第21話
「状況だけを見るとバウワー伯爵令嬢だと思うけれど、私はその瞬間を見た訳ではないから確実に彼女だとは言い切れないわ。ニールは?」
ニールは首を横に振った。
「残念ながら」
どうやら目撃した他の従業員が、慌ててニールを呼びに来たそうだ。
「後で話を聞かんといかんな…」
「そうね。そうした方がいいわ。怪我の方は少し治るまで時間がかかりそうよ。大分強く打たれたみたいだったから」
それでも頬の怪我が治らない以上、しばらくはカウンターには立てないだろう。別れ際に見た彼女を見る限り、やる気に満ち溢れていたから大丈夫だとは思うけれど、後日もう一度様子を見に来よう。ああいうのは後から心身に変調をきたすこともあるから少し心配だ。
「心が折れてなきゃいいがなぁ…」
「それでしたら、お嬢さんがフォローをして下さっていましたから大丈夫かと」
「おぉ、さすが嬢ちゃんだ」
「褒めても許さないわよ、私」
ライニール様に宝飾品を売りつけようとしていた事。
「別に買って貰おうと思って出したんじゃねぇよ?」
本当かしら?
ジトっとした目つきでガスパールを見やると、ばつが悪そうな顔してそっぽを向いた。
「マーシャ殿。私は良い品を見せて貰い満足してますので、その辺で」
「えー…、ライニール様がそう言うのなら」
渋々ではあるが、当のライニール様が満足しているのなら私が出る幕ではない。
「所で、そのご令嬢達は何しにこちらに? お話を聞く限りでは購入目的ではなさそうですが」
「そう言われるとそうですね。購入目的なら令嬢だけで来る訳ないですし」
これが平民なら友人と一緒に買い物に来たという場合もあるが、あの二人はご令嬢だ。わざわざ喧嘩を売りに来たわけでもあるまい。
「どうなんだ、ニール」
普通ならば、お客様と揉めた内容など答える店などないだろう。だがオーナーであるガスパールに促されたニールは口を開いた。
「宝飾品の修復依頼にございます」
「修復依頼…珍しいわね」
私はポツリと呟いた。
別に修復依頼が珍しいのではない。この店に修復を依頼したという事が珍しいのだ。
所有する宝飾品に修復が必要となれば、まず宝飾を購入した店に依頼をする。すると店の者が屋敷まで預かりにくるので渡し、修復後また届けられるというのが通常の流れである。
平民が使用するような価格の宝飾ならば、この店に持ち込む事もあるだろう。だが彼女らは貴族である。貴族が所有するような宝飾品をわざわざ持ち込むというのは珍しいのだ。
「年代物…とか?」
年代物故、どこの店からも断られてしまい駄目元で持ち込んだとか…。いや、それも考え辛い。アネモネ宝飾店はここ数年で急成長した店であり、年代物の宝飾を取り扱っていない事からも、年代物の宝飾の修復には向かない。それならば貴族街にある有名店の方が確実だ。
「いいえ、デザインは比較的最近の物ではあったのですが、当店ではお受けできない刻印がございましたのでお断りさせて頂きました」
「はぁ? 刻印があるのを持ち込んだのか?」
「はい」
宝飾品というのはランクというものがある。それは宝石や金属の種類でもランク分けされるが、それ以外に店の名前でも分けられる。ランクの高い店で購入したというだけで、その宝飾には価値がでるのだ。それゆえに宝飾自体だけではなくケースや証明書にも必ず店の刻印がされている。
「お金を余分に支払うので修復を、とおっしゃったのですが、さすがに有名店の刻印のある品をお預かりする訳にはいきませんでしたので…。」
それはそうだ。提携関係を結んでいる店なら別として、刻印がある品を他所の店が勝手に修復するのは、その店を侮辱しているのと同等の行為である。そんな修復依頼を受ける事が出来るはずがない。
「それであんなに喚いていたの? え、本当に?」
どれだけ世間知らずなんだ、あのお二人は。脳内がお花畑だとは薄々感じてはいたものの、あまりの非常識に吃驚する。
「で、それからどうしたの?」
「一点だけ刻印がない物がございましたので、それだけお受けしてお帰り頂きました」
「納得してくれた?」
「ご不満そうではありましたが、どうにか」
「そう…大変だったわね」
何と言いますか、想像以上の問題児で頭が痛い。あれらが王弟妃殿下のご友人である以上、私は関わり合いになる可能性が高い。今からその事を考えるだけでグッタリだ。
あぁ、本当に面倒くさい…。王弟妃、私に構うのを止めてくれないかなぁ…。
「その宝飾品の修復を隠したい理由でもあるのでしょうか」
ライニール様がそう言った。
「どういう事ですか?」
「使用人を連れてこなかったという事は、家の者には隠しておきたいように受け取れます」
「ですが家紋付き馬車に乗って来て、隠すも何もあったものではないでしょう?」
使用人を連れて来なくても御者はいるのだ。それに、もし本当に修復依頼を隠したいのであれば、あんなに目立つ行動をとるはずもない。恐らく宝飾店で騒ぎ立てた事は、社交界で小さな噂の一つとしてすぐ広まるだろう。どう考えても不自然だ。
「ガスパール殿。その預かった品を見せてもらう事は可能ですか?」
「えっ、ライニール様!?」
いきなり何言っちゃってんの、ライニール様!?
「あー…、そいつぁ…」
ガスパールはライニール様の台詞に渋い表情をした。
そんなの当然だ。揉め事の内容を聞いただけでも顧客情報漏洩に値するのに、その上預かった宝飾品まで見せてもらうなんて、いくら何でも無理だろう。
「大変不躾な願いだとは理解していますが、そこを何とかお願いしたい」
やけに食い下がるライニール様の様子に、私は内心首を傾げる。
「どうしたもんかなぁ…なぁ、ニール」
ガスパールは渋い顔をしたまま、ニールを見上げた。
「そうですね…。簡単にお見せする訳にはいきませんが…」
そう言って、思案するように天井に視線をやった。
「そこまでおっしゃる理由をお聞かせ願えますでしょうか。それ次第ではお見せする事も可能かと」
つまり納得いく理由がなければ見せない、と。
まぁ、その位の要求は当然だよね。無理な事をお願いしているのはこちらなのだし。
ライニール様は了承するように頷き、そしておもむろに私に向き直った。
うん? もしかして私に関係する事ですか??




