四章 英雄王と侍従長 後半
幸い、皆からは見えない位置だったので、僕のへまに気付いたのは、百竜だけだった。
竜の景色に目を、心を潤わせながら、炎竜に尋ねる。
「ーー百竜って、硬いよね」「おかしな言い様をするでない。竜の鱗が硬いは、当然であろう。然し、我に額を打ち付ける間際に、我の魔力を使い衝撃を軽減させるなどーー、風と睦むことを許容したで、斯くの如くならずば、主に『おしおき』したであろうが」「多言というか口が軽くなっているというか。百竜ーー、もしかして僕と二人っきりだから、緊張してる?」「……多言数窮との自覚はある。然は言いよるが、主とて自覚があろう。我にばかり強いるは、卑怯だとは思わぬのか」
卑怯、という言葉に否やはない。これまでは、明確にすることを控えてきた。最も差し響きがあるのは百竜であるとわかっていながら、手立てを講じなかった。然し、そろそろ腹を割って、角を交えて話さないと、百竜が拗らせて、もとい炎竜に嫌われてしまうかもしれない。
「竜は、僕の影響を受けているのかな?」
疑問の風を装って差し出すと、これは言葉が足りなかったようだ、ぶふー、と不機嫌とまではいかないまでも、僕を踏み付ける仔竜と同じくらいには厭う気持ちがあったらしい。
「百竜は、竜の中で、最も僕に心を許している。だから、一番影響を受けてしまっている。そういう解釈でいいのかな?」
百竜の凝り固まった心を緩め(あたため)ようと、可能性の一つを口にすると、ぼっ、と炎竜が燃え上がった。うーわー、なんともはや。大変です、氷竜さん、お空にでっかい炎が咲きました。などと、遥か彼方にいる愛娘に話し掛けている場合ではなく。
迂遠なようで直裁的だったかもしれない。百竜は僕が大好きだから、そんなにも心を乱してしまっているんだね(訳、ランル・リシェ)。って、自分の言葉を訳してどうするのか。まぁ、竜にも角にも、僕の意図はさておき、百竜の魂に直撃してしまったようだ。
「……主が悪い」「あー、うん、そうだね。今、紛らわしいことを言うのは、良くなかったかもしれないね。でも、さすがに、ちょっと耐性がなさ過ぎじゃないかとっ、ごめっ、百竜は悪くない! すべては僕が悪いことに決定したからっ、背面飛行は止めて!」
両手両足を使って、角にしがみ付く。って、失速してるんですけどっ。
「ぬ。思ったより難しいな。魔力で補う必要があるか」「ラカは、無意識でやってたみたいだけど……」「主は、斯様に背面飛行が気に入ったか。然ば、次は空に円でも描いてみようか」「ごめんなさい。結構重要なことかもしれないので、ご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします」「そこまで求められても困るがな。原因が特定できているわけでもなし。然も、未だ能力として定着しているようには見えぬ」
ただ質すだけなのに、何だか凄い遠回りをしてしまったが、そこまで時間に余裕があるわけではないので、竜の反応、悪影響などを見極める為、真面目に切り出すことにする。
「僕の血は美味しい。美味しい、だけで、それ以外に影響はないのかな?」「我を忘れるほどに求める。行動が制約されるだけで、十分な弊害であるがな。然し、あれを害とは言いたくない。魂の底から欲するような、永く在りよう竜には抱き難い衝動は、主らがよく言う、祝福、に近いものであろう」「僕の血、だけでなく、『におい』や体温なんかはどうかな? 僕が『もゆもゆ』なのは、そういったことにまで差し響きがあるからだと思っているんだけど」「……主は、主と手を繋いだ我がどうなったか見ていたであろう。匂い、体温、だけでない、触れただけで心が疼く、目に入っただけで魂が震える、氷や風が何故ああも平然と接していられるのか、不思議でならん」
こちらは敢えて口にしなかったが、塗り薬の催淫、媚薬の効果だったり、げろげ~ろな吐瀉物であったり、これは推測だが、スナやラカと違って、僕に触れるのを遠慮、我慢しているから、より大きな衝動となって表出しているのではないだろうか。然あれど、百竜の性格、だけでなく、みーの内に在ることも含めて、僕のほうから過剰に求めるのは得策だとは思えないので、そこは百竜に頑張ってもらうとしよう。
「僕の言葉、僕の行動ーー僕に関係、係わることは通常以上に響くのだろうか。例えば、僕が舐めた飴を、舐めてもらったら、通常よりも美味しく感じるのかな?」「……ぅ、ぬ、主よ、言葉責めが過ぎるぞ。こ、言葉も何もかもひっくるめて、竜の能力を超えて、響くのだ、響いてしまうのだ、我を惑わせる主はっ、我をどうしたいというのだっ」
もどかしいというか擽ったいというか、そんな衝動を抱えているらしい、ばっさばっさと翼を羽ばたかせて、欲求に耐えようとしている百竜の姿がそそられ……げふんっげふんっ。いやいや、ちょっと待て! もともと僕にはこんな嗜好などないはずである。最近、どんどんやばくなっているような気がする。もしかしたら、竜に影響を及ぼしているように、僕もまた竜から格別な何かを感じ取って、いや、もっと根本的に、「千竜王」が大変な変態だから僕まで変の態……ではなく、ちょっとだけ、クーさんの半分くらい壊れて、って、それって人間として崖っぷちってことじゃないかとーー。ふぅ、落ち着け、僕。いつにも増して、乱れ過ぎだ。このまま、この話題を続けるのは不味い、もう一つの懸案、百竜の望みに応えてみるとしよう。
眼下に望むと、今まさに国境を侵害しようとする軍勢が、何か策でもあるのだろうか、三城の正面に当たる場所から、突撃しようとしていた。騎馬ではなく歩兵を前面に出すということは、正面から押し潰すということだろうか。城を無視して正面からーーこれで二つの罠は回避できるが。僕が気付けない三つ目の陥穽が、三城の指揮官が了解していたなら、最悪の事態に至ることになるだろう。そう、聖王やリズナクト卿が知らなくとも、城主たちは知っている(・・・・・)、教えられている(・・・・・・・)かもしれないのだ。まぁ、こちらはエクに任せてあるので、僕が気を回さなくてもいい。さて、では始めるとするか。
思惟の湖に、これでもかというほど、どっぷりと潜る。半分ーーそう思ったのは僕だけで、実際には、ほんの一欠片だったのかもしれない。
「ーー四万か。百竜は、あの軍勢、全滅させることは出来るのかな」「どうであろうな。全力で十回。散り散りになるであろう人らを追い込むは、難儀であろう」「う~ん、百竜は竜だからなのかな、真っ直ぐだよね」「む。主よ、どういうことだ?」「百竜は、普通に息吹を吐くことを想定して、言っているよね。息吹を放射状に、或いは上空から地面に向かって吐いたりーー。それに、全力でやる必要もない、竜の炎に触れただけで人は絶命するのだから、広範囲に行き渡らせることが最優先となる」「…………」「先ずは、外周から削るように息吹を吹き掛けてゆく。逃げ場を失わせつつ、内側へと寄せれば、全滅させることも出来るだろう。他にも、手はある。炎を浴びせる必要すらない。彼らを炎の壁で囲ってしまえば、それだけで息絶える。以前、硝子の容器の中に、火が付いた蝋燭を入れる、ということを師範がしていたんだけど、それを応用すれば、炎竜の炎も、もう少し使い勝手が良くなるかもしれない」「主は……」「百竜は、こういう僕が好みなのかな。自分から『千竜王』に近付いて、半分くらい自覚してみたけど、何というか『千竜王』は、価値観どころか興味すら、無意味なものと嘲っているように思えてくるよ」
僕は竜の望みを無碍にできない。だから、百竜の願いにも沿ってみる。
スナは言った。後とか先とか、原因とか結果とか、そんなものに煩わされることのないもの。それが「千竜王」であると。然あらば、そこに在るだけのもの、と解釈することにした。そして、きっと、僕の意思ではどうにもならないもの。「千竜王」に目的、或いは欲求があるなら、それを達成したら、在る必要がなくなったら、それまで在ったことが嘘であったかのように、痕跡すら残さず、馴染んでしまうのだろう。
「ーーふぅ」
ーーここまで。そう強く、心を奮起させて(もやして)、周囲に在ったかもしれない何かを吹き払う。
記憶は、ちゃんとある。乗っ取られるようなことはなかった。恐怖もなかった。それが良いことなのか悪いことなのかはわからない。あれは、僕の本性を引き出したということだろうか。それはわからないが、ただ、僕を揺るがしているということは、本能に近い何かが打ち鳴らしている。
「竜の国の、侍従長のお仕事なのかどうか怪しいところだけど。コウさんや竜を係わらせてしまっているのだから、『ミースガルタンシェアリ』様の騎士を……、やっ、ごめん、無理っ、従僕くらいにしておいてくださいっ」「主は、おかしなところで羞恥心を醸しよるな。我とともに在るのだ。威厳、とまでは言わぬが、余裕、くらいは演技をせずとも身に付けて欲しいものだ」「……はい。善処します」
百竜の言い分もわかるのだが、騎士なんていう僕に最も似合っていない、釣り合わない姿を想見して、そこに恥の意識を持つことは人として当然である気はするのだが。やっぱり百竜は、僕より「千竜王」こそを求めているのだろうか。
角から離れて、竜頭の真ん中に座る。そして、両の掌を付けて、百竜の炎を感じ取る。手を離そうとするが、竜と結わえた絆のように、一体化した(みつめる)ように。魔法でもなく、また魔力操作でもない、竜と在ることで、竜と交わることで生じる、衝動のようなもの。始めは、竜の魔力を強奪、もとい借用して、風を吹かせていると思っていたのだが。ラカの魔力を奪うーー食ってしまったとき、そうでなかったことに気付くことが出来た。考えてみれば、当然のことだった。僕の衝動が、「千竜王」に由来しているというのなら、そこに意味を見出すこと自体が、竜に闘いを挑むような(むいみな)ものだろう。
そこから先は、今はまだ早い。呼吸一つで整えると、衝動でーーいや、面倒くさいから、魔力、ということにしておこう。百竜に呼び掛けると、応えてくれる。
「あれ、で良いのか」「はい。あれ、でお願いします」
もう定番になってしまった、エンさんの発案らしい、爆誕、というか竜誕をお見舞いして、彼らの意思を挫いて、こちらが優位に立つよう、小細工ならぬ大細工、って、そんな言葉はないので、竜細工とでもしておこうか。
別けても、多い。空から見下ろしていても、その数に圧倒される。それに、四万もの人間が居るという認識が、事実が、頭と心を怖じけさせようとしてくる。サンとギッタは大丈夫だろうか。戦争、というものを実感できない分、恐怖は減じるとは思うが。軍気に触れて、「騒乱」とは異なるものを感受してしまうかもしれないが、そこはベルさんが取り計らってくれるだろう。経験という意味では、僕どころかアランですら足元に及ばない、永い星霜を潜り抜けてきた。「亜人戦争」という、種を越えた戦いすら、その魂に刻むことになった。竜が周りに居るので軽視しがちになるが、政治が苦手だったり腹芸ができなかったりするが、その本質は、今の僕では到底量れない、積み重なったーー。
「ーーーー」
ーーふぅ。彼らが三千周期で還るとしているのもわかる、いや、わかるような気がする。耐えられないのだろう、或いは、解けてしまうのだろう。遙かな先で、手放せないのなら、何処へも行くことが出来ないのなら、世界に還すことが優しさになるのかもしれない。
然てまた竜の威容を見せ付けるかのように低空を飛ぶと、人々のざわめきが風に紛れて過ぎ去ってゆく。百竜は、もう配慮をしていない。僕のことを、魂から信じているらしい炎竜は、或いは僕との魔力の繋がりに、際限のない熱に浮かされるかのように、存分に舞って、人々の畏怖と憧憬を散々に荒らし回ってゆく。軍の外周を飛行して、中央を翔けて本陣へ。舞い上がって羽ばたくのを止めると、きりきりもみもみきゅーこーかー、とみーの言葉を借りて可愛く言ってみるが、まぁ、そんな僕の心情とは裏腹に、地上の将兵は大混乱である。まるで逃げ道を塞ぐかのように、炎竜が軍勢の後方に、
ずどんっっ。
落ちて、大地が揺れて、風が、魔力が兵を薙ぎ倒して、竜の傲慢さを、これでもかというほど見せ付ける。ぶわー、と兵が倒れていく様は、壮観、というか、圧巻だった。
「……我は、『ミースガルタンシェアリ』である」
止めに竜の咆哮を、名乗りを上げる。……どうやら、ちょっと足が痺れてしまったらしい。何とな~く、魔力でそんな感じが伝わってくる。まぁ、つまりは、勢い余って、魔力の操作を誤ったのか、ずんっ、の予定が、ずどどどどんっっっ! になってしまったと。
僕に追及されたくないのか、早々に頭を下げる百竜。折角の炎竜の演出なのだから、茶化すようなことはせず、この流れに乗ってしまおう。
「僕は、竜の国の侍従長、ランル・リシェです」
言い終える前に、身形や立ち位置からすると彼は指揮官なのだろう、青年が最も早く立ち上がった。周期は、アランと同じくらいか、振る舞いから王族と当たりを付けるが、竜を眼前に怯まないとは、那辺に理由があるのだろう。それだけ期するものがあるのだろうか、矜持や威勢とは違う何かを看取する。
然て置きて彼の容貌は弓兵のそれである。見ると、左に比して、右の袖に余裕がない。右腕に多大な負荷を掛け続けてきたのだろう。彼の後ろで何かに気付いた兵が、拾い上げると、短兵急に駆け付ける。
「テルミナ様」「良い。控えていてくれ」「はっ」
矢筒と長弓、いや、豪弓と形容するのが相応しい、ーーこれは、複合弓だろうか? 人が扱うとは思えない、恐らく魔力操作が前提なのだろうーーと、そこで思い至る。慥か、リズナクト卿が討ち取ったという第二王子が、「レイドレイクの豪弓」と冠されていたはず。見澄ますと、控える兵だけでなく、視界に入るすべての兵が弓兵だった。
テルミナという青年が右腕で制すると、兵士が畏まる。そこには敬意が、いや、それ以上の、心酔とでも呼ぶべき、崇拝に近いものが感じられた。
「私は、テルミナ・スカーブ。『レイドレイクの豪弓』を継し者だ」「ぁ…わぁあっ!」
青年が名乗った直後だった。「ミースガルタンシェアリ」の強襲ともいえる事態に恐慌を来したらしい兵士が矢を番えて、反射的にだろう、周囲の数名が呼応して炎竜に放つ。
ぶふー、と百竜の鼻息が聞こえた刹那に、剣を抜く間もない、僕は全力で踏み出した。青年が弓を、豪弓を手にするが、構っている余裕などない。弓に魔力を纏わせてはーーいないようだ、豪弓が振られて、押付の末弭に近い部分が僕の伸ばした手に叩き付けられるが、敢えて踏み込むことで、軌道を逸らすことを許さず。腕に、破滅的な衝撃が加わるが、そのまま手で矢を受けて、
「きぅっ!」
飛び掛かるような大勢の僕を青年が振り払って、竜速で豪弓に矢を番えて、
「テルミナ様! お待ちをっ‼」
倒れ込んだ僕と青年の間に、控えていた兵が立ちはだかる。
「っ、主をっ! この下……」「百! 止めろ‼」
百竜の息吹が放たれるが、僕の制止が間に合ったのか、「人化」したみーの炎より小さな、然し熱線のような極炎が兵士に浴びせられる。
「僕と同周期くらいなので、初陣なのでしょうね。出来れば、ですが、軽い罰で許してあげてください」
誤解を解く為に、矢が刺さった掌を何でもないことのように、ふりふりしようとして、ずくんっ、と左腕から全身に衝撃が走った。うごぉぉ……、これは痛いっていうか、やばい。涙が勝手に出てくる。演技で取り繕うのは無理だと諦めて、呼吸を十回と決める。
数えながら只管に耐えていると、ざわめきが聞こえる。魔力でわかる、百竜ーーいや、百が「人化」したようだ、炎を身に享けて、ほんのわずかだが痛みが和らぐ。
「傷付けないでくれたんだね。ありがとう」「ーー本気であるわけがなかろう。気紛れに、脅かしてやっただけだ」「うん。それでも嬉しいから。ありがとう、百」
一度ではちゃんと受け取ってくれないかもしれないので、二度感謝を示すと、照れ隠しに顔を背ける百。見ると、呆然と座り込む兵士の周囲が焦げていた。多少は火傷を負っているかもしれないが、軽症の範疇だろう。
「……その、百、というのは何なのだ」「ああ、百にはなかったからね。いつか付けようと思ってたんだけど、咄嗟だったから。発意のままに、呼んでしまった。百という愛称が気に入らないなら、元に戻すよ」「…………」
沈黙は肯定。嫌ではないらしい。それどころか、淡炎色の頬が、かなり気に入ったのだと教えてくれる。
「感謝する。リシェ殿が矢を受けてくれなければ、致命傷だっただろう。それとミースガルタンシェアリ様にも感謝を。本来なら、炎を浴びせるのは私だっただろうに、リシェ殿が助けた相手、ということでお目溢しをいただいたようで」
青年ーーテルミナさんは、話のわかる方のようで、感謝の序でに、百の炎を濃くする手伝いをしてくれる。
「私の未熟さ故に、すまなかった」
あの場で振り返るわけにはいかなかったのだろう。配下を信用していないことになる。そういう立場にある、或いはそうあることを彼は受け容れたのだろう。
テルミナさんが弓を差し出してくるが、この重そうな豪弓を片手で持つことは無理そうなので、百に目線で頼む。首肯した炎竜が受け取って、魔法具か魔具かもしれないので、弓には触れず、百の肩に手を置く。了解した「ミースガルタンシェアリ」は、豪弓を炎で彩って(しゅくふくして)、跪いて両手を差し出したテルミナさんに弓を授ける。
自らの大切なものを差し出す。最大級の謝罪に、そのすべてを許すことを伝える為、言葉ではなく、炎竜の祝福にて応える。僕たちの目的の為、だけでなく、背負い過ぎている彼の為に、余計なことかもしれないが、竜炎で飾り立てる。
儀式めいた厳粛な雰囲気が解けると、やおら立ち上がったテルミナさんは、素早く視線を左に向ける。三人の兵士、かと思ったが、魔法使いのようにも見える、ちょっと地味な出で立ち。だが、彼らの到着まで持たない。ずきんっずきんっ、と表現してみるが、そんな生易しいものではなく、そろそろ限界のようだ、座り込んで表情を見られないよう下を向く。この類いの痛みは初めてだ。痛みで麻痺することなく、引き裂くように常に神経を刺激してくる。精神が磨り減らされていくような、不快というより苛立たしいような。
「レイドレイクの為に使ってもらう魔力。私の不徳ですまないが、リシェ殿に施してやってくれ」「それでは、各々(おのおの)に、矢を頂けますでしょうか」「ーーわかった。皆に矢を贈ろう」「感謝いたします。では、ミースガルタンシェアリ様、ご指示を」
百竜が僕の制服を脱がせると、ああ、そうだった、まだ完全には治っていなかった腕は、酷い色をしているんだった。居周りの気配は伝わってくるが、それらを無視して、左手を持ってきて、袖を噛む。
矢を贈る、というのは、竜の国での、竜の祝福のようなものなのだろうか。然あらば「レイドレイクの豪弓」であった第二王子の血筋であるのだろう。
「主よ、我の炎を享けよ。其方らは、矢を抜いたあと、我の炎に治癒魔法を、魔力を籠めよ。腕の、砕けた箇所は、あとで我が施す故、固定しておくが良い」
体は動いた。動いてくれた。痛みで後悔しまくりだが、治癒能力が高まっているらしい今なら許容範囲と、思い込むことにする。僕の魂は、心は、人よりも竜に傾いていた。あの瞬間、「千竜王」ではない、僕の内から生じた衝動が、僕を突き動かした。途中で止めることも出来た。僕の本能か、或いは「千竜王」の掣肘か、すべてを振り払って、届かせることが出来た。人の部分を失ってはならない。そう思っていても、引き摺られてしまう。竜に焦がれるのなら、人の心を失ってはならないと、それで辿り着く場所を見失うことになろうと、竜とともに在る道を選べぬのなら……、ーーふぅ。治療が終わったようなので、顔を上げる。見ると、テルミナさんが指示したのだろう、軍が後退していた。侵攻を諦めた、というよりは、様子見の為の、一時撤退というところだろう。
仕方がなく左腕を見ると、百が焼いたのだろう、掌と、手の甲に火傷の痕のような。そして、弓を受けた前腕が木の板と包帯で固定されている。
「ここは嘗て、肥沃な穀倉地帯であった。フフスルラニード国の先王ーー私たちは『狂王』と呼んでいるがな、その戦好きの王に奪われた。奴らは、恵み豊かなラフラヌフを戦場に変えた。あの美しき大地を取り戻さんと、四度戦い、四度敗れた。当然、成し得なかった王家の威光は失墜した。二次聖伐で、三城とその陥穽を研究していた父は、一つ目の罠を打ち破る為、城攻めを行った」
怪我が治ったかと、もといもう少しで治るところだったのに、また怪我。怪我の頻度というよりは、重度のほうが問題だろうか。痛みが落ち着くまで、僕の気を逸らす為だろうか、テルミナさんはレイドレイクの悲願と苦難の歴史を語る。
「城を陥落させたあと、空の城は放置し、地域一帯を掌握する。それが父の策、一つ目の罠を回避する方法であった。然し、現実は、父の予想を上回った。城から逃げ出すだろうと思っていた敵兵は、正面から戦いを挑んできた。
父の最期を伝えてくれた者の話に依れば、リズナクト卿ーーフフスルラニード国の現宰相を先頭に、死兵となって迫ってきたそうだ。騎士ではなく、領民だったようだ。盾だけを持った彼らは、リズナクト卿を護り続けた。曾祖父から続く、魔弓の射主であり、『レイドレイクの豪弓』と謳われた父には弱点があった。私や祖父、曾祖父と違い、魔力量に難があった。父の一射は、四つ盾とーー一度で四つの盾と人を射抜くと言わしめるほどの魔弓であったが、リズナクト卿との一騎打ちとなったとき、父の魔力は底をついていた。リズナクト卿に重傷を負わせるも、竜の魂を宿した卿は止まることなく、父に致命傷を与えた。父は撤退を指示し、一つ目の罠の対抗策と、二つ目の罠に言及してから、息を引き取った」
テルミナさんが僕を見ている気配を感じ取る。正確には、百の魔力が、熱が教えてくれる。動かさなければ我慢できるところまで痛みは減じたので、右手で胸を押さえて体が動かないようにしてから、二呼吸、ゆっくりと精神を立て直してから言葉を絞り出す。
「僕は、〝目〟ですので、三城の罠について、言及することは……、どちらかの国に有利になるような情報を開示するわけにはいきません」「そうか。ミースガルタンシェアリ様が在る時点でそうではないかと思っていたが、リシェ殿、或いはリシェ殿一行は、フフスルラニード国に与しているというわけではないようだ」「それについては話しますが、もう少し時間を……。ーーリズナクト卿を恨んでいるわけではないようですね」
恨みが強いと聞いているが、これは私怨も混じっているやもしれん。とアランは言っていた。足並みを乱しているのもこの国となる、とも。フフスルラニード国にフフスルラニードなりの事情があるように、レイドレイク国にもレイドレイクなりの事情があるようだ。
「ーー私には、彼を恨む理由がない。父は戦場に立ち、一騎打ちの末、敗れた。父は、リズナクト卿を討ち取ろうとする兵を止めた。それは正しき判断であったと、彼が宰相となりフフスルラニード国を護り続けている今でも、私の見解は変わらない。彼を貶めることは、父の名誉を傷付けることでもある。
だが、母は違った。父を愛していた母は、私に敵を討つよう求めた。哀しみに耐えられなかったのか、フフスルラニード国を滅ぼす為に、母は策動することになった。実はな、母は〝目〟だったのだ。
思い知ることになった。母を止められるのは父だけだったのだ。母は、父の研究を引き継いで、終には、三城の、三つ目の罠すら看破するに至った。ーーだからこそ、レスラン・スフール・フフスルラニード王という男のことがわからんっ(・・・・・・・・・・)」
言葉の最後の、投げ捨てるような荒さと同じ勢いで、どすんっと僕の隣に座り込んだ。見澄ますと、彼の振る舞いに非難の眼差しを注いでいる兵はいない。彼の人柄が表れているようで、もう少し緩めてもいいかな、と失言にまで気を回すのを止めることにする。
「三つの罠、どれもが民を犠牲にするものだったのだ。三つ目の罠とは、三城を抜いて自国に侵攻した軍勢に、蓋をする、というものだった。母は言っていた。『民を餌にし、敵軍を壊滅させることが出来る。なんと効率が良い謀略でしょう。然も、これらの罪をすべてレイドレイク国に擦り付けることが出来るという、お負け付きです』と、にたり、と嗤った母の顔は忘れられない」
その母親は、カイナス三兄弟を引き入れーーん? あれ? 今、何かが頭に引っ掛かった、というか、ぐるりと、見方が変わったというか。そういえば、兄さんがよく言っていた。立ち返れ、根本から見直せ、常識を疑え。 そして、スナが言っていた。父様は一度心を許した者には通常以上に心を預けてしまうのですわ。ーーうわぁ、嫌だなぁ、僕がエクに心を許していたなんて、そんなことは毛頭、いやさ竜頭ないので、ただ単に僕が未熟だったからだということに決定。それ以外の可能性など、光竜どころか天竜のお口に、ぽいっ、である。
「テルミナ様……」「テルミナ、で良い。命の恩人であり戦友であり、竜の国の侍従長であるなら、異を唱える者など、いはしない」
ん? テルミナさん、もといテルミナが頬を染めながら……、って、は? あ~、ちょっと待って下さい? 短髪で、僕よりも体格がいいので青年だと思い込んでいたが、あれ? あれれ? 見てみると、中性的で、衣服や革鎧で隠しているようだが、よく見てみると、じっくり見てみると、ねっとりと見てみると、それなりに大きな胸の存在が確認できたような……。ーーふぅ、よしっ、決めた。見なかったことに、もとい今は考えないことにしよう。そういえば、僕が矢を止める為に飛び掛かったとき、過剰な反応をされたような気がするが、って、今考えないようにすると決めたばかりなのだから、同じような間違いをした魔法使いのことなんて思い出している場合ではないっ!
「じゃあ、テルミナ。エクーーエクーリ・イクリアという〝目〟のことは知っているかな」「ああ、母から聞かされた。その男に気を付けろ、と。それがどうかしたか?」「いえ、こちらの事情なんですが、今僕は、そのエクと行動を共に、というか、彼を雇って使っています。エクに気を付けろ、と言われたのは、カイナス三兄弟と接触する前ですか?」
言い方は悪いが、エクがこんな美味しい状況を見逃すだろうか。彼は、王城の近くに居た。僕と再会してから、この一件に係わるようになったと思っていたが、いや、魔力の発生源に係わるようになったのは、そのときだったのかもしれないが、それ以外のことにはすでに根を張っていたと見て間違いないような気がする。はぁ、エクのことは、雇用者責任があるので、ぽいっとするわけにはいかないので、まったくもって、非常に面倒くさい。
「五度目の聖伐を止めることは敵わなかった。王権が弱まり、貴族たちが蠢動している。彼らは母の策謀を知らない。功を競う彼らは三つ目の罠の、餌にされる。戦渦を撒き散らして、被害を拡大させて、今ある秩序を破壊してーー。
私が恐れているのは、フフスルラニード王だ。彼の王が、母より劣るとは到底思えないのだ。現在の、緩んだ国に、危機感を抱かせる為に、敢えて民を犠牲に、差し出そうとしているのではないか。そう思えてならないのだ」
テルミナの予想通りなら、結果として、犠牲は少なくなるかもしれない。然し、それは正しい遣り方なのだろうか。能力が足りず、そうなるのならわからないでもないがーー、
「ーーっ」
ずざっ、と魂を引っ掻くようにして吹き抜けた。ゆくりなく生じた、不安というか猜疑というか、空恐ろしいような違和感、とでも表現するのが適当かーー。
「百。テルミナ。何か感じた?」
僕と同じ、北東に顔を向けている一竜と一人に尋ねる、というか、確認する。
「何か……、魔力の塊というか、予感のようなーー」「ここまで気付かぬとは、抜かったわ。魔力をまったく抑えておらんな。余裕でも噛ましているつもりか」
迷っている間などない。僕は歯を食い縛って立ち上がる。
「テルミナ。兵の後退を急がせて。僕たちは最前に出る」「り、了解したっ。ご武運を!」
〝目〟を母に持つだけあって聡明らしい、察したテルミナが僕たちから距離を取る。百の肩に手を置いて、飛び乗るように跳躍すると、百が「人化」して、ぎぃぃっづぅ‼
「っ‼」
我慢我慢我慢っ(りゅうもがまん)、平気へっちゃらへのへのへっ(ひゅるるんひゃっこいがちがちあっちっちーで)、百や花咲く竜日和っ(しったものか)! 百の炎を身の内に、循環させるように、襲われるとわかっていた、ずきずきずきんっなあんちくしょうの撃退に向かわせる。然ても、酷いものだが、大丈夫、体は動かせる。僕が座り込んだ瞬間、いや、それを待ってから百が舞い上がる。
僕の気を逸らす為だろうか、百が話し掛けてくる。
「然ても、主よ、気付いておらぬのか? 『異を唱える者などいはしない』とテルミナという女が言うておったが」「ん? それがどうかした?」「主が勘違いしやると、あの女が哀れ故、言うのであるがな。結婚相手として(・・・・・・・)異を唱える者はいない、と言い寄られたことを自覚しやれ」「は……?」「名を呼び捨てにしろ、との求めに、主は応えた。要は、思わせ振りな態度を取るな、ということだ」「……そう、なのかな?」「知らぬ」
ぶぶー、との鼻息。拗ねている、のかな? 男女の間に友情など存在しない、と断言する人間がいるが、たぶん、きっと、そんなことはないと思う。僕の周りに……いないのは、うん、やめよう、落ち込む結果にしかならないのだから、風竜の風に乗せてーーと、ラカの風の心地を溢れさせて、前方の魔力以外の雑多なものを吹き払う。
「間に合う、かな?」
レイドレイク軍の先鋒、火付け役は、今や火消し役、最後尾となっている。テルミナの、「豪弓」の威光か、フフスルラニード軍の追撃があるわけでもないのに、武器や防具を捨てての全力での遁走、いやさ撤退である。どうやら見誤っていたようだ、彼女は少ない情報の中から、最善手を選った。いや、それを最善となさしむる為には、テルミナの期待に応えなければならない。レイドレイク軍は、真っ直ぐ、線状となるように退いていた。
「失敗しようものなら、主の名誉が傷付こう……」「僕の名誉なんてどうでもいいんだけどね。竜との断絶、何よりラカとナトラ様に、ーーさせるわけになんかいかない」
両の手を握り締める。痛みより、怒りが勝る。
まただ、また。僕の思慮が足りない所為で、見逃してしまった。気付いてみれば、予想できた、予測できたことだったのに。ボルンさんが言った、妄信。何度同じことを繰り返せば気が済むのか。今回は更に酷い。僕は、その為の機会を態々与えてしまったのだ。いや、そうではない。今すべきことは、後悔している暇があったら、心に抱け。これから来る、桁違いの魔力に、抗うーー受け容れられるだけのものを。
「ーー百。僕が飛び出したら、減速して、後ろの、皆を護ってあげて」「……主よ、失敗など許さぬ。我にここまでしておいて、先に還るなど、ーー呪ってやろうぞ」「百の呪い(ねがい)なら、それもいいかもしれないけど。嘘吐きな百には『おしおき』しないと。だから大丈夫、失敗はするかもしれないけど、百の許に戻ってくるよ」「…………」
わからないけど、わかる。判別できないくらいに小さいが、間違えようがない。ラカの魔力と、ナトラ様の魔力。敵意を、いや、それすらない純粋な暴虐な、君臨する者の意思。それがねじ曲げられている。体が震える。これは怒りなのだろうか。嘗て、みーを操ったエルタスに対しての感情と、似ているようで似ていない、近付いてしまったが故の、理解してしまったが故の、遣る瀬無い何か。然りとて、想いに引き摺られるわけにはいかない。
「……、ーーっ⁉」
東域を呑み込むが如き魔力の伸張、爆発的なようで、狙いは確実に一つに、僕たちを捉えている。空間が軋むような暴風と、巨大過ぎてもはやどう譬えたらいいのかわからない岩の塊が、須臾、心を軋ませて、怯ませるが。皆の安否だけでなく、二竜の心胆まで、百の炎で身を焦がして、純粋な衝動として昇華させて駆け出す。
鼻先から飛び上がって、世界を覆い尽くすほどのーー僕の存在の矮小さ故に思ってしまった、その間際に、その余りに小さな、微かな痕跡のような風と岩を高みから見下ろしてーー。ああ、意識が引き寄せられる、見える、見えてしまう、ナトラ様の竜頭の上で、エルタスと「英雄王」が、彼の表情が、千周期の行き所を失ったーー、
「邪魔をするなっ‼」
しゃしゃり出てきた「千竜王」を、駆逐して破砕して撃滅して、それでも何事もなかったかのように存在だけがなくなった余計な「千竜王」を踏み付けて、圧倒的な、コウさんの魔法に匹敵するのではないかと思えてしまうくらいの、世界そのものを相手にするような、絶望的な風の前に身を投げ出して。
「…………」
先ず、大気を引き裂くような、風の悲鳴が消えた。鼓膜が破れたのかもしれない。痛みが消えた。痛みが過ぎて、何も感じなくなっているのかもしれない。視界が途切れる前に目を閉じて、喉が潰れる前に口を閉じて。もう、何もなくなってしまったのかもしれないけど。
ーーそれでも。それでも僕が残っているのは、留まっていられるのは、これがラカの風だから。性質が変わっただけで、意思を歪められているだけで、僕が風竜の風を見失うはずがない。風が僕を壊しているような感触が伝わってくるが、僕は風を受け容れて、そこに重たいものがぶつかってきて。見えないのは、実感できないのは良かったのかもしれない。体が弾かれる、刹那に、風を溢れさせて、巨岩を粉微塵にする。
竜の魔力が世界に還っていくのを感受しながら、消し飛びそうな意識を繋ぎ止めて、こんなところで、中途半端なままで人任せに、竜任せになど出来るわけがない。
「……っ」
この速度、勢いは不味い。左腕は駄目になっている。残り三本を使って、百の頭と背中か、減速しながら、手足は壊れてもいい、命さえ拾えれば僕の治癒能力でーー、
ぱくっ。
ーー、……あ、と、その……、いや、実際にそんな音がしたわけじゃなくて、何だか弾力があって凄く温くて気持ちいいような感じなんだけど、って、そんなしみじみと浸っている場合じゃなくてっ!
機転を利かせてくれた百が、僕を口で受け止めてくれたようだ。恐らく、ぷっ、と地面に吐き出すか、空中に噴いて竜頭の上に乗せるかしてくれるのだろう。僕は、口から出し易いように体を丸めて、意図を了解してくれたのか、百は僕を、
ごっくんっ。
……は? ……へ?
食べた? 食べられました⁉ 食べられてしまいました⁇ いや、正確には呑み込んだというほうが、って、そんな表現の仕方を気にしているーーん?
「……、ーー」
僕の居周りが明るかった。目が見えないのに見えるという、いや、感覚を超えた何かが知覚しているのか。自覚した途端に、氷竜と雷竜がわさわさと、本当に遣って来てくれたならどれほど良かったものか、明かりは僕から発して、いやさ、溶け出して、或いは抜け出していた。
ーー竜は食べたものを魔力に還元する。思い至ったことが原因なのか、爆発的に拡がって、明る過ぎて先が見通せないほどの、光竜の息吹を……あ、これはやばい……。
僕にも魔力があったのか、と思ったが、どちらだとしても、それは僕が失われていっているということの証左なわけで……。ああ、わかる。わかってしまう。そろそろ駄目だ。駄目そうだ。身動きどころか……、もう…考えることさえ……。
ぺっ。
意識を失う瞬間、まるで祝福のような、炎竜が人を吐き出す音が聞こえたのだった。
「「天、竜、地!」」
瞼が重たい。目が覚めたことが、いや、意識が回復した、のほうが正しいのだろうか。竜にも角にも、心と魂だろうか、定着したような心地に至ったので、ゆっくりと目を開けてみると、テルミナがぷく~と膨れっ面だった。ああ、いや、何となく聞こえていた。僕を膝枕する権利を巡って、百とテルミナが竜拳で勝負して、勝敗が決した矢先のことでした。とまれ、百の機嫌を損ねるのは得策ではないので、あと、テルミナの誤解を助長させるのはよろしくないので、空寝は断念する。
「あれ? 百と……?」
体を起こす前に、「人化」していない百が見えて、体を起こすと、百の足にべったりな男性の姿が。エルタスか、とまだ鈍い頭が誤認したが、周期は彼より上で、痩せぎすな体は見間違えようがない。男性は、僕が起きたことに気付くと、三十名ほどの兵を唆した。
「ミースガルタンシェアリ様は、竜の国の侍従長の、要請に基づいて行動している。それ故に、属性を抑えて下さっている。竜に触れられるなど、百生に一度もないだろう稀事。逃す手はないと思うが、皆は控え目なのだな? ただ、それでは人生は詰まらんぞ」
上手いな、と感心した。好奇心が旺盛な一人目が動けば、あとは芋づる式に、全員が百に殺到する。あー、ははっ、申し訳ないが、百が困っている様子がちょっと面白い。
上等な服ではあるが、貴族という風でもない。兵士でも、文官でもないだろう。となると、この場にいることと、周期からして、次男のほうだろうか。
「カスル・カイナス様、でしょうか?」「君は命の恩人だからな。カスルと、呼び捨てでも構わんぞ」「それでは、カスルさん、と呼ばせていただきます。レイドレイク軍の後方に居られたのですね」「うむ。然しもの〝サイカ〟とて、竜の襲撃などというものは予測できなかったのでな。良い機会を得られたが、残念ながら生じることはなかった」
不思議なことを言うカスルさん。僕とテルミナを見て、言葉が足りないことに気付いて、徐に振り返ると、彼は兵士たちに言葉を掛ける。
「うむ。ミースガルタンシェアリ様も困っておられるようだし、そろそろ離れたほうが良いのではないか?」「いや、もうちょっと、もうちょっとだけお願いします!」「この暖かさ! 無性に離れ難いこれが竜の魅力ってやつなのか⁉」「お~、爪も鱗もかっちかちだ~」「おいっ、さすがに足を登るのは羨まっ、じゃなくて遣り過ぎだ! 下りてこい!」
カスルさん、何だか遣り様が僕に似ているような気がするのだが。然あらば、次は相手が呑める水準の要求をすることになるだろう。
「うむ。君たちの気持ちもわからないではない。今、こちらに二竜、向かって来ている。それまでは存分に祝福に塗れていなさい」「「「「「は~い」」」」」
異口同音の了承の声。見澄ますと、周囲に彼ら以外の兵はいない。もう国境の向こう側への撤退を完了させたようだ。ああ、そうか、カスルさんの一連の言行、ーー彼らは伝令なのか。
「すでに魔法で連絡はしてくれたのですね」「うむ。抜け駆けがあるかもしれんからな。彼らに向かってもらう。伝令である彼らと、〝サイカ〟である私との接点はそれなりにあった。これくらいしても問題はあるまい」「ーーそうですね」
三度目の大乱に比べれば、危険は段違いに減っているが。それでも、使者や伝令には危険が付き纏う。今回であれば、伝令が来なかったことにする為に、彼らを害する可能性がある。それだけでなく、少数での移動の為、魔物や盗賊などの襲撃に遭えば、命懸けとなるだろう。何より、彼らにはその危険に見合った名誉が与えられない。戦場での死と異なって、殉死であろうと軽視されてしまう傾向にある。それ故に、伝令役には、相応の者が充てられる。ーーふぅ、頭が回転し始めたようだ。カスルさんの言葉が浸透する。
遠くに、二つの、竜の気配を、魔力を感じる。ラカとナトラ様の魔力ではない、近付いてきている、初めての心地。微かに、遠ざかっていくような、途切れそうな魔力もーー。
「二竜の到着まで、まだ掛かるということですか」「うむ。それまで、君の役に立つかどうかわからないが、私たち兄弟について語ろうぞ」「先の、『良い機会』、ですか?」「そうだな。それから話すか。私と、弟のケイオスは、兄者より早く〝サイカ〟となった。然し、〝サイカ〟として活動するには条件が付帯されていた。その条件とは、兄者の許で活動すること。回りくどいのは面倒なので、はっきりと言ってしまうが、私とケイオスには、欠けているのだ。私に欠けているのは、恐怖と、その周辺の感情。竜の暴虐による命の危機も、炎竜への接触も、私の心に怖じ気を齎すことはなかった。あとはもう、魔獣に遭遇するか、兄者に見捨てられるか、くらいしか機会はないのやもしれん」
カスルさんに、悲壮感はない。他人が思うほどに、欠けた者は、失った者は、弱くない。持ち得る者の傲慢さと、これはさすがに言い過ぎだが、劣った者は、弱いはずだと、弱くなければならないと、決め付けて接してくる者は、普通に、何処にでも居る。
僕も欠けているのだろうか。欠けてしまったのだろうか。と思惟の湖に沈みそうになったところで、心配そうな顔をしたテルミナの姿が見えたので、会話にも参加せず体を支えてくれている彼女を安心させる為に、思ったことを赤裸々に言葉にする。
「はは、前より柔らかい、いえ、優しい顔付になりましたね」
「っ、お、おかしいかっ⁉ 似合わないことくらいわかる。戦士であるべき私が……」
「いえ、僕はそちらのほうが、今のテルミナさんのほうが好きですよ」
ん? あ、これはーー。はぁ、遅過ぎである。頭は完全に覚醒していなかったのか、今更心付く。テルミナさんの手が置かれた、僕の左腕に痛みはない。左腕だけでなく、二竜の魔力を受け止めた、いや、受け容れた、のほうが適切だろうか、その際の傷も完治しているようだ。ただ、服のほうはぼろぼろで、取り替えないと駄目なようだ。然てしも有らず、もう大丈夫ですよ、という趣意を込めて、テルミナさんの手に触れて、微笑むと、
「……っ、くぅ、ぅあっ、み、見るな! 今の私を見るなっ‼」
何故だかわからないが、ばっと逃げるように反対を向いて、体を縮こまらせてしまうテルミナさん。顔を両手で隠しているが、耳は火の粉を浴びた(みーがあそびまわった)ような紅色で。
……あれ? また僕は何か失敗してしまったのだろうか。見上げると、首肯したカスルさんが助け船、もとい戦船(?)を出してくれる。
「然かし。英雄エルクとやらの遣り口も、このようなものであったか」
エルクの名を耳にしたテルミナさんは、反射的にだろうか、カスルさんを、ぎろり、と睨み付けて。僕のほうは、ぎらりっ、或いは、ざくりっ、と竜眼で穿たれてしまった。もしかして狙っていたのだろうか、そんな百の、物理的に熱を発していそうな視線を受けて。
「ーーコーニス。紙を持て」「はい。カスル様、どうぞ」
と、気付かなかった。僕の後ろに居たらしい、カスルさんと同周期くらいの男性が、彼に紙束とペンを差し出すと。受け取るなり、ずがががっ、と竜毛を掻き毟る勢いで紙に何かを書き始めた。〝サイカ〟の里にも何人か居た。完全に自分の世界に没頭してしまっている。過集中ーー竜の領域とはまた違った、僕にはわからない閉じた(ばんのう)世界。
「竜が降りてきたようです。こうなると、竜が去って行くまで没頭してしまわれるので、カスル様がなされたように、私も打ち明け話をしましょう。リシェ殿が意識を失われている間のことや傷のことは、彼らが到着してからのほうがよろしいかと思いますが、如何でしょう?」
言葉と同じように、優しげな様相の男性。カスルさんの弟子、ということはなさそうだが。三十歳前で、〝目〟だとするなら、〝サイカ〟に至るのを諦めてしまったのだろうか。
「そうですね。それではお願いします」
刻一刻を争う事態。心は急くが、コーニスさんが言うように、皆が揃ってから百に説明してもらったほうが無難だろう。
「私は、落伍者です」「落伍者? 〝サイカ〟になるのを諦めたということだろうか」
取り繕うこと成功したらしい、元の凜々しい顔に戻ったテルミナさんが、本人に尋ねるのは憚られたのか、僕に確認しようとして。ぼっ、と再炎、もとい再燃してしまう。
「いえ、〝サイカ〟に至れるのは三十歳までで、それを過ぎるか諦めるかに係わらず、〝サイカ〟に至れなかった〝目〟は、〝目〟のまま、何か特別な呼び名があるわけではありません。また、落伍者、というのも正式な呼び名ではありません。いつの頃からか、彼ら自身が、自らの境遇を卑下ーーととっ」「はは、気にしないで下さい。卑下でも皮肉でも、落伍者は皆、自らを省みることに、己と向き合うことになるので」「ーー落伍者とは、言うなれば、〝目〟に至ることが出来なかった者のことを指します」「〝目〟に至れない? ーーそういうことか。滑り落ちて、いや、登り続けることが出来なかったのか」
悟ったテルミナさんを懐かしげに、それから百を見上げて、寂れた眼差しを空の彼方に、コーニスさんは述懐する。
「私も、地域では天才と呼ばれていました。然し、〝サイカ〟の里には、そんな天才が集まっていて、そこでは天才など、普通の存在でした。テルミナ様が仰ったように、私は登り続けることが出来ませんでした。自分が劣った者であるなどと、認めることは出来ませんでした。すべての時間を研鑽に充て、努力、というものを初めてしました。ですが、努力という言葉が擦り切れるほどに魂を注ぎ込んでも、同じ場所に、並ぶことさえ出来ませんでした。確かに、私も登っていました。速度が違い過ぎたのです。皆が、もう見えなくなってしまったとき、私の内の何かも、崩れ落ちました。
気付けば、私はどこかの学舎の中にいて、私と同じ落伍者が幾人かいました。そこで畑を耕し、私たちの面倒を見てくれていた老人と幾度も話をしました。これは秘密ですが、その老人とは、〝サイカ〟の里長だったのです。
それまで当たり前のことがそうではなかった。才能がないことが認められない私は、命を絶つことすら考えーー、いえ、そうと知らず実行していた私を、里長は止めてくださいました。里の門を潜る者は、大なり小なり何かを抱えているものです。落伍者として、ただ里から放逐されるのでは、私のように自死を望んでしまう者が現れる。
自分を取り戻して、里を下ろうと決心したとき、ボルン様が遣って来ました。『もし、胸の内に、未だ失われない何かがあるのなら、私の許で働いてみないか』との言葉を掛けられて、私は一も二もなく頷いて、恥ずかしながら号泣してしまいました。
ボルン様の許には、十名以上の落伍者がいます。新しく加わる者、満足して去って行く者。私は恩返しがしたくて、ボルン様の望みを叶える手伝いがしたいと、その想いを共有したいと、今も留まっております。そして、今は、言うなれば、『カスル様の世話係』を務めさせて頂いています。カスル様も、ケイオス様も、御一人では、御覧の通り、危なっかしいので、ボルン様の命令ーーというより懇願で、お側に付いております。ーーどうやら、竜はお帰りになったようです」
見ると、恍惚とした表情のカスルさんは、好物をお腹いっぱい食べたようなふあふあな感じで戻ってきて、コーニスさんに紙束とペンを押し付ける。書いた、或いは描いたものは、本人にとっては大切なものではないのか、随分と雑な扱いである。
「然う然う、もう一つあったな。兄者は今、『天の輪』作戦を実行中だぞ」「『天の輪』作戦、ですか?」「うむ。兄者は名付けの感性がない。の、を省いて、『天輪』作戦、とするか、の、を残すなら『天の鎖』作戦とするが良いだろうに、残念ながら、ケイオスも兄者と似た感覚の持ち主でな、こういうときは私が劣勢になるのが常だ」
いや、作戦名のほうに疑義を呈したわけではなく、作戦の内容を問うたわけだが。まぁ、でも、質すまでもなく、ストリチナ同盟国でボルンさんがやったことに鑑みれば、ある程度は予測することが出来る。僕が考えていることが正しいのなら、これまた壮大な計画である。ラカールラカ平原とストリチナ地方を対峙させて、是を以て大陸の安寧を図るという歴史的な偉業には劣るものの、成功したなら東域に不滅の金字塔を打ち立てることになるだろう。失敗したら、「大罪人」とか呼ばれそうだが。ただ、そうなると、中央からやや離れた位置にあるフフスルラニード国の立ち位置は、ーーああ、そういうことなのかな。
「フフスルラニード国を、竜的を射落とすのは必須ではないのですね?」「うむ。その通りだ。フフスルラニード国は輪っかから外れているが、支援をするには好適な位置にある。拠点にするも、または防壁とするも、使い勝手が良さそうで悪くないぞ」「ーーあはは、これはもう、フフスルラニード国は前途多難だなぁ」
魔力の発生源の双子。国と、王族内でのごたごた。ボルンさんの計画に、侵攻している四国。彼らからすれば、接触してきた竜の国一行も厄介過ぎる種なのだろう。ああ、あとエクも、種を芽吹かせて、げらげらと嗤っている姿が目に浮かぶようだ。
フフスルラニード国に何度も伝えてきたが、僕たちは彼らの味方になることは出来ない。当然、テルミナさんーーレイドレイク国も同様。結果としてフフスルラニード国側に与するなような形になったが、〝サイカ〟であるカイナス三兄弟と僕たちとの間に齟齬はない。
齟齬、或いは軋轢が発生するなら、それは兄さんとの間だろう。ボルンさんの計画で、兄さんの一手も見えたような、気がする。然ればこそ、正面からがっちりと搗ち合ってしまう。地竜ががつがつと体をぶつけ合っている姿を想見してしまったが、東域の人たちにとっては、強ち的外れというわけでもない。〝サイカ〟の衝突となれば、それだけの被害が発生してもおかしくない惨事が降り掛かるかもしれない。まぁ、〝サイカ〟同士であるから、そこら辺は上手くやるのだろうけど、兄さんの味方をしたいところだけど、ここは中立でなくてはならない。兄さんは、僕の助けを必要としていない。もう少し言うと、竜の力を借りられる僕が、兄さんの手助けをしてはいけない。
交わる道があるなら。と兄さんは言っていたが、随分とおかしな道に迷い込んでしまったものである。
「うむ。それにつけても、君は面白いぞ。自身の能力に、魅力に気付いていないのは、それが故なのか。これは誰かの楽しみだろうし、奪うのは野暮か」「……はい?」
不思議なことを言うカスルさん。ん? あれ、そういえば、エクも似たようなことを言ってたっけ。自覚無くやらかしてる、とか何とか。僕の能力? 魅力? 僕の特性のことではないだろうし、そんなおかしなものが僕にあるのだろうか。
「二竜がお出でになったぞ、好い加減降りてこい!」「なんのっ、まだ距離がある! 竜頭まで、天辺までっ、あ……」「言わんこっちゃない! 誰か魔法で……」「まったく何をしておるか。序でだ、其方も乗せてやる」「くっ、狡いぞ、隊長!」「ああっ、飛び立ってしまった!」「くそっ! 俺も登っていれば⁉」「ひゃっはーーっ‼」「ひっ⁉」
うん、きっと彼らは、撤退ということになったので、戦意の向けどころがなくなって、持て余してしまったのだろう。呆れた百は、登っていた兵士と、それを止めていた隊長らしき人を頭に乗せて、お空にご招待。
「お見苦しいところを……」
「うむ。これが国民性というやつだな。私は嫌いではないぞ。反面、君らの一族は真面目すぎる。だからこそ、レイドレイク国は成り立っているとも言えるがな」
二人の会話を聞き流しながら、必要な欠片を拾い集める。
今回の事態は、場合によっては「騒乱」で想定された最大の被害を上回ることになり兼ねない深刻さを孕んでいるのだが。「騒乱」のときと違って、精神的に余裕があるのは、欠片が出揃っている、ということである。より良い可能性を探る必要はあるが、あとはどれを選ぶかだけである。竜と人との、僕らとの関係を考えたとき、取り得る手段は一つに絞られる。但し、それを選べば、避けられるはずの危険を、犠牲を、乗り越える必要が出てくる。すべて上手くいったときに得られる対価は、自己満足だけーーなどと、そう思わずにいられるのは、女の子が掛けた魔法がまだ効いて(くすぶって)いるからだろうか。
百が「人化」して傍らに。体は若草色、いや、風色と言ったほうが適当だろうか、翼はラカと同じーーではあるのだが、ぽよぽよの風竜ほどには輝き、というか、神聖さを宿していない。もう一竜は、色素が薄い、とでも言えばいいのか、表現し難いぼんやりとした色合い。これはもしや、心象が至らないこの竜は、天竜、なのだおぶ、がっ⁈
「エイリアルファルステよ。先に堪能させてもらいますよ」「くっ、さすが風竜、疾いな。然し、じっくり味わっていくのも悪くないな、ランドリーズよ」「ちょっ、まっ、『浮遊』がっ」「間に合わないっ。とギッタが言ってまっ」「想定して、行使する準備くらいしておかぬか。完全にみーに後れを取って、もはや追い付けぬやもしれんな」「なんのっ、あたしたちの奥の手が!」「そのっ、ぶちかまされれば! とギッタが言ってます」「こんちっ、仔竜は泣きっ面に炎竜!」「これまたっ、あっ、お願いしますっ、『浮遊』を解かないで下さいませっ。とギッタが言ってます」
はぁ、至緊至要、もう一つお負けに、緊褌一番、なはずなのだが、喧しいことこの上ない。と溜め息を吐きたいところだが、二竜は「甘噛」を使っていないので、彼らの、竜の魔力を使って、何とか耐えているものの、初対面で二竜の魔力に慣れていない所為なのか、背骨とか腕とかが、みしみし。結構ぎりぎりである。ああ、服の破れが更に……、これはもう上半身は着ている意味がなくなったような。
「……百。説明、というか、解説をお願いします」
風竜に抱き上げられて、ぎゅっとされて、すりすりされて。天竜らしき竜に、残った右手は、もみもみで、あっ、くぅっ、指を舐めるだけは勘弁して下さい!
「竜は、身に享けよう魔力から、それなりの情報を得ていると、何度か言うたがな。二巡り、あの氷は、主の感触を、心地を、大陸中に振り撒きよった。まるで主の所有権を主張するが如くな。それから東域に来て、一巡り、今度は風が、だばだばと漏らしよった」「その通りです。一番近くにいた我らは、日夜その魔力を浴びせられ、人間が言うところの、『辛抱たまらんっ』という状態になりました」「同じく、人間が言うところの、『もんもん』とさせられた我らの、心情を理解していただけるとありがたい、『千竜王』」
二竜は古竜ではなく、中古竜か新古竜なのだろう、二十歳くらいの容姿で、服は何処からか調達してきたようだ、中性的で、老師を思い起こさせる美々しい様は、はぁ、いや、ほんと、絵面もよくなさそうだし、そろそろ満足していただけるとありがたいのですが。
「エイリアルファルステ様とランドリーズ様は、『甘噛』は獲得していないのですか?」「これは失礼。衝動のままに振る舞ってしまいましたが、『千竜王』に逢えるかもしれないと、『甘噛』や属性の制御を身に付けておきました」「それよりも、だ。百竜のように、我らにも愛称を付けてくれ」「えっと、じゃあ、イリアとリーズでぇ、ぐぉっ‼」
だからっ、お願っ、「甘噛」使って下さいっ、あの、その、そんな嬉しそうな顔でぎゅっとされたら、くぅ、僕は断れないので、首だけ回して百を見ると。
「それ、そのくらいにしておく良い。あとは『甘噛』を使うて、主と人との違いでも確かめてみよ」「そうですね。では我はあの、風がだだ漏れの双子を」「ほう。珍しいな。天の属性を持っているとは。我はこの娘にしよう」
やっとこ解放されたものの、これでは対象を振り替えただけだったので、十分に役を果たせなかった百には「おしおき」ということで、頭を撫で撫でする(つぎはがんばりましょう)。
「ふぉ~、なんかラカちゃんと違う~」「風竜なのに、ぽよぽよじゃないとか遣り直せ~。とギッタが言ってます~」「さてさて、そのように口が悪い子供には『おしおき』が必要なようですね。それでは、強制的にあなたたちの風を整えてしまいましょう」「くぉ~、なんか風が~、風が~っ」「ひゅるるんっ、ひゅるるんっ、ひゅるるんっるんっ、な感じ~っ。とギッタが言ってますっ」「引っ張り出されてる~、引っ張り出されてる~っ」
リーズはフラン姉妹を、そしてイリアは、天の属性なるものを具えているらしいテルミナさんを遠慮仮借なく撫で回す。
「エイリアルファルステ様っ、そのようなっ」「ん? この匂い。我の地の出身か?」「え、あ、はい。エイリアルファルステの恵みを頂いて育ちました」「ふむ。このような言い方は失礼に当たるかもしれないが。天竜は物語だけの中の存在かと思われていたが、実在したのか」「其方からも天の気配はするが、地のほうが匂いは強いな。それに、おかしなものが混じっているようだ。雷竜ほど数は少なくないが、天竜もまた希少であるのは間違いない」「うむ。天竜とは、興味深い魔力を放っていますな。角を触らせて頂きますぞ」「ん? ああ、魔力が滞っておるな。それも其方の有様故、必要となれば、解消されるかもしれんぞ」「これはしたり。では、天竜様の魔力に肖れるよう、角をじっくりと触っておくとするか。『豪弓』殿も、撫で回されてばかりいないで、仕返しに、この天辺の立派なものを一緒に堪能しよう」「っ、カイナス殿! おかしな物言いをっ、うっ、序でのように私の頭を撫でるのはやめて下さい! 射殺しますよ‼ あっ、リシェ様⁉」
……もういいや。彼らには後から追い付いてもらうことにしよう。僕はアランとユルシャールさんを伴って、百に乗ってとっとと出発するのだった。
「じゃあ、サンとギッタ。そのときのことを、出来るだけ詳しく話して」
僕とアランで、擦り合わせ、というか、状況確認が終わると、二竜が追い付いてきたので、皆で風竜に移乗。百は魔力を温存。「結界」等の配慮は天竜がしてくれる。
「リーズ。全力でお願い」「っ。はいっ、心得ました!」
左右のこめかみの辺りから後方に向かって生えている角をさわさわすると、イリアが物欲しそうな顔をしていたので、
「イリアも、配慮を、よろしくね」「っ、万事、恙無く!」
頭の天辺に生えている立派な角を、両手でこしこし。
何か物凄く言いたいことがあるようだったが、悔しい気持ちが勝ったようで、視線は僕から足元の風竜へ。苦々しく思い出しながら、二人は訥々(とつとつ)と語っていった。
「気付いたら、投げられてて」「ラカちゃんから、落ちてて。とギッタが言ってます」「『ぴゃっ⁉』と、こっち見たラカちゃんは」「『びゃっ⁈』と、振り返って。とギッタが言ってます」「そのまま、来た空路を戻っていった」「『浮遊』で、見送るしかなくて。とギッタが言ってます」「どうしようか、迷ってたら」「リーズちゃんの頭、乗ってた。とギッタが言ってます」「何も、わからなくて」「何も、出来なかった。とギッタが言ってます」
旅立ってから、努めて明るく振る舞うようにしていた姉妹。カレンが居ない場所での、彼女たちなりの処世術だったのだろう。以前のように、感情の籠もらない声で経緯を話す二人だが、サンとギッタの握り締めた手が教えてくれる、腸が煮えくり返っているのだろう。その怒りは、何処へ向けられているのか。ーー今回のことは僕の責任です。頭にちらついた、そんな言葉を炎竜に灼いてもらって、フラン姉妹からアランへと視線を移す。
「時機が、悪かったですね。いえ、違うのでしょう、ベルモットスタイナー殿、いいえ、ベルモットスタイナーは、戦術眼に優れているのか、クゥナレェインズカ国と接触した直後に突撃してきました」「ふむ。直前に気付きはしたが、後手に回った。私はユルシャールを、ナトラはクゥナレェインズカの兵士を護ろうと、その隙を突かれた。恐らく精霊魔法なのだろう、意思を持ったような魔力の流れを感じた」「私が放った魔法を打ち払われました。精霊魔法は、まったく別の系統というわけではないようです。ただ、こちらは精霊魔法に精通していないので、不利は否めないでしょう」
ベルさん、いや、ベルは、精霊魔法でエルタスを操った、と見て間違いないだろう。エルタスの呪術は、みーを操ることは出来たが、成竜には及ばない、はずだったが。然あらばそれを可能たらしめたのは、精霊魔法に他ならない。アランが言った、意思を持ったような魔力の流れ、がそうなのだろう。こういうときのアランの勘は、散々思い知った、というか、思い知らされたので、エンさん水準で信じられる。然のみやはフラン姉妹とユルシャールさんにも正しく理解してもらう為に、何処に重点を置くべきかを詳らかにする。
「今回の一件、解決するだけなら簡単です。いえ、簡単というのは語弊がありますが、百が居てくれるので、手段は幾つかあります」「そうさの。我が呼び掛ければ、人に、何より主に興味を持ちよう奴竜が挙って集まろう。そこまでせずとも、十竜、いやさ五竜も居れば十分であろう」「ふむ。一応、確認しておくのだが。百、とは百竜様の愛称のようだが、そう呼ぶのはリシェだけで、私たちはこれまで通り、ということでよろしいか、百竜様?」「……べ、別に、其方らが呼びたいのなら、好きに呼ぶが良いっ」
空気を読んだようで読んでいないアランの問いに、曖昧な表現のようでそうでないような、突っつきたくない藪の後ろに隠れた炎竜に、みーの寝顔のような(ぽっかぽかな)目を向ける皆さま。
「ナトラ様団の次は、僕らですね。えっと、まぁ、何というか、左腕の骨が粉砕されて、左手に矢が刺さって、二竜の息吹を体で受けて、弾き飛ばされて、百にぱっくんされて、ごっくんされました」「「「「「…………」」」」」「ふむ。服がぼろぼろなのは、その所為か」「ぬぅ、主が悪いのだ! 主を口に入れた瞬間、炎竜が氷竜に生まれ変わるくらいのっ、法外で苛辣な、みーのおやつを代わりに食べてしまうくらいのっ、耐え難き欲求が炎を焦がしたのだ!」「えっと、わかったから。僕が悪かったから、百、落ち着いて、ね?」
竜にも角にも、物凄い誘惑というか食欲というか、そんな感じのものに襲われたことはわかった。百が言行をここまで乱れさせているのだから、相当なものだったのだろう。
「ランドリーズと合流し、交渉を終えた二人を回収したところで、天を焦がすのではないかと危惧してしまうほどの、情炎の如き息吹が空を焼いた。状況からするに、『千竜王』を食べた……わ、我も、食べ、いやさ、ちょっとだけ囓っても良いだろうか!」「抜け駆けは狡いですよ、エイリアルファルステ! 我こそ……」「止めておくが良い。其方らも、我の炎を見たであろう。内側から、破裂するところであった。主を吐き出すが、わずかでも遅かったなら、我は世界に還っていたやもしれん。みーだけは助けねばならんと、覚悟を決めると、魔力が逆流、或いは過剰反応か、異物を排除……ではなく、吐き気、などという竜には有り得ぬ衝動が沸き起こり、事なきを得たというわけだ」
食中り、もとい魔力中りだろうか。喜べばいいのか悲しめばいいのか微妙なところだ。百の胃袋(?)で、僕の体から魔力が溢れ出たのは、如何様な作用が生じたからだろうか。あの明かりは、僕の体が魔力に還元されているが故のものだと思ったが、いや、それもあったのかもしれないが、爆発的に拡がった魔力の根源は、「千竜王」で間違いないだろう。魔力がないのではなく、魔力を失い続けている。と、もう随分と前のことだが、謎塊なコウさんがそんなことを言っていた(やく、クグルユルセニフ)。そして、エクに唆されて、竜の雫を、スナの魔力を纏おうとしたとき、ラカの魔力を食べて、めっ、されてしまった。食べた、のか、吸収した(うしなった)、のか、その行方は僕にはとんとわからない。
僕の内に、膨大な魔力があるようだ。失い続けた魔力は、何処に行ったのか。「千竜王」が吸収して(くって)いる、という単純な図式なのだろうか。然ても、これ以上は今考えても仕方がないことである。答えに届かない考察は、一旦、ぽいっ、と手放す。
「予想外の百の反撃に、ベルモットスタイナーは、対象竜を変えたようです。スナを操ってから、三竜で僕たちに対そうとしているのか、翠緑王を狙って、世界に混乱を撒き散らそうとしているのか。イリア、二竜の進路は今も竜の国なのかな?」「辿り着くことだけが目的ではないのか、ユミファナトラを連れて、ラカールラカは飛んでいるようだな。これは、操っている呪術師とやらの、能力の限界と見るが正解か」「えっと、そうでした、それもありましたね。ベルモットスタイナーは気付いているのか気付いていないのか、二竜の成竜を操るなど、エルタスさんには遠からず限界が訪れるでしょう。そこら辺は、精霊魔法で何とかしているのかもしれませんが、当人がそれに気付いているかどうかで、指針も変わってくるでしょうが、僕らがやることは変わりません」
ベルの単独犯。「ハイエルフ」が共犯ということはないだろう。戦術水準、戦闘は優れているが、戦略方面でいえば、まごついている、というか、行き当たりばったり、というか、「エルフ」の支援を得られていないのは炎竜を見るより明らかである。
エルタスを通して、竜が操れると、勘付いた瞬間の、衝動的な裏切り(・・・)ーーと思ってしまうのは、今以て彼を純粋に憎めないのは、知ってしまったが故の、心の応え。彼が僕を人間として見ていたかはわからない。千周期経とうと人を許すことが出来ない、出来なかったベルの心情を、ほんの少しだけ理解、いや、触れてしまったから、矛盾を抱えることが出来る人間だからこそ、僕は、僕の思うままにーー。
「ーーーー」
ーーふぅ。敢えて言葉にしなかったが、ベルの目的は、人類への復讐ーーなのだろうか。そんなことをしても意味はないと、それで心が慰められることなどないと、わかっていても、軋んだ想いが、降り積もってこびり付いた後悔が、一歩目を踏み出させてしまった。
ベルはまだ心付いていないのかもしれないが、踏み出したことによる代償は大きい。「ハイエルフ」にとっても、非常に危うい事態なのだ。ぶっちゃけてしまうと、彼は竜を操ったーーつまり、竜に、或いは竜という種族に喧嘩を売ってしまったのだ。竜が敵になるなど、想像するだに恐ろしい。然らずとも竜の国に居られなくなるかもしれない。破綻、という言葉がおいで~おいで~と笑顔を振り撒いているこの状況で、彼ら(エルフ)の為にも、より良い着地点を見出さなくてはならないのだ。って、何で僕は、敵(暫定)の心配までしているのか。などと疑問を呈してみるも、困ったことに、魔法使い(おんなのこ)の笑顔が浮かんで、灯ってしまったから、敵とか味方とか、そんな曖昧な括りで他者を、自らを縛るのを止める。
「今回のことは、竜同士の戦い、軋轢などではなく、竜の国の中でのごたごた、ということで解決を図ることになります。その為の、言い訳も、あるにはあるのですが……」
言葉を濁すと、諦めるのだな(訳、ランル・リシェ)、とばかりにアランが、その「言い訳」を口にしようとして、溜め息が二つな(どうじな)姉妹に譲ることにしたようだ。
「じじゅーちょーを取り合って起こった」「痴話喧嘩にすればいい。とギッタが言ってます」「浮気性なじじゅーちょーは」「炎竜と氷竜だけでなく、風竜にまで手を出して、地竜に色目を使って。とギッタが言ってます」「竜も食べないどろんどろんな」「ねっちゃねちゃな愛欲愛憎物語にしてしまえば。とギッタが言ってます」「皆は呆れて、深刻に受け止めない」「じじゅーちょーの事実が浸透するだけ。とギッタが言ってます」
先程から静かだったのは、真剣に考えていたからのようだ。これまでなら、わからなければ投げ出すことが多かったが、友人ならぬ友竜なのか、カレン以外で初めて心に住まわせた風竜を取り戻す為に、それと、無力だった自分が許せないのだろうか、二人の間で魔力が遣り取りされている。「共鳴」なのだろうか、双子の思考力が高まっているようだが、それが理由だろうか。
それと、地竜に色目、のところでアランが僕をじぃ~と見てきたので、ナトラ様のことはアランにぜんぶ任せてあるのでお願いします、と友情に亀裂が走らないように、目と目で語り合う男たち。ふぅ、然ても、双子は失敗体験としているが、僕の悪行にまた一つ加わるわけだが、もう挽回さんと返上さんとは友情を育むことは出来なそうだ。
旅立つ二人を、汚名さんと一緒に暖かな眼差しで見送ろう。そうして、返ってきた挽さんと返さんを笑顔で迎えよう。そのとき僕たちは本当の友人になっているのだから。
……いや、すみません、男の友情とか熟れていないので、恥ずかしさを誤魔化す為に謎寸劇を繰り広げてしまいました。
「では、最後に。イリア、僕たちは二竜に追い付けるかな?」
天竜の能力なのか魔法なのか、イリアはラカとナトラ様に魔力を「付けた」ようで、現在位置の把握まで出来るようなのだ。さて、ここで以前から惟ていたことを実行することになりそうだ。竜との関係。本当にもう、後戻りは出来ない。でも、何故か心は軽い。僕の心が求めているのか、それが当たり前のことだと、見上げた空の彼方で歌っている(おもいだしてしまった)のかもしれない。
「ランドリーズが音の壁を壊す、或いは触れるところまでいかないと、追い付くはーー、無理であろうな。地竜を抱えていながら、この速度、さすがは風竜の中の風竜、ラカールラカの然らしめるところか」「竜が速く飛ぶ為に必要なものは、魔力、で間違いないかな?」「ぷっ。くくっ、『千竜王』、何か面白いことを考えているようだな」「始めは、リーズに魔力を注いでもらおうかと考えていたんだけど、それでは自分の翼で飛んだと、実感が湧かないかもしれないから、魔力濃度を高めてもらうほうがいいかな、って思ったんだけど、どうかな?」「ん? ん~、然かし。予め空路に息吹を吐き、魔力を散らしておけば、ランドリーズの翼も、天を翔けようというもの。ーーして『千竜王』は、どれだけ声を掛けるつもりだ?」「百。草の海を越えてから、竜の国まで、周辺の竜たちに頼むとすると、どのくらいになるかな?」「然ば、主が何を差し出すか。すでに考えがあろう?」「うん。今回係わった竜には、竜の国の居住権を上げようかと思っているんだけど。以前から考えていたことだけど、『千竜賛歌』に『三竜作戦』、そしてこれから起こる出来事と、人々の心が搔き乱されてしまうのなら。希望する竜が居るのなら表に出て貰って、大陸に竜が居ることが当たり前の状態にすることで、これらの軋轢を回避しようかと思っているんだけど。それはそれで、色々と問題があるとは思うんだけど、ーーそうなると、あとは好き嫌いの範疇になるから、竜が好きな僕の答えは一つ、ということで」
ああ、何だか、けど、けど、と言い訳のように四度も。どうしてこうなった、と言いたい気分である。大陸に影響を及ぼすであろう決定権が、いつの間にやら僕に委ねられていた。いや、そこに至るまでには色々あったんだけど、記憶の糸が絡まってしまったのか、いまいち判然としない。
踏み外したわけじゃない。自分で望んで、選んで踏み締めてきた。結局のところ、根本は、今も変わらず単純明快。僕は、竜と一緒に居たいのだ。もう手放すことなんて、僕の魂を閉じ込めることなんて出来ない。人よりも竜を選ぶ、いつかそんな日が来るかもしれないが、それはきっと、恐れることではないのだろう。
思惟の湖に潜ってみたが、何故だろう、随分と「千竜王」が 静か、というか大人しいのだが、若しや「千竜王」の願い、或いは志向に沿っているからだろうか。百が望んだ、「千竜王」としての自覚。あれからまた、僕に変化があったようだが、変化を恐れなくなったのも一因だろうか。
ーー小高い丘。顔を上げると、その向こうにラカールラカ平原。何もせずに戻ってきてしまった。などということはないが、発生源の双子には何も変化がないので、そんな気分にさせられてしまう。国とか体裁とか、そんなことを気にし過ぎているのだろうか。
空を見上げる。以前より見えている所為だろうか、わかることが多くなると同時に、限界を悟って諦めることが増えたような。答えのない問いに対して、答えを置いて(きめつけて)、予防線を張って(わかったふりをして)。あ~、駄目だ駄目だ、やることが決まっている、というのが、逆に不安を助長しているのかもしれない。これまでは大抵が手探りで、迷いながら、その都度、懸命に選びながら、恐々と、或いは無鉄砲に進んできた(あんりゅうのくちにとびこんでいった)。はぁ、失敗しないことが怖くなるとか、どんだけ自分に自信がないのか。順調に、思う通りに進捗していると、落とし穴に嵌まってしまいそうで、というか、嵌まらないのがおかしいような気になってくる。
「主は、あ奴ーーエルタスのことを気にしておらんようだが、問題ないのか」
慕われて、というより、崇拝や信仰なのだろうが。普段は邪険にしているように見えて、やはり気にはなるようだ。まぁ、それだけでなく、これは結果論になるけど、罪滅ぼしに、呪術を封印しようとしていたエルタスを赦して、今に繋がる可能性を残してしまったことに、思うところがあるのかもしれない。
「これは、希望的観測になるけど。コウさんが、エルタスさんの魔力の乱れを知って、何もしてないとは、到底思えない。逆に言うと、という言い方が正しいのかどうかわからないけど、ベルモットスタイナーがエルタスさんを介して成竜を操れているのは、精霊魔法だから、というだけでなく、魔法使い(おうさま)が魔法的に強化か補強か、何かを施してしまったから、という可能性も無きにしも非ず、と。そういうわけでエルタスさんは大丈夫だと思う。
それと、これは僕の本心だから言ってしまうのだけど。ベルモットスタイナーは、必要以上にはエルタスさんを傷付けないと思う。こんな事態になっても、僕は、彼のそういうところは信じている。この一件が片付いたら、東域に戻るんだけど、彼にも同行してもらおうと思っている。当然、責任を取ってもらったあと、皆が拒否しなければ、だけどね」
僕の甘さか、この事態を引き起こしたという罪悪感からなのか、被害を出さず解決させれば、それが叶うと、それが最適だと、僕の内で答えが出てしまった。
「それじゃあ、百、お願い」
面と向かっての反発ないが、当然と言えば当然だが、全面的な支持を得られているわけでもない。今はそのほうが、もといそれくらいのほうがいいだろう。草の海を渡り切る手前で、竜に呼び掛けてもらう為に、百にお願いしたわけなのだが。どうしたわけか、おやつを減らされてしまった仔竜のような、むずむずなお顔になっているのだが。
渋々首肯した百は、「千竜賛歌」のときのように竜の咆哮、ではなく、竜の鼻息みたいな竜声で、竜たちに語り掛ける、もとい条件交渉を行うのであった。
「我の声が聞こえておる竜は、耳を傾けよ。凡そ察しておるだろう、協力しても良いという竜だけ協力せよ。報酬は、竜の国、グリングロウ国の居住権だ。ーーん? それくらいなら、ーー了解した、主が其方らに愛称を付けるということで妥協しよう。ーーむ、氷と風だけでなく、我の所為でもあるだと? どういうことか? ーー何だと、人間が言うところの『甘酸っぱい』気持ちを駄々洩れにさせよう我が悪い……? ……もう良い、其方ら以外の、っく、『照れ隠し』だと⁉ 其方ら寄って集って、もう来ずとも良いわっ、ーーは? もう向かっているから無理? 知るか! 帰れ、というか還ってしまうが良い‼ ーーあ? 参じた光風が主を堪能したのに狡いだと? あー、わかったわかった。竜の国に来たら許可しようーーん? なっ、我の許可など要らぬと、っぐ、偉そう、だと……ぅぐ、一斉に騒ぐな! 黙れっ、喚くでないっ! 好い加減にせよ、其方らは仔竜か⁉ 竜にも角にも、其方らは全力で遣れ! でなくば、巣穴で不貞寝でもしておれ‼」
然ても、百は交渉事に向いていないと判明したわけだが。もう一つ判明したことがある。草の海を越えたので、スナと連絡を取ろうとしたのだが、魔力が途絶えているようなのだ。恐らくはベルか、彼が二竜にやらせているのだろうが、百の呼び掛けにさえ応じないとなると、ーーいや、原因の究明は後回しである。スナなら二竜の接近と、連絡が取れないことによる違和感に心付いて、相応の対処をしてくれるだろう。
然ても然ても、これは速過ぎる。風景が飛び去るように前から後ろへと流れて、判別することすら難しい。「結界」内は穏やかとさえいえる空間なので、自分たちのほうが移動しているということを忘れそうなる。ラカはもっと速いというのだから、「音を超える少女」は嘸や肝を冷やしたことだろう。然も、ラカは曲芸のように飛んでいても音を超えていたというのだから尚更である。
「皆、ランドリーズの角に掴まるが良い。天に向かうぞ」「くっ……」
翼を馴染ませる為に、一旦低空を飛ぶ、とリーズは言っていたが、急上昇しても大きな問題が生じていないのは、天竜としての能力なのか、イリア個竜の力なのか、どちらにせよ炎竜とは比べものにならない水準で、魔法を繊細に行使しているらしい。
音の壁に触れようとしているのだろうか、風を切り裂くようにリーズが空を、いや、天を翔ける。竜が近付いてーー僕たちからすると追い抜こうとする間際に、ユミファナトラ大河を逆流させるが如き、凄まじい水竜の息吹が吐かれる。大瀑布の真下に居るかのような轟音と衝動を散々に撒き散らしながら、僕らの進行方向に、魔力に因る大路を敷く。魔力が飽和しているのか、空路が歪んで見えるほどだ。
「これほどの極瀑布、初めて見ました! 魂が震える一撃、お見事でした、リア!」
「汚れを知らぬ、水の豪瀑! 魂が洗い流されるような美しさでした!」
ひゅう~~~~。どっご~~んっっ。
後方に、地面に落っこちた水竜が、樹々を薙ぎ倒す惨状が展開されている。
地竜に続いて、水竜。二度目なので、僕は百を見る。じっと見る。みーも嫌がるくらいに、じぃ~と見る。
「竜というのはな、本来、純粋なのだ。真っ白なのだ、素直なのだ」「うん。そこは否定しないよ。ーーで?」「……我が、全力で遣れ、と言うたで、主の祝福を得ようと、言葉通りに全力で遣りよる故、魔力がすっからかんになって、落ちてゆくのだ」
まぁ、そういうわけである。イリアやリーズが慌てていないということは、あれくらいでは傷付かないか、或いは負傷したとしても、自己治癒か治癒魔法で治るのか。
スーフスルリアーー水竜の愛称を即興で叫んだわけだが。愛称を付けるだけでは素っ気ないので、アランに命令されたユルシャールさんと一緒に、リアを褒め称える。落ちて行くリアの竜眼、というか表情が満足げだったので、それだけが救いである。
然てこそ、ここでまた言い訳が一つ必要になってしまうわけなのだが。この「千竜落下」にそれっぽい理由を付けなければいけないのだが、考えを巡らす暇もあらばこそ、アランがあっさりと差し出してくれる。
「ふむ。『痴話喧嘩』のあとの、『千竜闘破』ということにしよう。リシェが欲しくば我を倒すが良い。と仰った『ミースガルタンシェアリ』様に竜たちは果敢に挑むも、打ちのめされ、地上へと落下することになった」「「「「「ーーーー」」」」」「…………」
満場一致(約一名除く)、で決定らしい。何だろう、これらの噂が広まると、取り返しの付かない水準で僕の悪名が、いや、もう今の時点で手遅れなような気がしないでもないが。まぁ、竜にも角にも、突っ込み待ちかもしれないので、友人としてアランに尋ねる。
「『千竜闘破』の『とう』は、戦闘、の闘で、踏破を捩った造語ですか?」
あ、これは初めてかもしれない。アランがつつっと目を逸らした。あれ? もしかして、表情に変化はないがはにかんでいるのだろうか。竜の塒に石を投げ込むようなことはしたくないので、ユルシャールさん、もとい変魔さんの登場を期待したのだが、僕より鋭敏に察したらしい魔法使いは、巣穴に近付くような危険は冒さなかった。
「次は、炎竜グラニアルシェスタか。炎竜となれば魔力濃度に貢献すること請け合い。壁を超えるかもしれないとなると、我も準備せねばなるまいて」「ーー、……ん?」
ぴりぴり。
これは……? イリアの言葉より、近付いてきた炎竜の魔力より、遠くて、小さくて、それでも何故か僕の魂に響く、微かな、仄かな、ーーこの馴染んでしまったものは、魔力なのか、純然たる欲求なのか。胸を軋ませたこれは、期待なのだろうか、遙かな空に視線を送ろうとして、炎竜の息吹が視界を紅蓮に染め上げる。
ーーぴりぴり‼ ぴり…ぴり……。
「アルシェ! 大輪の炎花を、ありがとう!」「炎が……」「皆の者っ、備えよ!」
竜頭の最前に居たイリアが振り返って警告を発するが、気も漫ろで、反射的に炎竜の愛称を叫んだ僕の頭は、リーズの風を集めなければならない、と健気に働いてくれたが、直後に、それでは間に合わないと、本能のようなものが体に命令をぅっ⁉
「っ‼」
体が浮いてしまってから、百に掴まれば良かったと、やっとこ正答に辿り着けたものの、くぅっ、やっぱり混乱しているのか、さっきから支離滅裂な感じげぇっぶっ⁈
ぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅ~~。ーーごきっ。
投げ出された僕を抱き留めてくれたイリアは、初対面時のリーズと同じように竜の抱擁で、むぎゅ~とされてしまったのだが。まるで竜の首が折れたような凄い音がしたので、見なければ良かったと後悔したのも竜の祭り、燥ぎ過ぎた、或いは羽目を外し過ぎた天竜の首を、抱えた炎竜が体ごと回転させてーー、怖いですよね、本来真っ直ぐになっている頭が横になっていて、普通に目が合ってしまったので。イリアは頭を元に戻す為なのか、両手を放して、硬直した僕が地面に降りる前に、百が僕のお腹に手を回して天竜から距離を取る。……って、あ、と…いや、な、何事? 一時に色々と起こり過ぎである。竜にも角にも、百に抱えられて膝を突いた状態で、見澄まして状況を確認しようかと、
どっご~~んっっ。どっご~んっ。
思うや否や、後方と、そして前方から、「千竜闘破」の敗北竜の落下音が鳴り響き、剰え遠ざかって行くぴりぴりの名残が、爪を立てて(はなれがたく)尚思考を乱れさせる。
「前方で、向かう先で竜が落ちて、遠ざかって行く痺れるような(ほどよいしげき)ーーあれは、雷竜、なれば大陸に一竜となる、リグレッテシェルナ」
ぴりぴり、の正体は間違いない、ような気がする。敢えて言葉にすることで、間違いや勘違いなどがあったなら、正してもらおうとしたのだが。
「ふむ。雷竜が在ったとするなら、竜の共闘も有り得るわけか」「「「「「っ⁉」」」」」
ストリチナをリグレッテシェルナが攻撃。それにイリアも加担していたと、可能性を示唆しているのだろうが。雷竜の気配を感じ取れなかったとしても、これはーー。
アランの言葉を聞いて、僕と竜以外の人と「エルフ」が喫驚しているが、僕と竜の様子に、何とも言えない空気が漂う。
「…………」
どうしたのだろうか。先程もそうだったが、アランが精彩を欠いている。綻びを見せている、と言うのか、これは若しや、動揺、しているのか? ん~、そのことに王様は心付いていないっぽい? 初めてのことで対処できていないのか、地竜の喪失は、思った以上にアランの心を穿ってしまったようだ。僕が指摘するより、自身で克服するのを待つのが賢明だろうか。とりあえず、様子見、ということにしておこう。
「エイリアルファルステ。主を味見しようとした其方の味方なぞしてやらぬ。釈明、申し開きがあるなら、早々にするが良い」「えっと、味見って?」「確かに欲求に負けた我が悪いが、『千竜王』をごっくんした百竜には言われたくないな」「エイリアルファルステ。抜け駆けは許さないと言ったはずですが?」「やれやれ、これは、我の味方はいないようだ。是非もなし。これより解してゆくが、その前に。光竜ヴァーミュラー」
見ると、光を反射した、輝ける竜が迫ってきていた。見るから遣る気満々のヴァーミュラーーーミラだったが、息吹が眩し過ぎて何も見えなかった。
「晨明さえ服ふ、吉左右の運び手、ミラの名を心に刻みました!」「ミラ様、最高ーっ!」
ひゅう~~~~。どっご~~んっっ。
お願いします。もう少し考える時間をください。ユルシャールさんのように、単純に叫ぶだけ、というわけにはいかないだろうから、頭が焦げ付きそうになりながら捻り出してみたけど。ミラは安らかな顔で落ちていったから、きっと、たぶん、問題ない、はず。
「先ず、前方で落ちた竜は、ストリチナだ。そも、あの水竜は何がしたかったのか、ストリチナ地方から息吹を吐きながら遣って来て、『千竜王』に逢う前に力尽きた」「あー、そういえば、スナも百も、よくわからない竜だって、言ってたっけ」「リグレッテシェルナも同様かと思うておったが、主は、何ぞ感じよったか?」「あれ? 皆、リグレッテシェルナのことには気付いていなかった?」
見回すと、あとリーズの魔力からも伝わってくる。リグレッテシェルナは「隠蔽」の類いを使っていたのだろうか。そんな感じはしなかったが、と思い做したところで、時間が差し迫っているので仕方がないのだが、イリアが早々に答えを言ってしまう。
「紛らわしいことをしたのがストリチナ。問題を起こした、いやさ、問題があったのがリグレッテシェルナ。雷竜自身も知らなかったようだ、雷の息吹は魔力を散らしてしまった」
「先の、リーズの減速は、魔力濃度が薄くなったからだったのか」「薄くなった、というよりは、リグレッテシェルナの魔力以外は散らされてしまった、というほうが正しいでしょう。我が纏っていた風が、だいぶ剥がされてしまいました」
驚いて、哀しげに去って行った雷竜。竜が放っておけない僕は、百にお願いをする。
「百。レッテにも、竜の国に来ていい、いえ、来て欲しい、と伝えてもらえるかな」
「参じた、ということは、こちらの声は届きようか。主の頼みだ、リグレッテシェルナーーあの酔っぱ雷竜にも声を掛けてやろう」
レッテが飛び去っていった遙かな空へと向けられていた視線が、不思議な色合いの天髪を靡かすイリアに突き刺さる。お腹の中で仔竜が踊っているのか、ぷすぷすな不完全燃焼で生まれた風が、百の微妙な心境を伝えてくれる。
「あとはそこの、すっ天ころ竜のことだが」「ーーーー」「何を素知らぬ風を装っているか、つんつる天竜」「ーー、……っ」
ん? 今のは、「半竜化」しそうになったのを、無理やり止めたような感じがしたが。まぁ、それよりも、スナとの口喧嘩以降、口が悪くなってしまった炎竜をどうしたものかと悩んでいると、アランが何かに気付いたらしい、天髪に目を向ける。
「ふむ。つんつるてん、のところで反応したということは、天竜は毛が少ないのか」「……っ」「その反応からすると、毛が少ないのではなく、毛がまったくない、というほうが正しいようだ」「っ!」「色素が薄い髪で注意を引き、恐らくは魔力で生や……」「アラン」
こんなに早く表面化してしまうとは。この一件の後にしようかと思っていたが、僕はアランとイリアの間に割り込んで、嘗ては覗き込むのが恐ろしかった王様の目を、正面から見据える。
「アラン。相手が竜だとしても、身体的特徴を論っては、弄ってはいけないよ」
アランの瞳に、苛立ちと怒りが宿る。友人関係が壊れるかもしれない。でも、アランが望んだことを、アランが違えたとしても、僕が違えるわけにはいかない。アランを認めた、僕が許さない。
「……イリア。背中にぴとっとくっ付いて、すりすりするのは止めてくれないかな」
「我の所為ではない。我を庇った『千竜王』が悪いのだ。我の心がうずうずなのは、すべて、我を想って動いた『千竜王』に非があるのだ」
今、結構重要な、真剣な場面なので、魂が緩むようなことは止めて、もとい後にして欲しい。すりすりを止めたイリアは、僕の首に手を回して、めらめらであっちっちな百を、空の果てにも天竜とばかりに空惚けて受け流すと、打ち明け話を始める。
「認めよう。天竜は総じて、つんつるてんだ。然し、天竜はそのようなこと気になどしない。などと言えるのは、大昔のことでな。ーーラカールラカは、風竜にとって理想の風姿であることから、敬意と憧憬を集めているが。天竜もまた、見上げてきたのだ。天竜より天上く、疾く、美しく舞う(みりょうする)ラカールラカに、焦がれると同時に、何時しか、地を這いずるような、天を跨ぐ竜にはあるまじき感情が宿ったのだ。だが、それら醜きものを向けるには、ラカールラカは純粋に過ぎて、……いや、それはラカールラカが『千竜王』に逢うまでのことなのだが、竜にも角にも、竜の自尊心故なのか、ラカールラカとは似つかない自身の姿に、地に縛り付けられるような想いを降り積もらせてきたのだ」
深く深く、心に突き刺さった棘なのか、僕をむぎゅっとして、遙かな時の狭間で天に置き忘れてきた空隙を埋め(やわらげ)ようとするイリア。
然ても、罪作りな風竜である。ぽよんぽよんなラカの本性(?)が知れ渡ったわけだが、どちらのほうが良かったのだろう。憧れは憧れのまま、空を見上げていたほうが良かったのか、空を見上げている自分は、地にいるのだと現実を知ったほうが良かったのか。
「ああ、謝ってくれるなよ、其処な人間の王ーー『千竜王』の友よ。我らの有様は我らのものだ。それを侵すは、如何な『千竜王』の友垣とて赦しはせぬぞ」
僕の心情を慮ってくれたイリアが、少しだけ嘘を吐いてくれる。
「ーーリシェ。時間を呉れ。情が鈍い、と自身で思ってきたが、ただ、知らなかっただけなのだな」「無理に知ろうとしなくても、わからないならわからないままでも大丈夫だよ。たぶん、それは、ゆっくりと知っていったほうがいいものだからね」
僕自身、色々と見失っている身で偉そうなことは言えないのだけど。アランが気付いてしまったのなら、言うべき言葉を伝えたのなら、あとは心配だけしていればいい。竜の中には一竜居るから、人間の中にも一人くらい居たっていいだろう。
前を向くと、ユミファナトラ大河がぁぅ、
「早う、主から離れんか、この、つんつる天竜!」「今の我の話を聞きて、まだ言うか! その卑しき口を『千竜王』に塞いでもらおうか!」「くっ、口…だと、なんっ、卑猥な、このっ、曇天雨天!」「この妄想炎が! 胃炎筋炎肺炎結膜炎っ、どれでも好きなだけ燃えてしまうが良いっ!」「う……、下らない罵り合いだとわかっているのに、我も参加したいと思ってしまうのは何故なのでしょう」「それは、リーズがとても良い子だからだよ。角を撫で撫でしてあげるから……」「主はっ、目を離すと、何処まで恥竜になるのだ!」
いや、ほんと、地竜が可哀想だから、恥竜は止めてあげて下さいませ。真面目な場面、というか、そろそろ真剣にならなければならないのだが、まぁ、これまで何度も思ってきたけど、緩んでいるほうが僕たちらしいかな、ってのもあるので、これはこれで仕方がないのだろう、と諦めることにする。
「万塊の具現、破砕の塵芥、見事な魔力操作でしたっ、ニム!」「ニム様っ、最高ーーっ!」
もう乗っかるだけに、竜の尻尾に引っ付くだけになってしまったユルシャールさんと一緒に、ニムを褒め称える。
ひゅう~~~。どっっご~~~んっっっ。
地竜は飛ぶのが苦手で、やっぱり重いのか、他竜より早く落ちて、地上の被害も凄まじく。地竜を魔力で動かして、落ちる場所を選定してくれていたイリアの頭を、それだけでは満足してくれそうになかったので頬も撫で撫で、舐め舐めしてきたので、めっ、である。
「地竜、アトルニムスで最後。二十一竜で、古竜は二竜ーーストリチナとリグレッテシェルナだが、……もう、あれらは呼ばんほうが良いのやもしれんな」「呼び掛けに応えてくれたんだから、ちゃんと呼んであげないと。百は竜の魂なんだから全竜に優しくしないと」
実際のところ、百が竜にとってどんな存在なのかは、はっきりとわかっていないのだけど。百はコウさんの親友なので、王様と同じく隠し事をしている気配がぷんぷんしているので、スナと同じようには百の想いを受け取ることは出来ない。でも、僕の所為で百が変わってしまったのなら、或いは変われないのだとしたなら、これは僕の責任ということになるのだろうか。
「地竜が多かったですね。六竜応じてくれました」「……大陸で少ないのが雷竜、次いで天竜。多いのが地竜で、全体の三割となります。……地性なのか、飛ぶのが苦手な竜を、何故これほど配置したの…でしょう」「魔力を安定させる為の配分、とは言うが、お為ごかしにも聞こえる。この世界を創ったらしい神が、地竜が好きとか、斯様なことだったとて、驚きはせぬ」
そこで何故、僕を見ながら溜め息を吐いていらっしゃるのでしょうか、百様。然のみやは、リーズが僕を見られる位置まで歩いていって、ぺたんっと座る。
「リーズ。ここまでありがとう」「はい。ご武運を」
竜眼の深緑が優しく囁いてくる。初めは、少し怖いと思っていた竜眼も、魂が、いや、心が近付いた所為だろう、すとんっ、と落ちてくるようになって。そうだ、ラカとナトラ様の日向のような、木漏れ日のような、あの瞳を取り戻さなくてはならないのだ。
二竜の魔力でありながら、そうでない心地を抱いて、魂が、ずくんっ、と呻く。見えずともわかる。もう近くまで来ている。見ると、百がリーズから飛び降りたので、最後に風竜を一撫でしてから微笑んで、空に飛び出す。
「ぃっ!」
うぐっ。ちょっと高さと距離があって、足が痺れたが気にすること勿れ。安全な移乗の為に、百に乗っかったリーズは、見届けたあと、最後の力でちょっとだけ浮かんで。天竜を乗せた風竜が後方にーー。振り返らない。受け取ったから。彼らの力を借りずに、僕の我が儘でそうすると決めたから。もっと上手くやる方法はあったんだろうけど、僕にはこれしか選べなかった。いや、これを選べるだけのものが、僕にあったと喜ぶべきなのかもしれない。スナに百、アランにユルシャールさん、サンにギッタ。協力してくれた竜たち。皆が居てくれたから、僕一人ではどうしようもないことを、どうにかすることが出来る、かもしれない、ところまで持っていくことがーー。
ふと、兄さんにエク、カスルさんの言葉が脳裏を掠めたが、雑念を振り払う。
「見えた、な。やはり間に合わぬか。む? ユミファナトラを投下し、ラカールラカは上昇を始めたようだ」「百。そのまま状況を伝えて。それじゃあ、皆、二竜は分かれたから、誰が当たるかを決めよう」「ふむ。二人がナトラに乗っているのなら、私がベルモットスタイナーに当たる」
まだ本調子ではないのか、アランらしからぬ物言いをする。
「百。二人は、ナトラ様に乗っているよね」「ーー主の言う通り、『結界』に籠もって、ユミファナトラを指揮所に、固定砲台にでもするつもりであろうよ」
百の言葉を聞いた瞬間、ユルシャールさんは、信じられない、といった体で質す。
「ナトラ様は『結界』を……、抜けたのですか?」「わからぬが、地上まで下りたようだ」「となると、まさか、いや、スナ様であれば、移動結界、……それに属性変換まで付与されている、のでしょうか」「えっと、手短に、わかり易くお願いします」「『結界』を『移動』させることは、心象的に不可能、いえ、とても難しいことなのです。属性は……」「ユルシャール」「……はい。スナ様は、とっても凄い魔法を行使しているので、竜の国への被害を気にすることなく戦っても大丈夫だと思います」
アランに窘められて、とってもわかり易く説明してくれる変魔さん。
竜の魔法は竜に効かない。魔法を究めて、それを覆したのがスナ。スナの魔法は竜に、それこそ状況によっては、コウさんすら抑え込むことが出来る。ぽやんぽやんな風竜と同じく、冷え冷え~な氷竜は、僕の愛娘は、とっても凄い竜なのだ。
「僕とアランでベルモットスタイナーに当たります。ですが、それでも足りないでしょう。ユルシャールさんには、エルタスさんの状態を確かめてもらいます。僕が近付くことで精霊魔法が解けるのかどうか、魔法等で解法は可能なのかを探って下さい。そうして、出来るだけ早く、僕たちに加勢して下さい。百にはナトラ様を引き付ける役を担ってもらいますが、ユルシャールさんが一番危険な役目を担うことになるでしょう。僕たちで太刀打ちできなければ、ベルモットスタイナーも狙ってきます。お願いできますか」「そうですね。これが終わったら、ナトラ様が手を繋いでくださるというのなら、喜んで命を懸けましょう」「…………」「アラン。それくらいは認めてあげようね。それと、ナトラ様の説得もお願い」「……十、数えるくらいなら認めよう。ナトラが嫌がることはしたくないが、角磨きをもうしない、ということを引き合いに、交渉してみよう」
それは、逆効果じゃないだろうか、と思ったが、まぁ、一竜と一人の関係に口を突っ込むのも野暮というものだろう。アランを慮って道化たユルシャールさんだがーー、いや、こちらにも口出しするのは止めておこう。
僕が言うのも何だが、正解だけを積み重ねても上手くいかないことはある。間違いを積み重ねることで、届く場所が、行ける場所があるのだと、やっと、最近わかってきた。間違いは正せるが、正解を正すのは難しいのだから。
然ればこそ、僕が言葉を発するより早く、姉妹が告げてくる。決定事項、承服しないのならあたしたちを倒していけ(訳、ランル・リシェ)! と決意の程が窺える。
「ラカちゃんにはあたしたちが!」「あたしたちが取り戻す! とギッタが言ってます!」「スナとラカの戦い、竜同士の戦いーーそこは、主戦場となります。二人が行っても、役に立たないどころか、スナの邪魔をすることになり兼ねません。何より、命懸けとなるでしょう。それでも、ーーそれでも、征きますか?」「大丈夫! スナ様ならあたしたちを守ってくれるし、牽制に使ってくれる!」「竜丈夫! 氷竜様ならあたしたちの一撃の隙をついて、上手くやってくれる!」
ーー良かった。ちゃんと現状は認識しているらしい。スナの負担が増すだけになり兼ねないが、上手くすれば双子が言うように、実力が拮抗しているであろう二竜の戦いに風穴を開けることが出来るかもしれない。然しもやは本心では止めたい。危険過ぎる。カレンの名前を出して、天こ盛り竜盛りの嘘で脚色して。翠緑宮への伝令として、カレンの許に向かって欲しい。でも、彼女たちが自分で決めたことを、自らの想いと、勇気を振り絞って見つけた答えを、否定することなんて僕には出来ない。
「わかりました。じゃあ、ラカのことは二人に任せます。あの、ぽやんぽやんな風竜のお尻を叩いて、解き放って(じゆうにふかせて)あげてください」
二人に風の心地で差し出すと、隣にユルシャールが並んで。
「では、私からはこれを。当主である私の弟子ということで。ファーブニルの魔法紋です。魔法使いとして、歩み始めたとき、魔法紋がないのでは様になりませんからね。魔力を安定させる付与魔法を籠めてあります」「お~、何かかっちょいい!」「ん~、おーさまとかじょーしとかのは要らないけど。とギッタが言ってます」「ほ~、ゆるゆるのだったら、もらってあげてもいい!」
僕の言葉なんかより断然喜んでいるサンとギッタだが、まぁ、世の中そんなものだろう。
「ーー始まったぞ」
百の炎が籠もった竜声に、戦いの予兆に、皆が炎竜の行く先を凝望する。
方角からして、竜地のーー雷竜のやや南側だろうか、三竜の咆哮が世界を揺るがせる。大陸の歴史に、初めて刻まれる、竜と竜との戦いの息吹が吐かれた。
曇り空を波打たせるような、咆哮の余波が、百の「結界」を、僕らの全身を打つ。衝撃に耐えて、確と見据えて、未だ遠く、小さな竜の雫ほどの大きさの、竜の交戦、いや、竜の好戦に身慄いする。わかっているつもりだったが、わかっていなかった。竜が、本来の姿で戦うということがどういうことなのかを。その竜が、世界で並び立つものなき存在同士が、命の遣り取りをするということがどういうことなのかを。
数十の「土槍」が空に駆け上がってゆく。音もなく、細くも見える、巨大なはずの岩柱がスナに迫る様は、非現実的で、頭を鈍らせるようで。
スナが岩柱を無視して、翼を広げると、ラカの全周ーーいや、上空から風竜を取り巻くように氷の板が。同時に、スナがやったのだろう、ナトラ様が放った岩柱がその軌道を曲げて、中空のラカを襲う。
岩柱が風竜に吸い込まれる。そう思えるほどの時機で、巨大な氷板が展開して、ラカを包囲する、球状の下側が閉じられる。
「幻覚」だろうか、結界のような氷球の内側から、スナが舞う西側ではなく東側に息吹が吐かれる。ちらとフラン姉妹を見ると、やはり「幻覚」か何かの魔法だったようだ、スナの無事な姿に安堵の表情を浮かべていた。
ーーここまでで、ほぼ確定的と見て、僕は強い声で皆に告げた。
「ラカとナトラ様の連携が取れておらず、ラカはスナの居場所を見抜けませんでした。二竜は本領を発揮できていません。みー様のときと同じく、二竜の自我は抑え込まれていると見ていいでしょう。とはいえ、竜の力は絶大です。油断ーーなんてしないでしょうが、くれぐれも注意してください」
エルタスに操られたみーのときですら、エンさんとクーさんに重傷を負わせるという一方的な展開になった。この場に、コウさんのような甚大な、圧倒的な力を持った存在はいない。況して、相手は仔竜ならぬ成竜。
人間のような矮小な存在が係わってどうする。スナと百に任せてしまったほうが、邪魔をしないほうが正しい選択ではないのか。ーー本能だろうか、近付くほどに、逃げ出す為の言い訳を頭の中に投げ込んでくる。恐怖を克服する、などということは諦めて、あるがままに受け取る。怖かろうが何だろうがどうでもいい。重要なのは、それでも前に進む、進めるかということだ。興奮だろうか、熱くなった体に爪を立てる。
時間稼ぎか、何か策があるのか、氷球結界を強化しつつ、上空に留まるスナ。様子見だろうか、地上からのナトラ様の攻撃は止んでいる。
「……凄まじい、もはやわけがわからない水準で魔法が、魔力が入り乱れています。何一つ、辿ることも、触れることも……」
ユルシャールさんは、スナが現出する魔の極限に呑まれていた。
「ぁ~~‼」「「「「「「っ⁉」」」」」
ラカの咆哮が轟いて、風が、魔力が吹き荒らされる。氷と風の衝動が駆け抜けて、全身の皮膚を、神経を軋ませるような、ーーそれに強風が吹き付けてくる。百の「結界」が破壊されてしまったようだ、直ぐ様、風が穏やかになるが、その恩恵は感じられなくて。
スナの周囲に数百の「氷柱」が現れて、ラカを串刺しにせんと放たれるも、再び全方位に風の暴虐が 大気を、そこに在る存在を散々に切り裂いて、吹き払う。
「後ろ、放たれた。それと、空」
アランの声で、颶風を潜り抜けるようにして見遣ると、ラカの後ろに、氷柱の半分くらいの氷の棒が。ラカの風に粉微塵にされる氷柱とは明らかに異なる、深き白を湛えた単純な作りの氷棒が、ただ吹き荒れるだけの風を嘲笑うかのように、ラカの背中にーー。
スナっ、駄目だ‼
危うく叫んでしまいそうになった、いや、内心の絶叫が届いたのだろうか、殺到した岩柱が氷棒を塞ぐように、然しそれは、まるで薄い砂の膜のように儚く散らされるが。
ナトラ様の目的は、氷棒を防ぐことではなく、ラカを弾き飛ばす、或いは危機を知らせる為のものだったようで、既に風竜が翻って氷棒を回避する。
「ーーっ⁉」
「結界」だったのだろうか、透明な何かに氷棒が衝突すると、跳ね返った無数の氷針が、体勢を崩して逃れられない、ラカの真白な毛に吸い込まれた。。
抉られたのは、僕の体だったのか魂だったのか、削ぎ落とされるような、垂れ流されるような、沸騰するような応えをかなぐり捨てて、正面を見据える。
「びゃ~が~~っっ‼」「っ、備えよ! 息吹で相殺する‼」
まだ全力ではなかったのだろうか、風の悲鳴とともに旧に倍する圧倒的な大気の揺らぎを、百の炎が焼き払う。視界が炎色に染まる間際に、サンとギッタを後ろから押し倒して、覆い被さる。隣ではアランがユルシャールさんを引き摺って、角の陰に隠れたようだった。
見ると、百の魔力をもらって覆ったので、姉妹に怪我はないようだ。ご臨終なのは、僕の服の上で、下は片方が膝からないが、重軽傷には至っていないので、きっと持ってくれるだろう。
「あ~っ、邪魔っけ!」「う~っ、邪魔っこ! とギッタが言ってます!」
っ痛ぅ、うぐぁ、双子は魔力だだ漏れなのか制御ができていないようで、防御して尚弾き飛ばされる。仰向けになって、立ち上がろうとして、曇り空が目に飛び込んできて。
空。とアランは先に言っていたが。ーーそうか。ラカの風が放たれたのに、吹き払われることなく、曇天のまま。然あらば「結界」が張ってあるのだろうか、ラカを高所に逃がさないように? いや、今は悠長に考えている場合ではない。頭の隅っこに放り出して、一気に立ち上がる。そして、好機が訪れたことを知る。
「もーいーからっ、正ー面からっ、突っ込めーっ!」「まどろっこしいからっ、わけわからんちんだからっ、ぶっこめーっ。とギッタが言ってます」「百!」「征くぞ!」「……はふ?」「……ほふ? とギッタが言ってま?」
一所に留まるのは不利、いや、空を舞うことが出来ない苛立ちが極限に達したのか、ラカは数十の岩柱に向かって解き放たれる。加速しながら、岩柱に掠りながら、突風となって岩群を抜けた刹那に、岩柱の後部が砕け散る。
「……あれは」「ふむ。双子を乗せていたときは、手加減を、翼加減をしていたようだ」
音の壁を越えた、いやさ、音さえ切り裂くような風の化身となった風竜が、もう目で追うのも難しくなった白き閃光が、弄ぶかのように、見下すかのように舞い踊ると、通り過ぎた風が、ゆくりなくスナの「結界」と氷柱を打ち砕く。まるで現実が空想に置いてけぼりを食らったかのような光景にーー。
「あ」
息つく間もなく、真っ二つにされた氷竜が、更に細分化されて、魔力に還元されると、逆に風竜を見下ろす、傲岸なる八竜の氷竜が顕現する。風竜が一竜の氷竜を砕いて、須臾、七竜の息吹が吐かれる。
「ーーーー」
ふっと迷い込んできた、懐かしくも愛おしい、やわらかな匂いが。
ああ、駄目だとわかっているのに、止められないこともわかっていて、心から零れてきたものが、僕を微笑ませる。
「百。進路変更。ナトラ様ではなくラカに向かって。僕が合図したら減速して。サン、ギッタ。百が再び方向転換した瞬間に、魔力を纏って飛び出して。そして、視界が晴れるまでは魔力を纏ったまま『浮遊』で待機」
僕のすべてで受け止めて、もとい受け容れて、遣るべきことが自然と口から込み上げてくる。「幻影」なのか薄氷なのか、ラカの風に触れるだけで魔力に還元されていく七竜の氷竜。そうして風竜は、中空に現れた氷竜と地竜の対角線上に。
「ひゃっこいっ‼ ですわ~~っっ‼」
風竜地竜の注意を引く為だろう、スナは竜声を張り上げる。
特大の息吹が吐かれるが、期待したような極寒の凍気ではなく、ーーあれは、水?
水蒸気のようなものを漂わせているということは、冷たい水、なのだろうか。まるで水竜の息吹のようにラカに迫ると、風竜は咆哮とともに「風絶」で「極氷水」を乱打する。
「びゅ~ぎぃ~~っっ‼」
はっきりとは確認できないが、「風絶」が殺到しているらしい。均衡が崩れる前に、僕はスナの冷たさ(ここち)に導かれるままに、百に声を掛ける。
「百! ラカに向かって突撃!」
僕が叫んだのとどちらが早かったか。「風絶」に押し切られたかのように見えた「極氷水」が、爆発したのか破裂したのか、世界を塗り替えるような速度で、濃霧のような、真っ白なものに覆い尽くされる。
「百っ、これは?」
「冷気ーーに近いもののようだが。『結界』の外には、魔力を纏って出よ!」
促すまでもなく、サンとギッタが魔力を纏って、竜頭の左側に移動する。予測している間などない、風の気配に肌がぞわっとして、その感覚を信じて、百の角を叩く。
「ラカの咆哮から、百はサンとギッタを守って! アランとユルシャールさんは僕の後ろに……」「びゃあぁぁ~~っっ‼」
濃白が、これ以上ないくらいに色彩を掻き混ぜながら、途轍もない勢いで、真白の軍勢となって迫って、いや、敗走させられてくる(ふきはらわれる)。百が減速、右に旋回を始めたところで、視界の端で、飛び出していったフラン姉妹。
駆け出して百の鼻先まで、炎竜の魔力を感じて、体を固定させる。ゆくりなく晴れた景色に、正面にナトラ様と、まだ距離はあるが、確実に目が合った。だが、即座に放たれた岩柱が視界を埋め尽くす。戦いの息吹に、待ち切れないとばかりに百が熱を焦がす。
「くははっ! 炎竜は炎を吐くしか脳がないと、言うてくれたがな、ならば其方らの言う、小細工とやらをしてやろうぞ‼」
絡み合う炎の蛇。吐く、というより、噴き出すようにナトラ様の「結界」に襲い掛かった三匹の炎蛇は、互いを炎で灼いて、焼き尽くしたのか、「結界」に辿り着く前に自らの炎で消し飛ぶ。灼かれた大気は、炎に染まった空間は、岩柱の暴虐に勝る獰猛さで薙ぎ払って、竜と竜との、合間の魔力を軋ませる。
暴発したかのような、魔力なのか空気なのか、百の侵入を防ぐーー急激な減速に、ぎりぎりまで抵抗してから、百に魔力を返す。
何十枚、或いは何百枚か、仄かに感じるナトラ様の「結界」を盛大に破壊しながら、右手で「結界」を振り払って、軌道を調整する。そこに、ベルがーー、ベルモットスタイナーが、竜頭で膝を突いているエルタスに、手を翳すような姿勢で、
「地竜よ! 頭を下げよ!」
ナトラ様に命令した。
「ーーえ?」
……あれ? もう「結界」は通り抜けてしまったので方向転換とか勿論できないしちょっと亀のように見えなくもない姿のナトラ様の鱗は何か角張っていて凄く痛そうなんですけどーーって、いやいやっ、なんか走馬灯な感じでスナの笑顔とかラカの感触とか思い出している場合ではなくっ、
「エルタスよ‼ 我が下僕なれば、斯様な無様をいつまで晒しよるかっ‼」
突如、背後から百の咆哮がーー。ベルモットスタイナーが身を守るように腕を顔の前に持っていって、声のない叫びを上げたエルタスは、血涙を流しながら百の檄に応えて、炎竜に忠誠を誓ってーー。
「むっ⁉」
ナトラ様の竜頭が跳ね上がって、ベルモットスタイナーが気付いたときには、僕の左手が彼の外套の、内側のゆったりとした服に掛かる。
「がぁっ‼」「ーーくっ」
竜の顎を心象、これまでの人生で最も強く迸らせて、離してなるものかと、というか、離してしまうと天の国へとご招待なので、むしゃぶりつくようにーーふいに解けた一瞬の空白が、抗し切れぬと悟ったのか、僕に向き直ったベルモットスタイナーは剣に手を掛けているが、僕は右手で彼の反対の手を取って。細剣の柄が僕の頭を、地面に落ちた果物のようにぐしゃぐしゃに砕こうと迫っていたが、僕は判断を間違えなかった。
「っぐぁ⁈」
体を預けるように右手で引っ張って、上になる。下になったベルモットスタイナーは、僕の体重も加えて、ナトラ様の背中に強かに体を打ち付ける。衝撃で跳ね返って、回転が増す。次は、運だ。体を縮こまらせて、
「ぎぃっ!」
良しっ! と喜んでいる暇はない。ベルモットスタイナーの声でわかる、損傷に構わず攻撃してくる。だが、準備を終えていた僕のほうが一手、先を取る。
「ーーっ⁇」
痛みというより侵食するような衝撃に、硬直する「ハイエルフ」に更にぐっと押し付けながら全力で押す。ぐっ、痛っ、って、うわっ⁉ と、ぐふっ……。どうやら、服がナトラ様の鱗に引っ掛かったようで。見ると、いや、見るまでもなく、上半身は裸に。お腹の辺りに残っていた服の残骸を、先にベルモットスタイナーに損傷を与えた折れない剣で斬って、投げ捨てる。
「がーっ! がーっ! がーっ!」
地竜の足元が凍っていた。「土槍」で壊しているが、増殖する氷が壊すより早く、再生だろうか、ナトラ様を釘付けにしていた。「土槍」で砕こうとしているだけ。普段のナトラ様なら、こんな浅慮な、愚鈍な行いなど採らない。
剣戟。肌に響いた瞬間に駆け出す。全力で、そして間合いに入って、折れない剣で受け止める。アランに対しつつ、半歩退いて、僕に連撃。中途半端な一撃だったにも係わらず、一歩後退する。ーーうわ、これはとんでもない。どうやっているのかはわからないが、僕の特性にあっさりと対応される。だが、考察など後回し、再度間合いに踏み込む。
「小賢しい!」
ぐぅ……。これはきつい。あのときの、模擬試合の、アランの終の一撃には及ばないものの、ははっ、嗤いたくなってくる、速過ぎて、目で追えない、見えない。
アランが正面から打ち合っているから、何とか凌げているが、このままじゃ、じり貧もいいところだ。然も、ナトラ様の背中での、二度の痛撃に、折れない剣での魔力の毒を受けて尚これである。アランは攻め倦ねて、僕はーーフラン姉妹の言葉を借りるなら、ちまちまじめじめ嫌がらせ支援防御、だろうか、一撃一撃に、憤怒の塊のような、吹き荒れる斬撃に勝利の糸口さえ見えないが。だが、手繰り寄せる術はある。僕は、アランに策を伝えるべく叫ぶ。
「アラン! このまま長引けば、僕たちは勝てない! 一気に決着を付けるよ!」
「わかった! 出し惜しみは無しだ! リシェも全力でやれ!」
お互いに頷き合って、魂を燃やし尽くせとばかりに気合いを入れ直す、そんな僕たちの演技に、
「ははっ、出来るものならやってみるが良い!」
……あっさりと引っ掛かってくれる「ハイエルフ」。「英雄王」さん、もうちょっと頑張って欲しいなぁ、とか場違いなことを考えてしまうが、壊れない盾ごと思考が弾き飛ばされるほどのーー、くっ、まさか治癒魔法だろうか、先程よりも威力が上がっているような。
「リシェ! 精霊魔法だ! 体の内側にいる!」「ふんっ、やはり効かぬか」
剣を持っている右手ではなく左手が振られたが、精霊魔法らしい攻撃を知覚できなかった。それは朗報だが、その攻撃をアランに向けさせてはならない。僕は更なる嫌がらせの為に、もう半歩踏み込んで、声を張り上げる。
「ベルモットスタイナーっ! 何故っ、何故このようなことをするんだ‼」
アランが退いて間を作ると、卑屈に歪んだ口から、湧き出る情動を抑え切れないのか、想いが零れてゆく。
「何故? おかしなことを聞いてくれるな。風竜と地竜を手中に、『ミースガルタンシェアリ』を服従せば、竜を従えることも可能であろう。我の悲願っ、この魂に誓って赦しなどせぬ! 蔓延った浅ましき人種の世など壊してくれようぞ‼」
じくじくと流れ出ている。自分に言い聞かせるような言葉。ただの願望であると、それは叶わないとーー、それでも一縷の望みに縋って、潰えることのなかった千周期の、果ての空に散ってしまった透明なーー。引き摺られそうになって、僕は、ぎりっと噛み千切るように想いを断つ。そこに、ユルシャールさんの声が割り込んでくる。
「アラン様っ、リシェ殿っ、解呪は無理のようですが、大量の魔力を注ぎ込むことで一時昏睡させることが出来るかもしれません! 早期決着を望むのであれば、今より試してみます!」「「…………」」
無能な味方は敵よりも厄介だとは言うけれど。あ~、いや、変魔さんは全力で事に当たっているが為に、余裕がなく過誤を犯しているだけである。うん、きっとそうだ。
と、ーーん? 攻撃が来ないと思って見澄ますと、アランとベルモットスタイナーが互いを警戒しつつ、同じ方向に視線を。始めはユルシャールさんを見ているのかと思ったが、彼もまた振り返ったので、空に視線を放つと、振り上げたサンの左手を、同じく空に向かって右手を掲げたギッタが、二人が手を絡めるように繋いで、
「「『星降っ‼』」」
二つの声が重なって響き渡る中、大地に向かって姉妹の手が振り下ろされた。
……は? あ~、いやいや、何で「星降」? じゃなくて、今、サンだけじゃなくてギッタも一緒に喋ったような、というか左右で手を繋いだってことは、意図して二人は別々の動作をしたということで、てかあの王様はなんつー魔法を教えているのか⁉
「っ!」
ぐっ、取り乱している場合ではないっ。五ガラン・クン以上の魔力量があれば使えるとスナは言っていたし、善悪理非とかそんなものは後回しとして。
雲下を吹き散らして現れた星ーー魔力塊が降ってきて。その軌道に追い込むようなスナの攻撃。然し、空と風の支配者の如き風竜は、自我が薄れていようとも、自由なる翼を失わず、悠々と「星降」の軌道から外れる。
「良し! 二人ともっ、今です‼」「「う~っ、だぁ~っ、どっせい‼」」
ユルシャールさんの掛け声のあとに、フラン姉妹の声が続いて。
疑似星がぐぐっと曲がって、だが風竜は速過ぎて、然あらじ織り込み済みだったようだ、二人が繋いだ手を、魔力を纏わせているのだろうか、弾かれるように離すと、
ぱぁーんっ。
「星降」が爆発、いや、破裂した。
「びゃ~ぶぅっ⁈」
星ではなく、魔力の塊を砕いたことで、自壊させたことで何かを起こしたようだ、ラカの魔力が乱れたのか、風を見失ったかのように出鱈目に、制御を失っている。
勝機! とスナを見上げたら、万周期を閲した氷閑たる果ての主の如く佇んでいて、
「すなすなさまさま~」「あとはたのたの~。とサンとギッタ~」
魔力を使い果たしたのか、二人が落っこちていって。その横を、もう回復したらしい、風竜が空へと翔け上がって。ここからでは表情なんて見えないのに、はっきりと心に落っこちてきて。スナが最後の魔法を行使した。
「「「「「…………」」」」」
あんまりといえばあんまりなので、足元の氷塊と奮闘中だったナトラ様まで呆然と空を見上げてしまった、そんな曇り空で、何が起こったかというとーー。
ーーそれは、とても、とてもでっかい氷でした。
……って、独白みたいなことを言っている場合じゃなくてっ、いや、ほんと、何があったかというとーーふぅ、その、一旦頭を冷やすだけの時間をください。
さて、愛娘は父親の常識を食ってしまったようなので、そろそろ現実を直視しよう。
曇った空から氷が、ずもっ、て感じで氷塊が出てきた。それだけなら問題ないかもしれないが、では、なにが問題かというと、その大きさである。正方形の、とてもでっかい氷は、竜の国よりも大きくて、三寒国や同盟国の一部も潰しちゃう感じの、いかしたやんちゃ娘さんで、ーーあ、今、まるで吊り下げられていた糸が切れたかのように、落下を始めてしまいましたとさ。
ラカが息吹きを吐いて、氷の表面をがっつりと削るが、氷塊の大きさからすれば、ギザマルの爪の一撃よりも細やかなものでーーって、いやいやいやいやいやいやいやいやっ、お負けでも一つ、いやっ! そうじゃない! 今はそうじゃなくてっ! 姉妹の「星降」は落ちてきたっ、落ちてくることが出来たってことは、極氷塊なのか至純氷はぜんぶがぜんぶ本物ってわけじゃないってわけだ!
ふぅ、落ち着いたら、ちょっと落ち着け。って、落ち着いてないことを確認したので、もうそろそろ落ち着こうか。そう、つまり、大丈夫ってことで、僕は愛娘が大好き(じぶんよりもしんようしてます)っていう事実を確認したので。何より、でっかい氷は、スナの合図だったので、僕は先走った魔法使いを止めることから始めた。
「だから変魔さんっ! 目的は時間稼ぎなので、あとエルタスがおかしなことになるかもなので、余計なことはしないで下さい!」
あ、やばい。どうやら完全には冷静さを取り戻していなかったようで、うっかり内心の呼び名が口から飛び出てしまったが、竜は振り返らない(いないいないりゅう)、ということで、何もなかったことにして、アランに大声で伝える。
「アラン! 時間稼ぎはここまで! ここからは全力でやります!」「ーーーー」「っ!」
心付いたベルモットスタイナーは、全神経を傾けてアランに対する。アランの全力ーーあの終撃が奮われる。僕たちの勝負を見ていたであろうベルモットスタイナーが、アランに向き合うのは当然で。知られていたとしても構わない、アランの援護の為、僕は今日初めての、攻撃を行う。
「くっ」
高速で左右に剣が振られたように見えた。まったく見えなかったが、必要なことは、わかったことは一つ。僕の折れない剣が受け止められたこと。そう、これまでのように弾かれなかったので、剣身に掌を叩き付けた僕は、体ごと突っ込んで、折れない剣をベルモットスタイナーの体にくっ付ける。
「ーーよくも私のナトラに狼藉を働いてくれたな‼ 報いを受けるが良い‼」
大声を出し慣れていない所為なのか、というか、声を掛ける(ほんしんをさらけだす)間があるなら、さっさと攻撃して欲しかったのだが、きっとアランには必要な言行だったのだろう、ベルモットスタイナーが折れない剣ごと僕を強引に払って。精霊魔法を使っているのかもしれない、細剣と魔法剣が激突して拮抗ーーいや、それでもまだ足りない、アランが押し返されている。
「ふぅ~」
一息だけ吐かせてもらう。時間稼ぎーー竜にも角にも目的は達成したのだから、これくらいは許して欲しい。
「どぉ~りゃあ~‼」
ベルモットスタイナーの注意を引く為に、大声を上げながら飛び上がる竜騎士団団長。一瞬の隙を突いて、死角からドゥールナル卿が渾身の一撃を叩き込む。それだけに留まらず、竜の国の宰相とサーミスール王の魔法が「英雄王」を追撃。
「我をっ、舐めるな‼」
アランを弾き飛ばして、直後、剣を受けつつドゥールナル卿に体当たりを敢行、魔法を、腕が傷付くことも厭わず、回転して薙ぎ払うが如く、その勢いで斬り掛かってきたエンさんに剣を突き出して、ーーずぶり。
「なっ⁉」
壮絶な笑みを浮かべた豪胆な男は、「英雄王」の右腕をがっしりと掴んだ。
走り寄っていた僕は、背中から細剣を生やしているエンさんの横を抜けて。精霊魔法なのだろうか、僕には見えないが剣を持ったかのような左腕が振るわれて、ドゥールナル卿の長剣が断ち切られた、その隙間に体をねじ込む。
体に、何かが当たったような感触があったが、そぉぶっ、
「ぬんっ‼」
過たず、最良の行動を選ったドゥールナル卿が僕を押し退けて、ベルモットスタイナーの左腕を握り潰すように両手で絞り上げる。
「この程度でっ、我を押さえ込めるなどと……」
言葉を必要としない、冷たい刃が終演を告げる。これ以上深く入れば致命傷となる、ぎりぎりのところで。魔法剣の効果なのか、思ったより出血は少なくて、アランに呼応してエンさんとドゥールナル卿がベルモットスタイナーを引き倒す。のだが、さすがに限界だったらしい、エンさんは勢いのまま、三歩、四歩と蹈鞴を踏んで、駆け付けたエクリナスさんが膝を肘に、左手を手首に、右手を肩口に、魔力も纏って抑え付けて、それでも油断できないといった表情を浮かべている。
「そろそろ、諦めませんか?」
仰向けに、三人に抑え込まれて、首には魔法剣が、生殺与奪は握られて、命は古風竜の前の仔炎竜だというのに。膨れ上がるような魔力が、憎しみ、などという言葉では足りない、焦げて、それでも焼き尽くして、凝ったものが瞳に。
服も体もぼろぼろ、疲れてしまったので、上から見下ろすよりも良いかと、座り込んでしまう。人種の代表者としてだろうか、すべてを僕にぶつけてくるので、僕は防御が得意なので、ひょいっと躱すことにする。
「エンさん。大丈夫ですか?」「こりゃあ、致命傷ってやつだが、問題ねぇだろ。こぞーん戻って来たんならちび助に……」「いえ、僕たちはまだ事態を解決していません。魔力が安定せねば即ちコウさんを起こすわけにはいきません」「にゃろう、もっとわかり易く言いやがーー」
言葉の途中でエンさんが固まる。僕には見えないが、「結界」のようなものが発動したのだろう。死の間際で効力を発揮するという、コウさんの魔法ーー実はちゃんと行使されるか少し、もとい大いに心配だったのだが、無事に成ったようなので一安心。ではないので、ベルモットスタイナーの首の前に手を持っていくと、
「リシェ。邪魔をするな」
底冷えする声が、疲れ果てた僕の心に突き刺さる。「ハイエルフ」の首を切り落とそうと、双剣のもう片方が振るわれたので、地竜の魔力を借りて絡め取ってしまう。それから、近くの、人が隠れられるほどには大きくない樹木を一瞥する。
「くっ⁉」「クーさん、落ち着いてください。エンさんは大丈夫です。コウさんを起こさずとも、ちょっと大変かもしれませんけど、どうにかはなります。周囲を見てください。竜がこんなに居るんですから、どうにかならないはずがありません」
ふぅ、コウさんが、大切な妹が係わっているからか、二人なら気付けるだろうに。もしかしたら魔法使いに何かあったのだろうか。それで平静を失ってーーというわけではなさそうだ。珍しく羞恥心で彩った宰相の表情は、妹が大好き過ぎる姉のものだった。
どすんっ。と音がしたので見てみると、でっかい氷が、もとい氷漬けの白竜が。「人化」したスナは、ナトラ様の竜頭に降りると、ぺしんっ、とエルタスの頭を叩く。膝立ちの姿勢から、前に倒れようとする呪術師を、ユルシャールさんが支えようとして、何か支障があるのだろうか、スナが止めていた。
「弟子の前だろう、腑抜けた様を晒すでないわ」「……扱き使っておいて、……言う言葉がそれか、命…短き老人を労ったところで……、竜だって怒ったりは…しないぞ……」
言葉通り、扱き使われたのだろう、老師が力尽きるようにうつ伏せに倒れていた。その横では、スナが何とかしてくれたのだろう、意識を失っているらしい双子をカレンが介抱していた。まぁ、老師と、その老師を扱き使ったドゥールナル卿には感謝である。迅速な行動を起こしてくれなければ、最良、と言える形では、いや、最良となるかどうかはこれから次第。一番の問題が残っている。この沙汰によっては、最悪にもなるだろう。
「エクリナス様。ドゥールナル卿。ありがとうございます。もう放して頂いて、問題ありません」「ーーのようだな。わしは、あの無様な男を嘲笑ってくるとしよう」
老師に関してなら、本当に遣りそうなドゥールナル卿だが、二人の関係に口を挟むのは、どうやったところで僕に被害がありそうなので、いないいない竜。
「ーー私の地竜か。聞いていたのとは異なり、熱いものを秘めた男のようだな、ストーフグレフ王」「『ハイエルフ』は、伴侶を喪っている。あのように言えば、油断を誘えるかと思ってやったまでだ、サーミスール王」「…………」「ーーーー」
王様二人は仲良しではない(あっちっちならぬひえひえ~)? 竜にも角にも、僕の可愛い娘が遣って来ても、口ではああ言っていても地竜を操ったことが許せないのか、アランは未だ剣を収めてはいない。
「殺せ」
たった一言。諦めた顔ではない。では何か、と問われれば、僕の内に答えはない。
千周期の想いに、決着など付けられるのだろうか。そう思って、それを否定せず、受け容れる。僕には出来ないだろう。そして、出来ないのなら、それでいいのだ。
僕の心が、そこまで落ちてくれたので、始めることにする。
「何か、勘違いをしているようですね。簡単に殺す、そんな優しいことを僕がするとでも思っているのですか?」「…………」「打ち明け話、というのも悪くありませんね。これから自分がどんな目に遭うのか。それを知らないではあまりにも滑稽、いえ、哀れですから。ーーあなたは、僕の特性について、どのように見極めましたか?」「……わからぬ。有り得ないこと、『千竜王』とやらの力のようだが……」「この特性が、どうして僕に具わったのか、それはわかりません。然し、ずっと付き合ってきたので、その根本のところを、意図して使うことは出来るようになりました。翠緑王に依ると、僕の特性、力ーー能力とは、境界魔法に似ていて、『反射』に相応するそうです」
……うわ、危なかった。自分の特性の具体的なところまでは考えていなかったので、大広場でスナから聞いた、危険っ娘が研究しているという魔法を流用させてもらったが、うん、これは悪くない。僕は一瞬で組み立てて、演技を続けることにする。
「これは、禁術、に相応するそうです。それ故に、この力は、自分にのみ、向けてきました。ですが、初めて、それを他者に向けてみようと思います」
掌をベルモットスタイナーの額に。それから、ちらっと愛娘を見る。見なくてもスナは了解してくれただろうけど、僕のほうが耐えたれなくて、氷竜の心地に触れたくて、心を抑え切れなかった。
僕の掌の周辺から、禍々しい光が溢れ出す。……いや、そこまで毒々しい演出をしなくても良かったのですが、とスナを見ようとして、いやいや、演技の途中だと断竜の思いで視線はそのままに、説明を加える。
「な、何をした……」「『反射』を一つの事柄に用いました。これ以後、人に恨みを持つことをーー止めたりなどはしません。ただ、それを実行に移した際に、それが人ではなく『エルフ』に向かうようにしました」「ど、どういうことだ⁉」「簡単なことです。人を傷付けようとすれば、あなたは『エルフ』を傷付け、人を滅ぼそうとすれば、あなたは『エルフ』を滅ぼすことになる。未来永劫、いえ、あと千七百周期ほどでしたか、存分に魂を軋ませると良いでしょう」「ーー我が、我が、『エルフ』を滅ぼすというのか、……そのような、そのようなこと!」
駄目だった、か。今行ける、僕の終着点、いや、通過点。魂に重たいものが乗っかって、それでも顔を上げなくちゃいけないから、アランを見て。了解してくれた王様が魔法剣を英雄王の首から外して、ーー慮外なことを言った。
「リシェは、優しいな」
は? 何ですと? ……うっ、どきんっ、とか心臓なんて脈打ってなんかいませんよ、優しい、と言った、アランの表情のほうが優しい形を作っていたからといって、いや、これは驚いたからで、王様の笑顔が魅力的だとか不意打ちを食らったとーーごぷんっ。
「なっ、何が優しいというのだ! こ、このような仕打ちのっ、何処がぁかっ⁉」
「あら、随分と父様を可愛がってくれたですわ? 父様を可愛がって良いのは、愛娘の、氷竜だけの権利だというのに、それを侵害された怒りは何処へ向ければ良いのですわ?」
属性を解放して、氷竜は微笑む。これ以上、冷たい場所など、この世界の何処にもない。その極寒に抗えようはずもなく、ベルモットスタイナーが魂を凍り付かせる。
「いつまでも隠れていないで、出てくるが良い」
アランも気付いていたようだ、樹木に向かって、威圧感を、戦意を高ぶらせる。
「「…………」」
外套を纏った「ハイエルフ」らしき二人が近付いてくる。僕以外、もとい、僕とスナ以外は見えていなかったらしく、皆は軽く驚いて、背後に突如として現れた「エルフ」に、即座に剣を抜こうとしたカレンを老師が諭していた。うん、確かに老師は、働き過ぎなようだ。でもって、エンさんを助ける為に、もっと働かせようとしている僕は、さて、極悪人となってしまうのだろうか。
魔力を纏っている感じはないが、身軽に地竜の体を駆け上がってくる「エルフ」。
「ふむ。千周期、憎んだのだろう。人を、何より自身を、焼き尽くしたのだろう。ならば、もう良いのではないか。終わらないのだとしても、区切りは必要だったのだ。これ以後は、出来なくなった。したくても出来ない。
ーーもしそれが、しなければならない。したくなかったのに、しなくてはならない。そんな、自身さえも忘れていた軛だったというのなら。私は許しはせぬが、リシェがそうしたというのなら、親友として、その意を酌まぬわけにはいくまい」
エクリナスさんを見て、何やら勝ち誇っているらしいアラン。何だかよくわからないが、折角いい感じのことを言ったのだから、ああ、いや、もしかしたら、これはアランの照れ隠し、だったのかな?
「っ、だがっ、そのようなこどぉっ⁈」
って、いやいや、首を結構深く斬られているんだから、そんな、ごすっ、と手加減があまりない感じで蹴り上げなくても。などと思っていると、更に容赦のない言葉が降り注ぐ。
「ベルモットスタイナー。小僧の分際で、勝手に『ハイエルフ』の命運を背負うでないわっ。今ある苦境は、古きに至った我らの責ぞ。そなたら若造が背負えるなどと、烏滸がましいことを言うでないわ!」
若く見えるが、古き、と言うからには、二千周期を超えているのだろうか、ベルモットスタイナー、ああ、もういいや、ベルさんより魔力が枯れたような感じがする。
「まっ、長老の言う通りです。お情けで族長を遣らせてもらっている身で、勘違いしないでください。私はあなたに預けたつもりはありませんよ。私のものは私のものです。たとえあなたであろうと、私のものを奪うことは許しません」
子供、ではないだろうが、身長が低い、とは言っても僕よりは高い「エルフ」は、ちらと僕を見て、何だろう、頬を染めているように見えるのだが、いやいや、そんなことよりも、治癒魔法とは違うようだが、それに類するものを施しているようだ。ベルさんの首の傷が塞がってゆく。
「然し、然し……」「まだ言うか!」「ぐぉっ!」「皆様、此奴にはよく言い聞かせておく故、性根を正す為にも、償いの機会を頂けないでしょうか」「はい。先に言ったように、事態はまだ解決していません。精霊魔法の使い手は、何があるかわからないので、やはり必要となるでしょう。僕たち、いえ、僕としては、気心が知れているベルモットスタイナー殿に同行していただければ助かります」「我はっ、ぎぃ⁉」「感謝いたす」
ベルさんだけが脳筋、もとい短慮、じゃなくて、そういう気質かと思っていたが、
「あなたが嫌なら、私が代わりに行っても構いませんよ。というか、代わりなさい」
目元まで覆い(フード)で隠した、ちらりちらりとこちらを見てくる「エルフ」に鑑みるに、どうやら一筋縄ではいかない「エルフ」がたくさん居るらしい。実は、ベルさんって、「ハイエルフ」の中では付き合い易い「エルフ」だったのかもしれない。
竜にも角にも、僕以上にぼろぼろになったベルさんは、古き「エルフ」に首根っ子を掴まれて、引き摺られていってしまった。
ぱきぃーん。
純氷が砕けるような耳に心地良い音がしたので見てみると、「人化」したラカが、ぴゅ~と飛んでいって、フラン姉妹にぽっひょんっ。
「ゆぅ~~~~っ!」
意識があったのだろうか、ラカにぎゅ~とされて、二人の顔が「もゆもゆ」になっていた。逆に「ゆもゆも」なお顔のカレンさんが、遠ざかって行く風竜を見送って。
「りえっ、りえっ、りえっ!」
ぽひょっ、と勢いよく風竜が突っ込んできて、上半身裸なので、風の心地だけでなくペルンギーの宝石まで体を擽ってきて、何だか悶えそうになってしまうのだが、
「何ですわ、その瘤は?」
魂の底まで冷えっ冷え~。ごぷんっ、って、いやいや、最初から終わっていてどうするっ⁉ 説明、ではなく、釈明、というか、懺悔? いやさ、もういっそのことーー、
「わえは瘤じゃなー。こんは、りべぇっ」「誰が、こん、ですわ」「こんっ、こんっ、こんっ! 氷はやー」「あ~、はいはい。ちょっと待ってくださいね」
氷と風が遊んでいたので、僕も交ぜてくださいと仲間に入れてもらう。……いや、ごめんなさい。現実逃避をしている場合じゃないのはわかっているので、さっそく行動に移ることにする。膝を折り畳んでいるラカを真っ直ぐにしてから、片手をポケットに。布を解くと、ナトラ様の魔法が効果を発揮してくれたらしい、安堵の溜め息を吐く。
「ーーっ」
すっと近付いて、仔犬のように可愛くなってしまった愛娘の髪に、雪の結晶を飾り付ける。この幾何学模様のような精妙な形は、ナトラ様から教えてもらったものである。人にも、竜にも見えないが、魔境を使ったら見えたそうだ。大きな結晶と、小さな結晶を幾つか、左の耳の上辺りに、氷髪を通して、うん、これで出来上がり。自分で言うのも何だが、スナの可愛さが一段と引き立ったような、抱き締めたいが、あ、そうだった、風竜が居るのでお預けっと。
「意匠や材料までは無理だったけど、僕に出来る範囲で、ちょっと不格好かもしれないけど、ははっ、その拙さも含めて、僕からの贈り物」
スナにもっと触れたいが、我慢して一旦身を退くと。
「っ、っ!」
即座に指で三つの楕円を空中に描いたスナは、そこに映った自分の姿を、僕が贈った髪飾りを、頭の位置を変えながら、しげしげと眺め遣って。炎竜が呆れる前に、いや、手遅れなような気がしないでもないが、もう一つ、差し出す。
「これは、何ですわ?」「う~ん、ちょっと説明し難いんだけど。灰素、若しくは、無素、と呼んでいるけど、スナに調べてもらって、他にいい呼び名があるなら……」「って、待つですわ! ほんとに何ですわ、これは⁉」
あれ? そんなに驚くようなものだったのだろうか。エクに唆されて、食ってしまった、竜の雫の成れの果てなのだが。
「そんな変なものなのかな?」「変、というか、有り得ない物体ですわ。これは、無属性ですわ。こんなものが形として存在しているとか、正気を疑いますわ」「それもスナへの贈り物だから、試作品に使って……」「馬鹿ですわ、父様! こんな危険な代物、先ず基礎の研究から、どのような作用があるのか、って、何ですわ、誤魔化すように頭を撫で撫でしてきてーー」
それでも嫌そうではない愛娘への愛情が弥増していくのだが、竜にも角にも、僕なりに決めておいた、氷と風ががっちんこしない「氷風作戦」の決行である。因みに、炎まで絡めるのは無理だと諦めたので、明日、挽回ができたらいいなぁ。
スナが心付いて見上げると、皆の視線が空へ。「ほくほく」と、何やら暖かそうな四番が、ふわぁ~と漂ってきて、風の塒、或いは風城、千羽宮や白亜と呼ばれているラカの寝床の全貌が明らかになる。
「えっと、ラカには凄い迷惑と、凄い助けてもらったから、スナとはこれからいつでも一緒に寝られるし、今日はラカへのご褒美ってことで、風の塒へのご招待を受けるということになったので……」「ということは、僕にも何かご褒美をくれるです?」
これまで黙りだったナトラ様が尋ねてくる。というか、そうだった、僕たちは未だ地竜の上に居るのだった。地竜の意を酌んで、かどうかは自信がないが、とりあえず提案してみる。
「ナトラ様には、許可、を差し上げます」「許可、というと、何の許可です?」「それは、今日、スナと一緒に寝てくれればわかります。ナトラ様なら、そこにある『秘宝』を気に入ってくださる、はずです」「決まりです。今日は一緒に寝てあげるから、そんな霜柱みたいな顔をしているなです。それにヴァレイスナが望むのなら、話を聞いてあげるです」
ナトラ様には、スナのことを話していなかったのだが、竜の国に残った氷竜に、分析に依らすとも、何か感付くことがあったのかもしれない。
「ふんっ、ですわ」
スナの内で、まだ躊躇いがあったのだろうか、父様の為を思って渋々納得してあげるのですわ(訳、ランル・リシェ)、と可愛過ぎる(ぷんぷんな)愛娘。ああ、どうやら僕のほうこそ、スナ成分欠乏症に罹患しているようだが、今日は風を、ーーどむんっ。
「ゆっゆっゆっゆっゆっゆっゆっゆっ!」
思った以上に、疲れていたのかもしれない。間違えたかもしれない。というか、もう手遅れなのだが、これでぜんぶ終わったんだったっけ? 何か忘れているような気が? と思考を巡らせようにも、ああ、でも、束縛から解放されたラカがあんまりにも心地良い風を吹かせてくれるので、皆にもお裾分けをしょうと居回りを確認したのがいけなかった。
普通に運んでいってもらえば良かったと、そんな風に思ったのは、皆さんの冷たい目に見送られてからのことでした。
「ゆっゆっゆっゆっゆっゆっゆっゆっ!」