第15話
「そういえば、メアリに何かあったのかい?」
私が頼んだ焼き菓子を袋に詰めながらミランダさんが言った。
「え、メアリがどうかしたんですか?」
この店は実家で私付きだったメイドのメアリも常連だ。
「何も聞いてないのかい?」
「ええ、聞いてませんね」
メアリから届いた手紙には変わった事は書いていなかったけれど、私の知らない所で何かあったのだろうか。
「いや、最近ガスパールの様子がおかしくてね。あれが変になるのはいつもメアリ関係だろう。だからさ…」
ガスパールとは、絶賛メアリに片思い中の強面中年である。
「またメアリに振られたんじゃないですか?」
「それはいつもの事じゃないか。その位でへこたれる奴じゃないさ」
そう言われて、確かに、と納得した。
ガスパールは無駄に打たれ強い男で、何度振られても起き上がり人形のごとく不屈の精神でメアリを口説く姿は、ある意味この下町での名物だったりする。
「あんなのでも一応、下町の顔役だからね。いつまでもあんな調子だと困るんだよねぇ…」
「支障が出るほどですか?」
「このままじゃ、ね」
ミランダさんが困るくらいなのだから相当なのだろう。
「メアリにどうにかしてくれるように言って貰えないかい? メアリがちょこっと構ってやれば元気になるだろうからさ」
ミランダさんにそうお願いされるけれど、ガスパールの事を鬱陶しく思っているメアリが私のお願いを聞いてくれるか分からない。
「んー、一応今からお店にはいく予定だったから、ガスパールの様子は見てきます。メアリには一応聞いてみますけど、あまり期待しないで下さいね」
例え私が主人として命令をしても、嫌なものは嫌だと答えるメアリだ。
「かまわないよ。駄目で元々さ」
ミランダさんがそう言って、袋詰めされた菓子を私に差し出した。それを受け取ろうとすると、横からライニール様の手が伸びてきて、私が受け取る前にお菓子を攫ってしまう。
「ライニール様?」
それは私の荷物ですよ。と言いかけた私の言葉は、ライニール様の無言の笑顔に消えた。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
どうやらこれが正解で良かったようだ。こういう時は男性に持って貰うものなのか、と一人で納得する。
「では行きましょうか」
「はい。ではミランダさん、後はお願いしますね」
「あいよ。そっちもよろしく頼むよ」
出来るだけはやりますけど、と軽く頷きお店を後にする。その際に荷物を持ってもらっているのだからと扉を開けようとして、またライニール様の笑顔に止められた。
ですよね。男性が開けてくれるものですよね。
「先程お話に出ていたガスパールとはどんな人物なのですか?」
ライニール様の開けた扉を素直にくぐると、彼はそう聞いてきた。
ミランダさんと私の会話を聞いていたら気になるだろう。そこだけを聞くと凄く情けない男に聞こえるけれど、只の男ではない。
「今から案内する宝飾店のオーナーで、ミランダさんが言っていたように下町の顔役です」
「どのような関係です?」
「ただの昔馴染みですよ。色々と面倒を掛けたり掛けられたりする関係です」
知り合ったのは丁度マイラ様の侍女になった頃である。もうずいぶんと昔のように感じるけれど、彼と出会った時の事は今でも鮮明に思い出せるくらい強烈なものだった。
「顔がすごく怖いですが、なかなか面白い人ですよ。宝飾の職人を雇うのではなく育てる事で成功した人です」
貴族が後援者として芸術家や役者を援助するのとは異なり、幼い頃から能力が伸びるように教え導き、手を掛けて教え鍛え、一人前として通用するまでに育てる。人一人育てるのに途方もない時間とお金をかける事ができるのは、それだけの根気と財力を持っていなければ到底無理な話だ。それも育てたからと言って使い物になるか分からないのだから酔狂であることは間違いない。それが出来る稀有な人物である。
「ミランダさんの店の区域とは反対側にあるんですよ。宝飾店なのに入り組んだ場所にあるので、少々迷いそうになるので気を付けてくださいね」
ミランダさんの店の向い側にある路地に入り、何度か曲がり角を折れて少し広めの道に出ると宝飾店の看板が見えてきた。
「ライニール様、あちらですよ」
指差して、そうライニール様に声をかける。丁度、店前に馬車が止まっていて、目印にしやすい。どうやら馬車の装飾を見るに、貴族のものらしく、家紋がしっかりと付いていた。
「あら…?」
「おや」
私とライニール様がその家紋を見て、店に入る前に足を止めた。
「…バウワー伯爵家の家紋ですね」
「そうですね、例の令嬢でなければ良いのですが」
頭に浮かんだのは、話の通じないリフィと呼ばれていた令嬢だ。馬車がここにあるからと言って、彼女がいるとは限らないが、もし鉢合わせでもしたら、それはそれで面倒な事になるのは目に見えている。しかしミランダさんから頼まれた以上、ガスパールに会わないという選択肢は無い。
「ライニール様、裏口にあちらから回れますのでそちらから行きましょう」
普通だったら裏口から行っても通しては貰えないだろうけれど、一応それなりの付き合いがある私が同伴していればライニール様も中に通して貰えるはずだ。
「店内の宝飾は見れないかもしれませんが、展示していないものなら個室で見せて頂けます」
「君がそれで良ければ、私は一向に」
「良かったです。あ、無理に宝飾は購入しなくて大丈夫です。宝飾店を案内した理由は購入目的ではありませんから」
気に入った物があれば別だけれども、無理に購入して貰いたい訳ではない。
「おねだりして下さっても構いませんが?」
耳を疑う台詞に思わずあんぐりと口が開いた。我ながら淑女らしからぬリアクションである。
「はい? おねだりですか??」
おねだりって貴方、買ってもらう理由が何一つないのに出来る訳がない。ライニール様は何を言っちゃってくれてるんですかね、もうびっくりですよ。
「しないのですか?」
「しませんよ!?」
もし私が宝飾品を強請っていたら本気で買ってくれていた顔だ、これ。




