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ヤクキリ堂  作者: 丸井 樽
冥々に伏す
10/11


 

 くるりと、紅月の視線が朱音の方へ向く。

 何だか急に話題が元に戻ったようで、いささか拍子抜けしてしまうが。むしろ今までの空気をサラリと流してしまう辺り、紅月にとっては本当に普通のこと、なのかもしれない……。

 いや、あのまま二人だけの世界のような雰囲気になってしまうのも随分と困るので、助かったといえば、聞こえは良い。


 とりあえず一転して、朱音は考える。

 はて、ここで言うところの、賭け、とは?賭けの勝敗を分けるだろう要因とは?

 何となく内容が分かるような、分からないような……と思ってはいても、結局朱音の思考回路では全ての状況を解決出来ない。

 で、あれば。

 提示される方法に従うしかないのだろう、今回も。


「影法師へつける名前を考えておいで。今日はもう遅い、明日また此処へ来るといい。」


 想定していたよりかは、とんでもびっくりな内容ではなかったが違う意味で驚かされた。確かに、影法師の飼い主になれと言うのだから名前をつけるのは必要なのかも、しれない。

 ……が、そんな、飼い主と言っても犬や猫などのペットでもあるまいに。まぁ、厄という餌を直に与えるという意味では、十分ペットになりうるか。愛玩できるかどうかについては、現状、どこか隅においやるとして。

 なんて、常識通りの意見は日常の中でこそ発揮されるもので、今この場は正に非日常の真っただ中である。


 うん、きっと、何が何でも、従うしか選択肢はないのだけれど。

 無理矢理にでも前向きに考えるしかないというのならば、自分の好きな名前をつけられるという点だけでも十分な価値がある。

 諦めなのか慣れなのかは分からないが、朱音は数秒の内に紅月の言葉を受け入れた。そして、至極、真っ当とも言える質問を投げかける。


「名前って、たとえばどんな?」

「名付けることで、ナニモノも形を得るし何よりも意志を持つ。意味のないモノなど存在せん。赤土の子が思う、影の形に名前を贈る。自身の法師に贈るのだ、なに、難しく考えずとも良いさ。だが――今日は疲れただろう。もう、帰してやろうな。」


 柔らかな声音。優しい眼差し。

 どうしてか、紅月は朱音と対峙する時、誰よりも穏やかだ。表情も溶けて、棘らしきものがなにもない。相対しているのが灼しかいないので、他の人と比べるべき対応の差とやらがよく分からないけれど。


 しかし、幾ら態度が柔らかく映るとしても。

この「帰してやろうな」という言葉には、絶対的な響きがあった。抗えない。踏み止まるには勇気が足りない。

 そしてなんとなく、紅月には今までにない焦りのようなものが見え隠れしている気がする。態度は柔軟さを崩さないが、朱音を早くこの場から立ち去らせたいという気概があった。

 心臓の音がやけに大きくなる。鐘のような、鈴のような、朱音の鼓膜を妙に刺激する。警鐘、と表現するのが妥当だ。この音は。

 はやく、帰らなければならない――そんな気にさせるには、十分過ぎる程の。


「目を閉じろ、赤土の子。一つ、二つ、……そのまま、十までゆっくり数を述べながら。」

「紅月、さん」

「うん?」

「帰る前に、一つだけ質問してもいいですか?」

「私が応じられるものであれば、勿論。」


 瞼の向こう側に、闇がある。ちらちらと瞬く残像の光は、まるで夜空に浮かぶ星のようだった。

 呼吸を整えて、朱音は口を開く。冷たい空気で肺が冷えた。その心地好さを、噛み締めながら。


「私の影、獣の形を取っている、って灼が言ってましたけど」

「確かに、そうだな。否定はせんさ。灼の言葉は正しい。」

「具体的には、どんな形を?」

「…………………………知りたいか?名付けは、形に捉われ過ぎてもいけないと思うが」

「名前を贈るのに、形を知らないのは失礼な気がして。それに、知っていた方が相応しい名前をつけられるかな、って。紅月さんの言ってることも分かりますけど……」

「…………………………」


 くつり、と。

 ――紅月だろうか、灼だろうか。一瞬だけ、どちらかが笑う気配がした。

 目を閉じたままの朱音には分からない。本当に笑ったかどうかすら、瞼を閉じたままでは確認のしようがないけれど。


 鼓膜を覆う音が大きくなる。それ以外の音を吸い込んで全て遮断してしまうかのように、どんどんと大きく。

 しかし、高い金属がぶつかるような音が溢れる中で確かに、朱音は紅月からの答えを受け取っていた。


「私に影響されたかどうか定かではないが。――お前の影が取る獣の形ならば、間違いなく『狐』だろう。」


 身体が、意識が、土の中へ沈んでいく。現実的に考えれば、そんな現象は有り得ないのだけれど。

 十まで数を述べろと言われたままに数えた結果が、この沈殿だ。沈殿するという、恐らくは、錯覚。そう思っているだけで朱音の身体は沈んだりしていない。

 ……そもそも、なぜ、『土の中』へ、と、おもうのだろう。

 紅月に赤土の子、と呼ばれる所以がある為なのか否かは――今は語る時ではない。


 ぐらぐら足元が揺れて、包まれて、いつしか固定され、その内、固い地面へと踵がつく。いつの間に戻されたのやら、ちゃんと靴を履いた状態で。

 一際冷たい風が吹く。

 風の終わりに、瞼を開けばそこは既にヤクキリ堂の敷地内ではなく、紅尾神社の鳥居の真下だった。


「…………………柊の枝に………黒い紅葉……」


 視線を鳥居から離して下に移すと、朱音の掌には二つの証が鎮座していた。

ヤクキリ堂で過ごした時間は、決して夢ではないのだと告げるように――朱音が呟いた後、柊と紅葉はその場で突如炎に包まれて、すぐに燃え尽きて灰となってしまった。

 燃えている筈なのに、掌で踊った炎は全く熱くも痛くもなく、やはり、僅かな安堵が灯る。もしかしたらこの炎すら、朱音の厄を吸って祓ってくれているのかもしれない。この安堵は、認めたくはないが灼の斧に斬られた際に淡く感じるモノと似通っている。


 嗚呼。…………なんて、静かな、日常との別れ。


 迷信じみた言い伝えに縋ったのは朱音自身に他ならないけれど、他の人とはちがう道へと辿り着いた自覚がほんの少しだけ、朱音を寂しくさせる。こんなことを考えるのは、身勝手かもしれない。飛び込んだのは自分自身である、そして助けられたのも事実で、まぎれのない、現実だ。

 燃えていく二つの影が、その印。


「私、どうなっていくんだろう」


 独り言に対する名付けならば、一秒にも満たない時間で終わらせられるのに。

 こんな時に限って夜空は常よりうつくしくて、つい、溜息を降らせてしまう。悩んでいる内容が暗い、昏い、底なし沼のように掴みどころがなくて。

 影が取る形ならば、間違いなく狐――紅月の言葉が、白銀の月夜と重なりながら、頭の中で再生される。


「……歩いて……帰りながら考えよう……」


 ぽかりと浮かぶ星と月とを眺めつつ、朱音は神社へ背を向ける。どっぷりと、夜も更けて温度も下がってきている。

 寒いのが、今は有り難かった。普段ならば寒過ぎると文句を言うところだけれども、おかげで僅かに冷静だ。

 今朝よりも、昼間より夕方より果ては昨日より、否、それよりも前から抱え続けていた気持ち悪さが一時だけでも治まっていることに感謝しながら――朱音は、明日へ繋がる家路を急ぐ。




                  ◆◆◆◆◆◆





「っ…………灼………、……………!」

「だァから!曇る、つッたろォが!!」

「あ、…………はやくっ……」


 ――朱音を元の場所、もとい、紅尾神社に帰したその瞬間だった。

紅月は顔を痛みに染め、灼を呼ぶ。銀と碧の双眸すらも灰色に変貌を遂げて、曇る。元の色が鮮やかだったが故に、その変貌はあまりに激しい。


「はやく、喰え……!」


 切実な叫びをあげる。羽織を投げ捨て、厳重に隠していた筈の首元すら灼に晒しながら、ひたすらに、はやく、と。


「チッ、後で文句言うなよ!」

「――っ!」


 …………紅月の着物は、巫女装束のようではあるが実際にはそうではない。

 羽織があるままならば、そう見えて仕方ない構造ではあるのだが――羽織を脱げば、襟を除いて背中の肌が全て見えてしまう作りになっていた。そして、首元の布と、それを留めていただろう石のついた飾り紐を解けば……夥しい数の噛み痕が刻まれているのが見てとれる。


「ぐっ、……ぅ…………!」


 襟ごと、灼の牙が紅月の首筋を穿つ。薄い肌を裂いて、赤よりも赤い色が滲む。溢れる、染まる。激しい痛みに妖狐の影が暴れ、のた打ち回る。


「が!ぁあァ!」

「っ……」


 紅月の爪が灼の袖すら破き、腕に幾重も傷をつけた。呻き声僅かに、それでも灼が紅月を離すことはない。

 紅月の背に、黒い線が――否。黒い軌跡が、肌を譜面として泳いでいる。音階の幅も旋律すらない黒々とした符が蠢く度に、紅月の唇からは更に悲痛な叫びがあがる。

 灼が紅月の血を啜る度に、符も背から項へと移動し、灼の方へと流れ、血と共に吸われていく。


「ぐ、う、ッ……、しゃく、灼っ……!」


 灼と、何度も名を呼ぶ。灼の牙は深く紅月の肌を突き刺しているが故に、応えることはなかったけれど。


「喰え、はやく、……たべてっ……!」


 具体的に何を喰えと言っているのか、深い意味を真に悟れる者はこの場に一人しかいない。紅月の言葉だけを聞く灼の瞳こそ、肉体的ではなくどちらかといえば精神的に……苦痛に歪んでいるようであったけれど――眼窩を確認するだけの余裕が紅月にあるはずもなく。


「…………………………もっといてェよ、紅月」


 痛みに喘ぐ紅月に、灼の言葉が届いたろうか。意味が伝わったろうか。果て、恐らく、二度目に穿たれた牙の感触だけは確実に伝わったろうけれど。

 紅月以上に歪み、耐え、今にもいっそ泣きそうな炎が揺らめいているのが、いつしか伝わるだろうか。

 もっといたいと、嘆きか、懇願か、憐みか。幾ら爪を立てられようとも、幾ら暴れられようとも、腕の中に紅月を抱いて慰める――灼を。


 ――今は、月だけが知っている。


 月だけが眩く光り、照らし、見下ろして、沈黙したまま。今は、今は。今だけは、月だけが、二つ、重なる影をみつめている。


「だめ。……だめだ、灼。私は、わたしは……終わりたい……。」

「聞き飽きた言葉だ、紅月。」

「はやく、はやく………もう、いい。わたしは、もういい。灼、灼……」


 曇ったままの瞳が涙を湛える。溢れて落ちてしまいそうになる雫を、灼の指先が拭ってやった。

 もういい、と、嘆く()をあやすように。あるいは、いつくしむように。


「もう少し。もう少しで、終わる。終わらせてほしい。ああ、嗚呼、あぁ……」

「紅月。」

「………………灼……」

「……紅月。」


 眦を撫でていた指先が紅月の顎を捉える。いまだ何を映すに足らない瞳が、それでも、灼を見つめている。灼だけはどこにいても分かるのだ、と言うように。

 ――音として紡がれる言葉はもうなく。

 黒と赤とが、紅月を包み込む。熱い吐息が肌を撫でて、覆い隠してしまう。まるで月を纏う夜だ。もしくは、喰らう闇だ。



 暗く、(くら)く。(くら)く、(くら)く、……くらく、深く。

 沈むまで、あと少し。僅かに残された時間の、終わりが動き出す。始まってしまえば、終わるしかない。進んでしまえば、戻れはしない。動いてしまえば止まらない。

 終わりたい、と紅月は言った。


 その言葉が持つ真実を語るには、まだ、あかるすぎるに違いない――。





                ◆◆◆◆◆◆





今書ける精いっぱいのイチャイチャ成分です(多分)

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