プロローグ
その日は、待ちに待ったデビュタントの日で、史上最高に最低な日だった。
私、マーシャリィ・グレイシスはグラン王国子爵令嬢として、2年間の隣国との交換留学を終えて帰国し、久しぶりの皇都と婚約者であるコールデン伯爵家嫡男ラウルのエスコートでの夜会の参加に舞い上がっていた。
とっておきのドレスに身を包み、華やかな憧れの夜会に挑む。その日は新年度に向けての夜会で、いつもより参加者も多く、私のようにデビュタントを迎える令嬢も多かった。
久しぶりの友人もいたし、なかなか会うことも少ない従兄や知り合いにも会えて浮かれるのも仕方ないと思う。だから、というわけではないけれど、ファースト・セカンドダンスをラウルと踊ってから、誘われるがまま兄や従兄などと踊っているうちに、ラウルとはぐれてしまったのだ。
調子に乗りすぎてしまったかなぁ、なんてのんきに思いながらラウルを探して庭園を彷徨っていると、そこで目に入ってきた光景に足を止めた。
日の落ちた庭園に、ライトアップされた色とりどりの花をバックにした一組の男女。まるで物語のように幻想的で、二人の世界という雰囲気を醸し出している。
おもむろに男性は令嬢の手を取り跪く。
「我が名誉にかけて、貴方を守り、貴方の盾となりましょう。貴方の心が私に向けられていなくとも、この心が貴方を想い続けることをどうかお許しいただきたい」
それは愛を乞う騎士の誓いの言葉。
とても美しい光景で、けれど私にとっては残酷な光景だったのだ。
まさか、と思うものの、聞き覚えのあるその声に一瞬思考が止まる。
「…ラウル様…?」
口からは擦れた声が出た。
人違いであってほしいと願った私の期待は見事に裏切られ、振り返ったのは驚愕した顔の婚約者のラウルだ。
「あ…っ」
私がいることに気づいた令嬢が慌てて扇で顔を隠したものの、彼女の顔には見覚えがあった。第二王子の婚約者だと先ほど紹介されたばかりではなかっただろうか。元は男爵令嬢だったそうだけど、第二王子との婚約の為にサイファン侯爵家の養女となったという令嬢。
「マーシャ…」
小さな声で私の名を呼ぶ婚約者の顔色は真っ青だ。けれどそれ以上に私の顔色が血の気が引いて真っ白になっていることだろう。手は震えるし、喉はカラカラで声が出てこない。
長いような、一瞬のような間に、誰よりも先に動いたのは、私でもラウルでもなく令嬢だった。
「あの…っ、その、違うのよ」
うろたえた様子で言い訳を言い始めた。
「えっと、あの、だから、誤解、しないでね?」
ぎこちない笑顔を貼り付けて彼女は言った。
令嬢らしからぬ言葉遣いに違和感を覚えたけれど、今はそれどころではない。
彼女は誤解だというけれど、何が誤解だというのだろう。
人気のない庭園で、お互いに婚約者がいるというのにも関わらず二人きり。それだけでも不謹慎極まりない事で、騎士の愛の誓いまでこの耳ははっきりと聞いているというのに。伯爵子息と第二王子の婚約者のスキャンダル以外の何物でもないではないか。
そう言ってやろうと思ったのに、言葉が出てこなかった。
ラウルも微動だにしないまま、何も言わない。
ただ分かったのは、ラウルの視線が私から外れた、それだけで彼の気持ちを察するには十分で。
その後のことは、あまりのショックで覚えていない。