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第3話

 王宮の一室から聞こえてきた会話に私は足を止めた。


「ねぇ、ちょっと聞いた?」

「聞いた聞いた、あの侍女の事でしょう」

「そうそう、王妃付きの偉そうなあの人!」

「ただの行き遅れだと思ってたんだけど、なんとあの人の婚約者、ラウル様なんですって」

「ラウル様って、あの『悲恋の人』ラウル様でしょ!」

「そうよ、一途の代名詞、近衛騎士団第4部隊隊長のラウル様よ」

「それじゃ、結婚できるわけないのに、婚約者っていう立場にしがみついてんの。みっともなーい!!」

「いつか結婚できるとか思ってるんじゃないの。あの人何歳だっけ?」

「20代半ばよ」

「やだ、おばさんじゃない。ラウル様可哀そう!」

「恥ずかしくないのかしら。ラウル様の優しさに付け込んで婚約を解消しないなんて」

「普通は恥ずかしくてできないわよ」

「やだ、できるなら私がラウル様を幸せにしてあげたい」

「あんたじゃ力不足よ。馬鹿ねぇ」

「あの人程じゃないでしょ。ラウル様だって若い方がいいでしょ」


 私が聞いているとも知らず、言いたい放題の彼女達。王宮に勤める年若きメイドである。

 私は彼女たちに聞こえない程度の小さなため息を吐いた。


 あれから早10年。

 王立学園を1年で卒業し、その年から侍女として王宮に出仕して9年目。貴族子女が侍女として出仕するのは礼儀作法や結婚相手を探す為の事が多く、私のように適齢期を過ぎても未婚のまま出仕し続けているのは珍しいのだ。

 この10年、所や人は変われど、言われる悪口はいつもだいたい同じことを繰り返し言われている。変わったのは、年齢の事を言われる事が多くなったくらいだ。


 私がお仕えしているのは、御年18歳になるグラン王国王妃、マイラ様。隣国クワンダに留学していた経緯もあり、私はわりにすんなりマイラ様にお仕えする事になった。

 元々、クワンダから王太子妃として輿入れされる予定だったのは彼女の姉王女だったのだが、クワンダの様々な事情により、マイラ様が輿入れすることになったのだ。御年9歳の時だ。

 王太子の年齢は当時20歳。年の差婚である。政略結婚とは言え、20歳と9歳では、どうやっても難しいのではないだろうか、と心配したものだが、なかなかどうして非常に仲睦まじいご夫婦である。もちろん、紆余曲折があり、それを乗り越えてきたからこそのお二人だ。そんな両陛下にお仕えできる今の環境は、私にとって悪いものではない。


 ただ気に食わないのは、王宮内でラウルの浮気が美化されていて、その婚約者である私の評判がよろしくないという事だ。

 ラウルは近衛騎士団第4部隊隊長という任についている。近衛騎士団は第1から第5までの部隊で編成されていて、第1部隊は陛下付き、第2部隊は王妃殿下付き、第3部隊は王弟殿下付き、第4部隊は王弟妃殿下付き、第5部隊は王弟殿下子息子女付きとなっている。つまり、ラウルは王弟妃付きの部隊の隊長な訳である。

 私からすれば、王弟夫妻が結婚してから9年ほど経つにも拘らず、今や1男1女の母となった王弟妃殿下の尻を追いかけている未練がましい男、としか言いようがないのだが、世間の評価は残念な事に違うのだ。

 メイドの一人が言っていた『悲恋の人』とは、グラン国問わず各国にて一世風靡した大衆向けのロマンス小説のタイトルで、叶わぬ身分違いの恋をした王女と騎士の、一途で清廉な悲恋の恋の物語である。王女を慕い、そして守って最後には死んでしまう騎士なのだが、なぜか、その騎士とラウルを重ねていらっしゃるご婦人が多いのだ。王弟妃殿下を慕い守る姿が『悲恋の人』の騎士のようだ、と。


 …あほらしい。

 それが私の率直な感想である。

 ラウルが王弟妃殿下に想いを持っているのが周知の事実で、それを知った上で近衛として傍に仕えている事が受け入れられている。一歩間違えたら、王弟殿下公認の愛人だと言われ、醜聞になってもおかしくはない。それが『悲恋の人』で美化されている事実に、どうも私は理解ができないのだ。

 本当に一途だったらさっさと婚約解消をするべきだし、本当に清廉だったら、婚約者がいる身で、婚約者がいる人に告白なんてしない。私がラウルの婚約者という立場にしがみついているという事実無根の噂も否定するべきである。私がひどい噂にさらされているのを彼は知っていて、自分に都合が良いのでそのまま放置しているのだろう。

 それのどこが一途で清廉の騎士だというのか、甚だばかばかしい。似ているとしたら金髪碧眼の青年という外見だけ。それ以外は小説の中の人に失礼すぎる。


 私はまた、ため息を吐いた。

 いつまでもここで自分の悪口を聞いていても仕方がない。そう思い踵を返した私の視界に入ってきたのは、会いたくもない人達だった。


 即座に腰を折り、頭を下げる。


「ごきげんよう、マーシャさん」


 王弟妃殿下プリシラ率いる集団だ。もちろん、近衛のラウルも後ろに控えている。毎回思うが、見事な金魚の糞ぶりだ。

 わざわざ足を止めて声をかけてくれなくてもいいのに、毎回すれ違うたびに彼女は私に声をかけるのだ。


「お久しぶりでございます、王弟妃殿下」

「そうね、とても久しぶりだわ。マーシャさんたら、ちっとも私の宮に来てくれないんだもの。さぁ、お顔を見せてちょうだい」

「恐れ入ります」


 お許しが出たので顔を上げる。


「王妃殿下はお元気かしら」

「はい。つつがなくお過ごしになられております」

「そう、良かったわ。もうすぐ新枕の儀でしょう。緊張なさっていらっしゃるのではないかと私心配で…」


 新枕の儀、それは王族が結婚した初めての夜の事。つまり初夜の事だ。

 マイラ様は嫁いできた時の年齢が幼かったため、18歳になるまで新枕の儀が延期になっていた。


「私、何かアドバイスが出来るかもしれないと思って、お訪ねする所だったのよ」

 

 ふふっ、と可愛らしく笑い、後ろに控えている取り巻きの令嬢達が「さすがプリシラ様、お優しい」なんて尊敬の眼差しをプリシラに向けている。

 しかしだ、近衛とは言え男性がいる前で新枕の儀の話題を出すのは如何なものだろうか。内心、眉をひそめてしまう。


「王弟妃殿下のお心、マイラ様も嬉しく思われる事でしょう。ですが、申し訳ありません。今より王妃殿下はご予定がございまして、王弟妃殿下とお会いするのは難しいかと…」


 マイラ様は暇ではないのだ。毎日のスケジュールは埋まっている。急に訪問されても会える確率は低いのだ。

 先ぶれを出さずに直接来訪するのは礼儀に反します、と言いたいが言わない。面倒な事になることは目に見えているからだ。


「ちょっと、貴方。せっかくプリシラ様が来て下さっているのよ。プリシラ様の為にお時間を空けるのは貴方のお仕事でしょう!」


 意味不明な事を言ってきたのは、髪もドレスも真っ赤な令嬢だ。

 マイラ様の為ならいざ知らず、なぜプリシラ様の為に時間を作らないといけないのか理解が出来ない。それともなんだ、王妃より王弟妃殿下の方が優先順位が高いとでも言うつもりか、この小娘は。


「まぁ、リフィ。そう言うものではないわ。マーシャさんだって一生懸命お仕事をされているのだから」

「ですが…っ」


 私の仕事が出来る出来ないの話ではなく、こちらにも都合があるという事なのだが、分かっているのだろうか、この人たちは。


 諫められるも、納得がいかないリフィと呼ばれた令嬢は、キッと私を睨みつける。

 頭の中で『リフィ』と愛称である令嬢を思い浮かべて、バウワー伯爵の所の令嬢が社交界デビューしたばかりな事に思い当たる。確か、伯爵夫人が立派な赤毛をお持ちだったので、十中八九間違いではないだろう。

 そんな当たりを付けている私を他所に、彼女達はなにやら芝居がかったやり取りを始めていた。


「でもありがとう、リフィ。私の為に怒ってくれたのよね」

「プリシラ様…っ」

「王妃殿下にお会いできないのは悲しいけれど、リフィが私の為を思ってくれた、それだけで十分よ」


 もうなんだろう、この茶番劇は。

 とろける様な笑顔で労わるプリシラ様に、感動を隠せない赤毛の令嬢。さらには、他の取り巻き令嬢達もうるうると涙を浮かべて感動している。そして何より、さっきからチラチラとうっとうしいくらいに視線をよこしてくるラウルにイラつきが募る。


「出直しましょう。今度はきっと会って下さるわ」


 その言い方では、まるでマイラ様が拒否をしているようだ。来る前にきちんとお伺いを立ててくれれば、マイラ様は決して断ることはしないのに。


「マーシャさんもごめんなさいね」

「とんでもないことでございます」


 イラつきは頂点に達しそうだけれど、おくびにも出してはいけない。付け込まれる要因になりかねないことは絶対にしたくない。この人達がどう解釈をするのか分からないからだ。

 頭をしっかり下げ、こちらも詫びているように見せる。


「あっ、そうだわ、ラウル。お詫びにマーシャさんをあちらの宮まで送ってあげてくれる?」


 何を言い出すのかと、ぎょっとした。


「いいえ、大丈夫です。お手数をお掛けする訳にはいきませんので」


 慌てて断ろうとするものの、プリシラ様はにっこりと笑って言った。


「遠慮しなくていいのよ。だって二人とも忙しくて中々デートも出来ないのでしょう。いつも私がラウルを独り占めしているのは悪いわ」


 ねっ、と有無を言わさない様子に言葉が詰まる。


「婚約者なのだもの、たまには二人の時間を持つのも大切よ」


 好意からきているのかもしれないが、こちらから言わせて貰えるなら大迷惑以外の何物でもない。誰が好き好んでこんな奴と二人きりになりたいものか。

 何とかしてっ、とラウルに視線をやった。それなのに。


「プリシラ様がそうおっしゃるのなら私に否はございません。お心遣い感謝いたします」


 と、頭を垂れているラウルにめまいがした。


「ふふふ、ゆっくりしてきてね」


 そう言って、手をひらひらさせながらプリシラ様は来た道を帰っていく。取り巻き令嬢達は憎々しげに私を睨みつけ後を追っていく。


 残されたのは、何も言えなかった私と、プリシラ様の後ろ姿が見えなくなるまで見送るラウル。そして、近くの部屋からこっそりのぞき見している宮廷スズメ達だったのだ。


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