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竜の国の侍従長  作者: 風結
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二章 王様と侍従長 後半

 明るい。顔を向けて、窓から陽気に誘ってくる光竜を袖にする。部屋に入ってくる息吹の角度が問題だ。次は、もう少し早く遊びに来て下さいね、と光に溶けていく竜に手を振る。うん、これは、やばやばー(みーもおおあわて)、って、だから、現実から目を逸らしている場合ではない。

 すかっ。

 ……すかっ。いやさ、間違いかもしれないので、もう一度。

 ーーすかっ。三度もやれば十分だろう。好い加減、惚けた頭に鞭を入れろ。

 さわさわ、としてみても、甘さも冷たさもなく、空しい心地にさせられる。

 夜なべ、ですわ。と紙に書かれていた。夜の鍛錬を中断して(隊長副隊長も同意)帰ってきた僕を迎えてくれたのは、スナの書き置き。氷が溶ければ水茎(みずくき)の跡も甘やかな能筆(のうひつ)

 名残を振り切って、王様と魔法使いを案内する為の下準備。深つ音までに終わらなかったことは覚えているが、あれ? おかしいな、寝床に入った記憶がない。若しやスナが寝床に運んでくれたーーなんてことはないだろう。夢遊病の気はないはずだが。

 里では一日二度の運動が推奨されていた。特に朝が重要で、朝日を浴びることで体内環境が整えられるとか。仕事で忙殺されていたときも、なるべく実践していたが、はてさて。

「二つ音を過ぎたくらいかな」

 慌てなくてもいいが、それほど余裕はない。寝間着ではなく、昨日の服のまま。一瞬で諦めて、こちらのほうが重要、記憶を探る。ふぅ、大丈夫、案内人として今日回る予定の経路(ルート)はしっかりと頭の中にある。偉いぞ、僕。怒濤のような一日だったが、やりきった。と言えればいいのだが、この経路で本当にいいのか、検証している時間はない。

「まさか寝坊するとは、いつ以来だろうな。と、これで問題ないか、な?」

 鏡の前で確認、いつもの冴えない少年が立っている、部屋を見回す、持ち帰った書類はない、失敗した、お腹の虫は静かだが、朝御飯を食べていないことに気付いてしまった。

 さて、同時進行で色々やってから、ぱたり。花瓶の水を取り替えようとしているのだろうか、台を探しているらしいミニレムが居たので、持ち上げてあげる。花瓶を持ったミニレムを床に下ろすと、お礼なのだろう、くるくる回っている。心配さんが両手をわっしゃわっしゃしているような状況だが、ミニレムを信じて一階に下りると、陰からしゅたっと現れたミニレムが二つ折りの紙を差し出してくる。左手で受け取って、右手で撫で撫で。

 執務室の前にストーフグレフ王がお見えになっているようです。とスナと異なる、綺麗で几帳面な筆跡。すぐに教えてくれたのだろう、カレンには感謝だが、読んで顔を上げたら二人が居たので、ポケットという名の暗竜のお口に、ぽいっ(しょうこいんめつ)。

 竜でも潜んでいるのではないかと実感する静謐(せいひつ)さに、佇んでいる王様と視線が絡まった刹那に、ぴりっと背中に警戒の刺激が走る。と、そこで思い出す。寝る前までおかしかった背中に違和感はない。フィヨルさんの予期した通りに、一晩で治ったようだ。(こころ)みに背中の筋肉に力を込めてみると、思ったよりも簡単に動いた。ただ、教えてくれたフィヨルさんには申し訳ないが、僕は魔力を扱えないので役立つような気がしない。

「おはようございます。こちらからお迎えに上がろうかと思っていたのですが。丁度良いので執務室をご覧になっていって下さい」

 一呼吸で頭を切り替えて、王様の是非を問わずに済むよう予定を変更して決行。然し、ストーフグレフ王の反応は薄く、背後の魔法使いはーー傍観者を決め込んでいるようだ。

 遣って来た僕をじっと見て、いや、これはそんなものではなく、んじ~、だろうか、若しくは、じじじぃ……って、今はそんな些細なことに拘っている場合ではなく、くぅっ、シーソの無表情攻撃に慣れている僕をここまで追い込むとは、王様恐るべし。

 そんなとっても怖い感じの王様が淡々と要求、というか、所感を述べる、というか。

「ふむ。友人同士は名前で呼び合うと聞いた」

 ……はぃ? ……ほへん⁈ ……何で御座いますや⁇

 ごめんなさい。よく聞き取れなかったのでもう一度お願いします。と喉元まで出掛かった言葉を遙かな奥底まで、それこそ僕の中のどこに居るともしれない「千竜王」のところまで、混乱やら焦燥やらその他一切合切纏めて、ごくりんこ……げふんっげふんっ。まだ正常ではないということか。然し、だが然し、平静を装いつつ監察、のような、観察だ(しんじつはひとつ?)!

「っ」「ーーーー」「ーーっ」「ーーーー」「……っ」「ーーーー」「……っ、ーーっ」

 これは不味い。竜でも動かない、といった体だ。これはまた、無理ではないだろうが、難題を。って、うぐっ、やっぱり動揺しているのか、二度も同じ言葉を使ってしまった。

「えっと、それでは……、アラン様」「リシェ」「…………」「リシェ」「ーーーー」「リシェ」「ーー、……」「リシェ」「……、ーーアラン」「ふむ。もう一度」「アラン」「ふむ。悪くない、もういーー」「はいはい、アラン様。執拗(しつこ)いと嫌われますから、それくらいで」

 やっとこ魔法使いが仲裁に入ってくれる。いやいや、別に争っているわけではないのだから仲裁、ではなく、間を取り持ってくれる、或いは竜の尻尾を出してくれる、とかが適当か。ーーふぅ、ここは一旦立て直さなくてはならないようだ。然あらば助けてもらっておいて何だが、魔法使いを利用させてもらうとしよう。

「昨日、改めてストーフグレフ国について調べた資料に目を通しました。伯爵ーーグリネット家のユルシャール・ファーブニル殿、で間違いないでしょうか?」「ええ、正解です。四国併合で魔法団団長として功績を立てた父は伯爵位を与えられました。それまでは私も父も魔法一辺倒(いっぺんとう)で、そちらの方面には疎く、グリネット伯爵とやらの名称も変えられるものだと思っていました」「はは、大乱以後、細かい変更もありましたしね。グリネット伯爵が功績を立てても、グリネット侯爵になるわけではない。侯爵を名乗るには、別の侯爵領を得る必要がある」「はい。そのような理由から、グリネット卿と呼ばれることになってしまいましたが、どうしても響きが好きになれないのです。お忍びで参っているので、ユルシャール、と呼び捨てで結構ーーと言いたいところですが、それではアラン様と被ってしまうので、よしなに」「了解しました。では、ユルシャールさん、とお呼びします。ーーところで、父君はすでに引退なされたのですか」「……ええ、アラン様の補佐、団長職、すべてを私に押し付け、伯爵領に引き籠もり、魔法三昧(ざんまい)です。翠緑王を始めとした魔法使いたちと接している、リシェ殿であれば共感していただけると思いますが、父もまた、その類いの人種であるのです」「あはは、なぜでしょうね、考える必要すらなく理解できてしまいます。ーー資料によると、ユルシャールさんは、かなり評判がいいようですね。スト……ではなく、アランに直言できる数少ない人物。アランと諸貴族との橋渡しの役を担っていると、信頼も厚くーー他にも、希に見る好青年、慈悲深き賢者などなど」「……いえ、断言できます。それらの殆どは誤解から生じているものだと。アラン様の補佐をしているだけで、補佐ができるというだけで、勝手に評価が高まってゆくのです、はぁ……」

 何だか誰かさんを彷彿とさせる話である。方向(ベクトル)は違うけど。さて、立ち話が過ぎたので、あと、王様が顔色一つ変えずにこちらを見ているので、質すのはあと一つに留めておこう。

「嘘を吐きたくないので言ってしまいますが、〝目〟の友人にストーフグレフ国を調べてもらいました。そこで気になったことがあるんです。追記、なのかどうか、ユルシャールさんの欄に注意事項と強調され、そこにはこのような文言が記されていました。曰く、要注意人物、と。その友人は、もったい振るような性格ではないのですが、詳細は記されていませんでした」「私が、要注意人物、ですか……? それは、どうなのでしょう、或いは外側から見ると、私がアラン様を操っているように見えるのかもしれません。……ふっ、ふふっ、邪竜が聖竜になったとしても、そんなことが起こるはずもないというのに……」

 寂れた笑いを口から零すユルシャールさん。如何な邪竜とて、これ以上は触れないでおこう。って、邪竜邪竜言われてきた所為か、お友達どころか同化してしまってどうする。ああ、いや、もうっ、今日も朝から、こうなったら四大竜の妄想で、ーーがちゃ。

「そろそろ入られては如何でしょう」

 執務室からイスさんが顔を出す。扉にくっ付いて盗み聞きをしていたらしいガルの、遠ざかっていく足音が聞こえる。カレンはーーと見てみると、然らぬ顔でお仕事中。

 然てしも有らず二人を執務室に招き入れる。最後に入った僕が、ぱたり。

「イスさん、ガル。こちらは僕の友人で、見学というか視察に来ています。気にせず仕事に取り掛かって下さい」「そうは、言われましても、これは……あ、いえ、努力します」

 アランの並々ならぬ気配を感受したのだろう、感情を表に出しそうになって、無理やり表情を消す。それでも努力しないと押し殺せないようだ。然ても、ガルには特段の変化はない。鈍いのだろうか、と考えて、いやいやそれは違うだろう、と思い直す。

「昨日、カレンから受け取った資料は、どうでしたか?」

 他人というか市井人の能力をまったく考慮に入れていなさそうな分厚い紙束と冊子を、二人はどう料理しただろうか。苦笑と憮然、くっきりと明暗を分けたようだ。

「一日、間を空けて、もう一度。それで何とか、というところです」

 読むと、記憶と印象に残る。ただ読むことと、それを理解することは異なる。続けて読むか、間を空けるのなら、どのくらい空けるのか。イスさんは、自分にとって最適な手段を心得ている。然かし、つまり明日からこき使ってもいいということである。いやはや、熱願冷諦どころか炎願氷叶、僕の部署には誰も来ない、と嘆いていたのが嘘のようである。

「…………」

 あ、答えたくないようだ。答えたくなくても答えなくてはならない、そんな状況のときどうすればいいのか。然ても、その水準から仕込んでいかなければならないようだ。

 奥が僕、カレンに因って完全に整えられた(もはや僕は口を出せない)資料や書類などが纏められた棚の前に彼女は陣取っている。机に近付くと、察した侍従次長がいみじくも要望通りの紙を一枚差し出してくれる。ただの連絡事項で、それ故に意味のあるもの。

「ガル。これを南の竜道の、受付まで届けてくれるかな」

 急遽(きゅうきょ)用意された二台の机の、末席の位置に座っている少年の前に、ぺたり、と置く。新品ではないが、机の上にはまだ何も置かれていないので、僕の机上とは雲泥の差なので、小綺麗に見えてしまう。って、うぐっ、やばい、僕の机の、仔竜たちが元気一杯駆け回ったあとのような、はっちゃけた感じの惨状を見て、アランは評価を下げたりしないだろうか。などと、後の祭り竜の祭りとばかりに脳内お花畑で四大竜と輪になって踊っていると、

「こんな、だれでもできる仕事じゃなくて、もっと重要な仕事がしたい、です」

 一読したガルが、不満の塊でできたような顔を向けてくる。話し方は改善しようとしているようだが、来客というか視察に来ている人の前で、素直に感情を表すのは頂けない。()てて加えて、これだけわかり易くやったというのに本意に気付いてもらえない。

 これは先が長そうだ。何気ない動作で紙を回収、すたすた、イスさんに渡す。

「イスさんにお任せします。序でに、説明をお願いします」「了解しました。侍従長」

 一見して、予想通りだったのだろう、向き直って僕の意図というか趣意を説明する。

「ガル。昨日渡された資料に、関わりの深い部署など、三十二か所記されていたでしょう」「ーーーー」「私たちが、重要な仕事をしようとそれらの部署に赴いたとき、果たして彼らは見ず知らずの私たちを信用してくれるでしょうか。その内容が重要であればあるほど、侍従長乃至侍従次長に確認を取らなくてはならない、と考えることでしょう」「……?」「つまり、新人である私たちはまだ、重要な仕事ができる態勢を整えていないのです。そんな私たちが先ずやることの一つがーー顔見せや挨拶。私たちが侍従長の下で働いていることを知ってもらいます。その際、相手に良い印象を持ってもらえるよう努めます。そこは侍従長の下で働くと言えば、同情してもらえるので難しいことではありません。好印象を与えれば、名と顔を覚えてもらえますし、次回から仕事がし易くなる確率が上がります」「…………」「南の竜道に届けるだけ。でも、翠緑宮と南の竜道の間には、資料にある部署や施設が幾つもある。そうだね、行きと帰りで半分くらいは回りたいかな」「ーーっ」

 さて、この紙ーー仕事をどうしようか。という感じで、ひらひらとガルに見せ付ける。

 始めは硬い話し方で、段々と柔らかくしてゆく。ガルに理解させようと、心を砕いているのだろう。洞察力に配慮の仕方まで、……あれ? もしかしてイスさん、僕より優秀、というか、使えたりするのだろうか。然あらばカレンとイスさん、自分より優秀な部下が三人の内二人って、益々肩身が狭くなってしまう。うっかり天井の向こうにあるはずの大空に向かって、上司の苦労とかいう炎竜も焼かずに放置するような代物を、ぽいっとしようとして。ゆくりなく歩き出したのは、未だ難物というか竜物であるアランではなく、良識的と思われたユルシャールさんだった。注目を集める為だろうか、或いはそこまで気が回っていないのか、彼は王様の横を通って、僕とイスさんの前を通り過ぎてーー。

「初めまして、カレン・ファスファールさん。私は、ユルシャール・ファーブニルと申します」「ーーご丁寧にありがとうございます。ですが私に心当たりはございません」

 実は直裁的(ちょくさいてき)な面も持ち合わせていて、カレンの美貌に絆されて、でななく、魅了されて、求婚者がまた一人現れたのかと思ったが。ユルシャールさんは笑顔を薄めた紳士的な態度。何故か僕を一瞥したカレンは、思い当たる節はなかったのだろう、丁重に対応する。

「試すようなことをして、申し訳ございません。実は、ファスファールとファーブニルは遠戚(えんせき)でして、関係としましては、ファスファールが本家、ファーブニルが分家、ということになります」「お爺様でしたら、ご存知かもしれませんが、私は伺ったことがありません」「そうですか。それでは、態々伝えてきた祖先に敬意を表して語らせていただきます」

 祖先に敬意、の部分で茶化すように破顔すると、僕らに向き直って。然ても、秘話なのか逸話なのか、炎竜の間でもそうだったが、過剰気味の演技で引き込まれてしまう。

「私たちの家系を遡ってゆくと、『ファルワール』に行き着くそうです。魔獣種の竜が御座す大陸から幻想種の竜が御座す大陸へと。渡ってきたのは聖語時代の初期だそうです。

 リシェ殿も仰いましたが、聖語は、魔獣種の大陸で開花しました。そして幻想種の大陸に伝え、広めたのが、ファルワールであるらしいのですが。彼は、子供たちにファルワールを名乗ることを許さなかったようです。ファルワールの系譜は、優秀な者を多く輩出し、就中稀代の天才とも呼べるべき者を幾人か世に送り出してきました。

 現在の〝サイカ〟の里長ーー貴女(あなた)の祖父が、その一人です。『〝サイカ〟の改革』に名を連ねた私の祖父は、眩いばかりの天恵(てんけい)と言うべきその才能に劣等感を溜め込んでしまったようで、(つい)ぞ父や私を認めてくれることはありませんでした。ーーととっ、最後は愚痴になってしまいましたね」

 興味深い話なのだが、話なんだけど、何故だろうか、何故なんでしょうか、王様がこっちを見ているのだが、見ていら……って、いや、内心の動揺はそこまでに、

「リシェは、何か知っているようだ」

 出来たら良かったんだけど、アランの一言で僕の覚悟ごと脆くも崩れ去る。

「あれ、おかしいですね。兆してはいなかったはずだけど」

 両手で頬をぐりぐり、表情を解す仕草をして、竜にも角にも誤魔化してみる。嘘を吐き慣れている所為か、内心が如何に吹き荒れようと外観を保てていると、それなりの自信があったのだが、カレンと同水準で僕を見透かしてくるのだろうか。

「また、ですか。ランル・リシェ」

 また、の部分を強調して、白い目を向けてくるカレン。黒いのに白い目とは是如何に。……いやいや、追い詰められているようでそうではないのかもしれないんだから、とち狂っている場合ではない。昨夜は一緒に寝ていないのでスナ成分が足りていないのだろう、僕の心の中でみーが跳ね回って遊んでいたので、百、は可哀想なので十竜に分裂したスナを贈り物。みーと組んず解れつ、冷や汗掻き捲りで濡れ濡れな仔竜が幼気……げふんっげふんっ。いや、何でもありません。世界の果てまで一等賞(じんせいだれでもいちどはあること)な感じで気にしないで下さい。

「ふむ。リシェの表情からは何も読み取れなかった。通常であれば、何もないと判ずるところだが、リシェであればそうではないと思ったが、正しかったようだ」

 えー、そんな勘みたいな理由なんですか。このちょっと誇らしげな王様は措くとして、特別視されているというか期待値が高過ぎるというか、早晩ぼろが出そうだが、アランを失望させないことを目的としてしまった以上、情報の出し渋りはしていられない。

「ファルワール、とありましたが、恐らくこの方は、ファルワール・ランティノールーー聖語時代の一人目の天才の、兄弟か息子なのだと思います。名であるファルワールを姓とし、自分の子らには継がせなかったことは、先程のユルシャールさんの祖父の話と符合するところがあると拝察いたします。弟子にさせられたので、老師と色々と話す機会を得ました。その中で、里長に関して、彼は斯かる物言いをしました。『あいつにとっての不幸は、竜と出逢えたなかったことだ』と」

 そこで終わらないのが老師の老師(ひょうえんのししょう)たる所以で。世の中、本当に不公平だな。と僕を見ながら、老師はしみじみと述懐しましたとさ。言い返したかったが、里長のことを憂えてのことだろう、老師の気持ちもわからないではないので風竜に頼んで言葉を(さら)ってもらった。

 ザーツネルさんが言っていた、詰まらない、という言葉。並び立つ者がない程に駆け上がってしまった者に、世界は如何様に映じているのか。

 大乱ですら、あいつの遊び場としては物足りなかっただろう。そう言って、過去へと向けられた老師の眼差しは、未来への僕の眼差しと重なる。ニーウ・アルン。僕の兄。里長の眼差しを、共有できるかもしれない人物。僕は兄さんと同じ場所に居ることは出来ても、同じものを見ることは出来ない。では、どうすればいいのか。天を望む、見定める人の隣で、地を這いずって踏み固めることに、意味を見出せるだろうか。未来の、交わるかもしれない道に、行く先に。竜の恵みは齎されるだろうか。……今の僕には答えがない。里長にスースィア様が寄り添ったように、兄さんにもーーと惟てもこの程度しか浮かばない。

「彼らの責任ではまったくないのでしょうが、輝ける才能が近くにあると、周囲の人々は様々に、自身を納得させる為の理由を探してしまうものなのかもしれません。

 聖語時代の話を続けると。二人目の天才の名は、ラン・ティノ、だそうです。ファルワール・ランティノールに肖って付けたのでしょうか。興味深いのは、二人とも、早々に表舞台から消えてしまったことです。時代の趨勢(すうせい)、道筋を示しながらーーそうであるが故に軋轢等、言葉にしたくないような行いが多々あったのかもしれません。聖語とは、詳しくはわかりませんが、後戻りの出来ない言語だったようです。最後まで残った、というか、最後まで聖語を使い続けることが出来た八人の聖語使いを、『八聖』と呼称していたようですが、八人の、ただの天才では、三人目の天才たり得ず、聖語時代は終幕となりました」

 目新しい話に、皆が沈黙する。維摩一黙(ゆいまいちもく)ということで僕を苛むような視線を向けてくる人が若干名。雰囲気を厭うたのか、ありがたいことに、ユルシャールさんが応じてくれる。

「はは、代々引き継いできたのに、他人のほうが詳しいとは、ご先祖様も吃驚です。然し、リシェ殿は、竜の宝箱のような方ですね。空けてみれば、お(ちしき)がたんまり。というわけで、アラン様。こちらにご厄介になっている間に、宝物をたくさん盗んでいきましょう」

 あ、ユルシャールさんがアランの名を口に、いや、彼のことだから意図して振ったのかもしれない。果たせるかな、イスさんが気付いて、というか、確信ーーん? 癖なのだろうか、肘に手をやって一度目を閉じる。理知を散らした瞳に揺らぎはない。開かれた目がアランに向けられていた。気付いて、相対するアランに、彼は確認と、ーー紹介を行う。

「私は、侍従のシス・イスと申します。僭越(せんえつ)ながら、お尋ねいたします。ストーフグレフ王ーーで間違いないでしょうか?」「ふむ。間違いない。私は、アラン・クール・ストーフグレフ。魔法使いは、腹心の部下だ」「それとーー彼は侍従の、ガル、と申します」

 イスさんは、置物と化していた少年を手で指し示す。

 ようやっと現況を理解したらしく、ぎょっとした表情のガル。彼からすれば、まさに竜との対面(だいじなばめん)、いや、竜との遭遇(いちだいじ)に等しい事態。演出したイスさんの真意は那辺にあるのか。

 思惟の湖に足を付けようとした寸前に、そういうことか、と納得する。恐らく、どこかで耳朶に触れたのだろう。炎竜の間でのシアの、王弟に好適(こうてき)なる振る舞いを。

 ギザマルに負けたくない。そう言い放った少年の気概を酌んで、失敗したとしてもそれはそれで経験になるだろうと、場を設けたのだろう。

「王様っ!」「ふむ。何か」「俺はここで、これからちからをつける! だからっ、侍従長にみとめられたら、俺をストーフグレフ国ではたらかせて、雇ってくれ! 俺には、まけたくないやつがいる。おなじことをしてても駄目なんだ! ここじゃおなじ場所にたてないっ、べつのところで上にいかなきゃ駄目なんだ!」「ふむ。了解した。リシェに認められる男なら、こちらからお願いしたいくらいだ」「ーーっ!」

 王様が顔を向けてきたので、畢竟(ひっきょう)こう答えるしかない。

「ええ、問題ありません。やっと使えるようになった、そうなるまで育てたら、出ていく宣言をされてしまいましたが、僕はアランとの関係を、ストーフグレフ国との関係を大切にしたいと思っているので、彼が二国の橋渡しになると、期待しておきましょう」

 僕の言葉(なげきなのかひにく)を聞いて、遅まきながら恩知らずな発言だったと気付くガル。

 然ても、予想を上回ったのだろう、ガルの言行に唖然とした表情を見せていたイスさんだが、咄嗟(とっさ)に笑みを形作る。見様によっては人材が流出する切っ掛けを作ってしまったのだから、笑って誤魔化そうとしているのかも、いや、僕じゃあるまいし、彼はそんなことをする人ではないだろう。……うわ、自分で言っといて何だが、気分が落ち込んできた。

「カレン。遣り過ぎないないようにね」「問題ありません」

 答えになっていないような気がするが、まぁ、僕が言っても無駄だろう。彼女の指導と薫陶を受ける二人の健闘を、エルシュテルとサクラニルに祈っておこう。

 扉を開けようとして、すぅっと、体を通り抜けた。体、なのだろうか、僕の何かを連れ去るような感覚(ここち)。焦がれた氷雪の、甘く懐かしい匂い。

 竜の魔力なのだろうか、情景(おと)に塗れた先に、扉の向こうに、氷竜が在る。

 氷眼を見開いて、注いでいる。知らず、無防備な笑顔を浮かべていた僕に。

 触れる前に触れていた。心が、などと嘯く必要はない。それは確かに在るのだから。気付かずにいられる、思い出さずにいられる、その隙間に。真実の寝惚け眼はあるのだから。

「ーーーー」

 どうして抱き締められずにいられるだろうか。すとんっ、と落ちそうになって、ーー踏み躙る。……本当に、「千竜王(こいつ)」は余計なことを! 透明な、純粋な怒りで、頭の奥が、ちりちりと焼け焦げるような、不快で不愉快で不可解な引き攣れが生じる。愚劣極まる。 僕とスナの間に入り込もうとするなど度し難いにも程があるっ‼

「えいやっ、ですわ」

 ぽこんっ、とスナが投げた氷の球が僕の頭に当たる。愛娘を見ると、紛う方なき馬鹿を見る目である。いや、ここは馬鹿な父親、親馬鹿を見る目で、って、同じ? じゃないっ、いやいや、だからそうじゃなくてっ、床に落ちてころころな、僕にぶつかった氷球が消えなかったということは、魔法に依るものではなくて、普通に水を冷気で、いやさ、凍気(ホーロドニースメルチ)で凍らせたのだろうか。……ふぅ、竜にも角にも、二人が僕を見ていないので、(スナ)は冷えた(でいっぱい)。

先達(せんだっ)ての気配は氷竜様であられたか。無礼をお許し頂きたい」「…………」「ーー?」

 二人の視線は、正しくスナに向けられている。となると、レイーー「幻覚」を用いてはいないようだ。居回りを確認。「結界」か「隠蔽」か、人の姿はない。見ると、アランの表情は変わらないが、ユルシャールさんは陶然たる面持ちで。本当に酔っているかのように、ふらふらと前後に揺れている。これは……、名前に「ユル」があるのに、土の神ノースルトフルではなく、遊牧民(あのひとたち)と同じく竜を信仰していたりするのだろうか。

「気にしなくて良いですわ。ちょろ火と違い、初めて、間近で本来の竜の気配を感受したでしょうに、魔力を隠さなかったのは良い判断ですわ」

 「隠蔽」を行使したスナに気付いた、二人の若い男とは、やはりアランとユルシャールさんだったようだ。スナの言い様からすると、アランの感知が優れていて、竜の本質を見抜いたーーというところだろうか。魔力を隠さなかった、というのは、そんなことをしても無駄、或いは、それなりに大きな魔力を乱して、というか、魔力の乱れで竜を不快にさせるようなことをしなかった。などが考えられるが、いずれにせよ、不測どころか不竜の事態に(しか)()く対処するとは、大陸の覇王の、今代の英雄王の然らしめるところか。

 然しも無し、と言えるのかどうか、スナの後ろに回って、「浮遊」を使ってくれた愛娘の脇に手を入れて、持ち上げて隙間を失わせる。ふわっと、繋がった感触に、魂が凍え(ゆるみ)そうになるが、ぐっと堪えて、未だ惚けたままのユルシャールさんに問い掛ける。

「僕の愛娘であるところのスナに、氷竜ヴァレイスナに何か思うところがございますか?」

「合法……っ、いえっ、暫しお待ちをっ。只今、正気に戻ります!」

 顔に手を当て、表情を隠して、何やら大変なご様子。竜との遭遇で取り乱しているのだろうか。いや、竜ということなら昨日みーを実見しているし、彼におかしなところは見受けられなかった。ごうほう、とは、号俸? いや、給金は関係ないだろうし、豪放、他には、合図や始まりという意味で号砲を用いた、とかかな。

 一晩の空白が、スナの感触が、またぞろ僕を乱れさせようとするが、別のところに意識を向けることで回避する。然ても、夜なべ、とスナは書いていたが、昨晩は何をしていたのだろうか。みーと違って、二星巡りは問題ない、と愛娘は言っていたので、竜の残り香ではないだろう。すると、喫緊の問題であるかもしれない、迂闊な王様の(ふけんしきな)魔力炉に関してだろうか。んー、例えば、一晩で魔力炉を完成させて、朝一でコウさんに見せ付けにいったのかもしれない。魔法な王様(まえのめり)も、少しは自重……は無理そうなので、魔法の研究は老師だけでなくスナにも、逐一(ちくいち)文章で経過を報告させるようにしたほうがいいだろうか。

「スナが来てくれて良かった。回れる場所が増えるし、内緒話もできるし、あと、『隠蔽』をユルシャールさんに任せるとなると、負担になってーーと、そうだった。コウさんに魔法球を貰っておけばーー」「『隠蔽』……ですか、何故そのようなことを?」「え……?」

 自明、と思われた事柄を質問されて、うっかり戸惑いの声を漏らしてしまった。正気に戻る、と言っていたが、未だ惑乱の最中にあるのだろうか。

「……御三方、そのような目で見ないで下さい。誤解しないで頂きたいのですが、私はアラン様の補佐に、尻拭いに、少しばかり長じているだけで、政務はーー得意不得意に依らず、関わりたくないのです。私は魔法使いで、魔法団の団長だけでも手一杯なので、そういったことはパープットが……」「パープットーーさん、ですか? 資料では見掛けませんでしたが」「……あいつのことを外に、積極的に漏らそうとする人はいないでしょうからね。あいつは、パープット・ペルポプーウは、ストーフグレフ国の侍従長です」

 まったく、侍従長はどいつもこいつも(訳、ランル・リシェ)。愚痴の一つ二つどころか、百や二百は言いたげな顔である。僕を見ながらなのは勘弁して欲しいのだが。

 騒乱以降、幾人かの侍従長と会ったが、クラバリッタ国の侍従長が迂闊だっただけで、他は普通、というか、有能な方々だった。風評被害を齎さないことを祈るばかりである。

「今回は、というか、今回も、あいつは同行するはずだったのですが、運悪く、選出会議と重なってしまったので、止む無く。居たら居たで面倒ですが、何だかんだで役には立つので、居ないと私の負担が増えてーー困るのだということを、思い知りました」「選出会議、ですか?」「ちょっとした曰くがあるのですが、ストーフグレフの侍従長は、ペルポプーウの一族から選ばれるのです。奇妙だと思われるかもしれませんが、ストーフグレフの人間で、それに口出しする者は皆無です。ですので、あいつは今、選出会議の真っ只中、ということになります」「ーーということは、パープットさん以外の方が侍従長となることも?」「ええ、その可能性はあります。ですがあいつは、『至高のペルポプーウ』とか呼ばれている、数十周期に一人の天才らしいので、……また、あいつでしょう。はぁ……」

 心身に苦労と疲労が蓄積しているのだろうか、地の国まで、すってんころりんっ、と落ちていきそうな重い、沈鬱な溜め息である。これ以上、この話題に触れるのは可哀想なので、「隠蔽」の説明がてら、先に言った、内緒話という名の秘密の暴露(きょうゆう)をしていこう。

「先ず、屋上に上がりましょう。それから竜書庫に向かいます」

 先ず、最優先必須事項であるところの、スナを持ち上げて、半回転させて、ぎゅっ。

 言い訳、というわけではないが、先頭を歩くのでスナには後ろの二人を見ていて(かんしして)もらう。

「今更かもしれませんが、アランが竜の国に来ていることを秘密にします。噂の範疇で収まってくれれば御の字ということで。今の時期、二国が手を結ぶと、同盟国に余計な懸念を抱かせ兼ねません。無論、大陸中央の雄、ストーフグレフ国となれば、同盟国以外の国々も、(こころ)穏やかではいられないでしょう。表向きは、という言い方もあれですが、順序、というものがあるので、野心など持っていないグリングロウ国がこれを踏み外すわけにはいかないのです。なので、アランも、友人を訪ねてきた、という体を取ってくれています」

 正直、どうかと思わないでもないが、アランが供回(ともまわ)りを連れてきていない理由である。と言いたいところだが、自分を害せる者などいないと、絶対の自信を持っているから、などということも。若しくは、衝動的に飛び出してきたらしいので、そこまで考えていなかった、という線も、うちの王様もあれだ(ぬけてる)し、もしかしたらあるのかもしれない。

「二巡り前、スナと話しました。みー様とスナ、二竜でも問題ないのですが、あと二竜招いて、四竜となったほうが竜の国の魔力が安定すると。そこで、スナに頼んで、声を掛けてもらいました。風竜ラカールラカ様と地竜ユミファナトラ様に、ご来訪頂けることになりました。この地に留まって頂けるのなら、複数の竜が御座すことで、みー様が一竜だったときのような特別性が薄れる反面、より脅威を与えてしまうことになるでしょう。一応、その先も考えてはいますが、こればかりは僕らの一存でどうにかなるものではないので」

 後ろを見ることが出来ないので、二人がどんな顔をしているかわからないのだが。即座に反応があった。然も、こんな突拍子もない話だというのに、竜の角をがっしり(かくしんにせまりまくり)である。

「その先とは、竜の国に逗留(とうりゅう)する竜を更に増やすこと。そうして、危機を、諦めの領域まで引き上げる。あとは、竜の国以外にも竜を、差し詰めストーフグレフが都合が良い、とリシェは判じたか。であれば、我らの一存とはいかないが、機会があれば引き受けよう」

 スナが僕の背中に息吹を吹き込んできた。薄ら寒いので、実際にそうしてくれたほうがどれだけ良かったか。聡明、というか天分は、いや、ここは才覚としておこうか、ドゥールナル卿と同水準と見ていたが、兄さん、延いては里長にさえ届き得るのだろうか。

「……っ」

 うぐぁあぁぁ、竜は振り返らない、で済ませたくない後悔をしたところで現況は変わらないが、同等かそれ以上としか友人にならない、とか言っているアランと、この先も友人付き合いをしていかなきゃならないとか、竜の巣穴に潜り込むほうが簡単に思えてくるような試練難行(くぎょう)である。あー、いったいどこから間違えたのだろう。はぁ、そうなんだろうなぁ、きっと最初っからだ。そう思って、諦めるとしようーーと割り切れればいいのだが、そうもいかない。竜にも角にも、竜の国の為、アランを失望させないよう、今まで以上に自らを誇大に、嘘塗れで、演技過剰な……うん、無理。お願いです、誰か代わって下さい。

「アラン様、もう少し驚いて下さい。一人どぎまぎしている私が馬鹿みたいではないですか。ラカールラカ平原に、ユミファナトラ大河。馴染み深い、これらの名を持った竜が御座すことさえ初耳だというのに」「リシェが言ったのは、それだけではない。やはりミースガルタンシェアリは、世界に還っていたようだ」「……は?」「何故、驚くのだ」「こっ、この王様は相変わらずっ! 竜にも角にもっ、それは本当ですか、リシェ殿⁉」

 あ、そういえば、ミースガルタンシェアリを数に入れていなかった。うわぁ、完全に失念していた。試練やら何やら心構えの矢先の蹉跌(さてつ)過怠(かたい)にも程があろうが、幸い、アランは示唆と取らざればーーって、くぅ、古めかしい言葉が、いや、先走るな、慎重に見極めなくてはならない。スナの背中を一撫で、二撫で、と両手で撫で撫で。うん、落ち着いた。

 ミースガルタンシェアリーー「最古の竜」「始まりの炎竜」「要の真竜」など数々の二つ名を持つ、ああ、あと「守護竜」もあったっけ、世界を揺るがす大事件、取り乱して当然の話ではあるのだが。いや、実際、僕もその事実を聞いたときの衝撃たるや相当なものだったんだけど。その後の竜との触れ合いで、これは不味い、危機感がかなり薄れている。

「いやさ、ちょっとだけお待ちを、何か、思い出しそうです!」

 然らばユルシャールさんの、一人だけ焦燥に駆られている滑稽な、もとい可哀想な醜態を奇貨として、竜が居ることによって生じる軋轢を今一度胸に刻む……のは無理そうだ。

「……思い出しました。何周期前だったか、執務の最中、不意に窓の外を見られたアラン様が、『竜は帰ったか。終わったようだ。世界の滅びは回避された』と仰いました」「ふむ。ユルシャールは応じた。『そうですね、竜も還って、世界は救われました。次は、私の休日を確保する(まもる)為に、今日中に仕事を終わらせて(やっつけて)下さい』と言っていた」「……っっ⁈」

 そんなことわかるかぁああぁぁ‼(訳、ランル・リシェ)、と激発し掛けたユルシャールさんだが、きっとこれまで何回どころか何十回もあったのだろう、経験に裏打ちされた類い希なる自制心によって、王様に魔法攻撃を放つ寸前で堪えることに成功。

 まぁ、重大な齟齬が生じていたわけだが、これはどちらが悪いのだろう。言葉が足りなかったアランか、受け流してしまったユルシャールさんか。

「それじゃあ、スナ、お願い」「ーーーー」「僕の大好きな、スナ、頼むね」「もう一声、ですわ」「……氷に閉ざされた世界で、永遠(とわ)に魂を繋ぎ止めると、僕のすべてで誓うので、スナ、やらないと『おしおき』」「……はずかやらしい父様ですわ。冷え冷え~ですわ」

 絶対に振り返りたくない。即興とはいえ、赤裸々に、何てことを。後の祭り、竜の祭り。祭りは賑やかなほうがいいのに、竜も食べない沈黙の(サイレンス・グレイブ)が心臓に突き刺さり捲り。

「この世界の重要な場所に古竜が、その隙間を埋めるように中古竜が、残った場所と魔力の偏りを整える為に新古竜が生じたのですわ。割合は、古竜三、中古竜五、新古竜二。人間は、古竜、と一括りにしていますが、人間の尺度であれば、それで問題ないのですわ」

 まだ話は続くので、ゆっくりと階段を上ってゆく。

「竜と係わりを持ちたいと望むのであれば、覚えておいて損はないですわ。古竜は、中古、新古の竜より強い傾向にありますが、属性の相性で引っ繰り返る程度のもの。先んじたということで、古竜に敬意は払いますが、基本的には同格ですわ。父様がやらかした所為で、嘗て無いほどに人間への興味が高まってますわ」「そうでした。聞きそびれてしまいました。氷竜様の父親ということは、リシェ殿は噂通り、竜人ーーなのでしょうか?」「えっと、実は僕、今のところ自分の正体がよくわかっていない状態なんです。僕とスナが父娘なのは、ーーアラン、わかったりするかな?」「ふむ。ヴァレイスナ様とーー」「スナで良いですわ」「スナ様とリシェからは魂の契りに似た、深い繋がりが感じられる。然りとて本当の父子ではないことくらい情の鈍い私でもわかる。リシェの正体はわからないが、精神の有り様から、見た目通りの周期であることもわかる。秘鑰(ひやく)はすでに得ている。私にすら、スナ様、と呼ぶことを許して下さる。それだけ、大切な、気に入った、愛称。名付けたのはリシェ。なれば、リシェは、スナ様の名付け親、ということになる」「うーわー、本当に、アラン様、竜の国に来てからよく喋られますね。もしかして、友人ができたので、高揚してたりなんかしちゃったりするのでしょうか?」「ふむ。わからない。いつもより多弁であるという自覚はある。相手に理解されたい、という欲求があるのかもしれない」「……それだと、これまで私に理解される必要はなかった、と言っているように聞こえるのですが」「ふむ。幼馴染みというものは、話さずとも理解できる関係。そのようにパープットが言っていた」「ーーあの野郎、帰ったら口にしこたま『火球』をぶち込んでやる!」

 ああ、貴族然とした口調や振る舞いは何処へやら。ユルシャールさんがやさぐれてしまった。ちょうど見上げた先にある太陽に、目を細めながら屋上に、中央に向かって歩く。翠緑の、硝子の欄干が光に映えているというのに、眼中にないようである。然のみやは(くるり)と勢いを付けてスナを放り投げる。エンさんのように、見上げるほど高く、とはいかないが、それでも、僕の頭より上に。頂点に達したところで「人化」を解いたスナが、竜の咆哮を轟かせる。溢れんばかりの冷気を振り撒いて顕現した、世界で最も美しく麗しい冷厳で玲瓏(れいろう)な(親馬鹿の自覚あり)竜の偉容と威容に、絶句するユルシャールさんと、……普段と変わらないアラン。えー、……僕が初めて、もといスナのことを忘れてしまった僕は、巨大化した竜の姿のみーがエルネアの剣の本拠地に現れたとき、魂が焦がれるほどに魅入ったというのに、いやいや、きっとアランは呆然としているだけで、心の中は炎竜氷竜でがっちんこ。風竜雷竜もお負けでよいやよいとなよいとこさっと。

「ーー、……ぅっ」

 僕の頭の中で、四竜が入り乱れている内に、スナの頭が下がってきて、僕が映る竜眼に吸い込まれそうになるが。引き剥がして、見澄ます。ーーこれは、凄いな。今日は休日なのだろう、屋上には幾人かいるが、誰も僕たちに気付いていない。恐らく、「結界」「隠蔽」「幻覚」以外の魔法を、いや、これらの魔法の、より上位のものを行使したのかもしれない。コウさんは、一連の魔法を力尽くで行うが、スナはーーああ、実は、話しても理解できないということで、愛娘の魔法の本質というか根源を教えてもらっていないのだ。コウさんや老師でも無理だというのだから、僕など、竜に転生でもしないと不可能だろう。

「ユルシャールさん。スナの頭の上に乗りますが大丈夫ですか?」「『浮遊』が使えるので、高いところは問題ありません。と言いたいところですが、如何せん、竜に乗るのは初めてですので、醜態を晒してしまう可能性も無きにしも非ず、というところぉおおぉっ⁇」

 大丈夫そうじゃないユルシャールさんを、惰弱(だじゃく)な配下に業を煮やしたのか、右手に炎竜を、左手に氷竜を宿したアランが、信じられないくらいの、魔力で強化しているのだろうか、軽々と頭の上まで持ち上げて、たんっ、とエンさんやクーさんのように一足飛び。まったくもって羨ましい、まだまだ余裕がありそうな感じで飛び乗ってしまう。

 ぅぶげっ、と熱湯を掛けられたギザマルのような声が聞こえたが、知らぬが竜。僕はいつも通りに、えっちらおっちらと上って、というか、えっちらほっちらと登ってゆく。

「魔法か魔力で対処しない場合は、死ぬ気で踏ん張って下さい」「い、あっ、まぁあぅ‼」

 毎日太陽が東から顔を出すように、スナが遅延などするはずもなく、風がのし掛かってくる。ぐうぅ、何度体験しても、ぎりぎりである。スナのことだから、僕の限界に合わせているのかもしれない。みーは跳躍といった感じだったが、スナは「飛翔」で上昇する。地上で見ている人がいたら、羽ばたくことなく、静止した竜が一定の速度で空に運ばれていく異様な光景に、我が目を疑うことだろう。ふっと浮遊感。スナの稚気で、身長の高さくらいまで浮き上がる。僕とアランは問題なく着地というか着頭? 魔法が間に合ったようだ、危うくクーさんよろしく顔面からーーというところで、ぷかぷかと「浮遊」。

「魔法は得意でも、体を動かすのは苦手ですか?」「いえ、決してそのようなことはありません。私は人並みです。この常軌を逸した行いに対処できないのは、人として当たり前のことです。御二人は、自分が異常だということを、もっと自覚して頂きたい」

 拗ねてしまいました。う~ん、何だがコウさんたちと出逢ってからの自分(ぼく)を見ているような気分にさせられるが、アランに見透かされない内に、気の所為ということで地上に向かって、ぽいっ。落ちて誰かに当たってしまったら、無力感と倦怠感に(さいな)まれて、(さぞ)や陰鬱にもなろう。って、いやいや、皆との思い出はそこまで酷いものではなかった、はず?

「ユルシャールさんは、『飛翔』は使えないんですか?」

 疑心暗竜になる前に、魔法使いに機嫌を直してもらう為、話を振ってみる。単純な(ちょろい)コウさんなら、嫌そうな素振りを見せつつ、あっさりと乗ってくるのだが。そして魔法について語っている内に、ついさっきまでのことも忘れてしまうーーととっ、そんな王様も可愛い……ごふんっごふんっ、……もとい魔法使いの女の子の悪口はこのくらいにしておこう。

「魔法に縁の薄い方は、『浮遊』が使えるのなら『飛翔』も、と思われるようですが、実は似て非なるものなのです。最も大きな違いは、静止しているか移動しているか、という状態の差異で、『浮遊』の心象が阻害するので、『飛翔』を習得したいのなら初めから『飛翔』に取り掛かれ、などと言われているくらいです」「そういえば、みー様は、『浮遊』からではなく、いきなり『飛翔』の練習をしていましたね。何度も地面に落っこちて、それでも諦めず、短期間で習得なさいました」「そこが難しいところなのです。飛べるのが当たり前の竜ですら『人化』した状態なら幾度も失敗する、ということを今、初めて知りましたが、()して人間なら、推して知るべし。飛べない人間が、自分は必ず飛べるとーーそうした心象を持つことは難しい、というよりも、困難、と言ったほうが適当でしょうか」

 魔法使い(ちょろこい)、とか言いたくなってくるのだが、まぁ、好きなもの、のめり込めるものがあるのはいいことである。序でなので、コウさんを基準に考えがちな僕の魔法への認識を正す為に、普通の魔法使い、ではなく、優れた魔法使いの意見に耳を傾けるとしよう。

「『転移』や『転送』についてはどうですか? 翠緑王は、『転移』よりも強力な、『空移』ーーと僕は呼んでいますが、そうした魔法をぽんぽん使っているのですが」「…………」

 あれ? どうしたのだろう、楽しげに、饒舌に語っていたユルシャールさんは、見付けた竜の尻尾が、実は木の枝だったと気付いてしまったときのような顔をしているのだが。

「父様は随分と、酷な質問をしますわ。そこの哀れな魔法使いに代わって、私がそれらのことを語ってやるのですわ。人間ほど心象に囚われない竜は、魔法を感覚的に使いますわ。現在の人間が、一生を費やして使えるようになる魔法よりも、多くの魔法を竜は使えるのですわ。こればかりは種族的な違いで、仕方がないこと。ですが、あの娘を見ればわかる通り、それはときに大きな力となりますわ。それは、あとでそこの魔法使いで試すとして、今は『転送』と『転移』のこと。通常、竜は両者の魔法を使わないのですわ。その必要がないから、というのが一番の理由ですが。何より、危険だから、というのがありますわ。

 人間の中には、禁術としている者もいるのですわ。私も本来なら、『転移』どころか『転送』だって使いたくないのですわ。これは、認めたくないのですが、あの娘への対抗心から来ていますわ。この氷竜ヴァレイスナが、二巡り費やして、(ようや)く安全に『転送』を行使できるようになったのですわ。そんな私ですら、二の足を踏むのが、『転移』の魔法」

 これは、聞いておいて良かった。スナですら躊躇う魔法を、あの危険っ(まほうつかい)はぽんぽこぽんぽこ使っていたと。これは、使用を許可した老師から話を聞く必要があるようだ。

「『転移』は危ないようだけど、どんな害、それとも弊害? があるのかな?」「そうですわね。失敗の仕方によっては、液体になりますわ」「ーー、……液体?」「ひゃふふのふ、知りたいというのなら懇切丁寧に教えて差し上げるのですわ」「えっと、ごめんさい」

 思わず謝ってしまったが、直感というか本能の水準で、聞いたら絶対後悔するような気がひしひしと、雷竜よりもびりびりとするので、僕の判断は間違っていないはずである。

「ふむ。とんでもない攻撃魔法だ」「アラン様⁉ 止めましょうっ! 代わりに私が謝りますので、それ以上、余計で厄介で気不味い発言は止めましょうっ‼」「ふむ。わかった」

 魔法に造詣(ぞうけい)が深いユルシャールさんのことである、僕よりも明敏(めいびん)に気色取ったのだろう、必死の形相でアランに迫る。……思い起こしてみると、かなりやばい状況だったのかもしれない。大広場で、コウさんの「空移」で僕は、彼女とエンさんと、三人で移動した。魔法が効かない、という僕の特性は未だ解明されていないもの。例外非常識(イレギュラー)である僕が、「転移」という暗竜ですら暗闇で迷子になってしまいそうな、法外な、というか、もはや出鱈目と言っていい、そんな魔法に巻き込まれて、もとい自分から飛び込んでいってしまった。

 ひゃっこい⁇ とスナが竜になって(りゅうになってもかわいいむすめ)からずっと感じている(つめたくてあまい)魔力をより深く(すいこんで)この身で浴びよう(おいしくいただこう)としながら心身の動揺を静めようとした(おもったいじょうにふかくはいりこんでしまった)がお願い(だめ)ですもう少し時間を下さい(もうてばなしたくない)。

 いや、ちょっと、ちょっとだけ待って下さい。僕がおかしいのはいつものことだけど、いやいや、そうじゃなくて、これは不味い、スナの魔力が僕をおかしくする。突然、何かが切り替わったような、反転した、というのだろうか、これまで届かなかったところに届いたという感触。前兆くらいあってもいいだろうに、と文句を言いたいところだが、いったい誰に言えばいいのか。やっぱり「千竜王(こいつ)」だろうか。ーー竜にも角にも、今の僕ではこれは処理し切れない。このときばかりは風竜を抱き締めて、スナの魔力を吹き払う。

 僕の内の魔力の消失と同時に、心象の風竜も穏やかな風とともに去ってゆく。

「アラン、どうかした?」「リシェが高度な魔力操作をしていたので、何が起こるのかと楽しみにしていたところだ」「……僕が、魔力操作を?」「ふむ。無自覚であれだけのことを成すとは、さすがはリシェだ」「えっと、驚かせてしまったようで、ごめんなさい」

 またぞろ謝る羽目に。これ以上突っ込まれると竜の尻尾を掴まれてしまう。先の、スナの話にあった、魔法使いで試す、という一件に託けて回避させてもらおう。

「ユルシャールさんで試す、とスナは言っていたけど。スナの言い様からすると、ユルシャールさんに、通常では使えないような魔法を使わせようということかな」「あら、魔法に疎い父様が察したというのに、そこの魔法使いは、魔法使いだけに、あの娘のように鈍いのですわ?」「ーーっ」「ふむ。配下の者が空気を読めず、申し訳ない」「っ⁉」

 あんただけには言われたくないわぁああぁぁあああぁ~~‼(訳、ランル・リシェ)、初めて(まみ)えたときの印象からでは想像できないくらい、豊かな表情を見せてくれる魔法使いであった。と過去形にして、話を終えてしまいたい気分になるが、スナの角をさわさわ(おねがいします)。

「『星降』ですわ」「っ⁈」「それが、スナがさっき言った、大きな力ーーに通じる人間に有利な点ってこと?」「そうですわね。その為に、『星降』のことから説明しますわ。『星降』は、本当の星を降らす魔法ではないのですわ」「時間的に、『転移』を使っているのかと思っていたが、それは否定された。であれば、もっと低いところから落とされているはず」「あらま。ふふりふふり、そっちの魔法使いではなく、こっちの王様にしますわ?」

 どうやらアランが正解らしい。ここでユルシャールさんと同様に、醜態を晒すわけにはいかない。そんなこともわからないんですね、って感じの朗らか笑顔で、にこりんちょ。

「これは、あの娘も知らないこと。高度が上がれば上がるほど、魔力濃度は下がってゆきますわ。そして、遙かな空の高みで、終には魔力が失われますわ。『星降』は、魔力が失われる間際の、その最上部にて形成した核を地上に落とす、そういう魔法ですわ。そこで成った核は、周囲から魔力を吸収する性質を具えていますわ。そのままの状態では、周囲から魔力を吸収し、核は崩壊しますわ。ですが、核を高速で移動させると、魔力を吸収ではなく、吸着するのですわ。そうして固まったものが、疑似星ーー魔力結晶の塊ですわ」

 岩のように見えたあれは、魔力の塊だったのか。竜の国を造っている最中、コウさんと背中合わせで夜空を見上げていたとき、「浸透」で「星降」を知覚したが、感覚が追い付かず理解は覚束なかったものの、星を降らすだけの単純な魔法ではないことは薄々感付いていたが。なるほど、こんな複雑な工程と仕組み、理解できなくて当然である。

「コウさんは、そこまでわかった上で使っているのかな?」「それはないですわ。あの娘の師匠が誘導しているのでしょうが、そちらもどこまでわかっているのやらーーですわ」

 スナが居てくれて、本当に助かる。コウさんが研究する分野は、すでに禁術の領域にあって、老師は頭を悩ませていたらしい。自身の価値観を基準に許可を出しているものの、明らかに何かを間違えていると自覚しながらも、コウさんの魔法に対する熱意を抑え切る自信がない彼は、神に背くような背徳心に身を苛まれながら思案に暮れることになった。

 スナの話にあった「転移」や「星降」、ああ、それに魔力炉なる、愛娘がぷっつんしてぺしぺしぺしんぺしんっしてしまった事例など、枚挙(まいきょ)に暇がない。あの災厄っ(まほうつかい)の管理と監視を誰がするのか。それも竜の国での、悩みの種の一つなのである。

「高高度で核を生成するには、果てに魔力を届かせるには、本来五ガラン・クン程度の魔力量が必要なのですわ」「ガラン・クンーーですか? 大陸最強の魔法使いと言われている?」「あはは、スナもその単位を知っていたんだね」「ふふっ、竜耳から逃れようなんて、あの娘は考えが浅はかなのですわ」「ふむ。一ガラン・クンは、通常の人間の、最大魔力量ということか」「そこの魔法使いは、ちょろ火を操った呪術師と同じくらいですわね。通常なら不可能、ということで話は終わりますが、魔力量が多いこの世界では、人間の心象が、これらの壁を打ち破ることがあるのですわ」「となると、ーースナがユルシャールさんを補助して、『星降』を使わせる。心象を掴んだユルシャールさんは、次からスナの助けがなくても『星降』が使えるようになる」「ふふんっ、父様、正解ですわ。そこの駄目(あっちっちーな)魔法使い。あの娘と同じで、ひゃっこいな(かしこい)魔法使いでないなら、『星降』はそっちの王様に使わせるですわ?」「ちょっ、お待ちを、スナ様っ!」「ぴゃっごい⁈ そこっ、そこの()、角に掴まるなですわっ、ひゃぐっ、気色悪っ‼ 体を擦り付けっですわ⁉」

 僕とアランの共同作業、もとい初めて同調したっぽい友人同士が、精神の均衡を崩した魔法使いを、氷竜の艶めかしい青白磁の角から引っ剥がす。それからアランがユルシャールさんを、魔力を用いたようだ、強制的に正気に戻して、僕がスナの(かんぶ)を撫で撫で、治療しつつ宥める。事前の予想とは違って、何だかおかしな状況になってるなぁ。

「核は私が生成し、核と、変態魔法使い、略して変魔、の間を魔力で繋いでやるですわ。変魔は、さっさとするですわ、とっととやるですわ、炎竜を食い殺す勢いでやれですわ」

 現況を悟ったらしい。これ以上スナを怒らせない為に、苛立たせない為に、命懸けで取り組む魔法使い、もとい変魔さん。利き腕だろうか、右手を空に、掌で何かを掴むような仕草。空の彼方の、儚い魔力の心象を、絶対のものまで深め、いざや高らかに(うた)い上げる。

「空の彼方より来たりて、魔力の灰となれっ! ーー『星降』‼」

 空の雲を、遙かな魔力を地上に叩き付けるかのように、右腕が振り下ろされる。と、そこで思ったのだが、こんな場所で、竜の都の上空で「星降」なんて魔法を使っちゃって大丈夫なんだろうか。まぁ、そこはさすがにスナが対策をしているだろう。

「…………」「「「…………」」」

 暗竜光竜が変魔さんの背後を、仲睦(なかむつ)まじげに通り過ぎていった。暗竜も光竜も、ユルシャールさんなど眼中にないようだ。彼らはそれで良いが、僕たちはそうはいかない。

「アラン。魔力の灰、が敗因かな?」「スナ様の話を拝聴、心象を固めた結果故、口出しすべきではないかもしれないが。魔力結晶の塊を灰と表現するは、魔力の燃え(かす)と認識するは、果たして心象を乱すことにならんや」「…………」

 配下の魔法使いを慮ったのだろう、途中からの、古めかしい語り口で、アランが(けむ)に巻こうとする。いや、違うか。失点を指摘して、次回からの糧とさせようとしているのか。

「お願いです、皆さん。そんな目で私を見ないで下さい」

 ぶふーん、とスナの鼻息。期待に応えられなかった変魔さんの肩と頭が、ぐぐぐっと下がってゆく。そして、何かに気付いたようで、アランの肩に右手で掴まって、スナの頭の端から地上を眼下に見る。ああ、気付いてしまったようだ。まぁ、だからどうということもないが。あまり見せたくない光景であるのも確かだった。

「小さいですね」「はい。小さいです」

 案内の役に立つかと思って持ってきた、「探訪」の冊子を差し出す。これは南の竜道の入り口で配布しているもので、表紙には竜の狩場と、右手を振り上げて跳躍している元気っ子のみーが描かれている。ユルシャールさんは、スナの頭の真ん中まで戻ってくると、ぱらぱら~と目を通して、感心したように案内図のページを開く。

「グリングロウ国に来たときにも見ましたが、よく出来ていますよね」「情報収集の能力に目を付けて雇ったんですが、相手に情報を上手く伝えるのも得意だったようで。絵心まであるとは思いませんでした。子供が見て楽しめ、大人も興味が湧く。情報を詰め込むのではなく、適度な配分。持ち運びに困らない大きさに、薄さ。そういう人材が重要だと教えられていましたが、情報が正しく伝わるっていうのは、本当にいいことですよね」

 僕に関する噂については諦めていますが。という愚痴は、僕の評価を下げそうなので、割愛する。ラタトスクさんに功名心はないらしく、冊子に著者の名はない。発行、グリングロウ国、とだけ記されている。さて、アランも本を覗き込んだので、説明を始める。

「騒乱後も、千人を超える移住者が幾つか来たりと、想定以上の六万六千人ほどとなりました。竜の都には、五万人ですね。中規模程度の国の王都と同じくらいですが、竜の国には王都が一つと、大きめの村くらいの竜地が八つあるだけです。国土は、平均的な国の一つと半分くらい。というわけで、竜の都は、案内にあるような大きな都ではなく、南の竜道にくっ付けて、また、竜の都から外に出るには申請、許可が必要ということで、錯覚、というか誤魔化しています。はは、竜地など、ここからでは小さくて見えないくらいです」

 人口は小国より少ないので、竜の国は自然が豊かで、というか大部分が手付かずで。予想通り、東方と西方からの、集団の移住者はなかった。個人なら居るのかもしれないが。

「南の竜道一つでは、これ以上規模を拡大したくないですね。東と西に、南と同じくらいの竜道を造ることも可能ですが、それですと、攻められたときに兵が足りません。今はいいですが、未来を見据えると、竜の国は、強国を目指すのではなく、特色ある国になるべきだと思議(しぎ)しています。竜の国は、魔法の国となり、いずれ国々が魔法を取り入れた際には、優秀な魔法使いは竜の国を目指す、とそのようにしたいと色々と練っているところです」「グリングロウ国を目指す? あの、ですから、皆さん、その目は止めて下さい。その、何となくはわかりますから、ただ、完全にはわからないというだけで……」

 竜書庫の上空まで来たが、序でに話しておいたほうがいいか、と判断してスナにお願いする。分割するより、一度に話してしまったほうが、アランの僕に対する誤解やら勘違いを助長することは、……いや、本当にそうなのか自信はないのだが。

「スナ。竜地の、雷竜に向かって飛んでもらえるかな」「了解ですわ、父様」

 スナの、「人化」しているときよりも深みのある声が届く。普段のスナの響きと、甲乙付けがたい、古びた匂いを連想させる氷の音色。それを邪魔、もとい羨む青年が一人。

「御二人は、本当に仲が良いようで、羨ましい限りです。何か秘訣(ひけつ)があるのであれば教示して頂きたいのですが」「ふふっ、不相応な願いは、抱くものではないのですわ。竜が人間に寛容(かんよう)などと、心得違いをするなですわ。私は、父様と、父様に関係のあるものーーそれらに配慮しているだけですわ。その外にあるものなど、どうなろうと、私の氷に罅一つ入らないのですわ」「…………」「そうだね。竜は、そういう生き物だから。そうでなくてはならない。人間に、人類に、迎合しなくてはならない理由なんて、一つもない」

 僕はどんな顔をしているのだろう。彼は、僕を恐れる竜の民と同じ顔をしている。

「ーー失礼いたしました。リシェ殿は、以前に言いましたが、本当に、宝箱のような方です。氷竜様に言われて、私は、完全に人類の側に立っていました。人間を特別視し、反感さえ抱いてしまいました」「いえ、そのように畏まらないで下さい。ユルシャールさんのように受け取るのは当然で、それは悪いことではありません」

 スナの角に手を当てる。もはや、揺るぎないもの。天秤に二つ載せれば、竜に傾く。

「ーーただ、僕は」

 竜の景色を眺めながら、すとんっ、と見えない場所まで落ちてくる。

「ーーそう、竜が好きなんです」

 心でも魂でもない、不思議なところまで一直線に。打ち鳴らして、空と風の狭間で見詰めているような。ーー浸っていたいところだが、一度目を閉じて、竜の心地を手放す。

「御二人は、魔方陣、を知っていますか」「…………」「ふむ。初耳だ」「エンさんとクーさん。竜騎士団団長と宰相をーーどう見ましたか?」「ーーーー」「竜騎士の中で、頭一つ抜けていた。それと、随分と特徴のある魔力だった」「はい。エンさんは優位属性が火に偏っていて、逆にクーさんは氷に偏っています。それは、翠緑王と関わってきたから、なのですが、今は関係ないので省きます。火の魔法を使えないはずのクーさんは、指で魔方陣を描き、そこに魔力を込めることで、火の魔法を使いました。相性の問題があるのか、威力は通常より弱いようでしたが」「……、ーー」「然かし。これまでの魔法、魔方陣、そして魔工技術。これよりは三者が絡み合うということか」「ええ、老師ーー魔法団団長の見立てでは。魔方陣と魔工技術が発展することで、魔法は廃れ、魔工技術が魔方陣を取り込む形で収束すると。とはいえ、それらの転機を迎えるのは何百周期も先のようです」「ーー、……」「ふむ。魔方陣は、二つの分野になるのだろうか」「はい。翠緑王も、そのように予見していました。先ず行われるのは、魔方陣の研究と開発。そうすると、使い手、魔方陣を扱う、というか、描く、でしょうか。技術を使い熟す者と、そうでない者。優劣が、差が生じてくるはず。二つが両輪として、競うように回り始めるかもしれません」「……っ」「魔法が廃れ、魔方陣が取り込まれるとしても、完全に無くなりはしないと見るべきか」「ははっ、『魔法を求める人がいなくなることはないのです』とフィア様は言っていました。強がり、というわけではないようですね。僕にはわかりませんが、魔法の本質や核心部分、深奥秘奥が、魔方陣にも魔工技術にも欠かせないものだと、魔法に携わるものの感覚というか嗅覚で、判じているのかもしれません」「ーーっ」「ふむ。そこら辺の意見を、我が魔法団団長に聞きたいのだが」「……そうですね」「……っ、ーーっ」

 あ、いや、別に無視したわけではないのだが、ちょっと可哀想だったかもしれない。

 大人の会話に交ざりたいけど交ざれない、もどかしさ抱えた子供のようなユルシャールさん。見慣れているような、と思った刹那に、コウさんのむずむずなお顔が脳裏に浮かぶ。

 然てしも有らず、竜地の雷竜が視認できる位置まで来たので組合と迷宮の話をする。

「竜地、雷竜の雷守は、冒険者組合の元幹部です。現在は、雷竜と北東にある森と、迷宮の整備を行っています。組合から打診がありました。森を新人の訓練場として使えないかと。あと、冒険者も受け入れられないかと」「そ、そうでした。失念していました。竜の狩場には、魔物が跋扈しているーーはずでしたよね」「ーーーー」「アラン様、気に入ったのですか、そうやって無言の眼差しで、私を苛めるのが」「ふむ。私はこれまで、誰かと一緒に遊ぶ、ということをあまりしたことがなかった。リシェと氷竜様と遊べて、私は楽しんでいる」「くっ! この王様めっ‼ 仕方がないではないですか! 今は、こうして竜の国が目の前にあるのです。魔物のことを忘れているのは私だけではないはずです!」

 ユルシャールさんと違って、国を造る前の竜の狩場に来ていながら、魔物のことをすっかり忘れていた僕は何も言えない。藪から竜が出ない内に、あと変魔さんを助ける振りをして、彼らから情報を引き出すべく、うちの王様の悪口、もとい行いを暴露しよう。

「先に、打診、と言いましたが。実は、翠緑王は、僕に内緒で事を進めてしまっていたのです。明らかに、何かを隠しているのですが、『氷焔』と老師は非協力的で、真相がつかめません。更に不味いことに、コウさんは、これらの案件を楽しんで実行しているのです」

 これらの企みに気付いたのは、昨日の朝である。みーが持ち出して、百竜が見せてくれた書類の一枚に、「秘密の計画 その三」なる計画書があったのだ。おっちょこちょいの王様が間違えて書類に交ぜてしまったか、竜はギザマルを捕らえず、ということで、お茶目なみーが一緒くたに持ってきてしまったのか。

「そういうわけで、冒険者組合のことで何か知っていたらーーという次第です」

 内部が駄目なら外部を(たの)む。コウさんが係わっているのに、僕に情報が届いていない。彼女が意図的に止めている。これは、やばい兆候である。何か、大きなことが動いているのかもしれない。あの魔法使い(すちゃらかむすめ)をほったらかしにしておいたら世界が危ない。とまでは言わないが、竜の国の未来に禍根を残さない(おいたをしない)為にも、見張っておく(しつける)必要があるのだ。

「それなのですが。大国となったストーフグレフ国に、当然組合は擦り寄ってきました。正式な使者だけでなく、功名心に逸った組合の幹部まで。遣って来た彼らを、アラン様は、撃滅なさいました。一掃、若しくは鎧袖一触(がいしゅういっしょく)と言ったほうがよろしいでしょうか。初見でアラン様の気配に魂を打擲され、何もせずとも勝手に自滅していきました。その点に於いては、商人のほうが図太いですね。商人組合の方は、そうでもありませんでしたが、在野の商人の中には、最後まで表情を保てた方もいました。ラクナル殿も、アラン様の冗談が炸裂していなければ、最後まで優雅さを保てていたかもしれません」「ふむ。それ以降、組合の人間は、近付いてこないのだ。組合とは懇意(こんい)にしたいというのに、儘ならぬものだ」「はは、そういうわけでして、組合とは節度あるお付き合いを、ということで、こちらから呼び立てないと、彼らは遣って来なくなりました。大人しく従順であるのは面倒がなくて良いのですが。惜しむらくは情報が得られなくなってしまいました」

 アランの弊害、と言ってしまうのは可哀想か。誰にでも得手不得手はある。アランの得手は、天を突き抜けるほどに有益なのだから、多少……ではないが、それなりの不利益は大したことではない。コウさんの魔法の副産物も大したことではないーーと言えないのが哀しいところ。きっとあちら(アラン)の当事者であるユルシャールさんも、僕と同じ心境だろう。

「森が見えますね。ここからでは確認できませんが、地下にある洞窟を、翠緑王が迷宮に改装、というか、作り直しました。森の奥に、迷宮の深くに、行けば行くほど強い魔物がいるそうで。確認の為、竜騎士を連れたエンさんが、近いうちに突貫すると思われます」

「ふむ。楽しみだ」「……リシェ殿。前倒しをお願いいたします」「……了解しました」

 たぶん、いや、確実に巻き込まれるであろう男二人が、約束を取り交わす。はぁ、今日の内にエンさんに話を通しておかなくてはならない。つまり、今日も鍛錬は休めないと。 アランを退屈させない為とはいえ、早まったかもしれない。アランをエンさんに押し付けたいところだが、世間的に侍従長は、翠緑王に匹敵する強さだとされているので、彼と共闘する羽目になるやも。まぁ、なるようにしかならないか。

 鼻息は止めてね。という願いを込めて角をさわんさわん。円を描くように撫でる。

 ーー胸に湧き上がるような喜び。もう一つの願い、というか、お願いは、竜書庫に向かってね、というものだったのだが。ゆったりと円を描いて反転する愛娘に、体がふっと軽くなる。錯覚、だろうか。もしかしたら心が、或いはもっと深くの何かが、揺らめいて、昇華したのかもしれない。答えは求めず、僕は、それらに触れるだけに留めた。



「今度は大丈夫なようですね」「……ええ、学習しましたので」

 適度な高さまで頭を下げて「人化」したスナ。予期していたらしく、ユルシャールさんも魔法を使わず、たしっ。まぁ、実際には、だんっ、という感じだったのだが、それは言わない約束である。痛みをそれなりに押し隠せる僕と違って、着地で頭まで衝撃が来たらしい変魔さんは大変そうである。う~む、アランに色々と体験してもらおうと思っていたのだが、王様の魔法使い(そっきん)が経験値を積み上げているのは良いことなのか悪いことなのか。

「レイーーになってる?」

「レイになっている間は、他の人間と同じように対応しろと言ってありますわ」

 スナに確認してみたのは、二人の視線がレイの上半身に向かったのに、表情や態度に変化がなかったからだ。僕がクーさんやカレンで慣れているように、レイの美貌に匹敵する女性が周囲にいるのかもしれない。ここは、藪を突きたくないので、重厚な扉を押し開く。

 上空から、竜書庫の周囲に設置された水路付近で(くつろ)いでいる数人の姿を目にしたが、書庫内も同様だった。見える範囲で、六人。嘗ては、来庫者はほぼ常連が三人だけ、という状況だったので。でも、もう少し増えても、いや、平日だし、こんなものかな。

「侍ぃー従ぅぅー~長ぉぉぉ~~っ‼」

 スナは「結界」を張っていないようで、愛娘と書庫長のエルルさんの二大美女で、(さぞ)や男共の好奇の視線を集めることになるだろぅぼぉっ、

「侍ぃぃーー従ぅぅぅー~~長ぉぉぉーーぉぉ~~~っ⁈」

 うぐっ、()えて見ないようにしていたら、矢も盾も堪らず駆け寄ってきた初老の紳士の痴態は悪化した。両肩をがっしり掴まれて、前後にがくがく揺さぶられる。

「クラ…クスっざん、落ぢっ着いてぇ……」

「これがっ! これがっ⁉ 落ち着いていられると⁈ あれがっ? あれがっ⁇」

 常連の三人の内の一人、クラクスさんが、スナに苛められたみーですらこうならないって感じの、涙がちょちょぎれるような二目と見られない、大の大人が傍目(はため)を気にすることなく……いや、もう彼の描写は控えるとして、びしっびししっ、と突き付ける先を見る。

「ふふんっ」

 クラクスさんの指の先に居たのは、常連の一人であるモーガル商会のモーガルさん。奥書庫に続く扉を背に、手に持った本で肩をとんとん、勝ち誇った小憎たらしい笑みを浮かべている。言い値でいいから売ってくれ、と懇願(こんがん)された商人ですら、ここまでの嫌らしい顔にはなるまい。「結界」から半分体を出して、立ち入りを許可された事実を見せ付ける。

「これ見よがしにっ⁉ これ見よがしにっ⁇ これ見よがしにっ¿?」

 ああ、余程悔しいらしい。三度も繰り返している。序でなので、ここに来た目的の一つを果たすとしよう。クラクスさんに捕まれた手を取って、軽く内側にきゅっと捻る。軽くなので痛みはないだろう、彼の手の力が抜けたところで、半歩距離を空けて勧誘を始める。

「『千竜賛歌』の際、モーガルさんには、竜の国にとって都合のいい噂を流してもらいました。追加で情報を流して、調整する必要があると思っていたのですが、こちらが驚くくらい適切に、的確に、浸透していました。場合によっては、国に不都合が生じていたかもしれない事態を解決して頂いたので、奥書庫への立ち入りを許可しました」

「実は、こう見えて、顔の広いモーガルさんなのであった。ぱらぱらぱら~」

 声に出しながら、(ページ)を捲って優越感に浸るモーガルさん。僕の意図を看破してのことなので、クラクスさんが僕に向き直るまで待ってから、尋ねることにする。

「クラクスさん。経歴を教えて頂けますか?」「む? ーーと仰いますと」「クラクスさんは、竜書庫に設置されている法律書を読んだだけでなく、理解もしたと聞いています。地竜の間を使用するに当たって、担当官は確保しましたが、裁判長が未だ不在なのです。それなりの周期で、見識があり、威厳がある人を望んで、いえ、熱望しています」「……いえ、引退した身であれば、今更働けと仰いましても」「大丈夫です。部下の管理と、部下では裁けない重要な案件だけ担当して下されば結構です。つまり、責任のある仕事ですが、実働は一星巡りに数日だけ。ーー無給ですが、その見返りは」「……ごくり」

 初対面のときもそうだったが、紳士的な見た目と違って、意外にお茶目なクラクスさんは、こほんっ、と空咳をする間に打算を働かせたらしい、自身の過去を詳らかにする。

「私は、辺境伯の屋敷の家令でした。隣国と戦争がありました。伯は有能な御方で、財政で国に貢献し、その戦争でも功績を立てましたが、国の失策で領土が隣国に奪われてしまいました。国は領土を取り戻すことを約束し、伯は親しい貴族からの支援で王都に留まっていたのですが、一向に国は動きませんでした。業を煮やした伯は、立場を取り戻す為に、様々なことをなさいますが、ーーその、もう一度言わせて頂きますが、伯は有能な御方でした。ですが、その有能さは、地位と十分な資金があってこそ発揮されるものだったのです。終には国に居ることも出来なくなり、城街地へと流れてゆくことになります。伯に最後まで付き添ったのは、私を含めて五人だけでした。再起を期した伯の事業は失敗し、書き置きとわずかな資金を残して姿を消されました。ーー途方に暮れました。とはいえ、生きていく為には、嘆いてばかりもいられません。家令だった私が、残った五人の中では地位が上で、周期も上でした。商売をして、上手くいくとは思っていませんでした。ですので、家令である際に(つちか)った教養を活かして、仲介役を担うことにしました」

「あー、やっぱりか。クラクスって、聞いたことあったけど、あの『断罪人』だったのか」

 モーガルさんが、些か以上に驚いた顔で口にする。然てしも(いか)めしいが、『断罪人』とは二つ名なのだろう。彼は城街地での成功者のようだが、如何な経緯があったのだろう。

「城街地での商売は危ういものでした。それ故か、商談を取り仕切る仲介役がいました。失敗すれば、命の危険がある、そんな役割でしたが、私は運が良かった。

 片方が裏切って損失が出たとしても、私が補償する。そして、私の信用を傷付けた者は、もう城街地では商売はできない。伯が残した資金で、そのような状況作りに成功することが出来ました。ーー城街地、というのはおかしな場所でしたな。『断罪人』との過分な二つ名を恐れてか、貴族ですら私に頭を下げてきました。いったい私は何を売って、何を得ていたのか、気付けばたくさんのお金が手元にありました。その空疎さに耐えられず、四人の部下、というか仲間に後を任せて、城街地のーーお金があれば安全な場所で隠遁(いんとん)していたら、竜の国への移住の話が持ち上がった、というわけですな」

「因みに、四人の仲間は、竜の国に移住したのでしょうか?」

「いえ、全員、竜の国には来ませんでした。外でも成功していることを願ってやみませんが、消息を知っているのは一人だけです。城街地という特殊な場所では成功しましたが、南方に赴いた彼は、商人に騙されて殆どの資金を失ったようでした。私に会いに来てくれた彼は、故郷に帰って人の役に立つようなことをする、そう言い残して去って行きました」

 クラクスさんは、寂しげな笑顔を浮かべる。彼は、成功者、と呼ばれるかもしれない。然し、彼と長く過ごしてきた人々は、一人残らず離れてしまった。領地からの移住は、簡単なものではない。それまでのすべてを失うのに等しい。二度と会うことはないだろう。

「前倒しで許可しますので、クラクスさんも付いてきて下さい」「ほ、本当ですかなっ」

 それでも人は歩みを止めることは出来ない。新しい居場所は、自分で作るしかない。

 常連の、以前会えなかった彼にもそれは当て嵌まるのだが。

「イスさんの師匠ですね。『双雷(スプライト)』の(あざな)を付けた。彼は今、僕の部署で働いてくれています。彼は、あなたを要職に就けたいようでしたが、恐らくそれを望んでいないあなたには、別の役職を割り振りたいと考えています」

 見ると、スナの魔法なのだろう、庫内の人々は僕らから関心を失っていた。然し、一人だけ、イスさんから聞いていた通りの風貌の老人が遣って来る。遊牧民の様相だが、どこか彼らとは雰囲気が異なる。交流の少ない遊牧民は、外からの血を受け容れている。

 イスさんに師が居るだろうことは、「双雷」の字から予想できた。その字を思い付くことが出来るだけの見識のある人物。然あれど、先ず気になったことを聞いてみよう。

「レイの魔法が効かなかったのかな?」「今は、人払いの魔法を掛けていますわ。リシェは、勘違いしていますわ。あの娘のように、魔力を節操(せっそう)なく注ぎ込んで、効率の悪いことをするのは、洗練された魔法使いのすることではないのですわ。最適な魔法を、最小の魔力で、効率よく発現する。それが魔法を使う者の、美学とも言うべきものですわ」

 ふむ、そういうものだろうか。確かに、規格外(うちのおうさま)と違って普通の魔法使いは、使える魔力に限りがある。効率を重視するのは当然のことだろう。竜であるスナも、魔力量は桁違いだろうけど、そこには譲れない拘りのようなものがあるようだ。

「そのようじゃの、ここへは強い関心を持った者だけが来ることが出来る。完全に外部を遮断していない、熟練の魔法。わしにはお嬢さんの正体ーーいんや、止めておこうかの」

 ーー賢者。一見して、斯かる印象を抱く。身近な賢者であるはずの老師が、あの風貌なので、何だか新鮮味を覚えてしまう。

「あなたには、竜書庫の分類(ジャンル)分けと目録(リスト)作りをお願いしたい。周期単位の作業となるでしょうから、読書の合間にでも、空いた時間でやってください。先ずは、それぞれの部類(カテゴリ)に色違いの紙を貼っていく作業からですね。本は、そのまま元の場所に戻して下さって構いません。竜書庫の番人であるレイが、一定数溜まった後に、魔法で移動させます」

 昨夜、夜の鍛錬から翠緑宮に戻ってきたところ、休憩がてら王宮内を空回り(かくにん)していたイスさんと鉢合わせた。そこで彼の師匠のことをお願いされたのだが。大陸中央の出身らしい、そしてどこかの国の要職にあったらしい彼の師匠は、地位や権力といったものを嫌悪しているようで、残念ながら八人目(さいご)の竜官の席を埋めてはくれなかった。そこで思い付いたのが、竜書庫の職員。スナやエルルさんの側に置ける人間は少ないので、そろそろ必要になるとわかっていながら、人員の確保ができなかったのだが。渡りに水竜とはこのことか。レイやエルルさん目当ての男共からの反感も少ないだろうし、十分な知見も持ち合わせているとなれば。空を見上げれば風竜が二竜、うっはうはである。……いや、ちょっと待て、落ち着け、僕。今は、王様と魔法使いが居るのだから、妄想もほどほどにしないと。

「やれやれ、じゃな。あの子の師匠としての面目もあるじゃろうし、それくらいは引き受けねばならんかの」「では、決定ということで。全員で奥書庫に行きましょうか」

 エルルさんの腕を取ったレイを先頭に、八人で奥書庫に、本の迷宮に入り込む。間際に横目で見ると、書庫長代理のミニレムがエルルさんが座っていた椅子に、ちょこなん。って、いつの間に。風景に馴染んでいる姿から、彼女の補佐を長く続けてきたようだ。

「「「…………」」」

 本の森は相変わらずで、枝のように伸びる書架の佇まいは、不思議と厳かな気分にさせられる。初めて奥書庫に入った四人、もといアラン以外の三人が圧倒されている。

「モーガルさん。御二人に、奥書庫(ここ)の案内と、使用上の注意をお願いします。僕たちは、禁書庫に向かいますのでーー」「ちょっ、ちょっとしばしお待ちを、侍従長様? こちらの方々は禁書庫に……、禁書庫……にぃぃ⁇」

 僕の後に付いてくるアランとユルシャールさんを見て、(きんき)に立ち入った高揚感からだろうか、気色ばんだクラクスさんだが、ストーフグレフ王と目が合うと、精神の均衡を崩したらしく、()頓狂(とんきょう)な言葉をぶっ放した。

「ここは、地の国なのですな⁇ 侍従長が二人も居るのですな?¿」

 僕とアランを交互に見ながら、即座に天の国へとご案内したくなるような戯言を垂れ流す。然も候ず、やっぱり天の国ではなく地の国へのご案内かと変心し掛けたところで、モーガルさんが事実を告げる。

「そちらの御方は、侍従長ではなく、ストーフグレフ王ーーで間違いないな」

 ひゃらっぽぉ、とか謎悲鳴を上げながら、この度は腰を抜かさなかったらしい、魔獣に遭遇したギザマルのような勢いで、クラクスさんは商人の背中に一目散。その後、好奇心を抑え切れないのか、ちろちろと見ているのが彼らしいのだが。裁判長に(あて)がったのは、早まっただろうか。いや、「断罪人」でもあるし、やるときはやってくれるだろう。

「ふむ。尖塔の男か」「うわ、気付いておられたので?」「始めは暗殺者かと思ったが、そうではないようだった故、捨て置いた」「あ~、と、王の姿を一度拝見したくて、塔の天辺から覗いたことがあるんだが……」「あの塔は、秘匿(ひとく)している重要な施設で、部外者は立ち入り禁止になっている。ユルシャール、国家機密を盗もうとした容疑ーー」「申し訳ございませんでしたぁーーっ‼」「ふむ。許す」「ありがとうござっしたぁーーっ‼」

 商人の勘というやつだろうか、全身全霊で謝ったら、あっさり解決。然も、アランに顔を覚えられるという……、んー、こちらは竜と出るか魔獣と出るか、ってことで、一概には何とも言えない。然ても、あちこちで失態というか武勇伝を残している人である。

 まぁ、素直なのはいいことである。アランに反目(はんもく)したところで、いいことなど何もない。いや、何もない、ということはないかもしれないが、僕には思い付かない。モーガルさんはグリングロウ国に所属しているわけではないので、自分のことは自分で解決してもらわないと。あと、ユルシャールさんの名を出したということは、魔法部隊に関連する施設だったのかもしれない。って、……あれ? これって思った以上にーー、いや、もう済んだことだし、考えるのは止めよう。捨て置いたアランの推知が凄かったということで。

「えいやっ、ですわ」「レイさんの中から~、スナちゃんが産まれました~」

 禁書庫へと続く通路に入ると、「幻覚」を解いたらしい竜娘がエルルさんの胸に、がつんっと飛び込んで。豊満な胸にぎゅぎゅぎゅ~とされながら、「治癒」を行使する。

 これまで一言も発しなかった書庫長の豹変どころか竜変に、やはりアランは驚いていなかった。暗くて見え難いが、ユルシャールさんにも変化はないようだ。

「スナちゃん~、スナちゃん~、スナちゃんちゃん~~、今日もひゃっこく、スナちゃんちゃん~~、冷え冷えスナちゃん~、明日もひゃっこい、スナちゃんです~~」

 歌詞は措くとして、賛美歌を歌い上げるような澄明な歌声。あ、とと、美声に酔ってしまったのか、三回も、歌、を使ってしまった。今のところ、スナにだけ心を開く子供のように天真爛漫な女性は、茶師に相応する腕前だけでなく、様々な特技を持っているようだ。

 「(スナ)竜賛歌(ちゃんだいすき)」に導かれながら、真の闇を抜けて光の袂へ。暗竜と光竜の仲は良好だと、歴史には綴られているが、まぁ、史実ではないだろう。光と闇の性質に鑑みて、考察なのか願望なのか、人々は竜に思いを注いできた。ふぅ、炎竜氷竜と、近い内に、風竜地竜。何度も何度も頭を悩ませて、思案を巡らせて、竜の領域に踏み込まないよう気を付けながら、竜の国に及ぼすだろう影響を慎重に吟味してきた。竜が増えることは、純粋に嬉しい。僕の中で、それは絶対のものになっている。だが、それで頭を、眼差しを曇らせてはならない。僕は竜の国の侍従長である。竜への思慕に惹かれて判断を誤れば、グリングロウ国だけでなく、竜すら巻き込んで、竜にすら牙を剥いてしまうかもしれない。前例はない。スナは判断を僕に委ねているので、僕の責任に於いて迎え入れると決定した。

 竜が来てくれるのは、良いことなのです。その(むね)を伝えたときのコウさんの言葉は忘れられない。呑気に脳天気に、昼寝中の仔竜よりもぽっかぽかな王様は、きっと考え無しに赤裸々に答えたのだろう。王様のほっぺたがどこまで伸びるのか試した僕の狼藉(ろうぜき)も、理解して貰えるはずである。まったく、悩み捲っている僕が馬鹿みたいではないか。

「竜茶を~、淹れてきます~。スナちゃんの父さんに~、スナちゃんを贈り物~」

 四面を書架で囲われた禁書庫に入ると、ぽふっと至宝(スナ)を胸に押し付けられたので、二人を促しつつ卓の奥の椅子に座る。スナは僕の膝の上に、正面がアランで右に変魔さん。奥に通じる通路がある左側を空けたようだ。ここまで発言を控えていた魔法使いだが、そろそろ我慢も限界のようである。

「ここが、禁書庫ですか? 『ゲーニスヒルト預言書』などもあったりするのでしょうか?」

 頑是無くきょろきょろと、好奇心と求知心が爆発しているらしい。魔法使いは、市井人より探究心が強い傾向にあるようだが、齎される結果を考慮しないのなら、微笑ましいものである。コウさんと違って、ユルシャールさんなら実害は少ないと思うのだが。

「預言書なら、これですわ」

 スナが人差し指をちょんちょんっと軽く曲げると、左側の書架から一冊の本が飛び出して、ユルシャールさんの手元へ。手に取ると、魔法が解けたのか、彼は両手で支える。

「読んでも、よろしいのでしょうか……?」

 「マギルカラナーダ」よりは信憑性があるとされている、こちらも伝説のようなものになっている「ゲーニスヒルト預言書」。世間には「紙片」と呼ばれる、預言書から抜粋されたものが出回っていて、高値で取り引きされている。

「……アラン様、どうぞ」「ふむ。次はリシェだ」「はい。スナは下位語は読めるのかな?」

 下位語が読めない面々の間を預言書が巡ってゆく。最後にスナが、卓の中央に置く。

「竜は、吸収する魔力からある程度情報を受け取っていますわ。往時であれば下位語も、聖語も使い熟せたはずですが、今はもう無理ですわ」「スナと会話ができているのも、その能力のお陰だね。とすると、聖語を使える竜はいないのかな?」「記憶に残る程度に使い続けていれば、喋れる竜がいてもおかしくないですわ。ただ、聖語は、竜の力に並ぶものではなかったので、望み薄ではありますわ。蓋然性があるとすれば、あちらの大陸ですわね」「リシェは、下位語は読めないのか?」「その機会はあったんですけど、兄さんと約束した期間内に覚えられなくて、里での勉学を優先しました」「ふむ。この体裁は、日記のように見えるが」「正解です。これは紛う方なく日記ですね。里長のお墨付きーー」「ちょっ、ちょっと皆さんっ、なぜそんな冷静に、というか、預言書がただの日記なら、どうして禁書庫に……って、ですから御三方、その目は止めて下さい……」

 この面子だと、説明役は僕になりそうだが。エルルさんが竜茶を運んできたので、説明というか謎解きの答えは、一服(いっぷく)してからである。配り終えて席に着いたエルルさんの膝の上に、愛娘を贈り物、ではなく、一時預ける。

 執務室からずっと喋っていたので竜茶はありがたい。それにエルルさんが手ずから淹れてくれたものなので。ちらと見ると、心做しかアランの表情も和らいでいるような。

「これは、聖語時代に、ゲーニスヒルトという方が下位語で記した日記に間違いないと思われます。あとは、皆さんが予想している通り、偶然の一致、というやつですね。後に、日記の日付と同じ日に、記されていた内容と同じ出来事があった。人は見たいものを見る、とはよく言ったもので、そうした偶然の一致とやらが幾つも報告され、信憑性が増したのですが、ここで流出した日記を買い取ったゲーニスヒルトさんの息子が、日記を隠して、(だんま)りを決め込んでしまったのです。息子さんからすれば、ただの日記なので、身内の恥、というか、誤解をこれ以上広めたくなかったのでしょう。ですが、それは逆効果でした。手遅れでした。そこで困った息子さんは、友人から助言を得て、『紙片』という形で世にばらまいたのです。いつの時代も、そういうものを信じる人、傾倒する人はいなくならず、未だ『紙片』は高値で取り引きされているようです。さて、この預言書ならぬ日記が、何故禁書庫にあるのか、ということですが。この日記が表に出て真実が明らかになると、『紙片』が値崩れしてしまうからです。ここにあるすべての書物は写本です。つまり、『ゲーニスヒルト預言書』ーー原本が表に出る分には構いませんが、奥書庫と禁書庫にある書物は、管理できないのなら燃やさねばなりません」「……は?」「ふむ。それを私たちに話したということは、もしリシェたちに何かあった場合、ストーフグレフ国に管理を。それが出来ないのなら燃やしてくれ、ということか」「……え?」「はは、もう竜書庫がどんなものであるかを説明する必要はないですね。コウさんは、三周期前に人類を救いました。竜書庫(これ)を老師が許したのは、ミースガルタンシェアリ等の異変に鑑みて、至緊至要(しきんしよう)と判じたからです」「…………」「ふむ。私とリシェが友人となるのは運命だったということか」

 えー、あれ? おかしいな、途中から話がずれたような気がする。竜にも角にも、アランに向かって、いい感じの笑顔で、にっこり。……あとは、今は考えないようにしよう。

 預言書に関しては、フィスキアの暗号を解いた里長の言なので、概ね正しいと思われる。コウさんが気付けなかったフィスキアの一族の書物は、古語で記されていたので、すべて奥書庫にあった。騒乱後、エーリアさんと話していて、兄さんとの思い出ーー暗号のことが脳裏を過って、愛娘に依頼。その日の内に発掘、というか発見して、禁書庫の奥の、スナの部屋に移してある。三百冊もあるので、新しく書架を拵えたそうだ。

「スナは、本当に、繊細というか器用というか大胆というか見事というかーー」

 あと百個くらい付け足して、愛娘を誉め殺しても構わないのだが、一先ずこのくらいにしておこう。企んでいたらしいスナが、たうっ、とエルルさんから僕の膝の上に移動。

 竜茶を飲み終えた矢先のことです。いや、何のことかというと、まぁ、あれです。

 禁書庫の天井が、ぱかっ、と開きました。今日もいい天気です。

 改造、もとい改築したらしい天井を、魔法で持ち上げたのだろう、僕はスナに、アランをユルシャールさんが、外に出た刹那、出発である。

 天井がぱたっと閉まる様を眼下に望む。もはや何も言うまい。この世界は、スナの遊び場である。差し詰め、僕は遊具と言ったところか。どうかスナ様、壊れないように大切に扱ってくださいませ。と氷竜様に祈ってみるも、叶いそうになかったので、知っている限りの神様に、あと八竜と聖竜と邪竜にも祈っておこう。「千竜王」……は止めておくか。

「次は大広場です。竜の頭脳から、竜の胃袋に向かいます。そこから地下に降りて、水路とーーこれは僕も最近知ったのですが、大広場の真下に地底湖があるそうなので、皆で見物、というか下検分(したけんぶん)に行きましょう」

 コウさんが黙っていた、或いは隠していた理由は、境界魔法、にあるらしい。「やわらかいところ」を刺激しつつ、やんわりと責め立ててみたものの、王様の懺悔(ざんげ)は要領を得なかったので、困ったときのスナ様、ということで「氷竜のいいところ」で、どばっと魔力を放出したあとの、まったりとした後ぅぎぃ…っ、げふんっげぇぶんっっ……いや、失敬、何でもありません。はい、何でもありませんとも……。然てまたスナは、実験場ですわ、と角を僕にさわさわされながら、吐息のような言葉を居室に散らして。あの規模、大きさからして、反転させるつもりなのかもしれないのですわ、とここでスナが寝床から、僕の腕から抜け出してしまったので、これ以上の詳細は聞けなかった。

 「境界」に「反転」。はぁ、駄目だ、嫌な予感しかしない。地下水路の視察が本目的だが、地底湖にアランを連れて行けば何かわかるかもしれない、という(よこしま)な思惑もちらり。スナは、この一件に関しては、口が重そうなので。というか、愛娘がそうなってしまうくらいの、そうしてしまうくらいのーーうん、次は王様(まほうつかい)をもっと苛めて(かわいがって)口を割らせよう。

「ユルシャールさん、疲れましたか?」「いいえ、大丈夫です。生まれて初めて、除け者の気分を味わっているので、得難い経験であると、反芻しているところです」

 懐かしい。表敬ーー挨拶回りのとき、クーさんもこうやってお膝抱っこで座ってたっけ。と、ちょっとあれな記憶なので、可愛らしい感じに捏造(ねつぞう)、もとい脚色してみる。

 う~む、そちらの耐性はありそうに見受けられるが、反芻症とかにならなければいいけど。僕とアランの会話に付いてこられていないし、「星降」も失敗してしまった。今日の予定に、変魔さんの失地回復、竜の尻尾をぶんぶん振れるような行く先はあっただろうか。

 案内先の変更も視野に入れて頭を捏ね繰り回していると、大広間が見えてきた、のだが。

「ん? あれは、『結界』?」「『隠蔽』も施されているようです。中々な術者のようです」

 魔法の匂いを嗅ぎ付けたのか、すたたー、とアランより早く遣って来た魔法使いが、先程までの沈鬱具合は何処へやら、仔炎竜を背負って(いきようようと)見解を明らかにする。

 あれは、エルタスとーーフラン姉妹? これはまた、珍しい組み合わせである。魔法以外に共通点はなさそうだが、いや、魔法繋がり、ということなら然もありなん。然て置きて大広場の南側には件の三人しか居ないのだが、百を超えるだろう人々は彼らに気付いていない。この時間帯としては、人の数が多いだろうか。彼らが関係しているなんてぇべっ、

「「っ⁉」」

 くっ、油断した! 僕とユルシャールさんが角にがっちりと掴まる。というか変魔さんは魔法が使えるのだからスナのすなすな(すっべすべ)な角にちゃんと抱き付けないのでアランのように魔力を纏うなりして自分で何とかして下さいっ‼ と非難の眼差しを向けるも、まぁ、垂直落下なんて状況では、彼を責めるのは酷というものか。

 ずどぉーーんっっ。とでも音がしそうな勢いだったのだが、実際には無音で、大広間の人々は氷竜とその他三名の落下に、そよ風ほどの影響も受けていない。

「ひゃっほー、氷のおねいさんの爆誕~~」「ぴゃっぽー、あたしたちの爆死が決定~~、とギッタが言ってます」「カレン様の背中がないから、隠れられない~~」「サンが背中なら、あたしはカレン様のお尻で我慢するわ~~、とギッタが言ってます」

 意外に余裕な双子である。いや、そう見えるというだけで、レイに対する苦手意識は消えていないようだ。スーラカイアの双子の中には、「共振」や「同調」を為すことで、魔力量が多い者がいる。そろそろ魔力の制御ができてもいい頃じゃないかと思うが、未だに降参状態だとすると、本能に根ざした(おそ)れなのかもしれない。

 ごろごろごろ、で立ち上がった僕と異なって、更にごろごろごろ、でぱたりなユルシャールさん。そこら辺はスナが配慮してくれているだろう、呪術師の許へ行くと。

「御方様が、降臨なされたーー」 

 恵みの雨のような潤んだ声を発したエルタスは、神官の如き恭しさで胸に手をやって、中央の噴水に向かって軽く頭を下げる。何事かと見遣ると、ぽひょんっ、と炎竜像の頭の上に見事に着地。空から舞い降りた仔竜の登場に、観衆に炎の花が咲き乱れる。

 とーくから しょーねんは かぜを はこんできた

 ゆめのなか こどもたち ほしを ながめていた

 つながっている ものがたり いまもいきている

 ことばをさがす わたしたち みらいのたびびと

 おいかけてきた しょーじょから ふりほどいた まなざし

 おもいをとげた おーさまの わすれられた おもかげ

 ぺこりっ、と頭を下げると、拍手喝采四大竜の咆哮に包まれながら、たうっ、と空に飛び立っていった。あー、んー、竜にも角にも、広場の人々を観察する。ミニレム祭りの、高つ音までまだ時間があるのに人が多かった理由。とはいえ、そこまで多くないのは、定期的に行われているわけではないということか。僕は知らなかったが、観衆の様子から初めてというわけではないらしい。あと老人の比率が高いのは、あの古めかしい唄の所為か。

 う~む、残念だ。エルルさんの歌を聞いていなければ、闇を照らすようなみーの炎声(あたたかさ)に聞き惚れることが出来ただろうに。なので、隣の狂逸の呪術師には共感できそうにない。

「魂がっ! 震えるほどのっ、衝ぅ撃ぃっ‼ 愛らしく荘厳で、可愛くて神聖で、世界の遙かなる優しさは御方様にあられり! 至幻のっ、蜃気楼の果てまで一等賞ーーっっ‼」

 ……大丈夫ですよね? 同類に見られていませんよね? なんだ侍従長の親友か(訳、ランル・リシェ)、やっとこ立ち上がった変魔さんの目が訴えているが、知らぬが竜。

「エルタスさんは、百竜に心酔していたんじゃないんですか?」

 黙っているのも何なので聞いてみると、ちっ、と生ごみを見る目で舌打ちされた。

「確かに、百竜様は世界で最も美しい。然し、美しさとは脆いものだ。完成されているが故の、空虚を生み出す、物足りなさがある。だが、私は知ったのだ。美しいだけでは駄目なのだ。みー様の狂おしい可愛らしさと相俟ってこそ、本当の、真実の美が生まれる。百味の信徒である私にはわかる。御方様こそ世界で唯一の完成された美、そのものなのだ」

「「「「…………」」」」

 百味の信徒って、また勝手にーーいや、もう何も言うまい。彼はきっと、これで幸せなのだろう。近くに居ないとき限定で、彼の幸せを願……うのも何か嫌なので放置が最適か。 とっちり者のようなエルタスは放っておきたいところだが、彼とフラン姉妹の組み合わせには興味があるので、再度尋ねることにする。

「フラン姉妹の指導ですか? となると、老師が?」「そっちは、ストーフグレフ王か?」

 僕を無視して、アランに問い掛ける。……百竜と仲が良いので敵視されているのだろう。みーとの仲は残炎、もとい残念なので、そこは差し引いて欲しいのだが。

「ふむ。私は、アラン・クール・ストーフグレフだ」「エルタスさん。アランの正体を見抜くとはさすがですね」「私が知っている逸脱者は四人いる。翠緑王は女。〝サイカ〟の里長は老人。侍従長はここにいる。であれば、消去法で残りはストーフグレフ王だ」

 話を円滑に進める為に、呪術師に下手に出てみたが、効果は薄いようである。エンさんとは違った意味で自分を持っている人間なので、扱いに難渋しそうだ。竜にも角にも、僕を逸脱者の中に含めるとは、エルタスは何処まで見えているのだろう。「千竜王」の存在を気取っているのか、或いはスナの存在に思い至っていないのか。

「『最低限の基礎は仕込んだ。竜の国の他の魔法使いに教えを請うてこい』と魔法団の団長に言われたようだ。百味の信徒としてこの地に滞在する以上、一定の譲歩は仕方がないことだ。然し、本当に基礎の、初心者だとは思わなかったがな」

「くお~、おーさまと同じ目を向けるな~~っ」「ぐお~、ししょーと同じ嘲笑を向けるな~~っ、とギッタが言ってます」「ぐぐぉ~、この『結界』め~~っっ」

 僕には見えないが、二人はエルタスが張ったであろう「結界」を攻撃しているようだ。エルタスは、ユルシャールさんと同等の魔法量らしく、一ガラン・クン程度。上達して、十五ガラン・クンを超えているだろう双子が「結界」を壊せないとなると、技量の差というより、いや、それも含めて、「結界」の性質にあると思うのだが。意固地になっているのだろうか、魔力量に飽かせて強力な魔法を打ち込んでいるようだ。

「もう魔法は問題なく使えるんですか?」「魔力の乱れは治まった。(じき)呪術も使えるようになるだろうがーー」「えっと、慥か、爾後竜の脅威にはならないと、百竜から許可を得たんじゃないんですか?」「……百竜様の慈悲を頂き、みー様が『竜のぽむぽむ』を、『おしおき(しゅくふく)』を下さったが、御方様へ無礼を働いたことーー、私は、自身の不明が許せぬ故、以後呪術は封印し、当主は弟に譲ることにした」「弟、ですか」「弟は、頭は良いが、呪術の才はいまいちだ。通常なら、才ある妹に当主を明け渡すべきだが、恨んでいるのか拗ねているのかわからないが、当主にしがみつくだろう。けったいなことだ」

 ああ、この人は典型的な、出来ない人の気持ちがわからない人、のようだ。〝サイカ〟の里の門を潜った者の中にも、毎周期、一定数存在した。そんな彼らの多くは、天才の中での一握りになることが出来ず、挫折を、或いは自身と向き合う機会を得て、より高みを目指す為の階梯(かいてい)に足を掛けることになるのだが。まぁ、百竜がエルタスの手綱を握っている間は問題ないーーのかなぁ。竜に薫陶を期待するのは、本来おかしなことだが、……残念ながら、スナに向けるほどの信頼を百竜に預けることは出来そうにない。百竜の内には、まだ迷いが見られない。僕の勝手な願望だが、もう少し「千竜王(やつ)」だけでなく僕への、疑念を持って欲しい。近付けば近付くほど離れることもあるのだと、知って欲しい。ーーととっ、危ない危ない、思惟の湖に潜ってしまうところだった。

 ……ふぅ、百竜のことは措いて、先に考えていたのは、彼の弟のことだったか。生まれながらに魔力の恩恵(しゅくふく)を得られなかった僕などは、次期当主の気持ちが手に取るようにーーとは言わないが、大凡の見当は付けることが出来る。……ぅっ、あ~、いや、その、本当は「竜のぽむぽむ」を(つまび)らかにするよう強権発動したいところなのだが、いやさ、恐らくは竜のふみふみ的なものだと予感というか予測しているのだが、もしそうならみーの情操教育上、(すべから)くエルタスやデアさんの排除命令を検討すべき時期に来ているとーー。

「時間切れだ。『結界』は、ーーそちらの魔法使い殿に壊してもらおう」

 はて、ユルシャールさんを一瞥したエルタスの声音には、好戦的、というだけでなく、期待のような成分が含まれていたのだが。応じる変魔さんの顔にも、了承の笑みが浮かぶ。「私たちより魔力量が多いお嬢さん方が、正攻法で『結界』を壊せなかったというのなら、答えは一つ。押して駄目なら引いてみろ。ということでーーはい、破れました」

 ユルシャールさんが「結界」に手を付けて引っ張ったのだろう、直後に双子が崩れ落ちる。ああ、やはりか、「結界」は外側からの衝撃に強い性質を持っていたのだ。その反面、心象に依るのだろうが、引っ張る、というより緩む、といった方面に弱いものだった。

「魔法使いは、魔法使いと闘わない。何故だかわかるか?」

 唐突な話題転換に、周期頃の女の子らしいきょとんとした表情のサンとギッタだが、同じく頑是無い反発心も失っていないらしく、ぷんすかと思うままに言い立てる。

「くぬぬっ、実は引き分けと負けしかないあたしたちを不憫に思ってのことかーーっ!」「くむむっ、違うわ、サン! これまでは相手が悪かっただけよ! とギッタが言ってます」「ぐぶぶっ、でも、ギッタ! この前、うっかりシャレンにも負けちゃったわ!」

 双子は基本から、シャレンは尖った場所から伸ばす。そのような指導方針らしいが、現時点で差が出てしまったようだ。魔力量からして、いずれ双子に敵う(にんげん)は、コウさん以外にいなくなるかもしれないが、今はシーソやエルタスにも勝てなそうだ。

「でもでもー、基本の基本は終わったから、王様に一つ魔法を教えてもらったんだぞー」「まだまだー、ちゃんと使えてるとは言えないけどねー。とギッタが言ってます」

 サンがみーの真似をしたということは、みーが使える魔法ーー「飛翔」を教えてもらったのだろうか。或いは、強力な火の魔法を使えるようになって、みーを悔しがらせようとかそんなことを考えているのかもしれない。

「レイさん。これから呪術師殿と、魔法で闘いたくありますが、判定役をお願いしてもよろしいでしょうか?」「あら、面白そうですわね。なら、二人の身は魔力で守ってやるので、私を楽しませる為にも、全力でやるのですわ」「ありがとうございます」「感謝する」

 エルタスとユルシャールさんが、同時にレイに頭を下げる。然あれば呪術師は、見習い魔法使いに向かって、魔法使いの危険性と心構えを語る。

「魔法使いは、魔法使いと闘わない。それは、危険だからだ。相手がどんな魔法を使ってくるかわからない。その一点だけでも余りある。相手が魔法使いではない、魔法が使えるだけの相手なら問題はない。だが、相手が魔法使いであるのなら、魔力量や技量の差は関係ない……いや、翠緑王、あの魔法王は例外だが、闘いを回避するのが賢い手段となる。だが、魔法使いを名乗るのであれば、一度は魔法使いと闘っておく必要がある。私は、これが二度目で、実力が拮抗しているであろう相手とは初めだ」

「光栄です。一度目は、子供の頃に父が相手だったので、この度は楽しめそうですね」

「事前に言っておくが、魔法使いであるならば、幾つか(パターン)を用意しておく。攻撃と、主に『結界』の守り。いざ闘いになって考えるようでは、その瞬間に敗北は決定だ」

「先に魔法を当てた方が勝ち、とそのように単純なものではありませんが、即座に放てる魔法を幾つか。当然、『結界』もその性質を考慮した上で張らなくてはなりません」

 ユルシャールさんも加わって、何やら勉強会のような様相。二人の魔法使いの矜持に感ずるところがあったのか、双子は神妙に耳を傾けている。スナが安全を確約してくれるというのなら、確かにこれは楽しみな一戦である。魔力量も実力もあるだろう魔法使い同士の闘い。これまで見てきたのは、コウさんが一方的に蹂躙(じゅうりん)、もとい圧倒するようなものばかりだったので、普通の魔法使いの闘いには興味津々(わくわくそわそわ)ーー、って…なん、だ……?

「「「ーーーー」」」

 ーー通り過ぎてから、吹き抜けたことに気付いた。世界を駆け抜けた、淡銀の衝動(かぜ)

 風が止んだ。いや、「結界」の内だ。風など始めから吹いていなかった。

 同時だった。それがレイ(スナ)とアランだったから、ふっと心が冷たくなる。

 二人でないと感じられない何か。再び抱くようになっていた底なしの不安のようなもの。別々の事象に、勝手に繋がりを作ってしまうのは、僕に限らず人間の悪い癖だ。

「ふむ。東か」「遠い、ですわね。草の海をーー越えますわ」

 東に、狩場の山脈の、果ての空に向かって、木枯らしのような温かみのない(ひとひらの)言葉(じじつ)

「「ーーーー」」「「「「「っ⁉」」」」」

 暖かだが、引っ掻くような風が吹き抜けた。須臾の間、僕の脳裏を駆け抜けた、いや、染め上げた金色の波濤(ほのかなあたたかさ)。以前よりも強く響く、女の(まほうつかい)の魔力。見澄ますと、大広場にいる幾人かが、僕たちと同様に翠緑宮のある方角を見遣っていた。魔力放出ではなく、魔法を行使したのだろうか。だが、そうだとするなら、余波だけでこれなら、「千竜賛歌」に匹敵する極大の、世界魔法と言うべき水準の魔法ということになるのだがーー。

「ーーあの大馬鹿娘」

 あの、と、娘、の間に、大馬鹿、が含まれている。からかうでもなく、茶化すでもなく。憂うでもなく、惻隠(そくいん)の情を催すでもなく。ころりと、何処までも転がり落ちるような情感。

「今すぐ、どうこうなるものではないのですわ。お膳立てをしてやったのですから、とっととつっつとやるですわ。魔法を引き継いでやるから、きりきりさくさくぱっぱとやるですわ」「八つ当たり、ではなく、竜当たりが怖いので、御二人の準備は完竜?」「「……っ」」

 今は、世界の滅亡より卑近(ひきん)な愛娘の感情のほうが重要な気がするので、呪術師と魔法使いを急かす。お腹の中までひゃっこい(りっぷく)なのか、お菓子を目の前にした仔竜の食欲のようなはしたない冷気をもうもうと。ああ、双子がお互い抱き締め合って、冷え冷え~(なきべそ)である。

 僕とアランと双子がスナの後ろに移動すると、冷気か魔力で作ったのだろうか、まっさらな雪を詰め込んだような球体が、十歩ほど距離を空けた呪術師と魔法使いの間に飛んでゆく。華やかな魔法使いと地味な呪術師、いや、問題はそこではなく、二人とも杖を持っていないことだ。いやさ、しつこいと思われるかもしれないが、いまいち魔法使い同士の闘いに見えないのだ。魔力で強化すれば鈍器にもなるのだし、投げることだってーー、

「球が割れたときが開始の合図ですわ。体を覆う二層の魔力の、上層を先に破壊したほうが勝者となりますわ。致命傷水準なら一度で、それ以下の魔法なら三度で消失しますわ」

 然あらじ、おかしなことを考えていないで二人の闘いを凝望(ぎょうぼう)、虎視ならぬ竜視で見逃すことがないよう視野を広げる。見ると、惟る仕草の二人。駆け引きが必要な面白い規定(ルール)の為、戦術の練り直しだろうか。然し、球が割れるまで、という時間制限がある。

 コウさんと違って、魔力量に限りのある普通の人間は、相手に致命傷を与える水準の魔法を連発することなんて出来ない。同じく、超絶魔法を一瞬で無数に放つ規格外(まほうつかい)と異なって、高等魔法には魔力を練り込む時間が、戦闘に於いては勝敗に直結するくらいのずれ(タイムラグ)が生じる。エルタスが言っていたように、魔法戦は危険なのだろう、里で行われることはなかった。一部の魔法以外は見ることが出来ないとわかっていても、竜の息吹(とってもたのしみ)である。

 先ずユルシャールさんが、「結界」を張る為だろうか、左の掌を前面に出して、引いた右手で魔法を放つ体勢。ある意味、正統的な(オーソドックス)、事前に予測されても構わないということだろう。対してエルタスは、自然体である。集中しているのか、平時では見られない厳かな風情がある。さすがにスナも球を割るのを引き延ばして悪戯をするようなこーーぱりんっ。

「「ーーっ」」

 霧雪(むせつ)のような(さや)かな白さが馴染むより早く、ユルシャールさんの「結界」が張られるも、

「くっ‼」

 彼の足元がほんのわずかに陥没(かんぼつ)していた。微かな認識の齟齬、なれど主導権を握るには十分。奇襲を成功させたエルタスは、追撃の魔法を放つことなく駆け出して、正面から「結界」へ。対して、「結界」の強化よりも迎撃を優先するユルシャールさん。

 接近戦を選択したエルタスは、性質を見抜いていたのか、直接「結界」に触れて破壊して、直後に魔法を打ち込む。単調な攻撃に戸惑ったユルシャールさんだが、二つの、或いは三つ以上の併行魔法で、呪術師の魔法ごと吹き飛ばす。

 だが、彼が予想した通りに、エルタスの攻撃は牽制(けんせい)。魔法攻撃で「幻影」の呪術師の姿が掻き消されたときには、すでにエルタスは側面に回っていた。後手に回りながらも魔力を捉えたのか、相対する間際に、狙いを付けず、不意打ち気味に下位の攻撃魔法を複数放つユルシャールさん。形勢をひっくり返そうと、いや、持ち直せれば御の字という伏撃(ふくげき)

 エルタスが対応を誤れば、勝負が決する場面だったが。読み切った詰竜棋(つめりゅうぎ)のように、呪術師は落ち着いて手順通りに魔法を行使する。三歩の距離に縮まった、軋むような二人の間隙に、エルタスの魔法だろう、石畳を壊して出現した土壁が、って、こらっ! あとで魔法で直せなかったら、給金から差っ引いてやる! ととっ、今は熱闘に集中だ。

 土壁の左下の部分は、攻撃を放つ為だろう、空いているのだが、「幻影」か「隠蔽」か、ユルシャールさんは気付いていない。これで、すでに練っていた高等魔法を放って、エルタスの勝利ーーかと思ったが、矢庭に詰め寄った変魔さんが起死回生の、慮外な行動に打って出る。土壁に両手を()いた、いや、その勢いは、()いた、と表現するのが的確だろう、エルタスの魔法が直撃して跳ね飛ばされるまでの瞬息(しゅんそく)にすら満たない、凝縮されたような空間と魔力の狭間に、錯綜(さくそう)する魔法が両者に襲い掛かる。

「っ⁉」「ぐっ!」

 ばぁーーん。

 いや、そんな単調な音ではなく、実際には、地を揺るがすような、圧迫するような重い音だったのだが。刹那、ぷちっ、という呪術師が潰れるような幻聴が、って、いやいや、そうじゃなくて、いったい何が起こったかというと。

 土壁が俄然(がぜん)として猛烈な速さで倒れたのだ。

 竜事休する(おいつめられた)ユルシャールさんは、土壁を硬化したのだろうか、尚更破壊行為で大広場を傷付けるが、って、それは今は措いておいて。エルタスの魔法を利用した、見事な機転と創意である。そして、実行する胆力たるや雄国(ストーフグレフ)の魔法団団長の面目躍如である。と直近(ちょっきん)の魔法使いの蹉跌やら醜態やらが、ちょっとばかり哀れ、というか気の毒だったので持ち上げてみる。然ても、魔法が見えない僕ではあるが、想像力と、それに倍する妄想力で脚色してみました。見たまんまを語ると、最後の土壁の攻防以外は、謎舞踊な感じでちょっと、ではないくらいに滑稽(こっけい)なので、二人の名誉の為にも頑張って解説してみました。

「「…………」」

 魔法の効力が失われたのか、(やわ)になって崩れた土塊(つちくれ)の中から、もぞもぞと這い出て立ち上がるエルタス。仰向けに倒れていたユルシャールさんも問題ないようだ、服の汚れを払いながら戻ってくる。二人が遣って来ると、判定役のスナは片目を瞑って、人差し指で軽く顎をとんとんとん。ーーどくんっ、とゆくりなく発作のように心臓が跳ねる。可愛い仕草にのっぴきならない衝動が込み上げてくるが、くぅっ、竜心だ! 昨晩一緒に寝ていないからといって、み成分ならぬスナ成分欠乏病に罹患している場合ではないっ(ひのこもほのこもこりこりもだいすきなのさ)。

「ーーーー」「「ーーーー」」「わくどきそわっ」「そわどきわくっ。とギッタが言ってます」

 迷っているのだろうか、紙一重の差であるが、ユルシャールさんのほうが若干分が悪いように見えたが、はてさて。……少し頭が緩くなったようなので、今一度引き締める。

「ーーま、引き分けですわね」

 すっと、優雅な動作で、二人の間に手刀を振り下ろす。

「はは、引き分けですが、厳密には私の負けですね。私は致命傷でしたが、呪術師殿は軽傷。土壁の下敷きになったとしても、重傷で済んだでしょうから」「それでも、同時ではあった。奇襲が成ったにも係わらず巻き返された。それに、私が使っている型は祖先が作ったものだ。創意工夫と判断力、さすがはストーフグレフ国、王の腹心の魔法使いだ」

 ん? どういうことだろうか。ユルシャールさんの攻撃が致命傷に至らないのなら、引き分けではなくエルタスの勝ちとなるはずだが。アランの手前、聞くのを躊躇っていると、

「土壁の下敷きでは間に合わず、威力も足りなかったのですわ。倒しながら、土槍、ではなく、土棒、ですわね、土壁から射出して、三度当てたのですわ」

 どうやら愛娘は父親を(おもんぱか)ってくれたようだ、僕同様に理解できなかったらしいフラン姉妹に向けて説明する。然かし、引き分けとはそういうことか。

 うわぁ、ぎりぎりの攻防でそんなことまでしていたのか。魔法が見えれば、と残念に思う気持ちはあるものの、それでも大満足である。んー、スナやコウさんが居れば、いずれ魔法限定の武闘大会を催すことも可能になるかもしれない。竜の国だけでなく、魔法の国として認知させるには、最適解ではないだろうか。などと仔竜の夢風的な幸炎竜風(ほやほやみふふん)でぽっかぽかになっていると、(ほうき)やシャベルを持ったミニレムがぞろぞろと遣って来た。

 見ると、石畳を頭上に載せたミニレムがとたとたと。危なっかしいようで、そうでもない? いや、彼らの頭の天辺は真っ平らだけど、小宰相(ミク)(ミニクーだと語呂が悪いので、略しました)のような個体もいるわけだしーーって、あれ? 頭にくっ付いているのか、石畳がまったく揺れていない。然し、魔力はまったく感じられない。もしかして、この六六六と額に刻まれたミニレムは、魔法を行使しているのだろうか。壁を走ったり水の上を歩いたり(何度か見掛けた)するミニレムが居ることから魔力操作を行っている個体の存在は認知していたが、到頭魔法人形魔法使い(ミニレマンサー)が、いや、魔法使い人形(ミニスター)、でもなく、う~ん、造語はいまいちだが諦めることなかれ、竜にも角にも願望を込めて「魔導人形(ミニマル)」とでもしておくか。はぁ、ミニレムまで厄介の種には、これ以上なって欲しくないのだが。

「「「「「…………」」」」」

 脅威が遣って来た。いや、別に驚異でも強意でもいいのだが、滑稽、と表現するのは可哀想なので、適度に言葉を繰ってみる。見ると、ギルースさんだけでなく、ザーツネルさんも居た。「結界」に気付いたらしいギルースさんは、抜剣して駆け出す。威力を増す為だろうか、てやっ、と跳躍して、どりゃっ‼ と渾身の一撃。

 ぱきぃーーん。

 実際には、ぼぎん、って感じだったんだけど、長剣が根元から折れました。呆然と、わなわなと(ひざまず)いたエルネアの剣隊の隊長が、ぼっかん、いや、ぽっかん、にしておこう。

「ぎぃぃやぁぁぁっっ、相棒がっ、村出てからずっと、親友って感じで一緒だったったぁ、片時も離れることなかったってくらいの愛剣がぁ、ぽっきりぃご臨終ぅあそばされたぁ~~っ。隊長さんっ、隊長さんっ、泣いちゃうよぉ~~っっ‼」

 ……せからしい。皆の視線が下を向く。あと、「結界」を拡げて二人を取り込んだようだ。色々面倒になったらしい、「幻覚」を解法したスナが、すなすなすな、もといすたすたすた。ギルースさんが驚いて、その数倍、声も出ないくらいに双子がぶったまげていた。

「……氷竜…様…?」「竜の国仔竜(うるさ)いですわ。これを呉れてやるから、黙るですわ」

 「転送」で出現したらしい、深き純白の心象がある長剣をギルースさんに、ぽいっ、と投げ渡す。魔法剣? いや、魔力剣ーーだろうか。ふと、僕の居室の隣、スナの料理部屋で、布が掛けられてこんもりとしていた謎塊が脳裏を(よぎ)る。強ぇ武器使やぁ使んほど、強くなるっつぅ、ぐるんぐるんしてん魔力ってわけだ。夜の鍛錬での、エンさんの言葉が思い出される。(スナ)(ちゃん)(ソード)を手にしたギルースさんは、感激に目を潤ませると。

「うわぁ~~ぉ、隊長さんは、宝剣ヴァレイスナ、を手に入れた」「……え? 竜娘(スナ)がヴァレイスナだって、知ってたんですか?」「うん? てきとー、に言っただけだが?」

 えー。何だか怒りが湧いてくるが、我慢我慢(ぼっかんきんし)。竜の国の近くにヴァレイスナ連峰があるから、剣にも適当に、もとい思い付きで言ってみただけ、ということだろうか。

 扱いに難渋するギルースさんに再度声を掛けようとしたところで、遣って来たザーツネルさんが竜の(しんじつ)を突き刺す(ばくろする)。

「その折れた剣って、一巡り前に買った新品のやつじゃないか? 他の隊長副隊長(おれたち)に自慢してたやつ」

 直後、ぱんっ、とスナの魔力のようだ、ギルースさんの手が弾かれて、宝剣ヴァレイスナが愛娘の手に戻ってくる。

「ザーツネル。父様がお世話になってますわ。政務に携わるオルエルは使わないでしょうから、あなたに上げるのですわ」

 宝剣を、ひょいっ、とギルースさん越しに(ほう)るスナ。

「っ⁇ っ¿?」

 ここで竜外な(とんでもない)行動を取るギルースさん。魔力を用いたのだろう、膝立ちの状態から大跳躍、ぱしっ、と宝剣を手にすると、お宝を胸に掻き抱いて懇願みたいな吐露を早口で行う。

「俺は一番強いってわけじゃないし、頭なんかオルエルどころかずっと下だ。なんか気付いたら団長とかやってたけど、俺なんかでいいのかなぁ、とかずっと思ってたりなんかしちゃってたんだ。っそーゆーわけでっ、隊長っての、示すってえか特別ってえかいい感じのやつってのが欲しかったりする周期頃なんですぅ~~、どうかどうかお慈悲を~~っ」

 宝剣をお腹の下に、ファタ考案の土下寝で必死なギルースさん。

「ヴァレイスナ様ーー」「ザーツネルもスナと呼んで良いーー、いいえ、保留にしますわ。折角力を貸してやったのに、失敗したザーツネルには『おしおき』が必要ですわ」

 ザーツネルさんが翠緑宮に居室を持っている理由の一つ。スナの力を借りながら、人生の重要な場面で失敗したのだから仕方がない。まぁ、その後は大成功だったので、人生の宝を手に入れた彼には、宝剣は必要なかったらしい。

「あー、可哀想なので、宝剣はギルース殿に下賜(かし)していただけませんか、ヴァレイスナ様」

「うんうんっ、そうっ、団長さん可哀想! うんっうんっ!」「……勝手にするですわ」

 呆れた氷竜は、どうでもよくなったのか、ギルースさんを無視してザーツネルさんの許に。彼の鞘をぱんっと叩くと、「浮遊」で僕の胸にふよふよ~と戻ってくる。

「加護、くらいは呉れてやるのですわ。研究中の付与魔法で、魔力を込めれば幾つかの効果を発揮するのですわ。あの娘が、壊れない剣にした魔法の応用みたいなものですわ」

 試しに剣を抜こうとしたザーツネルさんだが、ここで、自分たちが何をしに遣って来たのかを思い出して、スナに要請する。

「ヴァレイスナ様。『結界』を解いて、ではなく、『結界』はそのままで、グロウ様からの『遠見』が届くようにお願いします」

 周囲を見て、内密の話だと、前言を翻す。発生源の東域に、世界魔法水準の行使となれば、やはりただ事ではないらしい。

 今すぐ、どうこうなるものではない。スナはそう言っていたが、老師が至急連絡を取ろうとするとなると、実際にはどうなのだろう。スナが魔法を操作したらしい、「結界」の中に「遠観」の「窓」が開いて、落ち着いた老師の姿が映し出される。

「ストーフグレフ王とグリネット卿にも炎竜の間にお越し頂きたい。ーーそれ以外は全員参集。拒むようなら竜の国より追放する」

 竜の国勢を見回して、厳命する。フラン姉妹や呪術師(エルタス)までとなると、如何様な事態となっているのか。それから正面を向いた老師が言葉を継ぐ。

「急ぐ必要はない。君たちの到着後、事情説明を始める」

 一見すると冷静そうに見えるが、気忙(きぜわ)しい心中を隠しているのだろうか。本当に必要なことだけ伝えると、開いたときと同様に、唐突に「窓」がふっと閉じた。コウさんの魔力を使っていないとなると、彼女に何かあったのは確実なようだ。

 火急となれば氷竜(スナ)にお願いするところだが。枢要を集めている最中であるなら、一緒に行くのは当然という雰囲気のアランと、諦め顔のユルシャールさんとともに、乗合馬車で行くとしよう。然てこそ宝剣を手に入れて、ほくほく顔のギルースさんを先頭に、はぁ、まだ何が起こったかわからないからうきうきな隊長(おばかさん)でもいいのだが、大路まで一行はのんびりと歩いて行くのだった。



「侍従長が到着したので始めます。爾今(じこん)は別室に待機していただき、後に説明を行います」

 ぱたり、と扉が閉められる。

 到着したのは一行の全員、ではなく、翠緑宮に到着後、何処かに飛んでいってしまったスナ以外の八人である。六割以上ーー、七割は、居ないか。竜官では、竜の都以外に居ることも多いグレンパスさんとベッテルさんが遅参。竜騎士隊長では、サシスの姿がない。珍事、と言ったら怒られるだろうか、シアの横にシーソがいた。あとは、一応魔法団隊長なので、シャレンもいる。魔法団隊長が一堂に会するのは初めてかもしれない。

 見ると、エンさんとクーさんは普段通りのようだが、表情にわずかな苦さが混じっている。長寿の、「ハイエルフ」の知恵を借りたいのだろうか、ベルさんがエンさんの後ろに、目立たないようにしているのか、目を閉じて置物になっている。然こそ言え、老師の隣で、彼も目立つので、どうしたって注目を集めてしまう。僕とアランに向けられる視線と、半々といったところか。然ても、皆所定の位置に、老師が前に出て此度(こたび)の一件を説明する。

「翠緑王は、とある研究をしていました。装置の魔力を安定させる為、先ずは自身の内側で試み、成功しました。ですが、これが不味かった。東域で強大な魔力が発生したのですが、この度伝えたように、慌てる必要はなかった。然し、余程嬉しく記憶に残っていたのか、翠緑王は昨日成功した魔法を咄嗟に行使してしまいました」

 装置、というのは恐らく、魔力炉に関係したものだろう。あの意固地娘(まほうつかい)は、スナに注意というか忠告されたのに、研究を続行して、何やら成功させてしまったらしい。

「結果、世界の魔力は安定しました。先に、装置、と言いましたが、翠緑王は現在、世界の魔力を安定させる為の装置の役割を担っています。体系(システム)の一部として組み込まれています。この魔法は侍従長が解くことが出来ます。ですが、このまま解いてしまうと、事態が推移した今、何が起こるかわかりません。現在最良と思われるのは、この一件を解決ーー東域で発生した魔力に相応の対処を行った後に、翠緑王を目覚めさせるというものです」

 深刻な事態ではあるようだが、「千竜賛歌」のときのような桎梏(しっこく)がコウさんに降り掛かったのではないと知って、先ずは一安心。然し、魔法を無効化できる僕がいたからいいものの、一歩間違えば、永遠に目覚めない眠り姫になっていたかもしれないのだ。目覚めたら「おしおき」だな、と言いたいところだが、彼女の選択を責めるのは酷というものだろう。最良ではないようだが、彼女は彼女にしか出来ないことを(まっと)うしてみせた。

 世界を救わなければならない義務などコウさんにはない。力があるというだけで押し付けて、責任を問おうとするのは、傲慢、いやさ、自らの無力を飲み込めない矮小な者の代償行為だ。然あれど、この一件は慎重に取り扱わなくてはならない。情報を流失させず、然し過度の隠蔽はせず、各国の干渉を防ぎつつ、ときに協力を仰ぐこともーー。

 ふぅ、全く(もっ)て、ややこしいことになっているようだ。いや、言葉の上だけなら簡単だ。解決して、コウさんを起こして、やっぱり「おしおき」はするということで。それでめでたしめでたし。然あらじ、はぁ、一番の問題は、規模が大き過ぎる、ということだ。世界という想像も及ばない範疇で起こっている魔力異常ーーなのだろうか、端倪(たんげい)すべからざる事態。コウさん抜きで、僕たちに対処が可能なのか予測も付かない。

 (なまじ)っか手を出して被害を拡大させるより、多少の損害は被るかもしれないが、コウさんを起こしたほうがいいのではないだろうか。う~む、今は手段の一つと考えておこう。

「目覚めせる、と仰いましたが、フィア様は眠っておられるのでしょうか?」「眠っているーーそれが適切な表現だと思います。装置、と言いましたが、わかり易い言い方をするなら、部品、です。部品が勝手に動けば困るし、意思を持っているのも厄介です。心象が作用したのか、正しく装置を機能させる為に、世界の部品として役割を果たしています」

 オルエルさんの質問に、小難しい答えを返す老師。いや、皆に理解できるよう、これでも噛み砕いて話しているのだろう。あとで詳しく聞く必要があるようだ。細かいことは措いて、先ず経緯だけを説明しているらしい。

「老師。期限は、どのくらいですか?」「一星巡りは問題ない」

 僕の問いを、正しく理解した老師の答え。「騒乱」のときもそうであったように、老師は今、コウさんの代役を務めている。竜の国は、コウさんの魔力ありきで回っている。緊急事態に備えて、一星巡り分の魔力を地下にある魔石に貯蔵してある、と以前に聞いた。

 老師の寿命は残り少ない。コウさんの代役は、重荷に、寿命を削ることになるかもしれない。問題を解決して、コウさんが目覚めたとき、すでに老師が命脈を使い果たしていた、などということになったら、彼女に合わせる顔がない。

 老師は、東域に、エタルキアに赴いたほうが良い、と判断したようだ。まだ自分は大丈夫だと、哀しいことにはならないと、誰の所為にもしないとーー。困ったことに、それに(あらが)うだけのものは僕にはない。甚大な魔力を具えて生まれてきたコウさんを、老師は命懸けで救った。そんな彼が決めたことなら、と安易に選んでしまいたくなるが。

 それでも何かを拠り所としなければならないのなら。老師を信じて、いや、(たま)には師匠の顔を立てるとしよう。

「東から魔力を感じます。先ほど連絡を取りましたが、暗黒竜の魔法使いたちも、その正体に迫れる者はいないようです。東でいったい、何が起こり、何が生じたのでしょうか」

 魔力や魔法に関してだからだろうか、珍しくまほまほが積極的に発言する。

「私にも、何か、としかわかりません。ーーストーフグレフ王は、如何(いかが)思われますか」

「ふむ。生じたあと、一瞬だったが、淡銀の魔力を感じ取った。あの魔力の感触は、人のものだ。翠緑王に匹敵し得る魔力量を具えた者が生まれ落ちたのだろう」

 感嘆措()(あた)わずといった気配が伝わってくるが、アランが相手なので皆沈黙を守っている。老師がアランを招請(しょうせい)した理由の一つ。真に重要なのは、もう一つ、他にあるのだが、それは後回しに。今は、アランの言葉を咀嚼(そしゃく)する。

 アランが感じたというのなら、魔力の発生源が人であるのは間違いないだろう。僕はもう、この部分でアランを疑っていない。故に、可能性を探る。

 生命の隙間は生命が埋める。クーさんの、いや、老師の言葉か。スナも言っていた。魔力にも似たような性質があると。であるなら、この世界に二人目のコウさんが生まれ落ちるとは思えない。この世界には、それだけの余地はないだろう。コウさんが生まれてから、世界の魔力量が劇的に増えた、などという話は聞いたことがない。だが、結果があるということは、原因があるということ。それでも生じたというなら、他に何か絡繰(からく)りがあるということだ。魔力量も、人であるということも確定しているとするなら、あとはーー。

 老師はどう考えているのだろうか、とちらと窺うと、ーーあ。

「リシェは、どう思う」

 答えらしきものに辿り着いた瞬間、僕の背後にいるアランに尋ねられる。

 心臓が軋んで、痛みを覚えるような安堵感。ぎりぎりだった。アランを失望させずに済む。くはぁ……、今回は間に合ったが、でも、こんなこといつまでも続くはずがない。

「はい。それには、先ず許可を得る必要があります。ーーサンとギッタ。スーラカイアの双子について、話してもいいかな?」

 自分たちには関係ないと、竜の巣穴で寝入って(ぼんやりとして)いた二人は、許可を求める僕の言葉で、瞬時に答えに至ったようだ。同時に、四つの目に暗くて鋭い、悪意が閃く。

 謝らなくてはならない。翠緑宮の屋上で盗み聞きした上に、それを利用することをコウさんに。サンとギッタが、スーラカイアの秘密を打ち明けるまでは黙っておくつもりだったのに、それを台無しにしてしまうことをカレンに。上手くやれば、スーラカイアの秘密に触れることなく済んだだろうに、それが出来なかった未熟者(ぼく)のことを双子に。

「おーさまに聞いた?」「おーさまが言い()らした? とギッタが言ってます」

「はは、それは勘違いです。スーラカイアの双子について、フィア様に教えたのは、僕です。二人は知らないでしょうが、フィスキアの暗号に記されていました」

 嘘に嘘を重ねれば、大嘘になるのだろうか。エーリアさんに(さと)されたのに、もう大嘘吐きは決定だろうか。返上しようと、藻掻(もが)いてみようかな、と考えた矢先にこれである。

「月のない夜に気を付けろ」「月のある夜にも気を付けろ。とギッタが言ってます」「おーさまが大変そーだから、侍従長、(めつ)!」「勝手にしやがれ、侍従長、(さつ)! とギッタが言ってます」「ありがとうございます。スーラカイアの秘密を開示します」

 感謝だけは、言葉だけでなく心を籠めて。向き直って、話を始める。

「アランが感じ取ったように、僕も淡銀の風が吹き抜けるのを感じました。そのときはわかりませんでしたが、あの魔力が人のものだと言われてみると、確かに、すとんっと落とし込まれます。ですが、そうであるなら、幾つか疑問が湧いてきました。然し、幸い、と言っていいのか、僕には既出の事柄であったので、すぐに答えに行き着きました。

 以前に、スーラカイアの双子の話をしましたが、(くだん)のスーラカイア国の双子が官と将だったことを覚えているでしょうか。彼らは、官と将として任地は別に、離れ離れになりました。これは恐らく、彼らが望んだことでは、いえ、彼らが望んだのだとしても、止む無くその決断に至ったのでしょう。

 スーラカイアの双子には、「共振」や「同調」といった能力を発現する者があって、(まれ)にですが通常とは比べものにならないくらいの魔力量を具えた双子が生まれます。スーラカイア国の双子も、状況からして、当該の双子で危険視されたのでしょう。

 説明は難しいのですが、この世界には、受け容れられる限界、容量のようなものがあります。恐らくフィア様が二人存在できるだけの余地は、この世界にはないと思われます。

 それを可能にするのが、スーラカイアの双子。フィア様の何十分の一かの魔力量。それだけでもとんでもないのですが、世界にはその程度なら受け容れる余地があったということでしょう。誰かが企んだ可能性もありますが、現実的ではないように思えます。偶然の産物。然し、起こってしまったからには、これを解決させなければなりません」

「そういうわけだね。それでは侍従長、同行者を選ぶように」

 ……は? ……ん? 今この(うさんくさい)師匠(びけい)は何を言いましたか? いや待て、ここは冷静に、慎重に見極めなければならない。背中がぴりぴりと、雷竜にくっ付かれたような感じは、本能が警告を発しているから、のような気がする。ここで間違えると、後々まで影響を及ぼすような、不安さんと不吉さんが仲良く両手で握手している様が、頭にありありと。

「ーーーー」

 ふぅ、初手はアラン。これは間違いない。竜にも角にも、限界まで頭を酷使して、何やらぷすぷす音を立てているような気がしないでもないが、振り向いて、僕と友人になりたい、もといすでに友人である青年には、こうして差し出さなくてはならない。

「アラン。力を貸してくれ」

 貸して欲しい、とか、貸して下さい、とか、中途半端で他人行儀なのは頂けない。友人が困っていたら、助けるのは当たり前。きっと、そんな風に思っているアランは、

「ふむ。心得た」

 口元がむずむずしていらっしゃる。無表情に見えなくもないが、どうやら物凄く喜んでいるようだ。アランの力に鑑みて、彼と腹心の魔法使いの協力は、事態の解決に必須だと思われる。ただ、これでアランが困ったら僕が助けることになるーーいや、止めておこう、未来の不安(あんちくしょう)より未来を明るくする希望(こんちくしょう)の為の同行者選びを優先しなければ。

「うちの王様を野放しには出来ませんし、世界の危機かもしれないとあっては、止めることも敵いません。パープットの奴は、まだ時間が掛かるだろうし、はぁ……」

 お疲れのご様子。然てだに済ませてあげたいが、僕一人では手に余る、どころか竜にも余りそうなアランの補佐と尻拭いをお願いします。

 然てこそアランを招請した、もう一つの理由がこれだ。彼らに助力を仰ぐこと。ストーフグレフ国と、何よりアランの手助けは、王様千人分くらいの価値がある。と、これはさすがに他の王様に失礼か。でも、心情的には、それくらい頼りにしている。成り行きで友人になったが、どうやら僕は、この一風変わった王様のことが好き(きにいっている)らしい。

 老師の手の内で弄ばれているような気がするが、心身への負担がそろそろやばそうなので、知らぬが邪竜。さて、あとは承諾が得易いほうから始めるか。

「ベルモットスタイナー殿」「わかっている。この地に住まわせて貰った恩を返そう。何より、世界の危機とあっては見過ごせぬ」「呪術の知識が必要になるかもしれないので、エルタスさん」「このような時期に御方様の側から離れることなどーー」「東域まで運んで貰えるよう百竜に頼むつもりです」「喜んで引き受けよう」

 ここまでは予定通り。これで二人が連れ合いに決定。東域では何があるかわからない。幅広く選択肢をとれるような構成にしたい。それ故の最後の関門。ここは脅しではなく、彼女たち自身で決めて欲しいのだが。いや、ただ、その前に、カレンとかエンさんとかの期待の眼差しが突き刺さってくるので、そちらから対処することにする。

「今回重要なのは、魔力の発生源である東域と、魔力を安定させる為に役割を果たしているフィア様です。この機に乗じてーーなどという輩は現れないと思いますが、フィア様の守りを薄くするわけにはいきません。エンさんとクーさんを中心に万全の態勢を敷いて下さい。あと、カレンは駄目」「っ、ランル・リシェ! 何ですかっ、そのおざなりな対応は!」「大人数は連れて行けないので、当然竜騎士もお留守番です」

 今回はアランが居るので、〝目〟であるカレンに振るのは控える。まぁ、それだけでなく、僕が離れるのだから、部下も出来たわけだし、彼女まで抜けさせるわけにはいかない。

 然のみやは今回鍵となるかもしれない双子に要請、いやさ、お願いをする。

「最後に、サンとギッタ。スーラカイアの双子である二人でないとわからないことがあるかもしれない。恐らく、遠征には危険が伴う。だから、断ってくれて構わない」

「…………」「……。とギッタが言ってません」

 ああ、同じ顔で、同じ瞳で僕を睨んでいる。姉妹は、悩んでいる風には見えない。ただ、足りないだけかもしれない。時間が、想いを形作る欠片(かけら)が、選び取る為の経験が。

 二人の同意を得る為に、カレンを出しに使うことはしない。

 僕の趣意を酌み取ったカレンは、自分を慕ってくれている少女たちを、不純物のない泉のような澄明さで見詰めている。

 スーラカイアに言及したときから、声が掛かると、(なか)ば予想していたはず。スーラカイアの双子だからといって、発生源となっている双子を助けなければいけない、そんな義理も義務もない。運命でも何でもない、ただの偶然。でも、偶然の積み重ねがなければ、絆が育まれることはない。すべての係わりを否定することは、今の自分を否定することに繋がる。隠れ里で、魔獣の生贄に捧げられる為に閉じ込められていた彼女たち。カレンと出逢い、竜の国に遣って来たけれど、カレンや魔法、魔工技術といった狭い範囲から飛び立って、交流を広めるようなことはしなかった。僕が嘗てそうだったように、二人は敷かれた、与えられた道を歩かされて、歩いているだけだった。今回も僕が選択肢を用意した。でも、きっとこの道の先には、いずれ彼女たちが飛び立てるようになるだけの何かがあるような、そんな気がするのだ。

 炎竜の間が静まり返る。二人に視線が集まらないよう老師が手を振って誘導するが、サンとギッタは、それどころではないらしい。これは、考えて、惟ているのだろうか、二人同時に頭を抱えて、重たい物でも乗せたかのように、だんだんと下がっていって、

「あー、うー、もーっ、わけわからんちん! 何だかよくわからなくて気持ち悪いから、行ってやらぁーーっ‼」「ぎゃー、ぶぉー、べぇーっ、とんちんかんちん! 何だか背中が痒くなって仕方がないから、れっつらごーーっ‼ とギッタが言ってます」

 爆発(どっかん)した。あー、これは、一時の勢いで決めて欲しくないんだけどなぁ。出発の為の準備が必要だし、今決めて欲しかったのは確かなんだけど。拙速に過ぎただろうか。

 良く言えば直感だろうか。正面の(いやちこ)とばかりにふんぞり返ってしまった双子に、もはや何を言っても無駄か。然あらば出発までにカレン成分(げんきのみなもと)を十分に補給してもらおう。

「ーー?」

 ん? 何だろう、スナのときほど、はっきりとはしないけど、扉の向こうに熱が、近付くようで遠ざかるような、もどかしい気配、というよりは感触や心地に似たあやふやな。

 不確かなのに、確実にわかるという不可思議な感覚が伝えるのは、炎竜の存在(いろづくほのお)

 空の玉座の左手側、奥の扉から、薄闇に灯るように姿を現す。しょげたみー、ではなく、憂いを散らした百竜。「飛翔」で緩やかに、若草色の外套とリボンを沈黙の風に馴染ませて、気付けば、主なき席を埋めていた。

 玉座で足を組んで、肘掛けに右肘を、軽く傾いで右の拳に頬を付けて。自然体の百竜に、王者の威厳に打たれたのか、炎竜の魂に言葉(まき)()べる者はいなかった。

何時(いつ)まで経っても泣き止まぬ故な、我の内で眠っておる。我が友の有り様に感ずるところがあったのか、此度の件が片付くまで我が表に出るとしよう」

 風薫(かお)るような百竜の微熱を、息吹(ことば)を享けて、仔竜の傷心に思いを致した枢要たちは、身も心も焼き尽くさんばかりに(たましいのそこからかいふくをねがって)、みーに炎を投げ渡す。

「うぅ、お(いたわ)しや、みー様!」「代われるものなら代わって差し上げたいっ」「みー様の為っ、姫様の為っ、命懸けでお守りする所存!」「うぐぉお~、みー様ぁ~~っ‼」

 皆の炎火(えんか)を、みーに届けた百竜が顔を上げて、ふわり、と綻ぶ。

「「「「「…………」」」」」

 咲いた炎に、竜の微笑みを向けられて、花を()でる以外に何ができよう。心からの、いや、魂からの応えだろうか、情景(おと)が奏でられる、名残のようで痕跡のようで、罅割れた触れられない場所から、呼び掛けに似た、呱々(ここ)の声のようなーー。

「主よ、エタルキアに行くのであろう。我が力を貸してやらぬでもない」「えっと、ありがとう百竜」「お礼、だけか? 我にも『ご褒美』とやらをくれても罰は当たらぬとーー」

 勝手に動き出してしまった僕の足。心付いて言葉を切る百竜。

「……っ」

 ……どうしよう。何も思い浮かばない。玉座との距離は短い。僕は考えることを諦めることにした。僕とスナとは違う、僕と百竜の関係。まだ薄いそれに、心を委ねてみよう。

「ーーーー」「ーー、……っ」

 焚き火の炎の、()ぜる音は記憶(やさしさ)(うち)に。触れた熱が透過する。求めても、振り返ってもいけない。遙かなところから生まれた温もり(なつかしさ)に。誰も(みな)がその答えを知っているのだから。

 自然と、いや、炎の優しさが僕を微笑ませていた。そうでなくとも、笑みが浮かんでいただろう。掌に伝わる、まるで触れていないかのような、繊細で熱い感触。

 ああ、そういえば。希求というか悲願というか、百竜(みー)のほよほよの炎髪に初めて触れることが出来た。スナの氷髪の感触に慣れていなければ、魂ごと奪われていたかもしれない。

「ぅっ、……なゅん…っっ⁇」

 謎言語、或いは謎悲鳴を発した百竜は、こちらも自然と体が反応したのだろう、僕から離れようとして、玉座から転げ落ちそうになって。魔法を使ったのか、足から着地したものの、体勢を崩したところでシアに後ろから支えられる。

「お~い、竜~。ちゃんと言っといたほーがいーと思ぉぞ~」

 僕の後ろから、間延びしたエンさんの声が届く。

「……『千竜王』と同じ微笑みを向けられたのだ。心が(うず)いたとて仕方があるまい」

 穏やかな炎の色に染まる百竜の(かんばせ)。然し、百竜の内側の熱は、留まることを知らず、果てなく魂を焦がす。千年の離別を経たような、嬉しいはずなのに泣き顔のような炎竜に、魂からの焦がれのように、再び足が勝手に動き出しそうになってーー、

 どばんっ。

 竜が入ってきた扉から、またまた竜が現れる。最初っから、冷え冷え~、である。ゆくりない闖入者(ちんにゅうしゃ)に、枢要たちの半分くらいがぽかんと口を開けている中、僕の横まで遣って来た、レイではなくスナは、ひらひらしたスカートの(すそ)をつまんで、可憐に、上品に挨拶をする。正確に作法に則っていないのは、竜としての矜持(きょうじ)だろうか。

「私はラールの娘で、スナと申しますわ。皆さま、父様ともども可愛がってください、ですわ」「「「「「っ」」」」」「「「「「!」」」」」「「「「「⁉」」」」」「「「「「っ‼」」」」」「「「「「…………」」」」」

 極上の笑顔である。内心では、極氷の笑顔かもしれないが、今は対応策を考えることを優先しなければならない。然し、氷竜は尻尾を捕まえさせてくれず、どんどん先に行ってしまう。百竜とカレンが反応しそうになって、クーさんが先手を打ってくれる。

「ラール、とは、リシェのことで間違いない?」

 然し、それはスナの望んだ合いの手であったようで。くすすっ、と隠し事をしている娘の愛らしさを演出してから、枢要の半分以上がでれっとした情けない顔、って、今は居回りの確認をしている場合ではなくてっ。以前にせがまれて僕が上げた、三枚の内の最後の誓いの木(一枚はコウさん。もう一枚はカレンが所有)を取り出すと、「遠観」の「窓」が誓いの木を大きく映し出す。老師を見遣ると、彼は首を振った。然らば「遠観」はスナの魔法。というか、「窓」で拡大された誓いの木の裏には何も書いていないのだが。

「ラールと、父様の真名(まな)が刻んであるのは、三枚の内の一枚だけ。本物の誓いの木以外の、二枚の予備には何も刻まれていないのですわ」

 スナが持っている誓いの木を見たが、ラールという僕の真名らしい言葉は書かれていなかった。つまり、僕への対策を施した「幻覚」ではないということか。コウさんも難儀していたが、スナでも一朝一夕にはいかないらしい。隣でカレンが誓いの木を取り出して、って、持ち歩いている、いや、そうじゃなくて、彼女は裏を確認するが、当然真名など刻まれているはずはなく。いやいや、僕を睨んでも事実が変わることなんてないんだから、これ以上ややこしくしない為に、剣に持っていった手を離してください。

 あっちあち~な百竜まで、何だかのっぴきならないぺけぺけな感じになっていると、

「熾火が東域に行くのなら、その間は私が王様をしてあげるのですわ」

 ひえっひえ~なスナが、ぴょんっと玉座に座って、楽しげに足をぷらんぷらんっぷらんぷらんっ。王様と甲乙付けがたいぷらぷら具合、って、くぅ、駄目だ、僕、立て直せ!

「氷竜隊」「……っ、はっ!」「私の直轄(ちょっかつ)にしますわ。連峰の氷姫ーー氷竜ヴァレイスナを幻滅、失望させない程度には働くのですわ」「氷竜隊一同、全力を尽くします」

 僕が思い付きで言った、連峰の氷姫、という言葉、というか異称が気に入ったのだろうか。然ても、一瞬で立て直した氷竜隊隊長のクローフさんが落ち着いて応える。

 出来ることしかやらない男。彼はそう評されている。城街地に居た頃から、部下の自主性に任せて、彼自身は後ろでどんっと構えて、失敗の責任は自分が取る。下手すると、部隊があっさりと瓦解(がかい)し兼ねない遣り方だが、未だ問題が起こっていないということは、ファタ水準で人の扱い方が上手いのかもしれない。

「クー。こっちにくるですわ」「ーーーー」

 スナが手招きすると、警戒はしていないようだが、心持ち緩やかだった彼女の歩みが、

「父様が出掛けている間は、私が一緒に寝てやりますわ。耳を貸すのですわ」

 すちゃ、と一瞬で距離を詰めて、耳を差し出す。クーさんへの耳語に、聞き耳を立ててみるが、魔力を用いているのだろうか、みーの寝息よりも微かな音で、聞き取れない。

「よろこんでっっ?」

 魔力全開。竜速(ちょっぱや)で、どばんっ、と正面の両開きの扉を撥ね飛ばすようにして、いずこかへと立ち去っていく宰相。いや、まだ終わっていないのだから、あー、いやいや、大丈夫なのか、スナが王様なら、勅令(ちょくれい)ということに。などとそんなことを考えていたらーー。

 むちゅっ。

「…………」「ーーーー」「…………」「ーーーー」「…………」「ーーーー」「…………」

 竜にも角にも、長いな、と思った。次いで、近いな、と思った。

 普通、こんなに長かったっけ、といまいち働いてくれない頭が言葉を吐き出したが。口が塞がっているので、というか、スナはいつの間に僕の許に来たのだろう。

 ぴちゃ。

 いや、そんな音はしなかったような気がするが。(えぐ)られるほどの喪失感が、音を立てて渦巻いているようで、スナは離れたのに、スナは今も僕の内に繋がっていてーー。

 昨日の「炎氷作戦」で、愛娘ははっきりと言葉にしていた。

 初めては父様に上げるのですわ!

 そうだった、僕の娘は有言実行の、ひゃっこいな氷竜だった。

「なっ、ななっ、な、何をしているのですかっ、あなたたちはーーっっ⁈」

 見ると、抜剣しようとして、氷に覆われていて、叶わないカレンがいて。そのカレンの両脇を抱えてフラン姉妹が、シアを引き摺ったシーソが全力で待避。

「「「「「っ⁉」」」」」

 百竜が燃えていた。属性なのか魔法なのかはわからないが、極炎というか至炎みたいな極まり過ぎた、赤過ぎて黒にも見える炎を纏っていた。

 枢要が両端の壁まで逸走(いっそう)。アランとユルシャールさんは、いつの間にか撤退完竜。エルタスやまほまほが魔法を行使したようだが、あまり効果はないようだ。となると、熱波を抑え込んでいるのは老師だろうか。

「ーーーー」

 開いた口を閉じようとして、上唇と下唇を触れ合わせてはいけないような衝動が込み上げて。確認しようと、口に持っていこうとした手も下ろす。ああ、突然のことで、心も体も吃驚して、感触を覚えていない。思い出そうと試みてみるが、残念ながら、もったいないことに。くっ付いていた、という事実しか頭の中になかった。

「父娘の挨拶ですわ。そんなこともわからないなんて、小娘は、相も変わらず、小娘のままですわね」

 見ると、百竜を無視して、カレンをからかう竜娘。

「あら、父様は初めてだったですわ?」

 僕を見上げて聞いてくるので、素直にこくりと頷く。

「でしたら、何も問題はないのですわ。私も初めてだったので、お相子(あいこ)、ですわ」

 むふふー、と得意気なスナのお顔。

「……っ、ーーっ」

 またぞろ溢れるーーっ、ぐぅわあぁ、これは、無理だ! 僕一人では現況を正しく理解、対処することなんて到底できない! もうっ、もう誰でもいいので僕を助けて下さいっ‼

「はぁ、枢要の皆様、解散という名の待避をお願いします。竜官には、個別に弊害の幾つかについて協議するので、翠緑王の執務室までいらしてください」

 あ、老師があっさりと僕を見捨てた。師匠として何かしてくれる気はないらしい。

 あ、カレンが魔具の投げナイフを構えている。というか投げた。

 うわぁ、放たれたスナの氷針とがりがりと遣り合っている。氷が削れていって、面倒そうに、氷塊をナイフの上に落とすと、下敷きになる。エンさんが百竜の味方をしようとするも、スナに睨まれて、直感的に悟ったらしい(こおりはとってもつめたいから)、命を大事に(にげまくり)。

 もう物理的に引き離すしかないと、スナを抱えて僕の本領、遁走こいたのだった(すたこらさっさー)。



 百竜は北の洞窟へ。翌朝まで、竜の残り香で一泊する必要があるとかで、炎竜氷竜を何とか仲裁して。スナが王様をやる気になっていたので、クローフさんに預けてきた。きっと氷竜隊の皆さんは扱き使われるだろう。今から彼らの奮闘を祈っておく。まぁ、一番の懸念は、王様(スナ)侍従次長(カレン)。今日は()だしも、明日からは頭の痛い問題である。

 人伝(ひとづて)に聞いただけで、コウさんの状態を確認することは出来なかった。魔法は、というか、機能として発動している魔力は、居室を含めた周辺にまで及んでいるらしく、僕の特性の然らしめるところ、接近禁止命令を下されてしまった。

 アランには、竜札を二枚渡しておいた。本日巡る予定だった見学先で、僕が居なくても問題ない場所に印を付けておいた。僕以外の誰かを付けようかと思案したが、アラン相手の案内ができなくても無理からぬと、幾人か脳裏に浮かんだ候補は全員却下。申し訳ないが二人で巡ってもらうことにした。

 僕はといえば、しばらく竜の国を離れることになるので、仕事の引き継ぎである。最初っから最後まで、カレンのひゃっこいな(さついの)視線に耐えながら、何とか完遂しました。

 (あわ)ただしく準備に追われて、買い出し、荷物を纏めて、装備の確認、他にも東域で役立つかもしれないと竜の国の特産品や竜酒、老師から各種薬を貰っておいた。最後に、オルエルさんとザーツネルさんの忠告や助言(アドバイス)で要不要、取捨を行う。さすが先達の冒険者だけあって、現地調達を考慮した上で、無駄を省いてくれる。一応、筆頭竜官に用意してもらったグリングロウ国の親書を入れて完竜。ーーもう夜です。出発は明日ではなく、明後日にすれば良かったと、後悔しても後の祭り竜の祭り。

 たしったしっ。

 寝床に座って、右側を叩く愛娘。ご飯の前に何かするのだろうか、僕が横に腰掛けると、「転送」だろうか、両手でお盆でも持つような仕草をして。躊躇った竜娘が立ち上がると、同時に隣の部屋への扉が開いて、「飛翔」であっという間に姿を消して、竜という間に(ちょっぱやで)戻ってきて、僕の右に座るのかと思いきや、直前で曲がって左に。

 スナが両手で持っているのは、不思議なもの。先ず、それが何なのかわからなかった。明度の高い、吸い込まれるような深い、真白を含んだ氷の青。掌の半分くらいの、鱗のようなものが繋ぎ合わされたーーもしかしてこれは、竜鱗鎧? 差し出されたので受け取ると、軽い。僕が以前装備していた革鎧の半分もない。それに、揺すってみても音がしない。

「着てみるですわ」

 これなら服の下に着られるだろうと、制服の上を脱いで、肌着の上に装備してみる。動いたり剣を振る動作をしたり、色々と試してみたが、これは凄い、まったく動きの妨げにならない。魔法か魔力なのか、激しく動いても静かなものである。となると、あとはーー。

「スナ、お願い」「腹に力を入れるですわ」

 ごっ。とスナの拳がお腹に。三歩、四歩と踏鞴(たたら)を踏むが、打撃というよりは押されたような衝撃で、損傷はない。頑丈なだけでなく、和らげる(クッション)効果もあるようだ。

「父様は、防御が得意。動きの妨げになってしまいそうだったので、袖は造らなかったのですわ」「ありがとう。これが昨晩の、夜なべの成果なのかな?」「……そうですわ」

 照れるように視線を逸らしたスナだが、さすがにこれは僕でもわかる。

「本当に感謝してるから。別に時間が足りなくて、袖を造れなかったことを隠さなくてもいいんだよ?」「ひゃぐぅ」「隣の部屋の、布が掛けられた塊。あれは製作技術を磨く為の、試作品?」「……意外だったのですわ。造る為の知識はあるので、簡単にできるかと思ったら、鱗を二枚も無駄にしたのですわ。あの(のこぎり)とか先程の剣とか、魔法具や魔具を幾つも造って、途中で楽しくなって造り過ぎましたが、ーーこのヴァレイスナが(けん)(さん)までして造ったのですから、大いに、仰け反るくらい感謝すると良いですわ」

 こういうことに慣れていないのだろう、弱み、いや、心のやわらかいところを隠そうとするスナの、可愛らしい一面を堪能したくて、気付かない振りをしようとしたが、うん、駄目だ。やっぱり、もっともっとスナと触れ合おう。スナは左の側面を隠していたので。

 僕は、スナの右から左に移動する。観念したらしい愛娘は、抵抗なく僕に左腕を検分(けんぶん)される。肘の上辺りに傷があった。擦過傷のようなそれを、少し力を入れて撫で撫でする。

「いじめっこな父様ですわ。娘を痛がらせて喜ぶなんて、破廉恥竜ですわ」「うん。スナの気持ち(やさしさ)、受け取っておくね。治そうと思えば治せる。でもスナはそのままにした」「ひゃふ~、願掛けのようなものですわ。自然治癒で治したほうがありがた味があるような気がしたのですわ」「うん。その傷は、僕の為の傷なんだね。嬉しいよ」

 このまま抱き締めて、スナの冷たさに包まれたまま、眠りに就きたい衝動に駆られたが。

 寝床に置かれていた氷竜の手に、僕の手を重ねる。

「もう一つ、あるですわ」「これは、笛?」「竜笛。試作品の一つですわ」「竜笛ってことは、吹いても竜にしか音は聞こえないーー」「っ、今吹いたら駄目ですわ」

 受け取った小指くらい長さの、骨のような物でできた円筒形の先に口を付けようとしたところで愛娘に止められる。どうやら、これは試作品で、完成品ではないらしい。

「強く吹けば、大陸の端に居ても聞こえますわ。私の助けが必要なときは鳴らすのですわ」「となると、スナだけでなく、全竜に聞こえてしまうと。あとは、音が大きいのかな? 或いは不快な音がするとか」「ひゃふ、御守りとして持っていれば良いのですわ」

 乗せていた手を下に回して、指を絡めて、力を抜く。為すがまま、受け取っているスナ。ちぐはぐな氷竜。詮索はしない。まぁ、父親なので心配だけはさせてもらおう。

「「ーーーー」」

 僕と一緒に東域に行くことも出来たスナ。でも、竜の国に残ることを選んだ。老師の負担を軽くする為だろうか。それも理由の一つだろうがーー。

 時間が必要だと思った。スナだけでなく、もしかしたら僕も。スナとは異なる迷いが、僕の内にある。近過ぎると、見えないものがある。思慕のような竜への衝動を抱えたまま、無思慮に、入り込みすぎたのかもしれない。心の余地がなかったのは、僕ではなくてーー。

 答えを探し求めるように瞼を閉じて、僕は触れている氷の囁きに心を委ねた。


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