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竜の国の侍従長  作者: 風結
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二章 王様と侍従長 前半


 若草色の大きな布の中央に赤色の竜ーー炎竜が描かれている。翼を広げたミースガルタンシェアリを、と言いたいところだが、彼の竜は世界に還ったので、対象竜(モチーフ)はみーである。

 国旗が仕上がったので、最も大きなものを炎竜の間の奥に掛ける、ではなく、備え付ける、が今のところ正しい表現となる。大きな国旗をたくさん用意する、そんな余裕はないので、悪く言えば使い回し、良く(?)言えば役割を十分に果たしてもらうこととなる。

 あと、玉座を飾り立てるという案もあったが、竜の国にそぐわないと、王様権限で即刻却下された。ただ、謁見の間があまりにも質素だと、国として軽んじられることもあるので、色彩を凝らして見栄えを良くする必要はあるかもしれない。出来ればお金を掛けずに。

「みー様は、いらっしゃらないんですか?」

 近寄って聞いてみると、玉座で()()った王様が眉を吊り上げる。……どうやら、「やわらかいところ」対策がお気に召さなかった、というか、根に持っているらしい。よくよく観察してみると、常ならず羞恥心過多といった感じなのだが。コウさんも微妙な周期頃であるし、「結婚」は、あと「行き遅れ」とか「竜の化石」とかも禁句としたほうが良さそうだ。「千の陥穽」とか二つ名を付けたくなるくらいに何が起こるか予想の付かない魔法使いである。う~ん、でも「千」だと言い過ぎか、「十」だと少ないし、「百」……ん?

「……、ーー?」

 圧迫感……というより、体の内側に入り込むようなーーまるで熱気か冷気が肌に触れて、その成分だけを抜き取られていくような、名状し難い感覚。居回りの、またか、という呆れと、僕に対する嫌悪が()い交ぜになったような反応。見ると、王様は真っ直ぐ前を向いていた。でも、床に届かない足を、ぷらんぷらんさせていなかったので尋ねてみる。

「あれ? 今、コウさん、魔法を使いましたか?」「……だったら何なのです」「あ、いえ、えっと、魔法を使ったのがわかったのでーー」「む~、そんなのわかって当然なのです。皆の反応と周囲の影響を見れば、一目竜然、みーちゃんも納得のえっへんなのです」

 いや、そういうことではないのだけど、怒りんぼ(ぷんぷんっ)の膨れ面(ぷくぷく~)な王様には、今は何を言っても無駄か。以前は周囲を巻き込む水準の魔法でなければ差し響きはなかったが、閾値(いきち)が低くなったのだろうか。朝からの事例に鑑みるに、「千竜王(これ)」の所為なのは間違いなさそうだが。()てだに終わってくれればいいが、それらを確かめるに足る、注ぎ込めるだけの時間はないのでーー、ああ、そうだった、「千竜王」のことをコウさんに伝えたほうがいいだろうか。ただ、スナの楽しみを奪うことになり兼ねないので、迂闊な言行は控えておかないと。まぁ、顧みるに、失言放言誣言(ふげん)は天こ盛り竜盛り(にちじょうさはんじ)、浮言(ふげん)讒言(ざんげん)……はしていないと自負しているが、どうだったかな? つまり、なるようにしかならない、ということか。

 見澄ますと、老師の「箝口令」発言が効いているのか、声を潜めた会話が多く、裏路地に迷い込んだような印象を抱く。オルエルさんは、出迎えと案内を終えて、参列している。来訪者は控え室で待機しているようだ。風竜の間と顔触れは殆ど変わらず、やはり補佐の幾人かが欠けている。然ればこそ、竜騎士は全員参集である。お客を迎えるのが謁見の間ーー炎竜の間である為、然う然う着る機会のない全身鎧でおめかし、ではなく、格好つけ、と言うのも可哀想か。然て置きて、危惧した通りに完全に儀式用の鎧となってしまった。当然、隊員たちに支給する鎧は全身鎧ではなく、みーの祝福(まりょく)を施した、揃いの品である。コウさんの指導の下、みーの魔力(ぞくせい)をどかんっと叩き込んだので、防御力と魔力耐性が上がったらしい。実際には炎の属性が付与され過ぎて、あとで老師が調整したらしいが。

 近衛隊は、揃いの革鎧にするかケープにするかで迷っているらしい。氷焔の資金が尽きた今、すぐには対応できないので、申し訳ありませんが、もうしばらくそのまま迷っていてください。警備兵に衛兵に、あとミニレムについても考えないと、彼ら全裸だしーー、

 りーん。

 思惟の湖畔(こはん)逍遥(しょうよう)、水面でぷかぷかしようかな、と思ったところで七つ音の鈴が鳴る。

「「「「「……、ーーっ」」」」」

 りんっりんっりんっりんっりりっりりんっりんりりんっりりんりりんりりりりりんっ。 突如、わずかに開いた扉の隙間から、炎竜の間に侵入、もとい進入してきたミニレムたちが、扉の前に整列して、演奏と見紛う快い鈴の音の響きを披露する。

 ミニレムの見た目は寸分違わず同一だが、その振る舞いには違いがーー個性がある。見るから心付く、彼らは王宮内で鈴を鳴らす役目を担ってくれている八体の魔法人形のようだ。もしかして、この日の為に、地下辺りで夜な夜な鍛錬に励んでいたのだろうか。

 りっりっんりんっりりっんりりっんりりりんっりりりんっりりりんっ……りんっっ。

 一際大きな鈴の音で終了(フィニッシュ)。炎竜の間に反響して、染み渡るような余韻を残して。ミニレムたちが、その短い手を胸に当てて、ぺこりっ、とお辞儀する。

 どわぁっ。と拍手喝采竜の息吹である。

 慮外のことだったのか、驚いた後、照れたような反応を見せていたミニレムたちは、右端の一体の遁走を合図に、泡を食って扉から出てゆ、ごがっ、ごと……。

「「「「「っ⁉」」」」」

 ……自分が最後だと思ったのだろうか、七番目に出て行こうとしたミニレムが扉を閉めようとして、八番目の、最後のミニレムが召し合わせ部に直撃(がっちんこ)

「「「「「…………」」」」」

 既視感を覚えたので、仰向けに倒れたミニレムの額の数字を凝視。距離があるのではっきりとは確認できなかったが、僕の居室周辺を担当しているお茶目なミニレムであるようだった。ふぅ、もう「小宰相(ミニクー)」とでも呼んで、いや、語呂が悪いので止めておこう。

 ぐでっとなったミニレムを、わらわらと遣って来たミニレムたちが頭上まで抱え上げて、えっさーほいさー、と運んでいった。まぁ、あのくらいの衝撃、彼らなら大丈夫だろう。

 居た堪れない、というか、決まりが悪い、というか、いや、そこまでではないので、締まりがない、と言おうか、風竜も寝床に帰りそうな空気が漂う中、両開き扉が勢いよく押されて、竜影(みー)、ではなく、人影(こども)が飛び込んできた。

「ようこそ諸君! ()がストーフグレフの『大公爵』っ、カール・クルラである‼」

 踏ん反り返る、という体勢の有用な見本のようだった。シアやガルと同周期にして、これだけ偉そうな態度が取れるのだから、ある意味、舞い踊る天竜(あっぱれ)と言ったところか。

 然てしも突っ込みどころ満載である。小憎らしい面構えではあるが、普通にしていれば、いや、普通にしていても、小生意気、もとい小癪(こしゃく)、いやさ、見様によっては憎めない部分もあるような? まぁ、それも子供でなかったら、エンさんがぶっ飛ばしている類いのものではあるが。

「ストーフグレフ国の……大公爵?」「男爵、の言い間違いか?」「面倒だから摘まみ出しちまおう」「何か意味があるのやも知れん。しばらく様子を見るべきか」「もしかして、子供(これ)、が、お(あれ)?」「むぅ、確かに、ストーフグレフの関係者なら捨て置けぬじゃろう」

 物怖じとは縁のなさそうな少年の登場で、炎竜の間が一気に騒がしくなる。

 正絹だろうか、そこまで詳しくないのでわからないが、服の上等な仕立てから、貴族階級の、いや、彼の名は調べた際に目にしているので言い直そう、少年は王弟ーーアラン・クール・ストーフグレフ王の、弟である。見ると、扉から老人が入ってきて、少年の後ろに(はべ)る。ドゥールナル卿ほどではないが、家令のような格好の老人には、武辺者の風情がある。大国の王弟が一人で行動しているはずはないから、所見通り、護衛も兼ねているのだろう。無表情の老人を従えて、王弟であるところのカールは、有頂天で竜の(ちょうしにのりまくり)である。

「ふはははっ、良いぞ、もっと余を称えよ!」

 然ても然ても、これがカールの地なのだろうか。ストーフグレフ王の王弟が、これほど傲岸(ごうがん)で軽率だとは思えないが、……いや、みーの感想通りの「へんなやつ」の弟なら、自尊心を拗らせたような、こんな性格の子供になってもおかしくはない、のかな?

「クーさん、説明をお願いーー」「侍従長を信任」「エーリアさーー」「侍従長案件だね」

 ……ひどいや。二人とも、即断ですか。駄目元で翠緑王を見てみたが、ぷいっ、とされました。もういいや、知ってること全部吐き出してやろう。「偏屈(へんくつ)作戦」を御覧(ごろう)じよ。

「三度の大乱以外にも、世が乱れたことはありました。大乱に至らなかった中で最大とされているのが、百十周期ほど前の、南を震源とする『大公爵の乱』です。大公爵、というのは、尊称です。そのような爵位はありませんでした。公爵の中の公爵、大きな功績を成した者を、周囲が敬意を込めて呼んでいたわけです。知らない方のほうが多いでしょうが、嘗ては王の兄弟には、公爵や侯爵などの爵位が与えられていました。ですが『大公爵の乱』で起こった醜い権力争いの末に、現在のような、爵位は与えず、重要な役職を与え、その能力や資質を測る、という仕組みになりました。ああ、言い忘れていました。往事、『大公爵』というのは、自称で『王に相応しい者』という意味で使用されていました。そうです、お察しの通り、『大公爵』を僭称(せんしょう)する者があちらこちらに現れました。南方の国々に纏まりがないのは、このときの後遺症であるとも言われています。アラン・クール・ストーフグレフ王には、王兄と王弟が一人ずつ居ます。王兄は(つと)にその名を世に知られていましたが、王弟の名は人口に膾炙していないので、初めて耳朶に触れる方もおられるかもしれません。カール・クルラとは、紛う方なきストーフグレフ王の王弟の名です。王に即位する際、特別な意味合いを持たせる為、名を変じることがあります。カール・クールではなくカール・クルラとなっている理由がそれで、ストーフグレフ王も、戴冠(たいかん)以前はアラン・クルラを名乗っていました。ただ、この大陸では少数で、近隣国では、サーミスールくらいですね。エクリナス・アルスタ・サーミスール王の王妹は、エルナース・アルニスさんです。カール殿は、『大公爵』を自称しておられましたが、先に述べたように、正式に認められたものではありません。役職も与えられていないので、王弟以外の肩書きは今のところ聞こえてきません。ストーフグレフ王は、十歳に届く前から役職を与えられ、大器の片鱗を窺わせていたようです。ただ、早熟(そうじゅく)した才子であった所為か、或いは兄との関係性からか、彼の名が鳴り響くことはありませんでした。王姉が一人、王妹が三人。王兄と、王姉がそれぞれ婚姻、王兄に嫡子(ちゃくし)が一人ーーこれはストーフグレフ王が、自身の後継に王兄の子を据えると明言しているそうです。民の受け止め方は様々ですが、権力争いなどで現在の繁栄が損なわれないのなら王の意思を尊重する、という意見が支配的になっているようです。これは現ストーフグレフ王が若く、譲位はずっと先であるということが下地になっています。カール殿は、現在の継承順位で三位に当たります。不規則になりますが、王兄が子を成すに連れ、順位は下がっていくので、王位を得る目はないと思われます」

次は、ストーフグレフの体制について、微に入り細を穿つ説明をして作戦を完竜としよう。とみーも食べない薄汚れた炎を、頭の中でちろちろ燃やしていると。

(じい)」「はっ」「あの偉そうなのは、何だ?」「はい。あの御仁こそ、アラン様に並び立つと噂される竜の国の侍従長、ランル・リシェ殿とお見受け致します」「……あの貧相なのがか?」「カール様。人は見た目ではございません」「だが、余の愛犬、キシェランよりも腑抜けた顔をしているぞ」「仕方がありません。性格が顔に滲み出ているのでしょう」

 素で無礼な少年と、阿諛追従(あゆついしょう)(?)しているらしい老人、どちらのほうが酷いのだろう。

 まぁ、カールのほうは、気に入らない、という理由だけで反発していそうだが。「偏屈作戦」の成果と言えるが、事実とはいえ、やはり他人を貶すようなことは控えるーーいや、必要なとき以外は控えるよう心掛けるよう努めることにしよう、うん、そうしよう。

「ぷっ……」

 失笑した王様を皮切りに、多くの枢要たちは、僕の勘気(かんき)(こうむ)らない為か、笑いを堪えようとしているが、ああ、いや、枢要たちの多くは僕より地位は上なので、勘気、を用いるのは正しくないか。痛棒(つうぼう)を食らう、或いは邪竜が笑う、などのほうが適切だろうか。

 シャレンとミニレム軍団、若しくは「シャレンと痛快な仲間たち」に連れて行かれた後、しばらく太陽のような朗らかさに陰りがあったが、(たく)まずして僕の「偏屈作戦」が当たったのか、みーも喜び跳ね回る呵呵大笑の竜騎士団団長。因みに、エルネアの剣隊の隊長と補佐、そして老師ーーくっくっくっ、他人を嘲笑ったら、邪竜を笑ったらどうなるか、いずれかの機会に思い知ってもらうことにしよう。

 皆の笑いで砕けた雰囲気の中、カールはずかずかと、絨毯の中央を横行闊歩(おうこうかっぽ)して、一段高くなっている玉座の段差の前で止まるや否や、頭の天辺から足の爪先まで、品定めするように翠緑王をじっくりと眺め遣る。不躾な視線に、ややたじろいだ格好のコウさんのことなどお構いなしに、いや、それすら考慮の対象になっているのかもしれない、概ね満足したようで、びしっ、と指を突き付けて、竜に蹴飛ばされる勢いで宣言する。

「子供っぽい上に、田舎臭くて気品がない。地味で華やかさがないが、我慢できないこともない。ちょっと馬鹿っぽくて、従順(じゅうじゅん)そうなところは悪くない。ーーよしっ、ぎりぎりだが、合格だ! 光栄に思うが良いっ、そなたを余の妃としてやろぉっぶぎゃらあっ⁉」

 どっっごぉーーん。

 どうやら改善が施されたようである。以前は全方位に放出されていたが、方向指定が可能になったようだ。作り笑い、と一見してわかる表情の女の子はーー、

 どっっごぉーーん。どっっごぉーーん。どごどごどっっっぐぉおーーーっん。

 一発では気が済まなかったようで追撃の魔力放出。更に大人気ない王様の攻撃は続く。

「おぎっ、ぎゃぼっ、っごべらっ⁇」「……っ、ーーっ」「「「「「…………」」」」」

 どどごどごどどごどごどごごどんっどっごんどごどどごごどごどごっごっっごんっっ。

「ぃぎゅぁ……。……あぎっ、爺っ、何だ、この凶暴女は⁉ 命令だっ、どうにかしろ!」

 扉まで吹っ飛ばされたカールは、なけなしの虚勢を張って助けを求める。

 老人とは思えない俊敏な動作で、床に伏せて絨毯にしがみ付くことで危機を回避した、家令だか御付きだか教育係だかの男性は、こんなときでも丁重に受け答えをする。

「女性というものは、元来(がんらい)非情なものでございます。私の妻がそうでした。財産目当てで結婚し、すべてを使い果たした後、(ごみ)のように私を捨てました。ええ、わかっております。妻に惚れてしまった、私が愚かなのでしょう。ですが、後悔はありません。私の愛は、畢生(ひっせい)の愛。他の男のものとなった今でも、その想いに変わりはありません。すべては、妻が満足できるだけの、消費し切れないだけの、財産を築くことが出来なかった私の罪ーー」

 ……たぶん、この方は本当に有能なのだろう、命令を遂行、体験談を語ることでコウさんの魔力放出を止めることに成功したのだから。ただ、命令に(かこつ)けて、昔日の鬱憤を晴らしただけのように見えなくもないが。あ~、同様に、伴侶(はんりょ)に捨てられた経験のある、竜官の一人であるグレンパスさんが、傍目(はため)を気にせずはらはらと滂沱(ぼうだ)として涙を流す。

「ぐぉ~~、愛しのクレマンヌよ~っ」「だ~っ、鬱陶しいわっ! 思い出ってのは美化されるもんじゃっ。妄想の中の女としかあっちっち出来ない奴ぁ、人類の敵だと知れ!」

 仲が良いのか悪いのか、朋輩(ほうばい)のベッテルさんが相変わらず歯に衣着せぬ物言いをする。

 ……異性と付き合ったこともない僕では、薮蛇どころか竜の尻尾を踏むことになるかもしれないので、黙りを決め込むことにする。

「ぃ~、余が優しくしてやっているのを良いことに、図に乗りってぇ⁉ っ、……ん?」

 どっ……。

 どっちもどっち、ということで、このままでは話が進まない、というか、話を進めなくてもいいような気がするが、竜にも角にも、コウさんの前に立って魔力放出を塞がせてもらう。コウさんの、禁句に係わる内容なので、おかしなことになる前に介入するが仔炎竜(きち)

「カール殿。付かぬことをお尋ねしますが、妃にするということは、翠緑王をストーフグレフに連れ合って行かれる、ということでしょうか? 今や、翠緑王はグリングロウ国の要石。竜の国の運営に差し障りが、立ち行かなくなってしまいます」「問題ない。あの魔法王(あばずれ)(めと)ったあとは、余が竜の国の王として君臨してやろう。然る後、三寒国と同盟国を制圧、傘下に置き、大陸中央を平らげる。やがて大陸は、世界は余に(ひざまず)き頭を垂れるーー、未だ嘗て誰も成し遂げたことのないっ、永遠の王国(ミースガル)が誕生するのだ!」「ミースガル?」

 恐らくは、ミースガルタンシェアリに(あやか)った造語なのだろう。

 妄想、と一言で切って捨てることが出来ないのが恐ろしい。どこまでわかっているのか、コウさんを篭絡(ろうらく)すれば実際にそれが可能となるかもしれないのだ。まぁ、勿論、篭絡できれば、の話だが。完全に破綻(はたん)していないのは、彼の国の覇王の身内の然らしめるところか。

 あっ、と気付いたときには、コウさんは僕に邪魔されない位置にいて。

 立ち上がり掛けた家令ーーいや、もう面倒だから爺様と呼ぼうーー爺様が再び、伏せ。と同時に、扉が、がちゃ。ほよほよの炎髪がぽっと灯った瞬間ーー。

「ぃっ、よ、余を何と心得がぁあぶっ」「はーう、さんじょーなきゅーじょーなみーちゃんなのだー、はぁふぁ⁉」「えっ? みーちゃん⁉」「「「「「っ⁉」」」」」「「「「「っ⁈」」」」」

 どっっごぉーーん。

 迂闊な王様が気付くも時すでに遅し。カールが吹き飛び、みーを巻き込む。

 魔法の制御が苦手らしいコウさんは、魔力放出についても同様だったらしく、これまでと変わらない威力の一撃を放ってしまった。冷静に対処していれば、魔法でどうにかなっただろうに、こちらも相も変わらず精神的に未熟で甘々な王様である。

「はぴ」

 人と扉に挟まれた竜のような声を発したみーが緩衝材となって、カールは無傷のようだ。デアさんに乗り上げられて擦られても平気、もといすぐに復活したみーなら、こちらも怪我の心配はないだろう。というか、外交問題になり兼ねないので、みーがうっかりカールを傷付けるようなことがなければいいが。まぁ、それを言うなら、相応の理由があるとはいえ、王弟を吹っ飛ばした王様の行いについては何をか言わんやだが。

「っ、何ごとだ、……この柔らかいものは?」「まーう、みーちゃんのぽんぽん、こーとおんなじくらいぷにぷになんだぞー」「竜にも角にも、急ぎ余から離れーーぐふぉぁっ⁈」

 みーを視界に入れたーー刹那、人体で最も重要な部分を打ち抜かれた少年が、澎湃(ほうはい)として溢れた衝動に蹈鞴(たたら)を踏んでみーから離れるも、人生で最も大切であろう瞬間を逃すことなく、竜との対面(だいじなばめん)へと望む。あらゆる重圧と苦悩を打ち払い、一歩一歩、世界の果てに辿り着かんとする英雄の如き歩みにて、仔竜の許にーー。炎竜の手を取って、片膝を突く。

「ーーそなたは美しい。四大竜の輝きすら、そなたの前では塵芥(ちりあくた)に等しい。もはや、世界は輝きを失った。ーー余の嫁になってくれ、……そうではない、そなたは余の嫁に相応しい、そなたは余の嫁になるべきだ、そなたしかおらぬ、今決した、そなたは余の嫁だ!」

「さーう、よめよめ? みーちゃんのよめよめ、こーなんだぞー」

 ーー竜に千回喰われるべき大罪を犯した糞餓鬼(くそがき)、いやさ、ギザマルの(ふん)に相応しい懲罰(ちょうばつ)を五百個ほど考えたところで、今ばかりは頼もしいアディステルの民が、炎竜の真炎の激しさでその身を焦がして、命の有らん限りに躍動せんとする。王弟の危機に、爺様が動こうとして。何故か、立ち上がった場所で、いそいそと身形を整え始める。

「デアよ! この老い()れの命は炎竜様に捧げる故、すべての責任は我が負う! そこな不埒者を成敗せよ‼」「応っ! 長老だけに背負わせぬっ、責の半分は我が(あがな)うっ⁉」

 爺様の意図など捨て置き、障害にならぬと判断したデアさんが、魔力を纏っているようだ、全身鎧をがちゃがちゃさせながらカールに迫って、長大な斧を手にしてーー。

 風が綿毛を飛ばすように、ふわりと纏った魔力を霧散させる。

 どくんっ、と心臓が一際大きく跳ねる。

 立ち尽くすデアさんが、視界から排除される。景色に浮かんだように、それ以外がくすんで、意味を失って、青年に釘付けとなる。里長やドゥールナル卿とも異なる、存在感(いしつ)

 平凡。そんな言葉が浮かんでくるが、佇む青年が纏う異質さ(くうき)が、そのすべてを裏切っていた。僕より背は高いが、それだけ。僕より体格はいいが、それだけ。貧相、と言われることがある僕だが、見る人が見れば、彼もまた、そこに括られてもおかしくはない。

 青年の気配が伝播したように、いや、青年が居ることで確実に染められている。

 これは、慣れの差だったのだろう、太古の、土塊(つちくれ)のような匂いを連想させる、竜の遼遠(りょうえん)から踏み出したのは、カールだった。

「兄上⁉ どうしてこのようなところにっ!」 

 周章狼狽する少年を一顧だにせず、手を握られたままのみーの横を通って、前面に進み出る。今気付いた、といった塩梅(あんばい)でデアさんを見上げて、視線を合わせて。

「ふむ。デア殿、だったか。在るべき場所へ、戻るが良い」

 大きくも小さくもない、耳に転がり込んでくるような声。

 威圧感などまるでない。だのに、あのデアさんが、機を逸したということもあるのだろうが、百竜の命に(ふく)するかのように、無言で氷竜隊の補佐の位置まで戻ってゆく。

「…………」

 冷や汗とか息苦しさとかそういうものを飛び越えて、意識が遠退いていく感覚。

「ーー、……っ」

 ……兄上。然う、カールは、兄上、と言った。うん、それは間違いない。ここで問題となるのは、王弟であるカールには、兄が二人いるということだ。では、彼が王兄?

 はっはっはっ、そんなわけあるわけないじゃないわけが……ごふっ。ーー竜心だ、僕の内には「千竜王(へんなの)」が在るんだから丁度良い。心竜も吃驚な感じで、みーは今日も元気っ(りゅうびより)

 何故だかわからないが、青年がこちらを見ているような気がするが、きっと気の所為だ。

「……っ、ーーっ」

 角は隠れなくてもいいので、尻尾だけは何としても隠さなくては、って、何処かの邪竜さんがとち狂っている場合じゃないっ! うぐっ、不味い、頭が不味やばいっ、……くぅ、頑張れ、僕、がんばりゅー、僕、短いようで充実していたような人生で最大の危機かもしれないが何だか好い感じで悪い感じな経験をそれなりに積んできたんだからあらゆるものを総動員して無事に居室に帰って、スナと一緒に冷え冷えのすなすなだっ(きょうもしあわせないちにちでした)!

「ーーーー」「…………」

 爺様は青年に(うやうや)しく一礼してから、カールの背後に戻る。いつ入ってきたのか、老人と擦れ違ったーー魔法使い? それにしては瀟洒(しょうしゃ)な貴族風の青年が歩み寄って、これはもう認めないといけないのだろう、アラン・クール・ストーフグレフ王の後ろに控える。

 道連れの気配を解したのだろう、僕に向けられていたらしい視線が、正面のコウさんを捉えてーーと思いきや、玉座の右横のシア……を通り越して、更に左へ、

「オルエル、これまでご苦労だった。ストーフグレフ国の宰相が周期を理由に退隠(たいいん)した。予定よりも些か早くなったが、約定通り、我が国の宰相への就任を言祝(ことほ)ごう」

 筆頭竜官で止まると、王様はそんなことを(のたま)った。

 ーーはい? あー、えー、つまり、その、そういうこと?

「そのーー」「くぅっ、オルエル! 大、大、大っ出世じゃないか! 俺は祝う、隊長さん、大威張りの空威張りで友の門出を祝っちゃうぞ‼」「おうっおうっ、副隊長も空の果てまで竜も飛び立てどこまでもって勢いで、皆聞け~っ、今日はオルエルの奢りだ~~‼」

 村を出るときに誓った三人の友情は永遠に不滅だ‼(エルネアの剣隊の隊長と副隊長の真意の代弁者、ランル・リシェ)、と(かまびす)しい御二人。言葉を遮られた格好のオルエルさんは、自身と隊長副隊長(おばかさん)を結んだ線上にストーフグレフ王が居た為、制裁を加えに行くことを躊躇ったようだ。まぁ、その姿から、オルエルさんが竜の国を裏切っていないことがーー、ああ、いや、ちゃんと信じていましたよ? 可能性を吟味するのは一応、侍従長の役割のようなものなので、答えを保留にしておいただけで。と自分への言い訳、もとい信義に(もと)らないことを確認したので、ここは僕が代わりに黙らせるしかないか。ストーフグレフ王の手前、出来れば目立ちたくないのだがーー。

「うちの王様が失礼しました。ただの冗談ですので、お気になさらず」

 柔らかな笑みを浮かべた魔法使い風の青年が、ストーフグレフ王に並んで、ぺこり。

 その物腰に、皆が絆されそうになるが、然こそ言え、収まりがつかない人もいるわけで。然し、青年は織り込み済みであったらしい、空気が緩んだところで説明を始める。

「御覧の通り、王様は無愛想です。それはもう凄まじいもので、幼少の(みぎり)、そこに居るだけで婚儀を葬儀に変えてしまうと、その扱いに難渋していました。王となられてからも、昔ほどではありませんが、周囲に及ぼす影響は酷く、臣下の主だった者さえ、未だ恐懼に堪えないといった有様です。そこで王様は考えました。雰囲気を和やかなものにする為には、冗談を用いるのが適切ではないかと。冗談も休み休み言え、と(わたくし)などは思いましたが、王様の耳は竜の耳、ということで、王は実行に移されてしまいました。

 北と南、四国を打ち倒して、ストーフグレフ国は大国となりました。領土が増えて喜ばしい、などと気軽に言えるのは、外部の人間だけです。四国を完全に屈服させたから良いものの、それでも目の回るような忙しさでした。そんなとき、一人の商人が王を訪ねてきました。その商人の名は、アルシュ・ラクナル。ーー侍従長、ご存知でしょうか?」

 え? ……僕? って、いやいや、そんなもの珍しそうな顔で僕を見ないでくださいっ。竜にも角にも、表面は取り(つくろ)えっ、余裕を醸しながらも概ねストーフグレフ王の視線がちくちくぢくぢく刺さってくるけど、今は当意即妙な対応が鮮血! ではなく、先決っ⁉

「ええ、面識があります。里で学んでいた頃、臨時の師範として幾度か、主に自身の経験を語っておられました。彼は商人として認められた、数少ない〝サイカ〟であり、その名は人口に膾炙していませんが、影響力は計り知れないものがあると思われます」

 ぐぅ、ストーフグレフ王を始め、たくさんの視線が痛過ぎる。そして、老師やクーさん、エーリアさんが笑いを堪えているのがいただけない。素知らぬ顔のエンさんは、いつも通り、聞き流しているようだ。(うち)の王様とカレンは、変な生き(じじゅうちょう)を見る(みくだすの)を止めてください。

「当時は、そのような大人物とは露知らず、商人組合の幹部の一人、くらいの認識でしかありませんでした。彼が持参した資料に、アラン様は目をさらりと通され、ーーここで到頭、アラン様の初めての冗談が、炸裂してしまわれます」

 饒舌(じょうぜつ)、とは違うようだが、巧みな話術で皆の気を引くと、ストーフグレフ王の真似だろうか、表情を消して、声色を(つか)って、重々しく宣戦布告を行う。

「『よろしい、ならば戦争だ』ーーと、冗談の欠片もなく、竜の爪の(あか)を見せ付けるようにラクナル殿を正面から見据えられました」「「「「「…………」」」」」「効果覿面、四大竜の咆哮に匹敵する衝撃で、ラクナル殿の心胆は崩壊寸前でした。後に知ったことですが、ラクナル殿は軍事に長じるだけのストーフグレフを裏から操ろうと、(さだ)めし政務に疎いであろう王の指南役ーー宰相の地位を得ようと画策していたようです。商人としてだけでなく、〝サイカ〟の本流としての栄誉にも浴したかったのだと推察します。それから、王の言葉を真に受けた、若しくは心得違いをしたラクナル殿は、見ているこちらが気の毒になってしまうくらい狼狽し、取り乱され、裏事情に至るまで洗い(ざら)い話してくださいました」

 欲を掻いた、と言いたいところだが、相手が悪かった、というのが正解だろう。

 相手は国ではないのだから、宣戦布告というのは間違いか、いや、相手を国家と同等と見做してのことなら、実際にそれだけの影響力を持っているであろうラクナルさんが窮地に追い込まれたことにも納得がいく。

「僕が彼を見たときに感じたのは、この人は失敗したことがないんだろうな、というものでした。自信と確信に満ち満ちていました。実際、商人としてなら〝サイカ〟でも二、三を争う才幹がある人物ですので、最後まで走り続けることも難しいことではなかったでしょう。失敗だらけの僕からすると、非常に危うく映じられましたが、いみじくも正鵠を得ていたようです。ーー()かし、容喙(ようかい)して申し訳ございませんが、その一件から、いえ、恐らく爾後(じご)も含めて、ストーフグレフ王の冗談を掣肘(せいちゅう)するのは、不都合、ではなく、それ相応の意味合いがあったということなのでしょう」

 ストーフグレフ王の来訪の真意がまだわからないので、とりあえず言葉を濁して、最大限、できる侍従長を演出する。もう自棄糞(やけくそ)で、里長の心象で、超然たる人物の演技をする。

「……っ」

英傑(えいけつ)たるストーフグレフ王を利用させてもらう。

 竜の国の侍従長は、彼に匹敵する存在であると(うそぶ)く。

 ぐうぅぉ、そんなことを考えた過去の自分をぶん殴りに行きたい。

 僕の勝ちです。竜の国の侍従長ランル・リシェ。

 ええ、きっと、ストーフグレフ王なら気に入ってくれるはずです。

 うぐぅあぁ、過去の僕の、碌でもない言行が連座(れんざ)するように次々に頭の中に投げ込まれてゆく。そして、それを助長させる、彼の、ストーフグレフ王の、揺るがない双眸。

 淡々としているようで、曇りなく、見詰めてくる。

「リシェなら、私がグリングロウ国を訪れた理由がわかるだろう」

 静かな声音とは裏腹に、僕を打ち据えるような問いを放ってくる。と僕が思っただけで、実際にはただの世間話なのかもしれない。然しもやは後ろで溜め息を吐いている魔法使い風の青年の姿も勘案して。幸い、と言っていいのか、ぎりぎりのところで、以前惟(おもんみ)た魔法部隊の事柄が頭に転がり込んできたので、見切り発車で答えを返すことにする。

「そう遠くない内に、サーミスール王ーーエクリナス様が竜の国をご来訪くださることになっています。彼の王に随行(ずいこう)するであろうドゥールナル卿は、貴国に申し入れをしたかと存じます。併せて竜の国を実見するに好都合であった。などが考えられますがーー」

 一旦言葉を切って、他に何か見過ごしていることはないかと頭を高速回転させようとするも、僕の頭の中心でスナがすやすやだったので、百竜に起こしに行ってもらった結果、たぶん水蒸気だったのだろう、真っ白になってしまったので、竜にも角にも、時間稼ぎをすることにした。後悔は竜が踏んでも壊れない、と誰かが言っていたような気がするが、ストーフグレフ王が冗談を言っていたので、僕も返さないといけないと思ったので。

「一番の理由は、僕に会いに来たーーということなのでしょう」

 ……というのは冗談ですが。とか何とか言って、お茶を濁すなりストーフグレフ王の様子を窺ったりなどということを考えていたような気がするのだが。ぐううぅ、いやいや、これは冗談にしても(たち)が悪い。どれだけ自分を上に見たら、こんなことが言えるのか。いやさ、こんな言葉が僕の口から(まろ)び出たなんて信じられない。くっ、きっと頑是無い王様が「やわらかいところ」対策の意趣返しに、僕の口を魔法で操ったに違いない!

「ふむ。さすがリシェだ。お見通しか。リシェと友人となる為に、遣って来た」

 口元が、小さく笑みの形を作る。どうやら笑った、いや、微笑んだようだ。

 ……はい? ……ほへ⁇ ーーっ、……然ても、すべてわかってますよ的な表情を崩さないまま、炎竜氷竜仔竜(あっつあつのひえほや~)がすやんすやんな、天の国へとご招待……ごふっ。

「アラン様。それでは皆さんに伝わりません。ですので、僭越(せんえつ)ながら私が説明させていただきます。ーーアラン様の父君であらせられた、先代の王ホルス様は、慧眼、眼識(がんしき)のある御方でした。それは、長兄のマルス様でなく、アラン様に王位を継がせたことからも、ご理解いただけると思います。ホルス様は、アラン様の行く末を(おもんぱか)り、幾つかの遺言をされました。その一つが、『アランよ。友を得たいと望むのであれば、自身と同等か、それ以上の者にせよ。でなくば、相手が壊れてしまう故に』というものでした」「ふむ。私は、生まれて此の方、負けたことがなかった。無論、細かいことを言えば、そうではないが、自身に必要と思うことで、私に並ぶ者はなかった。私は、半ば諦めていた。生涯、友を得ることは出来ないのではないかと。だが、私が間違っていた。増長していた。軽々と、弄ぶように、私を越えてゆく者がいた。心が急く、そのような心持ちになったのは初めてだった。二巡り程度なら、国を離れても問題ないくらいには安定している。兄上に書き置きを残し、衝動的に飛び出してきた、というわけだ」「……うわぁ、こんな饒舌なアラン様、初めて見ました。普段からこうなら、誤解されることも少なかったでしょうに、はぁ」

 ……ちょっと待ってください、頭の許容量、というか、なんかもう僕の存在自体を超えているような気がするので、お願いですので、理解するだけの時間を頂けないでしょうか。と誰に頼もうかと迷っていると、師匠であるところの、さすがの老師が察してくれる。

「面白いので、もっと観覧していたいところですが、来訪者を待たせているので、重要度の低い事柄は、昵懇(じっこん)の仲になるであろう侍従長とあとで話し合っていただきたい」

 って、助けるなら、ちゃんと助けてください老師っ……ん? あれ、今、来訪者、と言ったような。んん? あー、つまり、ストーフグレフ王は招かれざる客(?)で、本当のお客さんは別に居ると。そういえば、彼も今、衝動的に飛び出してきた、と言ってたし、ーーというか、老師、王様を勝手に僕に押し付けないでください。

「ふむ。では、あと二つだけにしておこう。ーーカール」「……何でしょうか、兄上」

 今の今まで見落としていたが、ちゃっかりとみーの手を握り続けていたらしいカールが、ふて腐れた感じで立ち上がって、ストーフグレフ王の、兄の許までーーと言うには距離がある場所まで、あに図らんや王族らしい優雅な所作で歩いてゆく。

「カールには、より良く学べる場所が必要かと思い、グリングロウ国が最良であると判断した。シア殿の他、同周期の優秀な者も多く居ると聞く。何より、リシェが居るとなれば、竜の国以上に適した場所などあるまい」

「……兄上。学ぶなら、竜の(ここ)でなくとも、ストーフグレフで事足ります。何より、王弟を含めて、城街地とかいう、よくわからない場所の出身だとか。益があるとは思えません」

 虚勢、と言えないくらいには、挑むような強い視線。先程までの高慢振りが、嘘のように鳴りを潜めている。一国の王弟だけあって、真っ当な一面も持ち合わせていたらしい。然し、内容は頂けない。とはいえ、竜の国以外でなら、否定どころか肯定する者のほうが多いだろう。身分、というものは本当に厄介なものだ。こうして竜の国を造らなければ、その厄介さの、本当のところはわからなかった。何せ、それは生まれたときからそこにある、当たり前のものだったのだから。空は空で、雲は雲で、太陽は太陽で、手を伸ばしても届かない場所で。真実も、やがて事実という詰まらないものに成り下がって。

 つい最近のことだ。当たり前のものが、当たり前じゃないと気付いた。届かないと思っていた空は、みーに乗って雲海を眼下に。空から落っこちて、初めて雲に触れて。

 ーー何より僕らは今、竜と共に在る。

 それが当たり前のものになってしまうこと、社会的に受け容れられてしまうこと。(くつがえ)すことが、反抗することが、悪とされてしまうことすらある。実際に、固定された集団にとっては、正しいとされることが不利益になることもある。……と、危ない危ない、思惟の湖に潜りそうになってしまった。竜の領域に触れるのは控えておかないと。

 見ると、名指しされたシアは、冷静な表情にーーわずかに散らされているのは、哀れみ、だろうか。城街地で、最後まで子供たちとともに生き続けた少年が、この程度で揺らぐはずがない。逆に、城街地出身の大人たちのほうがーー特にサーイは感情剥き出しで睨み付けている。だが、それは悪いことではない。まぁ、バーナスさんの後任に就きたいのであれば、(わきま)えることを覚えて、いや、身に刻んでもらう必要があるだろうが。

「であれば、丁度良い」「……え?」

 真っ直ぐな、真っ直ぐ過ぎる眼差し。自身に向けられたわけでもないのに、背中がぞくっとする。その双眸よりも冷たい言葉が、呆けた少年に容赦なく降り注ぐ。

「父上を窮地から救った兵士がいた。父上は恩賞を授けようとしたが、兵士は固辞した。それでは気が済まない父上は、何でも良い、望むものはないかと尋ねた。兵士は答えた。

 自分は愚か者であり、金銭を貰っても、知人縁者に奪われる。地位を与えられても、力を発揮できず、誰かの言いなりになるだけ。もし許されるなら、我が子が生まれたなら、自分のような愚か者にならないよう学ぶ機会を与えて欲しい。

 父上はしかと約し、周期が流れ、兵士が子を成したと聞いて、自ら向かわれた。父上が辿り着いたとき、兵士はすでに亡くなっていた。調べたところ、兵士の妻が不義を働き、その妻の男が、間夫(まぶ)が兵士を手に掛けたという。手を尽くして子を見つけ出したとき、女は我が子を父上に投げ渡したそうだ。欲しければ呉れてやる、持って行け。そう言って、立ち去っていった。父上は、子を不憫(ふびん)に思い、我が子として育てることにした。

 兵士の出身は、嘗てのストーフグレフにあったという西の貧民街だ。出身地の貴賤(きせん)ということなら、よくわからない場所の出身同士、大して違いはあるまい」

 自分には関係ないと正しく理解したようで、みーが「飛翔」でコウさんの膝の上まで脇目も振らず一直線。重大な、暴露というか打ち明け話に、皆が視線を逸らせなくなる中、遊牧民たちだけが愛しの炎竜に首っ丈で。ぽすんっ、とコウさんの胸に……って、いやいや、僕がみーを見ていたのは、色んなものから目というか理性というか、心というか真実というか、そんな感じのものから逸らしたかった、というか誤魔化したかっただけでーー。

「あ、兄上……こ、このようなときに冗談など……」

 求婚した相手(みー)すら視界に入らなくなってしまうくらい狼狽したカールは、(すが)るような視線を兄に向けるが、王の揺るがない瞳は、魔法使いの青年を捉える。

「冗談は、一星巡りに一度と、私と約束して下さいました。先に、オルエル殿に対して発動なされたので、今星巡りに、王の冗談はもうありません」

 ストーフグレフ王に応えて、淡々と逃げ道を塞ぐ。然てしも、発動、とはまた大袈裟な。いや、彼の王の権勢、もとい威光からすると、間違いでもない、のかな?

「う、嘘だ! そんなことあってたまるものか‼」「ふむ。その通り。これは冗談ではなく、嘘だ」「……っ」「だが、私がこれを嘘だと言わなかったどうなる。ーークライゼ」

 叫ぶ弟を一顧だにせず、ストーフグレフ王は爺様にーークライゼさんに意向を質す。

「はっ。アラン様の仰る通り、カール様は貧民街の出身でございます」「爺っ!」「カール様。もしも、カール様の身に危険が及んだのであれば、このクライゼ、身命を賭してお救いする所存。でございますが、私の雇い主は、私が仕えるストーフグレフの王は、アラン様でございます。カール様からは、何一つ、いただいておりません」「ーーっ、……っ」

 無条件で味方だったはずのクライゼさんの背信(はいしん)にーー、それでも最後の意地だろうか、王弟の、いや、少年の矜持が、兄王の視線を引き寄せる。

「そういうことだ。これらを私が真実だと認めるだけで、それはストーフグレフ国にとっての事実となる。たった一人の言葉で、嘘にも本当にもなる。生まれなど、詮ずるところ、その程度のものでしかない。

 私が幼い頃、『どこで拾ってきたのやら』『汚らわしい。混じり物か』など、周囲の者に色々と言われたものだ。そんな彼らは今、同じ口で、私を称賛している」

 これ以上の言葉は必要ないと判じたのだろうか、ゆくりなく向き直ると、カールと同じく王弟の地位にある少年に、雷竜の息吹の如き言葉を差し出す。

「シア殿」「え、あ……、はいっ」「不肖(ふしょう)の弟だが、私にとっては大切な弟でもある。迷惑を掛けることがあるかもしれないが、長い目で見てくれるよう頼む」「ーーぃっ」

 アラン・クール・ストーフグレフ王が、大陸中央の覇者が、(てら)いなど微塵もなく、少年に頭を下げる。弟が取るに足らぬと見下した相手に、兄は真摯に(こいねが)う。

 カールの侮言(ぶげん)に冷静でいられたシアだが、これはたまったものではない。尋常ではない事態に、どうしたらいいかわからず、姉であり王様でもある少女に顔を向けようとして。

「ーーっ!」

 それだけはしてはならぬと、どれだけの意思を注ぎ込んだのか、恐れを踏み越えて。小さく口元に笑みを(こしら)える余裕さえ見せて、()の王に正面から向き合う。

「カール殿の滞在を歓迎いたします。ともに切磋琢磨し、良き日々を過ごせるよう、多く語り合っていけるような関係になれたなら幸いです」

 硬く、言葉の選択にまだ難があるが、翠緑王の前で、少年が一歩、胸の内の願いに向かって踏み出す。顔を上げたストーフグレフ王に、心の怖じ気を(いと)わず受け止めて、今ある精一杯のもので、応じて頭を軽く下げる。左手をお腹に当てて、足は引かず、右手は下に。いつの間にか、現行の礼儀作法を身に付けていたようだ。三度目の大乱以後、簡略化の傾向にあったのだが、シアの言行は礼儀に適っている。

「ふむ。であれば、もう一つ。魔力部隊を配置するとはーー、私が予見したものを、漕ぎ着ける、否、軽々と実現してしまうとは。それらも加味して、文言を練らねばなるまい」

 王の言葉を理解できたのは枢要の半分の半分、の更に半分くらいだろうか。

 ーー魔力部隊。或いは、魔纏部隊や魔装部隊、などの候補があるが。詰まるところ、魔力を纏った部隊、竜騎士のことである。これは、何処まで行っても、エンさんの功績であるのだけど、彼はそう見ていないようだ。これは困った。あまり余計なことを言うとーー、

「くうぅ、侍従長! まさか俺たちに隠して、もう一つ竜騎士の部隊を作ってたなんて、水臭せぇ! 教えてくれりゃあ、水竜様も息吹(びっくり)な感じで歓迎しまくりだぁ!」

 余計過ぎて、剰計とか過計とか、あと負計とか造語を投げ付けたくなってくる、毎度のギルースさんだが。このときばかりは、夕飯を(おご)りたくなるくらいの、いかした隊長(すっとこどっこい)

「魔力部隊とは、魔力を纏った部隊ーーつまり、竜騎士のことです。もしかしたら、自覚のない方がーーいないと信じたいところですが、この大陸に於いて、魔力部隊が編制されているのは、グリングロウ国だけです。ストーフグレフ国であれば、十~二十人くらいは集められるでしょう。ですが、適合する人物は、要職乃至替えの利かない地位にある、また強制するということであれば、様々な困難が予想されるでしょう」「おっおっおっ? てこたぁ、俺たちゃ大陸最強ぉ~部隊ってか? てか?」「おぉ~、世界一ぃ~っ!」

 エルネアの剣隊の隊長副隊長(おばかさんたち)に、お酒も追加である。

「御二人とも、他の竜騎士の方々が、御自身をどのような目で見ているか、確認して下さい」「くっ、フィヨル! 何だ、その、馬鹿を見るような目は⁉」「違うぞ、ギルース! あれは馬鹿を見るような目じゃないっ、馬鹿を見る目、そのものだ! うはははは~~」

 ああ、でも、そろそろ止めないと、竜の国の威信が地竜に踏まれてぺっちゃんこになりそうだ。恐らく、ストーフグレフ国では有り得ないのだろう、彼の王が楽しげな、興味深げな様相を崩さない内に、いつも通り、嘘を吐かないように嘘を吐いて……ああ、いやいや、エーリアさんから忠告を受けたばかりなのだから、でも、嘘を吐かないではーーうぐぅ、とりあえずっ、竜も飛んでけ、って感じで、出来るだけ頑張ってみるので、もし失敗したとしても、今回だけは見逃して下さい!

「そうですね。竜騎士は、最強の剣、かもしれません。竜騎士の方々が実感しているように、剣を振るえるのは短時間、魔力が尽きるまでです。つまり、一撃離脱の運用が求められます。また、離脱できたとしても、そのような危険な部隊、優先的に狙われることになります。魔力が尽きたらどうなるか、それは皆さんもご存知でしょう。

 そして、最も問題となるのが、数的不利。敵が千なら、勝つことも出来るでしょう。ですが、敵が万、いえ、五千ーー三千でも勝利は覚束ない。竜の国は、これより竜騎士の採用を狭めることになります。何故かは、言わずもがなのことでしょう」

 竜にも角にも、思わせ振りに誤魔化しておく。

 竜騎士については、老師と何度か話し合っている。エルネアの剣隊は、竜の国に不法入国したディスニアたちを軽々と捕縛した。では、「騒乱」に於いて、サーミスールのーードゥールナル卿の魔法部隊と、ギルースさん率いる竜撃隊が衝突していたら、どうだろう。

 竜撃隊が有利。僕と老師の見解は一致した。右翼、クーさんの「風吹」部隊に向かわせる際に、老師は幾つか助言したらしい。密集隊形で突撃すること、相手の「結界」を破壊する、少数精鋭を活用すること、魔法部隊の隊長を倒したら、勝利宣言をすること。

 これら老師の小細工を、ドゥールナル卿が対策を講じていないとは、とてもではないが思えない。有利、ではあるが、勝機の天秤は、わずかな機運で傾く。

 そして、先に述べた、最強の剣、の取り扱い。竜騎士を増員しないことで、他国への脅威の緩和に努める。というのは建前で、常備軍に充てるだけの金銭的余裕がない、というのが本当のところ。竜騎士に関しては、他国から見抜かれてしまうだろうから、手詰まりなのだけど、ご存知の通り、今はそれで構わない。それらを補って余りある、翠緑王(ちから)侍従長(きょうふ)と、炎竜(みりょく)が在るのだから。ーー然ても、またぞろ自分の未熟さを思い知らされる。

 先に、ストーフグレフ王は、加味する、と言ったが、それは魔法部隊と魔力部隊の併用を見越してのことだろう。然あらば国家が魔法を取り入れれば、遠からずそれも可能になる、と予見しているのだろうか。……はぁ、ドゥールナル卿に遣り込められたときのことが思い起こされる。この若き王も、僕よりも先を見ている、見えている。彼が僕を友人にと望んでいる以上、幻滅させるわけにはいかない。現在の竜の国の状況では、それは最善ではない。これも一歩目を間違えたことの、付け、なのだろうか。

「……ぅ」

 うわぁ、そう遠くない未来に、付けが伸し掛かって、あっさりと潰されてしまっている自分の姿を、容易に想像することが出来てしまった。

「では、ストーフグレフ王は、侍従長の客人ということで、彼の後ろにお願いいたします。カール様は、シア様の横にお願いいたします」「ふむ。了解した」「…………」

 ありがたいことに、老師が取り仕切ってくれる。のだが、老師の意図は那辺(なへん)にあるのだろうか。惟る暇もあればこそ、スナの笑顔を心象、柔らかな笑みを浮かべる。うぐっ、やばい、顔が引き攣りそうだ。いや、だが我慢我慢で成らぬ堪忍するが堪忍……って、いやいや、取り乱すな、僕。序でに、盛大に溜め息を吐きたいが、それも我慢だ! などと、己の内の敵だか味方だかわからない邪竜と謎舞踊でしっちゃかめっちゃかになっていると、然のみやは僕の横を通って、ストーフグレフ王と魔法使いの青年が後ろに回る。

 見ると、仏頂面のカールと神妙な顔の爺様が、無言でシアの横に移動していた。その間に連絡を終えていたようだ、老師が自分の前に開いていた「遠観」の「窓」を閉じる。

 然ても、ここからが本番なのだろうか。ストーフグレフ王の来訪以上の衝撃など考え難い、というか、勘弁して欲しいのだが、コウさんと老師のこれまでの行いから、油断はできないと、なけなしの理性を集めて、竜にも角にも、上っ面だけでも整える。

 両開きの扉が開いて、炎竜の間に、背の高いーー男だろうか、外套を纏った人物が力強い歩調で、然し優雅さも兼ね備えた貴族らしい、いや、これは何かが違う、のだが。

 その違和感に思い至ることなく。茶色の外套の人物は、目を惹くに足る振る舞いで、翠緑王からやや離れた場所に。そして、顔を、目元までを隠していた覆い(フード)を捲ると。

「「「「「ーーーー」」」」」「「「「「…………」」」」」

 炎竜の間に、小さくない驚きの波が広がる。然あれど、戸惑いだろうか、声を上げる者はいない。やがて答えを求める視線が翠緑王に集まり始めると、老師が一歩前に出る。

「彼の一族は、竜の国に庇護(ひご)を求めてきました。正確には、ミースガルタンシェアリ様に、ということになりますが。彼らは、これまで人の影響の及ばない、領域外で暮らしていたそうですが、それも儘ならぬ状況に陥り、決断したとの(よし)。北の洞窟の近く、二つ目の『結界』の内側での定住を希望しています」

 老師が言葉を切る。先ずは、経緯の説明だけに止めたようだ。

 細身だが、力強さを感じる。老師を見慣れている面々なれば驚きこそしなかったが、かなり整った顔立ちをしている。いや、語弊(ごへい)がある。然ればこそ、枢要たちは目を疑い、(いぶか)しむことになる。ーー長い耳。人差し指二本分、いや、それよりは短いだろうか、先端に向かって細くなっていって、尖っている、と言えるくらいの造形で、不自然さはない。横に、やや上向きに伸びる耳は、人間の耳に似ているようで、構造的には単純になっているように見えるが。……彼は、「亜人(あじん)」なのだろうか。

 ストーフグレフ王の様子を窺いたいところだが、背後に居るので、そうもいかない。見澄ますと、カールと爺様は周囲と同様に動揺……って、いや、今のは態とじゃなくて、いやいや、だからそうではなくて、今はエーリアさんの表情についてである。コウさんや老師ならわかるが、彼まで知っているとなると、認識を改める必要があるかもしれない。

「我らは、『エルフ』と名乗っております。古き民ーーと覚えていただければ幸いです」

 言葉を選んでいるようだ。これまでそうであったように、これ以後も人との接触を断とうとするなら、必要以上の情報を与えないのが最上となるのだろうが、さて、どうしたものか。これは僕の勘違いというか思い過ごしだと思いたいのだが、後ろから並々ならぬ重圧というか期待というか好奇心というか、ーーはぁ、「エルフ」の青年には悪いが、僕の友人になりたいらしい王様を失望させない為に、衒気(げんき)と取られないよう気を付けながら、披瀝、だけでなく吐露、あと開陳もかな、そこら辺の配分に気を配りつつ、始めようか。

「フィア様、そして老師が、ご存知であることは予想していましたが。ーーそうなると、『亜人戦争』のことも?」

 コウさんだと余計なことまで言い兼ねないので、しっかりと老師のほうを向いて尋ねる。

「『亜人戦争』を戦った部隊長の一人が、口伝として子孫にことの事実を伝えていった。古語時代に一時(いっとき)裕福になり、口伝を書き記したのだが、それが不味かった。零落(おちぶ)れて以降、家宝として扱っていたが、口伝はすでに途絶え、古語を解せる者はいなくなり、行商として遣って来た彼らは、噂で聞いたらしい私に依頼することになる」

 さすが老師。弟子の要求に応えて、嘘を捏ち上げてくれる。それに比して、駄目っ娘なコウさん。何で嘘吐くの?(訳、ランル・リシェ)、という表情を今すぐに消して下さい。

 見ると、「エルフ」の代表だろうに、腹芸は苦手なのだろうか、然も都合が悪い、といった表情になっている。あと、エーリアさんはーー、んー、「亜人戦争」のことまでは知らないようだ。発言しないようなら、後で確認して、意思疎通を図ったほうが無難かな。

「それでは歴史を(さかのぼ)っていきましょう。とはいえ、人口に膾炙している時代は、主に二つ、古語時代と聖語時代ですので、多くの言葉を必要とはしません。なぜなら、『亜人戦争』とは聖語時代より前に起こった出来事だからです。これまで耳朶に触れることのなかった方が大半でしょうが、過ぎ去った歴史の一幕として、落ち着いて耳を傾けて下さい」

 大仰な言い方になってしまったが、このくらいの注意喚起は必要なのである。それでは、千周期ほど前に起こったという、残酷な物語の欠片に触れるとしよう。

「大規模な魔力異常。これに率先して対処し、被害を最小限に抑えたことから、彼の者は、『英雄王』と(とな)えられました。大陸中央の東、草の海の向こう、東域ーーエタルキアに嘗ての人類は住んでいました。それ以外の場所には誰が居たのか? そう、それは『英雄王』を始めとした、後の人類が亜人と呼ぶことになる人々が住んでいました。

 ある日、突然それは起こりました。亜人たちが攻め込んできました。為す術がありませんでした。人類の半分が殺されました」

 最後まで語ってしまおうと思っていたが、一旦切ることにする。実際に言葉にしてみると、それは酷く重くて、言葉を続けられなくなってしまった。

 ーーふぅ、もうだいぶ前のことになるが、九八七周期に一度起こるという魔力異常についてコウさんが語ったとき、彼女は人間、或いは人類のことを「人種(ひとしゅ)」と呼んだ。コウさんが(ひもと)けるのは古語までなので、保留にしておいたのだが。あの一族以外に伝えていた人々が居ることは予想していなかった。まぁ、僕が知っていることを彼女が知ったら、逆に訝しまれることになるだろうから、結局は聞けなかったのかもしれないけど。

 そういえば、今朝の食卓で、スナも人種と言っていた。まぁ、竜娘のほうは、「亜人戦争」以前のことも含んでのことだろう。機会があったら、聞いてみるとしよう。

 落ち着いて、と忠告はしたが、やはりそうもいかないようだ。中途で質問されても面倒なので、これ以上騒がしくなる前に先に進むとしよう。

「皆さん。先ず、現在の大陸を見て下さい。人間が席巻し、亜人は見当たりません。そうです、人間は勝利しました。人類は、容赦しませんでした。同胞の半分を、理由もわからず(むご)たらしく殺されては、そのようなことするはずがありません。根絶やしです。ありとあらゆる手段を許容し、肯定し、当然の報復として、執拗(しつよう)に、執念深く、鏖殺(おうさつ)していきました。この大陸から亜人を駆逐して尚、収まりがつかない人々は、魔獣種の竜が住むとされる大陸に渡り、ーー亜人がしたことを、今度は人間がすることになります。

 そこから聖語時代の幕開けまで、幾許かの周期が必要になります。聖語時代は、魔獣種の竜がいるーーあちらの大陸で開花しました。『亜人戦争』以後、力を握ったのは、前線で戦っていた者ではなく、後方で支援していた者たちでした。

 聖語時代に入って、記憶が薄れていくのは当然だとしても、不自然なことが起こりました。あれほどの戦いがあったというのに、孫の時代には殆ど継承されていない。それに危惧を抱いたある一族が、古語時代の後期頃まで歴史を記していくことになります」

 見ると、やはり過去には触れて欲しくないらしく、「エルフ」の青年は無理やり表情を消していた。老師に確認しようとしたところ、彼の隣の人物が首を傾げたので尋ねてみる。

「どうかしましたか、エンさん?」

 勘の鋭いエンさんのことである、僕が語った歴史の矛盾点などを指摘して、埋もれた真相などを浮かび上がらせてくれるかもしれない。(いささ)か以上に期待して待っていると、

「んや。なんてーかなぁ、そこん耳長ぁ」

 珍しく考え事をしているような顔で悩んでいたが。思い寄る、というか、思い至ったらしい老師が制止しようとするも、初動が遅れた今回は、師匠に対しては勝率の低いエンさんの勝ち、ということで。ずびしっ、と竜に剣を突き立てる勢いで「エルフ」の青年に指を突き付けて、仔竜も喜び跳ね回るような笑顔で断言する。

「『英雄王』っ‼」「ーーっ⁉」

 ……は? なんですと⁇

 って、ちょっと、そこの「エルフ」の人(?)は何で、図星を指された、みたいな引き攣った顔をしているんですか! 然のみやは調子に乗ったエンさんは、どびしっ、と目を覚ました竜に弾き飛ばされる勢いで、青くなった顔の青年を窮地に陥れる。

 これ以上はなるものかと、迫った老師だが、見事な横入りのみーがエンさんの肩に飛び乗って、笑顔満開で組んだ両手の両人差し指を、どずびしっ、とーーって、あれ? 物理的に青年の頭が弾かれたのだが、もしかして、みーが魔力か魔法を放ったのだろうか。

「犯人っ‼」「ーーっ⁈」

 ……へ? ……ん、んん⁉

 あー、犯人、というからには、なにがしかの罪を犯したということで。先の話を聞いての、ああ、いや、エンさんは聞き流していたんだろうけど、犯人、ということは、「亜人戦争」の記憶と記録が想定以上の早さで失われていったことを指してのものだろう。

 青を通り越して、白くなりかけている青年。もはや、何を言っても彼に突き刺さりそうだ。まぁ、彼が「英雄王」で、一連の行いを主導していたなら、それはそうなんだろうけど。そういえば「英雄王」について、類い希な力、とか、優れた指導力、とか、そんな感じのものはあったが、思慮深いとか戦略に長けているとか竜並みの頭脳とか、そんな感じのものはなかったような。って、恥ずかしい、同じ言葉を二度続けてしまった。ぐぅ、これも「エルフ」の青年の所為だ、素直過ぎるというか迂闊過ぎるというか、うちの王様とどっこいどっこいじゃ、あまりにお粗末過ぎるだろう。……というか、この人、ほんとに「英雄王」なんだろうか。でも、コウさんも王様をそれなりに熟せているし、きっと周りの人ーーではなく「エルフ」に恵まれていたんだろう。

「ほぐっ」

 あ、更に何かを言い立てようとしたエンさんが、老師の命令を忠実に実行した宰相によって、壁に激突。褒美として、宙に浮かんだ仔竜を捕まえた王姉は、……はぁ、もう慣れてしまった枢要の皆さんと同じく、僕も見なかったことにする。

 然ても、この始末に困った状況をどうしようかと悩んでいると、エーリアさんが一歩、ではなく二歩、いや、三歩と目立つ位置まで進み出て、コウさんに一礼してから青年に向き直る。気配だろうか、気付いた「英雄王」が振り返る。

「『マギルカラナーダ』」「っ⁉ 何処でその名を‼」

 剣を抜く素振りを見せて、外套が捲れる。緑を基調とした服。スカートとは違うのだろうが、足首くらいまでの長い布が揺れる。やはり、この大陸では見ない様式。そして、ちらりと垣間見えたあの剣は、細剣? 見るのは初めてだ。昔に、貴族の間で流行ったことがあると習った記憶があるが、いつの時代のことだったかまでは思い出せない。

「その前に、ーーそろそろ名乗られては如何でしょう」「……我は、『精霊種のエルフ(ハイエルフ)』の族長、ベルモットスタイナー。そなたらの言う、『英雄王』であった者であり、齢千三百を超えている。長命種である我らには寿命はないとされているが、三千周期を巡った辺りで、世界に還ることが習わしとなっている。ーーさぁ、応えたぞ、次はそなたの番だ‼」

 うっ……わ、これまで抑えていたのか、裂帛(れっぱく)の気合いが発せられる。いや、違う、これでもまだ自制しているのだろう、「英雄王」と呼ばれた者の本気がこの程度であるはずがない。弱いはずがない、と言った老師の言葉が思い返される。

「…………」

 然し、エーリアさんは応えない。見定めるような眼差しを、ベルモットスタイナーに投げ掛けている。()れて、本当に剣を抜くのではないかと思うほどに軋んだ瞬間、

「『ハーフエルフ』をご存知でしょうか」

 「ハイエルフ」に続いて、またしても耳慣れない名称で問い掛ける。

 嘗て、伝説と揶揄される「マギルカラナーダ」を解き明かしたというエーリアさん。「エルフ」が関わっていたとするなら、聖語時代よりも前から存在したという噂は信憑性を帯びてくる。それどころか、「マギルカラナーダ」が「ハイエルフ」の、個人の名前だとするなら、いったいエーリアさんは、どんな秘密を知り得たのだろう。

「……っ」「ーーーー」

 今更隠しても遅い。エーリアさんが見逃すはずがない。ベルモットスタイナー……ああ、長いので心中ではベルと呼んでしまおう。ベルさんの表情に浮かんだものは、嫌悪以上、憎悪未満の代物。ほとほと内心を隠すのが苦手なようだ。逆に、そういう人物であるからこそ、亜人たちを纏め上げることが出来たのかもしれない。然れど、ミースガルタンシェアリ、()いては炎竜に関係のある僕たちに取り入る必要がある身としてはいただけない。

 本来なら、こんなことを聞くべきではない。だが、僕の「千竜王(うち)」にいる、いや、これは言い訳か、竜の国の侍従長として、僕の意思で暴き立てる。

「ベルモットスタイナー殿。あなたは今でも、人間を恨んでいるのですか?」

 炎竜と氷竜が同時に息吹を吐く。憎悪などという言葉では足りない、生まれて此の方、これほどにも熱く、乾いて痛い、凍えた感情を向けられたことはない。竜の民が侍従長に向ける情動など、竜の前のギザマルの如き儚さだ。

「っ、我の所為だ、……我が悪い、……だが、だが、どうして忘れられよう、仲間が(ともがら)が、親しき友が、惨めに殺されてゆくのを、見殺しに……見捨てることしか出来なかった。千周期経とうが瞼の裏に蘇る。どうして、どうしてっ、人間を許すことが出来よう……」

 右の掌で顔を隠して表情を見られないようにする。それが精一杯のようだ。

 ーー千周期。永い、想像するのも烏滸(おこ)がましくなるくらいに永いが、「ハイエルフ」にとっては、世界に還るまでの半分にも満たない周期。人の尺度では無理だ。後悔、がその言葉の意味を失って、絶望、がその身を焼き尽くしても、彼は生き続けなければならない、生き続けている。繋いだ命を捨てることは裏切りになるだろう。背負い過ぎて、自分さえ裏切れなくなって。ーーああ、やっぱり無理だ。彼の遙か先に、竜が在る。だのに、「エルフ」にすら届かない。手を伸ばすことを止めるつもりは毛頭ないが、見詰める先を見失いそうになる。いや、もしかしたら、もう踏み外しているのかもしれない。

「ーーふぅ」

 今はそうではない。スナを思い描く前に、視点を人のそれから故意に逸脱させる。

 人類の台頭に危機感を覚えた。その感覚は、間違いではなかったのだろう。結果として、逆に滅ぼされてしまったが、それだけの脅威があったということは、周期を経るごとにそれは漸増(ぜんぞう)するということで。ーー彼は、決断したのだ。

 友好、話し合い、共生。そんな言葉を持ち出したくなるが、恐らくそれは適わなかった。人間同士ですら争いを止められない。人間と亜人が手を取り合う、そんな未来を誰も思い描くことなど出来なかった。思考を止めたくなる。この世界を創った神は、(しか)く何と残酷な運命を用意、配置したのかと。それで納得してしまいたくなる。

 僕の様子を見て取ったエーリアさんは、ベルさんに追い打ち、いや、悲しい事実ーー託された想いを(つまび)らかにする。

「『マギルカラナーダ』ーーあの方から(ことづ)かっています。『ハーフエルフ』という言葉に対して、卑しき感情を見せるなら、我らのことを一切教えなくて良い。あの方の友であるなら、このようにはなるまいと願っていましたが、……残念です」「…………」

 もはや一欠片の言葉もなく、星霜を纏った古い風に(たか)られて、項垂れてしまう。

「ベルモットスタイナー殿。八竜官の最後の席に座っていただきたいが、如何でしょう」

「……恩がある。必要なときがあれば我らの知識や技術を提供しよう。我らが欲しているのは、安らかな生活だ。『エルフ』と人、関わらぬが、きっと正解なのだろう」

 予定調和、と言ってしまうのは酷だろうが、老師とベルさんの間で結論が下される。老師が目配せをしてきたので、内心で溜め息を吐いてから、引き継ぐことにする。

「ベルモットスタイナー殿。こちらは、アラン・クール・ストーフグレフ王。大陸中央のストーフグレフ国より所用で参っております」

 左足を引いて体を横に、ストーフグレフ王を手で指し示す。

 過去の「英雄王」と今代の「英雄王」が眼差しを絡める。

「ふむ。了解した。グリングロウ国で何かしら不都合が発生したなら、爾後ストーフグレフ国が引き受けよう」「……感謝する」

 老師がストーフグレフ王を炎竜の間に列席させた時点で、然ななりと思っていたが、僕に押し付ける気満々であるらしい。はぁ、そうなると、覚悟を決めないといけない。

「今日は、もう遅いので、明日、僕が案内したく思います。部屋は、翠緑宮にーー客室を二つ用意しましょう」「ふむ。(かたじけな)い。明日が楽しみだ」

 カールと爺様の様子を窺って、二部屋に分けることにした。あと、ベルさんのほうはオルエルさんに任せてしまっていいだろう。正直、ストーフグレフ王のことで手一杯なので、今は「英雄王」のことまで気に掛けていられない。ああ、やばい、気を抜くと、内心だけでなく、実際に溜め息を吐いてしまいそうだ。

 ストーフグレフ国の一行及びベルさんが炎竜の間の、奥の扉から出ていくのを確認すると。それを待っていたかのように、ふわりと、僕の右手が両手で包まれる。

「ーーーー」「…………」

 あまりに不自然過ぎて、自然に見えてしまうというカレンの作り笑いが、造花の美しさが、僕を苛む。魔力で強化しているのだろうか、指の骨がそろそろ危ないです。

「…………」「ーーーー」

 僕の肩に手を置いた老師もさすがです。カレンに倣ったのだろう、負けず劣らずの胡散臭い作り笑いです。こちらは、まぁ、便乗だろうが、エーリアさんも朗らかな笑顔である。

 今日はもう、居室に帰って休みたいのに、執務室に連行される僕なのであった。



「先ほど、まったくの役立たずであった王様も参加されるのですか?」

 竜にも角にも、皮肉という名の事実を翠緑王に贈り(プレゼント)

「『何もしない王様は、良い王様だ』と昔読んだ本に書いてあったのです」

 額面通りに受け取る残念っ娘な、いや、さすがにそんなことはないだろう、いやさ、でもどうかなぁ。と王様とあんまり変わらないような現実逃避を決め込んでいると、ぱたりと最後に入ってきた老師が扉を閉める。

 然ても然ても、尋問の開始である。

 みーはそのまま、クーさんに預けて、蚊帳(かや)の外になり兼ねない王様がいそいそと参加。老師、カレン、エーリアさん。ザーツネルさんやオルエルさん、あとまほまほも感興(かんきょう)をそそられているようだったが、この面子を見て辞退したようだ。

「とはいえ、だいたいの想像はついているのだけれどね」「そうなのですか、グロウ様?」「能力的に、リシェ一人では無理。そうなれば、自ずと答えに辿り着く」

 老師の示唆で、エーリアさんは瞬時に思い至る。

「となると、ニーウか」

「そうですね。でも、それだけではないように思えます。私もエーリアさんも兆候をつかめなかったということは、恐らく、お爺様も関係しているのではないかと」

 この三人が相手だけに、どんどん丸裸にされてゆく。

「そういうわけで、里長(あいつ)が何を企んでいるのか吐くまでは、君の身の安全は保障されない」

「えっと、老師、それはさすがに穿ち過ぎです」

 過去にいったい何があったのだろう。翠緑宮で邂逅(かいこう)を果たした里長と老師は、友人関係のように見受けられたが。まぁ、何があったにせよ、老師が悪いのだろうけど。

「今日はとっとと寝たいので、さっそく吐露させてもらいます」

 いや、ほんと、今日は色々ありすぎた。と言いたいところだが、まだ終わらない。そして、明日もストーフグレフ王の案内と、ただでは終わらないことが予想されるので、スナの冷たさ(ひえひえ~)が恋しいです。

「皆さん、旧舎を覚えていますか?」

 コウさんが居るので、里にあった最も古い学舎の説明から始めることにする。

「聖語時代から存在していたのではないかと、未だ真実は明らかにされていませんが、明らかにしたところであまり意味はないということで、物置乃至倉庫になっている、あの旧舎です。いつまで持つのかもわからないので、ある程度〝サイカ〟が裕福になったあとは、新しい学舎を建てることが総意で決まりました。

 老師の頃は知りませんが、僕らが〝サイカ〟の門を潜ったあと、歓迎と親睦を理由に、竜の巣穴巡りが行われていました。深つ音、三人くらいで一組になって、指定された場所に置いてある竜棋の駒を回収してくる、というもので、その間、竜に扮した脅かし役の人たち……ではなく、竜を退治したと、里でカレンはちょっとした伝説になっています」

「……あれは、一緒に巡っていた女の子の一人が本当に怖がって泣いているのに、それでも脅かしていたから……。然も、託けてべたべたと触っていたので、つい手が出て……」

「ーーその竜の人は、女の人で、女の子を脅かしていたのにも理由がありそうなのです」

「…………」

 あ、珍しく知的な王様に見透かされて、カレンが凹んでいる。一巡りの同居生活で、カレンの性格を把握したらしい。コウさんにとっては、色々と有意義(たいへん)な時間だったようだ。

 まぁ、これはちょっとした不幸な事故とも呼べるもので、カレンは不埒者と、それを止めなかった脅かし役ーーと誤認した食い詰め魔法使い(ぬすっと)をぶっ飛ばしたのだ。

 そう、女性は不審者に気付いて、女の子を護ろうとしていたのだ。然し、深つ音に角灯に(みづらくて)、そして旧舎という(あやしくぶきみな)状況が、カレンを伝説にして(わだいをかっさらって)しまった。本人的には不本意だろうが、そのお陰で僕から注目が外れたので。ある意味、初めてカレンを意識した瞬間だった。その後、彼女に泣かれて嫌われて、別の意味で特別な存在になっていくのだけど。

「そういった事情があって、そこで中止になったんですが。そのとき、僕は旧舎の別の場所にいました。指定場所となっていた、その部屋には、場違いな扉がありました。ですが、誰もその扉の存在に意識を向ける者はいません。門を潜って早々、問題を起こして兄さんを困らせるのは(まか)()らぬと、見て見ぬ振りをしました。

 そこから周期が巡って。兄さんが里を下るまで、あと二巡りとなったときのことです。師範から旧舎に不要品を運ぶよう運悪く言い付けられて、エクと一緒にーーああ、エクというのは、エクーリ・イクリア……仲の良かった悪友のような奴なんですけどーー」

「カレンさん以外に、リシェさんに友達がいたなんて信じられないのです」

 なにげに酷いことを言う王様。う~む、「やわらかいところ」対策のことを、まだ根に持っているのだろうか。いや、その割には、真実の剣を振り下ろす神官のように、思いっ切り真顔なのだが。ーーふぅ、然て置きて、先に思い出した子供の頃の僕ならそうかもしれないが、兄さんに拾い上げて貰った僕には、同期の……同性の友人ならたくさんいた。カレンと出逢ったことも人生の宝の一つだとは思うが、彼女以外の異性と交流が持てなかったことは、多少は、そこそこ、それなりに? いや、まぁ、勉学に集中できたから、竜も振り返らない、ということで自分を誤魔化しておこう。

「そうですね。フィア様の見解も(あなが)ち間違いとは言えません。リシェ君は、第一印象が、あれ、ですから。当初、リシェ君に対する悪意や悪感情といったものは、ニーウが完膚なきまでに薙ぎ払っていました。『俊才』と称えられることになるニーウは、学舎の中でも特別な存在でした。逆に、友人がいないということでは、ニーウのほうがそうでした。誰も彼に並ぶことが出来ない。ニーウの気を惹こうと、或いは取り入ろうとした女性陣は、リシェ君を利用しようとしましたが、そのようなこと彼が許すはずがありません。

 今だから言いますが、カレンさんがリシェ君と一緒にいるところを見て、僕はニーウに尋ねました。あれは良いのかと。するとニーウは答えました。『あれは構わない。あれはいい虫除けになる』と。良くも悪くも、あの頃、ニーウの視界に入っていたのは、リシェ君と、ーー里長くらいだったか。さすがに、里を下る頃には、多少は角が取れて丸くなっていたけれど、僕以外の同期でニーウに近付く者はいなかったかな」

 懐かしむように述懐(じゅっかい)して言葉を切った瞬間、魔力を纏ったらしいカレンから目を背けて、僕に助けを求めてくる。了解です。僕も色々と聞きたいことがあるのだが、選択を誤ってはならない。今は、竜も逃げ出す、というか、竜と一緒に逃避行(せかいのはてまでいっとーしょー)

「話の腰を折ってしまったね。それではリシェ君、続きを頼むよ」

「はい。エクと不要品が置かれている一室に行ったところからですね。その部屋には、不要品以外に、机が一つ、ぽつんと置かれていました。そして、机の上には、一枚の紙。

 僕に言われて、エクはそこに机があることに、初めて気付いた、といった体でした。ですが、彼に見えていたのは机だけで、紙ーー旧舎の見取り図は見えていないようでした。そのとき、竜の巣穴巡りの、場違いな扉の存在に思い至って。これは何かある、と思って不用心に見取り図を手に取りました。

 あと二巡りしたら、兄さんは里を下って、いなくなってしまう。その前に、昔のように一緒に何かしたい。そう思っての、衝動的な行動でした。それから、その見取り図は特別なものだろうと思い、資料の中から別の、通常の見取り図を探し出して、……えっと、一緒に探してくれたエクには悪いけど、適当に脅して関わらないようにさせてから、兄さんの許に駆け込みました」

 エクのことを知らないコウさんの顔が曇り空から雨模様に変わりそうだったので、今度は、僕が兄貴分に助けを乞う。

「リシェ君が、悪友、と言ったように、エクーリ・イクリアという男は、ーーこれは里の門を潜る者に、一人か二人は居るのですが、巷間(こうかん)で『竜患い』との隠語を用いられる類いの者でした。その状況でイクリアを排除したのは、適切な判断であると私も(どう)じます」

 エーリアさんの強い言葉と、物言いたげなカレンの様子から甘心してくれたようだ。

 あいつは今どうしているだろうか、と東域ーーエタルキア出身の悪友のことに思いを致そうとして、時間の無駄だと、頭の中のエクを光竜のお口に、ぽいっ。これで彼も、少しは真っ当になるだろう。いや、駄目か、無理……だろうなぁ。光竜が(けが)れてしまう。

「『ここかな』と、地図を見比べた瞬間、兄さんは扉があった部屋を指差しました。さすが兄さん。因みに、僕は未だに、見取り図の謎は解けていません。そして、部屋に行くと、見えてはいないようでしたが、扉の場所を言い当てた兄さんは、『たぶん、貴重な聖語時代の遺産なんだろうね。でも、僕とリシェの思い出以上に大切なものなんてないから、封印らしきものを破ってしまおう』と瞬時に決断しました。というわけで、僕が触ってみると、扉の聖語はギザマルに食い荒らされる穀物のように、あっさりと消滅しました」

「リシェの兄の、ニーウ・アルンだったか、彼には会っておくべきだったかな。現存する聖語の封印か『結界』かーー、はぁ、人類にとっての損失とも言える重大事だよ」

 はっはっはっ、そんなこと知ったこっちゃありません。僕と兄さんの共同作業、もとい思い出作り? まぁ、そんな感じのものの前では、ギザマルの尻尾の先っぽほどの価値すらありません。あー、そういえば、僕が炎竜の間で兄さんと逢っていた頃、老師は侍従長の執務室で里長にとっちめられていたので、二人の接触はなかったっけ。

「隠し部屋、と表現するのが適切な空間が、扉の向こうにありました。そこにはお宝がありました。とはいえ、一見してそうとわかるものではありません。そこにあったのは、三百冊ほどの書物でした」「ふぇ? あの本は貴重だけど、お宝というほどではーー」「やっぱり、コウさんは知っていたんですね」「ふぉっ、……ふぉんなことなーー」「ん? ちょっと待ってくれ、リシェ君。そうなると、フィア様は、聖語の封印を壊すことなく、中の書物を繙くことが、ーー出来たということでしょうか?」「エーリア君。聖語は、部屋自体に、ではなく、扉に刻まれていたのだろうね。彼ら、かな? 彼らの目的には、それで十分」「ーーなるほど。長期を想定した封印であれば、全体に施すのは非効率。実際、フィア様、リシェ君という例外がなければ、未だ発見もされていない。……あれ? ということは、いや、ニーウ……」「そういうこと。扉には封印の効果があったが、隠し部屋の壁にはなかった。そして、その蓋然性に『俊才』と呼ばれる彼が思い至らないはずがない。怖い男だーー、さすがはリシェの兄。邪竜は邪竜を引き寄せる、ということかな」

 兄さんを、邪竜、と呼ぶなんて、幾ら何でも不謹慎(ふきんしん)過ぎます老師。兄さんは、邪竜の中の邪竜、邪竜王とも呼べる才幹の持ち主なのだから、役不足にもほどがある。そして、同時に聖竜王の資質すら具えているのがニーウ・アルン、僕の兄だというのに。見る目のない師匠を、今すぐ見限って弟子をやめるべきだろうか。と今後について真剣に悩んでいると、老師とエーリアさんの間で大凡の結論に至ったらしい、僕に視線が集まったので。僕のほうの結論は先送りに、続きを話すことにする。

「兄さんは、数冊に目を通すと、『フィスキアの暗号』と口にし、分類するよう指示しました。(くだん)の『亜人戦争』で話した、ある一族、というのがフィスキアで、隠し部屋の書物のすべてにフィスキアという文字が記されていました。と言っても、どこに記されているかはまちまちで、僕だけだったら、二巡り掛けてもそれが暗号であることにすら気付かなかったかもしれません。さすが兄さんーー」「ランル・リシェ。兄自慢はもう良いですから、続きを話しなさい」「……分類するのに三日掛かりました。『これは無理だね』と、あっさりと兄さんは決断を下しました。一番のお宝は、暗号がない本当の宝物には、時間が足りず辿り着けない。そこで、最も解くのが難しいらしい十冊に絞って、暗号を解読することにしました。実際、兄さんの読みは当たって、その十冊は『亜人戦争』に関連する事柄でした。兄さんが解き、僕が書き出してゆく。いやはや、ぎりぎりでした。最終日にまで縺れ込んでしまいました」「そういえば、ニーウは里を下るとき、すごく眠たそうだったね。『近くの街で宿を取る』と言って、ろくすっぽ別れの挨拶もせず馬車に乗り込んでしまったよ」「あはは、明け方まで掛かってしまいましたからね。解読完竜。お互い、にんまり笑って。僕は限界で、おやすみなさい、と言って倒れて眠ってしまいました」

 然てだに終わってくれればなぁ、といい話っぽく終わらせてみたが、あ~、駄目か、竜が笑っている。獲物を逃す気はないらしい。王様みたいに、ギザマルの笑みとはいかないようだ。何かを誤魔化したり知ったか振りをしたりするときの様子を揶揄して、ギザマルの笑み、と形容する。これは、ギザマルが逃げる間際に、相対して瞳を合わせて、ひくり、と顔を引き攣らせることからきている。穀物を漁る小憎(こにく)らしい相手なれど、そういった愛嬌がある姿などから、害獣として扱われるも、多産の象徴としてギザマルの細工物が飾られることがある。などと気を逸らしていたら、ああ、そんなに気に入ったのだろうか、金属が擦り合わされる音がする。カレンが催促(さいそく)しているようなので、竜にも角にも、王様で一度和んでから、物騒な(ぶか)を見ないように。然てこそ本当の宝物の話をするとしよう。

「フィア様。ここまでの話はご理解いただけたでしょうか。もし難しいということでしたら、日を改めて、詳説し、この先を語りたいと思うのですが」「ぷぅ~、リシェさんは、私を甘く見過ぎなのです。意地意地悪悪(いじわりゅー)なリシェさんが聖語を喋れることは先刻お見通しなのです。もったいぶらずに、さっさと披露しろっ、なのです!」「は?」「「「え?」」」

 ぷんぷん(おこりんぼ)なコウさんでほんわかしよう(ひといきつこう)と思ったら、慮外なことを言われてしまった。

「……えっと、コウさん、何故そう思ったんですか?」「ふぇ? ……そ、その、ぬぅ…す、っお、女の勘、なのです?」「理性(ヌース)? ……外れですので、女の勘とやらはもっと成長してからにしましょう」「ぶぅ~」「それはそうと、ここで聖語が出てくるとは。コウさん、何を隠しているんですか」「な、何も隠してなんてないのです! 王様を疑う悪い侍従長は、竜と百回散歩して、大らかな心というものを手に入れてくるといいのです!」

 コウさんの悪口に切れがない。たぶん何かを隠しているんだろうけど、今日はもう竜の尻尾を突いて時間を浪費したくないので、見逃してあげる、いや、聖語関連となると重要なことかもしれないので、後日「やわらかいところ」対策の序でに聞き出すか。

「リシェを見ていると、コウが言ったことは、まったくの的外れではないらしい。本当のお宝、とは、どうやらそっち方面のことのようだね」

 老師の言葉で、カレンとエーリアさんが首肯。三人と、便乗した王様が鋭い視線を向けてくる。はぁ、これではもう誤魔化しようがないと、観念の(ほぞ)を固める。

「フィスキアの一族が歴史を記したのは古語時代の後期頃までーーと先に言いました。写本なのでしょうね、三百冊の内、二九七冊は古語で記されていました。残りの、暗号のない三冊。一冊は、古語と下位語で併記されていました」「下位語ーーというと、(たし)か聖語時代に、聖語使い以外の人々が使っていた言語、だったかしら」

 カレンの声色が幾分低くなる。聖語と下位語、就中(なかんずく)「下位」の部分に納得がいかないのだろう。さて、聖語時代ーー下位語を用いていた人々は、自分たちを下位などとは思っていなかったのだが。これらの未知を披瀝すると、またぞろ好奇心と求知心の餌食(えじき)になるので、はぁ、もう嘘も吐いてしまったので、ばれない内に最後まで語ってしまおう。

「ここからは、恐らく、皆さんの知らないことです。聖語使いは聖語しか話せず、聖語使い以外の人々は下位語しか話せませんでした。これでは意思の疎通が(まま)なりません。そこで聖語使いは、代官のような役職を任免ーー下位語を用いる市井の民からすれば、領主のようなものですね、代官である彼らは、中位語を以て、両者の橋渡しをしていたようです」

「中位語? 里で僕は習わなかったし、カレンさんもーー知らないか」「はい。初めて耳にしました。ですが、聖語時代に中位語を用いたのは、(かがみ)みるに当然の……、いえ、それはーー?」「そうだろうね。時代背景からして、リシェが語ったほど単純ではなかったはず。そも、彼らに接触自体がなかったとするならーー。となると」「「ーーーー」」「?」

 ぐぅあ、やっぱりこの三人は不味い。がりがりと、削るように真実に迫ってくる。別けても老師。こんな面倒なときに「〝サイカ〟の懐剣」の本領なんて発揮してないで、炎竜を撫でたと思ったら氷竜でした、って感じの間抜け面の弟子(だめっこ)を見習って下さい。

「これらを教えるかどうかは、里長の判断ですね。二冊目が下位語と中位語の併記。そして最後の一冊が、中位語と聖語の併記された、竜も魂消(たまげ)るような大発見ーーではあったんですけど、その結果行き着いたのが、大いなる失望というか、盛大な空振りというか……。

 えっと、話を戻しますが、兄さんは書き置きをしていきました。『一星巡りで下位語を習得できないのなら、勉学の支障になるので、里長を利用するように』とありました。皆さん予想は付いていると思いますが。〝サイカ〟の門を潜ったあと、二星巡り以内に古語を習得することになっています。最初の試問のようなもので、これに落ちると当然ーー」

 然のみやは魔法使いの女の子を、じぃ~、と見詰めてみる。遠くないのに、遠い記憶のような遺跡での一齣。コウさんも古語が読めるようだったが、果たして如何ほど掛かったのだろう。通常は、半周期で身に付けるとされているが。

「……半周期なのです」「老師?」「っ!」「魔法を学ぶのに必要だと(そそのか)したからね。半周期と、平均的な周期で覚えたよ」「ん? 唆した、とは?」「コウの過去は知っての通り。精神的に危うい頃もあったからね、魔法に傾倒させておいたほうが良い時期もあったということさ。ーーそれよりも、ここから里長(あいつ)の話だろう。話を逸らしたり誤魔化したりしようものなら、数日間で治る、凄い痛みを与えることになってしまうかもしれない」

 いや、別に話を逸らそうとしてコウさんに話を振ったわけではないので、(すさ)んだ感じのぴりぴりした魔力を放出しないで下さい。少しずつではあるが、魔力を知覚できるようになってきたのだが。これはまだ初期の段階だからなのだろうか、邪神様な笑顔の老師よりも、伝わってくる魔力のほうに、より敏感に邪悪さが窺えてしまう。

「古語が一星巡りで覚えられないのに、下位語が一星巡りで覚えられるはずもなく。『フィスキアの書物』、若しくは『フィスキアの秘宝』は、里長に管理してもらうことになりました。僕たちが発見者、ということで、里長が解き明かしたことは随時教えてもらっていました。たぶん、老師は里長が聖語を使えるかどうかが気になっているのだと思いますが、失望や空振りーーと先に言った通り、力ある言葉(せいご)の、力、の部分は行使できませんでした」「リシェ君は、どうも話したくないようなので、最後にこれだけは聞いておこうか。どうして聖語使いのように、効果を発揮することが出来なかったのかな?」

 さすが頼れる兄貴分。他の二人とは大違いである。エーリアさんの言葉で、今日はこのくらいにしてやる(訳、ランル・リシェ)、と矛先を納めてくれたらしい、って、何でコウさんまで同じ顔をしているんですか。この普通そうに見える女の子は、あに図らんや隠し事が多いので、ときに話をややこしくしてしまうこと頻り。あ~、いやいや、もう、ほんと疲れたので、余計な脱線はなしに、これで最後! ……だといいんだけどなぁ。

「聖語は、力ある言葉、と伝えられています。今で言う、魔法のようなものだと思って下さい。初期の聖語は、現在で譬えるなら、『炎よ、燃えろ』や『風よ、吹け』みたいな単調なものだったと里長は言っていました。つまり、会話に使えるような言語ではなかったんです。ただ、彼らは特権階級で聖語に誇りを持っていて、中位語や下位語は使わなかったそうなんです」「それはーー、時代が違う、と言ってしまえばそれまでだけれど、随分と不便なことだっただろうね」「ですね。聖語は、一人目の天才が、発明なのか成立なのかして、二人目の天才が発展させて、三人目が現れなかったので滅びた、とされています。先に述べた通り、彼らは聖語に誇りを持っていました。二人目の天才が現れてからのーー聖語時代の中期が、聖語使いにとって最も輝ける時代でした。そうした彼らは、聖語時代前期の、未熟であった頃の、彼らにとって汚点であった過去を、焼いてしまったんです。聖語が後戻りの出来ない言語であることに気付いたのは、中期の終わり頃でした。然し、前期の貴重な文物や遺構(いこう)はすべて灰燼(かいじん)に帰してしまった」「そういうことですか。如何なお爺様でも、存在しないものの中からでは、辿ることはできないと。……いえ、お爺様のことですから、何とかなるのかしらーー?」「えっと、カレン。老師がまた邪推(じゃすい)してしまうので、不穏当なことは言わないように」「…………」「……そういうわけで、聖語について知りたいのなら、聖語使いの生き残りか、竜に、即ち翠緑王に聞いて下さい」「ふぉ?」

 最も高いであろう可能性を示唆したのだが、やっぱりというか(けだ)しというか、いずれ偉大になるかもしれない予定の魔法王には通じなかったようだ。

「知りたければ、百竜様に聞いたコウに聞け、ということだね。然し、コウもリシェも、何か隠しているのは炎竜を見るより明らかだが。ーーコウは、若しや里長(あいつ)と関わっていたりするのかな?」「ふぃっ⁉ ふゅっ、ふゃあないのですっ」「「「「ーーーー」」」」

 うわぁ、邪竜よりも怪しい魔法使いが、全力で老師から顔、というか、体ごとそっぽを向く。余りにも奇っ怪過ぎて、実は演技じゃないかと疑ってしまいそうになるが、まぁ、未熟で半熟な彼女のこと、紛う方なき心胆の発露なのだろう。

 ありがたいことに王様が生贄になってくれたので、今日はまだやることがあるんだから、とっととずらかろう。って、嘘やら隠し事で疚しさ全開なので、言葉までおかしくなってしまったようだ。未だにカレンの黒曜の、愛を語らうかのように見えなくもない、じと目が痛いが、みーも嫌がる不躾な笑顔で撃退して、然あれば執務室から、ぱたり。



 がしっ。

 さすが竜騎士団団長。グリングロウ国とキトゥルナ国に鳴り響く勇名は伊達(だて)ではない。と内心でよいしょしてみても、僕の襟首を掴んだエンさんの手は微塵も揺るがない。

 今日は、運もないようだ。ぱたり、と執務室から出た瞬間、がしり。申し合わせたわけではないだろうに、途中で合流した宰相と三人で、夜の闇を疾駆(しっく)する。

 今日は中止になると踏んでいた夜の鍛錬は、即座に実行に移されてしまいました。余程のことがない限り、僕に拒否権などありません。本日は、クーさんに用事があるとかで、時間短縮の為、僕はエンさんに背負われて、お空の住人……と気を逸らしてみるも、ひぃっ、と漏れそうになる悲鳴を堪えて、時機を合わせて、肩に置いた手と体全体を使って衝撃を緩和させる。そう、屋根から屋根へと飛び移っているのだ。曇り空に、僕を慰めてくれる、麗しい月の姿はない。各家庭から漏れる地上の柔らかな明かりが命綱である。

 エンさんは、屋根から屋根へ、直線で飛ぶ。飛ぶ、というか、翔ぶ、のほうが近いだろうか。こんなこと、日常では体験するなんてこと出来ないのだから。

 初めて背負われて移動したとき、彼は弓形に跳躍したので、いくらエンさんが魔力を纏っているといっても、生身の僕は自然律に遵って。いやはや、肺が破裂したのではないかと思うほどの衝撃だった。腕で抱えられた足や、当たってしまった額など、三日の休息を呉れた、もとい三日しか鍛錬を免除してくれなかった。それ以降、まったく悪びれないが改善はしてくれた団長は、直線移動ぷらすコウさん謹製(きんせい)、或いは奉製(ほうせい)の魔法靴で屋根の上を滑るように、というか、滑って移動しているのだ。魔法具の靴は、偶然の産物らしく、僕を背負わないクーさんには支給、いや、給付か? まぁ、どっちでもいいのだが、どれだけ拗ねてもないものはない、ということで、魔法の技術のことでコウさんまで拗ねてしまって、って、今はそんな些細なことはどうでも良くて。クーさんは普通に走って移動している。この魔法靴の性能を引き出したエンさんは、製作者のコウさんや臨検した老師の予測を上回って、五歩くらいなら空中を走ることも出来るらしい。

「うーしっ。んじゃーいっくかー!」

「仕方がない。手伝ってやるが、リシェはまだ必要。潰したら『おしおき』ーー十回」

 ちょ、ちょいと待ちなされ、そこな仲良しかもしれない兄妹の御二人(むちゃむちゃ)さん! 「おしおき」十回水準ってことは、命がやばい、って、僕の命って十回程度、ではなくて、いやいや、言葉を乱している場合ではなくっ、古風竜前の灯火(みー)かもしれないので事実確認をば⁈

「ふっ」「すふぅ~」「っ‼」

 闘技場が薄闇の奥に濃闇を齎した刹那、歩幅を合わせる為だろうか、エンさんが制動。逆にクーさんは加速。前方にクーさんが闇の(ミスティルテイン)を召喚ーーかと思ったが、槍に見えたそれは針葉樹だったらしく、彼女が飛び付いた瞬間にぃっ、くっ、

「ぃっ」

 エンさんが加速というか竜加速して(ちょっぱやというかちょーやばばー(みーふうみ))、不意に闇に放り出されたような浮遊感を味わう。然し、エンさんの首にがっしりとしがみ付いた手の感触をよすがに、心を焚き付けて、命の危機を回避せんが為、(まなじり)を決して、あと暗竜も背中にくっつけでっ⁉

「ぅ~、てぇ~いりゃっ!」

 須臾の間、瞳に焼き付いたのは。反動でこちら側に戻ってきたクーさん。勢いを付けたらしい、樹がぎしぎしと(しな)って。そこにエンさんが飛び乗って。お互いに魔力を纏っているのだろう、クーさんが反発力ごと幹を弾き飛ばして、エンさんが飛び上がる。垣間見えたのは、たぶん、きっと、そんな感じの惨事(できごと)だったような気がするのだがーー。

「ーーっ⁇」

 た、高っ、高い高いっ高い高い高いっ、って、いやいやいやんっ、みーをあやしてるんじゃなくて、そうじゃなくて何が言いたいかというと、みーに乗ってもっと高い、それこそ雲の上まで行ったんだけど、本来飛べない団長(にんげん)に乗って、落ちたら死ぬなぁってありありと、お背中の死神さんさえ引き攣るほどの恐怖が、うひひっ、とか変な言葉が転び出てるけど、序でによくわからないけど暗竜さんも死神さんも、漏れなくエルシュテルさんとタルタシアさんも一緒になって壁の上にエンさんを引っ張り上げっっぶぁぁあぁあぁぁ‼

 しゃ。

「…………」

 掠った? 掠りました⁉ 掠ってしまいました⁇

 三回言ったので間違いないような気がするが、空中を走っていたエンさんが斜めになって、闘技場の最上部を越えるときには、僕の背中が下になって、あともうちょっと跳躍が低かったら、僕の背骨やら何やらが天の国に旅立ってしまいそうだったが。

 失踪(しっそう)、もとい疾走する闇の中、実際には僕たちのほうが動いているんだけど、闇が迫ってきているとしか思えない、恐怖すら磨り潰される圧力に晒されながらも、これは生存本能なのだろうか、体に伝わる振動が、エンさんが階段を滑り降りてのものだと直感する。

 最後に、闘技場と観客席を(へだ)てる障壁を飛び越える衝撃に備える。

「……侍従長。相変わらず楽しいことをしているな」

 いやいや、これはエンさんのきち、もとい稚気に因るものなので、そんな皮肉を言わなくても。と聞き覚えがある声に反応してしまったが、闇に目を凝らすと。

「ザーツネルさんと……フィぃわっ」

 エンさんが手を放して、手を緩めていた僕は、反射的に足から着地することに成功したものの、まぁ、当然と言えば当然、三半規管(さんはんきかん)がやられていたらしい、これは無理だと諦観、ごろりと寝転がる。やっとこ闇を心地よく感じられたのも束の間、闘技場の数十の灯火が一斉に、光竜の囁きを夜空に投げ渡す。

 ーーここは夢の国。うつつに迷ったなら、逃げ場がないのなら、いずこに灯そう。果てのある迷い人よ。走れば走るほど、遠ざかってゆくばかりの、面影を辿るのはやめたまえ。

 へっぽこ詩人ですら(ぼつ)にしたという、恥ずかしいような言葉を思い浮かべながら、ごろごろごろ、とまだ立ち上がれないので転がって、僕の頭を踏み付けようとする大人げない団長の足を回避する。明かりを灯した、光竜ならぬ宰相の足音が聞こえてきたので、追撃されないよう気を入れて立ち上がる。ふぅ、まだ視界が揺れているが、地竜に足を支えてもらって、何とか堪える。いずれの再会を約束して、幻視した地竜とにっこりおさらば。

「こんなところで、どうしたんですか? ザーツネルさんと……フィヨルさん」

 ザーツネルさんの背後に待避するのが一瞬遅かったので、黄金の秤隊の隊長を視認する。

「っ、ザーツネルっ、今日は団長たちの鍛錬はないと言っていたではないかっ」

 然ればこそ、指のささくれを刺激するように腹心の副隊長を責め立てる。ーー僕から極力姿を隠しながら。まぁ、それはいつものことなので()くとして、ザーツネルさんの様子からも、鍛錬に交ざりたいわけではないようだが。重要な要件、ということでもなさそうだし、あれこれ考えるよりも聞いたほうが早そうだ。

「今朝、侍従長の攻撃の無様な……じゃなくて、拙いから、俺が指導しようかと言ったんだが、普通に教えたんじゃ侍従長には意味がないんじゃないかと思ってな。そこで昔から腑に落ちなかったことを思い出して、こうしてフィヨルを連れてきた、というわけだ」「…………」「当のフィヨルさんは、わかっていないようですけど」

 無様も、拙いという言葉も、事実なので胸に突き刺さったりしてないけど。いや、本当ですよ、ずきずきなんて痛んでないんですから。と事実確認に勤しんでいると、観念したらしい隊長を横に引っ張り出してから、ザーツネルさんは説明を始める。

「魔力を纏うようになってからのフィヨルは、隊で二番目か三番目の強さになったんだが、その前は、五番目くらいの強さだった。あ~、ん~とな、俺たちは商家の生まれで、俺は昔っから我が儘で、強くなりたいから剣を習ってた。何で冒険者になったかは面倒だから端折(はしょ)るが、俺と違って、フィヨルが剣の鍛錬をしてるとこを見たことがないんだ」「…………」「今更隠すことでもないだろうし、もしかしたら侍従長の役に立つかもしれないし、そろそろ明かしてくれてもいいんじゃないかと連れてきた、というわけさ」「ーーーー」

 どれだけ往生際が悪いのか、正面の僕を見ないように、ぐぐぐっと頭が下げられている。然あれば隊長を観察。エンさんやザーツネルさんのような戦士の体付きではない。性別は異なるが、雰囲気としてはクーさんに近いだろうか。「からりとした陰湿者」との呼び名があった通り、宰相同様に知恵が回る。と言いたいところだが、まぁ、二人の持ち味と言えば持ち味なので、欠点、もとい個性を否定、ではなく、批評するのは控えておこう。

「ーー団長は、わかりますか?」「ん? あー、背中だろ」

 フィヨルさんが振ると、臨機竜変なエンさんが簡捷の抜き打ち。クーさんが双剣で防ぐ。今の一撃は、速度よりも威力を重視したものだったが。そういった機微(きび)(うと)い僕は理解できなかったが、ザーツネルさんも首を傾げているとなると、言葉以上の何かがありそうだ。

「優れた技術を持った者は、知らず知らず、無意識に魔力を用いていることがある。隊長が魔力操作に早期に適応できたのは、それまでの蓄積(ちくせき)」「そ、そう、なのですか……?」

 つまり、本人の与り知らない、ではなく、自覚のないところで魔力操作が行われていて。慣れていたので一番の上達を遂げたと、そういうことなのだろう。予想外のことに、フィヨルさんは大空を翔ける風竜を見上げる地竜のような顔になっている。いや、そんな地竜の顔を見たことがあるわけじゃないんだけど。呆けた隊長を見て、副隊長が所感を述べる。

「そうか、まったく気付かなかったな。魔力を纏って、感知できるようになると、色々わかるようになることがある。みー様、グロウ様にフラン姉妹、それとシャレンという子も、魔法とかを使ってるときには、こりゃ凄ぇ、って感じられるようになったな。それと、(へん)って言うかわからないって言うか、上手く捉えられないのがシーソという子と雷守のーー」「冒険者組合(ギルド)の、コル・ファタさん、ですか?」「そう、それ、俺より周期が上なのに若そうな人。それとーー、ギルース殿も、かな」「ギルースさん?」「ふふっ、リシェにはわからなくても仕方がない。あちらの隊長は、一風変わった魔力の使い方をしている」「そーだなぁ。ありゃ、強ぇ武器使やぁ使んほど、強くなるっつぅ、ぐるんぐるんしてん魔力ってわけだ」「クーさん。翻訳して下さい(おねがいします)」「お願いされても困る。魔力の質を言葉で説明するのは難しい。エン以上に、詳しく説明できる自信はない」

 まぁ、魔力や魔法がそういったものであることは、理不尽過ぎる魔力を具えたコウさんから色々と学んできた。さて、シーソが実力、それ以外にも何か隠していそうだとは思っていたが、ファターーも何かあるのだろうか。はぁ、性格だけでも厄介なのだから、面倒事まで持ち込んだら、あの童顔に墨で皺を書き込んでやる。周期相応にーーはならないか。とどうでもいいことを考えて、どうでも良くないことを思い出したので質してみる。

「ザーツネルさん。ストーフグレフ国の一行はーーどうでしたか?」

 ザーツネルさんがクーさんを見て、小首を傾げた彼女が目線で促す。ご指名なのだから、先ずはどうぞ(訳、ランル・リシェ)、というところだろうか。

「そうだな。ストーフグレフ王……あれは、やばい。何がやばいのかわからないのが尚更やばい。侍従長を見慣れていなかったら(ひざまず)いていたかもしれない、ってくらいやばい。フィア様もそうなんだが、俺にはまったく量ることなんて出来ない、というか、したくない。フィア様の魔力は、惹かれると同時に、禁忌に触れるような畏れを抱く、っていうか、上手く説明できないんだが、そんな感じでーー。と、今はストーフグレフのことだったな。王弟のカール様は、そこそこ。あのお付きの老人は、たぶん、俺より強い。が、団長ほどじゃないように感じる。あと、魔法使いは、エルタスーーあの呪術師と同程度、ガラン・クン並みだとは思うんだが、感じだと、魔力が洗練されてるような気は、したかな?」「付加することはない。それでは、主にリシェの為に、竜の国で魔力に限らず、気になった者をーー、エン」「そーだなぁ。こぞーんとこんいった奴」「エンさんと同周期くらいの、シス・イスさん?」「ありゃ、相棒ん同じかそれ以上ん魔力操作できんじゃねぇかな」「え? そこまでなんですか? もしかして、闘えばデアさんに勝てるんですか」「んや、無理だなぁ。でかぶつたぁ、相性悪ぃしな」「強さ、ということであれば、エルネアの剣隊の副隊長。エンが、相変わらずの勘とやらで、筆頭竜官に借問(しゃもん)」「おっちゃんが言うにゃあ、『昔ぁ、村ぁ出んまで斧使ってた。私ん見立てじゃ、魔力ん纏わなけりゃ、俺や相棒ん匹敵すんと思ってる』だそーだぞ」「……コウさんたちもそうでしたが、オルエルさんたちも粒揃い、いえ、指折りというかーー」「気になるなら、竜議に聞けば良い。リシェになら話すかもしれない。それと、エルネアの剣隊の古参にも、見るべき者が幾人かいる」

 地域で最も影響力があったというエルネアの剣。やはり、団には人が集まっていたようだ。それを引き抜き、というか、取り上げてしまった、というか、団が突然消失してしまったので、彼らが拠点にしていた南方の東の地域がしばらく荒れたらしい。二巡り前、その鎮圧の為にエルネアの剣隊、もとい竜撃隊を派遣することになった。現地では謎の騎士団が色々やらかした(主にギルースさんの所為(かつやく))ので、今星巡りの隊長の給金を半分にした。まったく、僕がどれだけ裏工作に苦心したのか、得々と話してやりたい気分だったが、言葉通りに泣き付かれてしまったので。皆さん、連帯責任という言葉を知っていますか? と邪竜の一声で、苦楽を共にした仲間たちに引き摺られていったとさ(おかねはとってもだいじでないとこまりますね)。

 然ても、変わらずエンさんの自由な喋り。慣れて聞き取れるようにはなったが、ときに深淵の如き奥深さを含んでいることがあるので、油断はできない。

「耳長ぁ、よくわからん。するってぇと、あとぁ、暗黒竜だなぁ」「暗黒竜、というと、ダニステイルの人々ですか?」「纏め役が言っていた通り、これから彼らは竜地を出て、竜の国を探索、いや、探訪と言っておこうか、散らばることになる。しばらくしたら周期が若い者にも許可を与える予定」「……うわぁ、すみません。コウさんが百人、解き放たれる光景を想像してしまいまっ、しまっ⁉」「くうぅぅぅっっ、コウが百人っ⁉ 百人だと⁈ もはや天の国を超えた初源の御魂に初々しいまでの祝福ぶぉっびゅっ……」「……エンさん。ここのところ、ぶっ飛ばされてばかりだというのは承知していますが、手加減はーーしましたよね」「んー、問題ねぇだろ」「「「…………」」」

 頭の後ろ辺りを、ごっ、とやられたが、大丈夫だろうか。壊れかけのクーさんを早々に鎮火してくれたことには感謝するが、後々面倒なことになりそうな予感がひしひしとする。

「俺ぁ見物してっから、こぞーん教えてもらやぁいい」

 ずるずるずる、とクーさんを引き摺って、僕たちから心持ち離れる。教えてもらう、とは何のことかと、スナが欠伸をするくらいの時間が経ってから思い至る。そうだった、話がだいぶ逸れたが、フィヨルさんが僕に何かを教えてくれる、らしい。彼は騙されたようだが、その為に来てくれたのだった。折角なので、教示をお願いしたいところだが。

「そーだ、竜騎士ん中でん一番こぞーが苦手なんは、中途半端ん魔力受け取ってた所為だ。そんなん引き摺ってねぇで、さっさと克服しちまえ」「はは、フィヨルが侍従長が苦手だったのは、理由があったのか。てことは、俺たちとは違った風に見えてたってわけか」

 フィヨルさんの性格の所為だと思っていたが、いや、性格も起因しているのだろうが、他にも原因があったらしい。自覚のない魔力操作ーー魔力の発露が、悪い方向に作用してしまったようだ。さて、いったい僕は、どのように映じられていたのか。

「…………」「「「ーーーー」」」

 全員了解済み(クーさんを除く)ということで、三人で無言攻撃。

 コウさんのような、もそもぞ、の類いを期待して……はいないですよっ、最近王様の謎舞踊を見ていないからって、なにか代替(だいたい)を求めてるなんてこと……ごふっ。いや、気にしないで下さい。今日は竜々(いろいろ)あり過ぎて、そろそろ精神が限界なのかもしれない。

「黄金の秤を率いるに当たって、それなりに強いと見せ掛ける必要がありました。魔物の討伐では指揮を執るので、対魔物は捨て、対人の技術だけを鍛え、一撃の強さを追求しました。今の強さは、二番目か三番目とザーツネルが言っていましたが、誤魔化しのない実力では、十番目にも届かないと思います」

 打ち明け話を終えると、無言で早足で、微妙な距離の曲線を描きながら、僕の背後に回って。僕を苦手とする、その理由が解けて尚、心持ちのほうは変わらないらしい。

「ここの筋肉を動かして下さい」

 僕の腰の中心線から、掌一つ分左、そこにぺたりと手をくっつけて、要領を得ないことを言ってくる。然もあれ、フィヨルさんが自身の秘密らしきものを明かしてくれるというのだから、素直に従ってみるとしよう。然しもやは……そこが動いているのはわかったが、自分から力を入れてみると、背中が、体が動くだけで、当該筋肉はぴくりともしなかった。

「私が触れている場所を意識しながら、剣を振って下さい」

 フィヨルさんが変節(へんせつ)しないよう唯々諾々と折れない剣を抜いて、左の腰から小盾を取ろうとしたが、必要ないかと左手を体から離して前に、左足を半歩踏み出して構える。里で習った通りに、腰、肩、腕と、連動させて。後ろに体幹をずらしながら振るという僕の得意技、というか特異技(ぼうぎょのためのこうげき)で振ろうとして、(すんで)に踏み止まって、やや前に出ながら。

「「…………」」

 うわぁ、珍しい。性格がだいぶ異なるエンさんとザーツネルさんが、同じ顔で僕を見ている。邪竜が踊っているところを目撃しても、こうはなるまい、っていう表情である。

「えっと、そこの筋肉が動いているのがわかりました」「それでは、剣を振らずに力を入れて下さい」「はい。ん、……く、っと、あ、動きました」「次は、反対側です」

 次は腰の右側に触れてきたので、意識して力を込めてみるが、うぐっ、簡単にはいかないか。もう一度、剣を振ると、面白いことに、自分の意思で動かせるようになる。

「次は、上に。ここを動かして下さい」

 肩甲骨辺りから下に、すっと手を動かしてきたので、力を込めてみると、あ、今度は簡単に動いた。腰回りの筋肉で自覚できたからだろうか、反対側もぐっと力が入る。

「四つの箇所を意識しつつ、剣を十回振って下さい」「はい」

 何とな~く、剣の振りが鋭くなったような、気がしないでもない感じで十回。優秀、もとい従順な弟子よろしく、きっちりと数を数えながら最後まで振り切る。

「ふぅ、……ん? ぅあ、って、うわっ、何これ⁉」

 振り終えたあと、背中が重い、いや、これは熱いのか、痺れるというか張っているというか、筋肉痛とも違う、これまで経験したことのない、雷竜に悪戯されているような、痛みのようで痛くない、体が動かし難い、とまぁ、名状し難い症状に襲われていると。

「普段使わない筋肉を使ったので、そのような状態になっています。逆に言うと、しっかりと筋肉を使えたので、そのような症状が出ています。侍従長は若いので、明日の朝には治っているでしょう」「確かに、動かし難いですけど、害はないって感じですね、うぐっ」

 然ても、こうなってしまったからには致し方ない。本日の鍛錬はこれでお仕舞いでーー。

「こぞーん防御で攻撃ぁせんでいーぞ。ここんとこ魔力纏った相手しかやってねぇだろ。勘鈍らせんよーに、丁度いーの居て良かったなぁ」「ーー、……」「「……っ」」

 傍観者を決め込んだからだろうか、エンさんの興味がなさそうな言葉が飛んでくる。ここで拒否したところで無駄なので、出来得る限り有意義な方向に思考を傾けることにする。

「そうですね。エンさんと闘って以降、カレンまで魔力を纏うようになってしまいましたからね。実質的な危険度からして、魔力の介在した闘いに慣れ過ぎてしまうのはよくありませんから、御二人は魔力使用厳禁でお願いします」「「……、ーー」」「嬢ちゃんすげーよなぁ。相棒んとこ何回か行ったみてーだが、あっさり身にん付けてん、奥ん手もあんみてぇだし、魔法幾つか使えんだろ。優位属性ぁ水みてぇだかん、俺たぁ相性悪そーだな」

 非凡、という言葉ほどカレンを表したものはない。ほぼすべての能力に於いて優れた資質を持っている。そして、そのすべてに、隔絶、という言葉が適用されない。エンさんはカレンを手放しで褒めているが、相性が悪いとーー自分が不利だと認めているが。彼は、闘えば自分が勝つと、負けるなどとは微塵も思っていない。隔絶、した能力を持つ者からすると、自然とそう思えるのだろうか。僕も想見してみるが、カレンにとっちめられている姿しか浮かんでこない。ああ、これはきっと、資質以前に、心で負けているからだろう(じんせいのはいぼくしゃ)。

「戦いの神様とか商売の神様って、西方にはいたんだっけかな」「無名(マイナー)ですので、西方以外では眷属神のような扱いとされるか、認知すらされていないか」「どっちも需要がありそうなんだけどな」「どちらもエルシュテルの威光を前に、影すら消されているようです」

 僕と同様に、逃げ道はないと悟ったのだろう。二人は淡々と、闘いの為の準備と、気概を満たしてゆく。もう言葉はいらない。闘うと、定められた三人の男が、透明(じゅんすい)と言っていいほどの戦意を身に纏って。心に残った一欠片の躊躇いを捨て去る為、小盾を一度胸にやって、好敵手たちに真っ直ぐに向ける。剣で応える二人。さぁ、死闘の幕開けである(たましいのぼっかん)。

「ぜぇ、ぜぇ、んくっ、ぜぇ……」「はぁ、はぁ、ぶはぁっ、はぁ……」

 ーーどうせ碌な結末にはならないと、それなりに内心で盛り上げてみたものの、然もありなんと思える結果が眼前に。二人とも、仰向けになって、静かな夜の涼風を貪っている。

「えっと、御二人とも、大丈夫ですか?」「……くっ、竜の国の侍従長は化け物か」「いえ、……そこは、邪竜としておいたほうが適当ではないかと。魔獣も可、です」

 ああ、意外と余裕ですね、御二人さん(おつかれさま)。短時間で体力を使い果たしたので、回復も早いと知っているのだろう。精神的な疲労も少ないだろうし、続けて話し掛ける。

「御二人のお陰で、だいぶ勘が取り戻せました。久し振りに、体にずしりとくる衝撃でした」「防御が得意だというのは知ってた……つもりだったが、二人で掛かっても翻弄(ほんろう)されるとはな」「攻撃を……途中で止めることが出来ませんでした。一度でも止まってしまえば、二度と崩せなくなるのではないかと。今から思えば、あれは誘導……だったような」

 エンさんクーさんカレンの所為、もとい、お陰、のもとい、いや、もう彼らの所為だと言ってしまおう。申し訳ないが、今や団長宰相の二人掛かりですら(しの)ぎ切る僕からすると自明のことなので、この光景は予見できたことだった。

「対人戦は、鍛錬だけじゃ駄目ってことかな。実戦のつもりで、殺す気でやったが、ここまで差が出るとはな」「反撃されないとわかっていたのに、この体たらくです」「黄金の秤隊は、冒険者の頃は、氷焔と同じで魔物退治専門だったんですか?」「ん? 侍従長は誤解してるようだが、結果として対峙(たいじ)することはあっても、始めから対人戦を想定した依頼ってのは、あまり回ってこない」「そのような依頼は、極少数の、対人専門の団がーー口さがない連中が『人喰い』との蔑称(べっしょう)を用いる、絶対に敵対したくない人々が受けます」「ああ、一度な、別々の依頼でだが()ち合ったことがあるんだ。フィヨルの即断で、団長同士が闘うことになった」「それはーー、意外ですね。(いさか)いを避けるか、ザーツネルさんに任せるかと」「団員たちが納得しないので引かずに闘いを選び、()つ善戦しながらも負ける必要がありました。そこらの機微(きび)は、その頃のザーツネルにはわからなかったので」「ってことでフィヨルが負けて、俺たちは見物ってことになった。あれはーー凄かったな。拠点を焼く、(いぶ)す。剣なんか合わせない、遠方からの攻撃、(あみ)や罠、二頭の馬の間をロープで繋いでーーなんてこともやってたな」「戦うことすら出来ず狩られてゆく盗賊たちを見下ろしながら、『新月の鎌』の団長は他の手法を教示してくれました。毒や潜入、魔物を誘導して襲撃させるなど、参考になーーらないことを、得々と語ってくれました」

 そうなると、対人戦の鍛錬ばかりしている僕は、通常の冒険者としては失格なのだろう。魔物との戦いは、巨鬼(オーグルーガー)と里の近くで小鬼(ゴブリン)と……いや、どちらも胸を張って、戦った、と言えるようなものじゃなかったけど。僕が小鬼の攻撃を正面から受け止めている間に、背後に回ったカレンが(魔物との実戦は初めてだったので彼女の動きに気付けず)、逡巡は一切なく、すぱっ。目の前の小鬼の首が突然、ぽろりと落ちて。ーー察して下さい。

 然も候ず、如何な僕とて黒曜の魔獣、もとい人型の人間を恐れた(りゅうをげんしした)としても無理からぬこと。こちらに倒れてきた小鬼を、うっかり支えてしまって、血に塗れてしまった僕を見て、溜め息を吐いていた無慈悲で儚げな女の子の姿は忘れられない。

「領内の治安は、領主の責任になるからな。野盗なんかは、領主が出張って、傭兵か冒険者が戦って。功績はぜんぶ領主に。そこまで込みの依頼ーー表向きは違うがな」「当然、野盗や盗賊たち、それにまつろわぬ者たちもそのことは知っているので、様々に策を講じています。そうして、手遅れになる領地も間々あります。魔物には魔物の、人には人の、どうしたところで冒険者には危険が付き纏います」「まぁ、そんなんで、冒険者にも色々ある。俺たちは、『銀の秤』に入団した。で、そこは酷かったんでな、気付けばフィヨルが団長、若い血気はやる連中だらけの団になっちまったってわけさ」

 話の終わりに、ザーツネルさんが立ち上がると、渋々とフィヨルさんも(なら)う。

「銀の秤団のことは、団を乗っ取られ掛けたオルエルさんには秘密にしておきましょう。ディスニア関係で、ささくれ立つこともあるでしょうし」「ん? どうした、フィヨル」「……いえ、あのときの筆頭竜官の表情は、そういう意味だったのかと」「ーーそうか、遅かったか」「っ、そんな他人事のようなことを言うなっ! 私はどうしたら良い⁉」

 そこまで気に病むことではないと思うのだが。心配性というより考え過ぎな、って、あれ、同じ意味か? まぁ、そんな感じの隊長と、対極にあるような副隊長で、侃々諤々(きょうもなかよし)。

 然てこそもう一つの懸案に掛かるとしようか。

「えっと、クーさんが復活してきませんね。コウさんの魔法が仕込んであるので、大丈夫ではあるんでしょうが」

 遺跡での襲撃。竜の国に不法入国したディスニアと再会しても、命の危機に陥ったはずの二人は平然としていた。そのときに彼らが言っていたのだが、二人の心臓辺りには魔法が掛けられているらしく、死の一歩手前で効果を発揮して、兄姉を守るようになっているのだが。結構大雑把らしい王様のことを知った今では、そんな高度な魔法、本当に適切にしっかりと問題なく機能するものなのか、一抹、もとい百抹の不安が残る。二人は、その魔法込みで行動しているので、釘を刺しておくべきだとは思うのだが。

「ん~、こりゃ駄目だな。じじーんとこ連れてっかぁ」

 無造作に近付くと、仰向けのクーさんの片足に巻き込むように腕を入れて、彼女の体の上を転がるように回転。よっ、という掛け声で、クーさんを軽々と肩に担ぎ上げてしまう。近付いた際、奥の足を、遠い側の手で取る。一見不都合な動きのようで、半回転、或いは裏に回ってしまえば、かっちりと()まるのだが、これを感覚的に理解できる人間は多くない。里で習ったのとは、また違ったやり方である。老師から教わったのだろうか、こちらのほうが効率が良さそうだ。などと悠長に考えていたのがいけなかった。その間に、すたこらさっさー、な団長。あっ、と手を伸ばしたときには、中央口に姿を消していた。

「うーわー」

 僕たちは置き去りですか。みーだって、今ではちゃんとお片付けをするというのに。

 今日ばかりは翠緑宮まで、荷物のような扱いでもいいので、連れ帰って欲しかったんですけど。然てまたこれからの、僕の予定の先行きを示すかのように、ぷちっと、いや、音はしなかったんだけど、僕の命運、もとい闘技場の明かりが消えたのだった。




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