壱
キーワード選定がよく分からなかったのでまぁ大体こんなかな…というものを設定しました。ほのぼのだったり悲恋だったりもある…………………………かも。とりあえずそこらへんまで書きたいです。
柊の枝を一振り持って。
銀色の鈴を二つ揺らして。
鳥居の下で足音を三つ響かせる――。
「…………」
冷たく、鋭い寒さを帯びた風が通り抜ける。
古びた神社、変わらない風景。こんな田舎の中の田舎みたいなところで唯一と言っても良い、彩り豊かな赤い鳥居の真下――とはいえ、古めかしい鳥居はいつからその色を纏っているのか、ところどころで色素が剥げてしまっている。背後に聳える小さな山の中にある色素の中では、確かに一等目立っているのだけれど。
「……何も、起こらないし。変わらないし。信じた私がバカだった」
独り言だけが元気で、少女は手に持っていた柊を意味もなく左右に振る。手首に括りつけた赤い紐の先、鈴の音がそれに合わせて可愛らしく鳴いた。
ジャリ、と靴が足元の石を削る。
宮司とその家族だけが手入れをしているような、寂れた神社だ。普段から参拝する者も少なく、何のご利益があるのか、この神社の成り立ちだとか、どうしてここに社を建てたのか等々、諸々の理由は周知されていない。祭事や神事があれば多少なりとも人の出入りはあるものだが、今は時期外れで誰の姿も見当たらなかった。
「こんな方法に縋ったって何にもならないのに」
神社のご利益など、本当は少女には必要なかった。知る必要すらない。だが、彼女には何かに頼る事こそが必要だった。
――ここ、紅尾神社に纏わる迷信じみた言い伝えにまで縋れるのであれば縋ってしまえ、と思う程度には。
少女は項垂れる。赤茶色の髪がするり、と頬を掠っていく。紺色の制服が朝陽を受けて鮮やかに揺れた。
分かっていた筈なのに。
日常の中で起こる非日常など、望んで得られる筈もない。そんなに頻繁に非日常が訪れるならば、世の中に日常なんてものはなくなっている筈なのだから。
それでも、彼女は唇を震わせる。諦める事は簡単だ、誰にでも出来る。けれど、けれど、と。彼女の意思がそれを許さない。
「紅い月の狐さん。私の邪気を、祓ってくれませんか……!!」
悲痛な叫びだけが木霊する。眦に溜まった涙が今にも零れ落ちてしまいそうだった。
しかし、何も、その叫びに応える声も音もない。ただ、無情に風が通り過ぎるだけだ。
「………はぁ」
溜息を吐いて、彼女は神社を後にする。元々期待はしていなかったはずなのに、落胆する感情を止めることが出来ない。
――その寂しい背中を見つめる二つの影が、木陰に潜んでいた。
「あァあ、惜しい。惜しいなァ。」
「お前は黙って仕事をした試しがないな」
「だァって惜しいじゃァねぇか。一つ間違ってただけだぜ、あの人間。」
「……」
「そう睨むなよ、俺ァ、あの柊が嫌いで嫌いで仕方ないだけなんだ。どうしても嫌いなモンってのは気になるだろォ?それに、アンタの仕事だってこのままじゃァ地の底までなくなっちまう」
「いつもそれぐらい仕事熱心なら助かるのだが……まぁいい。そんなに気になるのなら、一つ、動いてやると良い」
「あァ、そうだろうそうだろう?分からないヤツには教えてやらねぇとなァ」
しかし立ち去ってしまった彼女が気づく訳も道理もなく。背に向けて放たれた言葉と意味を。
「だァってよ、あの嬢ちゃん、本当に惜しかったんだァ。ここに辿り着くにはもう一つ、注意しなきゃァならねぇ事があるのによ」
「無駄口を叩くな、さっさと行け」
「へぇへぇ、じゃ、ちっくと導いてきてやらァな。」
灼熱のような色を宿した瞳がいかにも愉しげに歪む。口元は常に笑みを浮かべていて、その特徴的な緩い口調――低く、気だるげな声音と表現した方が妥当だろうか――に合わせて黒い長髪が揺れる。瞳と同じ色の紐で結われた髪はちょうど、腰と同じぐらいだ。
「気をつけていけ、お前は注意力が散漫しているからな」
対して、こちらは堅い口調を崩さず、口元は常に引き絞られている。銀色の髪が無造作に肩へと垂れていた。
「へぇへぇ、アンタは俺の帰りを待っててくンなァ」
「帰りなどいつでも良い。お前はどうせ、ここへ帰るしかないのだから」
つれないねぇ、と深まる笑みを浮かべたまま、黒髪の男は姿を消していく。
一人になった銀色が、おもむろに落ちていた柊を拾う。あの少女が神社を立ち去る前に落としていった枝だ。
落としたのか、用済みだと判断したかは定かではなく。今はどちらでも構わないのだ、構わないのだけれども……。
「………まだ、早い」
柊の枝を一振り持って。
銀色の鈴を二つ揺らして。
鳥居の下で足音を三つ響かせる――。
少女が望む場所へ至るには、足りないものがある。些細でちょっとしたものではあるけれど、とても重要なものが。
あともう一つ、と小さく呟いて――柊の葉が静かに揺れた。
***
――まただ。
ずっと、ずっと。朝日が昇っている間、影に何かがいる。そんな気がする。今日、昨日の話ではない。年単位で数えることなど途中からやめてしまった。
影の中を引っ掻いて探る事が出来るのならばとっくの昔にそうしている。お祓いも何度かしてもらった。しかし目立った効果などなく、何も変わらない。御札だの、壺だの、石だの、効くのなら、と手にしたガラクタの数などもちろん、覚えていない。
「ぐ、るぐる、する……」
その表現が的確かどうかは分からなかった。ただ、感覚として一番近いような気がするのでそう表現している。
自身の影の中に何かが居て、じっ、と見られている。視線というものは注がれれば注がれる程、発生源も見つけやすいものだ。気のせいであればどんなに良かったか、と思わないでもない。見られているだけならば、まだ良かった気がする。時折何かの拍子に、影の中を想像もできない存在が這いずり回っているような……そんな気持ちの悪い感触が、確かにあるのだ、彼女には。
「もし。顔色が悪いようですが、大丈夫ですか」
「………………お構い、なく。いつもの事ですから」
だからこんな風に優しい言葉をかけられても素っ気なくしてしまう。少女は僅かに顔をあげて、声の主を確認する。なんとなく、見なければならない気がしたのだ。声の主を視界に入れて、どんな存在であるかを認識しなければならない気、が。
――声をかけてくれたのは、皺一つないスーツを着た若い男性だった。気遣わし気な雰囲気があって、物腰柔らかな表情が見える。
「本当に?」
心配して声を掛けてくれる人は、なんて優しいのだろう、と思う。けれどこの苦しさを理解してくれる訳でもない。
有り難さと、面倒くささという相反する感情が少女の中に膨らんでいく。こういう時、影が更に蠢く気配があって、一層気分が悪くなってしまう。胃の中がかき回されているようで、吐けたら楽になるだろうに、一度とて吐いて爽快感に包まれたことはない。
「いけない、さっきよりも顔色が悪いね」
「……?」
「いけない、……いけない……」
「あの、……本当に、大丈夫ですから……!!」
「いけないよ、いけないね」
――様子が明らかにおかしい。いけない、いけない、と同じ言葉ばかりを繰り返せば満足するのだろうか。
不穏な空気を悟って、少女は男と距離を取ろうとした。……正直に言って怖い、逃げたい。せめて足に少しでも力を入れて、逃げ出せたら……。そんな思惑を持ちながら動いた些細な動作と気配を、男はどうやら見逃してはくれないようだ。
「いけないね?」
「ひっ……!!」
まるで能面のような笑顔を貼り付けて、男が少女の肩を掴む。こんな時に限って周囲には誰もいない。
――誰か、誰か!
キョロキョロと見回す世界の、なんて無意味な事か!
時刻は夕方で、普段ならば帰路につく人がまばらにでもあるはずだった。それが、今日に限って一人も見当たらない。
肩に乗った力が強くなって、少女は思わず男の顔を見る――先程まで笑っていた顔の、口元が裂けているかのようにも思えた。
こんなに近い距離で、直接、意味の分からないものに襲われるなんて予測が出来るはずがない。ただでさえ少女は様々な限界点を突破していて精神に余裕がない。張り詰めた糸すら切って、破裂させてしまいたかった。精一杯の酸素を肺に送り、せめて、と悲鳴をあげようとした……瞬間。
「ほんっと、いけねぇわなァ」
空気が揺れ動き――頭上から場違いな程に脳天気な声がして、少女は勢いよく声のする方へと視線を向ける。電信柱の上、どうやって上ったのか分からないけれど、そこから少女を見下ろす灼熱の瞳と目が合った。らんらんと煌めく色素が眩しい。
「嬢ちゃん、今、柊持ってねぇよなァ。重畳、重畳。俺ァ柊は嫌いなんだよなァ」
「だ、誰……、……た、……助けて……!!」
何だかよく分からないが、助けを求められるならば誰でもよかった。青ざめた表情のまま、少女は頭上へと願いを放つ。
「あァ――、………めんっっどくせェなァ。」
「はぁ?!」
「おぅ、俺は今、猛烈にめんどくせェ。」
なんだ、この人――!
少女の頭に、その言葉だけが鮮やかに咲き乱れた。意味不明な状況に混乱気味だが、もっと意味不明な言葉を投げる男にももっと混乱させられる。これ以上どうすればいいのだ、と泣きたくなった。
「なァにが面倒、って礼儀を一から教えなきゃァならねぇ事がめんどくせェよ。いーか、嬢ちゃん。俺ァ、灼。紅月より授かった意味のある名だァ、多分な!」
「しゃ、……灼、さん?いや、待って、紅月、って……?っ……痛いっ……!!」
「…………」
ギリギリギリギリ、と痛む肩に、少女は眉をひそめる。
強い痛みに流されそうになるが、少女は灼の言葉を拾い上げなければならなかった。肩を掴む男は虚ろな眼差しで、言葉を放つ仕草すら見せようとしない。
「紅月、って……、もしかして!」
「おん、今朝早くに紅尾神社に参拝したろぉ嬢ちゃん。俺ァそこの、……ン――、なんちゅうかな……まァ用心棒みてぇなモンでさァ」
ケラケラと笑う灼と、痛みに表情を引き攣らせてばかりの少女との対比が凄まじい。
会話を交わしている間にも少女へ加えられる力は増している。見なくとも分かる、きっと肩には掌状の痣が出来ているに違いない。季節柄、肌を露出する機会もないだろうけれど、それが救いであるかどうかは最早分からなかった。いっそ、どうでもいい。そもそも、出来ているだろう痣も簡単に消えてくれるのだろうか。
痛い、辛い、どうして、もう嫌だ。少女の思考こそグルグルと回っていて止まらない。不安と不満、溜まりに溜まった感情は黒くて。重くて。気持ち悪くて、たまらなく、不快でしかなかった。
「それで、まァ、なんだァ。嬢ちゃん、名前は?」
「あ、あか、ねっ……!」
「…………………あかね?字はァ?」
「朱色の朱、にっ……音楽の、音!」
「…………………………………………………………へェ。」
――少女が名乗った瞬間、強い風が舞った。
見開いた朱音の視界に、苛烈な紅の一閃が走る。
「思えば、礼儀を教えるのも面倒くせぇわなァ」
その一閃を描いたのは、灼が持っていた斧だ。斧が、スーツの男を容赦も躊躇も一切なく切り付ける。普通、そんな事をしたら肌から血が大量に噴き出すところだが――男から噴き出したものは紅く色づいた紅葉だった。
…………男は紅葉に隠れるように倒れてしまって、ピクリとも動かない。あまりにも動かないものだから、先ほどとは違った意味で朱音は表情を青くした。
跳ねる心臓を何とか抑えつつ、朱音が掌を男の口許に寄せると、微かな呼吸があった。……どうやら眠っている、らしい。眠ってしまっただけ、ならば良かった。何が何だかわからないままではあるけれど、とにかく……助かったのだ。
「朱音とは、いぃ~い名前してるぜ嬢ちゃん!気に入ったから特別に助けてやったわァ」
「……さ、さっき……な、なに、したの……」
「んン?あッ、嬢ちゃん、そいつァ駄目だァ、助けてもらったらァ?」
「あ、有難うございます!!」
「おん、そうだろォそうだろォ?」
若干、でもないが、会話のリズムの主導権を握っているのは明らかに灼の方だった。
朱音の頭が混乱したままなのが、いけないのかもしれない。だが、それでなくとも、灼の言動は独特で掴みにくい。何となく言わんとする事は理解出来るのだが、普通の会話らしい会話は望めない気がした。
「簡単に言うとだなァ、俺ァ転がってる奴の邪気を斬った。知ってるかァ?紅葉は邪気を祓ってくれるんだぜ、あかァい色がそうしてくれンのさァ。この斧はそういう風に出来てるから、人間自体を斬る事は叶わねェ」
「……………………………邪気を、斬る……」
「丁度いい、嬢ちゃん、指先でも何でもいいわなァ。ついでだからアンタの邪気も斬ってやンよォ」
「へ?え、あ、いや、ちょ、ちょ!?ちょっと待っ!!!?」
「はァい、御覚悟~」
ケラケラ笑顔の灼が、斧を振り上げる――これは、指先どころを斬る動作には見えない。明らかに、思い切り、朱音の頭から爪先まで余さず真っ二つにしてやろうという気概が見えた。
御覚悟、って、そんな、試し斬りでもなかろうに!
「―――っ!!」
朱音の事なぞ露知らず、そう、今回も先ほどと同じように、一切の容赦も情けもなく灼は斧を振り下ろす。いつだって、灼が振り下ろす手には迷いがない。
思わず両手で頭を庇って目を瞑った朱音だが、痛みは全くなかった。むしろ、どこかホッとしたような……仄かに淡く、温かい心地がする。まるで真っ暗闇の中で小さな蝋燭に火を灯したように、どことなく――安堵感があった。
「あァ――、……コイツは大当たりだなァ……」
朱音が感じた事とは裏腹に、灼の言葉と声色は堅く、意味深だった。
「目ェ開けてみなァ、嬢ちゃん。……アンタ、相当厄介なモン抱えてンぜェ」
「……?」
先程の男と同じならば。辺りに風と共に舞う紅葉がある筈だった。緩やかに踊る紅葉と、柔らかな風が――。
「……紅葉が、……黒い……?!」