第20話
「お話は終わりましたかね」
「ひぁっ!」「きゃっ!」
び、吃驚した。淑女らしからぬ声が出ちゃったじゃないの。
カリエの可愛らしい悲鳴に対して、私はどこから声が出たのかと疑いたくなるほど間抜けな悲鳴ですらない声である。
「いきなり登場しないでちょうだい、ニール」
出入口の扉を開けて私達を見下ろしているのは、支配人であるニールである。
何時からそこにいたのか。確か貴方、カリエに代わって令嬢二人のお相手していなかった?
「いやいや、扉の前で話し込んでいたのはお二人でしょうが」
「そうだけど…」
カリエとの会話に夢中になっていた事は否定しないけれど、少しくらい気配的なものをアピールしてくれていたら、ここまで吃驚しなかったのに。
「それに、貴方がたが邪魔をしていたのは僕だけではないですがね。ほら」
そう言われ、顔をニールの示す方にやると、お茶セットを持ったまま困り果てている女性従業員の姿があった。目が合って気まずそうに視線を彷徨わせている。
「……」
給湯室から応接室に行くには私達のいる出入り口を通り過ぎなければいけないのに、話し込んでいれば困るのは当然だ。邪魔以外の何者でもない訳で。
「……ごめんなさい」「すみません…」
私とカリエは二人で頭を下げるしかなかった。
「まぁ、いいですけど。カリエ、早く手当をしなさい。そして君、お茶は僕が持っていきます。お嬢さんは…」
「これを持っていくわ」
廊下にある飾り棚に置かせてもらっていた水桶を手に持つ。すっかり忘れかけたけど、私これを取りに行っていたのだよ、ガスパールの為に。
お茶を持ってきた従業員は、ニールが言ったようにお茶を渡して、カリエと共に下がっていった。
「水桶…オーナーにですか?」
「そう、熱が出ている所に押しかけてしまったしね」
「あれにそんな気遣い無用だと思いますが?」
「そう言わないの」
相変わらずガスパールに対して当たりは強いのね。一応は雇い主なのだから少し位は敬いなさいな。まぁ、言っても無駄だろうけど。
「放って置けばどうですかね。あれは只の自業自得ですよ」
「自業自得?」
どれだけ不摂生してたの、ガスパール。
「ええ。お嬢さんはこの季節に自分から進んで一晩中雨に打たれる男をどう思いますかね」
「え、変人?」
「それがオーナーです」
「……」
多少暖かくなってきたとはいえ、まだまだ朝晩は冷え込む今の季節に一晩中雨に打たれるって、一体何の苦行だ。不摂生でなくとも体調崩して当り前じゃない。
「なんでまたそんな事を?」
「それは…まぁ、直ぐに分かる事ですよ」
つまり教える気がないという事ね。
「まぁ…いいけど…」
コンコン
応接室の扉をノックすると、中からライニール様の声が直ぐに返ってきた。
「お待たせしてごめんなさい」
そう言いながら室内に足を踏み入れると、なぜかガスパールはライニール様と楽しそうに談笑をしていた。
「……ガスパール。貴方、具合が悪かったのでは?」
私が部屋を出る時は確かにぐったりしていたのに、一体どういう事だ。
「おぉ、すまんな嬢ちゃん。エイブラムス殿と話をしていたら調子が少し戻ってきたんで、せっかく店に来て貰ったんだ、とっておきの品を見て貰いたくてなぁ」
「あまり無理はしないで良いと言ったのですが…」
ほう、ライニール様の言う事を聞かず、とっておきの商品を売りつけていたと…。
「だから無駄だと言ったでしょうが…」
小さな声が背後から聞こえてきた。まったくもって否定が出来ない。私の気遣いはどうしてくれるの。この桶の水を頭からぶっ掛けてやろうかしら。
「おぉ、ニール。ちょっとこっち来いや」
そんな私の胸中を知らず、ガスパールはニールを近くへ呼んだ。
「歓談中失礼いたします。当宝飾店の支配人を任されております、ニールと申します」
どうぞお見知りおきを。と洗練された動きで挨拶をするニールに、ライニール様はコクリと頷き、
「ライニール・エイブラムスです。今、丁度貴方のお話を伺っていた所です。私とそう年が変わらないのに支配人を任されている優秀な方だと」
「とんでもございません。エイブラムス様とは比べものにならない若輩者にございます。エイブラムス様こそ、その名は大変ご高名かと存じております」
「思っていた通り謙虚な方だ。私の名など家名があってこそのものです」
「それこそご謙遜が過ぎるかと」
そう、これこれ。これが正解。私がガスパールに望んでいた対応は、間違いなくライニール様とニールとで交わされているこれですよ。ガスパールのタメ口で対応なんて言語道断である。
だがしかし、ニールほど謙虚って言葉が似合わない男はいないのに、と心の中だけで大爆笑である。私の知っているニールは腹黒毒舌タイプで、まかり間違っても謙虚なんてもの持ち合わせていない奴である。だが、それをライニール様が知る事があるのかないのかは、これからの付き合い次第なのだろう。
「ところで、何だ。水を取りに行っていただけにしちゃあ遅かったな」
「あぁ、それなんだけど…」
私はライニール様に視線を向けた。
「何かありましたか?」
「ええ」
私は持っていた水桶を配膳し終わったニールに引き取って貰い、今見た事を話すことにした。
「私達が危惧したように、バウワー伯爵令嬢とブーレラン子爵令嬢がおりました。しかもなぜか、メイドや従僕を連れずに」
「令嬢が二人だけで?」
「ええ、少なくとも店内に姿はありません。酷く興奮されていて、人目も気にせず従業員に暴力を」
貴族は体面と言うものを気にするものだ。庶民街の宝飾店とはいえども貴族も訪れるこの店で、メイドも侍従も伴わずに、人目も気にせず感情的に喚き散らした挙句、従業員に手をあげるなど有り得ない。
「手をあげたのはどっちだ?」
店の従業員に暴力を振るわれた事に、ガスパールが声に怒りを滲ませ言った。




