参
「俺ァ、灼。紅月の従者にして式神に降ったモンさ。……いや、昇格した、つッた方が正しいかもしれねェなァ」
「…………昇格……?」
「多分、俺と同じ類のモンはこの世にゃいねェ。紅月が俺を変えた。底の理由なんざ知らねェが、紅月は俺を必要としているし、俺も紅月が必要なンだ」
「……説明になっていないわ、灼。」
「そう仕向けてンだよ。俺ァ、元が意地の悪ィ鬼なのさァ」
ガリガリと、灼は先程と同じように地面に文字を書き始めた。意地が悪いと言いながらも一応、説明してくれる気ではあるらしい。
「天邪鬼?」
「ンッ、そぉ。俺ァ、紅月と出会う前は天邪鬼だったンさァ」
「どうりで………………………」
――妙に納得してしまった。
天邪鬼といえば、鬼の一種であるよりも前に日本語として『わざと人に逆らう言動をするひねくれ者』という意味が浸透し過ぎている。
灼の言動やら行動やらを思い返して、朱音は疑う事を辞めた。天邪鬼と灼が脳内で結びつき、方程式が華麗に完成してしまっている。これは恐らく、何があっても崩されまい。
「まッ、天邪鬼については大体察しがついてンだろォ?」
「え?……えぇ、多分。詳しくは知らないけど……」
「あンな小鬼共の事なンざど〜ォでもいいンさァ。大事なのは今の俺なァ〜」
…………どうでもいいのか…………。
良いのだろうか、そんなノリで。そもそも天邪鬼って小鬼だったのか、とか、それを式神として使役しようと思い立った紅月って一体、とか、エトセトラ……朱音の脳内は与えられる情報の処理と突っ込みとで忙しい。ただでさえ非日常が過ぎる一日で、眼前の事実を無理矢理飲み込むしか出来ないというのに。
「今の俺は、こういう存在になッてンの。見てくンな!」
「……………………………………?……えぇと………?」
「なッははは!読めねェだろ!?」
「……確かに読めない……」
いや、読めそう、ではあるけれど正解かどうかが朱音には分からない。
灼が書いた文字は『天野邪喰』という四文字だ。天邪鬼、と似ている。だが灼は、『元・天邪鬼』である。ということは、この文字は天邪鬼を指している言葉ではない訳だ。
「コレは紅月が考えた鬼の名前でさァ。」
「鬼……、灼、結局鬼なの?」
「オン、式神に成り下がった鬼の類さァ。元が小鬼だから、一応格は上がッてンの。」
「…………………なるほど?」
「俺は邪気を喰らう。邪気を糧とし、邪気を浄化させる役割を持たされた鬼。その文字な、『アマノジャクウ』つッて読むのさァ」
「アマノジャクウ……」
「紅月が邪気を祓う共として選ンだ……俺ァそういう、ちょっと特別な存在なワケね」
何となく、灼が遠くを見つめるような仕草をする。懐かしんでいるのだろうか。一体どれ程の間、紅尾神社に居るのだろう。
「紅月はな、紅尾神社に住まう稲荷サマの分霊なんだとよ」
「ワケミタマ」
「紅い月の狐さん、ッてさァ、嬢ちゃんも祝詞唱えてたろォ」
「祝詞?!アレ、祝詞だったの?!」
「アッ、知らずに告げてたのかァ!!」
「知らないわよ!!申し訳ないけど!!」
思わず怒鳴ってしまう。迷信じみた言い伝えだとは思っていたが、まさか声に出していた羅列が祝詞だとは。
「いやいやいやいや、祝詞ってこう、もっと重厚でかったるい言葉が並ぶものじゃないの?!」
「そらァ昔ッからあるありがたァア〜い神道家が考えたやつだろォ?紅い月の狐さん、ッてのは紅月が考えた安易で簡素な祝詞だからだよォ。そんな重要な意味持ってるワケじゃあねェのさァ。太古からあるわけじゃあねェからさァ、現代風に『あれんじ』してあンの。紅尾神社独自の祝詞、ッてことだなァ」
「……、……………」
驚きに驚きが重なってしまった。邪気を祓ってもらいたい一心で縋ったとはいえ、重要な意味を持っているわけではないと言われたとしても……。
「なッ、分かってくれたか嬢ちゃん。俺だけじゃあ紅月に対する突っ込みが足りねェのさァ………………」
――何が分かってくれたか、だ。しみじみと肩を叩かないでほしい。哀れみの眼差しなど向けないでほしい!
おかげで話が逸れに逸れてしまった。
「……ごほん。そ、それで。ワケミタマ、って。私はてっきり、お稲荷様本人かと思ってたんだけど」
「稲荷サマではねェな。神格は確かに感じるけど完璧な神サマじゃあねェ。俺を新たに組み換えた、そンな芸当をこなせる程の力はあるケド……そうさなァ、神に近いには近いが分類的には妖だァ」
「よ、妖怪なの?意味が分からないんだけど……!」
「稲荷サマが分霊を与えた器が紅月ッて言う狐だった――そういう話らしい。実は俺も詳細は聞かされてなくてよォ」
「え?」
まさか、灼が知らないとは思わなかった。話を聞く限り、付き合いは長そうなのに。
「……俺には多分、話してくれねェだろうよ」
寂しそうに呟かれた言葉が、空気と混ざり合って流されていく。
どういうこと、なのだろう。気にならないわけではないが、そんな深い部分にまで――出会ったばかりの朱音が踏み込めるわけがない。
「俺ァ、紅月の従者だけど、最初からそうだッた訳じゃあねぇのさァ。そこらで上級の鬼に踏まれるような、力の弱い存在だッた。そもそも、天邪鬼ってのは小物の類でしかねェからなァ。俺を拾った理由も、何で俺以外の式を増やさず、俺だけを使役し続けてるのか、とかなァ。なぁんも、紅月は教えちゃあくれねェ」
「……聞いたことはないの?」
「ハッ、教えてくれてンなら、苦労はしてないな」
ケラケラ、と灼はやはり、どこまでも乾いた口元を歪ませて笑う。鋭い牙すら覗かせながら、口元だけが鮮明に笑んでいるのだ。