第19話
「あれは良い踏み台になると思うわよ、私」
「……へ?」
何を言われたのか分かりません、と言わんばかりの表情のカリエ。
「ふ、ふみだい…?」
「ええ、そう。踏み台」
踏み台の意味がわからないかしら?
もちろん、高い所の物を取ったり、上る為に乗る台のことではなく、目的を遂げるための足掛かりとして利用する為の踏み台の事である。
「これから貴女、どんな横柄な人の接客をする事になっても笑顔で受け流すことが出来るようになるわ」
「え、え?」
「だって、あんな強烈な人って中々いないでしょう? あれに比べたら、それ以下のおバカちゃんの相手なんてお茶の子さいさいではないかしら。そう思わない?」
「え…、はい…?」
おやおや、まだ理解ができないかしら?
「最初にね、強烈なのを体験しておくとね、その後がすっごく楽になるの。経験者が言うのだから間違いないわ」
「…経験者…」
「ええ、私の周囲には強烈なのが多くて。ふふ」
とっても踏み甲斐のある台ばかり。大いに利用させて頂いておりますとも、もちろん無駄なく、ふふ。
「私はね、そういうのに当たる度にこうしているの。
『わざわざ私の踏み台になる為に来て下さるなんて有難うございます。お望み通り心置きなく踏み台にさせて頂きますわ。だってその位の価値しかございませんものね。私が有意義な使い方をして差し上げますわ、感謝して下さっても構わなくてよ、おほほほほ』
と心の中で高笑いよ。そうすると相対している時に不思議と穏やかな笑顔でいられるのよね」
物語に出てくるような悪役で意地悪なご令嬢のように、腰に手を当てて、もう一つの手は口元に沿わせ、体を反らせ気味な自分を頭の中で思い描いてみるのがお勧めだ。
我ながら良い性格しているなぁ、とは自覚している。けれど相手が高圧的な態度を取っているのに、なぜ私が良い子ちゃんをしなくてはならないのか。高圧的な態度で来られたら高飛車な態度で返しましょう、心の中で。これを馬鹿正直に正面きって言うのは問題があるが、胸中ぐらい自由にしたっていいじゃないのよ、ねぇ? どうせ聞こえやしない。
「でも、それは貴女様もご貴族でいらっしゃるから…」
「平民であるカリエが貴族に対してこんな事思っては駄目だと?」
「…咎められてしまいます…」
「魔法使いでもあるまいし、心の中を誰が覗けるの?」
「それは…そうですが…」
「それに、横暴な人と言うのは貴族だけに限らないわ。平民でも年齢が上なだけで年下を目下だと思っている人や、男性というだけで女性を軽んじる人もいる。『年下のくせに』『女の分際で』とかね。逆に『貴族のくせに』と言われる事もあるわね」
これは性根の問題であって、身分の問題ではない。
「ああいう人達というのは他を下に見る事で自分の自尊心を満たしているのよね。そして自分より少しでも秀でている人を見つけると妬んで攻撃をする生き物なの。小さくてつまらない人間だと思わない?」
そんなゴミにもならない自尊心など、暖炉に焼べてしまえばいいのに。本当に持つべき自尊心やプライドは、そんなちんけな物では決してない。
「だって、そうでしょう? 身分や年齢、性別だけで人を見下す行為はとても醜くて滑稽なものだわ。自分にはそれしか誇れるものがありません、と見下している人に言っているようなものじゃないの。逆に私に見下して貰いたいのかと勘違いしてしまいそうになるわね。もしかして、そういうご趣味があるのかしらって」
悩まし気に小首を傾げてみる。
例え私に理解が出来なくても、世の中には色々な趣味をお持ちの方っているから、強ち否定は出来ない。
「だから私ね、
『あなた方が下に見ている私から見下されるというのはどういうお気持ちですか?』
って、一度でいいから聞いてみたいのよね」
逆上するようなら只のおバカさん。悦に入ってしまうようなら変態さんだ。どちらに当たっても外れ感が半端ないが、遠慮なく踏めるという点では良い台である。
「ふはっ」
私のあんまりな言い分に、カリエはとうとう我慢が出来なくて吹き出すように笑いだした。
「あは、あはっはは……痛っ!」
「大丈夫?」
笑ったせいで腫れた頬に痛みが走ったのだろう。
「っ、大、丈夫です。ふふ、痛いけど、おかしい…!」
笑う度に頬が痛むにも拘らず、カリエは笑い続けた。どうやらツボに入ってしまい止まらなくなったようだ。
特に冗談を言ったつもりはないが、そこまで笑って貰えたのなら何よりである。やっぱり女の子は泣き顔より笑顔がいいよね。
ひとしきり笑ったカリエは、落ち着いたのか大きく息を吐いた。
「お話に聞いていた通りのお方なのですね」
「そう?」
誰からどんな話を聞いたのかは分からないけれど、今の会話で『聞いていた通りのお方』と言われると、少々微妙である。
「はい。先輩方から『お嬢さん』と呼ばれるお貴族様がいらっしゃることを聞いていました」
「『お嬢さん』って歳でもないんだけどね」
年齢だけ見れば『お嬢さん』ではなく『奥様』なのだが、こればかりは仕方がない。
「…聞いてもいいですか?」
「ええ」
カリエは真剣な眼差しで、私を見つめた。
「悔しくはないのですか…?」
私は悔しい、とカリエは唇を噛み締めた。
「分かるわよ。私も凄く悔しかったわ」
年齢、性別、身分。全ての物で、私は見下され軽んじられてきた経験を思い出しながら話を続けた。
「でも悔しいと思えるのなら、あれは間違いなく貴女の力になる踏み台よ。私はその悔しさを力に変える事が出来るのを知っているもの」
悔しさは間違いなく自分を高める力になる。
「カリエが努力してきた事を、そんなちっぽけな人のちっぽけな自尊心やプライドで邪魔出来るはずがないわ」
「本当にそう思いますか?」
「間違いなく」
私もカリエの瞳を真っ直ぐに見返す。
「だからカリエ」
その瞳の中には、先程まであった悲しみや絶望の色は見えない。
「その悔しさをバネにして、思いっきり盛大に踏んで差し上げなさいな!」
「はい!!」
うん、良いお返事です!




