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竜の国の侍従長  作者: 風結
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三章 風竜地竜と侍従長 後半

 ぎっぎっぎっ。ばたん。

 正門の扉を閉めたので、ラカにお願いをする。

「ラカ。姿が見えるようにしてくれる?」「ひゅ~。わかったのあ」「「「っ⁉」」」

 隊長と、報告を終えて戻ってきたらしい兵士を加えた三人が仰天する。まぁ、竜が三倍に増えたのだから、驚天動地ならぬ驚風竜地と言ったところだろうか。

「手鏡は、武具の下敷きになって壊れていたようですが、ラカールラカ様が探し出して、ユミファナトラ様が修復と強化をして下さいました」「っ‼ あっ、ありがとうございますっ!」「ぴゅ~。手鏡は、いい風が吹いてう。大切にするのあ」「高透過硝子(ガラス)にすることも出来ますが、元のままが良いです?」「え? あ、はい……。このままでーー、このままのほうが。ラカールラカ様、ユミファナトラ様、本当にありがとうございます!」

 手鏡を胸に、真摯に頭を下げる隊長。

 然ても、人に感謝される気分はどんなものだろう。本来、竜からすれば、人の存在など些末(さまつ)なものに過ぎない。自身の、心の内の揺れを確かめているのだろうか、ユミファナトラ様は、少し困った顔で。ラカのほうは、良いことをしたので、頭を撫でてあげる。

「侍従長殿も、感謝いたします」「いえ、僕は何もしていませんから。それよりも、こうしてラカールラカ様とユミファナトラ様に姿を現して頂いた理由ですがーー」「は?」

 見ると、ユミファナトラ様は、納得の体。ラカは、素知らぬ風。百竜は、う~ん、どっちだろう。武闘派らしき隊長たちの顔は疑問符だらけだったので手掛かり(ヒント)を出す。

「ミースガルタンシェアリ様だけで事足りるかもしれませんが、ラカールラカ様とユミファナトラ様もいらしたほうが、フフスルラニード国に有利に働くのではないですか?」

 兵士二人は望み薄だったが、指揮する立場にある隊長は考え及んだようだ。

「この度の一件、当事国以外に手を出させるつもりはありません。また、三竜を始め、竜の国、ストーフグレフ国が一つの国に肩入れすることは得策とは言えません。フフスルラニード国が賢明な判断をすることを期待いたします」「ーーその(げん)、しかと伝えます」

 形見の手鏡を受け取った彼の感謝は本物のようだし、信用しても大丈夫だろう。竜とはいえ、ラカをくっ付けている、不真面目に見えているかもしれない僕が信用できるかは、ちょっと不安だが。皆に紹介するから、眠らないようにね~。ということで、背中を両手ですりすりしながら、遣って来た一行の許へ向かう。

「こちらに戻ってきたんですね」「ふむ。しばらく待って、出てこないようなら宿へ、ということになった」「ーーアラン様。普通に会話していないで驚いて下さい。まるで驚いている私たちのほうがおかしいようではないですか」「はは、では一つずついきましょう」

 驚きと好奇心の比率は異なれど、アラン以外の皆は、これは当然のことだけど、一様に面食らった顔をしている。一生に一度どころか十生に一度だって遭遇することのない幻想と憧憬の内に在る竜が、三竜も顕現(けんげん)しているのである。動揺しないほうがおかしい。そう、おかしいんだけど、この度は、そのおかしい王様にお願いしたいことがあった。

「ユミファナトラ様。こちらは、僕の友人でアラン。彼にユミファナトラ様の愛称を付けてもらおうと思っているのですが、よろしいでしょうか」

 懐いてくれるラカを優先して、時機を逃した、ということはあったけど。この案を思い付いたあとは、名案であるような気がしたが。あとは、いつも僕がやらかすように、迷案でないことを祈るばかりである。「名付け親」作戦の成果や如何にーー。

「実は、リシェ殿が、いつ僕に愛称を付けてくれるのかと期待していたです。でも、僕は我が儘です。二番煎じよりも、ときには(ひそみ)みに(なら)うのも、面白そうです」

 相対する地竜と王様。無表情に見えるが、真剣に悩んでいるらしい。と看取したが、

「ふむ。では、ナトラ様にしよう」

 ……本当に悩んだのだろうか、あっさり決めてしまうアラン。というか、それでいいのだろうか。ユミファとかファナとか、もっと可愛らしい愛称がたくさんーー。

「いえいえいえいえ、アラン様っ! もっと可愛らしいーー」「良かったです。実は、なよっちい名前があまり好きではなかったです。ナトラーー、うん、ナトラ。強そうで、気に入ったです」「ふむ。気に入って貰えて良かった、ナトラ様」「リシェ殿は、ヴァレイスナを呼び捨てにしているそうです。興味があるので、アランもそうするです」「わかった、ナトラ」「くふふ、擽ったいですが、悪くないです」

 ふぅ、良かった。余計なことを言わないで。余計なことを言い掛けた変魔さんの、竜の鼻息を浴びたような、むず(がゆ)いのを我慢するような顔を、他人事のように見ていると。

「次です。リシェ殿と百竜は、手を繋いでいたです。あれもやってみたいです」「っ! あ、あれは、主が迷子にならぬよう引っ張っていっただけだ、勘違いするでないっ!」

 言い訳は逆効果だと思うけどなぁ。犬兎の争いならぬ炎地の争いということで、ん~、然ても、犬はどっちで兎はどっちだろう。そうなると地風か炎風のほうがいいかな?

「不思議です。竜の魂に縛られていた頃、これらのことはすでに識っている事柄だったのです。でも、これは違うです。識っていたはずなのに、初めての体験なのです」「ふむ。昔、幼かったカールと繋いでから随分と経つが、それとはまた異なる心地がする」

 竜と人の、微笑ましい馴れ初め、というか親交の最中に、ふしだらなことを考えてしまってごめんなさい。色々なものを誤魔化す為に、不思議そうにアランとナトラ様を見ているラカの背中を優しく撫ぜていると、ユルシャールさんが地竜に近付いて、手を差し出した。ナトラ様は、笑顔の魔法使いの差し出された手に、空いているもう片方の手を、

「っ?」

 乗せようとしたナトラ様は、倒れるように二歩、三歩と下がってアランに受け止められる。袖の奥から、円い硝子ーー魔鏡を取り出したナトラ様は、左目の前に持ってゆく。

「……わからないです。でも、竜の本能のようなものが、危険だと警告を発したです」

 地竜のゆくりない警戒に戸惑う変魔さんを案じたのか、アランが腹心の魔法使いを(かば)う。

「ふむ。ユルシャールは子供が大好きなので何も問題ない」「「「「「…………」」」」」「ちょっ、ちょっとお待ちをアラン様っ! そのような言い方をなされますと誤解されてしまうかもしれないではないですか⁈」「正しく知ってもらう必要がある。私は、領内で孤児を育てる施設を造ることを推奨(すいしょう)している。だが、多くの領主は造るだけだ。ユルシャールは違う。休みごとに施設を訪れ、子供たちと仲良く遊んでいる。ストーフグレフの民がユルシャールを礼賛(らいさん)するのは当然だ。諸侯も、いつになったら倣うのか」「「「「「…………」」」」」

 無論、疑惑の段階である。

 顧みると、彼はスナを好色、もとい陶然と眺めていた。翻って、レイやエルルさんには、関心が薄いようだった。ごうほう、とは、若しや、合法? (けだ)し推測の域を出ない、ということにしておくが、暗竜でさえ吃驚するくらいに真っ黒黒の黒黒(あやしすぎりゅー)である。

「三歩以内に近付くのを禁止するです」

 うわ、酷い、あんまりだ。そうは思うものの、擁護(ようご)する気にまったくならないのは何故なのか。笑顔が凍り付いて、ファタのように胡散臭くなっている変魔さんを、一応は、仕方がなく、何となく、竜もなく、助け船を出すことにした。

「はい。アラン」

 ぺりっ。ぽひょん。

「『なふなふ』」「二十四番です。アランの妙な魔力は、ラカールラカには問題なかったようです。四十番から六十番が殆どで、そこから離れるに従って少なくなっていくです。二十四番は、竜より少し劣る程度です」「アラン。次、お願い」「ふむ。心得た。ベルモットスタイナー殿」「っ!」

 ぺりっ。ぽひょっ。

「『みけみけ』」「二十九番です。これもかなり高順位です」「……そうか、風の精霊には好かれているが、種族的に問題がなくて安堵した。では、エルタス殿」

 竜の心地を楽しむようにラカを(いだ)いたベルさんは、名残惜しそうにエルタスに渡そうとするも、追い詰められたような呪術師は風竜と炎竜に代わる代わる視線を向けていたので。

「浮気ですか?」「失礼なことを言うな! ただ、御方様が望まれぬようなら、百味の信徒としてーー」「面倒だ。さっさとせぬか」

 「浮遊」で浮き上がった百竜は、ベルさんからラカを剥ぎ取って、煮え切らない信徒に、

 ぺりっ。ぽっひょん。

 と勢いよくぶつける。まぁ、そこは風竜、風が緩衝材となって、柔らかに密着。

「『くたくた』」「六十四番です。問題ない水準です」「…………」

 あ、エルタスが凹んでる。ナトラ様が言ったように、順位的には少し悪い程度なので、気にしなくていいと思うが。アランとベルさんの順位が高かったこと、()てて加えて竜に仕える者としての沽券(こけん)とか資格とか、面倒なことを考えているのかもしれない。

 ぺり…。…ぽす。

 エルタスは無言で、緊張しまくりのユルシャールさんにラカをくっ付ける。

「『げごげご』」「九十…六番です。ギザマルが荒らし回った泥沼だって、そんなに低くないです。……前世で風竜に悪戯(いたずら)でもしたです?」「…………」

 うわぁ、ラカが凄い顔をしている。竜饅をぱくりと食べたら石でした、ってくらい(すす)けている。ラカに拒まれなくて喜んだ変魔さんは、竜も食べない残骸に成り果てましたとさ。助け船は、どうやら地の国への直行便だったようだ。あー、止めを刺してしまったようで申し訳ない。あ、ラカが自分から離れた。お負けに後ろ足で、どげっ。

 ばたんっ、と倒れたユルシャールさん、起き上がってきません。

 たぶん、順位の高低は、ラカの好きな、嫌いな文字の使用と符合しているようだ。言葉の響きと、ラカの風の吹き具合から間違いない気がする。

 ぽにょん。

「おーっ! やわけー、やわやわけーっ!」「わーっ、しっとーり、しっとりとりーっ! とギッタが言ってます」「ひゃーっ! もふもふや~、もふもふやんけ~」

 揉みくちゃである。こうしていれば、普通に可愛い女の子なのに、いやいや、そういう言い方は失礼だ。僕を蹴飛ばす彼女たちだって、可愛い? …可愛い? ……可愛い?

「『ふみふみ』」

 おっ、これは順位が高そうだ。両手を伸ばして、サンとギッタの首に手を回しているラカの表情が蕩けている。

「ーー素直に驚いたです。二人の優位属性は風なのです?」「なんと、そもそもあたしたちに優位属性なんてあった?」「ともさ、苦手もないけど得意もないようなような? とギッタが言ってます」「単純に実力が足りてないんじゃないかな。魔力量の多さに比して、魔法や魔力の扱いが追い付いていないから、優位属性がわからないとか」「ちくしょーっ! 反論したら(みじ)めになるような気がするのは間違いかー!」「ちきしょーっ! こんちきしょーっ! じじゅーちょーは、ちくしょー。とギッタが言ってます」

 ……これについては、僕も反駁(はんばく)するのは無理かな。畜生、との言葉を否定できるだけのものは僕の内にはない。畜生が、卑劣で不道徳な人間のことを言うのなら。至らないのは、僕の未熟さを源泉としている。人の部分が薄れていっている自覚はある。僕は何処へ行くのか、何処へ向かっているのか。ととっ、不味い、僕は思考を止めて浮上した。

「三番です。昨日までは、最高の寝床は、風の塒の四番だったのです。まさか、それを超える寝床が二つも現れるとは。こんなに驚いたのは、ラカと逢って、竜の存在に疑問を抱いたとき以来です」「風の塒、と仰いますと?」「空に、ラカが作った寝床が浮かんでいるです。決まった名称はなく、風城、千羽宮、白亜など、色々呼ばれているです」

 僕とナトラ様で真面目な話をしているのだが、近くで(かしま)しい、いや、ラカは女の子ではないので、悩ましい、と言うのが正解か、色付いた風が吹いてくる。

「ふあこっ、ふあこっ!」「ラカちゃん、すべすべや~」「ラカちゃん、もちもちや~。とギッタが言ってます~」「ラカちゃん、すべもちや~」

 撫でりんこな竜と双子だが、ここで、はっと何かに心付いたらしいラカが、風に抗うように恐る恐る振り返ったので、移り気な風竜を安心させるよう、心から吹いてくる風を感じて、そのままを表に、笑顔を浮かべる。

「はは、別腹ならぬ別寝床ということで、僕だけでなくフラン姉妹も存分に堪能してください」「主よ。これ以上、風を甘やかすでない」「なら、百竜もラカールラカと同じくらい甘やかされれば良いです」「いかれぽん地竜。其方(そなた)は、あそこまで()することが出来ようか」「百竜は、誤解しているです。ラカールラカは、あんなものではないです」「…………」「リシェ殿と百竜が来るまで、僕がどれだ苦労と我慢を重ねたと思っているです」

 笑顔で淡々と風竜地竜(おもいでばなし)を語るナトラ様。さすがの百竜も、地竜の頑張り(?)に言葉を失ったらしい。ナトラ様を褒め称える言葉を探しているようだが、最後に「ち」が付く褒め言葉は見つからなかったようだ。然ても、ラカはサンとギッタを、ぎゅ~、としてから、

「ぴゅ~。ふあこ、また来う」

 ふわ~と三番を飛び立って、一番にふわわ~。と、ちょっと待て、僕。ラカを待ち焦がれて、言葉をふあふあにしている場合ではない。

「や~う、もっとすべすべ~」「も~う、もっともちもち~。とギッタが言ってます~」

 涙ながらに見送る双子。

 ラカから風が吹いてくる。不思議と、ラカの風は僕を、情景を奏でる。スナとは、また違った心地。風の流れを心象、これまで触れてきて、(こつ)のようなものを掴んだ。僕とラカだけでなく、周囲の風も巻き込んで、風が隙間を失った、刹那にーー。

 どむぅっ。

「ぴゃあっ⁉」

 びくんっ、と体を震わせた風竜はーーって、あれ? もしかして意識を失って、

「ゆんっゆんっゆんっゆんっゆんっゆんっゆんっゆんっ!」

 と思いきや、僕の首にぶら下がって、足を伸ばして、腰を左右に振って、全身をぐにぐにさせる。これは、この謎行為は、体を擦り付けているのだろうか、目と口をぎゅっと閉じて、風を溜め込んだような顔は、喜びに満ち溢れているような。

「ゆんっゆんっゆんっゆんっゆんっゆんっゆんっゆんっ!」

 一回では喜びを表現し切れなかったのか、再度ぐにぐに竜である。

 皆、何も言わない。感情の発露は、百竜に任せてしまったようだ。あ、ナトラ様が「結界」を張ったような仕草をして。(たが)が外れた炎竜が、よじよじよじよじ。

「…………」

 くっ、百竜のどばどばな魔力で混乱を(きた)してしまったようだ。竜間違いである。よじよじなのは炎竜ではなく風竜で、体を登ってきたラカは、僕の頭と顎に手を当てて耳語する。

「こしょこしょこしょこしょ、こしょこしょこしょこしょ」「ーーーー」

 いや、これは僕が壊れて、脳内変換したわけではなく、実際にこしょこしょ言っているのだ。竜にも角にも、そんなラカも可愛い、と、ん? これはーー?

 くいっ、とラカが、僕の頭を少しだけ動かした。竜の感覚で捉えたのだろうか。

「アラン。僕は用事ができたので、あとは任せるね」

「ふむ。了解した。宿に誰かを残し、行く先を告げた上での自由行動を認める」

 アランと二竜は気付いたようだ。他の面々は、何故だろうか、諦めたような顔である。

「凄いですね、リシェ殿は。風竜語まで解されるとは」

 ようやっと立ち上がった変魔さんは、投げ遣りな調子で言い捨てた。竜に好かれなかった自分に恐れるものなどない(訳、ランル・リシェ)。虚ろな目をした、世捨て人のような魔法使いをどうしたものか。まぁ、今は放っておくのが優しさというものだろう。

「リシェ殿は、『もゆもゆ』なので、ラカールラカが守護するです。ほら、魔法が苦手な炎竜は、僕と手を繋ぐです」「っ、其方(そちら)は主と繋いだほうだ、逆にせよっ!」「はいはい、です。竜はあんまり嘘は吐かないです。言質(げんち)は取ったので、さっさと行くです」

 炎竜地竜は仲良しなようだ。本当にそうなのかは確信は持てないけど。

 皆を見送ってから気付く。ああ、そういえばエクがいなかった。さっそく動いてくれているようだ。竜の雫を貰ってとんずら、という懸念があるが、今は考えないことにする。

「りえは、わえが守護すう」「うん、ありがとう。頑張って、起きていてね」「…………」

 何処吹く風竜。気紛れな風は、ぽふっと僕の肩口を仄かに暖めてくれるのだった。



「ひゅ~。移動してう。誘われてるみたー」

 王城に面した街道から外れて、住宅街に入って、更に奥まで。ラカと一緒でなければ入り込みたくない、どの国にも大抵は存在する、貧民街。恐らくは、竜の国の制服の効果だろう、悪意や殺意は向けられているが、襲撃は受けていない。僕の特性は、今のところ悪い方向には作用していないようだ。

「人数は、一人なのかな?」「動いてるの一人だえ。わえの気配察知してるのいなー」

 待ち伏せはあるかもしれないと。僕たちを見ている人間がいた。とここまで来る間にラカから聞いている。方向や時機からして、フフスルラニード王の関係者である線は薄い。

 竜の国でスナに乗って大広場に行ったとき、上空から見て、「結界」が見えなくても違和感に気付いたように、遠くから見ることで、ナトラ様の「結界」による不自然な状況を気取られたのかもしれない。

「これは、貧民街を横切ったのかな?」「ひゅ~。真っ直ぐ、通り抜けあ」

 貧民街の人たちに、自発的に僕を襲わせて、脅威を計ろうとしたのだろうか。だとしたなら、そろそろ接触してくるだろうか。と予測した瞬間に、ラカが教えてくれる。

「ぴゅ~。止まっあ」「じゃあ、守りはお任せするね」「風はいつでも吹いてるのあ」

 ラカに小声でお願いしてから、足を止める。貧民街を抜けた、市井の住宅街との境界線。どちらの住人も積極的に足を運ばない場所。然ればこそ、人の姿はなく、閑散としている。

「そろそろ、出て来られては如何でしょう」

 近くの住宅から、細身のようだ、人が飛び降りてくる。跳躍、その勢いを殺すように片手で掴んだロープで減速、着地には魔力を用いたようだ。手を振ると、ロープの先の鉤爪が外れたらしい、その間に器用にロープを巻いて、今は必要ないのだろう、脇に放る。

「見事ですね。僕も里でやらされましたが、それは壁を伝って下りただけです。見たところ、ロープは魔具や魔法具ではないようですね」「魔具や魔法具は便利だけど、反面、魔力感知に優れた者に気取られるからね。あたしたちのようなのには向かないのよ」

 密偵や間者、若しくは暗殺者であることを匂わせる。まだ若く、二十歳に届いていない。不自然な点は見当たらない。恐らく、小さな頃から仕込まれてきたのだろう。

 格好は、街の人間というより冒険者に近い。冒険から帰ってきて(くつろ)いでいる、といった体だ。クーさんほど身長は高くないが、顔の造形や雰囲気が似ている。

 今回はラカが居てくれるので、腹の探り合いは程々に、突っ込んでみる。

「女性として、恥じらいは捨てないほうがいいと思いますよ」「は?」

 残念、通じなかったようだ。仕方がなく、僕は自分の服の裾を持って、ひらひらしてみせる。それでもわかって貰えないということは、態とではなかったようだ。

「存外短いスカートが捲れて、丸見えでしたよ?」

 そういうわけである。恐らく、潜入の為に穿()いた、或いは穿かされたもので、職業柄、普段はスカートを着用していないと思われる。申し訳ないが、不意を衝かれた僕は、目を背けることが敵わず、白色と、太股(ふともも)の暗器を、はっきりと確認してしまった。はぁ、うっかりなのか失敗なのか、そんなところまでクーさんに似なくてもいいのに。

「くぎゅう⁉ 見たのか⁇ 金払え?¿」

 あら、坊や、おませさんね。などという反応を期待していたわけではないが、それはどうなのだろう。まぁ、炎竜を背負って(ほほはまっかっかー)、動転している様子から(ふしんしゃまっしぐら)、本気ではないようだが。

「銅貨一枚でいいですか?」

「って、あたしのはそれだけの価値しかないってか⁈ もっと払え!」

「そういうことなら仕方がありませんね。竜のーー、ではなく、金貨十枚で如何でしょう」

 竜の雫を上げようかと考えたが、そんなことをしたらスナに氷付けにされてしまう。然ても、冗談なのだから、黙り込んで考え込まないで欲しい。

「そろそろ、そちらの要件を告げて頂けるでしょうか」

 仕切り直しの意味を込めて、先程と似た言葉遣いで要求する。いやいや、ちょっとそこのお嬢さん。えっ、金貨くれないの? みたいな顔を向けないで下さい。

 何かもう、僕のほうから正体や目的を明かしてもいいような気になってくるが、事が王城の、スーラカイアの双子の魔力放出に係わっているかもしれないとなると、もう一度気を引き締める必要があるだろう。

「別に、大した要求はないわ。あんたの持ってる情報、全部寄こしな」「情報、ですか」

 ふむ。本当に大した要求ではなかった。いやさ、この女性がすべてを見透かした上で言っているのなら、慮外のことである。僕が持っている情報とは、世界や竜に関する、おいそれと漏洩してはいけないものである。だが、彼女の軽い言葉遣いから、考え過ぎだと、警戒はするが、それと気取られないよう話を合わせるとしよう。然し、それはそれで面倒なので、風竜随伴(ずいはん)の今回は、それなりに強そうな彼女を、屈服させるほうを選んでみる。

「十回、攻撃することを許可します。僕を傷付けることが出来たなら、あなたの要求に従って、僕が持ち得るすべての情報を開示しましょう」

 ラカの風のお陰なのか、体は少し楽になっているのだが、それでも剣を振るうとかはしたくない。なので、完全に風竜頼みである。

「ふ~ん。それで、あたしが負けたら?」

 勝負というか賭け事は、嫌いな(たち)ではないらしい。彼女の、緩んでいた気配が鋭さを増す。負けたら情報を、というのは安易に過ぎるし、何より詰まらないーーとなると。

「そうですね。僕が勝ったら、『おしおき』一回、ということにしましょう」

「くぎゃ⁈ 破廉恥かっ! 貴族趣味かっ! 飼うつもりかっ! おっぺけぺーかっ!」

 ……いったい彼女は何を想像、或いは妄想したのだろう。うわぁ、殺意、というより、女の敵、という感じだろうか、ギザマルの糞を見るような目付きである。何処に隠していたのか、大振りのナイフを抜いて、正面から一撃目。反応しない僕を(いぶか)しんだようだが、そのまま突き立てようとして、風に受け止められる。直後、エンさんの動きを彷彿とさせる円の動き。半円を描いて、一瞬僕に背を向けるが、そうと気付くと同時に、首に二撃目。

「ーーあんた、風使いか?」

 二撃目も風に受け止められた女性は、距離を取って尋ねてくる。造語だろうか、風使い、とは聞き慣れない言葉だが、悪くない、そう、非常に悪くない。エクが東域で広めた(確認していないが、決定事項である)おかしな二つ名ではなく、風使いとか氷使いとかになってくれればいいのに。「風雪使い(スノーウインド)」とかなら尚良し。あ、でも、実際に言われたら、ちょっと恥ずかしいかも。などと妄想は程々にして、彼女を挑発する。

「間違ってはいませんが、正解でもありません。さて、二回攻撃したので、残り八回。どうせ無駄でしょうから、いつ諦めてもらっても構いませんよ」「ーーほざいてな」

 先の焼き増し、かと思ったが、当然そんなことはないだろう。魔力か、付与魔法か、ナイフで五撃。果たせるかな、なぞったかのように前回と同様に、風に受け止められる。

「これで七回。あと三回ですね」「ーーあんた、凄いわね。魔法を放てば目立つから、親父から、性質の異なる付与魔法を五つ仕込まれたのよ。全部同じように受け止められたわ。ちょっと有り得ないわよ」「その様子だと、奥の手は残しているようですね?」「魔力を半分以上持って行かれるから使いたくなかったんだけどね」

 そう言って彼女は、もう一本、恐らくナイフだろう、布に包まった得物(えもの)を取り出す。布を解いて、現れたのは普通のナイフ。それっぽいものを期待していたので、ちょっと残念。

「これは、魔封じの布よ。嘘を吐いた、とか言わないでね。向いてない、と言っただけで、持ってない、とは言ってないわ」「はい。期待しています」

 にっこりと笑ってあげたら、かちんと来たようだ。生来のものだろう、能力は高いのだろうが、どこか抜けた感じが拭えない。

「あー、もー、この魔力持ってかれる感じって、嫌なのよねー」

 羨ましい、と言ったらいけないだろうか、それは魔力がない僕にはわからない感覚である。不意打ちは意味がないと悟ったのだろう、正面から近付いてきて、僕の心臓を突く。

「…………」「奥の手も失敗。あと二回ですね?」「……うがーっ‼」

 奥の手も通じず、自棄(やけ)になったのか、ナイフをぽいっと捨てて、両手で僕を鷲掴みにしようとする。これで残りの二撃は終了、いや、両手で同時なので一回にしてあげようか、

 ぽふっ。

 などと考えていたら、彼女の手が、ラカの柔らかな場所に触れていた。

「ん? 何だこれ、ってか、ほんとに何だこれ⁉ これって、風かっ、風なのか‼ くぅ~、すべすべ~でもちもち~で、手触りとんでもないわ~、って、そうじゃなくて、おいっ、あんた、この魔法私に教えろ‼ 金貨一枚、いや、三枚までなら出すわよ!」

 見ると、ラカは生理現象を我慢している顔で。いやいや、竜は、みーが言うところの、しっこ、はしないので、あと、エンさんも穴はなかったと言っているのでーーごふっ。

「えっと、嫌がっているようなので、そろそろ止めて頂けますか」「え? もうちょっと、もうちょっとだけお願いっ、何ならお触り(ちん)を払うわっ!」「はい、駄目です、終了です」

 諦めの悪い女性から、二歩下がる。そんな無遠慮にもみもみしたら羨ましい、もといラカが可哀想である。もっと風を包み込むように優しくしてあげないと。然ても然ても、どっちらけである。この人、あまり害はないような気がするので、あと結構迂闊(うかつ)っぽいので、駆け引きは止めて、ある程度情報を与えて、必要な分だけ搾り取ってしまおう。

「ラカ。お願い」

 姿を現すようにお願いしたら、これは僕の頼み方が悪かったのだろう、お尻もみもみされた風竜のご機嫌は(うるわ)しくなかったようで。

「ぐきゃ~~っ⁉」

 もう少し可愛い悲鳴をあげて欲しい、とか言ったら殴られそうなので、口から言葉が転び出る前に、後ろを向く。後ろからまだ悲鳴が聞こえるので、ラカはまだまだぷんぷんのようである。そろそろ許してあげようね。ってことで風を籠めて、お尻を撫で撫で(ちりょうちゅう)。

「~~っ」

 もういいだろうと振り返ると、ラカに盛大に吹き上げられたスカートを押さえて、泣きそうな顔である。僕がやったのだと、勘違いされる前に、風竜おいでませ。

「こ~ら、ラカ、めっ、だよ」「びゅ~。りえ~、でも、あの女が悪~」「うん。それはその通りなんだけど、態とじゃないから許してあげてね」「びゃ~。りえが言うなあ」

 竜心を静めて下さった風竜が姿を現すと、吃驚した女性が、びしっ、と指を突き付ける。

「反則よ!」「は? えっと、何がですか?」「他人、じゃなくて、他竜の力を借りるとか、どういう神経してるのよっ、反則だって言ってんのよ‼」「え? えっと、そうでしょうか?」「そうに決まってるわ! というか、それ以外の何があるってのよ⁉ 全竜に謝れ⁈」「えっと、じゃあ、僕の負けでいいです。竜の皆様、ごめんなさい」

 ぺりっ。ぽふんっ。

 取り乱した女性を落ち着ける為、ラカを貸してあげる。

「『こてこて』」「優しくしてあげて下さいね」「ほえ~、これって、ペルンギーの宝石?」「それはそうですけど。どっちかっていうと、風竜のほうに関心を向けてあげて下さい」

 言葉の響きからすると、四十番から六十番の間、といったところだろうか。

「負けたので、自己紹介をしましょう。僕は竜の国の侍従長、ランル・リシェです」「え? ニーウの弟の?」「え? 兄さんを知っているんですか?」「弟……、あー、弟?」

 隙間風がぴゅ~。勿論、ラカが吹かせたものではない。

「何か、無駄なことをしたわね」「そうですね。情報交換といきましょうか」

 兄さんの部下、いや、仲間だろうか。本当に無駄なことをしたものである。ロープを拾ってきて彼女に渡すと、ナイフを仕舞って意気揚々と自己紹介を始める。

「あたしはニーウの恋人で、ミニス・マクナードよ」「初っ端から嘘吐かないで下さい」「くそっ、断言かよ! 『本当に?』とかそれくらいの反応返せよ!」「いえ、期待はしていますよ? 兄さんの横には、早く誰かが立って欲しいと思っていますから。そうでないと、一生独身とか、兄さんの今の状況だと有り得るので」

 兄さんは、国を造ると言って、東域に向かった。この先、国を造って、クーさんに逢いに行けるのはいつのことになるやら。残念ながら、クーさんの気持ちが兄さんに向かっているとは思えない。妥協、と言ったら失礼になるが、この女性ーーミニスさんを応援するというのも、有り、だろう。クーさんより残念な感じだが、壊れ具合は酷くない、って、ずいぶん酷いことを言っているが。兄さんの好みから外れているわけではないだろう。

「もしかしなくても、あの魔力の発生源を確認しに来たのですか?」「ま、そうだね。あの魔力じゃ中には入れない。なのに、王城から出来てきた奴がいた。これを逃す手はないわね。まさか見つかるとは思ってなかったけど、一番弱そうなのか遣って来た、しめしめ、と思ってたら、……っ、あたしのパンツ見たわね! 一回殴らせなさい‼」「そこは謝ります。怪我してるんで、殴るのはなしで。その代わり、僕はミニスさんの味方をしてあげます」「は? 味方って、何の?」「兄さんと上手くいくように手助けをするってことです」「っ、竜にも角にも、親友決定ってわけね‼」「びゅ~」「ミニスさん。合間のラカが可哀想なので離れて下さい」「何なら、お姉さん、って呼んでもいいわよ」「遠慮します」

 抱き付いてきたミニスさん。圧迫されたラカが体の向きを入れ替えて、僕に引っ付く。あー、造次顛沛(ぞうじてんぱい)、アランより上に、親友になったらしい姉さん、もといミニスさん。何だか、本当に(つまず)いたかのようである。

「前に来たときにね、美味しい串焼きの屋台見つけたのよ。すぐ近くだし、そこで話を聞くわ。付いてきて」「わかりました。僕が奢るのでーーと、そうでした。一人ですか? お仲間さんがいるなら、その方の分も(おご)りますよ」「はぁ、親父たちは、『無理だ』とか言ってたけど、あたしだってこれくらいの仕事できるってのに、もうっ!」「はは、近くにはいないようですね」「そうね。近くないし、合流場所を決めてあるだけだから、今どこにいるのかは知らないわ」「それと、ミニスさんは、これでラカの正体、わかりますか?」

 風の尻尾がふよふよ~、覆い(フード)を被せて、垂れ耳風竜の出来上がり。

「あら、可愛いわね。あとは普通に歩いてれば、誰も気付かないでしょ」

 そういえば、ラカが歩いている姿を見たことがない。あ、嫌そうなお顔の風竜様。

 ぺりっ。にぎにぎ。とすっ。

「ふわふわ防止の為に、逆の手をお願いします」「ふ~ん、ほんとに風竜様なのねぇ。驚いてない自分が不思議だわ」「いきなり、お尻もみもみでしたからね」「びゅ~」

 ラカの反対側の手をミニスさんが握る。これで多少浮いてしまったとしても誤魔化せるだろう。さすがにラカくらいの周期の子供を抱いているのは不自然だろうし。

「裏道という感じですが、お店は多いですね」「ま、地元の人間が利用する、地域密着型ってやつだね」「あれ? 『隠蔽』を使ってくれているのかな?」「ひゅ~。わえは、りえの守護竜だかあ。りえの魔力ぐるぐる防ぐのあ」「それって、ニーウが言ってた、リシェの特性ってやつ? そういえば、遠くから見たとき、変な感じがしたわね」「はは、もしばったり出会っていたなら、ミニスさんのような強い方なら、僕を攻撃していたかもしれません。二回目からは、気にならなくなるので、僕は運が良かったのかも」

 話していたら、肉の焼ける匂いが漂ってくる。と、そうだった、皆はさっきご飯を食べたけど、僕はまだだった。見下ろすと、ラカはいつも通り、ぽよぽよなお顔だった。

 これまで、ラカは何か食べたことがあるのだろうか。竜は、魔力を吸収するだけで生きて行ける、魔力寄りの生命である。通常、竜は、「味覚」の能力を使っていないようなので、食べる、という選択肢自体がないのだろう。みーやスナを見る限り、竜が食事をするのは悪いことではない、とは思うのだが、すべての竜に当て嵌まるとは限らない。でも、ラカがこの先も僕と一緒に居てくれるというのなら、人の世界に在ってくれるというのなら、食べることの楽しみと喜びを知って欲しいと。これは傲慢(ごうまん)な考え方だろうか。

「おや、お嬢ちゃん、久し振りだなぁ」「一回しか来たことないのに、親父さん、あたしのこと覚えてるの?」「おうっ、俺ぁ馬鹿だけどな、客の顔だけは忘れねぇ自信がある。特に、美味そうに食ってくれた奴のことなら、絶対ぇ忘れねぇ。って、旦那に、子供か?」「ちょっと待て! この子があたしの子なら、あたしは幾つで産んだんだよ!」「はっはっ、そりゃそうか」「正確には、僕は、彼女の伴侶になるかもしれない男性の、弟に当たります」「って、リシェっ⁉ 何言ってやがる!」「おーおー、若いってのは、いーねぇ」

 はぁ、何があるかわからないので、ミニスさんの名前を呼ばないようにしたというのに、あっさり僕の名を言ってしまう彼女なのであった。まぁ、それはそれで仕方がない。

 如何にも商売人、といった風情の親父さんではあるが、それにしては体が引き締まっている。元冒険者、という感じでもない。あとは、大きな串焼き一本で銅貨三枚、という安さに手掛かりがありそうだが。

「竜にも角にも、先ず四本で。僕たちは一本で、食べてから追加の本数を決めます」「ふっふ、親父さんの肉を食べて、今吐いた言葉を後悔するがいいわ」「いやいや、嬢ちゃん。間に、焼いた、とか、作った、とか入れてくれ。じゃないと俺の肉が美味いみたいじゃねぇか」「そうねぇ、親父さんの肉も美味しそう、じゅる」「くっ、俺ぁ嫁さん一筋だっ!」

 ミニスさんを観察する。クーさんやフラン姉妹の成分を含んでいるようだが、僕の周りにはいなかった性格の女性である。先に、味方をする、と言ったが、どこまで味方をするかは、今から決めることである。などと兄さんの将来について考えていると、

「ほらよっ、熱ぃから気を付けな」

 親父さんが威勢良く差し出してくる。好い匂いではあるが、やや警戒しながら口に入れて噛んでみると。独特な味がした。香ばしいが、この甘さはちょっと苦手である。どうしたものかと迷ったが、ここでラカに食べさせないというのも親父さんに失礼になりそうなので、風竜の前に串焼きを持ってゆく。

 くんくんくんっ。ぺろっ、ぺろっ。じぃ~~。

 あー、悩んでる悩んでる。食べ物であるということはわかっているようだが、これまでやったことのないことである。未知のものを、口に入れて、噛んで、呑み込む。そう考えてみると、結構勇気がいることなんじゃないかと思えてくる。

 僕、ミニスさん、親父さんが固唾を飲んで見守っているとーー。

 ぱくっ。

 食い付いたので、串を引き抜いてあげる。

 もきゅもきゅもきゅもきゅ。ごっくん。

「ぴゃ~~。り~え~~っっ!」

 うわぁ、凄い。風眼がきらんきらんに輝いている。芽吹きを知らせる春の風が、どばっと押し寄せてきたようである。僕の袖に掴まって、きゅっきゅっきゅっきゅっ、と強請(ねだ)ってくる。あわあわあわあわ、と何か言いたくても言えないような、風がいっぱい詰まったお口が可愛すぎて、当然、竜の強請(ゆすり)に僕が応えないなんて、あるはずがない。

 金貨を、ぱしっ、と置いて。

「残り全部、頂いても構いませんか」「へ? あ、ああ、今日だけなら構わんが」

 ラカが飛び乗ろうとしたので、途中で掴まえて、親父さんの側に回って、置いてあった椅子に座らせる。風竜の視線が、獲物(おにく)にがっちりなので、親父さんに頼むことにする。

「この()に好きなだけ食べさせてあげて下さい。余ったら、同行者と食べるので、包んで下さい」「おっ、おう」「ぴゃ~。ぴゃ~。ぴゃ~。ぴゃ~」

 ラカが親父さんに重圧(プレッシャー)を掛けている。一切の手抜きを許さないようだ。竜の食欲に、親父さん、たじたじである。さて、少し離れて、情報交換の開始である。

「魔力の発生源が何か、まだ確定していません。ですが、スーラカイアの双子であると見て間違いないでしょう。僕たちは、双子の魔力をどうにかする為に、竜の国から遣って来ました。現在、翠緑王が世界の魔力を安定させています。その反動として、意識を失い、世界の部品としての役割を果たしています。これから、フフスルラニード国との協議を行う予定です。幾つか予想される中でのーー」「リシェ。今日はいい天気だよね」「はい?」「今日はいい天気だよね」「……そうですね。雲はありますが、雨は降らないでしょう」

 ミニスさんの目は()わっていた。だので、逆らわないほうがいいと、問いに答える。

「ふぅ~、いいか、リシェ。あんたたちの悪い癖だ」

 切実さを(はら)んだ言葉で、忠告というより警告だろうか、驚愕(きょうがく)の事実を告げられる。

「そんな小難しいことを言われても、あたしには理解できないわ」「……兄さんの嫁、失格」「ちょっと待って! あたしだって努力はしたんだぞ! でも、親父は匙投げて、竜投げて、『人間、誰しも運命には逆らえんもんさ』とか言いやがったんだぞ‼」

 運命、という言葉を持ち出さねばならぬほど酷かったのだろうか。そうなら、まぁ、再考しなくもないが。うちの王様と同じく、知れば知るほど残念な部分が増えてゆく。

「手紙屋がありますね。兄さんに手紙を書きましょう」

 正確には、代書屋。恋文や嘆願書など、文字を使うものなら何でも。商人を介した手紙の運搬経路を持っていて、こちらのほうが有名なので、一般的には手紙屋と呼ばれている。

 ラカは、眠気より食い気のようなので、問題はーー起こさない、といいな。信用は措くとして、信頼はしなくてはならないな、と心を竜にして、暴食の風竜から離れる。

「紙とインクを、あと、樹脂板をお願いします」

 店内に入って、注文をする。樹脂板とは、魔法使いの発明で、雨などで濡れないよう手紙を挟む薄い板のことである。ミニスさんは、手紙を持っていることを失念して、濡らしてしまう懸念が大いにありそうなので、念の為である。

「はい。お待ちください」

 三十半ばくらいだろうか、品の良いかっちりした服装。隙のない、知的な雰囲気。

 店内を見回して、既視感があると思ったら。そうだ、カレンが整理した棚と似ているんだ。ここの店主も几帳面なんだろう。公文書も扱っているようで、それらの資料も散見される。手渡されるかと思ったが、奥の机に準備してくれる。僕が制服を着ているから、とかではなくて、誇りをもって仕事をしている、それが伝わってきて、羨ましくなる。いや、僕だって、誇りをもって侍従長の職を……ごめんなさい、自分に嘘は吐きたくないので。

 然て置きて、ただ手紙を書くだけでは面白くない。そこで、遺跡での石碑の謎解きを思い出す。加えて、フィスキアの暗号。老師たちには伝えなかった、本物のお宝の、三冊以外のもう一冊。兄さんは確認しなかったので、この一冊については知らないはずである。

「何で古語で書いてるのよ」「ミニスさんは、古語が読めるんですか?」「ふっふ、あたしを甘く見ないでちょうだい。読めるわけないじゃないの」「…………」「読めないけど、これが変だってのは、わかるわ。古語は何度も見てきたけど、似てるけど、これとは違ったわ」「正解です。普通に書いても面白くないので、竜語で、ぷらす謎解きの要素も加えました」「竜語って、何? そんなの聞いたことないわよ。竜が喋る言葉?」「現行の歴史では、古語に含まれていますが、古語時代の初期、三十周期ほど使われていた言語です。〝サイカ〟でも知らないことなので、秘密にして下さいね」「心配いらないわ。明日には忘れてるから」「…………」「冗談よ。一巡りくらいは、……覚えてたらいいわね」

 僕たちの会話を聞かない為に、席を外したのかと思ったが、店主は手紙らしきものを持って戻ってくる。一見して、周期を感じさせるくすんだ色合いの封筒。

「お客様。もし、よろしければ、こちらをご覧頂ければ幸いです」

 特に断る理由もないので受け取る。

「三周期ほど前から、古語を学びまして、古い手紙や文献なども読めるようにと、努めて参りました。()る貴族から依頼がありまして、訳そうとしたのですが、古語のようで古語ではない言葉で、始めは暗号かと思いましたが、どうにも私には手に余る代物だと。依頼人からは、他者に協力を仰いでも構わないと、申し渡されていますので、お知恵を拝借したく」「了解しました。では、目を通させていただきます」

 そして、今更ながら気付く。もし封筒に「保存」や「凍結」の魔法が掛けられていたなら、それを無効化してしまったわけだが。然はあれ、僕が訳せるのであれば、差し引きで問題ないということで、封筒から折り畳まれた三枚の紙を取り出す。

「ーーーー」

 これは、また、とんでもないことが書いてあるなぁ。

「それにしても、よくこんなものが見つかりましたね」「何でも、古い、日記らしき本の間に挟まっていたとか」「これは、兄さんにも確認して貰いたいのですが、返却期限はどのくらいですか?」「はい。依頼人は急いでいないようですので、二星巡りは問題ありません」「では、ミニスさん。手紙と一緒に兄さんに渡してください。兄さんは〝サイカ〟ですので、それが保証になると思いますが、もし損害が生じたなら、竜の国、グリングロウ国の侍従長、ランル・リシェが承ります」「ほう。あなた様が、噂のーー」「いえ、それ以上は言わないで下さい。東域出身の、僕の友人が面白おかしく吹聴(ふいちょう)しているだけなので」「確かに。伝わってきているものは、とても人間の出来得ることではないですから」「因みに、どんな噂があるのか、一つだけ教えて頂けますか?」「ーーミースガルタンシェアリ様という想い竜がいらっしゃるのに、氷竜ヴァレイスナに浮気をしたとの由」

 ぶっ……。

 思わず吹き出しそうになって、八竜の息吹を心象、世界の果てまで押し返す。

「っ……」

 ちょっと待て、あの腐れ悪友。詳しいことなんて知らないはずなのに、何でそんなにも微妙なところを突いてくるのか。その噂が竜の国の、氷竜の耳まで届かないことを祈るばかりである。何一つ、僕の所為ではないのに(いや、エクと友人な時点で有罪かもしれない)、スナはきっと、僕に八つ当たりをしてきそうなので。

「で、何て書いてあったのさ」「御二人が、絶対に口外しないと誓うのであれば話しますが、どうしますか?」「私は職業柄、口の堅さには定評がありますが……」「何で二人とも、そんな目であたしを見るのよ」「店主は、依頼人に報告することになるでしょうから、ここであらましを知ったところで問題ありません。ですが、ミニスさんは、不安材料でしかありません。と言ったところで納得して貰えないでしょうから、ーーもし漏らしたら、金輪際、僕はミニスさんの味方をしません」「大丈夫っ! あたしは親友を裏切らない!」

 絶対に人のものは盗まない。と言っている盗賊みたいな顔をしているのだが。はぁ、もういいや。兄さんと係わりのあることなら、彼女もきっと、たぶん、大丈夫、なはず。

「依頼人の貴族と、先祖に当たるはずの、これが書かれる前の貴族とは、血の繋がりはありません」「あ~らら、浮気とか不義とかそんなの?」「いえ、そのように単純なことであったなら、ここまで強く口止めしません。ーー彼らは、自分たちは優れた人間だと思っていました。ただ、国の中では主流派ではなく、重用もされていませんでした。そこで彼らが、どのように考えてそうしたのかは想像にお任せしますが、自分たちの優秀な血を残そうとしました。結論から言ってしまえば、近親婚です」「近親婚?」「ミニスさんは、父親と結婚しろ、と言われたらどうしますか?」「言った奴を、とりあえず拷問するわ」「……今のは聞かなかったことにして。近親婚の問題の一つは、血が濃くなることによって、様々な障害を引き起こすことだと言われています。ただ、これらは、はっきりと証明されたわけではありません」「ん~? ってことは結局、何があったのよ?」「『取り替え(チェンジリング)』です」「取り替え子というと、人間の赤子と妖精を入れ替えてしまうという伝承のことでしょうか」「はい。ですが、ここでは逆のことが行われました。近親婚によって問題が生じた赤子と、孤児を取り替えてしまったのです」「そういうことですか。その秘密を知っているのは、これを記した者だけ、ということですか」「正しいと、そう思ってやったことでも、他者の運命を自らの手で変えてしまったことに、苦悶(くもん)することになったようです」

 良心の呵責(かしゃく)に耐え切れず、然し、打ち明けることも出来ず、いずれ誰かに見付かるかもしれない、そんな曖昧な方法で後生(こうせい)に託すことで、罪悪感を消そうとしたのだろう。

「う~ん、でも、それって、そんなに気にすることなの? 人は生まれる場所を選べないわ。教会が言うには、神様が決めてるみたいね。運命ってやつを人間が変えたからって、神様がやったことと何が違うってのよ。そんな言い訳してるくらいならーー、って、なんで二人とも、樹にぶつかって落っこちた竜を見るような目を向けてんのさ」

 これは慮外。ミニスさんを見ていた僕と店主は、確認するように顔を見合わせる。

「もう一通、兄さんに手紙を書きましょう。ミニスさんなら、姉になっても構いませんよ。と記しておきます。それ以上書くと、嘘臭くなるので、そこから先はミニスさんの頑張り次第です」「おお~、親友兼(けん)弟よ~」「だから、抱き付かないで下さい」

 少し、不思議なことがある。以前であれば、異性の下着を見たり胸を押し付けられたりすれば、もっと心を揺さぶられていたはずなのに。いや、もう答えはわかっている。心が、竜に傾いているのだ。僕の人間の部分に変わりはないと、そう断言できるほどに、確信は持てない。そんなに気にすることなの? と先に彼女は言った。気にして当たり前だと思っていた。でも、受け止め方は一つじゃない。「千竜王(こいつ)」との付き合い方を一考すべきなのかもしれない。竜にも角にも、ミニスさんに任せるような蛮勇(ばんゆう)は持ち合わせていないので、店を辞す前に店主に確認しておく。

「依頼人に、真実を伝えますか?」「そうでございますね。知り得たのであれば、伝えようかと」「は? 何のこと?」「取り替え子のことを依頼人に伝えず、訳すことが出来なかった、とするのであれば問題ありません。では、ミニスさん、ちょっと考えてみてください。あなたが依頼人の貴族で、取り替え子のことを伝えられたらどうしますか?」

 ミニスさんは、首に何かを、恐らくロープだろう、巻く動作をして、

「きゅっ」

 両側に引っ張って、可愛い声を出した、ではなく、絞殺(こうさつ)の演技をした。はぁ、そういう声は、殺害の場面でなく、これまで何度かあった、相応しい場面でやって欲しかった。

「そういうことですね。依頼を達成するという、正しい行いをすることで、命が危険に晒されます。ですので、報告時に〝サイカ〟と竜の国の侍従長の協力を得たことを伝えてもらいます。あとは、僕の手紙を読んだ兄さんが取り計らってくれるでしょう」

 柔和な笑顔で頭を下げた店主に、こちらも仕事振りに感謝の言葉を述べてから、ミニスさんを伴って外に出る。彼女の手を取って、店の前から移動してから尋ねる。

「ミニスさんは、神様を信仰していないんですか?」「前に親父が言ったのよ。『神を信じるんなら全部の神を信じろ。そうじゃないなら信じるな』ってね」

 それはまた、含蓄(がんちく)のある言葉である。何やら愉快な父親に育てられたらしいミニスさんは、クーさんだけでなく、エンさん成分も混じった油断のならない人のようだ。

「ラカは、『隠蔽』を行使してくれているようですね。皆、僕を見ても驚いていませんね」

「ぽよぽよ~なのに、凄いわね~」「実は、ラカは、この大陸ーーリグレッテシェルナの、最強の三竜の一角だったりします」「人は、じゃなくて、竜も見掛けによらないのね」

 ラカが食べ終えるまでは、もう少し掛かるだろうか。と一心竜乱に肉を頬張っている風竜の、もちもちの膨らんだ頬や幸せそうな顔から目が離せなくなっていると、

「そうだった、リシェに聞きたいことがあったんだった」

 如何にも、今偶然思い出した、といった体で聞いてきた。なので、視線はラカに向けたまま、余計な詮索はせず、聞き返す。

「どのようなことでしょう。兄さんのことでしょうから、大抵の事なら答えますよ」

「む~、別にそういうことじゃないのよ。ただ、ちょっと気になったから。ーー南方で、ニーウが失敗したって言ってたから、本当なのかなって」

 しおらしく、ちらりちらりと僕を見てくる。兄さんの前でこれが出来るのなら、合格点なんだけど。とちょっと酷いことを考えながら、彼女のことを見直すーーというのは失礼か。これは、彼女が本気で兄さんのことを見ているということの証左なのだろう。

「兄さんは民と協力して、彼らを虐げていた王を打倒しました。その際に、幾つもの失敗をしました。ですが、ミニスさんが考えている通り、兄さんなら、これらの失敗はしません。そもそも、状況からして、兄さんが失敗するような要素が見当たらないのです」

 「騒乱」のあと、時間が取れるようになってから、このことに気付いた。そして、何故兄さんがそのようなことをしたのかを知るに至って、自己嫌悪に陥った。

「兄さんは、国を造る前の、学びの機会にしたのです。これ以上は失敗してはいけない、その線引きをして、そこを越えない限りは、傍観者として在ったのだと思います。それと、敢えて失敗という形にしたのは、僕の為でもあります。竜の国に遣って来た兄さんは、自分は完璧な人間ではない、心酔するのではなく正しく物事を理解するように、と僕を導いてくれました。ーーそうです、本当なら、兄さんが嘘を吐いたことを、その場で気付かなければいけなかったんです。兄さんの懸念の通り、心を乱した僕は、駄目駄目でした」

 兄さんは、階梯(かいてい)を一つ上がる手助けをしてくれた。けど、あそこには、上がれる段が他にも幾つもあったのだ。見えず、気付かず、考えが及ぶこともなく、最低限の場所にしか辿り着けなかった。はぁ、本当に、兄さんの背中は遠い。

「ふっふ、やっぱりニーウ、完璧だったのね!」「完璧って、それは二つ名か何かですか? ミニスさんも理解してくださいね。兄さんは、完璧ではありませんよ」「む~む~む~、どういうことよ~」「兄さんが完璧だったら、兄さん以上の存在は居ないことになります。ですが、僕が知っている範囲で一人だけ、確実に兄さんより上の人が居ます」「どこのどいつよ! ほんとに居るっての⁉」「はいはい、興奮しないでください。その人物とは、〝サイカ〟の里長です」「ほんとに?」「兄さんもそれは認めていますよ?」「そう……」

 ああ、拗ねてしまった。どういう経緯で兄さんと知り合ったのかは知らないが、ここまでの傾倒振りとなると、劇的な、運命っぽい出逢いがあったのかもしれない。聞いたら、白馬の王子様、とか言い出し兼ねないので、風竜の風を吸い込んで欲求を遮断。

 スナは、兄さんを竜掴みしたと言っていた。白馬ならぬ氷竜だが、まぁ、竜に乗って現れるほうが衝撃的だろう。白竜ということならラカがそうらしいが、白竜の侍従長、というのは何かいまいちだが、白竜の王子様、よりは増しだろう。エク辺りが嫌がらせで付け兼ねないので注意しておかないと。竜にも角にも、里長は竜と出逢えなかったが、兄さんは竜との接触を果たした。それは後に、どれだけの違いを生み出すのか。

 兄さんが、あと数十周期研鑽(けんさん)を積んで、届くかどうか。というのが里長である。そして、それを確かめる機会は巡ってこない。兄さんが里長に並ぶ前に、里長は天の国へ、伴侶であったスースィア様の許へ行かれてしまう。里長の周期からして、あと十周期は大丈夫だったとしても、二十周期は無理だろう。晩周期以降は、魔力量が減っていってしまう。人によっては、一気に寿命が削られてしまうこともある。その分、五十過ぎまでは、魔力が体を支えてくれているらしい。教示してくれた老師は、『実体験だよ』と笑っていたが。

「ふ~ん」「どうかしましたか?」「べっつに~、ただ、やっぱ兄弟なんだなって。考えてるときの雰囲気がニーウにそっくりだなって、思っただけよ」

 にひひ~、と僕の顔を覗き込んでくるミニスさん。嬉しい反面、恥ずかしくもなってきたので、行きますよ、とぶっきらぼうに言って、ラカの許へ向かう。

 屋台に戻ると、親父さんは最後の肉を焼き終えたようで、一息ついていた。見ると、服を汚さない為だろうか、ラカの膝の上に布が掛けられていた。のだが、その横から紐が伸びていて、椅子の下に回っていた。ラカは気にせず、ぱくぱくである。

「『浮遊』ということで、納得して頂けるでしょうか」「心配すんな。俺ぁ何も見なかった。これだけ美味そうに、大人十人分も食っちまったけど、まぁ、いーんじゃねぇか?」

 まぁ、そういうわけで、親父さんも擁護(ようご)してくれて、ラカの味方が一人増えました。

「正体隠すなら、もーちっと頑張んねぇとな」「そこは大目に見てください。ラカとは、今日出逢ったので。これから僕たちに馴染んでくれるように、甘やかしますので」

 親父さん一考。甘心したようだ。押し付けたところで、竜には逆効果。僕が、というか、僕たちがやらかしたので、嘗てないほどに竜は、人間に興味を持つようになっているらしい。先ずは、知ってもらう努力をすべきなのだ。ラカもナトラ様も、大丈夫そうに見えても、ちょっとした認識の違いが、軋轢を生むことに繋がるかもしれないのだ。ラカは僕の首を折りそうになったし、ナトラ様は厨房の床をぼこぼこにしてしまった。

「親父さん、『今日だけなら』とか言ってたけど、何かあるの?」

 店仕舞いを始めた親父さんに、ミニスさんが声を掛ける。何処からか五つ音の鐘が聞こえてくる。一回目が鳴り終えるまでに、親父さんは何のことか思い出せなかったようなので、僕が代わりに説明する。

「ミニスさん。串焼き好きですよね」「おお、大好きだとも」「じゃあ、親父さんの串焼きを買いに来て、今のように店仕舞いをしていたら、どう思いますか?」「うん? そりやまぁ、残念、明日また来ようかなーー」「翌日、また売り切れていたら、どうですか?」「う~ん、それは、ちょっとむかつくかも。誰だー、食ったのはー」「はは、そういうことです。串焼きが全部売れる。それは利益になります。でも、一部の人が買い占めてしまえば、常連のお客さんが買えなくなってしまいます。一時(いっとき)潤ったとしても、長い目で見れば、それは売り上げを落とすことになり兼ねません」「おー、親父さん、お客さんを大切にする、いい奴だー! よっ、男前っ、東域一‼」「って、おいおい、止めねぇか」

 ミニスさんが(はや)し立てると、満更(まんざら)でもない親父さん。

「肉は安いの使ってるけど、ここまで美味しくできるんだから、親父さん凄いわよ。って、だからっ、何で皆、そんな目であたしを見るのよっ!」

 う~む、自覚はないが、どうやら、そんな目、で見てしまっていたらしい。然あれど、ミニスさんが間違えたとしても仕方がない。居回りを確認してから、親父さんに質す。

「親父さん、元猟師、ですよね」「おお、凄ぇな、わかるのか」「親父さんの体付きと、この肉から、推測してみただけです」「ふん? 親父さんが猟師だったことと、肉に何か関係があるの?」「ここからは僕の予想というか想像ですが、この肉は一般には流通していないものだと思います」「え? 安いのって、そういう理由? もしかして、食べちゃいけないお肉?」「はは、その点に関しては大丈夫ですよ。猟師の間では、ずっと食べられてきたんでしょうから」「この子を連れてっから、只者じゃねぇとは思ってたけど、頭いー奴ってのは怖ぇなぁ」「ちょっと! 二人で納得してないで、あたしにも教えなさいよ!」「はいはい。では、物凄く嫌な例えになりますけど、ちょっと生き物には見えない、ぐろぐろでげっちょんげっちょんな、どろどろでもよもよな生物がいたとして、それが美味しかったら、ミニスさんは食べますか?」「ふっふ、あたしを甘く見るなよ」「ミニスさんは強者かもしれませんが、市井人はそうはいきません。普通、食べません」「さり気なく、はぶられたわ!」「そういうことです。世間では食べられていないお肉を、嘗ての猟師仲間を通して、手に入れているんです。値段が安いのは、そういうことです。需要と供給の関係ですね。僕はちょっと苦手ですが、ラカやミニスさんのように、嵌まってしまう人もいると。というわけで、親父さん、はい」

 台の上に、金貨を一枚置く。

「この子の、口封じか……。見損なってくれるな、こんなもん貰わなくても、この子のこたぁ、言ったりしねぇ」「いえ、ラカのことではなく、あ、いえ、ラカのことなんですけど、これは明日の分です」「って、リシェ、さっき買い占めたら駄目だって言ってーー」「はい。買い占めるつもりはありません。余分に作って欲しいんです」

 食べ終わったラカが椅子ごと、ふよふよ~、だったので、竜にも角にも地面に降ろす。ラカが風でロープを切ってしまう前に解いてあげると、ぽっひょん。「隠蔽」の効果を強めたのか、或いは「結界」なのか、周囲の人々は気付いていないようなので、まぁ、いいか。ということで、覆い(フード)を外して、尻尾を風に遊ばせる。

「さすがに一度に三十本以上は目立つので、三回に分けましょう」「ぴゃ~~っ」「おっ?」

 ラカが口から息吹(ブレス)を吐くと、親父さんが(しゅくふく)に取り巻かれる。

「おおっ⁉」「慌てないように。その風は、とても良い風です。風竜の加護のようなものなので、よろしければ、明日からも、ラカに美味しいお肉を食べさせてあげてください」

 問題ないようである。ラカと親父さんはそれでいいのだが、然のみやは聞き出さねばならないことがあるのだ。今はまだ早い。場合によっては、親父さんを脅すことになるので、禍根(かこん)を残さないよう、誰にとっても幸せな結末が訪れるよう願っておく。

「親父さん。東域では、僕の制服は目立ちますか?」「最近の若者の間で、奇抜な服を着るのが流行ってるんだが、それに見られるだろぉなぁ」「ぐっ、問題にならないだけ増しと思うしかないか」「だったら、着替えればいいじゃないの」「そうしたいのは山々なんですけど。今回は、埋没(まいぼつ)するより目立ったほうが、目的に(かな)うと思うので。それに、『隠蔽』を始めとして、魔法が使える者が多いので、これが鉄板かと」

 ぺりっ。ぽすんっ。

「『ぽてぽて』」「…………」「これは、四十番より上かもしれませんね」

 ぺりっ。とラカを回収してから、風に化かされたような顔の親父さんに、明日からのことを頼んでから別れる。あとは、ペルンギーの宝石の感触を、風竜のお尻を堪能している、クーさんの親友候補(はんぶんこわれた)の破廉恥娘に尋ねる。

「で、ミニスさんはどうするんですか? 宿を取る必要があるなら、僕たちと合流しても構いませんが」「う~ん、それでもいいんだけどね~。仕事終わったのに、すぐ帰らないと、親父に何言われるか~。ってことで、あたしは帰るわね」「ーー兄さんとのことは、一応、それなりに、多分に? えっと、期待は、してます」「ぴゃ~っ」「くびゃ! もうっ、ラカちゃんまでっ! 覚えてやがれ~~っ!」

 はぁ、春の嵐のような女性は去っていった。僕たちと行動を共にされても、それはそれで面倒そうなので、これはこれで良かったのだろう。まぁ、あれだ、何はさておき。

 どむぅ。

「ゆんっゆんっゆんっゆんっゆんっゆんっゆんっゆんっ!」

 風の(とりこ)。このまま離れられなくなってしまうのではないかと、ちょっと心配になってしまう。誰が? 僕が、それともラカが。然ても、そこは、今は考えないことにしよう。



「これは、確かにわかり易い」

 誰かに聞こうと思ったが、ラカが魔力を辿ってくれたので、問題なく宿に着くことが出来た。ラカの魔力を感じて、感謝を籠めて、柔らかに風を受け容れる。

「ゆぅ~~~~っ!」

 おっ、肩口に顔を押し付けるだけでなく、ぐりぐりも加わった。反応にも幅があるようだ。ふむ、ひとつひとつ風の可愛さを発掘していくとしよう。

 エクのことだから、最高級の宿にするのかと思っていたが、趣味のほうを優先したようだ。竜の雫があるので、その地の経済に貢献する、という意味で最高級の宿でも構わなかったのだが。そういった雰囲気に慣れていない僕は、落ち着かない気分になると思うので、真ん中よりちょっと良い程度の、このくらいの宿のほうが助かる。唐草模様(アラベスク)とエクは言っていたが、植物に建物が浸食されているかのような装飾に、翡翠、というには毒々しい緑色が、何とも痛ましい。周囲から浮き捲っているが、非常に目立つので、見つけ易いという利点はある。そろそろすやんすやんかな、と思ったら、ラカの目がぱちっと開いて。

「お~、ラカちゃんだ~」「や~、ラカちゃんしか見えないから~。とギッタが言ってます」「おっと、何かにぶつかった~」「やっと、手加減抜きの、全力攻撃~。とギッタが言ってます」「くのやろっ、くぬやろっ、くもやろっ、くそやろっ」

 ぺりっ。ぽすんっ。

 損傷のない足とはいえ、体全体に響くので、悪化する前にラカを、ぽいっ。

 二人で風を受け止めると、ラカは双子の首に手を回してご満悦。寝床の違いだろうか、僕とはまた違った心地や楽しみ方があるらしい。と自分で言っていて何かおかしな感じだが、まぁ、あれだ、気にしたら負け、というやつだ。

「二人は給金は持ってきたの?」「うぐっ、おーさまとかちび竜とかと同じで、お小遣い制」「ほぐっ、無駄遣いしたら、カレン様が一緒に寝てくれない。とギッタが言ってます」

 コウさんは措くとして、みーや双子は、僕らとの出逢いまでお金を使ったことがなかった。だいぶ経ったし、経済観念は見に付いたと思うが、カレンが許可していないとなると、まだまだ覚束ないのかもしれない。然こそ言え、旅先でお金の問題で楽しめないとあっては、フラン姉妹を連れてきた理由の一つが達成できない。あと、うちの王様より増しとはいえ、彼女たちの、魔法以外の能力や迂闊さは信用が置けないので、ラカに頼む、と。

「竜は、食べたものを魔力に還元するので、たくさん食べられます。少し食べたら、残りをラカに上げてください。というわけで、この度は、ラカの接待が二人のお仕事です」

 ラカに覆いを被せてから、姉妹に金貨を三枚渡す。

「うごごごごっ! 垂れ耳ラカちゃんっ、最高~~」「うどどどどっ、垂れ耳ラカちゃんっ、至高~。とギッタが言ってます」「さぁ~、行くわよ、ラカちゃん!」「ひゅ~っ!」

 忽ち意気投合。まぁ、ラカが居るから、大事にはならないだろう。仮に何か問題になったとしても、彼女たちで解決してもらう。これも経験になる、はず。

「皆、出掛けるところだったんですか?」「ええ、居残り組は、自分たちから志願してくださったので、何かあれば『遠見』で知らせてくれるようです」「三歩以上、離れるです」「しくしくしく……」「ナトラ様。せめて、触れなければいい、くらいに緩和できませんか?」「うんうんうんっ!」「……リシェ殿と、アランの頼みなら仕方がないです」

 僕と、それとアランを見て、渋々甘心してくれる地竜。旅先での安心感からか、ちょっと壊れ気味のユルシャールさんが心配だが、アランが居れば大抵のことは大丈夫だろう。

「時間が取れるかどうかわからないが、確認してくる」「はい。では、戻ってきたら僕にも教えて下さい」「ふむ。了解した」

 変魔さんを見ると、僕らの会話の意味がわからなくても、まったく気にしなくなったようだ。ナトラ様も心付いていないようだったが、地竜に見抜かれていないのは好都合。これ以上の詳しい会話は控えることにする。

 夕方か夜になるだろうか。フフスルラニード王から会見の申し出があるだろうから、この一件が片付いたあと、僕も時間が取れるといいのだが。と考えながら宿に入ると、

「ぷっ……」「御一行の最後のお客様ですね。二階の奥の四部屋が、御滞在先になります」

 吹き出し掛けたが、慣れているのだろう、奇抜な服を着た従業員は丁寧に対応する。宿の外見だけでなく、いや、更に特色のある服装は、親父さんが言っていた、流行、とやらを取り入れたものなのだろうか。とはいえ、彼らは楽しんでやっている風ではあるが。

 然ても、二階に上がって、奥の四つの部屋。残り三つはわからなかったが、一つはわかった。然てまた扉を開けて入る。ふわっと漂う、炎の気配。

「主は、出掛けなかったか」「百竜を、一竜には出来なかったからね」「……言っておれ」

 窓を開けて、人の営みを、見るともなく見下ろしている百竜。静寂に揺れる炎竜と、寄り添いたいとの誘惑に駆られるが、振り切って、ベルンストさんから貰った薬を荷物から取り出す。優秀な竜鼻は刺激臭を嗅ぎ付けたようで、窓際の、炎の熱が増す。

「夕刻以降に呼び出しがあるかもしれないからね。今の内に、最後の一回を使っておこうかと思って」「彼奴(あやつ)、腕は確かなようだが、倫理観は怪しいからな」「この薬のこと?」「しばらくすると無臭になる。然し、そうなると別の効果を発揮しやる」「というと?」「催淫薬(さいいんやく)、のようなものだ。因みに、竜には効かぬがな」「ーーほんとに?」「……本来は効かぬ。っ、主が悪いっ! 主が使いよるから、我にも影響を及ぼし……、うぐっ」

 昨晩の、百竜の様子を思い出す。そして、三姫。異性から、積極的に近付いて来られるなんておかしいと思っていたが、そういう絡繰りがあったらしい。やっぱり、というか、何というか、とほほである。はぁ、勘違いしなくて良かった。

「…………」「どうかした、百竜?」「……いんや、最近、主の考えようことが、少しばかりわかってきたということだ」「え? どういうこと?」「ふんっ。知らぬ」

 上半身裸になると、塗り塗りしてくれる炎竜。よく見ると、顔が赤らんでいる。弱火でじっくりことこと、だろうか。必死に耐えているようだから、からかうのは止めておこう。然なきだに百竜の機嫌が斜めなようなので、沈黙には耐えられそうにないので話し掛ける。

「風、空気が、竜の国とはまた違った匂いがするね」「ここから距離はあろうが、海からの風だ。それに人のにおいも異なろう」「はは、慣れる間もなく、一気に来てしまったからね。遠くまで来たけど、これを旅と呼んでしまっていいのか不安になる。それに、海か。まだ見たことがないから、この一件が早く片付いたら、寄り道して欲しいかな。慥か、海竜王アグスキュラレゾンだったっけ。彼の竜に逢えるかもしれない」「逢うは無理であろう。海竜王が動かば面倒なことになろうし、仮に水竜が居たとて、潜るは難儀であろう」「幻竜王、海竜王、ときたら、残りは魔竜王か。マースグリナダ、だったよね、彼の竜にも何か特別なものがあるのかな?」「主は、魔獣種の大陸の、残りの二角を覚えていようか」「えっと、炎竜エーレアリステシアゥナと地竜イオラングリディア、かな」「一度しか聞いておらぬのに、よくも覚えておるな」「そういえば不思議だね。竜の名前だからかな。記憶というか、魂に刻まれているような感じがする」「主になら、言うても構わんか。マースグリナダは、魔竜王は、古竜よりわずかに強いだけだ。やんちゃな竜が多いあちらでは苦労したであろう。我の影響を脱した古竜は、氷や風を見ればわかろうが、特徴や個性を発達させる。イオラングリディアは、他者へ魔力を受け渡すことが出来たようだ。魔竜王に魔力を渡して、竜の姿を維持することも敵わず、角無しの竜として、『人化』した状態で過ごしたようだ」「その後、どうなったの?」「さすがに、そこまでは個竜の心を侵害するかもしれんで話せぬが、別のことを教示してやろう。地竜の相方は、ラン・ティノだ」「え? それって、聖語時代の二人目の天才?」「そうさの。聖語時代の前期、行き詰まりよう聖語を、活況の時代へと導いた男」「ん、……ん~、地竜が相方ってことは、竜の支援を受けていた?」「ラン・ティノは、言われておるような天才ではのうて、努力を積み重ねよう者だった。因みに、この頃の地竜は、みーのような幼竜の体で、盾になるくらいしか能がなかった。一応、魔力的な支援は出来たようだが、嘗ての、頭の固さで恐れられた面影は全くと言って良いほどなくなっておった」

 残念、と言ったらいけないのだが、治療が終わってしまった。竜の昔話は、現実感、とも違う、手で包み込んでしまえるような憧憬に似ている。ここにあるようで、ここにない、終わってしまった物語。前世、なんてものがあったら、もしかしたらラン・ティノーー。

「主なら、いずれラン・ティノとも(まみ)えるかもしれんな」「……え? ラン・ティノって人間じゃないの? 今も生きてる……?」「始めは人間であった。括りとしては、今も人間であろう。聖語時代の生き残りの一人。主も、竜が逆立ちした姿を目撃したような顔をしておらんで、覚悟はしておいたほうが良いぞ」

 不吉な言葉を窓に向かって吐き出さないで欲しい。せめてこっちを向いて言って欲しかった。いったい何の覚悟をしておけというのか。はぁ、気晴らしに百竜にお願いする。

「百竜、逆立ちして」「っ、ぬっ、主は、そんなに見たいか⁉」「あ、ごめん、別にそんなつもりで言ったんじゃなかったんだけど」「っ、ぬ、主は、見たくないというのか⁈」

 見たいっっ‼ ……げふんっげふんっ。絶叫したのは心の中だけだったので、問題はありません。ええ、ありませんとも。取り乱した百竜が落ち着くことを期待して、無言で服を着る。「浄化」だろうか、百竜は要らなくなった容器や薬草を灰も残らず焼いてしまう。

「使者なり連絡なりがあれば起こしてやろう。それまで寝ておれ。そうだな、子守歌でも歌ってやろう」「子守歌? うん、お願いするね」

 寝床に横になると、端に腰掛けて、って、おかしい、いやいや、おかしい、って、二度も言ってしまったが、ほんとにおかしい、ぐぅ、三度も、いやさ、ちょっと待て、冷静に。

 みーは歌が上手だった。百竜は歌が下手だった。事実だけを並べてみた。

 これは百竜の矜持に係わるのかもしれない。百竜は、その事実に気付いていないようだ。僕がやることは一つ、眠った振りである。安眠妨害竜の咆哮から逃れなければならない。興が乗ったのか、歌い続けて、中々部屋から出て行ってくれない炎竜。

 最後の瞬間、やっと眠れたのか気絶したのか、定かではない僕なのであった。



「やあああああぁぁああああああああああぁぁぁああああああああああああああぁあぁぁ」

 僕は跳ね起きたびぃっ⁈

「ぎぃっ⁇」「びゃっ?」

 ぐぅおぉぉっ。背中だから良かったものの、腕だったら悶絶(もんぜつ)していたかもしれない。

 一直線で扉に向かおうとしたのだろう、僕にぶつかって倒れたエルタスが悶絶していた。月明かりで何とか見える程度。治癒魔法を使っているらしいエルタスを横目に、扉から出ると、斜向かいの部屋の前に、アランとフラン姉妹の姿がーー、

「やぁああああぁぁああああああああああああぁああぁぁああああああああああぁぁああ」

 確認した刹那、再び、心が抉られる竜の慟哭(どうこく)

 扉をこじ開けたらしいアランが頷く。

「サンっ、ギッタっ、前と後ろからぎゅっとしてあげてっ!」

 二人の背中を押して、部屋の中へ。向かいの部屋から出てきたユルシャールさんが、即座に「光球」の魔法を放って、部屋の様子が確認できる。

「やああああああああぁぁーー」

 ーー三度目の途中で、慟哭は嗚咽(おえつ)に変わった。

「こーっ、こっ…こぉ、う……ぅひぃぅ、…ぅ」「何かあっついけど、我慢してあげるから、ちび竜はとりあえず引っ付いとけ!」「何か魔力でひりひりだけど、知ったこっちゃないから、ちんまり竜はどうにもこうにも挟まれとけ! とギッタが言ってます」「はうあぁああああぁ、みー様~~、私が遅れたばっかりに~」「あー、はいはい、エルタスさん、もう大丈夫、というか治まったので、落ち着いてください」

 双子に正面と背後から、ぎゅっと抱き付かれて。サンだろうか、正面の少女の胸に顔を(うず)めて、背中に手を回して、足りないものを埋められないとわかっていても、どうしようもなくて、やるせなくて、しがみ付くしか出来なくて。

 ふっと、竜の気配が、世界をひりつかせるような魔力が途絶えた。

「ーーすまんな。我が油断していた」

 少女の胸から顔を離すと、(くるり)と振り向いて、もう一人の少女の胸に顔を埋める。

「うっおおっ、な、何なにナニな二?」「おっううっ、に、二七になニナにナ? とギッタが言ってなに?」「アラン。ナトラ様は?」「『結界』を張って、熟睡している」

 この部屋には、三竜が。隣がフラン姉妹。向かいがアランと変魔さん。残りの、僕とベルさんとエルタスが斜向かいの部屋に。ベルさんは、部屋を出るのを控えたようだ。

 地竜の「結界」を解くのはアランでも無理だろうから、僕が「結界」に触れると、

 ばちっ。

 うわっ、吃驚した。途端に目を見開くナトラ様。

「なっ、何かございましたか!」

 従業員、いや、翡翠亭の経営者だろうか、駆け付けたのは初老の男性。「浮遊」でふわりと、男性の前まで行くと、竜の雫を一つ、掌に乗せて、竜の微笑みを浮かべる。

「面倒を掛けたです。宿の客への事情説明と、翌朝のご飯を無料にしてあげるです」

 瞬時に状況を把握したナトラ様が、恐らく正体を明かしたのだろう、「隠蔽」を用いず、適切に対処してくれる。すると、男性は何を思ったか、突然座り込んで、両手を膝に、掌を上に向けて、頭を下げた。

「竜か、竜人であるとお見受けいたします。竜の雫は要りません。その代わり、どうか、どうかっ、妻の病気を治、いえ、()て頂けないでしょうか!」

 ぽかん、としたお顔のナトラ様。寝起きということも影響しているのだろうか、意表外の事態に頭が追い付いていないようだ。

「ふむ。それで、どうする、ナトラ」「と、……これも何かの縁です。治すとは断言できませんが、一切手は抜かないと、地竜ユミファナトラが誓うです」「あ、ありがとうございますっ!」「あ~、僕たちが言うのも何ですが、夜中ですから、お静かに」

 竜にも角にも、二つ音に男性の家に赴くことを確約して、あとの処理を任せる。

「あれ? ラカは?」「ここに居ないのなら、答えは一つです。リシェ殿の部屋に居なかったです?」「ん……? そういえば、ラカの声を聞いたような?」

 エルタスにぶつかられたとき、幻聴かと思ったが、そうではなかったらしい。

「私とユルシャールは、ナトラに同行する。呼び出しがあったとしても、リシェなら問題あるまい」「わかりました。明日、二人は自由行動としますので、ナトラ様の補助をお願いします」「ふむ。そういうわけだ、ナトラ、行こうか」「なっ、ほ、です? ど、どこに、です?」「私は百竜様のーー」「其方(そなた)も出ていかんか」「……御意」

 いつもと変わらないように見えて、その(じつ)寝惚けているのだろうか、ナトラ様を後ろからぎゅっとして、去って行くアラン。嫉妬の魔法使いと、泣く泣く出ていく呪術師。

「じじゅーちょーも出ていけです」「じじゅーちょーも出ていくです。とギッタが言ってます」「って何、扉を閉めているです」「鍵、掛けやがったです。とギッタが言ってます」

 今度はナトラ様の真似だろうか、竜の慟哭と、竜の嗚咽に打たれて、(しっか)と目が冴えてしまったようだ。いつもより拒絶感が弱いのは、そろそろだという自覚があるからだろうか。旅の同行者として、フラン姉妹を選んだ理由。

「我も席を外そうか」「いえ、百竜は居てください。場合によっては、百竜に二人を任せることもあるかもしれないので」「然様か。みーとの繋がりがある故、構わぬが」

 ああ、姉妹が膨れっ面で、炎竜が仏頂面である。

「魔力の発生源は、スーラカイアの双子で間違いないと思う。百竜も同じ意見かな?」「今のところ、それ以外は見えぬ故、同じるに()くはない」「この事態を解決するには、幾つかの手段があると思う。その中での、有力な手段の一つが、二人を引き離してーー一人をフフスルラニード国で、もう一人をグリングロウ国で引き受ける、というものです」

 無反応を装っているが、目に非難の色が(くすぶ)っている。

「竜書庫にあった、スーラカイアに関する研究書は、二冊だけでした。一冊は、深く踏み込んでおらず、もう一冊は、碌でもないものでした。その二冊で、ある程度予測はできますが、残念ながら、本には本当のことが記してあるとは限りません。特に歴史書がそうです。為政者の願望がこれでもかと詰め込まれます。隣国の書や、庶民の残した文物から、真実を読み取っていくわけですがーー」「主、脱線しておるぞ」「ーー要は、二人に別個(べっこ)に行動してもらって、どんな変化があるのか確かめたい、ということです」

 無反応を装えなくなった二人が爆発する前に、言葉を継いでおく。

「勿論、これは強制ではありません。二人がやらなくても、誰も責めません。でも、サンとギッタの決断が、二つの命を救うことになるかもしれない。カレンと離れることを、東域に向かうことを、了承してくれたことに、感謝していることだけは知っていて下さい」

 赤裸々に、姉妹に差し出す。

 これまで双子は選択してきた。カレンに付いていくこと。竜の国に残ること。魔法を、魔工技術を磨くこと。そこに自身の命運を乗せてきた。然し、そこに他者の責任まで乗せたことはなかっただろう。誰かの運命をその背中に負う。そうして初めて、自分にその力が、意思があるか、自らに問い掛ける者もいるだろう。

 無責任ほど楽なことはない。然し、無責任であることほど弱いことはない。強いと錯覚しているだけだ。ドゥールナル卿に、僕の責任で数十万の命が失われるだろう、と言われたとき、思い知らされた。僕もまた、責任の意味を履き違えていた。

 コウさんが、城街地の人々に語り掛けたときのことを思い起こす。一方的に背負うことだけが責任の示し方ではない。それでは不十分だと、それは本当のものではないと、あのとき教えられた。ああ、困ったことに、あのとき彼女は、誰よりも、「王さま」、だった。

「…………」「……。とギッタが言ってません」

 ここまで、かな。

「り~え~っ!」

 ぱしっ。ぽすっ。

「ぴゅ~? ふあこっ、ふあこっ!」「はい、ラカ。今日は、サンとギッタと一緒に寝てあげてね」「ひゅ~。ふあこ、一緒に寝う?」「…………」「……。ギッタが言ってません」

 だだだっとラカを抱えて走って行ってしまった。去り際に僕を蹴らなかったということは、それだけの余裕がなかったということ。すぐには眠れないだろう。不安な夜を、ラカの風が包み込んでくれることを願って止まない。

「えっと、百竜、何でそんなに警戒心ばりばりなのかな?」「主、言い掛かりは止めよ」

 自分から近付いてくる割には、近付かれるのを苦手としているような、言行不一致というか竜は振り返り捲りというか。寝床に座って、枕を抱えた百竜の、仄かに染まった顔が、僕と顔を合わせられないのか、僕が近付くほどに、到頭角まで隠れように。

 小さき炎や、熱に(かつ)えて。一緒に寝ぬ? と言へば()に、

「くふふ、です」

 覗き見竜、発見。……というか、僕は今、何を口走り掛けた? ふぅ、ナトラ様に感謝である。炎でめらめらな百竜をこれ以上怒らせずに済んだ。と思いきや、何故か炎で真っ赤なあっちっちー、って、そんな場合じゃないっ!

「『結界』で防げている間に逃げるです。あと四枚、三枚、二枚、一枚ーー」

 ばたんっ。

 ーーはぁ、危機は乗り切ったようである。結局、今日はフフスルラニード国から連絡はなかったし、明日、いや、もう今日か、惟るのは起きてからに、怪我人はとっとと休むとしよう。がち、がちっ、がちっーー。……あの呪術師め。

 ーー扉は開かなかった。



 がちゃ。という音で目が覚める。すたすたすた。と近付いてくるので、起きようとすると、風の尻尾がふよふよだった。ナトラ様が頑張ってくれたので、寝起きの風髪と戯れるのが、朝の日課というか、目を覚ます為の儀式というかーー。

「寝床ってぇのは聞いてたが、風竜様は幸せが過ぎて、お顔が崩れそうだぞ」

 僕の上で、仰向けになって、すやんすやんなラカ。風竜は今尚、模索中である。昨日は背中、一昨日は腕、その前は足ーーと、そうして最高の寝場所がどこか試行錯誤の日々なのである。体を起こすと、ふわんっ、とラカが浮き上がって、(くるり)としたら、ぽすんっ。

「むあむあむあ……、むあむあむあ……」

 以前ならここで風を注ぎ込んで起こしてあげるところだが、手に風を集めて、上からゆっくりと押さえ付ける。すると、すいぃ~~、と滑っていって、胡座を掻いた僕の足の上に頭を、ぽとっ。うつ伏せのほうがやり易いので、一旦風で固定する。

 寝床の端に置いてある、ラカ箱を取って、さて、準備完竜である。

「ああ、リシェよ。到頭あっちの住人になっちまったか」「変なことを言うのは止めろ。角磨(つのみが)きの何が変なんだ」「それはあちらの二竜に聞いてみては如何かな?」

 先ずは布を水で濡らして、昨日塗擦(とさつ)した香水を落とす。スナの角と違って、溝があるので、優しい匂いの粉を少々、細い棒の先に羽毛を付けた、職人さんから購入した最高級の道具で、こしょこしょしてあげる。そうすると、こしょばゆいのか、手足をわたわた動かすのが、可愛すぎて作業の手が鈍りそうになるが、心を竜にして続行あるのみ。

「ふひゅふひゅふひゅふひゅふひゅふひゅふひゅふひゅ」

 手と足の指までわひゃわひゃである。またまた風の可愛さ発見。

「ナトラ様は、アラン様にやってもらわないんすか?」「アランはやりたがってたです。でも、僕の六つの角は短くて、磨くのに適してないです」「ちょいと失礼。真ん中の長い二本の、後ろにも二本で、六本かぁ。確かにねぇ、ーーでも、ときどき我が儘を言ってみせるってのも、竜冥利に尽きるってぇもんですよ」「風だけでも面倒故、岩まで堕落させるでない」「百竜様。我慢は体に毒ですって。ほらっ、見て下さい! あのラカ様の『もゆもゆ』なお顔を。百竜様も、リシェの手練手管(てんのくにへとごしょうたい)を味わうべきですって!」

 渦巻き状の角の隙間に、薄い布を入れて、軽~く動かしてゆく。何カ所か角が接触している部分があるので、止まった布の端で、きゅっきゅっ。合わせて、ぴくくっぴくくっ、とラカの膝から下が波打つのも、また格別である。

「「「…………」」」

 最後に香水。と言っても、ラカが気に入った匂いを、僕が調合しているので、香水と呼べるほど立派なものじゃないけど。溝に入らないように気を付けながら、全体に塗擦してゆく。仕上げに、というか、おまじない、というか、ふぅ~~、と両方の角に、僕の(かぜ)を吹きかけて、はい、出来上がり。ぴょんっと跳ね上がって、僕の首に手を回したラカは、

「ひゅるるんっ、ひゅるるんっ、ひゅるるんるんっ!」

 ぎゅぎゅぎゅ~としてくる。首の周りに風を集めて、ラカの手が緩むまで、軽く抱き締めてあげる。風が解けるのに遵って、お負けで、ラカの耳に、ふぅ~。お返しに、ラカも、ふぅ~。でも、それでは足りないと思ったのか、僕の耳をもふもふと甘く噛んでくる。それじゃあ、僕もお返しということで、ラカの耳をもーー、

「好い加減にせぬかぁーーっ‼」

 って、え? 何ごと⁉

「びゅ~っ!」「空っ風は離れておれ!」

 べりっ。ぼすっ。

「『とてとて』」「良かったね、エク。五十番だよ」「やめろぉ~っ! そんなっ、平凡な番号っ‼ 俺を殺す気かぁ~~っっ⁉」「然も、真ん中は五十番と五十一番だから、五十番はちょっとだけいい番号だよ」「やめろぉ~っ! 止めを刺すなぁ~~っっ⁈」

 「竜患い」との自覚のあるエクには、平凡や普通(もうどく)(さぞ)や骨身に応えよう。

 一番から百番まで、ナトラ様に教えてもらって、フフスルラニード国の使者が来るまで、のんびり覚えようかと思っていたら、完全に覚えてしまっても音沙汰なく。然も候ず、一巡り経ってしまいましたとさ。う~む、これは予想外だったなぁ。

 彼らにとっても忽せに出来ないことのはずである。僕らより優先させるべきことがあったのだろうか。連絡の不徹底(ふてってい)不備(ふび)ではないことは隊長に確認しているが。

 衝撃が強いと、患部が治ったように見えても、周辺が痛むことがある。まぁ、僕の腕はそんな水準ではなく、日毎に色合いが変わっていくという、(あまつさ)え見ただけで吐き気を催すような毒々しい腐ったような模様で。なのに、はぁ、嬉しいんだけど、非常に困ったことに、一巡りで治ってしまったのだ。肌の色が元通りになるには、あと二、三日掛かりそうだが、無理をすれば普通に動かすことが出来る。百竜の炎とラカの風のお陰もあると思うけど、一番は「千竜王」の影響なのだろう。本来なら腕を切り落とさなくてはならない重症が、あっさりと治ってしまうのだから、感謝しなくてはいけないのだろうけど。これって、宿主(しゅくしゅ)を死なせないように力を貸しただけのようにも見えるし、「千竜王」の影響力が増したことによる肉体の変化なのかもしれない。

 音沙汰がなかったといえば、スナからの連絡もなかった。やはり草の海の魔力が乱れている所為で、鱗を介した魔力も途絶えているようだ。一巡り、休暇のようにまったりと過ごして、ちょっと拍子抜けである。東域に渡ったら、すぐに事態が動き出すだろうと気を張り詰めていたのに、いや、竜と仲良くなる為の時間だと思えば気が咎めることもないか。

 ナトラ様を見ると、左目の前の魔鏡が、不自然さを伴わない状態でそこにあった。

「ナトラ様。よくお似合いです」「そう、です? ありがとうです」

 満更でもない顔である。魔鏡の(ふち)は金で覆われて、左に取り付けられた灰褐色の滑らかな棒が耳に掛けられている。取り付けられた箇所からは、細かに絡み合った金鎖が垂れ下がっていて、ナトラ様の知的な雰囲気を華やかなものにしている。魔鏡が浮いているだけだと、おかしな感じになるので、アランが工房に通って作製して、地竜に贈った物である。

 ナトラ様に秘密で、とのことだったが、さすがに竜を誤魔化すことは出来ず、ばれてしまったが、それでも、地竜が初めての贈り物に喜んだだろうことは想像に難くない。触発された僕も、昨日一日を丸々(まるまる)使って、何とか完成させた。これだけ待たされているのだから、すぐには応じなくても構わないだろうと、半ばやけくそで制作に没頭した。

 扉からアランとユルシャールさんが、ーーと、二人だけでなく、フラン双子とエルタス、ベルさんも、勢揃いである。エクを見咎(みとが)めた誰かが招集を掛けたのだろう。

「で、エク。何が起こっているのかな?」「ちょいと待て。あとちょっち揉み揉みーー」

 ぺりっ。ぽすっ。

「そんなに乱暴にお尻を揉んだら、ラカが嫌がる」「なんのっ、俺の揉み揉みは中々だって評判なんだぞ!」「そんなものは知らん。サンとギッタを見ろ。二人は最初っから心得ていた。ラカの顔を見れば一目竜然」「ひゃひゃっ、わかってるさ。あの嫌がってる顔が堪らねぇんじゃねぇか!」「ラカちゃん、気を付けよう。あれはじじゅーちょーの親友よ」「ラカちゃん、気を付けよう。あれはじじゅーちょーの変態よ。とギッタが言ってます」

 そんなこと言うとラカを返してもらうよ。と姉妹を見たら、僕を無視して風とお友達。まぁ、女の子と竜が戯れていると、何だかんだで和んでしまう。

「発生から二巡り経ったら、フフスルラニード国の意向を勘案することなく動くことになります。何があるかわからないので、二巡り分、余裕を持たせておきます。竜の国の魔力貯蔵量が一星巡り分ですので、ここらで期限を切っておくのが適切だと判断しました」

 そろそろ真面目に、ということで。硬い物言いで、緩んだ空気を引き締める。

「隊長から、大貴族が蠢動(しゅんどう)しているのではないかと聞いているけど、どうだった?」「まー、それ以外にないってことかねぇ。先王は戦好きで領土を広げたけど、その分、内政はぼろぼろで諸侯や民は苦しんだ。得したのは、余裕のあった大貴族だけってぇ寸法だ。で、王様は好き勝手やった挙げ句に戦でおっ()んじまった。さぁ、こっからがてーへんだぁ。周辺国にゃ(うら)(つら)みで万々歳。手薬煉(てぐすね)引いて待ってますっ!」「余計な修飾はいいから、続き」「ちぇー。現王は国を立て直すまでの危難の時期を、奇策で乗り切った。『鉄血騎士団』って呼ばれてたみたいだな。敵国が侵攻してくると、何処からともなく疾風(はやて)の如く現れて、ばったばったと薙ぎ倒す。百戦錬磨の無敵の騎士団っ、ここにあり~っ!」「と、敵国は恐れることになります。ですが、グリングロウ国の倍の国土で、そのような神速、竜速の行軍など適うはずがありません」「ふむ。敵国と接する領土の背後に、騎士団の鎧だけを置いていた、ということか」「お~、さすがアラン様。始めは、前線が支えている内に、鉄血印(じるし)(よろ)う騎士が命懸けで突貫どっかんっ。相手が逃げ腰となれば、領民が鎧どころか、それっぱい偽物を身に着けて、援軍を装ったとか。俺好みの際どい策を使ってくれるよなぁ」「父王が勇猛だったので、息子である現王もそうだと思われたのも成功した理由の一つです。竜が居ると思わせて、最初の犠牲者になりたい奴は来るがいい、と敢えて国境の守りを手薄にしました」「そーこーしてん内に、現王のレスラン・スフール・フフスルラニード……って、呼びにきぃい~っ!」「フフスルラニード王は、内政に力を尽くし、国を立て直しました。その頃になって(ようや)く、周辺国は鉄血騎士団が虚妄(きょもう)と気付くことになります。現王の手腕は優れ、大国となったフフスルラニード国に手を出す(やから)はいなくなりました。当然、民と、大貴族以外の貴族から、絶大な信頼を得ることになります。先王の時代が忘れられない者、侵攻してきた隣国に相応の報いを与えるべきと主張する者。そういった者たちは少なくない(かず)存在しましたが、大勢(たいせい)を揺るがすものではありませんでした。フフスルラニード王は、堅実に領土を守り、栄えさせていきました」

 ここまでがフフスルラニード国の簡単なあらましである。皆には時々に伝えてきたので復習のようなものである。そしてここからが現況、面倒の種になるかもしれない話。

「そこに突然、王城で甚大な魔力を放出する、スーラカイアの双子が誕生しました。皆に報告した通り、『結界』が張られ、内側には術者と思しき亡骸(なきがら)が。生まれ落ちた場所が王城であることから、ーー邪推はしたくありませんが、魔法実験の類いまで想定しておく必要があります。僕らに連絡がないのが、その証左、などとならないよう願っていますが。それで、エク、今度は真面目にね」「はいはいっと。大貴族ーー三大貴族って呼んでおこうか。有力貴族だけじゃなくて、三大貴族のほーにも探り入れてみたけど、結構上のほーまで籠絡(ろうらく)してみたけど、情報が出てこねぇんだよなぁ。そんで、深つ音に、三大貴族の中で一番怪しそーな侯爵の部屋に忍び込んで、あんまり痛くなさそうなところを、ぷすっ、とな」「「「「「…………」」」」」「……サン、ギッタ。コウさんから教えてもらったという魔法を、この、べこのかあに食らわせてやってくれないかな」「ちょっと待ちぃ、ここからっ、かなりっ、結構重要っ! そこの双子っ、リシェの言う通りにするなんて、大好きかっ? リシェのこと大好きなのか⁉」「くぉ、卑怯な。そんなこと言われたら」「ぐぉ、卑劣な。竜だって、巣穴に帰っちゃう。とギッタが言ってます」

 はぁ、ほんと、エクが居ると話が進まない。まぁ、本気で怒っているわけではない。エクの奇行をいちいち気にしていたら、理性や常識が幾らあっても足りない。

「たくよぉ。まー、太っちょのおっさん、ちょいと目隠しして、腕を縛って、尋問やぁ~、って楽しみがうはうはだったらな、あのおっちゃん、とんでもねぇこと言いやがった」「とんでもないこと? 通常なら、お前の雇い主の三倍を払おう、ってところかな」「ああ、それだったら寝返ったんだけどなぁ。『お前、エクーリ・イクリアか』だってさ」「ふむ。それは大変なのかどうか、わかっているのか?」「正直、アルンさんじゃねぇことを祈ってんよ。俺ぁ、アルンさんと里長だけにゃ、手ぇ出さねぇって決めてるからな」

 ナトラ様以外の顔に、理解、の文字は書かれていなかったので。あと、百竜は、理解、と手書きしたようだが、振り仮名は、不可解、だったのできっとわかっていないのだろう。

「侯爵がエクの名前を知っていたとは思えません。当然、誰かが教えたことになります。そして、その教えた誰かは、もし手を出してくる者がいたら、それはエクだろうと、予測していたことになります。そんなことが出来た誰かは、エクのことを知っている。先ず思い浮かぶのは、エクが言った通り、兄さん。ですが、これは兄さんの仕業ではないでしょう。フフスルラニード国や何処かの国を潰して、そこに国を造るようなことは、兄さんの望んだ国造りとは異なるものです。そうなると、慥か東域に〝サイカ〟は二人ーーあぁっ」

 ととっ、〝サイカ〟と言葉にした瞬間、あと一人、いや、あと三人思い出して、おかしな声を出してしまった。そうだった、「騒乱」のあとの「拷問事件」……の、って、まぁ、他に呼び方がないので仕方がなくそう呼ぶのだが、あのあと馬車の中で、エーリアさんが言っていた。『這う這うの体で逃げていった』と。何処に逃げていったのかは、聞いたような聞かなかったような……、そこは曖昧なのだが、ボルンさんならエーリアさんから色々聞いていただろう。それらは、確かに線で結べるが、確証はない。

「カイナス三兄弟ーーと言ったら、エクはどう思う」「正解、じゃねぇかと思う。俺が調べてもわからない。三大貴族は他国と繋がってる節がある。で、繋がってるなら、一国じゃフフスルラニード国は落とせない。この国の周辺国が共闘するかといったら、邪竜がこんにちは、だ。カイナス三兄弟がいるなら、ここにがっちりと嵌まる。俺とリシェの予想が当たってたなら、この国、やべぇぞ」「やだなぁ。止めなくちゃいけない。現状を訴えれば止めてくれるだろうけど、邪魔するわけにもいかないしなぁ」「くっくっ、面白くなってきたぁ~っ、〝サイカ〟は争わず、っつっても例外はあるからなぁ。俺もーー」「で、エクは面割れしているようだけど、フフスルラニード王との会見に出席する勇気はあるの?」「変装すりゃあーー」「ベルモットスタイナー殿。フフスルラニード王を見定めていただきたいのですが」「興味はある。然し、王との会見で『隠蔽』などの魔法を使うのは、不敬、いやさ、問題にならないのか?」「はい。ベルモットスタイナー殿には、竜になっていただきます」「な、……は?」「なって頂く竜は、暗竜です。暗竜なら、耳を隠す為に覆い(フード)を被っていても問題ありません」「そう、なのか?」「ーーはい。たかが一国の王が、竜に口出しなど、していいはずがありません」「「「「「ーーーー」」」」」」

 あ…、あれ? 今僕は何を……。

 怒りではなかった。傲岸(ごうがん)な、ただの厳然たる事実。疑問もなく、竜の側に立っていた。

 僕が染まってきているのだろうか。知らず知らず、「千竜王」が侵食してきているのだろうか。スナと、そしてラカと、ずっと触れ合っていた。炎竜氷竜の魔力など、人の身では耐えられない竜の魔力を浴びてきた。僕は、軽く考え過ぎていたのだろうか。では、どうする? 竜との触れ合いを、竜との未来を、諦めるのか、諦められるのか。

 そんなことは出来ない。前に向かって歩くと決めた。空に手を伸ばすことを止めないと誓った。大事なものを捨ててまで得たものに、どれほどの価値があるというのか。

「エク。フフスルラニード王の評判はどうかな?」

 竜の尻尾(ほんしん?)を覗かせてしまった僕。百竜は、嬉しそうな顔をしているが、他の面々は、ラカとアラン以外は、何とも言えない顔をしていたので、誤魔化しにエクを利用する。

「おぅげぇぇ~~っっ‼」

 よくぞここまで聞き苦しい声を出せるものだと感心する。精神汚濁言語(くそったれ)、とでも呼びたい気分である。あ、ナトラ様が耳を塞いだ。感覚が鋭い竜には、堪えるのかもしれない。仲良し三人竜組は、それぞれ二人の耳を押さえて、何やら面白いことになっている。

「聖人君子だった?」「お~う、凄ぇぞ。何処からも悪りぃ噂が聞こえてこねぇ。中身も、天竜光竜が棲み着いてんじゃないかってくれぇ、出来たお人だ。たぶんだけど、国の為ならこの命、喜んで捧げよう、とか普通に言っちゃう奴だぜ」「それは凄いね。エクですら悪心を見出(みいだ)せないほどのーー聖王とでも呼ぶべき御方だとは」「身ばれしてるとか関係なく近付きたくねぇ」「となると、欠点がないことが欠点、と言ったところかな」

 謎掛けのようなことを言うと、感興をそそられた顔が半分くらいあったので言葉を継ぐ。

「そうですね。聖王と翠緑王には、似たところがあります」「いいえ、全くないです」「いえいえ、完璧にないです。とギッタが言ってます」「おーさま間違い、ここに極まれり」

 僕の言い方も悪かったのだが、酷い言われようである。彼女たちの意見に否やはないが、この度は別の視点から眺める必要がある。

「聖王は、四十を幾つか越えた周期で、二十周期ほど統治を行ってきました。二十周期も経てば、フフスルラニード国の人々は、今ある安寧が当然のものだと受け取るようになってしまいます。本当はそうでないと知っている人でも、危機感が薄れてしまいます。何かあれば、何かあったとしても、聖王が何とかしてくれる。自分たちは聖王に付いて行きさえすればそれで問題ない」「そーだなー、だから、敢えて危機を演出するのも一つの手なんだけどなぁ。聖王様ぁ、考え付かなかったのか、考え付いても後ろ暗いことは出来なかったのか」「戦争がないのであれば、暗殺や毒殺、あとは病没でしょうか。聖王に頼っていれば頼っていただけ、依存していれば依存していただけ、その支柱を失うことで跳ね返ってきます。後継者と思しき第一、第二王子は、平和な時代を生きてきました。聖王が子の育成を誤っているとは思えませんが、それでも反動に耐えられるかどうかはわかりません。これは他国のことなので、これ以上口を挟むのは止めておきましょう」「あー、おーさまは、竜の国の魔力源」「おー、いなくなったら、竜の国はすっからかん。とギッタが言ってます」「はい。そういうことです。似ているだけで、本質は違いますね。あと、問題の深刻さでいえば、竜の国のほうが大変です。聖王の代わりは居たとしても、翠緑王の代わり、というか能力を引き継げる者がいません」「そこぁ、今すぐどーにかなるもんじゃねえしなぁ。そんな国造った奴の責任だろーから、苦労と苦心、するしかねぇなぁ」

 馴れ馴れしく肩を組むんじゃない。心が重いのに、物理的にも重いじゃないか。

「せいおーって、凄いっぽいのに」「何で三大貴族とか野放しにしてるのかな、せいおー。とギッタが言ってます」「せいおー、実は、あくおー、だった?」

 おっ、双子がいいところに気付いた。コウさんや老師、あとカレンの教育や薫陶の成果だろうか、自分から考えるように意識の改善がなされている。出来れば答えまで辿り着いて欲しいところだが、治安維持の方法の一つとなると無理そうなので、今回は僕が説明するか。双子に話すとなると、わかり易さを優先したほうがいいかな。

「大貴族、ということは、これまで国に貢献してきたということです。そうでない場合もありますが、今はそういうことにしておきます。大貴族を排除したとなるとーー国に貢献した大貴族でさえ、あのような目に遭うのだ。と諸侯を疑心暗竜にさせてしまいます。ですが、実は別に、重要なことがあるのです。さて、三大貴族が悪だと仮定して。国の内外の、悪いことを考える人は、どうするでしょう? 当然、とまでは言いませんが、この三大貴族を頼ったり利用したり、などということを考えるのではないでしょうか。それはどういうことかというと、わかり易い、ということです。統治者にとって頭痛の種となるのは、悪いことをする奴が何処に居るのかわからない、という状況です。問題は、いつ何処にでも芽吹いてきます。ですが、何処で芽吹くかわかっていれば、対処がし易くなります。そう、つまり、悪を、悪い部分を、敢えて残しておくことで、制御(コントロール)できるようにしておくのです。聖王がどのように考えてそうしているのかはわかりませんが、結果的に三大貴族がその役を担うことになっているのと同時に、聖王への不満を振り替える、というか()り替える役割も背負わされています」「おっおっ、てことは、実は悪い振りをしてる奴がいて」「そっそっ、実はいい奴で、おーさまと結託(けったく)してたとかとか。とギッタが言ってます」「もっもっ、もしかしてそんなこともあったりしちゃう?」

 これはしたり。と言ったら双子に失礼になるだろう。ここは褒めてあげなければーー、

「あれ? あれれ? 竜の国で悪い奴といえば、じじゅーちょー」「うん? うんん? 竜の国で災厄といえば、じじゅーちょー。とギッタが言ってます」「じじゅーちょー、悪い振りをしてる?」「風竜地竜が引っ繰り返っても有り得な~い。とギッタが言ってます」「じじゅーちょー、実はいい奴だった?」「炎竜氷竜が仲良くなるより現実味がな~い。とギッタが言ってます」「ーーラカ。尻尾でぺしぺし」

 褒める代わりに、実力行使。ラカの風髪がふよんっふよんっと振られて、双子をぺしぺしする。まぁ、あれだ、おしおき、という名の、祝福である。

「って、うよっ、ラカちゃん最強かっ、避けられない!」「って、うほっ、ラカちゃん最高かっ、気持ちよすぎ~!」「うふふ、うふふ、待て~、待て~、尻尾を掴まえちゃるよ~っ」「ふひひ、ふひひ、もっと~、もっと~、ぶつけてごらんなさ~い!」

 ああ、風の魅力にやられてしまった双子は、壊れてしまったようだ。

 二人の「同調」具合からもわかる通り、双子はずっと一緒にいた。僕の頼みというか示唆を、考えてはくれているのだろうが、実行には至っていない。

「どうかしましたか、ベルモットスタイナー殿?」

 フラン姉妹の痴態を、皆で生暖かい目で見守っていたが、ベルさんだけが怪訝な顔をしていたので尋ねてみる。すると、(かえり)みた「ハイエルフ」が、懐疑心(かいぎしん)に囚われる。

「ふと、思ったのだ。マギは自らそのような役割を買って出ていたのではーー、いや、まさかな」「以前、ベルモットスタイナー殿から話を聞かせていただきました。三百周期で族長になられ、長老衆は反対しなかった。マギルカラナーダ殿は、亜人戦争で参謀だったとか。このことから、恐らくマギルカラナーダ殿が、後ろで糸を引いていたのではないかと。他に、亜人戦争でも、まだ周期浅いベルモットスタイナー殿と『ハイエルフ』たちの仲立ち、緩衝材となっていたのかもしれません」「いや、マギは初めから、あのような(たち)であった。マギがそんなことをーー」「それでは、本人に確かめられては如何でしょう?」

 相手の心胆を推し量ることなく、何でもないことのように言う。事情を知っている相手にそのようなことを言われて、激高し掛けたベルさんだが、その怒りが、那辺にあるか、何故湧き出したものかを知って、苦悶に顔を歪める。

「我が……、そのようなこと出来ようはずがない」

 後悔が滲む。エーリアさんが尋ねた、「ハーフエルフ」が何なのか、予想は出来るが、彼から答えは聞いていない。千周期経っても変わっていないことを責められたのかもしれない。逆に、変わっていないからこそ、ベルさんの為にも、逢わないほうがいいと、マギルカラナーダ殿ーーああ、こちらも心中ではマギさんでいいかーーマギさんは判断したのかもしれない。ただ、エーリアさんに、会う確率など殆どないだろうベルさんへ(ことづ)けたということは、それだけの想いが籠められていることの証左であるように思える。

 橋渡しをすることは、出過ぎたことかもしれないが、竜の遼遠を知りたいと願っている僕の我が儘として、千周期の離別に係わらせてもらうことを決める。

「今回、対処を誤ると、世界が滅びるかもしれません。ベルモットスタイナー殿は、世界を救う為に、協力して下さっています。この一件が片付いたあと、竜の国は周辺国だけでなく、北と南にも使者を向かわせることになるでしょう。

 世界の危機を救ったグリングロウ国。竜の国は危険かもしれない、然し、必要な国である。そう思わせる、思い知らせるのが目的です。さて、そうなると、マギルカラナーダ殿にも使者を送ることになるかもしれません。使者の役は、ベルモットスタイナー殿にお願いしようかと思っています。マギルカラナーダ殿は難色(なんしょく)を示すかもしれませんが、翠緑王や侍従長が、そして、竜が圧力を掛けたらどうなるか、興味がありませんか?」

 答えようとして、ベルさんは口を閉じる。目を閉じて、両の掌を表に、軽く上げて。

「精霊の加護がここにあらんことを」

 その一言に籠められたものは、きっと、僕が思っているより大きなものだ。

 口元に、間違えようのない笑みが。降り積もった軽くて、それ故に重たいものを振り払って、仄かに顔を上げた、自然なーー。千の周期を揺らした、少年のような屈託のない。

「ーーーー」

 精霊が近寄ってこないらしい僕には、加護が得られないだろうけど、まぁ、彼が言っているのはそんなことじゃない。彼の感謝を誇らしく受け取る為にも、誰にとっても幸せな結末を迎えたい。それが無理だとわかっていても、空を見上げることを忘れてはならない。

 ふぅ。使者の話。今思い付いたことを、()も以前から考えていたような風に話したが。アランの評価が下がっていないようで何よりである。僕から学ぼうとしているのか、途中から口を挟まず聴き入っていたのだが、王様は満足げな様子である。

 エルタスは、腹心の部下よろしく百竜の後ろに控えているので、百竜越しには答えを返さなそうなので、こちらは放っておくとしよう。

 とんっとんっ。

 この律儀な、程好い音の響かせ方は、メッセンさんのようだ。みーが表に現れたとき、駆け付けた男性である。翡翠亭の経営者かと思ったが、支配人という立場らしい。

 彼によると、この翡翠亭は、経営者の趣味を注ぎ込んだものらしいが。エクと気が合いそうな人とは、会いたくない。どうか遠いところで、商売に励んでいて下さい。

 懇願されて、メッセンさんの妻を診たナトラ様は、風土病だと確定して、現地に赴いて病の原因を特定。周辺の動物が耐性を持っていることから、動物の獲物であるギザマルの、餌の一つである薬草が関係していると判断して、煎じて飲ませたところ効果があったとか。これは彼の妻だけの問題ではなく、昔日から奇病とされてきた地域一帯に貢献する偉業であった。風土病が克服(こくふく)されたあと、いずれ地竜像でも建つかもしれない。

 ナトラ様の分析力とアランの発想力の勝利、と言ったところか、まさか一日で解決してくるとは思いもしなかった。何の役にも立てませんでした。と情けない顔をした変魔さんが、一部始終を話してくれた。

「ご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じ奉ります」「…………」

 サクラニルを信仰していたメッセンさんは、竜信仰へと宗旨替(しゅうしが)えしてしまいました。(ひざまず)いた敬虔(けいけん)な信徒の振る舞いに、ナトラ様は岩塩をぼりぼり噛み砕いたかのような顔である。

 開いた扉の向こうに、もう一人、誰か居るようだ。そちらの用件を先に伝えるべきだろうに、エルタスにしろメッセンさんにしろ信仰心を(こじ)らせると厄介なことこの上ない。

 姿を現したのは隊長さんーーベレンさんだった。こちらも形見を持ち帰った僕たちに感謝しきりで、この一巡り、何度か様子を見に来てくれていた。騎士団の仲間や知り合いの貴族の伝手(つて)を辿って上の様子を調べてくれているようだが、(かんば)しくないらしい。

 然てこそ名残惜しそうなメッセンさんを見送ったあと、部屋の扉を閉める。

 それだけでなく、鍵を、がちゃんっ。僕の行動に、ぎょっとするベレンさん。

「ベレンさんは、フフスルラニード国を愛していますよね」「唐突に、何を……?」「ベレンさんのところまで情報は下りてこない。何をしていいのか、何をすればこの国の為になるのかわからない。だから、ーー動けない」

 僕が指摘すると、柔和だった顔が、戦士の研ぎ澄まされたものへと変貌する。然し、無力な自分を嘲笑うかのように歪んでゆく。

「ーー私は昔、フフスルラニード王に助けられた。恩返しをしなければならない。必死にやった、警備隊長になった、だが足りない、何も出来ない、恩人が、恩人の子が、危機にあるかもしれないというのに、もっと早く上まで……」「そうですか、では、僕たちに協力しませんか?」「っ⁉ な、何をっ、ーーあなた方には恩がありますが、国を売るなど、そんなことは出来ない!」「えっと、勘違いしないで下さい。以前も伝えましたが、僕たちは、フフスルラニード国に必要以上に深く係わるつもりはありません。逆に言うと、フフスルラニード国に肩入れする理由がないのです」「は? え……」「とはいえ、現況、フフスルラニード国を見捨てるつもりもありません。然し、積極的に僕たちが動くのを、たとえ利益になるとわかっていても、掻き回されるのを、フフスルラニード国の人々は好まないでしょう」「…………」「結論を言いましょう。ベレンさんは、僕たちが恩人だからとかそんなことを言っていないで、もっと利用しなくてはいけません。僕たちを利用して、この国の為に、動かなくてはなりません」「……侍従長、殿?」「もう一度言いましょう。僕たちは基本、この国に対して何の責任も負っていません。責任を負っているのは、ベレンさん、あなたたちです。命令はない。座して、行方を見守るだけなら、何もない。ですが、それはあなたの誇りが許さない」「っ」「利用される側が、もっと頼れ、と言ってるんです。何を遠慮する必要はありません。手遅れになる前に、後悔のないようにーー」

 優しい微笑みを浮かべると、硬直した彼の顔に一筋の涙が。然し、遣るべきことを、成すべきことを見定めた男に、もはや躊躇いの言葉は似合わない。決然と騎士の礼をとる。

「恩に、着ます」「じゃあ、エク、お願いね」「ひゃひゃっ、任せろ。ほれ、ベルンの旦那、さっさく作戦会議と洒落込もうかぁ~っ!」「は? いきなっ、ちょ、待っ⁉」

 エクに懐かれたベルンさんが玩具にならないことを祈るばかりである。

「そっ、そうでした、リシェ殿! 王が王宮まで来てくれとーー」「ちっ」

 あ、エクの野郎、舌打ちしやがった。ベルンさんが用件を伝える前に連れ出す算段だったらしい。皆に最終確認を取ろうと振り返ると、変魔さんがしたり顔で相槌を打つ。

「なるほど。リシェ殿の遣り口は、内側から見ると、こんな感じになるんですね」「ふむ。相手の心を揺らし、怒らせ、迷わせ、両者の関係を正しく理解させたあと、自らの有利となるよう口説く。然かし、恩着せがましくするところが骨か。今度私もやってみよう」「ちょっ、アラン様! リシェ殿も、アラン様を感化するのもほどほどにして下さい!」

 ユルシャールさんが喚いているが、竜は振り返らない(しらんぷり)、と。

 まぁ、ベレンさんに対して、ここまで大仰にしたのには、別の理由もある。

「この一巡り。ベレンさん以外に接触がありませんでした。謎集団が来ていると、噂を流したのに」「ぬ。あの、街に流れてた噂って」「む。自分で流したのか、何て破廉恥な。とギッタが言ってます」「は? 破廉恥って、竜の国の侍従長が問題を解決する為に遣って来た、としか流してないんだけど」「竜の国の侍従長が~」「エタルキアに竜を漁りに遣って来た~。とギッタが言ってます」「手込めだ手込めだ~、わんさか~わんさか~」

 あ~、まったく、女の子がそんな言葉を使ってはいけません。然あれど、僕が注意しても反発されるだけだし、カレンの名前を出して(たしな)めるのは、もっと重要な場面が来るかもしれないので、最後の手段はおいそれと使えない。

 アランと外に出ていたユルシャールさんを見ると、口に手を遣って、目を逸らされた。

「他に三つほど、噂を耳にしました。ですが、大丈夫だと思います。全竜が涙するような酷いものですが、きっと、草の海を越えることはないでしょう」

 エクの野郎ぅぅうううぅぅぅ‼ って、あいつ、この展開になるのを見越して、逃げやがったな⁉ いやいやいやいや、落ち着け、僕。エクへの制裁はあとで考えるとして、重要なのは僕の評判(そこ)ではない。いや、ごめんなさい、そこもそこはかとなく大切です。

「情報もなく、味方も作れなかったということです」「ふむ。この一件に係わっている者は、少ないのかもしれない」「ですね。エクでもわからないとなるとーー。スーラカイアの双子の出生に秘密があるとしたなら、事態を解決したとしてもすんなりいかないかもしれない」「力尽く、というのがリシェの好みではないのなら、面倒でも知恵を絞らなくてはならない」「ーー力尽く、ああ、好い言葉ですよね、力尽く。僕個人なら、それでもいいんですけどね」「ふむ。私もそちらのほうが好みだ。頭を使うより、剣でぶった切ったほうが早い。二巡り経って、リシェが力尽くで、どっかんするのが楽しみだ」「はは……」

 ここのところ、アランは僕たちの言葉を取り入れることを楽しんでいるようだが、重臣たちの前でやらないよう、ユルシャールさんのほうから、しっかりと釘を刺してもらわないと。って、あれ? アランの少し緩んだ表情、これは、本気で楽しみにしているようだ。ということは、王様は結構我慢している? ぼっかん、はしないよね?

 ああ、何だろう、全部アランに任せたい衝動が湧いてくる。きっと彼が、どったんばったんぎったん、とやったら、あらゆる問題が解決してしまうのだろう。あー、いやいや、本当にそうなりそうな気が、じゃなくて、埒もない妄想はこれくらいにして。

「さて、では王宮に出向きましょうか」

 こうして、やっと、事態が動き始める。となればいいのだけど。一筋縄ではいかないようだし、アランの予想、もとい予言が本当にならないことを祈るばかりである。




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