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ヤクキリ堂  作者: 丸井 樽
冥々に伏す
11/11




 ――どんよりと意識の底に薄暗く霞みのかかった、重い、なんとも鬱蒼とした気分の目覚めだ。見ていた夢がいいものであったのか、悪いものであったかも曖昧な、不安定ないつもの其れ。

 ……とは言え、朱音にとっては常よりまともな覚醒と言えなくもないのだけれど。

 開きかけの瞼に飛び込む細い筋のような微かな朝日を、件の吐き気と共に迎えなかっただけでも十分に有り難い。

 チーー、と何らかの鳥が高く鳴いている声を感じながら、朱音はもぞもぞと布団の中を転がっていた。


 爪先と指先が特に寒くて、つい、丸まってしまう。自らの体温で若干の温度は得ているけれど、意識が一度夢から離れてしまえば現実の寒さが容赦なく肌を襲った。

 本音を曝け出すならば、もっと眠っていたい……しかし残念ながら今日は平日だ。いつまでもごろごろしているわけにはいかないし、そろそろ起きなければ、とは思っている。

 学校にも行かねばならないし、朝ご飯も作って食べて片付けて……とも思っているが、完全に陽が昇っていない空はまだ夜の帳を僅かに被っていて寒さが際立つ。


 そもそも、秋口からこっち、季節柄仕方ないとはいえ日の出の時刻が遅いから尚の事、布団から出るのが億劫になる。

 もう少し、まだ目覚めたばかりだから、と寝返りを打つ――自室の窓側へと身体が向きを変えた、その時だ。


「いぃ~い朝だなァ、嬢ちゃん。」

「…………………………………………………………」

「よォ、滅茶苦茶で破茶滅茶なオハヨウの時間だぜェ?」


 …………殴って良いだろうか、この天邪喰もとい、天野邪喰(あまのじゃくう)

 やけに明るい声が更に腹立たしさを加速させているというのには、気づいていてやっているのだろうか?

 ひらひらと手軽に掌なんざ振っている灼を、問答無用で殴らなかっただけ許してほしいものだ。うん、特に、紅月辺りには。

 微睡の淵を彷徨っていた筈なのに、一気に頭が冴えた。もしくは、冷めた。本当に滅茶苦茶で破茶滅茶な朝だ!


「寒い!!窓閉めて、窓!!!!!」

「わァお、きんじょめいわく?な声だなァ。朝から元気なのは良いけどヨ。」

「だ、れ、の、せいよ!」


 はっきりと状況を整理してみると、外気の冷たさを漏れなく全て連れてきた灼が、今までにないほどの笑顔満開状態で腰かけていた。

 窓硝子が割れた形跡はなく、鍵も壊されていない。

 だと言うのに、平然と、灼は然も当然、と言わんばかりにそこに座っているのだ――自然に開け放たれた窓の横、勉強机に備え付けられた椅子に。


「鍵、ちゃんと閉めてたのに何で普通に入り込んでるのかしら、灼……!」

「俺が勝手に邪魔してるだけだからヨ、気にしねェでくれな?」

「するわい!!本当にここ、私の家!?家よね?!」

「あァ、それは違いねェさ。そうじゃなきゃあ俺ァ弾き出されたまんまだからなァ。」

「あと今何時?!」

「エっ。今の話聞いてて突ッ込むとこそこかヨ。ほんッと勢いだけは良いな、ちなみに時計の針なら六の数をちぃッとばかし過ぎてる感じじゃねェ?」

「あ、良かった、灼にしては意外に常識的な時間だった……!!」

「朝から雑な扱いアンガトよ、嬢ちゃん。マっ、今朝の俺は機嫌がいぃから全然気にならねェけどォ。」


 なんとも、怒涛の嵐のような会話である。突っ込みと共に布団から飛び起きながら交わすには良い目覚ましと思えなくもない……点が、唯一の救いか。

 そんな嵐の中心で、まるで鼻歌でも歌い出しそうな様子の灼に、朱音は首を傾げる。今朝の俺は、と限定的な言い方ではあるけれども、それにしても、だ。


「何か良い事でもあったの?」

「色んなイミで満腹だからよォ、今。」

「……深くは聞かないでおくわ」

「聞かれても詳しく答えねェけどなァ~。」


 によによ、とか。にまにま、とか。或いは、にたにた、といった擬音が似合う笑みを張り付けながら相変わらず、瞳の中で灼熱が躍る。

 ……妙に朱音が苛々するのは、灼に対する嫌悪感のせいか、もしくは朝の目覚めが心地好いものから急激に変化したせいなのか。この議題だけで小一時間は潰せそうだが、今立ち向かうべき議題は別にある。


「なんとなく、どうやって侵入したかは聞かない。方法を聞いたとしてもまともな返答は貰えそうにないから。」

「そりゃあ、ナイだろうなァ。」

「代わりに、さっき妙に引っかかるようなこと言ってたわよね。私の家でなければ弾き出されたままとか、……ナントカ?」

「おん、紅月も言ってた通り、俺ァ嬢ちゃんに憑いてるからヨ。」

「私に憑く、って……ずっと側にいるってことなの?窓とか壁とか家すら関係なく?それとも灼、全部通り抜け出来るとか?」

「……そうであると言えばそうだし、違うと言えば違う。例えば今は、俺の意志じゃあなくて紅月の遣いで嬢ちゃんに会いに来れてンだなァ。」


 ――紅月、と名を呼んだ瞬間に、灼の瞳の奥が更に燃え上がった気がした。綺麗な炎であるだけに、寒気を覚えるほどおそろしい。上機嫌に火の粉すら舞い上がらせてしまいそうな勢いで、眼窩の底が燃えている。

 灼の瞳にもしも触れられるとしたならば、熱く感じるよりも先に冷たく感じるのではないだろうか……もしかすると、紅月よりも痛々しく厳しい冷やかさを覚えるのではないだろうか。もしもの話であるので、実際にどうであるかなど分かる筈もないのだけれど。

 ともかく。

 普段の天邪喰もとい天野邪喰でも十分に性質が悪いのに、機嫌がいい灼というのも、余計に性質が悪い。再認識。


「ンで、本題だァ。名前は決まッたかヨ?」


 そして、こういう時に限って本題をずらさず率直に聞いてくる辺りが…………。

 思わず溜め息を隠す努力すら忘れて、朱音が昨夜必死に考え出した影法師の名を告げようとすると――。


「ア、待て待て待て、今言うな!!」


 ――慌ただしい制止の声と掌が、朱音の唇を塞いだ。


「聞いといてなんだけどよさァ、俺ァ、名が決まッたかどうかの確認を任されただけだからよォ、そういう確定事項は紅月に告げてくれ。……ンン、言うのもどうかと思ッたが……此処(ここ)は妙なモンが多過ぎる。」


 珍しく言葉を選んだようで、灼が微かに言いよどむ。一応、と言うのも変だが、此処が朱音の家であることを配慮した結果なのかもしれない。

 ――妙なモン。

 灼の言わんとする『妙』が何を指しているか、分からないようで、でも、それでも朱音にはちゃんと分かっている。具体性がないようで、ないように聞こえるだけで、実は具体性があると理解出来るからだ。


 恐らくこの家は、見る人が見れば宝物の山であるだろうし、何も知らぬ存ぜぬ人が見ればガラクタの山であるだろう。もしくは、ある種のゴミ屋敷に見えるかもしれない。

 壁に貼られた御札に、どこから買いつけたのか分からない壺、天然石、置物、鈴、破魔矢、御守りエトセトラ、エトセトラ。


 なんとなく部屋の中も短い廊下も、とりあえず人が一人通れるだけの狭い通路は確保されているけれど。

 基本的には整理のつけようがないほど、とにかく『物に圧迫される家』だからだ。賃貸ということもあって格別に広い敷地という訳ではないことを差し引いても、どこからどう見たって普通ではない。


 異常としか表現のしようがない家であると、朱音には十分に分かっている。それに、物量が多いだけで、朱音には何が何やら、『厄除け』以外の用途が分からない。

 飾っておくだけで効果があるのか、いつまでも所持していていいものなのか、それとも身に着けておかなければ無意味な代物なのか。

 これらが、両親から定期的に送られてくるものでなければ……とっくに容赦なくお焚き上げ行きなのだが。


「これ、全部嬢ちゃんの厄除け道具ダロ?一応」

「一応、ね」

「全部が全部、紛い物じゃあねェから逆に面倒なンだよォ此処は。」

「やっぱりそう?なんとなくそんな気はしてたけど」

「昨日も言ッたが、嬢ちゃんの厄は規格外だ。ちゃあん、と厄除け効果を発揮してるヤツもあるにはあるぜ?此処にはヨ。つまり、力のあるモンとないモンがおかしな『ばらんす』で混在してる。だから尚更、此処で名前を告げるには場所がよくねェのさ。特に真ッ新(まっさら)な名前は気を遣ッてやった方がいい。」


 灼が真っ当に、説明してくれている。いや、そもそも、説明してくれる場合にはちゃんと丁寧にしてくれていたか、今までも。そういえば斧で図解するという常識外な芸当とはいえ、こなしてくれていたし。

 ……少しだけ苛立ちが治まった、気がする。


「だから嬢ちゃん、忘れてねェだろうな、今の時刻は『薬切り堂』だからなウチはよォ。」

「うん、忘れてないわよ」

「じゃ、えいぎょーじかんがいに来ンなヨ、ッてなァ。」

「つまり、『厄斬り堂』の時刻に紅尾神社に行けばいい?どうせ放課後になってから行く気だったからちょうどいいわ」

「物分りが早くて結構ォ結構ォ。もう嬢ちゃんはウチの客人だァ、鳥居まで来てくれたらァこッちから迎えに来るからヨ。銀の鈴もいらねェし、特に柊の枝はヨ、もういらねェからな?」


 うん、うん、と、朱音の首は先程から縦ばかりに動いているけれども。

 …………けれ、ども。

 若干の、疑問がある。

 そもそも、この話の流れだと、灼が朱音に憑くという話が、どうにも信じ難い。

 憑くというのだから、そら、近くにいるものだと、普通ならば考えるだろう。朱音の解釈とはまた違っているのだろうか。


「灼、私も確認したいんだけど、学校とかについてくる訳じゃないのね?」


 先の話の流れを、もう一度汲んでみる。確認、といえば恐らく、灼は説明してくれるはずだ。


「招かれればついてッてやるけど、はたして嬢ちゃんがそれをお望みかなァ?」

「全然。」

「即答かヨ、悲しいねェ!」


 まったく悲しそうに見えないどころか逆に嬉しそうに灼は笑う。からからと、けらけらと何とも愉快気に笑う姿が一番彼らしくて、朱音は怒る気すらしなかった。むしろ、そういう笑い方をしている灼の方が見ていて安心する。


「俺の主は紅月だ。天地がひっくり返ッてもこれだけは何をされても変わらねェし、覆されねェ。」

「えぇ、そうでしょうね、……むしろ、紅月さんが頼んだとしても灼が離れないんじゃないの?」

「おッ。なァんだヨ、一寸は俺のこと分かッてンじゃあねェの」

「はい、話を元に戻す戻す!灼の紅月さん語りは時間がある時にちゃんと聞いてあげるから簡潔にお願い!今急いでるから!」

「ア――……、じゃあ簡潔に説明すッとヨ……、……」

「うん?」

「俺ァ、主の許可がなけりゃあ、薄かろうが厚かろうが関係なく『結界』に弾き出されるンだなァ。」


 ……………簡潔過ぎやしないか、と突っ込むべきだろうか。

 結界とは。これまた言葉の意味こそ分かっちゃいるが、普段の生活で聞き慣れてはいない。

 薄い、厚いのは効力の弱さを言っていると思う、のだけれど。


「紅月も言ってた通りさァ、妖には力を発揮出来る場所、即ち『領域』がある。嬢ちゃんの影法師なら『影の中』、今の紅月で言うなら『神社の敷地内』、俺で言うなら『主が定めた範囲に拠る』……色々あんだヨ、規則ッてか、法則ッてか……相性とも言うかもなァ。」

「……その妖が、水に関するものなら水辺で強く力を発揮する……みたいなこと?」

「おん、なかなかに良い例えだナ。大まかに言えばそうなるぜェ。目に見える形で、俺等はそれぞれの力を発露してンだけどヨ……嬢ちゃんも含め、大抵の人間は違うわけだ。目に見えない形で存在する、それが、『結界』。」


 大抵の人間は違う、という括りが一般という言葉と同義であるとするなら、そこに朱音が加わっているのも不思議だ。

 いや、常識で考えるのなら枠に入っていたとしても支障はないのだが……既に朱音は非日常を裸足で歩いているようなもので――複雑だ。自覚しているからこそ、余計に。


「ようするに、だ。長く、とりわけ土地に根付いた縁あるモンには少なからず力が宿る、ッて話だァ」

「力……」

「目に見えずとも、そこには線があり、明確な境がある。妖連中は場所に執着すれど安定した住処がある奴ァ案外少ない。だが、人間は違う。長くとも短くとも同じ場所に留まり、住まい、容易く繋がる。地脈との相性がよければ更に強く、何がしかの影響、恩恵を無意識に受けられるし――そうすると互いが互いを活性化しちまうし、させちまうのさァ。」

「それが、目に見えない形で存在する?私の家にも?」

「家ってのはヨ、其処(そこ)に在るだけで身近な『ぱわーすぽっと』なンだヨ。そんなとこにホイホイたかが主に使役されるだけの式神(おに)が土足で勝手に入れる訳ねェのさァ。なんせ俺には自由がねェ。許しが必要なンだヨ基本的にはヨ?俺ァ、紅月という主の許しがなけりゃあなァんも出来ねェのさァ!」


 灼が一つ、柏手(かしわで)を打つ。軽く火の粉が舞って、僅かに温かさを感じた。

 不満げな口調のくせに相変わらず表情は上機嫌で、瞳の中で灼熱がまるく踊っているのが筒抜けだ。


「いいか、嬢ちゃん。何度も言うがヨ、俺の主は紅月。その紅月が嬢ちゃんに俺を憑けた。もっと分かり易く言うと、俺ァ紅月の命令によって嬢ちゃんに憑けさせられたんだ。このイミ分かるかヨ?」

「……私が招く、招かないを別として、紅月さんが関係していれば『結界』の境がねじ曲がるのね?灼だけに限っては。」

「御名答ォ!」


 ――俺の意志じゃあなくて紅月の遣いで嬢ちゃんに会いに来れてンだなァ。

 灼は、確かにそう言っていた。紅月の遣いで会いに来た、ではなくて、会いに来れている、なんて変わった言い回しで。

 結界、と仰々しい表現をしているが、成程、言葉にも上位互換というものが存在するのならば……今回が良い例かもしれない。


 朱音が許す前に、灼の主たる紅月が許したのであれば――灼は結界の中に入れてしまう、そういうことだろう。逆に、紅月の許しがなければ今も寒空の下、窓の外で待っているしか出来なかったのだ、多分。

 主ありきの式神。紅月曰く灼の方が小回りが利くそうだが、実際のところはもしかするとそんなに差はないのではないだろうか……。


 ともかく詳細を聞けば、結界については紅月も灼も丁寧に教えてくれそうな気がするし……これ以上の詮索は必要ないように思えた。

 ちら、と朱音は時計の針を確認する。本格的に動かないと、遅刻してしまうかもしれない時間だ。

 今はこれだけで十分だ。どうせ、ヤクキリ堂には赴かなければならないのだし。簡潔に、と説明を求めたのは朱音だ、だから、いまはこれで、良い。


「じゃあとにかく私が望む……というより招かなければ家の中にも入れないし、学校について来る事もないのね?」

「そうだ、そこらは紅月の采配に依る。状況にも依るが、無理矢理侵入するなら相応の破壊魔と化すぜェ俺はヨ。」

「じ、自信満々に破壊宣言するのはやめて……!ここ、親の名義で借りてるだけなんだから……!」

「くッくッ……、じょ~ぉだんだよォ冗談!」


 灼の場合、冗談なのか冗談でないのかの差がよく分からないので困る。真面目にからかっている時と、そうでない時の差が激し過ぎて混乱してしまう。特に今朝は上機嫌過ぎて、常よりも分かりにくくなっていた。


「……何だか、憑くって私が思ってたのと大分違うみたい」

「そりゃあ俺が普通の妖じゃあねェからだろォ。幽霊とも違うし、勿論単なる鬼でもねェからなァ今は昔と違ッてヨ。」

「四六時中灼といなきゃいけないのかと思ってたわ……」

「しみじみ言うなよなァ……、……でも、これだけは覚えといてくれな?」


 拍手(かしわで)、一つ。炎が落ちる。焦げた香り、黒い紅葉の残滓が揺れる。

 身体の奥の奥に淀んでいた黒々とした濁りすら、炎で焼き清めたようにすっきりと澄んだ。

 黒い紅葉は、朱音の厄の色。今朝も薄まっていないのだな、と自分のことなのに客観的な感想しか抱けなかった。


「普段通りと思うな、俺ァ確かに憑いてる。他の誰でもねェ、嬢ちゃんにだ。紅月の許しが下りない限りこれは続く。嬢ちゃんがどれだけ嫌がッても無駄だ。俺ァ、俺の中での一番を決めてはいるが暫く、一の次を決められ定められた。それが覆るまで――俺はアンタの矛で、盾で、厄を取り除く炎となろう」





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