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ヤクキリ堂  作者: 丸井 樽
冥々に伏す
8/11

「その為に此処へ連れて来た。覚悟を決めた瞳はどこまでも真っ直ぐなものだな」

「――お願いします。」

「では、此方からの質問にも出来るだけ正直に答えてほしい。どうにも、お前の厄は様子が他と違う。私も灼もどう扱うのが正しいのか分からないのが本音だ。」


 紅月の言葉に嘘はない。というより、視線に嘘がない。澱みなく全てを映す眼窩が何よりも鮮明で純粋だからこそ、朱音は紅月の瞳を通して自らの表情すら窺えた。困惑、不安、焦り――彷徨う感情に翻弄される、そんな姿を。

 普段影の中に感じる不快さとは、また違った種類の気持ち悪さが胸を抉る。どんよりと暗い水底に全身を浸からせたような、そんな気分だ。


「そも、人の抱える『厄』というものを、お前は何と思う?」

「具体的に説明しろ、と言われると……」

「言葉に詰まるのだろう?そんな状態で、お前は私の所に『厄を祓え』、『邪気を祓え』と願い、縋り、辿り着いた。これはな、経緯が繋がっているようで繋がっていない。かと言って、完璧な矛盾ではないがな。」


 頭が痛む。自分がした行動でしかないのに、紅月や灼と接しているとどんどん自信がなくなるのだ。

 間違った訳では、ない。きっと、それだけはないと言えるのだけれど。どうしようもなく、ふわふわと漂う感覚しか得られなくて足元が覚束ないのだ。そのまま溺れてしまいそうな程に。


「お前達人間の子らが言う『厄』はな、成程、簡潔に言えば『苦しみ』なんだろうさ。困難辛苦は皆が持つ。だが、果たしてそれ等を最初から自身の『厄』だと誰が思う?普通ならば、単なる困り事、辛さ、それその時だけのものだ、と片付けるだろう?赤土の子よ、お前が身に抱えるものを指差し、名付けた誰か――或いはそれが『厄』なのだと教えた存在がいなければ、道理が通らん。苦しいだけ、辛いだけ、とは言うだけならば容易く……そうさな、救ってほしいだろうし助けてほしいだろう。しかしそれで、厄斬り堂の門を開くに至るなど……こう言っては酷かもしれないが。……簡単に、単純過ぎる。」


 矢継ぎ早に紡がれる言葉は刃のように鋭い。けれどその鋭さが今の朱音にとっては薬でもあった。勿論、ある種で毒の意味合いも強く持っているのだけれど。酷かもしれないが、と思ってくれているだけ、紅月の言葉には優しさが滲んでいる。

 話の中に息苦しさはあった。けれども、何となく、根底に一抹の救いがある。

 理解出来なかった未知の領域の一片が僅かであれ明かされようとしている……――期待、とも言える光が淡く明滅を繰り返して柔らかい。


「此処をどう見る?お前にはどう映っている?」

「えぇと。……私の常識からは理屈が浮かばない、ような?所です」


 この説明が妥当かどうかは、朱音には分からなかった。理屈が浮かばない、この一点に限っては譲りようがないのだけれど。

 一瞬で茶が出る、皿に乗った菓子が出る、道具が消える、室内だけに限って起こった現象について思考を巡らせ、知恵を絞って不思議や謎、原理がどうこう、どうなっているかなど考えたって意味がない。答えなど求めても無駄、と言われてしまったら全てそこまでだ。完結した問いをいつまで続けても無意味で無価値なのだから。

 人間の理解の範疇を越えているのだ、と……最初から思考を放棄してしまった方が正しいのではないか。朱音は少なくともそう思う。灼が言ったように、と考えると少しだけイラっとするのには、目を瞑っておくとして。


「ふむ。そうだろう?だからな、あまり人間の子らは最初から『紅い狐(わたし)』に頼らない。私に限らず、だが……妖等、人外と呼ばれるものは常に人間の常識の外に居る。たまに『こちら側』を訪れる者がいないでもないが、基本的には表の『紅尾神社の神』に祈るものさ。裏側に隠れる私の存在など、知る者の方が圧倒的に少ない。特に、昔と違ってこの世は何かと便利になっているのでな、この神社に頼る者自体が殆どいない。寂れた神社に宿る信仰も薄まっているし……神事の際はそれでも人が寄るのでどうにか体裁は保っているがな。」


 ――耳鳴りがした。

 何かに近づいているようで、真理に手が届きそうで、でも、そこに近づいてはいけないような、予感じみたものが胸に灯る。知りたいのに、知りたくない。……否、違う。まだ、知る時ではないと、胸の奥から何かが、囁く。

 気持ちだけが焦って、身体が意識についていかない。紅月に、灼に。言葉を向けられなければ分からなかった。多叉路たさろに佇んで、動けなくなった迷子みたいに。

 あぁ、そうか。

 それでも、納得出来る部分があった。諦めにも近い境地を抱えながら、朱音は冷めた瞬きを繰り返す。


 ――私はおかしい。何かが。


「赤土の子よ、覚えているかな。お前が知っていたのは『ヤクキリ堂の存在』ではなかった。知っていたのはあの簡易な祝詞で、私に会う為の手順。だが、それは私への奏上に他ならない。今になって再び聞くと思ってもいなかったが」


 焦燥が加速する。紅月の眼差しが全く揺らがないものだから、余計に。


「俺らも久々の人間だからよォ、ちぃっとばかし浮かれちまッたんだなァ。少し考えたらァよ、おかしいンだ」

「うん、先も言ったが……『紅尾神社の神に祈る』ならまだ分かる。まぁ、一応分霊であるが故に私に祈るのも間違いではないのだが、それでも――お前は最初から『紅い狐(わたし)に祈った』な?」

「は、い」

「更に。お前は自身の厄を自ら『邪気』と言った。昨今、人間の子が厄を気にするなど厄年ぐらいのものだろうに。……まぁ、そこから既にお前は他と違う。私の事を誰から聞いたのか、覚えていないと言うのも気になる。」


 ヤクキリ堂の存在を知らず。

 この扉を開くまで……と言うよりは紅月に会う為だけの手順を、手順だけをどうやってか知り、紅月の存在だけは疑わずに信じた。

 迷信じみた言い伝えにまで縋るほど追い詰められていた、と結論づけるのは容易いけれど。……あぁ、今思えば。誰から聞いたと思い出せない言い伝え、と言った方が正しいのか。

 朱音の足が止まったのは、確かに色落ち激しい朱色の鳥居の下だ。神を祀る社殿は視界の中にあった。しかし、そこまで向かわなかったし、向かう必要もないと思っていた。そもそも、神社のご利益など、必要ないとすら思っていたではないか――神社にまで足を向けたのに、それは、……それは不敬が過ぎる。

『信じた』私がバカだったのだ、と言い伝えに溜息を吐くまでは――自身の厄を祓う狐が此処に居るのだ、と――当たり前のように。


 ………紅月だけを、その存在だけを、しんじて、いた。


「おかしい点はまァだまだあンぜェ。嬢ちゃんが抱えてる『厄種やくしゅ』、いくらなんでも多過ぎだろォ」

「やく、しゅ?」

「ふむ、漢字そのまま『厄の種』だ。厄を招く若芽、摘まず育てば災厄の花となる。単に、我らの造語だ。人間が持つ厄を植物の種と見立て、数とする。一つ、二つと指差す事が出来れば把握も手間が省けるのでな」


 厄種やくしゅ

 話を聞く限り昼間は薬を処方する側の二人だ、意味は違えど薬種と似たような語で管理しているのかもしれない。

 まぁ、確かに……あれこもれも厄、厄、厄、と続けばどれがどれだか分からなくなるかも……なんて、事情も知らずの内だが、朱音なりに納得した。

 植物の種に見立てるならば、厄にも種類があるのかしら――脳裏に浮かんだ想像に、ゾッとする。

 種類があるのだとして、朱音の厄はどうなのだ。無自覚に飼っている、なんて言い方を植物には充てない筈だ、普通は。花を育てる、みたいに……『育てる』ではないのか?『育てる』と『飼っている』の差は何なのだろう……。


「嬢ちゃん、俺の斧は覚えてンな?」


 朱音の思考を妨げる……つもりはなかったのだろうけれど、灼が柏手を打った事で意識が現実に戻ってきた。

 一瞬火の粉が舞って、朱音が次の瞬きを終えた時にはあの綺麗な斧は灼の手の中に収まっていた。決して手品ではないけれど、感覚としては近い。消えて現れて、の時間差がことごとく皆無なのだ。

 紅尾神社の敷地内は紅月の『領域』――とは聞いていたので、いわゆる、『一瞬の動作』が通じるのは紅月だけかと思っていたのだが、灼も同じらしい。それは、灼が紅月のしきだから……なの、だろうか?

 ……いや、思い起こせば、灼の斧に関しては紅尾神社の敷地内、外を問わず一瞬で出現と消失をしていたのだったか。つまりこの件は、『領域』云々の話とは別なのだ。……多分。多分としか言いようがないのが、悔しい。

 灼が柏手を一つ打つ、という動作が合図となっているのは間違いない気がする。あと、斧に付加して必ず火の粉は舞うらしい。


「コイツは俺の胃腑いふと繋がッてンだよ」

「は???」

「あぁ、それは特殊でな。灼が振るい、斬れば邪気は灼の糧となる。邪気だけを斬る業物わざものだ、私は斧より刀や剣の方が格好がつくと思うのだが」

「あ、待って、待って下さい!!多分このまま行くと論点がずれちゃう!!胃腑?って胃?!胃袋よね?!!?」

「おん、胃袋だなァ。」


 ニィ、と。灼の目元が愉快気に歪む。瞳に宿す灼熱を優雅に踊らせながら、灼は斧の刃先に沿ってに刻まれた薄い紅葉の意匠をなぞる。

 何度も朱音を容赦なく斬った――もちろん一応無傷ではあるけれど――斧と、灼の胃袋が繋がっているなんて初耳だ。

 ……胃袋と繋がっている斧で斬られる女子高生なんて、朱音以外にこの世の中に実在するのだろうか、果たして。いや、まぁ、しっかりくっきり生存しているので問題がある訳、ではない。……ない、筈、なのだけれど。


「……………つまり私は二度も、灼の胃袋に斬られたと言っても過言ではない…………………と、おっしゃる…………………??」


 ――思わず、変な語調になる。

 脳内を占める疑問符を鎮めるにはこうするしかなかった。確認しなければ今夜は眠れないだろう、といった予感があった。ど、っと汗が背を伝う。

 胃袋に斬られる、のと。斧で斬られる、のと。

 この現実的ではない方程式は、成り立つか否か?


「まァ、間違いでもねェだろうさ。だッてどう足掻こうが斧と俺の胃腑が繋がッてンのは事実で、否定しようもねェし。実際、コイツがどうにかなったら俺の胃腑はなくなったも同然だしなァ?逆に、腹ン中見たって空洞が広がッてるだけだぜェ?骨はあるだろうけどヨ」

「ふむ、そこは仕方がない。私も捻じ曲げようがないな。」


 ……成り立つ、らしい。灼だけではなく紅月も否定しないということは、そういう事だ。

 斧で斬られる経験はなかった、どころか、実は胃袋で斬られていたとは。つまり灼に丸呑みされたのとほぼ同義ではないか――辿り着いた解にこそ、朱音は沈む。


「おぉい、嬢ちゃん。話、続けても大丈夫かァ?」

「……ごしんぱいなく……だいじょうぶ……わたしは……ダイジョウブ……」

「全ッ然大丈夫じゃァなさそうだけど面倒くせェからこのまま話進めるぜェ?」

「どうぞ……ドウゾ…………!」


 悲観に暮れる人間の気持ちなど、天邪鬼……もとい、天野邪喰あまのじゃくうには分かるまい。二度あることは三度ある、とも言うし、まさか今日の内にもう一度あの斧で斬られるとは思いたくもないのだが……これも、考えるのをやめた方が自身の為なのだ、ろう……――


 ――か。

 朱音の前に黒い紅葉が揺蕩う。スローモーションで撮影されたかのように、景色がゆっくりと流れていく。

 …………ぎ、ぎぎ、ぎ。

 壊れかけの機械が無理矢理ネジを回したような不愉快かつ奇怪な音を立てながら、朱音は意識を灼へと向ける。そりゃ、えぇ、二度あることは、と考えたばかりではあるけれど?

 まさかそんな考えていたばかりの事を実際やるだなんて――


「まァだ黒いモンなァ、嬢ちゃんのコレ。」


 ――やった。この笑顔は。この鬼は!いかにも愉しそうな眼差しで、紅葉を指差しながら。しかも片手間、と言わんばかりのお手軽な気楽さで!


「だから!!急に斬るの止めて!!!!!!」

「…………………うん。これもおかしい。」

「ほら、紅月さんもこう言って……、……………………………え?……も?これ、『も』??」

「うん。おかしい。」


 紅葉を拾い上げながら、紅月は首を傾げる。


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