうですわね。お母様も一緒に見てみませんか?ニホンが見れるんですよ。」
「まぁ、それは面白そうですわね。私もご一緒させていただこうかしら。」
あっという間に会話から置いていかれたので、俺は大人しく食事に戻った。ホビーも隣で気配を消して食事をしていた。
アルマンドの味付けは深くて美味しい。俺は目の前で熱々とした湯気が立ち上っているステーキを切り分けると口に運ぶと、口いっぱいに広がる肉汁の甘みを楽しんだ。
食事を終えると俺は仕立屋に貸していたスマホを返してもらってリーサに渡した。操作方法は覚えていたようでロック解除すると俺は用済みとなった。
そして行き場がなくなった俺とホビーは部屋に戻された。




