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第2話 事情聴取

「何見てるのよ。」 

 尻もちをついた金髪の若い女性が苛立った様子で俺を睨む。

「ごめんなさい。」

 俺は慌てて謝ると、視線を逸らすように周囲に目を向けた。

 

 それにしても一体ここはどこだろう?


 壁や床は石造りで、扉は大きくて装飾が施されていて、見たことが無い程に立派だ。窓にも豪華刺繍が施された赤いカーテンがついている。そして後ろの壁一面が本棚になっていて背の高い本がびっしりと並んでいる。

 ここは図書室……?でも、あのコーヒー豆屋はどこだ?

 それにコーヒー臭ではなくなんだか獣臭がする。混乱してしまい、何がどうなっているのか全く分からない。

 女性に視線を戻した。今の状況は全く理解できないが、女性にぶつかったことだけは間違いない。とにかく立ち上がってからもう一度謝罪した。

「すみませんでした。お怪我はありませんか?」

 俺はハラスメントが頭をよぎり、躊躇しつつも手を差し伸べた。

「いいわよ。一人で立てるから。」

 素っ気なく答えた女性は立ち上がって、ローブについた埃を払うようにした。

 奇抜な恰好だとは思うが、不思議とこの景色に馴染む感じもある。女性は俺よりも年下に見えるから、20代前半だろう。ぱっちりとした二重に豊かなまつ毛、そして鼻筋はすっと通っていて見た目はとても可愛らしいのだが、……性格はその真逆なようだ。


「で、急に現れたように見えたけど、ここで何してるのよ。」

「俺もよくわからないんです。変な木の箱に吸い込まれて、気付いたらここにいました。……あの、ここはどこですか?」

 

 女性が驚いた様子で俺のことをまじまじと観察してきた。そして視線を反らして、少し考えこんでから口を開いた。

「あなたのその格好は異世界者じゃないかしら?この世界とは違う世界から来たのかもしれない。」

「……異世界者?」

 聞き慣れない異世界者という言葉もあり、女性の言っていることが良く分からない。

 もっと詳しく聞きたいと思った時には「ちょっと待ってて!」と女性はローブをなびかせて図書室から走り去って行った。

 

「あ、ちょっと!」という俺の声は誰もいない図書室に空しく響いた。

 俺は一人取り残された部屋を見回しながら、「異世界」という言葉の意味を考える。異なる世界……、日本と異なる世界であることは分かる。でも何がどれだけ異なるんだろう?

 それより俺はあのコーヒー豆屋に戻る事はできるんだろうか?心を落ち着かせるために、散らばったドリップコーヒーを拾い集めながら、どこかにコーヒー豆屋への入り口が無いものかと手で触れて歩いた。

 どれだけ触っても本は本で壁は壁だ。何もない。

 そして女性が出ていった扉を開けて部屋の外へ出てみた。どこへ続いているか分からない石造りの廊下が左右に延びている。ここはコーヒー臭も獣臭もしない。

 このまま部屋を出て探すか?……いや、今は下手に動き回るよりも、なにか知ってそうなあの女性を頼りにした方が良い気がする。


 俺は大人しく部屋に戻ると、窓から外に見える石造りの街並みに目を向けた。

 そして今の状況をまとめようとも思ったが、まとめる程の情報が無い。まずは『異世界』とやらについて詳しく話を聞かせてもらいたい。

 状況的には中世ヨーロッパ辺りへのタイムスリップのように思える。でも言葉が通じるんだよな。それが異世界ということなんだろうか?


 考えがまとまらないうちに、金属が擦れる複数の足音が慌てた様子で近づいて来た。そして乱暴に部屋が開けられ、5人の衛兵が入ってきた。その後ろにはさっきの女性がいる。そして突然、衛兵4人から槍の穂先を向けられた。

「うっ……。」

 想定外の状況に思わず声が漏れて、体が硬直した。

 これヤバい……。まずは逃げるべきだったか。失敗した。

「あ、あの……。」

 俺は何を言えば良いのか、その後の言葉が続かず、ただ抵抗の意思がないことを示すためにゆっくりと両手を挙げた。

 すると他に比べると良い装備を身に着けた衛兵が1歩前に出た。俺は体は動かさず、引き攣った表情のまま視線だけをそちらに向けた。

 鎧の上からでも伝わってくるがっしりと盛り上がった肩と太い首、そして短髪で彫りが深い30代後半くらいの男性だ。全く冗談でやっているようには見えず、独特の張り詰めた空気を纏っている。

「お前さんが異世界者か?」

 重々しい声の響きと、呑気な喋り方に不思議と安心できた。

「その異世界者というのはどういうものなんですか?」

「ふむ。」とひと言呟くと俺をじっと見据えるように頭から足先までを観察する。そして「見た目や状況からすると異世界者だよな。ちょっと場所を変えさせてもらおうか。」

 俺は抵抗する意志のないことを示すために、首を縦に何度も振った。

「それは助かるな。すまんが、そのカゴと鞄をこちらに渡してくれるか。その腕に巻いているものと指輪も外してくれ。」

 

 俺は相手に警戒させないように、ゆっくりと背負っていた鞄を降ろしカゴの中に入れた。そしてスマートウォッチと結婚指輪を外しまとめて自分から少し離れたところに置いた。それらの鞄や時計、指輪は他の衛兵たちが拾い上げた。

 体を動かす度に背中全体から吹き出した汗とシャツが気持ち悪く動きを邪魔してくる。

「では行こう、ついてきてくれ」

 良い装備の衛兵と女性が先頭を歩く。少し距離を開けて衛兵が2名、そして俺。後ろにも衛兵が2名としっかり囲まれている。

 ガチャ、ガチャと鎧の擦れる音だけが石造りの廊下に響いた。 

 何度も廊下を曲がり、階段を降りたり登ったりした。途中までは元の部屋に戻れるように覚えてようと思ったけど、……途中で無理だと諦めた。

 あまりにも違う世界に、あの図書室に戻ったからといって元のコーヒー豆屋に戻れる気がしなくなってきた。異世界という言葉の意味が徐々に身に染みてくる。

 案内された部屋はあまり手入れがされていない埃臭く広い部屋だった。部屋の真ん中に寂しく置かれた椅子と丸テーブル、そしてその前には机が置いてある。

「そこに座ってくれ。」

 良い装備の衛兵が奥の椅子を差した。俺は頷いて、その椅子までゆっくりと歩いていき、そこに座った。それを見届けた良い装備の衛兵が机の供えられた椅子に座った。そして女性はその後ろに控えるように移動した。

「さて、と。まずお前さんの名前を聞こう。……と、その前に俺が名乗るべきだな。俺はタイガーだ。タイガー=ユサルス。ジルコニア王国アズライト支部の第一衛兵連隊の隊長だ。」

「……私は神津陽一といいます。会社員をしています。」

「コーヅ=ヨウイチか、珍しい名前だな。異世界人ならもしかして姓はコーヅか?」という何かを知っていそうな言葉に、すがる思いでタイガーを見た。

「そうです!姓がコウヅで、名前がヨウイチです!」

「そうか。やっぱりシンと同じか。もしかしてお前さんもニホンという国から来たのか?」

「はい、そうです!日本をご存じなのですか?でしたら私は日本に帰れますか?」

 俺は身を乗り出すようにして聞いた。だがタイガーは首を振った。

「残念ながら、帰る方法は無い。あるかもしれないが俺たちは知らない。同じニホンから来たシンもこの国で暮らしている。」

 

 ……帰れない?

 今夜、妻と約束があるんだけど?

 もしかして子供にも会えないってこと……?

 

 そして言葉の意味を理解できたときに、俺は自分の何ともしがたい衝動を抑えることができずに立ち上がった。その動きに衛兵たちの槍が俺の喉元へ突きつけれた。

 駄目だ駄目だ。このまま暴れたら俺は簡単に殺されてしまう。落ち着け、俺!

 俺は目を閉じると荒い息を何度も吐き出して心を整えた。そして力なく椅子に座りこんだ。そんな俺を見て、タイガーは表情を変える事なく近くの衛兵に指示を出す。

「おい、茶を準備してくれ」

 衛兵は一礼すると、機敏な動きで部屋を出ていった。

「ねぇ、タイガー隊長。コーヅはシンと同じようにこの国で暮らすことになるの?」

「さてな。協力的で協調性があるやつなら話は早いんだけどな。まずは聞き取りして領主様に判断を仰ぐさ。」

 そんな話をしていると衛兵がメイドを連れて戻ってきた。

「失礼いたします。お茶をご用意いたしました。」

「突然すまなかったな。」

「いえ、とんでもございません。……どうぞ。」

 メイドは返事をしながらもお茶を準備する。まずはタイガー、そして女性へ。次に俺にも届けようとするとタイガーが声をかけた。

「まて。ソイツには衛兵に持って行かせる。」

 メイドはすぐに理解したようで衛兵にお茶を託した。衛兵がゆっくりと俺の前のテーブルにお茶を置いた。

「……お茶、いただきます。」

 タイガーは黙って、俺の様子を見ている。

 ひと口含みそしてゆっくりと飲みくだした。紅茶のフルーティーで柔らかな味がした。ふぅと息を吐き出すと、心が鎮まってくることを感じた。これを何口か繰り返してから、改めてタイガーを見た。

「質問して良いですか?」

「いいぞ。」と、タイガーは表情を変えずに答えた。

「あなた達は日本を異世界とおっしゃいました。この国や世界について教えてください。あとシンさんについても。」

「ここはジルコニア王国の都市アズライトだ。アズライトはこの国で3番目に大きな街だ。特に産業は無いが周辺の街から王都に向かう途中にある街でな中継地点として栄えている。」


 タイガーは一度話を区切って俺を見た。内容は理解できたので頷いた。


「この世界とニホンとの一番の違いは魔術が使えることだ。その代わりニホンの様には技術が発達していない。シンは4年前にニホンから転移してきたが、今は王都のジルコンでニホンの建築技術をを使って上下水道の整備をしている。」

「シンさんも魔術を?」

「いや、まぁ使えるけどな。」と表情を崩して女性の方を見た。

「シンには魔力がほとんど無い上に努力もしなかったの。火をつけるくらいね。」

 タイガーと女性は顔を見合わせて、その光景を思い出すように苦笑いをしている。

「我々はその魔術の力でこの世界に来たのではないのですか?本当は帰る魔術もあるのではないのですか?」

「あるのかもしれん。ただ俺たちが知る限りはそんな魔術は無い。な?」とまた女性を振り返った。

 すると女性が髪の毛を手で後ろに流すようにして、タイガーの横へと移動した。

「私は宮廷魔術師のティア。残念ながら有史以来そんな魔術があったという記録は無いの。」

 ティアの日本に帰るための魔術は無いという言葉に意識が飛びそうになる。ティアはそんな俺の心情などお構いなしに言葉を続けた。

「でも4年前にシン、そして今日はあなたが異世界から迷い込んできた。どこかでそんな魔術か魔道具が開発されたのかもしれないわね。」

 俺はこの言葉に一縷(いちる)の望みを抱いて身を乗り出した。

「ではその魔術を見つけて使えば帰れる可能性はあるということですね?」

 それにはティアではなく、タイガーが落ち着いた様子で答える。

「そうかもしれん。でもな、少なくとも今のこのジルコニア王国にはお前さんたちをニホンに戻す魔術を使える人間はいない。ティアは宮廷魔術師だからな、そんな魔術が開発されたとすれば情報は入ってくるんだよ。」

 その答えに俺は愕然とした。

 彼らは嘘をついていて、何か目的を持って俺をここに呼び出した?いや、ここまでは彼らも予想外という反応だ。何が何なのかさっぱり分からない。

 

 俺が帰れる可能性は無いわけではなさそうだが、彼らは国家レベルで分からないと言う。それなら何故こんなにも都合良く国の中枢のような場所に来たんだ?おかしくないか?

 今のままでは手探りで家に帰る方法を見つけ出さないといけない。それがどれだけ大変な事なのか全く想像がつかない。

「帰れる可能性が全く無いわけではないことが分かって良かったです……。」

 俺の頭はまだ混乱したままで考えも纏まっていなかったが、相手を刺激しないような当たり障りのない返事をした。

「俺たちはお前さんが元の世界に戻ることにどこまで協力できるかは分からんが、邪魔をすることはしない。茶を飲みながら、俺の質問にも答えてくれ。」

 ここから俺はタイガーからニホンでの生活や家族構成などの話、それから仕事、特に持っている知識や技術について詳しく聞かれた。

 残念ながら俺の知識は総務に偏るから、この世界では使えないと思う。労働基準法の知識がこの世界で役立つとも思えないし。軍事の話も聞かれたが、素人の聞きかじりの話をしたけど、どこまで理解できたかすら不明な状態で全く参考にならないようだった。

 話の途中からタイガーもメモの手を止めて、雑談の延長のように話を聞いていた。

「ティアも何か聞きたいことはあるか?シンの時みたいに又お前さんが魔術を教えることになるんじゃないか?」

「そうねぇ。あなた自身は魔術に興味あるという事で良いのかしら?」

「はい、日本に帰る可能性があるのは魔術だと思いました。」

「異世界転移は空間魔術に属していると考えているの。私自身は空間魔術を扱うことができないから、転移に関することは理論だけ教えることになるわね。」

 

 魔術……、魔女狩りなんて昔話はあったけど。本当に魔術なんてものがあるのか。タイガーとティアを見ていても冗談を言っているようには全く見えない。

 

 取り調べのような雑談は続いたが、途中で荷物を持った衛兵が入ってきて、スマートウォッチやスマホについて聞かれた。

 俺はスマホを操作し日本で撮影した写真や動画を見せた。家族写真が多いが、みんな驚きながらも興味深そうに見ていた。俺はこの時スマホケースに差し込んであった家族写真を抜き取ってそっとポケットにしまった。

 

 荷物は確認作業が終わっても返してもらえなかった。今の俺は荷物を抱えて部屋を出ていく衛兵の後姿を見送るしかなかった。


 ……スマホだけでも返して欲しかった。

 

 シンが生活していた時代にはこういった物は無かったようだ。新幹線や飛行機、東京タワーと思われる話はされているようなのでそんなに時代は違わないと思うけど。最近は5年もずれると全く違うデジタル環境だからなぁ。

 

 俺は事情聴取が終わるころには、表面上の落ち着きを取り戻すことができていた。

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