表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜の国の侍従長  作者: 風結
9/16

五章 竜竜竜と侍従長 前半

「ゆぅ~~~~っっ!!」

 って、うわっ!? 弾き飛ばされた、いや、突き上げられたと言ったほうが正しいだろうか。純白に埋もれたかと思うと、風が圧し掛かってくる。体全体を擽ってくる、やわこい風毛の感触に、魂ごと引き摺られそうになるが。一巡りくらい堪能したい気分にさせられるが、心を竜にして、ラカの魔力を拝借して、正面に、空に視線を向ける。

 風竜は、真っ直ぐに昇っている。竜頭に座ってみれば、風の旅路が心地好くて、空の色彩に心を染めてしまいたい衝動に駆られるも、(ラカ)を奏でる純白を紡いで作った(ねぐら)にーー。

 ーー光は、風を(うと)んだ。透明なもので優しくなっていたから。罪の欠片もなく、光の届かない場所に、風は届けてしまったから。光が笑うと、風は呑気に旅立ってしまったから。

 眩しいものが多過ぎるから、一枚の羽根を見詰めていると、へっぽこ詩人の言葉が浮かんできた。一途さを責められるかのように、乱れて曖昧に、視線が固定できなくなる。光が(うと)んだように、風の狭間を見極められず、千片の真白に視界が凌辱(りょうじょく)される。圧倒的な無垢(むく)な色合いで奪い取ってゆく。

 近い、と思っていたが、人間(ぼく)の感覚では正確に捉えられなかったらしい。音より速く昇っているというのに、未だ辿り着かない。もしかしたら、あの幻惑のような羽根の一枚は、翠緑宮よりも長さがあるのかもしれない。人の感覚の埒外にあるような、不自然なようでいて自然な、囁き掛けてくる異様な威容(ものがたり)(まゆ)、のように見えなくもないが、乱雑に組み合わされている羽根の、()れて重なり合って、雪崩を打って迫ってくるような巨大な浮遊物は、見る角度によって風の城と見紛うことだろう。()しもやは規則性は見られないのに、あれは凄く優しい(うつくしい)ものだ、と心が受け容れている。

 風の悪戯で感覚が狂っていたのだろう、気付いたときには、空の白さは、世界のそれに変貌していた。ーー風の内側。自分で言っておいて、おかしなことだと思うが、実を伴わないような、そんな表現がしっくりときた。

 羽根の迷宮。風竜の(ねぐら)は、ラカの性格そのままのような、自由で(きままに)、遊び回っているようで、入り乱れる白羽の宴に、自然と漏れ出た吐息さえ迷わされてしまうようで。

「ぴゃ~っ!?」

 「人化」したラカは勢いが余ったのか、僕を残して風を昇ってゆく。正確には、上下に吹くものを風とは呼ばないので、って、今は言葉の定義なんてどうでもよくて、ぽわんぽわんな風竜のことである。わたわたと手足をばたつかせているが、上手く止まれないようだ。風竜なのに、自分の塒なのに、この始末。でも、それも仕方がないと思えるくらいに、千羽宮(ここ)は風で満たされて(あふれすぎて)いた。

 密度、という言葉を風に適用していいのかわからないが、前後左右に揺さ振られる僕の体が宙に、もとい風に留まっていられるのは、幾重にも積まれた古き風の匂いが源泉としてーーいや、この場合は、源風、のほうがいいだろうか。などと、取り留めのないことを考えて、そろそろ限界かと、余計なものを風に乗せてしまう。

「ーーーー」

 確かに、ここは塒なのだろう。何かがあるようで、何もないと言える。意識が、するりと寝転がって、行き場を失って。寝る以外のことをしようとすると、罪悪感のようなものを抱いてしまう。ここは風の心地にーー、透明になれる場所。馴染んでしまいそうに、風の(いざな)いに抵抗すらできず屈服させられる、(つい)の一風が、……わたわたのぽよぽよだった。あと序に、ぽわぽわのぽやぽやだった。

「っ、っ~」

 うん。頑張っていることは認めよう。風に抗って、僕の近くに、手が届きそうで届かない、風の隙間を埋めようと、頬に風を詰め込んだぷくぷく~な感じで、わたわたわたわた……わたわたわたわた……。熱風となったラカは、わたんっわたんっわたんっわたんっ、わたんっわた……あ、どうやら諦めてしまったらしい。風の抜け殻になった風竜が、ふよふよふよよんっふよんふよんっ。……って、風に遣られて緩み過ぎだ、僕。ああ、でも、無理かな。ここでは、何もかもが無駄な抵抗なのかもしれなくて……。

「ぷひゅ~」

 頬袋ならぬ風袋から、頑張りの(かぜ)が漏れ出てしまったようで、風任せで、その場でゆった~りと縦やら横やら斜めやら、くるくると風に(もてあそ)ばれていた。風の性質と言ったところか、風が生まれて、そして還るような風の(このばしょ)ではラカでも振り回されてしまうらしい。まぁ、風の塒で寝るのは久し振り(?)なので、四番の「ほくほく」を堪能するのも悪くないのだろう。風に包まれて、ぽやんぽやんな風竜を眺めながら眠りに就くのも一興。と薄れていく意識を手放そうとしたら、

「りえ。下も()う」

 突風(ことば)が吹いてきた(つきささった)ので、ぱちっと目が開いてしまう。ぬう、というのは、縫う、ではなく、脱ぐ、なのかな? 竜にも角にも、齟齬があってはいけないので、重要なことかもしれないので、確認を怠ってはならない。

「……えっと、下って、これのことかな?」

「生まれたままの姿になう。そのほうが効率がいー」

 穴開きの傷だらけ(じゅうけいしょう)の、ちょっといかしてない衣服(ズボン)を指差して聞くと。それ以外の選択肢などない、と言わんばかりの、いや、そこまで強固な意志が込められているわけじゃないんだけど抗い難いというか頭が拒絶しているというか氷には見られちゃったんだから風も見たら両成敗な感じですべてが解決されて万々歳……ごぷっ。

「……えっと、全裸はちょっと、心許(こころもと)ないというか何というか?」

 いやいやっ、のっぴきならないような事態に、壊れている場合じゃない! 従順な生娘のような、って、おかしな譬えをしてないで、別に強気なラカに心が怯んだとかそんな事実は存在してないっていうか、ーーうぐぅ、自覚しろ、ここが絶対防衛線だ! ここから一歩でも退いたら、風の虜になって、風竜の敬虔な信徒(どれい)になってしまうかもしれない!?

「ひゅ~。こんはわえに任せあ。りえ、我が儘はだえ」「……スナが?」

 あ、うん、ちょっといい感じで冷えました。いや、ほんと、愛娘様様です。

「ーーラカは、スナのことが好きだったりするのかな?」

 氷竜と風竜を顧みながら、二竜は認め合っているのかな、と聞こうとしたが、その表現は何か違うような気がして、おかしな物言いになってしまった。言ってしまってから、心臓がちょっと落ち着かず騒がしいので、思考を別の方向に曲げることにする。

 二竜は、死闘を繰り広げた。友情が芽生えた、などという単純な図式が頭に浮かんでくるが、それは保留にして。見るべきところは、スナが、操られたラカを制して助けたということ。「氷風作戦」で、僕はスナとラカががっちんこすると思ってしまったわけだが、あれ? 何だか体が熱くなってきたような気がするんだけど……。

「ぴゅ~。こんは、氷でこんこんっしなければ問題なー」

 氷漬けにされたことを思い出したのだろうか、むぎゅっとした表情の風竜。求めた答えと違う気がするが、今はそこを追究せず、じんわりと汗だか冷や汗だかが出てきてしまっている原因に意識を向けなければならない。

 僕は、氷竜と風竜が衝突すると思っていた。なので、「氷風作戦」とか持ち出して、事なきを得ようとしたわけなのだが。つまり、僕を取り合って(父親と寝床ががっちんこ?)、二竜の関係に亀裂が入ってしまわないように手を打とうとしたわけなのだが。……これって、僕の自意識過剰、思い違いの勘違いの筋違い(おおまちがい)? ぐはっ、羞恥心が暴発しそうになるが、事実っぽいものを理解するまでは、邪竜も笑って我慢我慢ーー。

 スナはラカに僕のことを任せて、風竜は助けてくれた氷竜に応えようとしている。何を任せたのかはわからないが、そこにあるのは、僕の(うわ)ついた桃色めいた(もつ)れなどではなく、明確な信頼関係。一人相撲というか一人竜棋というか、考え違いも(はなは)だしい。

「ーーっ、……っ」

 今すぐ穴を掘って隠れたいところだが、風の塒はすべてを明らかに、逃げ場なんてなくて、風に追い立てられるままに。この頃、竜に好かれていたから、それを当然と思って、傲慢になって。うぐぅ、恥ずかしい、というか、この生まれて初めて味わう、心も魂も掻き毟りたくなる高揚感というか罪悪感というかよくわからないものがもどかしくて堪らない。

「りえは、まだ定着してなくて、ぐらぐらだかあ。わえの塒で馴染ませう」

 はぁ、ふぅ、とりあえず、ラカが凄く大切なことを言っているようなので、余計なものはスナに、いや、今回は百の炎で焼いてもらって、ナトラ様に固めてもらう。

「定着ーーと言うと、どういうことなのかな?」「ぴゃ~。りえは、『千』を使って、体を修復しあ。『千』は、ただの衝動(ちから)で、通り過ぎるとき、りえはそこに、意味を付け足しあ。でも、『千』の衝動を使うには、りえは薄っぺらだから、存在自体が揺らいでう。細部への浸食は、こんよりわえのほうが得意だから、りえをぺたぺたして、固めるのあ」「…………」

 ……ととっ、竜が逆立ちしたかのような(げんじつからめをそらして)、知的な感じのラカに意識を(つまづ)かせている場合じゃない。ラカは、簡単な言葉で難解なことを語っている。これは、適度に集中しつつ、頭を、思考を緩める必要があるようだ。常識、という優しくも厄介な言葉(そんざい)を、二、三個、ぽいっと捨てる心象。少しだけ、軽くなったような頭で、風竜の言葉(かぜ)に触れる。

 「千」というのは、「千竜王」のことだろう。そして、「治癒」ではなく「修復」とラカは言った。今のところ、この「千竜王(よくわからないもの)」を僕は、「ただそこに在るだけのもの」と定義している。そこに在るだけの、ただの衝動(ちから)。百に食べられたお腹の中で、溢れた光が、いや、あのときは光のように感じたが、今では実感がない。恐らく、僕の願望、或いは意思がそう見せたのかもしれない。魔力だったのか「千竜王」の衝動だったのかはわからないが、僕を通り過ぎる、ほんのわずかな空隙に、それは発現した。

 お腹に触れる。アランとの試合のあと、百が僕の体内に手を入れたときの、大切なもの(きず)が奪い去られて(なくなって)しまった。テルミナを護ろうとして負った矢傷も、遺跡で、コウさんから手を放して樹に落ちたときに負った傷も。左肘に触れるが、指先には、小さな、膨らんだ感触を伝えてこない。スナと出逢ったとき、氷でうっかり切ってしまった、氷竜との一時(ふれあい)を思い出すまで記憶に埋もれていた、古くて懐かしい傷も。僕という存在を、塗り替えられてしまった気分だ。とはいえ、これは『千竜王』の衝動を使って、僕自身が行ったこと。ラカは、意味を付け足した、と言っていたので、この認識で間違いないだろう。

 「千竜王」ではなく、僕が僕を壊して(なおして)しまった。

「はぁ」

 体の、或いは精神の、どこから出てきたのかわからない溜め息を吐きながら、手を伸ばすと。その先には、千羽よりも魅力的な一風がくるくると弄ばれていて。視線と思考が風竜に引き寄せられて。

 ああ、そうだった。ラカは竜だった。日向のようにぽかんぽかんでも、軟風のように精神がふよんふよんしていても、叡智を具えた、至高の存在。……とわかっているはずなのだが、う~む、まぁ、ラカはラカで、僕にとってはそれが重要なので、問題は何もないということで、もう少し風竜から引き出してみよう。

「竜にも角にも、お負けで風竜にも、風の(ここ)で過ごせば、定着して、問題はなくなるのかな?」「風は、吹いて行った先でも、風なお。強く吹いても、弱く吹いても、りえはずっとりえなお。問題というのは、そこにあるだけじゃなくて、作り出してしまうものだかあ。なくすんじゃなくて、呑み込めばいー」「……えっと、『ぺたぺたして、固める』ということは、ラカが僕に何かしてくれるのかな?」「りえの魂が乱れてう。頭の中ごちゃごちゃにしてないで、もう寝るのあ。りえが寝たら、わえも始めう(・・・)」

 どうやら、好奇心の(うず)きを静めなければいけないらしい。ラカの新たな一面に触れて、沸き立つ心を、千の羽根の圧倒的な白さで塗り潰して、ゆっくりと息を吐く、というか、意識を馴染ませる。風の塒とはよく言ったもので、気を抜くと、意識が()がれるかのように優しく誘われる(ふきあれる)。

 風の導きだろうか、意識が薄れるほどに、ラカは僕に近付いてきて。風の悪戯か、風竜の心地に塗れる寸前に、すべては解けてしまって……。

「…………」

 このあと、ラカの言葉をちゃんと聞いておけば良かったと、後悔ーーはしなかったけど、反省を大いにすることになるとは露知らず、僕は呑気にも眠りこけてしまうのだった。



 風の通り道。それは何処にあるのだろう。目覚めの予感に、求めた答えは、(すこぶ)る明快で曖昧で、幻想に取り巻かれたそれに、見詰めるだけで、心を風に攫われるだけで。

 理解できないことがわかっていたから。ただ、あるがままを受け容れる。

 迷った光を、無邪気に遊ばせる、大きなーー見上げる空の果てまで続くような純白の羽根。そこには風竜がいた。よく知っているはずなのに、まったく知らない風竜がいて。触れられない、遠い未来から吹いてきた風のような、過ぎ去った痛切な別れを思い起こされるような、竜の微笑みがあって。

 光輝なる羽根を吸い込み始めた風竜は、僕のお腹にぺたんと座っていて。解けた、白き風となった羽根の名残を見届けることは叶わず、風竜ラカールラカーーラカに見惚れることしか出来なかったから、

 ぴと。ぷぅ~~~~。

 目を閉じて、倒れてきた風竜の、思っていたよりも優しい感触を伝えてくる口を通して体内に、いや、魂すらも(めぐ)ったかのような衝動に、血管と神経を散々に掻き回して、強制的に覚醒された挙げ句無理やり沈静化させられたような、抗い難い、というより、抗う意思すら風に散らされてしまう、充足感を伴った渇望に囚われていると。

 ぼんやりとした風瞳に僕が映っていて。その姿が徐々に消えていこうとすると、それを補うかのように、子を抱く母のように冒し難い、言葉にできない、言葉にしてはいけない、風竜の両腕が僕の頭の後ろに回されて、甘く蕩ける、深く深く魂を交えようと風を取り払って……、

 べりっ。

 ……まぁ、そんな音はしなかったんだけど、何というか、凄く現実的な音がして、へっぽこ詩人水準でおかしくなっていた僕の頭を、炎と氷が掻き回してくれる(ねぼけているばあいではない)。

 ばさっ。

 朝日に輝く布ーー魔布だろうか、薄っすらと透けるような正方形が僕の体に掛けられて、って、この床のかちかちの感触や、頼りない感じのすぅ~すぅ~具合は……。

 見ると、周囲には朝の光を蓄えた硝子の欄干。そこは翠緑宮の屋上でーーうん、空は綺麗だなぁ、とか周囲の竜の気配を感じつつ、天の国を空想してみるも上手くいくはずもなく。風竜の、(いささ)か危機感の足りない悲鳴に顔を上げてみると。

「びゃ~~っ!」

 ラカの右半分は獄炎(グレイズインフェルノ)ではなく極炎(あっちっち)で、左半分は氷獄(コキュートス)ではなく極氷(ひゃっこい)で。風竜の体の真ん中で、炎と氷ががっちんこ。……然ても、世界崩壊の前兆みたいで綺麗だなぁ、とか現実逃避を決め込んでいないで、スナと百に腕を抱えられて遠ざかっていった、哀れな風竜を助けようと体を起こそうとしたら、膝小僧ならぬ膝地竜が落っこちてきて、僕の頭を両側から、むぎゅっ、と固定する。柔らかいようで、内側の硬い感触に、地竜の姿を確認しようとして、ひらひらの内側の股の間のあれがそれな感じだったので(すべてはクーさんがわるいことにけってい)、視線を逸らすと、ぼとっぼとっ、と「転送」だろうか、愛娘が僕の横に落としてくれる。

「竜にも角にも、ラカールラカが何をしたのかの説明が終わるまではじっとしているです」

 ナトラ様の言葉以上に、皆の視線が気になったので、膝を軽ぅ~く曲げて下半身の形が強調というか目立たないようにする為に、魔布を平らにする。

 そうだった。眠りに落ちる前にラカが言っていた。脱う、とか、生まれたままの姿、とか。そんな重要なことを脇に置いて、間抜けにも寝入ってしまった僕に対して、風竜が実力行使に至ったからといって、それを責めるわけにもいかず。

「びゃ~っ、びゃ~っ」

 然しもやは魔布で大事なところを隠しつつ、気の利く(スナ)が用意してくれた服を着てゆく。と、そうだった、って、何かさっきからこんなことばかりおぼつかなき言の葉に、忽せにはあへず、ただ許し(たま)はらむ。

「えっと、百に食べられたときに、竜鱗鎧が魔力に還元されてしまったみたいで……、折角のスナの贈り物だったのに、一回で消滅させて(だめにして)しまってごめんなさい」「わえは、りえに食べられあ。意地悪なりえと約束しあ。次は、わえがりえを食べう」「「…………」」

 ……あれ? ラカとそんなことを約束した覚えはないのだけど。ん、んん? どうだったかな。ラカは、食べる、と形容したようだけど、たぶん僕の血を吸うことで、あ~、あとはラカに色々思わせ振りなことを言ってきたから、どこかで勘違いか齟齬が生じたのかもしれない。まぁ、後の祭り竜の祭りで、ラカの口止めには失敗したわけだけど。然ても、どうしよう、スナが笑っている、とても(ほが)らかに、楽しそうに(わら)っている。いっその事、怪我してしまうくらいの大きさでもいいから、氷を投げ付けてくれればいいのに。

「然かし。おかしな氷鱗鎧(もの)を食わされた故、吐き気などというものを(もよお)したか」

「「…………」」

 もしそうだとしたなら、僕も百もスナのお陰で助かったということになる。百は僕から、或いは「千竜王」から溢れ出た魔力で破裂していたかもしれないし、僕も道連れになるか魔力に還元されて消滅していたかもーーと懐古(かいこ)、ではなく、昨日のことなのだから回顧(かいこ)が正しいだろうか。などと気を逸らしつつ、寒気を誤魔化そうと試みるも、世の中、氷竜の笑顔のように甘々(げきから)ではなく。

「ぴゃ~~っっ! こんっこんっこんっ、びゃ~~っっ!!」

 ラカの右腕まで凍気が侵食して、旧に倍して、じたばたじたんっばたんっしている風竜だけど、損傷はないようだし、お腹を撫でられて嫌がる仔猫みたいで堪らな……ごふんっごふんっ。うん、きっとラカなら大丈夫だろう。然てしも有らず、命の危険があるので、僕にがっちりと固定されている氷竜の極寒(しせん)をどうにかするほうが先決である。

「ヴァレイスナ。リシェ殿には、あとで好きなだけ『おしおき』してあげれば良いです。話が進まないので、そのはしたない、駄々洩れの冷気を抑えるです」

 助かった、のかどうか微妙なところだが、感謝しようと上を見ようとして、魅力的な曲線やら暗がりやらから、ぐぐぐっと視線を剥がして。まぁ、照れ隠しというか何というか、手持ち無沙汰だったので、僕の頭を挟んでいるナトラ様の膝地竜、もとい膝頭が丁度良い位置にあったので、指先でさわさわして誤魔化そうとする(かんしゃのきもちをあらわす)。

「ぐ……、っが、……くふっ」

 然も候ず。効果があったようなので、愛娘のときのように、竜の求めに僕が応じないはずもなく、左右の膝頭を、強弱、緩急を付けて、さわさわさわさわさわんさわん。

「……くっ、地竜の防御を抜け…て、悶えさせて(ダメージをあたえて)……くる…なんて、くぅ…ふっ……」

 ナトラ様の姿に、理性という人間にとって重要なものが僕の魂を締め上げてくるが、頭ではわかっていても体が反応しない、ということは往々にしてあるもので。

「そこの恥竜っ! 何をいちゃついているですわ!?」「このっ、恥竜めが! 何を乳繰り合っているか!?」「ぴゃ~~っ! なおのばあっ! なっとーのばあっ!」

 またぞろラカが半分ずつ燃え凍っていたので、これ以上は収拾が付かなくなりそうなので、次で最後にする。五本の指先をくっ付けて、ナトラ様の膝頭の真ん中に、ぴとっと少し強めに押し付けて。すわ~と、これまた強めに外に向かって広げてゆく。これは昔、人間の感覚を確かめる為に、兄さんとくすぐりっこしていたときに発見した、兄さんの弱点の一つである。僕にはあまり効かなかったが、果たして地竜には、って、うわっ、

「ぐぅ…ぴっっ?!」

 びくんっ、と巨大な岩に大きな裂け目ができたかのように震えた地竜は、そのままの恰好で、ばたんっと僕の上に倒れてきた。

「っゅ!」

 声に出さないよう我慢したが、砂を詰め込んだ袋が落ちてきたような重い衝撃に、口から空気と一緒に妙な声が漏れてしまった。顔を上げようとすると、あー、何というか、太股の感触を味わってしまうことになるので、速やかなる適切な対処が求めらべっぶぅ!?

「がーっ! がーっ! がーっ!」「ぶわっ、何かごめんなざっ、ぜんぶ僕ぉがっ、悪がっ…悪かったのでっ、お怒りおばぁっ、鎮めたまばっらんことぼっ」

 ナトラ様は、ばたばたのばたんっばたんっだった。……いや、地竜の痴態に精神を遅滞(ちたい)させている場合ではなく。怒っているのか照れ隠しなのか、僕の上で、お菓子を買ってもらえない子供のように、手足をばたばたさせて癇癪(かんしゃく)を起こしている地竜の柔ら堅い(やわがちな)手足は、地味に損傷を与えてくるので、どうにかしたいところなのだが。運が良いのか悪いのか、いや、間が悪いのか、僕の顔が不適切な位置にあって、下手すると奥に顔を突っ込んで、炎氷の制裁の対象が僕に換わりそうな感じだったので、ーーああ、いや、どうやら手遅れだったようだ。炎氷だけではなく、僕への「おしおき」には風も加わっていたようで。

 どずんっっ。

 「絶火」と「氷絶」と「風絶」が同時に僕を襲ったのでした。

「「「ーーーー」」」「…………」

 まぁ、僕には魔法は効かないので、「結界」を張っていなかった地竜が(あお)りを食って正気に戻ってくれたので、ここは余計なことをせず、推移を見守ることにする。

 ぼごんっ。

「ぐふっ」

 「絶地」ならぬ魔法拳(おしおき)が僕の土手っ腹に直撃。魔力を纏った一撃だったので、損傷はないはずなのだが、罪悪感の分だけ地竜の魔力を受け容れてしまったようで、炎氷風の魔法よりも痛かった。溜飲が下がったのか、ナトラ様は憮然とした顔で移動して、僕にお尻を近付けてくる、ではなく、膝地竜で僕の頭を再び挟み込んでくる。

「えっと、僕の頭の拘束は続くのでしょうか?」「ーー大人しくしているです、リシェ殿。次は、尖ったでっかい岩を、高速回転させながら、口の中に突っ込んでやるです」

 然てこそ岩のように硬くなって、四大竜から目線を逸らす。

 竜にも角にも、地竜の「いいところ」は、あとでアランに教えておこう。「膝地竜事件」のことは、地竜と仲良しなアランに絶交されてしまうかもしれないので伝えられない。ナトラ様と一緒に寝たスナが偶然発見した、という体にしておこう。

「父様。空を見ているのなら、丁度良いですわ。空に何があるのか答えるのですわ」「えっと、風の根暗、もとい風の塒がなくなっているね」「ぴゃ~。わえはねぇくぅ~」

 これ以上は本当に不味そうだったので、雷竜の息吹で頭を覚醒させて、スナの意図を酌んで応える。と言いたいところだが、まだ不十分だったので、雷竜に噛み付いてもらってがぶがぶされてから、満足気な雷竜とおさらばする。然ても、空想ではなく現実の雷竜ーーリグレッテシェルナには伝わっただろうか。もう一度、次はきちんと僕の言葉として、(ことづ)けるとしよう。胸に手を当ててみれば、ラカとは異なる、深く根を張ったような衝動が今も、忘れ難い感触として残っている。

「ぴゃ~ぴゃ~ぴゃ~ぴゃ~っ」「……えっと、そろそろラカを苛めるのはーー」

 風竜が炎竜氷竜に左右から頬をぐりんぐりんされているのは僕の所為かもしれないので、目線は逸らしつつ地竜に助勢を乞うてみる。

「リシェ殿は、ラカールラカに何をされたかわかっているです?」「何、というと……」

 言葉に詰まってしまった。うぐっ、……うわぁ、思い出してしまった。夢の如き心地がするが、あれは確かに現実に起こったことで。唐突だったスナのときと違って、明確に、感触まで覚えている。然し、まるで儀式めいたあの行為に、不思議と羞恥心は湧いてこず、満足感というか充足感のようなものが僕を満たしている。あ、失敗した。どうやら、表情に出てしまっていたようで、愛娘が我慢の限界に達してしまったようだ(りゅうのしっぽをぶんぶんぶんぶん)。

「ひゃっこい! もう、もうっ、まどろっこしいですわ! 父様っ、あの風っころが造った羽根が何でできているか知っていますわ!」「……ラカの、余剰魔力?」「ひゃぐっ、……正解ですわ。あの羽根一枚創るのに、百周期掛かっていますわ」「というと、千枚だから、十万周期ーー?」「そうですわ。その風竜戯(ふざけ)た魔力を父様……」「う~ん、それって大丈夫なのかな?」「は? 何がですわ? 父様の体なら……」「えっと、これまで、世界(ミース)には通常よりも多い魔力がある、って何度も聞いてきたんだけど。十万周期分のラカの魔力も含めてのことなのかな、と思ったんだけど」「ひゃ、ふ……?」

 あ、珍しい。仔炎竜(みー)のような、ぽかんとしたお顔の氷竜(スナ)。愛娘の新たな一面を堪能したいところだが、そう悠長にはしていられない。スナが自身の状態に気付く前に、僕はナトラ様の腿を軽く叩いて、分析が得意な地竜にお願いをする。

「昔から、世界の魔力量は変わっていないです。ラカールラカの羽根の魔力は除外されていたと考えて良いです。多過ぎる魔力は毒になるです。ミースガルタンシェアリが世界に還った今、下手をすれば風の塒の魔力が流出して、人種は滅びていたです」

 なんだろう。コウさん関係だけではなく、フフスルラニードの双子やラカの風の塒まで、人類は危機に陥り過ぎじゃないだろうか。そこには何か繋がった、原因となるものでもあるのだろうか。などと、世界の異常に危機感を募らせていると。

「でも、ラカールラカの風の塒の魔力は、すべてリシェ殿に吹き込んだので、事なきを得たです」「はい……?」

 ……へ? ……なんですと?

「僕たちが見たのは、最後の一回だけです。リシェ殿にも理解できるようにわかり易く言うです。夜もすがら千回、ぷぅ~、と羽根の魔力を口から吹き込まれたです」

 ……あー。……うん、理解はできた、ような気がする(よくわからないけどよくわかったのだー)。千回のぷぅ~で「千風(せんぷう)」がラカによって施されたと、いつの間にか事案が発生していたと、そういうことだろうか。竜にも角にも、「千風(せんぷぅ~)事件」とでも名付けておこう。

「びゃ~びゃ~びゃ~びゃ~っっ!!」「百竜にヴァレイスナ、そのくらいにしておくです。そもそも、ヴァレイスナには、ラカールラカを責める権利はあまりないです」

 ナトラ様の言葉はスナの竜心に刺さったらしく、一時極炎が優勢になったが、愛娘が動揺を静めると、ラカの体の真ん中まで極氷が盛り返す。これは、ラカを解放するには、とっとと話を進めるのが良策のようだ。然あらば膝地竜をたしったしっ。

「……ヴァレイスナは実験をしていたです。リシェ殿は、魔力の調整器官ーー氷竜の『いいところ』を擦って放出された、氷竜の魔力の、最も濃い魔力を、今回のラカールラカと同じく、体内に吸収させられていたです。リシェ殿は自覚がないようですが、ヴァレイスナのーー氷濃(ひゃっこい)魔力は、普通の人種なら魂が凍り付く水準のやばい魔力(もの)です」

 ナトラ様の説明を聞いていて、一つ気付いたことがあったので、事実を暴き立てられて冷や汗を掻いている冷え冷え~な愛娘に質してみる。

「シャレンに抱き付かれたとき、(つね)になく取り乱していたけど、あれはシャレンの魔力が実験の妨げになると思ったからなのかな?」「二巡り程度なら、またやり直せば良いと、諦めたのですわ。父様とあの娘だけでなく、竜の国にはどういうわけか、おかしな者が幾人も集まっていますわ。たぶん、父様の所為ですわ」「えっと、そこで僕に責任を押し付けられても……」「何にせよ、実験の主要な部分は、風っころがやってしまったのですわ。私が慎重に、経過を()ながら、父様を気遣って、最大限注意を払って、心竜になるのではないかと思うほど心を籠めて、父様に愛してもらっていたというのにーー」

 誤解を招くような言葉は控えて欲しい。との言葉が喉まで出掛かったが、まだ話の途中だったので、ぐっと堪える。ここまで炎氷風地(ぐだぐだ)になってしまっているが、僕にとっても非常に重要な事柄が含まれていると思われるので、炎竜の熱線(さつい)から逃れつつ、大人しく待つことにする。

「岩っころ、ではなく、ユミファナトラ。その王様戯(ふざけ)た魔鏡で視た結果を話すですわ」「僕は、ナトラ、という愛称が気に入っているです」「わかったですわ、ナトラ。仲直りの手伝いくらいはしてやるですわ」「他竜のことより、自分のことからどうにかするです」

 ふむ。一夜を共にして、もとい共寝(ともね)ではなく同衾(どうきん)、って、いやいや、言葉の意味はどうでもよくて、二竜は色々と語り合って、心の距離を縮めたらしい。

「リシェ殿を視たところ、僕がわかる範囲で、何一つ変わったところはないです」

()もあろう。仮に、風の塒の魔力量を一京ガラン・クンだとしたなら、主に注がれた世界の半分に相当する魔力は何処へ行ったというのだ」

 頷きながら、何故か嬉しそうに、というか愉快そうに、という表現のほうが近いだろうか、満足そうにしながら百はナトラ様に尋ねる。

「その答えを識っている者がいるとするなら、リシェ殿です」「……僕?」「リシェ殿がわからないというのなら、僕たちが憶測を述べ立てたところで意味はないです」

 話が逸れているような気がしたので、竜膝をたしったしっとすると、了解してくれた地竜が、どどんっと結論を差し出してくれる。

「ヴァレイスナとラカールラカは、手法は違えど、同じ目的の為にやったです。わかり易いのでラカールラカに当て嵌めれば、こうなるです。今のままでは『もゆもゆ』の寝床は百周期も持たないので、もっと永く使えるようにしようとして失敗したーーかもしれないです」「……それって、僕の寿命を延ばそうとしたってこと?」「端的に言えばそうです。でも、ラカールラカが望んだのは、竜の領域(こちら)に招くこと。リシェ殿の存在を根底から創り変えることだったとしても僕は驚かないです。それに、懸念はあるです。ラカールラカは、こんなでも、あんなでも、そんなでも、竜の中でも直感に優れた、別格と言っても良い、……何だかもう()めたくなくなったので、ここら辺で止めておくです。竜にも角にも、これ以上は経過観察が必要です。だから、もう一つの問題について明らかにするです」

 もう一つの問題、とナトラ様が言及した瞬間、ぴりっと緊張の糸が張り詰めたーーと思ったら、直後には「もゆもゆ」な感じになってしまったのだが、はて、何が起こったのだろうか。空寝だろうか、ラカが眠ってしまったので、もゆんもゆんな雰囲気を誤魔化そうとしたのか、特大の炎氷(めざまし)

「ぴゅー」「この風っころ、もう慣れやがったですわ」「このすちゃら風めが、どれだけ羨まーーけしからんのだっ……」「僕が話すので、そこの『最強の三竜』共はもう黙っているです」「「「…………」」」

 これまた珍しい。炎氷風が地竜の言葉で一様に大人しくなってしまった。

「ラカールラカは千回、リシェ殿に魔力を吹き込んだです。でも、僕たちが遣って来たのは千回目です」「ああ、スナとナトラ様は一緒に来たとして、百も同時だったということは、千回目に何かがあった、ということですか? ーーん、あれ? ナトラ様、何か背負っているんですか?」

 視線をひらひらな布のぎりぎりまで寄せると、何か重たい物でも入っているような大きな袋が、見えたような見えなかったような。

「……これは、土竜茶(どりちゃ)です」「昨日振る舞ってやったら、生産者のところまで付き合わされる羽目になったのですわ」「グラニエスさんのところまで? えっと、竜の『味覚』でも、味は変化するのかな?」「『味覚』は器官ではなく能力のようなものですから、味は変わらないですわ」「ということは?」「…………」「揶揄(からか)う為に飲ませたら、磨き上げた鉱石のような竜眼を向けられたですわ。ただ、他の地竜に飲ませてみるまでは、保留にしておきますわ。あと、父様も話を脱線させていないで、黙っているが良いですわ」

 確かに。地竜が角を曲げてしまわない内に、三竜よろしく静聴することにしよう。然ても、「地竜も大好き土竜茶」と土竜茶の売り文句として商道に反したことをしてしまったが、嘘ではなかったものの、正しくもなかったらしい。まさか、あの泥臭い土の味を気に入ってしまうとは。でも、属性のことを勘案すれば、おかしなことでもない、のかな?

「……どうやったのかはわからないですが、ラカールラカは九九九回まで、外部に漏らさないーー悟らせなかったです。そして、千回目の接吻(せっぷん)で……一気に解放された(きた)です。

 ……リシェ殿との、千回分の粘膜接触(まじわり)が、狂おしい感触が、壮絶な求めが……一回だけでも溢れそうになるのに、それが……千回もですーー溜まりに溜まった凶悪的な、それでいて蠱惑的な、悩殺というか竜殺というか、そんな絶竜的衝動が……体を、心を、尻尾を、角を、鱗を、魔力を、精神を、魂を……凌辱する勢いで、撫で回されたです、揉み(しだ)かれたです、吸われたです、貫かれたです、掻き回されたです、注がれたです……」

 ……なにがしくれがし、なんというかかんというか、みーやコウさん(おこさま)には聞かせられない、反応に困る表現がたんまりと詰め込まれていたわけだけど。見ると、ナトラ様の述懐で再体験(フラッシュバック)したのか、みーにぎゅぎゅ~とされたかのように上気して、内から湧き出る情動に必死に抗いながら、ラカ以外の皆が、僕の視線というか僕自身を拒むかのようにあっち向いて(もうたまらんです)。いないいない(もうすきにしてください)、ということで、俎板の上の邪竜(きっとぼくはおいしくないです)

「リシェ殿と行動を共にしていた僕たちは、免疫なのかどうなのか、耐性があったようで、何とか抑え込むことが出来たです。でも、あれは駄目です。あれは本当にやばいです。あんな衝動(もの)()られた大陸(リグレッテシェルナ)の竜たちは、今、大変なことになっているはずです」「ぴゃ?」「「「…………」」」「ヴァレイスナの『結界』に加えて、僕も『結界』を張ったです。これから更に強固な『結界』と、それ以外の対策も施すです。しばらくしたら衝動に駆られて、リシェ殿を、『千竜王』を求めて、耐え切れなかった、(かつ)えた竜どもが竜の(ここ)に遣って来るです」「ぴゅ?」「「「ーーーー」」」「三日間は、様子見をするです。それくらい経てば、衝動も収まるはず……です」

 どうやら、思っていた以上に深刻な事態になっていたらしい。

「ーーひょっとしなくても、すべてはラカが悪いと?」「ぴゅ~!? りえっ、それは違うと思うのあ!」「それは確定。或いは、父様が『もゆもゆ』なのが悪いですわ」「もしかしなくても、スナ、怒ってる?」「過ぎてしまったことは仕方がないですわ。父様の初めてを奪っておいて良かったと、安堵しているところですわ。風の塒に行くのを許可したのは私自身なのだから、怒っていたとしても自分に対してですわ」「えっと、判決は、その、どうしようか? 三日間『もゆもゆ』接触禁止令ということで?」「びゃ~~っっ!?」「罰は必要ないであろう。三日も遠ざければ、頭すっかす風はまた遣らかすぞ」「ぴゃ~っ! ほのっ、ほのっ、ほのっ!」「くっ付くでない! くっ、氷めっ、手を放しよったな!? もう良いわっ、向こうへ行っておれ!!」

 ぶんっ。きゅっきゅっきゅっきゅっ。ぽっひょん。

 百が硝子の欄干の向こうにラカをぶん投げると、見事な弧を描いて僕の胸に飛び込んでくる。ナトラ様の膝地竜から解放されたので、ちょっと残念とか、そんなことは微塵も思っていないので、即座に起き上がる。

「りえっ、りえっ、りえっ!」「何をやっているですわ、熾火」「……こんなものではない。そう言うておったユミファナトラの言葉の真意が、ようやっと沁み込みようが……」「ラカールラカは風竜です。風を閉じ込める(きめつける)のは止めたほうが良いです」「斯様な……」「ゆんっゆんっゆんっゆんっゆんっゆんっゆんっゆんっ!」「……ぼはぁ」

 僕とラカは、百の中火の息吹(やるきのないほのお)を浴びせられるが、このままだとどっちらけで終わりそうなので、炎に取り巻かれている内に、スナに、幾つかある質問というか疑問の一つを投げ掛ける。

「スナの鱗の欠片を通しての連絡は、草の海の、魔力の乱れの所為なのか、届かなかったようだけど。ラカールラカ平原に入ってから、竜の魂である百の呼び掛けが届かなかったのは何故なのかな?」「答えは単純ですわ。熾火(おきび)が竜の魂であると知ったあと、私の内にあるそれを、隔離(かくり)したのですわ。今も氷の檻の中で、冷賛(とっても)冷え冷え~になってますわ」「くっ、霜柱めが! 我の分魂に酷いことをするでないわ!」「ひゅ~。ほのに(かえ)う」「むっ、何を……。ーー氷よ、風は我に竜の魂を還したぞ。其方も還すが良い」「…………」

 べりっ。ぶんっ。ぽひょっ。

 百にくっ付いていたラカを僕に投げ付けたスナは、って、うわっ、離れていてもわかる、魔力が集まって、いや、冴える、と言ったほうが正しいだろうか、暴れ回っているようで安定している、もどかしいような魔力の流れを感じる。

 予感めいた何かを感取したのだろうか、百がスナに近付くと、雪の深森から現れたような、(いにしえ)の気配が佇んでいて。伸ばした両手が、逆に魔力をまったく宿していない炎の揺らめきに触れると、魂の移譲は無事に成されたようで。間近に居ることに心付いた二竜が、すすすっと不自然な感じで離れなければ、神々しいとすら言える場面だったのだが。

「父様にはわからないでしょうが、風っころが道を創ったので、私も還せたのですわ。風の性質とはいえ、本当に風竜戯(ふざけすぎ)ていますわ」

 何も聞いていないのに、答えてくれる氷竜。今度解剖してやるですわ(訳、ランル・リシェ)、と風が吹く間もなく元の、僕の大好きな愛娘に戻っていたので、余計なことは言わないことにする。風竜が怯えていた(ひゃっこいだった)ので、撫で撫でして(あたためて)あげる。

「崖っぷ地竜。我に竜の魂を返してくれても構わぬが、如何にする?」

 さすがに酷い言い様だったので、百を(いさ)めようかと思ったが、もしかしたらナトラ様も竜の魂を返せるかもしれないので、成り行きを見守っていると。

「えいっ、です」「ぬっ?」「えいっ、えいっ、です」「ごぉ!?」「えいっ、えいっ、えいっ、えいっ、えいっ、です」「ごっ、ぐぅっ、止めんか、もちも地りゅぶっ!!」「えいっえいっえいっえいっえいっえいっえいっえいっ、です」

 百の足下に、正面から後方に十本の小さな亀裂が入ったかと思うと、次は右から左へ、同じく十本の亀裂が入る。すると、拳くらいの大きさの、正方形に切れ目が入った床のーー十本ずつだから八十一箇所かーー二箇所が跳ね上がるように伸びて、防御に優れた若草色の外套を捲り上げる。百の肌色成分が多めな体を固定するように、或いは逃げ道を塞ぐように数箇所から跳ね上がると。あとは、まぁ、大変なことになりました。破壊魔再降臨(そこのけそこのけちりゅうがとおる)だが、すべてが終わったら、きっと、たぶん、ぜんぶ直してくれる、はずです。然てこそ凄く痛そうだけど、百は竜なので、それほどの損傷はない、といいな。

「えっと、ナトラ様。そろそろご寛恕(かんじょ)のほどを」「別に怒ってなどいないです。ただ、百竜の言い様が、気に入らなかっただけです」「道は未だ細いので、他竜にはまだ難しいですわ。中古竜が、古竜のように竜の魂の影響から脱するようになれば、状況が変わるかもしれないですわ」「「…………」」「それよりも父様、他に聞きたいことがあるですわ?」

 スナが真面目な話を始めた(てだすけしてくれた)ので、二竜が静かにしている内に先に進めてしまおう。

 父様の疑問などお見通しですわ(訳、ランル・リシェ)。勝ち気な顔も愛らしい竜娘を驚かせてあげたいところだが、質問の内容は至って普通なので、もったいぶっているなどと思われないよう、さっさと質してしまおう。

「『極氷水』と僕は勝手に呼んでいるんだけど、ラカに放った息吹のようなものは何だったのかな?」「ーーん。そうですわね、一息には説明できないので、先ずは、こう言っておくのですわ。あれは、現象、ですわ」「現象?」「魔法を使った際の、副産物、と言っても良いですわ」「ーー魔法の副産物? となると、闘技場でーー、百が室内で炎の球を使って、風で、循環させて臭いを一掃したんだけど、その認識でいいのかな?」「それで問題ないですわ。風の魔法が使えない人種でも、炎で風を吹かすーーそのくらいなら思い付くことが出来ますわ。ですが、炎で水を集めたり、風で水を集めたり、とその水準になると人種では覚束ないのですわ。ただ、これは人種だけでなく竜でも同じ。魔法を魔法として使うだけで、副産物としての現象を引き起こす為には用いていないのですわ」

 ここまでは、難しくはないが、こんがらがりそうな話である。つまり、あの「極氷水」は、魔法で直接発生させたものではなく、「極氷水」を発生させる為に、現象を引き起こす為に、間接的に魔法を使った、と。

「魔法を研究している内に、魔法だけではない、それに依って引き起こされる現象のことに気付いたのですわ。それらの現象の(たぐい)は、思った以上に複雑で深淵で、私を楽しませてくれたのですわ。ですが、同時に、それらの現象(かじつ)は危険でもありますわ。父様ーーと、そこの口が軽そうな不審火は、あの娘が遣らかさないように、この話は秘匿(ひとく)しておくですわ。あとは、そこの風っころ。言っても無駄でしょうが、少しは自重しろ、ですわ。

 竜にも角にも、『極氷水』について話してしまいますわ。当然ですが、氷竜は、竜の中で最も対象を冷やすことに長けていますわ。ですが、こちらも当然のこととして、低温にするにも竜の能力では限界があるのですわ。私は、それが気に入らなかったので、その壁を破ってやったのですわ。細部冷却、依存凍結ーー適当な用語がないので、まぁ、そんな感じのことをしながら色々と試していると。あるとき、特定の大気の成分が液体になったのですわ。これが中々に面白い性質で、千周期ほど研究にのめり込んだ結果、二百十六の併行魔法を用いることで、大量に発生させることが叶ったのですわ」

 コウさんもそうだったが、魔法のこととなるとスナの口の滑りも良くなるらしい。ただ、ちんぷんかんぷん、とまではいかないものの、余りにも人間(ぼく)の常識からかけ離れ過ぎていて、お伽話(とぎばなし)のように聞こえてしまう。

「操られたあの状態でも、風っころは危険ですので、ほんとぉ~~に慎重に戦ったのですわ。必要以上に追い詰めないように、演技も交えつつ、『スナ氷』の魔法を(こさ)えていって、やっとこ捕縛したのですわ」「ひゅ~。わえじゃないわえが迷惑掛けたのあ。でも、もうちょっと優しい感じだったら、わぁぇ~」「あー、はいはい、スナ、あんまりラカを苛めないで、って、そうだった、スナはまだだったね、はい、どうぞ」

 ぺり。ぽっすんっ。

「風っころな……」「ぱやぱや」「九番です」「……恩知らずな風ですわ」「びゃ~っ」

 べりっ。ぼこんっ。

 全力で投げられて、竜速(ちょっぱや)で帰ってくる風竜。ラカにしては珍しく、完全には勢いを殺せなかったようで、僕の左半身に子供にぶつかられるくらいの衝撃があった。

「えっと、スナ。十段階評価ではなく百段階評価だから、九番は全然いい評価だよ。今のところ、竜の中では一番高い順位だし」「そんなこと知ったこっちゃないです……わ?」

 手を伸ばせば、触れられる距離に居たから。甘い匂いに誘われて、自然に伸びていた手が氷髪に、新雪の淡い心地と繊細さを伝えてくる掌が、愛娘の冷気が溶け込んだのだろうか、雪の結晶の冷たい感触。軽く触れてから、すっと頬に手を当てて。

「うん、やっぱり。髪飾り、とても良く似合ってるよ」

 心の奥からじんわりと、愛しい気持ちが溢れてきて、もう片方の手をーー、

「……ぃひ、ひゃんっ! ひゃにゃ…な、何するですわ、父様!?」「ぴゅー?」

 背中に回そうとしたら、べりっとラカを奪い取って、風竜を盾にしながら後退(あとずさ)る氷竜。

「え? 何って、それはもちろん、ーー父娘の触れ合い?」

 う~ん、スナがスナっぽくない。と、何を言っているのかと思われるかもしれないが、それが率直な感想なので仕方がない。自分の判断の過誤だと、ラカに対して、あまり怒っていないようだし、百への拒絶感も以前より少ないように思える。何か気に掛かることがあって、精彩を欠いているというか、冷え冷え具合が足りないというか。

 東域に行っている間に発症しそうになった、とうか発症した(ておくれ)? スナ成分欠乏症の予防も含めて、もっと存分にスナの心地を、匂いを堪能したいところだが、これは夜まで待つのが賢明だろうか。

「スナ。それなりにでっかくて、凄く硬い氷を作ってくれないかな」

 スナの魔法に関する話を聞いていて、風が吹いてきた(おもいだした)ので、愛娘にお願いする。

「……ひゃっこい、ですわ」

 どすんっ、と空から二階建ての、一般家屋くらいの大きさの氷塊が落っこちてきた。ラカの肩の上から、ちらりちらりと僕を見ている氷娘が可愛過ぎて、僕の心臓というか魂というか愛情(よくぼう)がやばい感じだが、百の近くに寄って、魔力を拝借して、抑制効果抜群(あっちっちー)

「では次に、ナトラ様。万能結界を氷塊に張ってください」

「万能結界ーーとは、酷いお願いをされたです。性質に特化しないという意味での、僕が張ることが出来る最硬の『結界』なら、これです」

 スナの氷塊からは魔力を感じるが、やっぱり魔法はまだ駄目なようで、ナトラ様の「結界」は見えず、魔力を感知することは出来なかった。今回の旅程で散々な、もとい様々な、有意で得難い経験を積んできたわけだが、今に至るも、コウさん水準の魔法を直接ぶつけられないと、知覚することは敵わないようだ。

「最硬、と言うたが、あっさりと張りよったな」「「「ーーーー」」」「ーーくっ、そ、其方ら、然様な目で我を見るでない」「「「ーー、……」」」

 スナとナトラ様だけでなく、ラカまでじとぉ~とした竜眼で百を蔑視(べっし)、ではなく残念竜を見ていた。これまで、竜の能力や魔法について、わずかながらの知見を得た僕でさえ思い至るというのに。でも、まぁ、これも最大火力を持つとされる炎竜の属性の(さわ)りなのかもしれないので。然のみやは皆と同じような目で見るのは可哀想なので、仔炎竜の成長を見守るような、ぽっかぽかな感じにしておこう。

「ナトラ。小細工とやらで悦に入っていた、そこの燃え(がら)に講釈を垂れてやるが良いですわ」「僕にも衒気(げんき)はあるです。でも、竜の魂である百竜相手では気が乗らないです」「ひゅー? わえが話う?」「風っころに教えを乞う、という恥辱と汚辱を混ぜ合わせて面恥と赤恥を振り掛けたような、終末の宴的な情景が見たいのなら、ナトラも傍観していれば良いですわ」「びゅ~?」「……一応言うておくが、まったくわからぬわけではないぞ。ただ、完全に理解するに至っていないというだけだ」「わかったです。僕が話すです」

 多少は、スナの調子が戻ってきたのだろうか。まだちょっと固いような気がするがーーと視線を向けたのが不味かった、すすっとラカの後ろに顔を隠してしまった。

 竜竜竜(かしがま)しい、とか品字様(ひんじよう)にしたい状況に呆れたのか、ナトラ様が渋々引き受けてくれる。

「単純ではない、竜でも手古摺(てこず)るような魔法は、当然その為の研究を行い、効率化や手順の簡略化などを模索しておくです。そうすることで大抵は威力を犠牲にすることになりますが、戦闘に於いて即座に発動できなければ、その魔法は、使えないのと同義です。でも、ヴァレイスナのように戦略的に戦えるなら、まだ遣りようもあるです。

 それとヴァレイスナも似たようなことをしていると思いますが、結晶構造に手を加えているです。『結界』には、僕の魔力を練り込んだ特性の、鉱物の粒が混ぜられているです。竜は、自身の力を過信しているところがあるです。僕たちのように、目的を持って研究する竜は少ないです。あるべき力をありのままに揮う、その最たる竜が炎竜で、ーー本能や直感で僕たちと同水準かそれ以上のことをしているのがラカールラカです」

 直感だろうか、それとも(たぐ)(まれ)な分析力に依るものか、僕の好奇心というか疑問の解消というか、企みを看破してきたので。頃合いかと、未だ氷竜の盾になっている風竜に尋ねる。

「ラカは、『風刃』を三つーー三発を同時に放つこと()つ同時に対象に当てることは出来るかな?」「ぴゅ~? 難しいけど、たぶんできう」「む? 単純な攻撃魔法を同時に複数放つなど、容易(たやす)きことではないのか?」「相も変わらず、燃えさしのままですわね。父様が言った『同時』ーーの基準が違いますわ。竜の感覚でも差異(さい)を見抜けないくらいの、等量。籠める魔力量に性質、均一性。『同時』を求めるなら、周囲の環境も影響するので、それを整える必要もあるのですわ。ぼうぼうと燃え盛るだけの炎を同時にぶつければ良いと思っている消し炭は、逆立ちしているのがお似合いですわ」「っ! この薄ら……」「あー、はいはい、竜にも角にも、そういうことは後にしましょうね~」「ぬぅ、しぃっ??」

 スナがラカを盾にしているので、僕は百を持ち上げて盾にする。お腹に回した手が擽ったかったのか、それともラカの「千風」の余波(かぜ)が揺り戻したのか、炎竜がぽっかぽかで心地好すぎて放したくなくなってくるが、心を竜にして、エーリアさんが僕の執務室で放った奥の手ーー「風降」の話を続ける。

「というわけで、ラカ。あの、とっても硬い、竜の爪も割れそうな氷塊精鉱(スナトラ)結界に、正三角形が刻まれるように打ち込んでもらえるかな」「ひゅ~。わかっあ。でも、初めてだから、りえのあったかくて柔らかいもののように、硬くならないようにふわふわになるまで揉まないといけないから、少し待ってるのあ」「「「ーーーー」」」「…………」

 いや、誤解ですよ。と誰に言ったらいいのかわからないので、雷竜に頼んで、遥か遠くの竜の民に届けてもらう。然ても、いつもの軟風な表情(ぽやんぽやん)が、強風くらいに真剣味が増すと、風を揉んでいるのだろうか、手をわきわきさせながら、……いや、笑っちゃいけないんだけど、真面目に揉み揉みしているラカが壺に嵌まったので、炎髪に顔を埋めて、日向の優しい匂いを嗅ぎ嗅ぎくんくん。風竜の集中を邪魔しないようーーん? ぼっ、と炎竜が燃え上がったのと同時だった。

「ぴゃぴゃぴゃぴゃぴゃぴゃぴゃぴゃっっ、ぴゃ~~っっっ!!」

 ざしゅっ。しゅごっ。

「「「「…………」」」」「ぴゅ~っ」

 りえ、いっぱい褒めて(訳、ランル・リシェ)、良い仕事をした満足気で風満帆(まんぱん)な風竜は、氷竜の盾を引退して、邪竜(ぼく)の守護に復職をーー、

 かっちん。がっちん。

 ーー右半分が氷漬けで、左半分が岩漬けでした。左は岩なので、氷塊に閉じ込められた右半身だけが視認できる風竜の姿は、何とも非現実的(シュール)で、哀れさを表現しているようで涙が出てきそうです。

 氷竜と地竜の合作である「飛び立つ風竜」、いや、いっその事「憧憬は輝ける風竜と共に去りぬ」くらいの作品名を付けてしまおうか。まぁ、やけにでっかい置物だが、目を潤わせてくれる芸術品めいた美しさと神々しさがあるので、しばらく鑑賞するとしよう。

氷塊精鉱(スナトラ)結界に、見事なでっかい穴が穿たれましたね。手前も奥も、穴の大きさが同じということは、完全に貫通したということかな?」「「…………」」

 あ、今度は二竜が、昼寝中の邪竜を見る目を向けてくる。弱火になった百の魔力からすると、炎竜は事態を把握していないらしい。

「……もしかしなくても、『風降』ってやばい魔法だった?」

「『風降』というのは、言い得て妙ですわ。父様は、『星降』や『時降』は聞いたことはあっても、『炎降』や『水降』はないですわね?」

 うっ、僕はそんなに信用がないのだろうか、隠し事は許さない、といった体で愛娘が確認してくる。おかしなことを言って茶化さないよう、首肯するだけに留めておく。

「父様は、私が『星降』や『時降』を行使しているのを見たことがありますわ?」「ーーそういえば、スナにも使えそうなのに、見たことはない、かな」「一言で言ってしまうと、これらは越境魔法なのですわ。大雑把に言えば、属性の枠を越えて行使される魔法ーーということになりますわ。竜には属性があり、その縛りが強固な故に、大きな力が使えるのですわ。然し、そうであるが故の弊害もありますわ。人種は、縛りが緩いので、越境魔法を行使しても疲労という形でしか表面化しませんが、下手をすると存在自体に損傷がでるのが、竜、という生命なのですわ」「え……、それって、ラカはっ! ラカは大丈夫!?」「落ち着くですわ、父様。威力も抑えてあったので、一度や二度使ったくらいでどうにかなるものでもないですわ。当然ですが、一番不味いのが自らの属性に関する越境魔法ですわ」「僕は、越境魔法が使えないです。使おうと思ったこともないです。ヴァレイスナは使えるです?」「風っころを引き合いに揶揄(やゆ)するとは、趣味が悪いですわ、ナトラ。ーー始原の海まで持っていこうと決めていましたが、あの風っころに、後塵を拝したなどと思われるのは(しゃく)なので、眼目(がんもく)以外は話してやるですわ。ーー『雪降』と、そのように私は(とな)えていますわ。これは実際に雪が降るわけではなく、心象から近しい言葉を拾ってきたのですわ。自らの属性を見詰めて、掘り下げていって、彼方に手を伸ばして、そして元に還ってきて、辿り着いた一つが『雪降』。『雪降』を使うとーー、……止まるのですわ」

 スナの周囲に、見えない雪が降っていた。深深(しんしん)と、それはスナの(ひょうじょう)が見せてくれた幻だったのかもしれない。星霜を跨ぐような心象を崩したのは、同様の周期を巡ってきた地竜だった。僕が(つか)えてしまって出せなかった言葉を、さらりと口にする。

「止まるとは、何が止まるです?」「あら、ナトラ? 本当に知りたいのですわ?」「知りたいです。でも、止めておくです。そこは自分から往くべき場所です」「賢明ですわ。ふふりふふり、そこの炭は何か質問はないですわ? ないのなら、父様の魂が(すす)で汚れない内に、炎は(ばっちいのは)とっとと離れるですわ」「黙れ、氷は(ばばっちいのは)、そこで氷柱を(くわ)えながら、不純物でも取り込んでおるが良い」「良く言ったですわ熾火……」「びゃ~~~~っっっ!!」

 炎氷の狭間で超臨界水でも発生しそうな感じだったが、氷岩漬け(かっちがち)だった風竜は、氷岩(スナトラ)を粉々にした上に吹き飛ばして、更に障害竜(ひゃく)を丁重に風で吹き飛ばして、ぽすんっ、と一件竜着? ということで。僕との接触というか密着で、炎を溜め込み過ぎて、溶岩を吐き出しそうだった炎竜は、顔を背けつつ、僕からそれとなく距離を取る。すると破壊魔(ナトラ)様が、魔法か、或いは属性による能力なのか、こそこそと、というよりは、そそくさと、壊した床を直し始めた。

「五人、階段を上ってきますわね」「スナ。屋上(ここ)にはコウさんの魔法が施してあるはずだけど、ナトラ様の魔法で壊すことが出来たのはーー、えっと、万能系の魔法みたいなものじゃなくて、複数の魔法を使っているからかな?」「あら、父様もだいぶわかってきたですわ。父様にはわからないようですが、翠緑宮は洗練されていない大雑把な魔法が入り乱れて、混沌(カオス)になってますわ。もう、それは酷いものですわ。ギザマルの巣だって、もうちょっとちゃんとしてますわ。それでも、基本は外していないようで、竜並みの攻撃で壊れるようにしてありますわ」「あまりにも強固にしてしまうと、壊れたときの反動が大きいということ?」「それだけでなく、あの娘が不必要に魔力を籠め過ぎると、人種にとって翠緑宮は死地となるでしょうから、あの娘の師匠が苦労した、と推察しますわ」

 五人が上がってくる前にナトラ様は修復を終えて、何かあったのだろうか、周囲の魔力を探っているようだった。五人、ということで、いまいち予想が付かなかったが、……この組み合わせ、というか、意想外の人物の登場に、四竜を抱えて逃げたくなってしまった(きょうもしあわせないちにちでした)。

 僕と四竜に気付いて、揺るぎない歩調で近付いてくるカレン。彼女の後ろの、四人の少年たちの表情には、様々な色が塗りたくられているのだが。最後尾の、シアとカールとガルより五歳ほど上の周期の、はぁ、ほんと、ドゥールナル卿はどうして彼を連れてきてしまったのだろう。ああ、そういえば、ベルさんとの戦いのあと、何が忘れているような気がしていたが、どうやら彼のことだったらしい、って、いやいや、そんなことあるはずがない。……いや、自分に突っ込みを入れている場合ではなく。

「ははははっ、ここで会ったが千周期! ランル・リシェっ、耳をかっぽじって良ぉ~く聞け、誇り高き僕の名ぁぶがっ!?」「朝っぱらから煩い。余は朝が弱いのだ」

 眠たそうに目を擦りながら、不機嫌さを隠さず、明らかに手加減が足りない感じで、木剣を従者の少年の膝に叩き付ける。アランの弟だけあって、簡単に振っているようで、基本はちゃんと出来ている。剣を扱ったことがない者が不用意に振ると、それだけで手を痛めることもある。自爆するのなら構わないが、素人の場合、勢いあまって剣を投げてーー(ほう)ってしまうこともあるので、注意が必要だ。然しも無し、と無視したいところだが、そうもいかない。心配などしたくないが、少年たちの手前、心配というか気遣う振りくらいはしておこう。

「大丈夫なのかな?」「彼は、治癒術師で、その技量は確かなものです。ドゥールナル卿からも助言いただきました。『遣り過ぎなくらいで丁度良い』と仰っていました」「一つ、聞いていいかな。ドゥールナル卿は、どうだった?」「どう、と聞かれても……。実直で厳しい方かと思っていたけれど、不思議と親しみの湧く優しい方でした」

 カレンの回答からすると、彼女が大姪であることは明かしていないようだ。そうなると、エクリナスさんについては尋ねないほうが賢明か。藪竜になりたくないので、無関係な僕は、ドゥールナル卿の計画からは距離を置くこととしよう。

 僕が東域に行っている間に、サーミスール勢就中(なかんずく)従者の少年には、だいぶ苦労させられたのかもしれない。カレンの抑揚のない声音には、食傷(しょくしょう)しているのか懊悩(おうのう)諦観(ていかん)の成分が多量に含まれていた。とまれ、さすがにこれは言い過ぎかもしれないが、性格が炎と氷くらい違いそうな二人だけに、しこたま難儀(なんぎ)させられたであろうことは想像に難くない。ああ、そうだ、忘れていた。彼女の疲弊具合には別の要因があるかもしれないのだった。東域へ行って、カレン成分欠乏病に罹患したフラン姉妹が、昨夜猛烈攻撃を仕掛けた(あまえまくった)可能性が有りや無しや。

「毎日、この時間からやっているの?」「ええ、三人の鍛錬を、私と彼が指導することになっています」「やっぱり、誰か寝坊したら、連帯責任?」「当然です。自分の行動が誰かに迷惑を掛けることに……」「この女は酷いぞ。『中毒者』の兄上だって、ここまで酷くはない」「カール様?」「うっ……、じょ、女史の指導は的確で、余は満足している」

 教育が行き届いているようで、女史(カレン)の恐ろしさ(ただしさ)を思い出したのか、しゃっきりとするカール。それに比べて、一巡りの間に何かあったのだろうか、覇気が感じられないガル。

「ガル。何かあった?」

「別に、なにもない。カレンさんの指導についてくのが、すこし大変なだけだ……です」

 これは慮外。一巡り経っても、言葉遣いが直っていない。カレンが(おこた)るはずはないから、別の要因があるということか。

「くくくっ、ガルよ! 今以てその()(ざま)とは()(ざま)だな。物覚えが悪いと大へぶっ……」

 ぺしんっ。

「余に手を出すとは何事か!?」

 ぺしんっ。ぺしんっ。ぺしんっ。

「っ!!」「カール様。世の中には、他人が当たり前にできることを、どうやっても、どれだけ努力しても、出来ない人がいます。そして、そうであるなら、それは当人の責任ではありません。そうした、どうしようもないこと、を責めるのは、自らの格を、徳を損なう行為に他なりません」「…………」

 王族や貴族の素養(そよう)とは異なるかもしれない。然し、アランが僕に求めたのであれば、人としての、甘さではなく、弱さを受け容れられるよう涵養(かんよう)しなくてはならないと、そうは思いはするものの、僕自身が未だ未熟者であることに鑑みれば……、いや、でも、親友のアランとの友情の為に、無理を承知でーー、ふぅ、竜にも角にも、高望みしても仕方がない、今は、僕にできることをしよう。

「ガル。子供の頃、僕は今以上に(かたよ)っていた。出来ないこともたくさんあった。僕を引っ張り上げて、出来ないことを出来るようにしてくれたのは、兄さん。僕は覚えている。兄さんが僕に何をしてくれたのか。

 ーー断言はできないけど、言葉遣いを直す程度なら、僕が何とかしてあげる。そうだね、先ず、誰かの真似をしてみるといい。自分の内に、他者を住まわせてみるというのは、意外に楽しいものだよ」

 同周期の少年が一巡りも行動を共にしているのだ、ガルもカールも、そしてシアも、色々と思うところがあるようだ。治癒魔法が優れているというカレンの見立ては本当のことらしく、彼らの後ろで平然と、ふむふむと心得顔に頷いている従者の少年が目障り、もとい不愉快、いやさ、邪竜も食べない感じなので、なるべく視界に入れないようにしよう。然て置きて、四竜に見られて、というか見守られていると、羞恥心のようなものが湧いてきてしまうのだが、言行を誤ってはならない。そろそろ冷やしてしまった空気を暖める為に、軽い調子でカールに尋ねる。

「アランから聞いていませんか? 竜の国にいる間は、僕の弟子ということになっているはずですが」「……聞いている。兄上と互角に闘った化け物だと、爺が言っていた。ならば、余の師匠にしてやらないこともない」

 いや、クライゼさん。その言い方だと、アランまで化け物ということになってしまうのだが、良いのだろうか。何とも彼の忠誠心の示し方は、謎、というか、独特である。

「侍従長の最初のでしは俺だから、俺が兄でしで、カールは弟でしだ」

「ガルの分際で、兄を名乗るな! 殆ど同時だったのだ、兄も弟もない、同門だ!」

 押し掛け弟子に押し付け弟子。まぁ、確かに然したる違いはない。談論風発ならぬ談論風竜? お互いに突っ掛かっているが、同性の同周期だけあって、仲が悪くとも張り合いのある相手らしい。言い合いに参加しない三人目ーーシアがさり気なく僕の許に遣って来て、小声で警告、もとい報告してくれる。

「ストーフグレフ国でアラン様と互角に闘ったと、竜の国で噂になっています。ただ、詳細は知られていないので、リシェさんの名声に傷が付くことはないと思います」

 あー、誰の薫陶(くんとう)を受けたのか、以前は悪意をぶつけてきたり率直に懸念を伝えてきたりと、その程度だったのに、到頭(とうとう)シアは、皮肉を言うようになってしまった。周期が上の人間として、ここは皮肉に皮肉で返すのが最適だろうか、と考えていると、シアの視線がつつつっと僕の顔から下がっていって。

「主の唱導(しょうどう)は悪うなかったが、ほんわ風を引っ付けたままでは、台無しであろう」

「ぴゅー?」

 シアを挟んで横に並んだ百は、少年の行動(とまどい)の意味をわざわざ説明してくれる。初見である少年たちが、お日様をたらふく浴びた仔猫のような風竜の可愛さに……ごふんっごふんっ、いや、気儘なラカの言行に、不思議がっても何らおかしなところはない。

「出たなっ、悪竜! 余の運命の炎姫を今すぐ返すのぉだぶゅっ!?」

 ぺしんっぺしんっぺしんっぺしんっぺしんっぺしんっぺしんっぺっ……。

 もっと早く止めてあげればいいのに、とか思うのは、失礼に当たるだろうか。炎竜の腕を掴んだ地竜は、そのまま百の手を使って、カールの頭を撫で撫でする。

「僕は、ユミファナトラ。愛称は、ナトラです。仔炎竜のみーにとって、百竜は大切な存在です。みーが大切に想っている(もの)を、カールは、尊重することは出来ないです?」

「う……、そ、そんなことはない」

 ナトラ様は、昨日はアランと行動を共にしていないはずだから、王様と地竜の関係をカールに教えたのはユルシャールさんだろうか。兄の友竜というだけでなく、大地の如く包容力のある地竜には、不遜(つよがり)なカールも強く出られない(かたなしの)ようだ。うん、破壊魔だったり沸点が低かったり、そういった面が表出しなければ、一番竜らしい、或いは周期相応なのはナトラ様かもしれない。

 然もありなんむべなるかな。一番竜らしくないかもしれない風竜を、毎度同じく、ーーそうだなぁ、ナトラ様に(さと)されて、大人しくなった王弟からにしようか。

 ぺりっ。ごがっ。ぼとっ。

「ぴ」「なっ……」「「「「「…………」」」」」

 これは……、ラカは油断していたのだろうか。一瞬、びくっと痙攣(けいれん)したかと思うと、カールは振り返りざま半円を描くように木剣を打ち下ろす。風のように軽かった風竜は、直撃を食らったあと、風を失ったかのように地面に落っこちた。ゆくりない一撃に、ラカの魔力(かぜ)を貰うことさえ出来なかった。

「ひゃふっ、カール、だったですわね。『最強の三竜』の一角である風っころを倒したこと。存分に自慢して、吹聴して、誇って良いですわ」

 先に、油断、と言ったが、ラカは人間が自分に損傷を与えられるはずがないと、警戒していなかったのかもしれない。相手は子供だし、あれほどの強烈な斬撃、もとい打撃に遭うとはーーこれは不運と言って良いのだろうか。って、ラカをくっ付けようとしていたのは僕なのだから、他人事のように考察を加えている場合じゃなくて。

「ラカールラカでも、風の吹き止む間があったです。翠緑王の施した魔床(ましょう)の心地を堪能していないで、順位付けを行うです」

 ひょいっ。ぽっすんっ。

「っ、風竜は……」「たなたな」「三十六番です。悪くない順位です」

 風竜の怪我の容態を確認しようとしたカールは、ペルンギーの宝石の感触に、ラカの風竜語(さてい)とナトラ様の確定に、ぽかんとした、これまで目にしたことがない顔をしていた。もしかしたら、これがカールの素の表情なのかもしれない。

 ふむ。風竜が、自分の見掛けと同じくらいの周期の子供にくっ付くと、おかしい、というか、奇妙な感じになってしまっている。ただ、寝床の順位に、身長はあまり影響を及ぼしていないようなので、見た目も含めてラカ的には問題ないのだろう。

「では、ラカールラカを次に渡すです」「ひゅ~」「わ、わかった」

 これも竜の魅力なのだろうか、ナトラ様に唯々諾々として従うカールは、近傍(きんぼう)のカレンではなく、自分のところに遣って来るとは思っていなかった、とわかり易い表情を浮かべているガルの許まで歩いていって、ぽひょんっ。

「ーーーー」「ごぽごぽ」「五十八番です。平均内です」「ーーっ、……」

 やや緊張した面持ちの少年に下されたのは、カールとは別の意味で悪くない順位。これまで六十番を超えたのは、エルタスの六十四番とユルシャールさんの九十六番だけだから、変魔さんは例外として、寝床として人間は、平均以上が普通なのかもしれない。

 無言で歩いていったガルは、順位が気に入らなかったのか、風竜への敬意などまるで感じられずーーラカの感触を楽しむことなく、シアに押し付けるように、ぽすんっ。

 何となくだが、コウさんの魔力とも相性のいいシアは、高順位ではないかという予感があるのだが、さて、どうなりますやら。

「……、ーー」「ぞぶぞぶ」「ーーは? ……です」「「「「「…………」」」」」「びゃ~っ!」

 竜にも角にも、どげっ、と少年を足蹴にして、嘗てないくらいの、炎氷ですら引き出すことが敵わなかった激烈な、というか烈風な、ばたばた具合で戻ってきたので。ぎゅ~っと風直しをしてもらってから、カレンに向かって、ふよふよ~と送り出す。

「ぴゅ~」「ラカールラカ様。よろしくお願いいたします」「ぷくぷく」「な……、です」「ユミファナトラ様。順位は如何程でしょうか?」「ーー僕や百竜よりも高い、十五番です」「ユミファナトラ様の様子から拝察いたしますに、順位が高いことに問題があるのでしょうか?」「カレン殿の優位属性は、水だとわかるです。恐らく、風の属性ーー風の魔法などは苦手だと思うです。それでいてアランよりも順位が上というのーーはっ!?」

 どうやら気付いたようである。魔鏡でカレンを視た瞬間、びくっと軽く仰け反る地竜。

「リシェさん。僕の順位は、口にするのも(はばか)られるくらい悪いんですか?」「そうですね。では先ず、理由というより原因ですね、そちらから話してしまいましょう。恐らく、ですが、順位が高低した原因は、二人が所持しているナイフにあると思います」「カレン殿の、腰の投擲武器ーーナイフは、無属性なのかどうなのか、良くわからない代物です。シア殿のナイフもまた、とんでもない代物です。ラカールラカは感覚が鋭敏です。恐らく、翠緑王の手によるものと思われる、そのナイフからは、竜すら脅威を感じるくらいの、凶悪とも言えるほどの魔力が籠められているです。つまり、寝床に置いておけば、気になっておちおち寝てなどいられない、そういう危険物(もの)です」

 まぁ、予想はしていたが、コウさんが誠心誠意、丹念に、心づから造っただけあって、()てて加えて魔法使いの血や髪の毛、唾液が混ぜられているとあっては、どうやったところで真面(まとも)になるはずもなく。魔法王たる女の子の然らしめるところ、魔力剣は途轍(とてつ)もない武器となってしまったらしい。

「因みに、シア様の順位は九十八番です。ですが、魔力剣というか魔力ナイフをーーラカに近寄って貰えないという理由で、手放したりはしないのですよね」

「はい。ラカールラカ様には申し訳ないですが、このナイフを手放すことはしません」

 力を籠めてナイフを握るシアの顔には、迷いなど一欠片(ひとかけら)もなく、少年の心に住まわった魔法使いの笑顔には、竜の魅力も形無しのようだった。

「師匠にききたいことがある」「……?」

 (しば)し、呼ばれ慣れていない呼称に意識が停滞したが、ガルが僕をしっかりと見ていたので、一呼吸で立て直して首肯する。

「二日まえ、カレンさんにいわれて、課題で三つのことを調べるために、竜書庫にいった。調べている途中できになったことがあった。シアもカールも王弟だけど、俺にはーー僕には、その役割がよくわからない……です」「ガルは、探し物が得意なようです。着眼点は悪くないのですが、如何(いかん)せん効率のほうをどうにかしなくてはなりません」「くっくっ、ガルよ、そんなこともわからないの……」「それではカール様、ガルに教示していただけますか? 的確に、過不足なく伝えられなかったら、ーーそうですね、師匠として初めて、弟子に懲罰(かだい)を与えるとしましょう」「……ふんっ、今回は師匠の顔を立ててやる」

 カールとガルが反発し合って、シアが遠巻きにする、というのが(パターン)のようだ。そしてこちらも。従者の少年が出しゃばってこようとするので、早々にガルの疑問に答えるとしよう。

「ガルは、『大公爵の乱』は知っているかな?」「しって、いる…ます。祖父がいって…ました。…僕の、当時の当主は、そこで失墜(しっつい)し…ました」「ん~、ガルのご先祖様は、周囲に担ぎ上げられ、祭り上げられたのかな。でも、実際には他者に利用されていただけで、体良く踏み台にされて、最後には責任だけを取らされることになったーーのかな?」「ーーっ、……びっくりし…ました。師匠のいったことは、祖父がいったことと、まったくおなじ…です」「ふっ、やるではないか、ランル・リシェ! さすがは僕の生涯の宿……」「そう? じゃあ、調子に乗って、もう少し言わせてもらうね。ガルの一族はたぶん、良い主君の許でこそ、力を発揮できるのだと思う。だからこそ浮き沈みも激しい。それと、これは厳しい意見になるけど、ガルは先頭に立つのではなく、横か後ろに、補佐が向いていると僕は見ている」「……昔みた本から、たぶん師匠のかんがえが、……そうかも、しれ…ません」「と、話が逸れてしまったね。そろそろ話の続きに移るとしよう」

 僕が兄さんの口調を真似たように、助言を()れてガルも誰かの真似をしているらしい。まだまだぎこちないとはいえ、この調子なら、慣れれば敬語くらいならすぐに使えるようになるだろう。父親に叩き込まれたらしく、素養はあるのだろうから、急がず、じっくりと腰を据えてーーアランの期待を裏切らないよう有為な人物になってもらわなくてはならない。……何だか目的がおかしくなっているような気がするが、そこは気にしない方向で。

「『大公爵の乱』のあと、しばらく試行錯誤が続きました。特に誰かが意図したわけではなく、上手くいった継承制度が、そのまま大陸に浸透していったというところです。ガルも知っている通り、王の兄弟には爵位が与えられません。然し、それでは当然、兄弟から不満の声が上がります。そこで行われたのが、同世代での王位の持ち回しです。竜の国は特殊ですので、ストーフグレフ国を(たとえ)に引きましょう。現在、アランにはマルス様とカール様の二人の兄弟がいます。アランが退位した際、そうですね、兄弟が四十を超えていなければ、王位はマルス様に、次にカール様に継承されます。四十を超えると、王位は兄弟でなく、概ね下の世代に継承されることになります。周期に関係なく、同世代での了承があれば、また、貴族の承認が必要な場合もありますが、下の世代に継承されることもあります。アランはマルス様の御子に王位を継承すると明言し、それに異を唱える者はありません」「余は、別に納得したわけではないぞ」「後に、カール様がアラン以上の才気を見せ付ければ、兄弟姉妹も貴族も納得し、マルス様の御子が十分に成長なされるまで、カール様が王位に就かれる可能性は、ーーあるのではないかと」「何だ、その竜の奥歯を突くような物言いは」「王の下の世代は、王子と呼称され、マルス様の御子のように継承することが決まっている場合は、王太子と(とな)えられます。カール様も以前は王子であり、アランが王位を継承すると、肩書きは王弟となりました」「特殊といってい…ました…が、シアはどうなっていますか?」「シア様は、内側というより外側への対策としての要素が強いですね。後継者がいないと他国に付け込まれることがあります。シア様の目的が王になることなら問題ないのですが、そうでないのなら、竜の民に選んでもらうのも一つの手ではないかと考えて……」「っ! ランル・リシェ! それ以上は口を(つぐ)みなさい!」「黙るのは小娘のほうですわ。何の権利があって、口を……」「塞いだので、面倒の種を蒔くなです。人種の命運よりもリシェ殿が大切なのはわかるです。でも、ラカールラカだけでも大変なのだから、一々(こじ)らせるなです」「…………」

 ナトラ様に後ろから両手で口を塞がれて、二竜がくっ付いて可愛くなっている、もとい目の保養(ほよう)……いや、そうではなく、いやさ、そうなんだけど、そこも重要だけど、お負けでラカも、序でに百もくっ付けてしまいたいけど、眼目(がんもく)はそこではなくて。

「竜にも角にも、今の遣り取り、見聞きしたことを忘れるです。どうして僕がこのようなことを言っているのか、それがわからない内に口外しようものなら、『地竜の呪い』を掛けてやるです」「お爺様もユミファナトラ様と同意見です。ランル・リシェーーあなたは自分が先に行き過ぎているということを自覚なさい」「それで、『地竜の呪い』とやらは如何なものなのだ?」「くふふ、毎朝、目を覚ましたら、寝床が泥塗れになっているです」「然ば、欲深風にこそ、掛けねばならん報い(のろい)というわけか」「びゃ~っ! ほのっ、『風の呪い』を食らーっ!」「ぅぐっ!? 臭っ、この腐敗しよう風はどこぞで拾ってきたか!!」「ひゃふっ、炎風(くさいもの)には蓋をするですわ」

 意図したものかどうかわからないが、百はナトラ様の冗談に乗っかって場を暖めてくれる。それから両膝を、両手を突いて、我慢が限界に達したのか、腐敗臭を吹き飛ばす為に炎竜から、ぼっと炎が湧き出して。当然、スナが嫌がらせに(みんなをまもるために)、炎を消火する(ひゃっこい)。竜にも角にも、「風竜のすかしっ屁」事件とでもしておこうか。

「ーーーー」「…………」

 スナ以外の氷竜と、いつの間に仲良しになったのか、黒曜の瞳が冷たいです。じっと見詰めてくるので、百以外の炎竜と仲良くなって見返すと、熱いのが苦手なのか、カレンのほうから目を逸らしました。

 あー、これは軽率だったかもしれない。カレンに警告されて心付いた。僕の言葉が如何に不用意なものであったか。以前、竜の国の体制について、カレンやサシスと(だん)じたことがあるが。貴族という存在を排した中央集権、王と民は平等ーーこれらは竜の国が小国だから成し得たことでもある。つまり、既存の体制が敷かれていて、竜の国とは状況が違い過ぎる他国にとって、竜の国の有様がーー大陸の人々に知れ渡ったとしても、自国の体制を覆すほどの脅威になるとは見られていなかった。ーーと、ここで氷竜と雷竜の爪に同時に体を引き裂かれた。

「ーーっ!」

 ……はぁ、そうだったのか。僕自身、気付かぬ内に、承認を受けていたのだ。それが大陸(リグレッテシェルナ)にとって害悪であると判じられたなら、「至高の〝サイカ〟」たる里長が動いていたのだ。兄さんは、里長と時を同じくして竜の国に遣って来た。起こり得たかもしれない「もしか」を想定して、あえてその時期を選んだのかもしれない。

 民が自ら為政者を選ぶ。それを現出させることを里長は許容しないだろう。下手をすれば飛び火する。知ってしまったら、可能だとわかったら、後戻りはできない。先に行き過ぎている、とカレンは言った。辿り着くとしても、まだ早い、段階を踏まなければならないのだ。そして、僕にとって(ゆるが)せにできないーー竜のこと。僕たちは、竜の国を造った。竜の国には竜がいて、これから「痴話喧嘩」と「千竜闘破」に協力してくれた竜たちを招くつもりでいる。竜が、人の領域を超越せしめた存在が、人の世に何を齎すのか。

 ーー重い。これまでも押し潰されそうになるほど重かったというのに、これ以上のものに耐えなければならないのか。何があろうと手放さないと決めたはずなのに、僕はどれだけ弱いのだろう、ものの見え方が少し変わっただけで、もう(くじ)けそうになっている。でも、昔の僕とは違う。挫けそうになっただけで、挫けることはない。大切なものの為に何ができるのか、幾度となく自らに問い掛けてきた。だから、もうその部分では迷わない。

「ひゅ~? りえも『風の呪い』欲しー?」

 風竜の感触が心地好かったので頷きそうになってしまったが、いやしかしまて(こおりもほのおもだいすきさ)、思惟の湖から急浮上、ラカが変な気を起こさないよう風でぐるぐる巻きにしてしまう。

 何だかおかしな方向に流れてしまったが、ガルの疑問は解消しただろうから、まぁ、問題はないということで。地竜から離れて、炎竜よりは近いものの、僕とは微妙な距離を取りつつ、スナはいつもの(ぼくのだいすきな)笑顔で見上げてくる。

「ふふふのふ、階下で合流して、また五人遣って来るのですわ。『結界』を張っていても、あれだけ魔力でどんぱちやったのだから、感付く者がいたようですわ」「となると、アランと……ドゥールナル卿かな? そうすると、エクリナス様とユルシャールさんも一緒かもしれない。あと一人は、エンさんかな?」「それは無かろう。三日は安静にしておれと、縛り付けられておったからな」「エクリナス様とドゥールナル様の魔力と、このはっちゃけた感じの魔力はーー」

 従者の少年の些か不安を予期させる言葉が終わらない内に、王様二人を先頭に、屋上に上がってくる。続いて、ドゥールナル卿とユルシャールさん、それか…ら……?

「…………」

 見た目から、竜ではないかと思ったが、今の僕が竜の気配を(たが)えるはずもなく、満面の笑みを浮かべて走ってくる青娥(せいが)な女性は、勢いそのままに、風竜への気遣いだろうか、ラカを押し退けることなく飛び込んできたので、風竜の魔力を貰って衝突を緩和すると。イリアを彷彿とさせる、ぎゅうぎゅうぽこぽこなでなでもみもみさわさわぷにぷに(にんげんだろうがりゅうだろうがよくぼうのままにこうどうしてはいけません)……。

「お~っ、君があたしの嫁か~、兄様! こんなに可愛い少年()なら、そう言ってくれればいいのに!」「男に、可愛い、は褒め言葉ではないだろう。ドゥールナルに(なつ)いているから、戦士の如き肉体の、(いわお)のような男が好みかと思っていたが……」「もー、もーっ、わかってないわね、兄様! 理想と欲望はいつも噛み合わないものなのさ!」「まったく、いったい何の話をしているのか……」

 ……どうか天の国の、僕の祖先の誰でもいいので、このよろしいんだかよろしくないんだかわからないような状況を、というか、命からがらでもいいので、逃れる為の方法をご教授いただけませんでしょうか。あ、天の国にいるご先祖様たちが、皆で揃ってしかとかましてくれました。いやいや、そんな妄想で誤魔化している場合ではなっ、くぅっ、自身の魅力に頓着無(とんじゃくな)いのか、近過ぎる空色の瞳とカレンよりも大きな柔らかいものがぁ……ひゃっこい!? うわっ、ちょっと白過ぎてもあもあで、冷気が噴出な愛娘が見えないんだけど、竜にも角にも、ナトラ様が「結界」で護ってくれているようで、序でに僕のことも護って、って、ぷにぷには押し付けっ、ていうか腕が挟まって、ぱらぱらと(ひょう)が降ってきてるんだけど?! なっ、てか、めらめらの炎竜(あっちっち)が、空に向かってぼうぼうで、雹が落ちてくる前に蒸発して!! ふひっ、僕の肌質なんて確かめても意味はないからっ、何やら触発されたらしいラカも一緒にすりすりは止めない感じでっ??

 べりっ。ぺりっ。ぽすっ。

 ドゥールナル卿は、先ずは左手で女性を、それから右手で風竜を引き剥がして。躊躇(ちゅうちょ)なく隙間を失わせると、風で薄めたような空髪と風の尻尾が楽し気に遊び回っていて。

「ほぅわ~~っ!」「すにすに」「何これっ、欲しいっ、持って帰るっ!」「四十四番です」

 さすが老師が認める、竜の前にも不退転(じんるいさいきょうこうほ)、と噂される、って、いや、今僕が発意のままに言っただけだけど、つまりは竜を持ち出すくらいに凄い人であるってことで。炎氷が居回りに迷惑を掛けないくらいにはなったので、あとで潰す(炎と氷の魔力鑑定士、ランル・リシェ)、二竜とも潰してはいけないものを潰す気満々だったので、ぐぅ……落ち着け、僕! 頑張竜な、僕! この好機を逃したら炎氷(ひど)い目に遭わされるのは確定だから……っ、

「っ! ぎぃ!?」

 侍従次長(カレン)が全力で投げた木剣を避けたかと思いきや、背中に衝撃が走る。スナの魔力を感じ取ったので、更なる回避に努めたのだが、愛娘のほうが上手だった。氷の壁に弾かれたらしい木剣が、運悪く、いや、スナは僕の回避行動まで予測していたのか、というか警告なのか、心臓のある位置に切先が、みしりっ。……痛い、痛いけど、今は、仲が悪いかもしれない二人が、連携なのか協調なのかしたことを喜ぶべきだろうか。

 べりっ。ぽっすんっ。

「ーーーー」「すにすに」「同順位です。見た目も魔力の属性もだいぶ違うのに、面白いです」「ドゥールナルとお揃いかぁ~。やっぱり似た者父娘(おやこ)なのさ!」「エルナース様。先王が天の国で泣いておられるので、お戯れは程々に」

 エルナース・アルニスーー快晴の高みの空より澄み切った美貌を持つとされる「蒼の姫」。エクリナスさんの頭痛の種であるらしい、もはやわんぱくと言っていいほどの娘さんを簡単に(ぎょ)してしまうとは、手慣れているというか、本当に見事な手腕である。

 ぺりっ。ぽすっ。

「……、ーー」「ざぶざぶ」「七十八番です。ラカールラカとは魔力の相性が良くないのかもしれないです」「撫でても、あまり喜んでは頂けないようだな……。ストーフグレフ王は、終えているのか」「ふむ。私とユルシャールは東域で寝心地を査定して頂いた」「因みに、アラン様は二十四番の『なふなふ』で、私は『げごげご』でございます」「シア殿のように、特別な理由があるわけでもないのに、九十六番です」

 あ、ユルシャールさんが泣きそうだ。さり気なく自身の順位を隠したのに、問答無用で暴露されてしまった。どうしたものだろう、地竜と魔法使いの仲は、進展どころか後退しているようだ。自分より順位が低い者がいると知って、他意はないのだろうが、表情が緩むエクリナスさん。然てまた「ざぶざぶ」には長居したくないのか、僕に向かって自分から飛び出してきて、がしっ、と空の下にも風竜とばかりにエルナースさんに捕獲されてしまう。

「ぴゅ~?」「ちょーだい!」「駄目です」「じゃ~、ちゃんと返すから、貸して!」「わかりました」「ぴゅっ!?」「ん~、ラカちゃん? む~、ルラ~ルカ~、うんっ、ルカちゃんにしよう!」「びゃ~っ、駄目なお! わえにはりえのっ、……やっぱりいいお」

 ルカの愛称に、拒絶しようとしたラカだが、どうしたのだろうか、竜変ーーとまではいかないので豹変と言うべきか、前言を翻してしまう(かざむきがかわる)。

「ドゥールナル卿。エルナース様を捕まえることが出来たのですね」

「そうだが、そうではない。わしの()いた陽動に掛かりはしたが、待ち受けていた魔法部隊が突破された。然もあろう、帰ったら鍛え直してやらねばならん」

 それは、ご愁傷様です。と哀れな魔法部隊を想って、うっかり口が滑ってしまうところだったが、物言いたげな王様に視線を向けることで、言葉を飲み下すことに成功する。

「偶然だ。エルナースは、私たちが竜の国に遣って来ることを知らなかった。昨日、(ちまた)で噂の、グリングロウ国に観光に来ていた不詳の妹の気配をドゥールナルが察知して、私と彼で、全力で()った」「兄様とドゥールナルの二人がかりなんて卑怯だ~っ。あっ、ごめんね、君もいたから三人がかりだったさ!」「……いえ、早々に埋められて役立たずであった僕のことなどーー。この次は、抵抗できるくらいには鍛えておきます」「はっは~、見所はあるんだから、頑張るのさ! あたしの嫁候補になっちゃってるんだから、ドゥールナル成分をたんまり獲得しておくんだぞ!」「嫁候補?」「妹を国外に(せいりゃくけっこんで)放り出すのは危険だと判断して、国内の有力貴族の子弟から幾人か見繕っておいたのだ。彼もその一人で、最有力視されていた故、やっかみだけでなく権力争いから、命を狙われることもあったようだ」

 物凄く不謹慎で失礼なことだが、頭の中で未来予想図が展開される。エルナースさんと従者の少年が結婚して、後に王様と王妹が病気で、子を成さず夭逝(ようせい)してしまったとすると、彼がサーミスール王となることも……。などと考えて、怖気に襲われていると、明らかに作り物だとわかる笑顔を貼り付けて。ユルシャールさんがずんずんと進み出て、爆弾を、もとい妙案を口にする。

「エクリナス様、並びにエルナース様。では、こちらの嫁などは如何でしょうか。稀に見る良妻だと、私などは自負しているのですが」

 そうして紹介されたのは、誰あろうアラン。まさに天啓、竜の閃き、可能性自体を考慮していなかったので、まったく繋がらなかったが、お互いに伴侶はなく、二十一と十八歳と、周期も近しいので問題なくーーん? 何だろう、アランと、ラカを揉みくちゃなエルナースさんが、渇いたような目でお互いを見遣って、(おもむろ)に口を開いて断言する。

「駄目だな」「無理なのさ」「ひゅ~?」

 もう少しお互いのことを知ってからのほうが、とか言いそうに、もとい言いたくなったが、性格的に、或いは生理的に、若しくは本能的に、直感に優れた二人は察知したのかもしれない。これには変魔さんも二の句が継げず、泣く泣く諦めましたとさ。

 然てだに済んでくれればいいが、この面子(めんつ)ではそういうわけにもいかないようで。エルナースさんの隙を見て、穏便に腕の中から抜け出したラカに、「氷球」が直撃。形の良い、柔らかそうな胸に、再捕獲される風竜。

「もう風っころはそのままにしておけば良いですわ。それより父様ーー」

 愛娘に愛情の深さを試されている、というか、それだと僕の精神が持たなそうなので、強請(ねだ)られている、くらいに解釈しておこう。閑卻(かんきゃく)することも忽諸(こっしょ)に付することも、氷竜が大好きな僕が怠っていいはずもなく、声を大にして開催を謳い上げる。

「連峰の氷姫っ! ヴァレイスナの偉大なる功績を(たた)えて行われる、第一回ヴァレイスナ杯争奪武闘大会の開催をここに宣言いたします!! そして見事優勝した勇者にはっ!」

 右手をばっと振ると、合わせてスナの「転送」で、ごとっと蓋が開いた大きな箱が現れる。はっはっはっ、もうやけっぱちとやけくそでやけのやんぱちさんは大威張り!

「こちらのスナ箱から、賞品としてお好みの秘宝を一つ贈呈(ぞうてい)!」

 次に左手を前に突き出すと、一抱えもある大きな、汚れなき雪面の如き清純を宿した氷玉が四つ、ちょうど剣を振って壊し易い位置に出現する。

「大会へ参戦できるのは、氷玉を砕いた四人……」

 ぱっきぃぃぃぃん。

「ふむ。砕けたな」「あと三人です! 栄誉ある出場者に名を連ねんと欲する者は、己が魂を懸けて、苦難に打ち勝って頂きたい!!」

 愛娘の試練に耐えて最後まで言い切った(おねだりにちゃんとこたえた)、大音声の余韻が耳元を去らない内に、カレンと従者の少年が突貫。カールはアランの許に歩いていくと、無言で手を差し出して。受け取った魔法剣を持って、氷玉に向かってゆく。そして、こちらでも。優勝候補筆頭に対して、氷竜の祝福(かご)が降り注ぐ(けんげんする)。

「ドゥールナル。父様に係わる戦いで剣を失ったのですから、これを上げるのですわ」「あ、スナちゃんソード(改)」「ですわ」「《真》スナちゃんソード、も可です」「氷剣、ありがたく頂戴する」「「…………」」

 ヴァレイスナ連峰の最高峰の頂は、その様相から「天空の砦」と呼び習わされているが、ドゥールナル卿の二つ名として推挙したいくらいである。ギルースさんの「宝剣ヴァレイスナ」に比べて、刀身に深き青の心象が、心の弱い者なら魅入られるのではないかと危惧の念を抱いてしまうくらい、これは魔力なのだろうか、無色の冷気が立ち昇っているようにも感じられる。然ても、ドゥールナル卿は平然と長剣を持ち歩いているわけだが。

「というか、スナ。あの氷剣、人間が持っても大丈夫なものなの?」「心配ないですわ。あれは暴れ(ひゃっこい)なので、大丈夫でないなら、持つことが出来ないようになってますわ」

 うん、何のことかよくわからないが、たぶんスナの魔力と適合しない人間は、僕の折れない剣と同様の差し響きがあるのだろう。あと、暴れ氷ということは、刀身が振動していたりとかするのだろうか。

「ところで、スナ。鞘は?」「あとで造るのですわ」「造れるの?」「……半周期以内には造ってみせるのですわ」「それなら、もし期限内に造れなかったら……」

 ぱっきぃぃぃぃん。ぱっきぃぃぃぃん。

 耳朶に触れる二つの、心地好い響きの氷砕音。氷玉の冷気なのか魔力なのか、朝日に輝きながら世界に還ってゆく。従者の少年がどうやっても砕けなかった氷玉を、ドゥールナル卿が渾身の振り下ろしで、正に一刀両断。諦めの悪い、もとい不屈の魂を持ったカレンだが、エクリナスさんが氷玉の反対側で構えると、さすがに順番を譲らないわけにもいかず、氷玉が砕かれるのを静観することとなる。

「戦闘時には、スナが各々の体に二重の『結界』を張ります。外側の『結界』は、致命傷水準の攻撃なら一度で、それ以下なら三度で壊れるようになっています。内側の『結界』は人間では壊せないので……」「良いのか、主。それだと主は人間ではないということになりようが」「……壊せないはずなので、技倆を尽くし、全力で闘っていただきたい」

 内側に「千竜王(おかしなの)」が在るが、竜に傾いてはいるが、今のところ人間を止めるつもりはまったくないので、百の問い掛け(がんぼう)にちゃんと答えて(ていせいして)おく。

「シア様は、挑戦しないのですか?」「このナイフで砕けたとしても、それは僕の力じゃありません」「そこは問題ないと思いますよ。あの氷玉は、力ではなく技倆で砕けるようにしてあるはずですから」「ふむ。力任せに斬ってしまったが、それらの違いを楽しんでからでも良かったか」「はは、そうですね。あとは、ガルは試さないのかな?」「僕は、まともな戦い、では、カールにもシアにも敵わない、です。勘だけど、氷玉に剣がつきささる心象がまったくでてこない、です。だからたぶん、割れないと思、います」

 カレンは探し物が得意だと言っていたし、そうした感性をなくさないように、一応は師匠ということになっているので、気を配らないといけないだろう。

「凄いな~、眠ったら、うりうりしても起きないさ」「いえ、そうですけど、眉を顰めて寝苦しそうにしているので、もう少し優しくしてあげてください。じゃないと、返してもらいますよ?」「りょーかいっ! で、リシェちゃんは氷玉砕かないの?」「僕が屋上で闘うと、施された魔法を無効化してしまう恐れがあるので、不参加です。エルナース様こそ、試されては如何ですか」

 さらりと、或いはするりと、風が吹くように(いつもどおり)嘘を吐くと、誰も異を唱えてくれないので、ちょっとばかりの罪悪感が。

「う~ん? そうだね~、あたしは剣より魔法のが得意だからっ、一番弱そうな兄様を絶賛応援するのさ!」「…………」「では、最後の出場者はスナですね。やはり、竜の秘宝を手に入れる為には、竜を倒さないと、ですからね」「ひゃふっ、では、ドゥールナル。向こうで()りますわよ」「ご指名とあらば、承知した」

 スナの両手に、木剣を模した氷の剣が生成される。スナなら双剣でも問題ないとは思うが、一抹の不安が残る。スナも完璧ではない。僕やシャレンに不意を衝かれて、取り乱しそうになったこともある。竜は道具を使わずーー(ことわざ)の通りに、竜は武器に頼る必要はないので、剣を振るうのは今日が初めて、とかあったりするかもしれない。

 スナとドゥールナル卿の後を、カレンと従者の少年が追ってゆく。残りは、アランとエクリナスさんの試合を観戦するようだ。

 かんっ。かんっ。かんっ。

 性格とは反対の、と言ったら失礼になるだろうが、魔法剣は素直な剣筋で氷玉に打ち込まれる。何百と跳ね返されようと意に介さず、カールの一心に取り組む姿勢を見て、少年の意気を褒め称えるが如く、氷の剣が天に向かって真っ直ぐに掲げられる。

 その鮮烈なまでに、圧倒的な意志と魔力を見せ付けられて、周期浅き少年が、自分の意思とは無関係に手を止めると、静寂すら(かしず)いた、音が消えたような世界で氷竜は氷の剣を横薙ぎにする。

 がんっ。

「…………」「「「「「…………」」」」」

 がんっ。がんっ。がんっ。がんっ。がんっ。がんっ。がんっ。がんっ。がっきょんっ。

 どうやら公平だったらしいーーいや、別に疑っていたわけじゃないけど。自分で作った氷玉を中々砕くことが出来なかったのだから、例えばカレンや、もしかしたら挑戦していたかもしれない炎竜や風竜に、不利になるようなことはしていなかったと。

 氷玉を圧し潰すように壊した愛娘は、すなすなすな(ごうぜんと)と憤懣(ふんまん)遣る方ない様子で屋上の北側に。逆にカールは、アランに魔法剣を返す為に、憮然とした表情でこちらに戻ってくる。自身の力が及ばないことに納得できていない。僕には戦士の気質はないので、いまいちわからないが、少年のように(かつ)える者こそが、力だけでなく魔力をも受け容れた次の段階(りゅうのりょういき)へ行けるのかもしれない。

 然ればこそ、地竜の魔力が薄々で。辿ってみると、炎竜の後ろで岩になっていました。まぁ、それくらい、不動の姿勢で気配を消していたということなのだが。僕とスナのほうは、時間が解決してくれるーーそれも長くは掛けないつもりだが、積極性に欠けている(?)アランとナトラ様の為に、切っ掛けというか口実でも作るべきだろうか。

 ぶんっ。ばきんっ。

 ととっ、始まってしまった。スナが、未だ心中は猛吹雪なのか、先の氷玉の、十倍くらいの大きさの巨氷玉をぶん投げて、四者それぞれに構えて。冷たい鉄が砕けるようなスナ(ひゃっこい)音がしたので試合開始である。

「「「「「ーーーー」」」」」

 ーー綺麗な闘いだった。正統派対正統派、といったところか。少年たちが観戦しているので、それを意識してのことだろうか。一瞬だけ迷ったが、王妹風竜ではなく、炎竜地竜のほうに足を運ぶ。

「百と、ナトラ様。どうご覧になりますか?」「そうさな。力や技倆というより、総合力ーー強さが上回っている、と言うべきか」「経験の差、もあるです。戦場だけでなく、リシェ殿やベルモットスタイナー殿ーーそれに僕も鍛錬を手伝ったことがあるです。ドゥールナル殿の指導を中心とするエクリナス殿とでは、対応力に差が出るです」

 二竜がどのように考えているのか興味があるので、もう一つ尋ねてみる。

「二人の闘いは、最高峰と言っていいものだと思いますが、少年たちが手本とし、目指したとして……、えっと、何というか、その強さに憧れ、高みを目指し過ぎて、逆に弊害となるようなことはあるのでしょうか?」「明確な目標、強さの指標として、先を見据えるのは悪いことではなかろう。己を知らば、現在地を、何が出来ぬのかを悟り、活かす道も開けよう」「突撃と突貫の炎竜の癖に、考えが固いです。リシェ殿の前だからと、ええかっこしいは止めたほうが身の為です」「……色落地竜(いろおちりゅう)っ!?」

 もう、この炎竜は。焼け木杭に火水準で(なかがいいのかわるいのか)、炎地(ぼっぱつ)しようとしていたので、地竜が破壊魔にならないよう百のほっぺたを、むにむにむにむにむにむにむにむに。炎に色付いた百の狼狽(うろた)え様が、僕の更なる欲求を引き出して、魔法使いが仔炎竜を可愛がる(しばらくおめにかかっていない)姿を脳裏に浮かべながら、右手を顎の下に、左手は耳の後ろに、さわさわさわさわ……、

 からんっからんっ。

 ……僕たちのほうに、剣が転がってくる序でに、視線も遣って来たので。何事もなかったかのように、というか、何事もなく、エクリナスさんの中剣を拾っ、どげっ。

「相も変わらず、主は忘れっぽいな。主が触れなば、付与された魔法が無効化されるであろうが」

 はい。(かが)んだら、お(けつ)を蹴り上げられました。これは無理だと、頭を前に、足と同じ側の手を内側に、自分から踏み切って、ごろりっと前転してから立ち上がると、百はまだ炎がぼうぼうだった(おいかりをしずめてくださらない)ようです。柄頭が(けつ)(あな)を目掛けてきていたので、百の魔力を掴んで、ぐいっと右手で引っ張ってみる。

「ぬっ?」

 ごすっ。

 右側によろけた百だが、思っていたより魔力を上手く掴めなかったようで、立て直した炎竜の手にする剣の軌道は右上にずれて、お尻の上の上前腸骨稜(じょうぜんちょうこつりょう)の辺りに直撃。ぐぅおぉ、魔力操作の実践練習とか甘いことを考えていた報いを受けて、というか竜罰が下って、……うぐっ、体も動かして、ちゃんと(かわ)しておけば良かったーーと後悔しても竜の祭り炎竜の祭り。というか、結局剣を僕に触れさせてしまったわけだが。

 然てこそ僕たちがじゃれ合っていた(なかよしこよしだった)ので、自分のほうから剣を取りに来るエクリナスさん。ばつが悪そうな百から、真剣に観戦していなかったのが気に入らなかったのだろうか、冷たい目で僕を見ながら受け取ると、アランに向き直って、実直に質す。

「完敗、ではあるが。手加減していたーーというより、本気を出していなかった、と言ったほうが良いのか?」「ふむ。今、サーミスール王と闘ったのは、リシェと闘う前の私だ。リシェとの闘いで、私はまだ先に、深く潜れることを知った。この力は、未だ手懐(てなず)けるに至らず、消耗が激しい故、次戦の為に温存することとした」「魔法剣の能力(ちから)もまた、温存したということか?」「ふむーー」

 情報とは不利益を内包した有益な力である。一見すると、魔法剣の能力を秘匿するかどうかで葛藤(かっとう)に苦しんでいるかのように見えるが、友人、もとい親友の僕にはわかる、アランはそんなことで迷わない。この状況からすると、自分で話すかどうかでーー正しく伝えられる自信がないので、ユルシャールさんに任せるか思案しているのだろう。

「ユルシャールさんに任せてしまって良いと思いますよ」

「そうか、リシェが言うのなら、そうしよう」

 素直な王様である。素直過ぎて、遠くない未来にすべての負債が僕に圧し掛かってくるのではないかと想見してしまうくらいに、いや、この辺で有意義かもしれない妄想は止めておくとしよう。これ以上、未来さんに負担を強いていると、悪夢さんや現実さんと友達になって、おかしなことになってしまいそうなので。

「とのご指名がありましたので、僭越ながら私めが説明させていただきます。ご存知のことかと思いますが、ストーフグレフ国は小国でした。せっせと道を整備したり、関税や通行税等を安くしたりと、大陸中央の交易の中心として知名度はそこそこでした。特に、ユミファナトラ大河から西への中継港ーー商港として、かなり大陸に裨益(ひえき)しているのですが、今に至るも軽視される傾向にあります」「そうですね。そこまで大きな視点で見ることが出来る者が少ない、というのも理由の一つですね。ストーフグレフ国と三国同盟が対峙するまでは、どちらも今より荒れていて、自国優先、その目は周辺国に向いていて、その先には届かず、()して大陸全体へと至るほどの視野の広さを持ち合わせている国は少数でした」

 ユルシャールさんに押し付けることになってしまったので、〝目〟の視点から彼の補佐をすることにする。

「前王ホルス様の魔法の指南役及び友人であった私の父が、以前話してくれたことがあります。酒が入っていた、ということもありますが、このように父に愚痴ったそうです。『これだけ優遇してやっているというのに、どこまで強欲でーーそして、何であいつらあんなに偉そうなんだ!!』と」「南北の四国は、歴史ある大国でしたからね。それと現在の周辺五国が、分裂して今の形となって脅威でなくなってから、ああ、あと安定して裕福になってから時間が経って、危機感を失って、拗らせーーではなく、増長してしまったのでしょうね」「はい。増長した四国は、目障りなストーフグレフ国を潰そうとーー奪おうとしましたが、それを許すホルス様ではありません。そして、(つと)に名高いマルス様が後継とあっては手を出す隙がない。そうして歯軋りして悔しがっていたところに、美味しい愚弟(えさ)が現れます。それが魔獣(もうどく)だと知らず、他の三国に後れを取るまいと、軽々に出兵いたします。結果、逆に美味しくぺろりと併合されて(たべられて)しまうことになります」「魔法剣となれば、吟遊詩人に謳われます。その所有国は、ストーフグレフ国の北にあったアルタット国。ですが、彼の国は魔法剣を所有することを声高には語らなかった。若しや魔法剣を所有していないのでは? との疑惑さえ掛けられていましたが、彼らは沈黙を貫きました」「王位は剥奪、侯爵へと降格になると、伝え聞いていなかったアルタット王は、王族の助命を請うて魔法剣を差し出してきたのですが、実は彼ら、魔法剣をアラン様に譲る気など毛頭なかったのです。それどころか、事ここに至っても小狡(こずる)いことを企んでいたのです」「ああ、もしかして、アルタット国の人々、というか王族は、魔法剣を手にすることが出来なかったのでしょうか?」「さすがは侍従長、正解でございます。アラン様も魔法剣に触れることが出来ず、『であれば仕方がありません。以後も我々が剣を封印いたしましょう』という流れにしたかったのでしょうが、ここでアラン様、彼らの期待を粉微塵にし、普通に魔法剣を掴んでしまわれました」「それと、魔法剣に認められなかったーーつまり王の器ではないと喧伝(けんでん)して、失地回復を狙っていたのかもしれませんね」「のようですね。内々にですが、魔法剣を返して欲しい、と私に打診してきました。リシェ殿が看破した企みを、その時にはアラン様から教えていただいていたので、王様の言葉を一言一句正しく伝えると、すごすごと引き下がって行かれました。ーーさて、では、ここからが魔法剣の能力に関してなのですが、アラン様、明示(めいじ)してしまって構わないのですよね」「ふむ。人が通常考えるであろう魔法剣とは性質が異なる故、おかしな誤解が生じないよう、すべて話してしまって構わない」「はい。それでは魔法剣をお借りします」

 アランから魔法剣を受け取ると、僕のほうを見て、隙間風がぴゅ~、ととっ、やばい、ラカの影響を受けてしまったようだ、って、そうではなく、

「……そうでした、リシェ殿が持つと、とってもやばいのでしたね。求知心からで申し訳ございませんが、ーー百竜様、お願いいたします」

 見回すと、百の許に。片膝を突いて、君主に誓いを立てるかのように、魔法剣を捧げる魔法使い。百は無言で手を伸ばして、そして、手を戻した。不思議そうに自分の手を見た炎竜は、もう一度手を伸ばして、同様に手は元の位置に戻った。

「これは、面白いが。竜の力を使って無理やりに、というは止めておいたほうが良いか」「はい。百竜様、ありがとうございます。ということでアラン様、お願いします」「ふむ。了解した。百竜様。剣を持って頂いて構いません」「ほう。斯様なものかーー」

 アランが許可すると、今度は何事もなく魔法剣を掴み取ることが出来る。ぶんっぶんっと百は魔法剣を振ってみるが、何も起こらない。魔力を籠めても同様のようだ。

「所有者であるアラン様と、アラン様が許可した者ーーマルス様とカール様、とそうでした、クリシュテナ様もでした。あとは、私とパープット、そしてユミファナトラ様と百竜様が剣を持つことが出来ます。魔法剣の効果が及ぶのは、アラン様だけのようです。効果の一つは回復魔法ーーのようなものだそうです」「ふむ。体力が回復するのだが、感覚的には、疲れを喰われているようなもので、慣れるのに二巡り必要だった」「これが良かったのか悪かったのか、私のほうから頼まないと休んでいただけないほど、働かれてしまいました。付き合わされるこちらの身にもなれ、ってところですが、併合初期の混乱が少なくて済んだのは、紛れもなくアラン様の竜的活躍のお陰なので、文句も言えません」「魔法剣は、剣ではあるが、戦闘の為に造られたのではなく、所有者の幸福を願って造られたのではないかと、私は思っている」「他の効果は、確定したものではありません。アラン様は、周期より若く見られますが、魔法剣の効果で成長が緩やかになっているのではないかと推測しています。あと五周期か十周期経てば、判別可能でしょう。魔法剣を手にして以降、アラン様は風邪すら引かれたことがありません。ただ、元々魔力量が多いアラン様は、風邪など滅多に引きませんので、こちらは保留ですね。戦闘に関してなら、恐らく魔法剣の中では最低水準だと思われます。アラン様が仰ったように、所有者の幸せの為に、就中(なかんずく)製作者にとって大切な者の為に造られた故、悪心ある者には触れられなかった……」「ほう。我は悪竜だと?」「などということは勿論あろうはずもなく。恐らくは、アラン様が例外だと見るほうが適切ではないかと。アルタット王の先祖は手にすることが出来たとの記述があるようですから、血が薄れることによって所有者と認められなくなっていったのではないかと愚考する次第であります」

 然てしも有らず、魔法剣の話に聞き入っていたが、それが終われば自然と視線を集めてしまうのは仕方がないことで。いや、何のことかというと、当然、早々に試合を終えて遣って来ていた冷え冷え~な氷娘を肩車している彫像の如き老騎士のことである。

「…………」

 ひらひらの服で肩車されて、もといさせているので、あられもない娘は大腿(だいたい)を、股関節なんて見えませんよ、とはっきり言えるくらいではあるけど、()いていないことを知っている人は結構いるので、初心(うぶ)な少年であるところの、シアが目を逸らしてしまうくらいなので、そこら辺は察して頂けるとありがたいです。というか、カールとガルは興味なさげなのだが、周期頃の少年として、それはどうなのだろう。千周期の恋も冷める、なんて言葉があるけど、闘技場で変魔さんに黄色い声を送っていた女性たちに見せてあげたいくらいである。……あれ? 僕って竜と戯れているとき、あんな顔はしていませんよね(にんげんしっかく)?

「ドゥールナル卿。うちの娘と遊んでくださって、ありがとうございます」「ランル・リシェ、気を付けるが良い。貴卿、師匠に似ておるぞ」「それは嫌なので、ドゥールナル卿の言、しかと身と魂に刻みます」「…………」

 僕とドゥールナル卿の思惑が一致したというのに、冷え凍え~な(ひゃっこい)ままです。一応進行役なので、僕が犠牲の侍従長(スケープリシェ)ーースケー・プリシェ。意外に語呂がいいかも、って、そんなことを考えている場合ではなくーーにならないといけないようなので、肩車させておきながら大人しいという、珍らかな愛娘に、むっつりな氷竜に水を向ける、もとい氷を溶かさなければならない。とか覚悟を決めていたら、冷え過ぎは良くないと思ったのか、ぶーたれた竜娘のほうから話し掛けてきてくれる。

「人間の目では追えない、反応できない速さで動いたのですわ」「うん。でも、予測とか経験とか、そういうのもあって。僕でも、見えなくても結構どうにかなったりすることもあるから、『剣竜』とも譬えられるドゥールナル卿相手では十分ではなかったかな」「勝手に二つ名を付けるでない。ーー経験を積まれた氷竜様には勝てぬ故、油断を誘ったあと、一撃に懸けた」「最終試合を待たず、氷竜が倒されてしまいましたが。ドゥールナル卿、『氷竜殺し』のほうがいいですか?」「ひゃふっ、ひゃふっ、ひゃふっ、ひゃふっ!」

 まぁ、そういうわけである。氷竜の油断か、或いは予測を超えたドゥールナル卿の、人の限界を見極めるかのような魂の一撃が、竜の力と感覚を潜り抜けて、到達した。

「…………」「ひゃぶ~、ひゃぶ~」「可哀想だから、ではなく、最終試合を始めるから、頭を叩いたり髪の毛を引っ張ったりするのは止めようね」「わかってますわ。ちょっと拗ねていただけなのですから、父様はもっときちんと娘を(なだ)(すか)すのですわ」

 座った状態から、反動をつけて、ぴょんっと跳び上がると、ドゥールナル卿の頭を越えて、たしっと上品な着地。目を閉じて、ひらひらの内側を見なかった戦士は、紳士でもあるようだ。然てまた雰囲気が変わったのがわかる。一言で言えば、魔力の流れが、(こわ)くて(こわ)い。「騒乱」を想起させられる。僕にとっては、自分の力だけでは及ばなかった恐怖のーー乗り越えなければならない苦い記憶。空気が薄い。勘違いだとわかっていても呼吸が早くなる。それを自覚した上で()じ伏せる。ふぅ、まったく人というは儘ならないものだ。心を穿った傷は、見えなくとも、後々までじくじくと痛み続ける。今は立っていられる。然し、何万、何十万もの(おびただ)しい死者が出ていたなら、僕は今、立っていられただろうか。現実を糊塗したかのような悪夢として、幾度か飛び起きる破目になった。ああ、そうだった、悪夢に怯えることがなくなったのはーー。僕は、感謝と愛しさを籠めて、すとんっと落ちてきた心のままに、そっと手を差し出す。皆は、中央に歩いていくアランとドゥールナル卿を見ていたから。氷竜が躊躇い勝ちに、怖ず怖ずと手を伸ばしてきても、じっと待っていることが出来た。あれ? 意味が重複しているかな、などと考えている内に、懐かしいと思える、ほんのりの冷たさが加わったので、優しく包み込む。

「それでは、最終試合を開始いたします! 冠絶たる荒魂ーーととっ、アラン、何かあるのかな?」「ふむ。先に言っておこうと思ってな」

 気を取り直して壮大な口上を、と思ったら、王様が僕を見ていたので尋ねてみると、(せん)する内容の過激さとは裏腹に、淡々と語ってゆく。

「リシェと試合(しあ)ったあと、鍛錬を続けて。昨日、二撃(ふたうち)を越えて三撃(みうち)までなら可能であるとの手応えを得た。その先に、更に深くに、片足が掛かっている自覚はあるが、まだ届かない。故に、三撃ーーそれが今の私のすべてだ」

 正直なところ、止めたい。上達というより進化し過ぎというか、そういうことは措いておいて。僕との闘いで放たれた、ベルさんに振るわれた(つい)の一撃。あの一撃(ひとうち)ですら体に掛かる負担は相当なものだった。慣れなのかどうなのか、三撃までなら耐えられるということなのだろうが、アランなら見当違いということはないのだろうがーーでも、無理だろうなぁ。所詮(しょせん)僕は戦士ではないの(にせものなの)で、共有できない。防御が得意と言っても、アランと闘えたのは、僕の特性と折れない剣があったからだ。卑下する必要はないのだろうが、それでも、資格なく同じ場に立ってしまったという(しこり)りを消し去ることは出来ない。

 鬼気ならぬ竜気か、もう言葉を必要としなくなった二人の邪魔をしないようにと、軽く手を握って、スナに開始の合図を……ぅへ?

「ていやっ、ですわ」

 スナが空いた左手を挙げて、ぶんっ。いつの間にか、上空にぷかぷかと浮かんでいた、とても、とてもでっかい氷玉が、ぽいっ、と投げ捨てられて、そのままだと竜の都が大変なことになり(かいめつし)そうだったので、ナトラ様に目線で懇願すると、とてもでっかい岩が何処からともなく飛んできて、ぎゃりぃぃぃぃん、と氷玉を壊して翠緑宮の周辺の、南側の森に落っこちて、今日も元気に破壊魔の地竜様は、樹々を薙ぎ倒されてしまいました。

 きぃぃぃぃ。

 鋭い、引き裂くかのような音だった。外側の「結界」を、濡れた紙のように容易く破ると、内側の「結界」と魔法剣が火花を、いや、氷花を散らす。

「カール様。シア様。ガル。ーー見えましたか、いえ、わかりましたか?」「「「…………」」」

 一瞬の、激闘に釘付けで、少年たちから応えはなかったので、残りの、竜以外に尋ねる。

「カレンとエルナース様。それとエクリナス様。如何でしたか?」「おいっ、ランル・リシェ! 僕のことを呼び忘れているぞ!」「……で?」「ふんっ。ーー二撃目だった、ということしかわからない」

 それがわかるだけでも十分である。褒めたくはないが褒めて、いや、やっぱり褒めたら負けのような気がするので、軽く頷いておくに止める。師であるドゥールナル卿が敗れても、粛々(しゅくしゅく)と受け容れているようなので、まぁ、対応としてはこの辺りが妥当だろう。二人が戻ってくると、エルナース様は満面の笑みと言葉(しゅくふく)で、自身の不甲斐なさに悔いているらしいドゥールナル卿の表情を緩めることに成功する。

「ドゥールナルが~、ぎりりっ、と歯を食いしばったところっ、格好良かったのさ!」「剣ではなく人を捉えるところは、さすが良い目をなさっておる」「ドゥールナル、褒め過ぎだ。それでなくともエルナースは調子に乗るのだから……」「わかってないな~、兄様! 可愛い妹は、褒めて伸ばすのが兄の義務ってやつなんだよんっ!」

 魔法使いということで、感想を求めなかったのだが、発言しないカレンを(おもんぱか)ったのか、ユルシャールさんが水竜を向かわせると、何故かぎっと上司(ぼく)を睨み付ける少女(ぶか)

「私には、決着の際の音しか聞こえませんでしたが、カレン殿は如何でしたか?」「……ランル・リシェ。先程からの、あなたの口振り。すべて見えていたのですか?」「えっと、それは何というか、ちょっと(ずる)をしたみたいなことになってしまって。無意識だったんだけど、よく見ようとした所為か、スナの魔力が僕の目に集まったみたいで……、アランが一撃目の反動で回転して下から、更に軌道を変えて氷剣と交差するところまで、はい、見えてしまいました。あ、今回のは運が良かっただけで、意識してでは、まだ出来ないと思います」「目に魔力を集めるーーですか」「そこの小娘。止めておくが良いですわ。魔力を一所(ひとところ)に集中すると、確かに機能やら能力やらは増しますわ。ですが、(かたよ)りを繰り返せば、良くて均衡を崩すことになり、悪ければ魔力回路がずたずたになって、様々な弊害を引き起こすのですわ。やるな、とは言わないのですわ。ただ、やるのであれば、然るべき対策を施してからやるのですわ」「えっと、ごめんなさい。然るべき対策も何もなく、やってしまいました」「主よ。未だ自覚がないと見える。主が魔力で、竜の魔力でどうなるはずもなし。主に底はない。出来ることをすべてしたとて、未だ不十分なのだ」

 ばちばちばちばち、と音が聞こえてきそうな炎と(にりゅう)。「千竜王(ぼく)」の取り扱いについては、未だ平行線のようだ。ユルシャールさんを始め、幾人かスナの話を詳しく聞きたそうな様子だったが、先ずは大会を終わらせてしまおう。竜にも角にも、お待ちかね(?)の賞品の贈呈である。(カップ)は用意されていないようなので、竜饅の焼き印のようなスナ印を刻印して、後ほど渡すとしよう。促されてスナ箱の前に立ったアランは、ごそっ、と手を突っ込んで、遅疑逡巡(ちぎしゅんじゅん)とは無縁に、ずぼっと引き抜いた。

「小盾? 何だか僕の壊れない盾に似ている気がするけど、スナ、どんな効果、というか特徴があるのかな?」「実践したほうが早いですわね。盾に魔力を纏わせるですわ」

 アランが構えると、スナは拳大の小さな「氷球」を放つ。ごんっ、と鈍い音がするかと思ったら、ふぉんっ、と吸い込まれるように消滅してしまった。僕にも見えたということは、単純な魔法ではなく、竜の力、魔力を混ぜたものなのかもしれない。

「感覚は掴んだですわ?」「ふむ。『氷球』が触れたあと、もっと拡げられるような感触だったがーー」「あらま、さすが父様の親友を名乗るだけのことはありますわ。なら次、ちょっと弱めですが、この規模の魔法を取り込んでみるのですわ」

 スナにとっては、弱め、なのかもしれないが、一射で家を破壊できそうな「氷柱」が顕現(けんげん)して、愛娘の嗜好なのか、いや、心の乱れを誘う為なのかもしれない、きゅるるんっ、と高速回転を始めて、ただでさえ(とんが)った先端が寒々しいのに、もはや凍て付くような凶悪さである。あんな小盾一帖(いちじょう)でどうにかなるとは思えないが、スナ盾に微塵の疑いも抱いていないのか、悠久の大地のようにどっしりと構えているアラン。

 合図も何もなしに放たれた「氷柱」は、先の焼き増しと思えるくらいに、あっさりと盾に取り込まれてしまった。

「悪くないですわね。熟達すれば、『吹雪』のような広範囲の魔法であろうと、盾とその周辺を護ることが出来るようになるーーはずですわ」「これも、完成品じゃない、とか?」「少量しか魔力を取り込めないのですわ。精々『氷絶』三発分というところですわ」

 いや、スナから、竜からしたら少量なのかもしれないが、人間水準から言ったら、十分に過剰だろう。

「盾を下に向けて、ぽんぽんと後ろから叩くですわ」

 スナの言葉に従って、アランがぽんぽんすると、小盾から魔力がぼたぼたと落ちていった。もったいない、とか思ってしまうのは、貧乏性なのか吝嗇家(りんしょくか)なのか、或いはスナの魔力が捨てられることに耐えられない親の愛情だからなのか。僕とは違った視点で世界に還っていく魔力を凝視していた魔法使いは、顎に手を当てながら質す。

「取り込んだ魔力を利用することは出来ないのでしょうか?」「そこが難しいところですわ。二つの機能、この場合は性質と言っても良いですわね、成り立たせるには思った以上に手間が掛かるのですわ」「そうなると、盾で取り込み、指輪で移し、剣で使う、といったように、複数の魔法具を用いるのが現実的でしょうか?」「ーー面白い発想ですわね。三つに分けなくても、一つの中に独立した三つを……」「は~い、スナ。それは後でね。スナちゃん盾……」「氷盾」「……氷盾について、他にあるのなら言っておかないと」「あとは、通常の盾としては使えないものになっていますわ。斧で十回叩けば壊れるような、貧弱なものですわ」

 こちらも、竜基準なら貧弱なのだろうが、普通に使えそうである。魔力を纏った攻撃の、魔力だけを取り込めるなら、使い道も広くなりそうだ。

「それでは、ナトラ様。人除けの『結界』を解いていただけますか」「そんなものは張っていないです」「え……、スナ?」「人為的な通行止めですわ」

 何のことかと思ったら、階段のある場所から、にょきっと生首が二つーーではなく、オルエルさんとザーツネルさんが顔を出した。あー、人為的って、彼らが気を利かせて、屋上を一時閉鎖してくれていたのか。

「エルナース殿。ラカールラカが起きたら、こう言っておいてくれです。『結界』が破れた箇所があったら、そこに向かって息吹を吐くですーーと。それ以外は期待しないから、きちんとやれですーーも追加です」「わかった~っ、じゃあー、伝言のお礼は先払いで貰っておくよ!」「は? ですぅ!?」

 ずたたっと走り寄ったエルナースさんは、ラカを上に抛って、ナトラ様をぎゅ~と堪能すると、魔力を纏っているようだ、地竜をぽいっ、そして風竜をぽすっ。ぽいっとされてしまったナトラ様は、ゆくりない事態に「浮遊」が間に合わなかったようで、ぽすんっ。

「…………」「アランは、ユルシャールさんの魔力が枯渇(こかつ)するまで、氷盾の鍛錬ということでいいのかな?」「今、何やら酷いことを言われたような気がするのですが」「ふむ。パープットが居ない所為か、ここのところユルシャールを扱き使うことになってしまったので、魔力を搾り取ったあとは、竜書庫へ連れて行って休ませるとしよう」「…………」「私の魔力が使われることは決定事項なのですね……」

 がしっ。がしっ。

「それ、そろそろ『結界』の強化に向かうぞ」「「…………」」

 百は、僕と手を繋いていたスナの腕を掴んで、同じくアランに寄り掛かるようにくっ付いていたナトラ様の腕を取って、無言の二竜を伴って北へ飛んで行く。北、ということは、竜の国の中心で「結界」の構築や監視を行うのかもしれない。手をにぎにぎっとしてみると、物足りない、心にまで届く寂しい隙間が。竜たち(みんな)は、ラカーーと僕の「千風事件」の尻拭いを押し付けることになってしまったのだから、我慢が我慢でがまがんま(たえしのぶべし)。竜にも角にも、アランとの接触でかちんこちんだったナトラ様が忘れていった袋を王様に渡す。

「これは土竜茶です。ナトラ様が気に入られて買い集めたものですので、預かっておいてください」「ふむ。任された」「シア、あちらでやるぞ」「わかった」

 大会の熱闘に触発されて居ても立っても居られなくなったのか、少年たちが連れ立ってーーと思ったら、ガルは残るようだ。カレンに何か言われたのかもしれない。

「カレン。エクリナス様たちの案内はカレンがやることになっているのかな?」

「それも一考しましたが、侍従長にしか出来ない仕事が山をなしています。クル様にお願いしようかと思っています」

 あー、そうでしたねー、一巡りも通常業務から離れていたので。以前遣っていたことだというのに、どうしてこんなに気が重いのだろう。竜の国の秘密に精通した人間は少ないので、老師に任せられないのなら、クーさんを(すぐ)ったのは必然というべきか。

「ガル。あなたは今日一日、侍従長の後ろで見ていなさい。見る、という行為は、人が思うより大きな効果を齎すことがあります。何をしているのか、どうしてそうなるのか、それはわからなくても構いません。ずっと付いて回って、侍従長のふざけた行為を目にしておくのです」「はい。わか、りました」「えっと、カレン、邪竜戯(ふざけ)たって……」「たわけた、でも構いませんがーーランル・リシェ。別にあなたを非難しているわけではありません。あなたに仕込んだのはアルンさんです。責任の所在は明らかにしないといけません。私が求めているのは別のことです。好い加減、アルンさんの呪縛に囚われていないでーー兄に与えられたものの中で心弛(こころゆる)びなどしていないで、真っ当な道に立ち返りなさい」

 部下(ぼく)を叱る上司(カレン)、もとい部下(しょうじょ)に叱られる上司(しょうねん)。亡き妹のーースースィア様の面影がある少女を見て、追憶が沸き上がったのか、目元を湿らせながらこくりこくりと頷くドゥールナル卿。兄様の嫁っ、合格(訳、ランル・リシェ)! とエルナース様は、にひひっと笑みを浮かべて。嫁にしても良いかな(拡大解釈する表情鑑定士、ランル・リシェ)、とエクリナスさんは、カレンに好感を抱いた御様子。うん、真面目な二人ならお似合いだろう。とすると、カレンが案内役をできないようにしてしまった僕は、二人の邪魔をしてしまったということに……、うぐっ、お邪魔竜で、ちょっと心が痛いです。

 然のみやは僕が逃げ出しても、仕事は逃げ出してくれないので、明日と明後日と、なるべく休息が取れるよう、いっちょ気合いを入れてやってみますか! と三体ほど仔炎竜を背負ってみるも、さすがに三竜だと重かったのか、階段へと向かう足取りは、とほほなものでしたとさ。



 がちゃ、と僕とガルを従える先頭のカレンが扉を開けると、見目麗しい少女は、彫像、というより置物になった。まぁ、それでも居室に飾っておきたいくらい見映えはするのだけど、カレンの後ろから執務室を覗くとーー密着していたのが離れたようだった。

「カレン。そこに立たれると、執務室に入れないよ」

「そっ、そそ、そ、そうでしたわね、戸惑っている場合ではなかったかしらっ!」

 侍従次長は見た! ということで動揺が激し過ぎて、竜揺してしまったらしいカレンは、素を見せながら、ぎこちない、優雅さに欠ける歩みでーーいやいや、取り乱し過ぎである。左右の手足が同時に出てしまっている。カレンは一直線に自分の席に向かうが、僕は執務室の真ん中で嫌味(?)を言うことにする。

「服に乱れがなくて良かったです」「侍従長……、苛めないで下さい」「子供もいるし、一応上司なので、それくらいは言わせて下さい」

 早朝から仕事場で(さか)る、もとい(むつ)まじくしていた男女に羨ま妬ましい(はっきょう)、ではなく毅然とした態度で(のぞ)む。とはいえ、部下との良好な関係を築く為にも、早々に始末を付けてしまおう。

「言葉を交わすのは初めてでしたね。イスさんの幼馴染みのクル・エスターーエスタさんですか?」

「はい、侍従長。クル様の下で務めさせていただいている、クル・エスタでございます」

「カレン。やっぱり『デアさん並み』ーーで調べに、いえ、確認しに行ったのかな?」

 イスさんは、エスタさんの竜信仰の度合いを「デアさん並み(やばやばば~)」と表現した。それ故に、彼女との間に確執(かくしつ)が生まれてしまっていると。いや、確執というよりは、行き違い、擦れ違いといったところか。

「そうですね。他にも違和感があったので、(こころ)みに赴いてみると……」

「そうなんです! カレンちゃんのお陰なんです!」

 エスタさんは、違和感のない自然な動作で、後ろからカレンにがばっと抱き付く。仕事場での密会を誤魔化したり照れ隠しだったり、そういうことではないようだ。姉に可愛がられて迷惑している妹の図、だろうか、本当に嫌だったら、カレンが遠慮などするはずはないので、仲が良いのは間違いなさそうだ。

 イスさんが惚気(のろけ)ていたように、エスタさんは知性を感じさせる美人であった。然し、カレンとは少し毛色、というか竜色が異なっていて、(まみ)えた瞬間に目を奪われるのがカレンだとしたなら、通り過ぎてから振り返って確認したくなるのがエスタさんだろうか。遊牧民特有の彫りの深い顔に、奥ゆかしいーー感じだったのだが、「デアさん並み」でないといっても竜信仰の賜物(たまもの)か、感情を爆発させると、カレン相手でも撫で撫でぎゅうぎゅう(だいすきこうげき)。

「イスの横に立っても恥ずかしくない女性になろうと、自身を磨いておりました。ですので、竜信仰の敬虔な信徒を演じていたのですが、まさかイスがそのような人物を毛嫌いしていたとは夢にも思わずーー」「そこは、イスさんも悪いですね。幼馴染みーー近しい相手にくらい打ち明けても、と言いたいところですが、警戒されるのを恐れたのですか?」「私の目的は、外の世界に飛び立つことでした。ーー決め付けていたのですね、若しくは諦めていた……、現状は変わらないと、外の世界に目を奪われて、今いる場所の、大切なものから目を逸らしていたーー」

 イスさんの優しい微笑み。その先で、同じ色に花を咲かせるエスタさん。……ここが執務室でなければ祝福してあげたいところだが、先程から僕の視線を奪ってやまない、机の上の、カレンが「山」と譬えた「侍従長殺し(おしごと)」があるので、そろそろ始めるとしよう。

「明日、明後日と休憩が取れるように、僕はこれから仕事に取り掛かります。イスさんは通常通りでも構いません。居室で(ぼうぼう)でもみー(あっちっち)でも、続きをなさって結構です」

 やっぱり妬ましい、ではなく羨ましいからなのか、僕の言葉に(とげ)が生えてしまったようだ。竜と炎氷風地(ごろにゃん)なのに何を言っているのか、と思われるかもしれないが、竜に心が偏ってきているとはいえ周期頃の男の子、それはそれ、これはこれ、あれはあれということで。

「いえ、これから居室に。即座に、着替えて、準備を整えて参ります。ただーー」

 イスさんは、カレンを解放したエスタさんの許に行って、(おもむろ)に肩を抱くと。

接吻(キス)一回分くらいの時間(おくれ)はお許しください」

 愛する女性の手前、侍従長(じゃりゅう)の前と(いえど)も周期が下の相手に、男の矜持を示さなくてはならなかったのだろう。幸せの絶頂ーーと言葉通りの表情をしているエスタさんを見れば、馬どころか竜にも蹴られるくらいなので、二人に()てられて大変なことになっているカレン共々、視界から外すことにする。まぁ、何より「千風(せんぷぅ~)」されてしまった僕が、たった一回を許容しないとか、そんな狭量(きょうりょう)なこと出来ようはずもない。

 然も候ず、目の前の山脈をどうしたものか。さて、現実逃避に、東域の旅路を思い起こしてなどいないで、(てき)を崩して(たおして)いかなければならないわけだが。

「カレン。右側からでいいのかな?」「はい。それで問題ありません」

 イスさんとエスタさんの二人が部屋を辞したあと、半瞬で戦闘状態(しごとモード)に突入したカレンは、手を動かしながら、こちらを見ないで返事をする。

「侍従長、てつだい、ましょうか?」

「ん? ああ、そうだったね。ちゃんと説明していなかったかな」

 書類に伸ばした手を止めて、ガルに向き直る。

「ガル。カレンは、見る、だけでいいと言ったよね。それは本当に、見る、だけでいいんだ。僕の仕事を手伝う必要もなければ、話し掛ける必要もない。何もせず、見て、いるんだ。何もせず、というのは、本当に、何もしない、ということだよ。頭の中で、こうすればいいのに、とか、こうなるのか、と思ったり、以後に役立つだろうから記憶したりと、そういうこともしてはいけない。思惟的でも恣意的でも、頭でものを考えることで、ものの見方が変わってしまうんだ。ものの見方は複数ある。心に雑念を交えない、普段やらないことを、今日はガルにやってもらう。それを知ることがガルの今後に役立つかはわからない。でも、役に立つかもしれないから、やる。わかったかな?」「ーーはい」「うん、わかっていないようだね。もう始まっているんだから、返事もしてはいけないよ」「は……っ!」

 まぁ、ここら辺はご愛敬だろう。人は静止できない生き物で、特定の状況を除けば思考せずにはいられない生き物で、今回は後者を嫌でも自覚することになる。里では、見る、側と、見られる、側で二回行われた。里での学びは、本当に容赦がないもので、(かわや)にも二人で行かなければならなかった。まぁ、せめてもの抵抗として、皆はお腹の調子を整えて、水分を()るのを控えていたんだけど。然ればこそ、僕の相手はエクだったわけでーー酷いというか(むご)い目に遭いましたとさ。くそぅ、あのときのエクの高笑いがまだ耳に残っているようだ。

 溜め息一回。仕事をしていれば、嫌なことなど思い出している余裕もないだろうと、今回は効率を重視する。適度に書類の束を持って、床にどざ~。すたすた、どざ~。すたすた、どざ~。すたすた、どざ~。ま、このくらいでいいだろうか。カレンの蟀谷(こめかみ)というか整ったお顔がひくひくしてるけど、この殺人的な仕事量なら許してくれるだろう。

 どすんっ、と床に、書類の上に座ってーー見る。ある程度間違っていても構わない、分類分けをしてゆく。これには骨がある。三つ葉の中から四つ葉を見つけ出すには、目を慣らしてやる必要がある。対象を見て、目を慣らしたら。僕の場合は、意識すると駄目なので、ただ意識を、心象を膨らませながら、見る。カレンなどは、四つ葉だけが浮かび上がって見えるそうだが、残念ながら僕にはそこまでは無理である。

 ごろり。

 心象を改める為に、床に横になって、天井の単純な色彩を見て、空白にして。明らかに何かを考えている、思っているガルの顔が見える。にんっ、と笑って見せると、ぴくりっとガルの顔が引き()る。見たり話し掛けたりしても反応しない程度には、さっさとなってもらわないと。ふぅ、これではエクに文句を言えないかもしれないな。然ても、少年の機微を楽しんでから、新たな心象を宿して、仕事に取り掛かるのだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ