第5話
「ぶおっほっ、っ!!」
突然の真面目な空気をぶち壊す変な笑い声に、吃驚して振り返った。
「そこに居るのは誰だ!」
いやいやいや、格好つけて言っているけれど、絶対おかしい。私が気付かないのは、只の侍女なのだから仕方がないとしても、この人、騎士のはずなのに。
「ぶふっ、いや、ごふっ…すまん、すまん」
そう笑いを堪えながら廊下の柱から出てきた人物に、うわぁ、と内心頭を抱える。面倒くさい人に見られてしまった。
「…団長」
そう、近衛騎士団団長兼第1部隊隊長、ダグラス・ウォーレン様だ。
ラウルの顔が強張る。それはそうだろう。情けない所を上司に見られたのだから。
「立ち聞きとは良い趣味ですね、ダグラス様」
「だから、謝ってるじゃないか、くくっ」
そんなに怒るなよ、と笑いながら、こちらに向かってゆっくり歩いてくる。
「全く謝ってらっしゃるようには見えません」
「わざと立ち聞きしてたわけじゃないさ。そもそもこんな所で痴話げんかをしているお前らも悪いんじゃないのか?」
「痴話げんかではございません」
謂れのない疑いの潔白を証明していただけだ。痴話げんかだなんてとんでもない。気持ちの悪い事を言わないでもらいたい。
私の横で立ち止まったダグラス様を睨みつける。そんな私の様子も可笑しくてたまらないのだろう。また、ブフッ、と噴出した。
「あ…の、団長。マーシャとは…親しいのですか?」
そんな感じで気軽に会話を交わしている私とダグラス様に、ラウルは不審に思ったのだろう。なぜ侍女の私と騎士団長がそんなに仲良さげなのか、とラウルは恐る恐るといった体で聞いてきた。
「ん? そりゃ長い付き合いだからなぁ、親しいだろうよ、なぁ?」
何を思ったのか、にやりと嫌な笑みを浮かべながら私の肩に手を回すものだから質が悪い。
「…そんな…っ」
どうしてそこでラウルがショックを受けたような顔をするのか。本当に面倒くさい。
確かにダグラス様とは長い付き合いではある。けれど、それはラウルがショックを受けてしまうような色っぽい話ではないのだ。よくよく考えればすぐに分かるだろうに、なぜラウルが気付かないのか不思議で仕方がない。
ダグラス様は騎士団長だ。それと共に陛下付きの第1部隊隊長である。しかも陛下の乳兄弟で側近中の側近。役職に就く以前から陛下と共に育ち、誰よりも陛下の傍にいた人だ。その陛下がご自分の妻である王妃殿下マイラ様に会いに来るのは普通の事。当然ダグラス様もご一緒に来られるのだ。
両陛下は仲が良い。政略結婚だとは思えないくらい、とてもとても仲が良い。スケジュールに毎日二人のお茶の時間を設けるくらいには仲睦まじいのだ。つまり私がマイラ様付きの侍女になってから9年間、毎日のように顔を合わせているのだ。親しくなるな、という方が土台無理な話だ。節度を持って親しくなるのは、仕事を円滑に行う為に必要なことなのだから。
「ダグラス様」
諫めるように名前を呼んで、ついでに肩においてある手をペシリと叩く。
「おっと、婚約者の前でする事ではなかったかな。すまないな、コールデン隊長」
「…っ、いいえ」
言い方がわざとらしくて厭らしい。もう絶対に面白がっている事が分かるから、なお更腹立たしくて仕方がない。それに、なぜラウルに謝るのだ。その前に私に謝罪してほしい。年かさはあるけれど、一応未婚のレディなんですが。
「ところで、お前らなんでこんな所で痴話げんかしてたんだ。仕事中だろ?」
それなりに揶揄って気が済んだのか、ダグラス様は言った。その問いに騎士モードのスイッチが入ったのか、背筋を若干正したラウルが答える。
「は、プリシラ妃殿下のご厚意により、彼女を王妃宮までお送りしております」
「王弟妃殿下の?」
厚意という名の余計なお世話ですけど、と内心ぼやく。
「執務室からの帰りに王弟妃殿下にお会いしまして、その流れで送って頂く事になったのです」
私はラウルの言葉を補足して伝えた。先ほどの私とラウルの話を盗み聞きしていたのだから、この程度の補足で十分状況を把握してくれるはずだ。
「あー、そうか。なら後は俺が引き継ごう」
一瞬だけ思案する様子を見せて、ダグラス様は言った。
そう言ってくれるのを期待しておりましたとも。
期待通りの台詞に、つい小さく笑みを浮かべてしまい、それを見たラウルの眉がわずかに歪む。
「しかし…」
「陛下からの言付けを頼まれていてな、俺も彼女に用があったから丁度良いだろ」
引き下がらないラウルに、ダグラス様は容赦なく言葉を重ねる。しかも、軽く圧力をかける無慈悲ぶりだ。
「…っ、団長がそうおっしゃるのなら…」
隠しているようだけれど、悔しそうなのがバレバレだ。
まぁ、そうなるよね。騎士団長に勝てるわけがないのだから、素直に戻ればいいのに、変な対抗心燃やすからこんな事になるのだ。ラウルの情けない姿に、少しだけ溜飲が下がる。
「コールデン隊長の婚約者殿は、俺にとっても代わりのない人だ。しっかりお守りするから安心して戻っていいぞ」
「……では、後はお願いします」
渋々ではあるが、ラウルは騎士らしい仕草で頭を下げた。
「おお、了解した。ではな」
「は、失礼します」
そうして追い返されるように。ラウルは踵を返して戻っていく。
ラウルの後ろ髪引かれまくりの背中が見えなくなるのを待って、私はダグラス様を見上げた。
「……あれ絶対に誤解してますよ。どうしてくれるんです?」
せっかく素直に感謝していたのに台無し過ぎる。何が『代わりのいない人』だ。ラウルに勘違いを増長させるような事を言って、迷惑こうむるのは私なのだ。
「いいスパイスになっただろうが」
「何のスパイスですか。いりませんよ、そんなもの。面倒な事になるだけじゃないですか」
きっとラウルは、私とダグラス様がただならぬ関係なのだと思っている。自分との結婚に頷かないのも団長との事があるからだ、とか、何時から裏切られていたのだろうか、とか絶対に自分の世界に酔いしれているに決まっている。
ああ、もう、気持ち悪い!!!
思わず頭を抱え項垂れる。
そんな私を見て、ダグラス様が笑いながら、
「嘘は言ってないんだがなぁ」
なんて言うものだから、二の句が継げなくて。
「……もうっ!!」
本当に本当に、質が悪い人!!
誤字脱字報告ありがとうございます。
いや、もう、本当に誤字脱字が多くて多くて、自分なりに読み返してチェックしているのにも関わらず酷すぎますね…反省します。申し訳ございません。