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第18話

 給湯室に行くと、案の定お茶の用意をしている女性従業員がいた。私に気が付いた彼女は吃驚していたが、事情を話すとすぐに桶に水とタオルを用意してくれた。


「私が持っていくから、貴女はお茶を持ってきてくれる?」

「え、ですが…」


 簡素な私服と言えども、平民からすれば上等な服を着ている私を貴族だと理解している彼女は、ひっきりなしに恐縮するが有無を言わさず、私は桶を抱えた。


「お願いね」


 それだけ言うと、さっさと炊事場を出る。狼狽えているだろう彼女にも申し訳ないけれど、押し問答している時間が勿体ない。ガスパールの様子を見るに、出来るだけ早めに持っていきたいのだ。


「何かしら…?」


 足早に応接室に急いでいると、店のある方が騒がしい事に気付いた。キンキンとした高い声が聞こえてくる。何を言っているのかまでは聞き取れないが、女性の金切り声であるのはすぐに分かった。

 嫌な予感に少しだけ足を止めて、店頭とこちら側を隔てている仕切りにあるガラス戸から、そっと覗き見る。


「うわぁ…」


 嫌な予感、大当たり。

 ガラス戸から見えたのは、真っ赤な髪を揺らし、店の従業員を睨みつけているシエルリーフィ・バウワー伯爵令嬢と、その後ろに隠れるようにしてエイリア・ブーレラン子爵令嬢がいた。二人とも王宮の廊下で会った、プリシラ王弟妃殿下の取り巻きだ。ガスパールには申し訳ないが、やはり裏口から入って良かった、と心底思った。


 令嬢達の正面には、顔を手で覆い隠して俯いている従業員の肩が震えている。女性というより少女と言った方が近いような年若い従業員だ。他の客は関わり合いになりたくないとばかりに遠巻きに見ているか、慌てて店から出ていったようだ。


 シエルリーフィ嬢が何かを言っているのが見えた。多少は落ち着いたのか、先ほどのような金切り声ではないからか、声は一切聞こえない。

 そうしていると、見慣れた男性が現れた。この宝飾店の支配人ニールだ。

 シエルリーフィ嬢に話しかけ、そして従業員の少女にも何かを言うと、少女は俯いたまま頷き、小さくお辞儀をして足早にその場を離れていく。というより、こちらに向かってきた。

 私が覗いているガラス戸が出入り口なのだから当然の行動なのだけれど、私は桶を抱えたまま、慌ててぶつからないようにガラス戸から離れた瞬間に戸は開いた。


「っと、危ない…!」


 間一髪でぶつからなかったものの、桶に入っていた水が洋服にかかってしまった。


「…っ、申し訳ありません…っ!!」


 顔を上げた少女が、私の姿を見て大きく目を見開き、そして我に返ったようで慌てて頭を下げてきた。大丈夫よ、と声をかけようとして、私は目に入った少女の顔を見て絶句してしまい声が出ない。


「…ヒック…、もう、しわけござ、いま、せ、ん!」


 そんな私の様子に嗚咽が零れ始めている少女は、目に見えて全身を震わせている。


「大丈夫よ。気にしないでちょうだい」


 悪いのは覗き見していたせいで、避けきれなかった私だ。


「さぁ、顔を上げて。ね?」


 怯えているのを刺激しないように、優しい口調を心掛けて声をかける。


「…っはい…」


 それでも怯えてしまうのは仕方がない。震える身体で恐る恐る顔を上げた少女の頬を見て、やはり見間違いではなかったことを知る。


「その頬は、打たれたのね?」


 どうしたの? とは聞かない。少女の頬は真っ赤に腫れていた。しかも、打たれた中心であろう場所には3センチ幅で、更に腫れあがっていた。あからさまに扇で打たれた跡だ。


「……ひ…っく」


 嗚咽を零すだけで少女は答えない。怖くて答えられないのだろう。貴族に頬を打たれ、そして今目の前にいるのも貴族の私なのだから。


「大丈夫。大丈夫だから泣かないで」


 桶を少し置いてタオルを絞り、震えている少女の頬に優しく当てる。ピクリと少女は肩を震わせた。


「私の方こそこんな所で邪魔をしてごめんなさいね。」

「…っ…あり…がとう、ございます…っ」

「いいのよ。ほら、タオルをしっかり持って冷やしてちょうだい」


 少女の手を取り、頬に当てたタオルを押さえさせる。


「貴女とは初めましてだわね。マーシャリィ・グレイシスよ。ここのオーナーとは友人なの。いきなり知らない人がいて吃驚したでしょう。ごめんなさいね」

「いえ、いいえ…っ」

「そう、ありがとう。貴女のお名前は?」

「…カリエと、申します…」


 嗚咽を残しつつ、私を窺うようにして少女は答えた。


「そう、カリエというの。素敵なお名前ね。カリエはまだ若いのに、ここで働いているという事はとても優秀なのね」

「いえ、そんな事は…っ」


 私の台詞に、カリエは恐縮するように首を振り、また俯いてしまった。きっと私の言葉をお世辞だとでも思っているのだろう。


「そんな事あるわよ。私、ここで働くって事がどんなに大変か知っているもの。カウンターに立つだけでも沢山勉強が必要なのでしょう?」


 平民が貴族相手に接客をする必要があるカウンターに立つ為には、貴族に通用する礼儀作法を身につけないといけないという事だ。他にも数ある宝石、金属の種類などの知識も必要だし、それぞれお客様に合った宝飾品を案内する為の目を鍛える事も大切だろう。カウンターに立つという事は、店の顔になるという事なのだから。


「そう…ですが…。本当は私…まだ見習いで…」

「見習い?」

「はい…。本来でしたら、店に出るのはまだ早いのですが…人が足りなくて…それで…」


 確かに店内にいる従業員も先程給湯室にいた従業員も、私の知らない人だった。開店当時からのベテランが誰もいない。


「そう。もしかして今日がカウンターデビューだった?」

「…はい」


 カリエはじわじわとまた瞳に涙を溜め始めた。頬を打たれたショックを思い出してしまったのだ。まだ見習いという勉強中で、急遽カウンターに立つには勇気が必要だっただろう。不安と期待で胸が張り裂けそうになるくらい緊張した事が手に取るように分かった。私も昔、同じような経験をした事があるから、尚更共感が出来た。


「まぁ、それはおめでとう。良かったわね」


 どういう理由があれ、カウンターに立てるだけの力を認められたのだ。それは素直に喜ぶべき事だろう。

 

「…っ、良く…なんか…っ」


 なかった…っ! と嗚咽と共にカリエは本格的に泣き出してしまった。

 彼女の嗚咽の中に、上手く接客が出来なかった後悔と、頬を打たれて知った恐怖と、そして自分の憧れであろうカウンターに立つという仕事への絶望が見えた。


「うん、大変だったねぇ。でもね…」


 次の言葉を放った瞬間、カリエはポカンと顔を上げていた。


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