八章 千竜王と侍従長 後半
どうせなので、六竜で「結界」を張ってみた。さすがに属性の混合だけあって、「四地竜結界(キュービック ボロン ナイトライド)」にも及ばない。
「ひゃふ? 魔力の流れが安定しているーーですわ?」「面白いです。法則性などまったく見受けられないのに、ーー結果だけが無理やり出されているような状態です」
スナと、魔鏡を覗いたナトラ様が、楽し気に解析や吟味を行ってゆく。どうせばれているだろうと、声は抑えていない。闇に沈んだ部屋の中で、僕の指示通りに、皆が位置に就いたので、
「ぴゃー」
双子との「ふみふみ」な至福の時間を邪魔された、やる気の欠片すら抜け出てしまったラカが、深つ音の時刻を教えてくれる。
どんっ!
四竜ーー百、スナ、ラカ、ナトラ様。歪な四角形の、それぞれの角で、想定した半分の魔力を同時に発する。然しもやはリンの駄目出しが入る。
「やはり、というべきか、問題は百竜でしょう。炎竜に合わせるのが効率的だとして、ラカールラカは問題ありません。すでに『共鳴』水準に至っています」「これでも駄目ですわ? 要求水準が厳しいですわね」「これ以上となると、リシェ殿が言っていたように、調整はゲルブスリンクとフィフォノに任せてしまったほうが良いです」
本番では、この倍の魔力で行われる。糅てて加えて、甚大なる魔力が吹き荒れる中でとなると、ラカですら二竜に頼らないといけない状況になるかもしれない。と、ここで部屋の主ーー聖王がむっくりと体を起こす。そして、慌てた様子もなく、勝利宣言をする。
「かっかっ、私の勝ちだな。机の上を見てみろ」
近くに立っていたリンは、机上の紙を、付与魔法などが施されていないことを確認してから手に取って。こちらは驚いた様子もなく、僕たちに伝えてくれる。
「今日の日付が記されています」「はぁ、毎日、朝起きたら、紙を置いておいたのでしょう。そんな児戯に等しいことで、遊ばないでください」「詰まらんな。あっさり見抜くな。だが、紙を置き始めたのは、昨日からだし、三日以内には来るだろうと思っていたから、引き分けくらいにはしておいてやろう」
さて、これが地なのだろうか。フフスルラニードの国民も、或いは王妃や兄弟、我が子も含めて、晒さなかったであろう姿。ちょっとした演出で、四竜が「光球」を灯して、頭上へと抛る。楽しそうでいいですね(訳、ランル・リシェ)、って、間違えた、これは聖王の反応ではなく、僕の感想だった。間違えてしまったのは、場違いなくらいにのほほんとしている、威厳など何処ぞにぽいっとしてしまった、おっさんの所為である。いっその事、ずっと、おっさん、と呼んでしまいたいところだが、侮っていい相手ではないので、気を緩めないよう、これからも聖王と称えるとしよう。
全竜を、興味津々の、子供のような眼差しで見回していく聖王。なので、僕も皆を順繰りに見てゆく。先ず目に付くのは、ーー不機嫌な竜と、むっつ竜な二竜。竜棋の地竜対決。ナトラ様は竜拳で勝ったので、得意の穴竜囲いで終始優位に進めていったのだけど。僕から学んでしまったリンは、それはそれは卑怯な手を、もとい戦略的に有効な陥穽を仕掛けて、終盤で五分に。そして、もう一つの敗因。恐らく、戦況を左右するような助言をしてしまったのだろう、百は「竜の簀巻き」になって、窓の外にぶら下げられていた。たぶん、戻ってきた氷竜に嗤われる、ところまで「おしおき」に含まれていたのだろう。
リシェ殿が悪いです。とナトラ様に責められたが、リンの戦法も、百の躾を怠ったのも僕の所為かもしれないので、何一つ、反論することが出来なかった。
「他国の王の居室に、無断で侵入するなど、国家間の問題に発展し兼ねぬ、愚劣なる振る舞いぞ」「そうですね。じゃあ、ばれないように、早々に、さくっ、と殺ってしまいましょうか」「かっかっ、そう急くな。まぁ、最後ではあるし、王らしく振る舞ってみただけだ」「ーー何処までが、あなたの思惑通りだったのですか?」
さて、相手の進行に沿っているのもここまで。そろそろ本題に入ろうか。
「全部、と言いたいところだが、そうでもなかったな。私は、魔法王が来ると思っていた。噂の侍従長を伴ってな。だが、遣って来たのは、侍従長と、望外なるかな、四竜も訪れてくださるとは」「あなたにとっての勝利条件とは、フフスルラニード国を救える者が遣って来て、実際に救うこと。あとはーー、色々と誤魔化すこと」「エクーリ・イクリアは、その枠を壊せなかった。が、お主は違ったな。あの男は期待外れーー」
ごうんっ。
風のような、魔力のようなものが床に落ちて。粉微塵になって、部屋の底が抜ける。
「見誤るな」
竜が侮辱されたとしたなら、僕は斯かる言行をするのだろうか。そう、思えるほど冷静であるというのに、焼けながら凍り付くような衝動が。
「そして、思い上がるな。エクは、お前が測れるような易い男ではない」
……、ーー。ーー、……あ。
……仕舞った。仕舞仕舞な感じなので、竜と一緒に塒に帰ろう。いや、もう還りたい。
「かっかっ、どうした? それが本性か?」「…………」
違います。気の迷いです。と言いたいところだったが、言い訳にしか聞こえないだろうから、じっと堪える。いや、エクを擁護するとか、そんなこと……。……うん、忘れよう、竜だって勘違いすることくらいあるんだから、これは聖王の卑劣な策に嵌まってしまった自分が愚かだったのだと、思い込むことにしよう。ふぅ、やっぱり一筋縄ではいかない。というか、経験の差だろうか、あとは相性の悪さもあるのだろうか、どうも遣り難い。今回は勝つことが、屈服させることが目的ではないので。でも、見縊られるのは性に合わないので、聖王、との二つ名にそぐわないよう演技をしているかもしれない御仁の、化けの皮の何枚かは剥がしてやろう。
「で、私がどちらかわかったのかな?」「九割方は、レスラン・スフール・フフスルラニード王、御本人だと思っていますよ。ただ、これだけのことが出来る、してしまえる人間なら、もう王だろうが王弟だろうが、どちらでもいいような気がしています」「まぁ、その部分では嘘は吐かんさ」「嘘吐きは、皆そう言います」「初対面時に、風竜様を出し抜ける気はしなかったのでな。ーー早々に関係者を退避させた」
一転、調子を変えてきた。取り付く島もなく、思惟の湖に、手を沈める心象。こうしたことでは、空に手を伸ばしたくないので、泥を払い除ける心象も加えよう。
ーー関係者、か。嘘は吐かないそうなので、率直に質してみよう。
「今わかっているのは、あなたとレイズルが親子だということ。そして、あの場にいた王妃とは血が繋がっていないということ。あなたが本物のフフスルラニード王だとして、王弟と、あの場にいた弟妃ではない、本物の王妃、第一、第二王子は、ラカの鼻に引っ掛からなかったので、もうこの国にはいないのでしょう。ーー死体も含めて」「ほう。では、王城で犠牲となったのは、レフスラではないと?」「あなたが先に言った通り、最初の会談では、竜に違和感を与えない程度の演技しかしなかった。『スーラカイアの双子』、いえ、『三つ子』は、あなた方の子供ではない。同じく、あなた方の反応から、発生源の遺体は、ーー王弟でもない」「かっかっ、そこまでは正解だな。王妃ーーああ、私の妻はな、知っての通り、他国から嫁いできた。もう役目も済んだし、里帰りしたいというのでな。まぁ、あれは、言っても聞かんのでな、自由にさせた。何故だろうなぁ、レイズルはあんなにも、がちがちの愛国者になってしまったのに、同じように育てた二人の兄は、王になどなりたくない、やら、レイズルがいるからいいだろう、やらーーああ、そうか、父親似、前王の悪いところを変に受け継いだのかな」「今回の件に託けて、二人の王子も国外へと、自由に生きるよう王として、父親として判断を下したのですね」「あと、面倒なのでな、レフスラも、魔法の後進国とでも呼べそうなところに抛り込んでやった。良くも悪くも一途故、今頃研究三昧であろう」
さて、やはり「三つ子」のことは知っていたようだ。それと、ここまで話を聞いていて、苦労人、などという感想が湧いてきてしまったのだが。この一件の、中心にいるようで、何処か他人事のような、未だに底が見えない、というか、底知れないというか。
「で。発生源の遺体、とやらが誰か、わかったのかな?」「……答えたくないんですけど」「それでも構わんが、答えないのなら、私もここで口を噤むぞ?」
頭の片隅に残しておいたのは失敗だったかもしれない。などと、そんなことはないのだけど。エクは訳知り顔で、思わせ振りに、答えは侍従長だ! などと勝ち誇っていた。いや、何か脚色してしまっているような気がするが、今はどうでもよくて。あと、スナは、遺体は年寄りであると肯定していた。
「フフスルラニード国の侍従長ですね」「ああ、あいつは面白い男だった。危難の際には力を発揮するのに、平時に於いては凡庸そのものだった。退隠して、もう十周期は経っていたか。『病魔に負けるのは我慢ならない。死に場所をくだされ』などと言ってきてな。『結界』の媒介にしてやった。王子も侍従長も、どうしてそんなにも、この国を愛することが出来るのか……」
見えてしまう者の苦悩だろうか。未だ僕にはわからないもの。エク以上、兄さん以下。聖王は、二人の間、ではあるのだろうが。数値化なんて出来ないけど、真ん中よりも、ずっとエクの側にあると思える。その才は、彼から何を奪っていったのだろう。
「あなたは、フフスルラニード国を愛していないのですか?」「直球だな。少しは加減せんか」「嫌です。何だか、あなたとは反りが合わないような気がしてならないのです」「奇遇だな。嘘の臭いをぷんぷんさせている、私が一番嫌悪している人間だ」「いえ、あなたには言われたくないのですが」「その通りだ。ーーいつからか、私は私が嫌いになった。お主はどうだ? 今も、自分が好きか?」「…………」
一番嫌悪している人間ーーとは僕のことであり、自分のことでもあったようだ。そこまで見越した聖王の問いに、僕は答えることが出来なかった。エクより上なのだから、僕よりも二枚か三枚くらい上なのだろう、平然と弱いところを突いてくる。僕の答えなど興味がないのか、或いは必要としていないのか、遠くの空を眺めるように、先に行ってしまう聖王。
「父王が戦死して、……あのときの私が、一番幸せだったのかもしれない。国を疲弊させる、嫌いだった父親が死んで、過干渉だった母親は、私を構わなくなり、劣勢の状態から、国の命運を懸けて、志を同じくする者たちと、手探りで進んでいた日々。目紛るしい周期だったがーー」「それも、いつしか終わって、安定して。望んでいたはずのものなのに、手に入れてみたら、思っていたほど、きらきらと輝いていなくて。それどころか、眼前に風の壁でもできてしまったかのように、世界は色褪せていて」「わかったような口を叩くでない。と言いたいところだがな。自分がこんなにも単純で、詰まらない人間なのかと。それでいて、悪政を敷くことも出来ない、楽しむことすらできない。ーーそうして、今やっと解放されるというのに、自分の行く先が未だ見えずにいる」
自分以外のことは、すべて上手くいったとでも言いたげだが。聖王の顔を見るに、そうでもないらしい。ひとりぼっちのおうさま、になるには、彼は弱くて迷いだらけで。でも、そうであるからこそ、彼を慕う、多くの人が集まって国を支え続けてきた。
「はぁ、僕は愚痴を聞きに来たわけではないので、さっさと情報を寄こしやがれ」
「かっかっ、駄賃のようなものだ、もう少し耳を汚しておけ」
若輩の僕を相談相手に選ぶな、と言いたいところだが、聖王は善意で、然もそれなりに有益っぽい話のようなので、困ったことに邪険に扱い切れない。
「栓ずるところ、レイズルの母親は誰なんですか? 浮気相手との子、とか、実はあなたは王弟で、王妃との不義密通の子、とかそんなのは嫌なんですけど」
「嫌だと言うのなら、増しな予想を寄越してみよ」
ふぅ、王族内のごたごたなど無視したいところだが、別の重要な事柄にも係わってくることなので、竜に見られていることを自覚して、視野を拡げるように今回の出来事を意識に浮かべてゆく。そうして希薄な繋がりに意味を持たせていくのだが。昔の僕には出来なかったが、今の僕ならどうだろう。軽く、意識が後ろに引かれるような感覚を覚えながら、聖王を見据えて話し始める。
「先ず、二度目の会見の前に、王妃はすでにとんずら放いていたのですから、会談の場に居たのは、弟妃ですよね?」「そうだな」「リズナクト卿もそうでしたが、二人は、あなたの姿に、特段気にしたような素振りは見られなかった」「その通りだ。それで?」「あなたは今も、そして会談でも、フフスルラニード王であるレスラン殿の姿をしていた」「そうなると不思議だな。あの場に居るのは、王を装った王弟のレフスラであるはずなのに、弟妃とリズナクトは、魔法でも掛けられていたのかな?」「まさか。そんなことをすれば、スナやラカ、ナトラ様が気付きます。大方、僕たちを騙す為と偽って、『魔法を行使して、兄の姿になる』とでも言っておいたのでしょう」「ふむふむ。それも正解だ」
まったく、気軽に頷いてくれるものである。こっちはあまり情報をくれなかったエクの意地悪にも、嫌がらせにもめげず、愛娘との帰り道の団欒を犠牲にしてまで、頭を捏ね繰り回したというのに。はぁ、つまり聖王は、僕たちと接触しないときは、魔法で王弟の姿になっていた。弟妃やリズナクト卿では、王の偽装を見破ることが出来ず、二人は王弟だと信じ込んでいたのだろう。
「もしかして、王弟よりも魔法が得意なんですか?」「それは少し違うな。誰も私の魔法の才を見抜くことが出来なかった」「……何をやってるんですか」「そう言うな。私だって、後悔した。人には、隠し事をしたい周期頃ってものがあるだろう」
いや、それには同じるけど。魔法が使えない相手には、魔法が不得意であるように振る舞い、魔法を得手とする相手には、思わせ振りに振る舞ったのだろう。そう出来るだけの技量はあるのだろうが、王弟には及ばないーーといったところか。そしてこの流れだと、王弟のレフスラは、確実に勘違いしたことだろう。
「もういいです。兄弟喧嘩の経緯なんてどうでもいいです。竜にも角にも、レイズルは、『取り替え子』だということを知っていました」「何だ? 兄として、相応しくあるよう振る舞った、麗しき日々の話は聞きたくないのか?」
本当に、この聖王、何処まで知っているのか。まぁ、一番疑わしいの漏洩源は、エクなんだけど。聖王の味方ではないだろうけど、「竜患い」は敵でもないかもしれないから。弟を持った兄の心情とやらは、聞きたくないわけではないが、それらはガルを始めとした後進の指導から学んでいくとしよう。
「先ず確認したいのは、王弟と弟妃の間の子について、まったく話がなかったことです。誰も口にしなかったーーそれだけの何かがあったと」「レフスラと弟妃、どちらに問題があったのかはわからんがな。或いは、単純に運が悪かっただけなのかもしれん。弟妃は一人目も二人目も、死産だった」「そして三人目。レイズルと、もう一人が同時期に産まれて、『取り替え子』を行った」「さすがだな、侍従長。正解だ」
嘘は言わない、がすべては言わない。勘違いするのは相手の自由。僕も使う手である。然かし、それが嘘だと知っていると、こんなにも嫌な気分になるのか。うん、これからは使いどころに気を付けて、もっと上手くやろう。
「本当に嫌な想像なんですけどね。弟妃は、幸いにも元気な子を産んだ。そして逆に王妃は、病弱な子を産んだ」「…………」「そう、この時点で、すでに『取り替え子』が行われていた」「ーーーー」「然し、それを知っていたのは、あなた一人」
実際に行われたことであるなどと信じたくない、行き着いてしまった妄想ーーであることを期待して、重た過ぎるものをどうにか運んできて、やっとこ口まで、転び出るように言葉を連ねて詳らかにする。
「王弟は、あなたに対して劣等感ーーなどという単純なものではないでしょうが、長い周期で育まれた縺れがあった。王弟は、弟妃の不安に付け込んだ。『自分たちが育てれば、大切な子を失ってしまうかもしれない。私たちの子は、兄に育てて貰おう』と唆して、どれほど悩んだのでしょうか、死産の辛い記憶からか、弟妃は、その提案を受け容れてしまった」
そう、「取り替え子」は二度行われたのだ。果たして、お互いの子は、正しく親の許に戻されることとなる。魔法や、他にも様々な手段を用いたのだろう、重要なのは、この事実を知っている、いや、知っていたのは聖王だけということだ。
「はぁ、……弟妃の子は、弟妃が王と王妃の子だと思っていた赤子は、病か何かで亡くなってしまったのでしょう。弟妃はーーああ、あと王弟も、レイズルが自分の子であると思っている」
初めは冷たい印象だった弟妃は、ラカを抱いて、母親の顔になった。あの柔らかな、優しい面に、嘘があるなどとは思えない。彼女にとって、レイズルは大切な、本当の宝物、希望なのだろう。この状況を作った、演出ーーという言葉は悪いか、いったい誰にとっての幸せだったのか。子どころか、結婚も恋人も居たことがない、経験したことがない僕が、軽々に語れるものではない。
「知っているだろうが、妻はな、二人の王子を産んで、役割は果たしたと、レイズルに興味を持たなかった。母親代わり、といえるほど接触は多くなかったがな、レイズルは弟妃を母のように慕い、弟妃も我が子のように可愛がった。レイズルは強情でもあるからな、色々と企んで、弟妃を前王妃と偽って、それなりの地位に据えてしまうやもしれんな」
ああ、うん、レイズルなら遣ってしまいそうだ。正しいことを、正しいと信じて、行ってしまう。聖王とはまた違った危うさを、あの子も抱えている。まぁ、そこはすべての元凶とも言える聖王がどうにかするのだろう。そこまでは、僕の知ったこっちゃない。
「あとは、リズナクト卿ですか。可哀想じゃないですか、とんずら放く前に、土下寝でもしていってください」「それでも良いのだがな。それは正しいのか?」「敢えて憎まれることで、生きる意味を与えたーーなんてことじゃないですよね」「どうだろうな。正解のある人生とやらは、楽なのか詰まらないのか、難しいところだ」
どうして、この人はこんなにもこんがらがっているのだろう。どうにか出来てしまうから、どうにかしてしまった。出来なければ、不幸を共に背負って、前に進むーーそんな道もあっただろうに。責任を、相手に背負わせることが出来なかった、いや、下手だった、のほうが適切かもしれない、ある意味、不器用な人間ーーと言っていいのか。王様ならぬ王さまな女の子を思い出してしまったが、今は気が緩んでしまうので、仔炎竜と一緒に遠くで昼寝していてもらう。
「で、リシェよ。お主は、どう見たのだ?」「そうですね。非常に嫌なことに、ここまであなたと話して、あなたの性格を程好く理解してしまいました。あなたがリズナクト卿に対して、謝ることも真相を話すこともしていないとなると。不幸なのか不運なことに、リズナクト卿は勘違いをしているーーという線が濃厚になってきます」
今度は何も答えない。教えてやるから、さっさと続きを話せ(訳、ランル・リシェ)、ということだろう。思惟の湖ではない場所に、もう一段、深く潜る心象を行う。
「僕が思うに、リズナクト卿が命懸けの特攻を仕掛けずとも、防衛は可能だったんじゃないかと分析しています。結果論ですが、リズナクト卿の特攻は無駄だった。それだけでなく、下手をすれば全軍が瓦解する危機を孕んでいた」「リズナクトは、手に入れた情報から、自分に都合の良い物語を創ってしまった。それはもう、奴にとっての事実だ。誰もが本当のことを言うわけではない。領民を喪ったリズナクトは、愚かなことに、問い詰められ、命を失う危険があった者の言葉を信じてしまった」「解き解せば、リズナクト卿は、罪の意識に耐え切れず、自裁を選択してしまうと?」「どうだろうな。私は臆病だったのかもしれない。一歩、踏み出すことが出来なかった。内部にも敵はいる。その為の対策も講じた。だが、正しい場所には辿り着けなかった」
リズナクト卿の特攻は、命令無視だった。巧まずして、想定外の勝利を拾ったが、それは聖王の戦略から外れるものであった。言いたくはないが、不幸中の幸い。命令を守っていれば、「レイドレイクの豪弓」は倒せなかっただろうが、少ない犠牲で撃退できていただろう。過去は取り返せないものだけど、リズナクト卿は、聖王を信じ切ることが出来なかったのだ。領民を想う気持ちが強かったとはいえ、自分のほうが正しいと、行動を、決断してしまった。その結果、生じてしまった、ただの勘違い、たった一つの齟齬が、今に至るまでの糸を縺れさせてしまった。
縺れた糸は、他にも波及して。テルミナの母親である〝目〟も、リズナクト卿の特攻から勘違いを犯してしまった。当然、その誤謬も聖王に利用されることになる。
恐らくリズナクト卿は、聖王が企んだことだと思い、彼の王を最後まで信じ切ることが出来なかった自身の心情には心付いていない。こんな危うい均衡を長周期保ってきた。やだなぁ、僕もあと何十周期か巡ったら、こんな面倒臭い、それでいて温かさを伴っているかもしれない運命を背負う(いとにからめられる)ことになるのだろうか。人生とは、縁の糸を結わえていくもので、絡ませていくものではないと信じたい、思いたいところだが。ちょっと老師に似ていなくもない聖王に、そこのところ、安心できる、希望が持てる言葉を吐き出させたいのだが。望み薄かもしれないが、組み込んでみるとしよう。
「では、これから逃げるんですか?」「遣り過ぎると王弟ではないとばれるのでな、そこそこに国内を乱れさせておいた。そんなことをしている自分が馬鹿に思えてくるが、もはや性分だと諦めた」「で、国を救う役目は、他人に、他国の人間と竜に、丸投げですか」「そこは問題なかろう。この場に魔法王が来ていない時点で、お主たちにも事態の解決は必至であろうからな」「…………」
ほんと、食えないおっさんだ。うん、もうだいたい話も済んだし、おっさん呼びで構わないだろう。このっ、おっさん! おっさん!! おっさん!? おっさん??
「こらこら、内心で人を貶めるのは止めろ」
ちくしょう、ばれたか。僕が聖王をそれなりに理解したように、聖王も僕をそこそこ理解してしまったようだ。然てこそ最後の、最も重要とも言える事柄について聞かなければならないのだが。芳しくない答えが返ってきそうなので、どう切り出すか悩みどころだ。
「『三つ子』に対する、あなたと弟妃の関心の薄さは、いえ、正確には、関心の向かう先が異なっているのは、間違いないものだと思います。そして、王弟と王妃が、早々に国外へと退去したことから、こちらは確定ではありませんが、ーー『三つ子』は王家とは関係がないのではないですか?」
聖王と弟妃の、子を想う気持ちは本物だろう。王弟と王妃の密通ーーを疑ったこともあるが、どうもこれらの人物たちの相関図からして、それはまず有り得ないだろう。であるなら、外部のーーそれも特定の事項に関連しているかもしれないのだが。
「幾つか予想しておるようだが、答えにまでは辿り着けないか」「僕が届く範囲で予想するなら、その者ーー『三つ子』の母親は、東域で唯一、『三つ子』を助けてくれるだろうフフスルラニード国を頼った。あなたは『三つ子』の危険性に気付き、王城で出産するよう勧めた」「ほう。驚いたな。以前、エクーリ・イクリア以外の〝目〟に会ったことがあるが、思ったより増し、という程度でしかなかったが」
褒めてくれたのだろうが、僕が言ったことが合っているかどうかには言及していない。仕方がない、僕の想像なのか妄想なのかを止めないのだから、このまま更に膨らませていくとしよう。
「畢竟、今回の一件の始まりは、『三つ子』の母親だった。そこから、僕たちの来訪までを予測して、策を練った。ーーただ、不思議なことがあるんですよね。この母親、どうやってあなたに『三つ子』のことを信じさせたのかーー?」「かっかっ、そこの何処に、おかしな点がある?」「いえ、幾つか思い付いたんですけど、動機となるものとして、これが最有力なのではないかと。その女性に、ーー惚れましたか?」「っ!? くっ、四十のおっさんが初恋で何が悪い!!」
ああ、当たってるんだ。さすがにこれは演技ではないだろう。それこそ、四十のおっさんが頬を赤らめないで欲しい。聖王も、ここまで暴かれれば隠し事はしないようだ。そういえば、父さんが言ってたっけ。仮初めでも、優位に立ったようなので、役に立つんだかどうだかわからない父さんの言葉を、それっぽく言ってみよう。
「恋に周期など関係ありません。色付いたそのときが、人生の花盛りなのです」
あ、やっぱり駄目だったか。お菓子を食べているギザマルを、微笑ましく眺めるような目で見られているが、これは父さんの言葉なので、僕の魂はーーちょっときつい。うん、言わなければ良かった。見ると、ギザマルの食べ掛けのお菓子を横取りして、悪戯をしようとしているような愛娘の満面の笑みが、僕の魂を冷え冷え(ほやほや)にして。
「ひゃふ。まったく、初恋もまだの父様が言ってくれるものですわ」
は? え? スナは何を言っているのだろう。
「えっと、スナ。僕の初恋の相手って、スナだよ」「……ひゃ…ふ? ……ひゃぶ?!」
いや、だから何で、そんなに驚いているんだろう。ああ、風竜みたいにあわあわしながら、しゅわしゅわと冷気が漏れ出てしまっている。氷竜に自覚がなかったのは驚きだが、部屋が真っ白になってしまいそうなので、出逢う前から出逢っていた、あのときのーー初恋、或いは魂から求めた、人生の宝物の話をする。
「スナと再会してから、思い出していったことだけどね。あのとき、スナを見た瞬間、吸い寄せられるようにスナしか見えなくなって。色彩を変えて、これまで見ていた景色が、嘘だったかのように鮮やかになって。鼓動は穏やかだったのに、ただただ体だけが熱くなって。僕は子供だったから、どうすればいいかもわからず、スナにくっ付いて、溢れる衝動に耐えながら、スナの心地好さに魂を震わせることしか出来なかった」「……ひゃにゅ~」「ぴゃ~っ!?」
ラカが強制横移動で、わたわたしていた。どうやら、スナの防壁として活用されるようだ。釣られた小魚のように、ぐいぐいと引き寄せられている。然て置きて、当たり前のように語ったが、実は、へっぽこ詩人を宿してスナに捧げるまで、これらの狂おしいほどの感情を思い出すことができなかったのだけど。以前は、スナの言う通り、恋心というものを理解できず、悩んだりしたこともあったのだけど。蛇足というか竜足になりそうなので、秘密にしておこう。
「相変わらず、リシェ殿はわからないです。『人化』した竜ではなく、竜にーー氷竜に一目惚れしたです?」「う~ん、幼周期のことは、そこまで完璧に覚えているわけじゃないんだけど、あの頃の僕は、嫌悪、とまではいかないものの、人間を毛嫌いしていた節があったからね。そうだね、言うなればーー」
当意即妙とはいかず、わたんわたんっな風竜が氷竜に捕獲されたのを確認してから。ゆくりなく浮かび上がってきた言葉を、まぁいいか、ってことでそのまま口にする。
「ーー生まれて初めて、美しいもの、を見た。それ以外のすべてが、些末なことに感じてしまうほど、可愛くて、魅力的なそれに、囚われ、魂から焦がれていた」
心まで、すとんっ、と落ちてくる。スナとの大切な出逢いだけに、正しく伝えられたことを喜んでいると、せっかく引き寄せたラカを、愛娘はぽいっとしてしまった。
「もー、よーは済んだですわ。とーととずらかるがよーのですわ」
ふらふらと踵を返して、たーう! と跳び上がったみーを幻視してしまうくらいの未熟さで、更には更には、魔法使いな王様水準の挙動不審さで、窓の外に消えてしまった僕の大切な愛娘。炎竜の竜眼がすべてを語り尽くしているので、幼竜退行してしまったかのような愛娘に関して、僕のほうから何か言うのは控えておこう。
「そこの王様は、うんうん頷かないでください」「さすがにこの周期になるとな、恥ずかしい言葉を、臆面もなく言い放つことに抵抗を覚えるようになるのだ」
……まるで僕が、羞恥心の欠片もない、恥ずかしい人間のように言わないでください。ふぅ、何だかおかしな方向に行ってしまったが、後の妨げの可能性もあるので、これだけは最後に聞いておかないと。
「それで、あなたが一目惚れしたという女性は、何者だったのですか?」「何者ーーか。先程も、その者、とか言っていたが、人間でないことも想定しているのか?」「いえ、聞いているのは僕なんですけど。はぁ……、まぁ、そうですね。件の女性が竜であるかもしれないと思っているし、そうであるなら、『三つ子』は竜人となるかもしれない」
聖王が知らないであろうこと。幻想種の竜に、これまで「分化」した竜はいない。もし女性が「人化」した竜だとしたなら、魔獣種の竜のいる大陸から遣って来たということになる。そして、奈落で玉さんが言っていた、魔獣種だという二竜ーーん? ……んんん? あれ? いやいやちょっと待て?? いや、ちょっと落ち着け、僕。ちょっと落ち着いていないのは、三回も繰り返してしまったことからわかっているので、竜にも角にも、風竜を引き寄せて、抱き心地を確かめる、ではなく、一旦疑念を吹き払ってもらう。
「ぴゅー?」「へーんーっ」
合っ体っ! とフィンが最適な行動を取ってくれたので、竜々で僕の心はうっはうは……げふんっげふんっ。ああ、やばい、クーさんが白旗を上げている姿を幻視してしまった。まだまだだな、という表情で上から目線のデアさんのことはどうでもいいので、竜の尻尾で弾き飛ばしておく。
「……えっと、百でも、ナトラ様でもいいんだけど、ああ、こういうことは、もしかしたらラカのほうが知っているのかもしれないのかな?」「主よ、何を言い淀んでおる。我の、竜の叡智が必要なのであろう、如何様なことでも聞くが良い」「百竜。もう少し、話の流れというものを読んだほうが身の為です」「む?」
ナトラ様は思い至ったようだ。それでいて答えないということは、それらに関する知識を持ち合わせていないということだろう。百がまた、おかしなことを言ってしまう前に、さっさと質してしまおう。
「フフスルラニード国に戻ってくるときに話しましたが、魔獣種の竜は、二竜居る、というか、居た、そうです。そこで皆に聞きたいんだけど。ーー竜と竜の間に生まれた仔は、竜の姿をしているんだよね?」「ぬ?」「ひゅ~?」「は……、です?」「こーうー?」「知りません」
僕の言葉に、全竜が首を傾げる。って、ちょっと待ったナトラ様。話の流れ、とやらから、心付いていたんじゃないんですか。ん~、そうじゃないとするなら、地竜はいったい何を考えていたのだろうか。って、今はナトラ様の心情を追究している場合ではない。
そもそも、身籠もったとして、「人化」が可能なのだろうか。そうなると、胎児というか胎竜(?)まで、「人化」する、或いは親が強制的に「人化」させている可能性があるがーー。いや、ここら辺の考察は、もっと具体的な情報を得てからのほうがいいだろう。
「その女性は、二十歳くらいでしたか? 人とは違う何かを感取しませんでしたか?」「美しい、というよりは、魅力的な女だったな。様相は、砂漠の民のものであったな」「は? 砂漠って、大陸にはそんなものありませんけど」「お主は、妙なところで鈍いな。大陸に決まっているだろう」
うぐっ、言われてみれば、それ以外の答えなんてなくて。僕は大陸に砂漠があるかどうかなんて知りません。などという言い訳は、負け惜しみにしても酷過ぎるので、ここは素直に敗北を認めよう。
「それで、大陸から遣って来た人間、という蓋然性もあるわけですが、……もう帰って寝たいので、竜に『おしおき』されたくなかったら、全部情報ください」「ぶっちゃけたな。ならわかっているだろう。惚れた弱み、という奴だ。竜の国の侍従長のように、竜を手玉に取ることなんて出来ないのでな、あの者の事情を詮索するなど、考えもしなかった」「…………」
まったく、ここにきて、非常に面倒臭い可能性が持ち上がってしまった。僕たちを利用して、様々な問題を解決しようとした聖王。その聖王すら、利用しようとした女性ーーという構図が成り立つかもしれないのだ。女性が竜だとしたなら、自分一竜だけ、若しくは番、というか夫婦の二竜でも、我が子を救うことは出来ないと、聖王、延いては僕たちまで利用しようと。思惑通りに動いている、動かされている、ということになるのだが。……またしても、嫌な想像をしてしまった。竜は、優れた能力を具えている。知識も知恵も、叡智と呼べるほどに卓越したものではあるが。今回のような細い、というより、あるかないかもわからないような、風を捕まえるような、無謀とも言える可能性に思い至って、企む、或いは縋るものなのだろうか。ふぅ、そこに嵌まる、大き過ぎる欠片。ーーそう、里長。『至高の〝サイカ〟』が係わっていたのなら、この程度、と言ってしまえる水準で、里長は軽々と遣って退けるだろう。どれだけ高みに在るのかは、今の僕では想像も付かないけれど、兄さんよりも上だというのだから、ーーああ、嫌だ嫌だ、これはただの偶然だ! ということで、里長を竜の尻尾で弾き飛ばそうとしたら、幻影だというのに、すいっと躱してしまった。なんてこった! と内心でお道化てみたが背中の寒気はなくならない。
僕たちは聖王に、聖王は女性に、そして女性は里長に。こんな図式、間違いであって欲しい。でも、現実は笑いながら不幸を投げ込むほどに残酷なものだから、僕の願望なんて、ぺちょんっ、と潰されて、汚泥と一緒にぐりぐりされてしまうのだろう。って、おかしな妄想に浸っている場合ではなく。もう帰ってしまってもいいわけだが、気分良く帰りたいので、もう本当に、最後の最後に聖王をとっちめておこう。
「あなたは、一つだけ失敗しましたね」「何のことかな」「恐らくは、僕が推測した事柄に思い至ったのは、すでに策を実行した、或いは引き返せないところまで行ってしまったあとだった」「ーーーー」「あなたは、恋情に引き摺られて、女性を手に入れようとしてしまった。それが目を曇らせた。気付けば、その後に知った、二つ目の望みを叶えられなくなっていた」「……性格が悪いな。そういうのは、気付いても、そのまま胸に秘めて、立ち去るべきであろうが」
恋した女性のよすが。子供たちの存在。女性を喪うと、運命は交わらないと思い知るまで、心付くことが出来なかった。そして、もう一つ。ーー子供が竜である可能性。彼はもう、そこに係わることは出来ない。レイズルが王となって、彼はフフスルラニード国に、二度と戻ることはないだろう。竜に囚われてしまった男。そんな言葉は酷なのかもしれないけど。何故だか、彼の心が手に取るようにわかってしまう。まったく、罪作りな竜だな。ということで、魔力をずんどこ籠めて、二竜を撫で撫で。ふんっ、どうだ羨ましいか! と踏ん反り返ってやる。
「ーー、……はぁ」
とまれ、実は僕も落ち込んでいるのだけど。現時点から見れば、丸見え。今と、『三つ子』は、しっかりと線で結ばれている。だが、スナから双子ではなく三つ子だと聞かされたとき、可能性から蓋然性へと落とし込めていたはずなのに、ーー決め付けてしまっていた。はぁ、これじゃ、「騒乱」のときから何も変わっていないじゃないか。以前より増しだという自覚はある。ただ、二歩進んで一歩下がる、といったもので、ときどき、一歩進んで二歩下がる、なんてものも交っていて。それでもまぁ、何とか進んでいるのが僕なんだけど。竜にも角にも、空に伸ばすはずの手は、手慰みに二竜をわさわさして誤魔化すことにする。
「それでは、夜分遅くに失礼いたしました」「ーーおかしな男だ。その言葉に嘘はないのに、同時に、まったく罪の意識を持ち合わせていない。お主はもう、完全に竜に、心を預けてしまっているのだろうな」「……じゃ、皆、行こうか」
答えは求められていないようだったので、皆を促す。窓の外では、スナが待っていてくれるのではないかと期待してしまっていたが、……どうやら羞恥心が過少な父親は、娘に見捨てられてしまったようだ。いや、そんなことはないのだろうがーーっ!?
「えっ?!」
五竜と一緒に窓から飛び立って、王宮の敷地外に出るや否や、僕は急降下した。そのまま脇目も振らず、胸に飛び込んでゆく。
「兄さんっ!」
ぶにっ。げしっげしっ。
あ、僕と兄さんの間で、ラカが潰されていた。此れ幸いと(?)フィンがまた、風竜を足蹴にする。
「びゃ~っ、りえっ、りえっ、りえっ!」
竜にも角にも、フィンの足に魔力を練り込んでいると、兄さんは指を下に向けながら、僕の瑕疵を柔らかに窘める。
「ほーら、嬉しいのは僕も同じだけど、視野が狭くなっているよ」
何のことかと思って、兄さんの指の先を辿っていくと、
「……エク、何してるの?」
兄さんの下に、悪友がいた。なので、僕も皆から魔力を貰うのを止めて、むぎゅ。
「さすがに二人分は重えって! 中身が出ちゃうっ、中身出ちゃうっ!」
「中身は出さなくていいから、ここにいる理由を吐け」
軽く足踏みしてやると、思っていたこととは違う答えが返ってきた。
「アルンさんに連れてこられたんだよ」「え? 僕たちと聖王の密会を覗きに来たんじゃないの?」「俺は俺で、別にやることがあったんだよ。そしたらよ、道の角を曲がったら、『笑う邪竜王』がいやがったんだよ」「うん、何も問題はないよ。イクリアが遣ろうとしていたことは、全部僕が片付けておいたから。だから今度は、イクリアがその借りを、僕に返す番、ということだね」「…………」
あ、エクが死んだ。いや、死んだ、というのは比喩で、精神的に完全敗北した、という意味なのだが。まったく、敵うはずなんてないのに、何処で兄さんに目を付けられてしまったのやら。
「エクは、兄さんが使うんですか? 僕も、それは一つの手ではあると思っていたんですけど」「それなんだけどね。リシェも知っているだろうけど、僕たちはこれから、カイナス三兄弟の相手をすることになる。僕たちは彼らの邪魔をするつもりはないんだけど、残念ながら、彼らは僕たちの行いを許容することはないだろうからね。だから、有能な補佐がもう一人欲しくてね」「ーーん?」
視野が狭くなっていると窘められたが、それは今も続いてしまっていたようで。兄さんの後ろに男性が立っていることに気付いた。のだが、初対面のはずなのに、何故だろう、疑いもなく口を衝いて出てしまった。
「ミニスさんの偉大なる父親さん」「……不肖の娘が世話を掛けた」
彼が兄さんの言っていた、有能な補佐の一人なのだろう、風格がある。上手く言葉に出来ないが、表というより裏、いや、闇とでも言うべきか、住む場所が異なる人間が発する、不思議な異臭がした。兄さんの味方なので、僕は彼をまったく警戒していなかったのだが、偉大親父さんはそうではなかったらしい。三十半ばくらいだろうか、道を歩けば、半分くらいは道を譲るだろう、強面を歪ませながら声を絞り出すように所感を述べた。
「……これは酷い。さすがはニーウ・アルンの弟だ」「リシェ殿の酷さが、わかるです?」「はい、地竜様。私の眼は、魔力を色として捉えることが出来るのです。感情の種類や起伏、嘘を吐いているかどうかまで、ーーまぁ、雇い主の水準になると、逆に振り回されてしまうことにもなるのですが。竜の方々も同じですね、眩し過ぎて、判別など付きません。そして、弟君は……」「問題ないです。言葉にせずとも、同感できるです」「恐れ入ります」
酷いや、ナトラ様。でも、偉大親父さんから見てもそうなら、竜にも角にも、異議を唱えたり文句を言ったり、ということは控えておこう。兄さんが選んだ人材だけあって、竜とも問題なく対応している。護衛として後ろに立っているだけでも、相手への牽制になりそうだ。況して、魔力を捉えることの出来る眼となればーー。ふむ、この偉大親父さんを見て、決心した。僕は彼女の味方をすることにしよう。
「おめでとうございます、兄さん。ミニスさんから聞きました。結婚を前提とした恋人関係になったんですね」「「…………」」
偉大親父さんは頭を抱えた。当然兄さんは、僕がミニスさんの味方になったと、不味い局面になったと悟ったので、「俊才」は完全無欠に話題を逸らした。
「こちらの氷竜様は、以前、僕を草の海まで運んでくださった竜ではないのですよね」「すーっるーっ!」「……兄さんとは初対面のようです」
さすが兄さん、僕に向けるのと同水準の罵詈雑言をフィンから浴びせられた。兄さんと接触した氷竜は、足で竜掴みしたのはフィンではなくスナなのでーーと、これは? スナは窓の外、だけでなく周囲にも居ないようだった。もしかして、兄さんとの接触を避けた? う~ん、スナなりに何か考えがあるかもしれないので、ここは黙っておくか。
「では、風竜様は、どうでしょう?」「ひゅー。前に、雲の中で擦れ違った魔力なのあ」「あのときは髪の毛が、ぼはんっ、としていましたが、この布もリシェの贈り物なのかな、風の尻尾が良く似合ってますよ」「ぴゅ~。わえのお気に入い」
え? そうだったの? 嫌がっていないことはわかっていたけど、そこまで気に入って貰えているとは思っていなかったので、うわ、何だろう、体がむず痒い。う~む、それにしても、兄さんと別れたあと、雲中ではそんなことになっていたとは。
「氷竜様は、風竜様を追って遣って来たようなので、氷竜様と話ができたのは白竜様のお陰です。感謝いたします」「ぴゃー。りえの兄だかあ。風の祝福を上げう」
ラカの風が、兄さんの腰辺りに、ナイフか何かだろうか、って、いや、ちょっとラカさん、ラカ様、遣り過ぎじゃないでしょうか。……どうやら、偉大親父さんが顔を背けてしまうくらいの大量の魔力が注がれたようだった。これは、スナがやったことを真似たのだろうか。兄さんは、感謝を籠めて、風竜の頭を撫で撫で。みーのときと同じく、角を矯めつ眇めつ触り始めたので、ラカを剥がして、兄さんの寝床としての査定をーーと思ったのだが。何故だがラカは、僕にひしっと掴まって、離れなかった。フィンに場所を奪われることを危惧してのことかと思ったが、ラカの湿っぽい風からすると、どうも違うようだ。
「まさか兄さん、竜に嫌われてる?」
「あっと、それは竜に聞いてみないとわからない、かな」
変魔さん、という前例がある。ナトラ様でも分析できなかった、竜を遠ざける何か。僕から離れない風竜と、僕と同水準の悪口雑言を投げ付けた氷竜。気不味い雰囲気に気付いた偉大親父さんが、話題転換を図りながら、僕たちを手で払って見事な手際でエクを縛り上げてゆく。
「そのナイフ。俺の居る前では、なるべく使わないで下さ、って、阿呆かっ、止めろ!」
そんな言い方をされて、兄さんがナイフを抜かないはずがないのに。やっぱりミニスさんの父親なのか、うん、彼の評価を修正しておこう。
「色々あったようだけど、リシェは強くなったようだね」「はい。力だけなら、兄さんを上回ったと思います。でも、それだけじゃ、兄さんには敵いません」「はは、そうだね。まだまだ力に振り回されているようだし、僕に勝つには精進が必要だね」「はい。『千竜王』と、それ以外の魔力、あといずれ聖語も刻めるようになるかもしれないので、もっと強くなって、兄さんに一撃入れられるようになってみせます」「ーーーー」
何だかよくわからないが、ミニス親父さんが兄さんの肩を、ぽんっ、と慰めるように叩いていた。然しもやは「竜患い(ばか)」が騒ぎ出した。
「嫌ぁだ~~っ! どぅーせ働くなら、リシェんところでっ、竜の国で~っ、遊んでやるんだぁ~~っっ!! もっと風竜様のぉ~お尻を~ぅ撫で回さねぇえと……」
悪友は事切れた。って、また比喩を使ってしまったが、そうなっても仕方がないと思えるくらい、見事ーーを超えた、匠の技、とでも言うべきか。ここまで完璧なものは初めて見た。ミニス親父さん、もとい偉大親父さんがエクの首の後ろを叩くと、糸が切れた人形のように、ふっとエクは意識を失ってしまった。
「里では、素人がやるのは危険だからと、推奨されていませんでしたが、さすがはミニスさんの偉大なる親父さんです」
「娘の味方になってくれたことには感謝するから、そのおかしな呼び名は止めてくれ」
エクを軽々と担ぎ上げて、自分の役目は終わったとばかりに、無言で闇に消えていった。魔法でも使ったのか、竜眼でも追い切れなかったようだ。
「ミニスさんには手紙を託しておきました。東域の中心点についても、落ち着いてから纏めて、送ろうと思いますが、誰に送ればいいですか?」「誰、か。じゃあ、これからレイズル王子と伝手を作っておくから、彼に送ってくればいいよ。たぶん、リシェの手紙を渡してくれるとき、レイズル王となった彼は、とても良い表情を見せてくれるだろうからね」
すでに東域に、情報網が出来上がっているのだろうか。それとも、僕たちが王宮から出てくるまでの間、暇潰しにエクをいびって情報を抜き取っていたのかも。
「今回も、止めたいんだけどね。でも、リシェが決めたことだから。弟を見守るのも兄の特権だから。ーーリシェが失敗したら、余りのことに、うっかり大陸を滅ぼしてしまうことになるかもしれないので、気を付けるんだよ」「はは、わかりました。兄さんを大罪人にしない為にも、望んだ未来へと、辿り着いてみせます」
最後に、ラカごと僕を抱き締めて、兄さんも闇に溶けるように去っていった。
「右手は貰いました。左手が空いていますが、どうしますか?」
再びの別れ。余韻を打ち消すように、リンが手を繋いでくる。僕は欲張りなので、あと一竜に(ナトラ様は話が終わると、用事があるのか早々に帰っていった)、ふら~りふら~りと寂しそうな左手を見せ付ける。躊躇った百だが、仲間外れになるのは竜でも嫌だったらしく、三竜に倣って、
「『千竜王』とヴァレイスナの初恋話に拗ねていないで、均衡が悪いので、早く左手に掴まりましょう」
遣って来た百だったのだが。どうしよう、リンが意地悪竜になってしまった。炎竜は、すたすたすた、とそのまま去っていってしまった。いや、リンはただ事実を言っただけで、左右対称にしようとしただけで、悪意はまったくなかったんだけど。地竜は僕から手を放すと、左右は無理でも前後を整えようと、背中をよじよじよじよじ。氷竜のお尻に頭をぶつけて、そこで止まった。
「えっと、そこでいいの、リンちゃん?」
「不条理、という言葉がこの世界にはあります。何事も理想通りにはいかないものです」
何か壮大な話になっているが、まぁ、気にしたら負け、という奴だろう。両手が空いたので、魔力で三竜を代わり番こに愛おしみながら、ラカをげしげしするフィンのやんちゃな足に、めっ、しながら、ゆっくりと竜々な夜の散歩を楽しんだのだった。
目を覚ます。まだ寝惚けているという自覚があるので、遣ってみようか。
「…………」
ふぅー。……では。ーー右手に竜~! 左手に竜~! お腹に竜~! 肩に竜~! 皆合わせて……ごぼんっ。……失礼いたしました。どうやら許容量を超えてしまったようです。
「ーーーー」
いや、馬鹿なことを(つうじょううんてん)していないで。竜にも角にも、右腕を動かそうとするが、スナにがっちりと抱き付かれているので、びくともしない。左手は同様にリンがーーん? スナより重く感じるのは、地竜としての属性が無意識に発露しているのだろうか。って、違うか、リンは地竜であることを隠していないので、……いやいや、今は正しい言葉を探している場合ではなく。竜にも角にも、お腹の風竜は、いつものことなのでそのままでいいとして。ああ、でもフラン姉妹には悪いことをしてしまった。朝起きたら、愛しの風竜が居ないわけだし。それはまぁ、あとで双子の制裁を甘んじて受けるとして。肩にはフィンなので、頭がお股なわけだけど、……うん、怖い。起きしなに、じぃ~~、と鎮火したような竜眼で見下ろされるのは、疚しさだらけの少年にとっては、まったく以て心臓に良くない。
「気にすることはありません。夜明け前まで、百竜は『千竜王』の手を握っていました」「明日までに回復できよう分だけ注いだ。感謝するが良い」「うん、ありがとう、百。あと、もっと感謝したいので、竜にも角にも、ラカ以外はぁぐぅえっ!?」
くっ! 仕舞った、油断してた! せっかく皆の魔力を、竜を傍に、心地を堪能することで絶命水準の体を癒やしていたというのに、悪化させてしまったら元も子もない。魔力を貰おうかと思ったが、その前に百がフィンの足を緩めてくれる。ふぅ、寝ている間に、フィンの首絞めがなかったので、足癖の悪さが直ったのかと思っていたが、最後の最後に不意打ちを食らってしまうとは。
「主よ。体はどうか?」「うん、皆のお陰で、だいぶ良くなったかな。あとは、今日一日安静にして、重傷未満にはなるんじゃないかな」「もう一日か二日、延期したところで問題はないと思います」「僕たちには影響はないかもね。でも、この国、フフスルラニード国には色々あるから。レイズル様やベレンさんの為にも、早々にお暇しないと」
ずりずりずりずり、と愛娘が風竜の上まで這い上がって、ぷしゅ~、と冷気を放出。僕と二人っ切りではなく、他竜もいるので、寝惚け竜になってしまっていたスナも、薄っすらではあるが竜眼を開けていた。
「……朝っぱらから嘘を吐くな、……ですわ。……あまり時間を空けると、……父様のことですから、……考え過ぎて、……不必要な不安を溜め込んでいって、……身動き取れなくなっていく、……ですわ」
お為ごかしの言葉なんて、スナにはまったく通用しなくて。他にも、コウさんの魔法が信用できない、とか、いつ命数が尽きるかわからない老師の為に、とか、色々と捏ち上げることは出来るんだけど。この旅の間に、積み上げて、背負ってきたもの。竜との出逢いや、多くの人々との交流は、温かなものを僕に齎してくれたのだけど。……そろそろ限界というか、一旦がっつりと休まないと、ぽんこつな僕ではもうどうしようもなくて。兄さんの前では強がったけど。一刻も早く、最も大きな荷である、「三つ子」の問題をどうにかして、肩を、心を、精神を、楽にしてしまいたいのだ。ふぅ、まだ終わっていないというのに、一番大変なことがこれからあるというのに、今回の旅を顧みたい気分にさせられてしまう。ああ、これはあれか。試験や試問の前の、そわそわして落ち着かなくなる、誰もが経験するやつに似ている。いや、誰もが、というのは間違いか、兄さんーーそれにエクも、あとはカレンもそうかな、彼らは小心者の僕とは何が違うのだろう。
「僕の血を吸うのは、竜の国に帰ってからにしてね」
ぼんやりと考え事をしていると、愛娘が僕を食べたそうな顔をしていたので、全竜からちょこっと拝借した魔力をスナのお口に、あ~ん。
「『紅玉』の残りは二つ。主の口に投げ込んだは、失敗であったか」「ーーーー」
もわぁ~、と欠伸するような氷娘の、おっきなお口に、コウさん謹製の、みーのおやつであるところの「紅玉」を投げ込みたくて、うずうずしていた炎竜に。駄目だからね、という趣意を込めて、二氷竜の魔力を、あ~ん。というのはさすがに無理で、ふんっ、という鼻息で魔力は相殺されてしまった。
がちゃ。すたすたすたすた。ぽいっ。ぽいっ。ぽいっ。ぽいっ。
「フラン姉妹も起こしたので、皆の準備は整っているです」
すたすたすたすた。ぱたん。
必要最低限のことだけをして(ぼくからりゅうをひきはがして)去っていったナトラ様。怒ってはいないようだが、まだ心中は複雑なようだ。その所為なのか、破壊魔の本領を発揮しなかったので、安堵しながら起き上がる。未だに目覚めない風竜氷竜の口に岩を、がぽっ、と嵌め込んでいくかと思ったが、……いや、そんな妄想をしている暇があったら、とっとと皆の許に向かおう。
「リンちゃん。フィンをお願い。ラカは……」
「まだ復調していないのですから、今日は風っころを引っ付けておくのですわ」
ぶんっ、と投げ付けてくるかと思ったが、僕の体を気遣ってくれたのか、風竜をぽいっと贈り物。見ていると、二度寝したくなってくるような寝顔で、風竜はぽやんぽやんだったので、魔力を注いで起こすのに躊躇していると。
「風っころは、そのままで良いですわ。寝ているほうが良質の魔力を放出するので、自然に起きるまで放置しておけですわ」「魔力が安定しています。『千竜王』の為に、深い眠りに入っているのでしょう」「ん、確かに。すぅ~、とするような風だね」
普段のラカの風との違いを、言葉で説明しようと試みたが、無意味、というか無益な気がして、簡単な言葉で表現してみた。扉の向こうに、皆の魔力を感じたので、確認は必要ないだろうと、そのまま入ってゆく。
「くぉ~っ、拉致ったラカちゃんを……」「氷で作った風竜でも抱いていれば良いですわ」
ぽいっぽいっと、魔力で型取りしたのだろうか、精巧な風竜の氷像と、強制的に仲良しにさせられてしまう双子。見ると、片っぽは垂れ耳ラカである。風の尻尾の再現度も見事なもので、ラカだけでなく、竜の小型の像、或いは人形ならぬ竜形を造れば、竜の国のお土産の定番になるんじゃないだろうか。夢が広がる妄想は、実現をしっかりと見据えるとして。「結界」は張ってあるだろうから、騒いでも大丈夫だとは思うんだけど。寝起きの氷竜は邪竜よりも怖い、ということで大人しくしているのが最適解か。
「いつもぽっかぽかのラカちゃんが冷え冷え~」「いつもほわほわ~なラカちゃんが冷え冷え~」「えっと、ユルシャールさんとエルタスさん、お願いできますか」
氷像の冷たさに体を震わせながら、それでも若干楽し気なフラン姉妹を見て、溜め息を吐きたそうな顔の二人だが、僕の意図を了解してくれる。僕が触れると、氷像を壊してしまうかもしれないので、二人が部屋の外に風竜像を運んでくれる。スナが造ったものなので、長期間融けることはないだろうから、通り掛かったメッセンさんに贈り物。きっと翡翠亭の、新たな調度品として活用されることになるだろう。はぁ、これ以上面倒が起きない内に、ここまで旅を続けて、もう知らぬ仲ではないので、とっとと話し始めてしまおう。
「今、聖王は、フフスルラニード国から逃亡している頃だと思います。レイズル様は、追っ手を掛けるかもしれませんが、まぁ、捕まらないでしょうね。というわけで、レイズル様が僕たちに気を掛けている余裕がない内に、問題を片付けて、お暇しようと考えています。昨日までにあったことは、知ったことは、今から話すつもりですが、ここまでで何かありますか?」
朝から、あまり頭を使いたくないので、有益な質問や話以外は御免被りたかったが。アランもベルさんも慮ってくれたのだろうか、話の腰を折るようなことはしなかった。
「なるべく簡単に話していきます。詳しいことが知りたかったら、あとでお願いします。先ず、レイズル様は、聖王と王妃の子供です。王弟と弟妃は、『取り替え子』を行いましたが、事前に聖王も『取り替え子』を行っていたので、二度の『取り替え子』で、元通り、ということです。発生源の遺体は、フフスルラニード国の侍従長のもので、王妃、王弟、第一、第二王子は、すでに国外に去ったとのことです。リズナクト卿は、勘違いから長周期苦しんできましたが、戴冠したレイズルの後見となることで、いずれ胸の痞えが下りることもあるかもしれません」
レイズルは、まだ周期若いので、後見役が必要。信用の置ける、国民が納得し、貴族たちの抑えともなるような人物となると、リズナクト卿ほどの適材はいない。ここまで見越した上で、あの少年王は、道を示して見せたのだから、本当に侮れない。然てこそ、聖王に、敵として差し出されてしまっただろう三大貴族にレイズルが拘っている間に、もう一度顔を合わせるような機会など設けることなく、竜と一緒に帰るのだ。
「ふむ。あとは『三つ子』のことだ。人は、三つ子を宿すことはないので、母親は竜である可能性を考えていたが、濃厚になってきたようだ」
……えー。いや、アラン。その可能性に思い至っていたのなら、教えてくれても良かったんだけど。あー、アランのことだから、僕も当然知っていると思って、何も言わなかったのかも。ということで僕も、最初から知っていましたよ(訳、ランル・リシェ)、と鹿爪らしい顔で王様の言葉に頷く。
「竜の魂である百にも、竜と竜との間に産まれた仔竜というのは、前例がないようで、もし『三つ子』の二親が竜なら、世界では初めてのようです」「竜の魂と言っても、万能ではない故な、周期を閲せぬと魂には深く刻まれぬのだ」「百。エタルキアについては、どう?」「そうさな。恐らく、エタルキアの内に在るであろう我の魂も変質しているか、氷柱のように隔離しているか。今以て応答はなく、よくわからぬ状態で中心点付近に在り続けておる」「様子見ーーと、スナとナトラ様の意見が一致したので、エタルキアに関しては、時機が訪れるまではそのままということで」
僕としては、エタルキアはーー暗竜は兄さんに任せようと思っている。奈落で、エタルキアの魔力に、優しさに触れたが。道の先で、僕と交わるような、そんな予感が囁くようなことはなかった。なので、兄さんに出来ないことなんて殆どないので、丸投げしてしまって問題ないだろう。
「皆さんには、今日一日を使って準備してもらいます。僕と六竜は、魔力体の子を『結界』、いえ、小さな世界、とも言うべき『揺籃』で包み込みます。『揺籃』をどうにか出来るのは翠緑王だけですので、『揺籃』を東域の中心点にある奈落に運んで安定させたあと、フィア様を起こす為に、僕が竜の国へ向かうことになります。
これが、何も問題が起こらなかったときの、最良の流れとなるのですが。もし、途中で僕が失敗ーー『揺籃』を形成することが敵わなかったら、残念ですが……、魔力体の子は諦めます。次に、僕が『揺籃』を、奈落への運搬が出来ない状態だったなら、アランに引き継いでもらいます。
何があるかわからないので、ベルモットスタイナー殿には、精霊を、極力この地より遠ざけてもらいます。また、決行となるまでは、精霊魔法の使い手として、周囲の警戒に当たってください。これはエルタスさんにも頼みたいことで、ないとは思いますが、呪術的な妨害がないかを探ってください。フラン姉妹は、魔力体の子を引き離したあとの、『双子』を看てください。フィンとリンちゃんは、『揺籃』の形成後、奈落を安定させる為に洞窟に戻ってもらいます。ナトラ様とユルシャールさんは、アランと奈落に向かうことになるでしょうから、サンとギッタは、百を頼ってください」
「三つ子」は竜かも知れず、そして、そうであるなら、その初めてが「スーラカイアの双子」ということになる。今のところ確証はないが、これらの予測が当たってしまったのなら、姉妹には少なからぬ危険が伴うことになる。
「ラカちゃんは頼りになるよ、安心だよ」「ラカちゃんは凄いよ、完璧だよ」「うん。二人がラカが大好きなのはわかったから、百の存在を無視しないであげて」「ふむ。状況によって、リシェをグリングロウ国まで運ぶのは、スナ様かラカールラカ様になるということか」「はは、それと、アランの状況によっては、ラカに運んでもらうこともあるからね」「然かし。親友に負担を掛けるわけにはいかぬ。私もリシェ同様に、今日は心身を整える為に費やすとしよう」
竜にも角にも、必要なことは話しただろうか。まぁ、わからないことがあれば、さっきも言ったように、あとから聞きに来るだろう。まだ立っているのも辛いので、長椅子に座って体を落ち着ける。ラカ以外の竜は、魔力を十全に整える為に、「竜の残り香」で塒に戻る。スナはフィンと一緒に、フィンの塒に。ナトラ様はリンと一緒に、リンの塒に。百は、近くに炎竜が居ないようなので、海のほうまで遠出するようだ。
僕の内には、「千風」が在るようなので、ラカは「もゆもゆ」待機で問題ないらしい。竜と在ることで、怪我の回復が早まるようなので、僕にとってもありがたい。回復云々ではなく、竜と一緒に居ることで、僕の精神というか魂が安らぐので、先ずは感謝の角磨きから遣るべきだろうか。
「アラン様。角磨き(あれ)は体の障りになりそうなので、止めたほうがよろしいのではないかと」「ふむ。竜といちゃいちゃしたほうが、リシェには良いだろう。私ですら赤面するくらいに、ぽっかぽかになるのだろう」
いや、ほんと、使い慣れていない言葉や表現を、無理して交ぜなくてもいいですから。アランがストーフグレフに帰還してからの、重臣たちの苦労が偲ばれる。満足気なお顔の王様は、以心伝心なのか、親友に何事かを伝えたあと、変魔さんと一緒に部屋を辞していった。竜を赤面させるより王様のほうが難易度が高そうなのだが、いったいアランは、僕に何をさせたいのだろう。
「…………」
……誰も居なくなった。風竜は目を覚ました。風瞳と魂が繋がった。なにをするって? いや、別に、ナニをするでもないんだけど。
「あれ? ラカ箱は何処に置いたっけかな」「ひゅ~」
纏めておいた部屋の隅の荷物置き場から、ふよふよ~と漂ってきた。自分のほうから、ぺたんっ、と僕の膝の上に竜頭を乗せてきたので、それではお待ちかねのーー、
どっかん。
え、あ…、な、何が……? ……爆発したんですけど。威力はそれほどでもなかったんだけど、ゆくりない突発的な爆発は心臓に悪い。
「ぴゅー。りえの体に、こんとほのの混ざった魔力が幾つもあう」
ラカにしては珍しく、本当に残念そうな声で言うと、わしわしと手を使って僕の体を登ってくる。すぐに定位置に納まったので、
どっかん。
……そんな、お尻も撫でたら駄目なんて。
「びゅ~。怪我を酷くしない為に、りえは大人しくしてるのあ」
いや、それだとアランの期待を裏切ることに、どっかん、スナのことだから、きっと抜け道が用意、どっかん、二竜があっさり去って、どっかん、なんのなんの、どっかん、いやさ、どっかん、魔炎氷も、どっかん、数に限りが、どっかん、……、ーー。ーー、……。
「ひゅー。魔力が再設置されてう。りえ、これ以上我が儘だと、わえも怒う」
ぺちんっ、と風竜の「おしおき(しゅくふく)」が額に。ふぅ、どうやら僕のほうから出来ることは殆どないようなので、ラカには「もゆもゆ」を堪能してもらうことにしよう。風竜にも風竜にも、今日は風竜の寝床として、ぽやんぽやんな風も優しい、風竜日和にて穏やかな風の時間を過ごすのであった。
なんてことはなくて。ちくしょう、竜が生殺し、とはこのことか! 何故だかラカは、過剰接触は一切なく、僕と過ごすだけで大満足みたいな感じだったんだけど。いや、僕だって、一日風竜三昧(ごろご~ろ)だったのだから、満たされていないわけではないのだけど。くそぅ、竜に首ったけな竜の民の皆さんなら、わかってくれますよね!? と遥か彼方の自国の民に問い掛けてみる。……はぁ、「未来の風をこの手に」作戦は失敗していないと風が吹いているが、風竜の風袋はいいことなのか悪いことなのか、いやいや、心情が風に乗った上で、予想外の事態の冷風に対処して、作戦の練り直しが風竜にも必要なようだ。あー、……うん、駄目だ。一日中、風竜だったので、頭の中が幸せに(おかしく)なってしまっているらしい。
「ーーーー」
もう夜だ。寝なくてはならない。目が冴えてしまっている。緊張、という言葉が勝手に頭に転び出た瞬間に、ーー天井を見上げる。今も呑気に眠っている、お姫様。このまま思惟の湖に潜ればどうなるかは、「騒乱」で経験済みであるので、魔法使い(おひめさま)の胸には、仔炎竜がすやんすやんで。周囲には、エンさんとクーさんと老師、そしてスナとラカと手を繋いだ僕がいて。大切なもの、失ってはならないもの、だから不安になる。単純過ぎて笑えてくるが、単純なものとは重要な根幹でもあるので、誤魔化すのではなく、双翼の心象を行って受け容れる。ーー考えたら、いけないのかもしれない。僕の双翼の心象は、スナとラカだった。僕が二竜が大好きだから、そうなったのではなく……。
「…………」
何故だろう、何かに触れたような気がした瞬間に、猛烈な眠気が襲ってくる。だから、僕は最後に、一つだけ保険を掛けておくことにする。竜も、竜の国も、旅の皆も、苦かったり温かかったりしたものを、失われない、最も深いところに仕舞い込んで、それ以外のすべてを「千竜王」だけで満たす。この旅の間も、「千竜王」との付き合い方は色々と変わっていったし、変えていった。利用できるものは利用する。それは当たり前のことだけど。そうすることで僕という存在が、気付くことすらなく、僕ではなくなっていたとするなら。ーー戦わずに戦う方法。勝たずに勝つ手段。兄さんでもあるまいに、僕にそんなことが可能なのだろうか。最も強いのは、戦わない者のことである。負けなければ、勝つこともなく、それが勝利というものだ。昔に、誰かが言ったかもしれない言葉。僕の想いは何処へ向かおうというのか、理想論ばかりを振り回さないで欲しい。然りとて、現実が過ぎれば泣きたくなってしまう。何もかも、必要なくなって、薄っすらと溶けていって。辿り着きたい場所があった。ああ、わかる必要もなくわかる。そこにはーー。
ーー呼吸、一回分か二回分の、短い時間。不意に通り過ぎた、緩やかな想念だったのかもしれない。
僕は「千竜王」の気配を受け容れて、眠りに就いたのだった。
こんこんこんこんこんこんこん。
どういう心境から七回叩いたか知りたいところだが、エクのような意地悪めいたことは止めておこう。
「レイズル様の初恋の相手は?」
「……正体を知らせる為に七回叩いたのでから、そのような遊びは、お止めください」
いけず。このくらいの遊びに付き合ってくれてもいいだろうに。まぁ、ベレンさんは、主君の名誉を守ろうとした、というより、単純に知らなかったのだろう。
「ーー準備は万全、ですか……」
扉を開けて僕たちを見た瞬間、面子と、魔力を気色取ったのか、言葉少なに声を詰まらせる。エクが迷惑を掛けただろうし、最後になるかもしれないので、ーーそれに、戦場に向かうときくらい、すっきりとした気持ちで出陣したいので。
「……侍従長殿を処刑するので、『捕まえてこい』とのお達しでした」「……その心は?」「『様子を見てこい』だと思います」「あと、レイズル様なら、『必要なら力を貸してやる』ことを僕たちに伝えるように、もあるのでは?」「は……、それは確かに」
力を貸して欲しい。とはレイズルは絶対に言わないだろう。特に僕には。ふぅ、然ても、どうしようか迷う。ベレンさんの忠誠心には、問題はない。警備隊長としての指揮能力も同様。ここは自覚させないほうが良いのはわかっているがーー。
「あ、すみません。ちょっと密談をするので、『結界』を張ります」
正直に言うと、複雑そうなお顔のベレンさん。何だろう、侍従長の言葉って、そんなに信用できないのだろうか。スナかナトラ様が張ってくれただろうから、双子に質す。
「気になったことがあった?」「じじゅーちょーは、ベレレンさんに何か言おうとして止めた?」「でも、べベレンさんに何を言おうとしたのかがわからない」
答えにまで辿り着けなかったのは残念だが、何か、に気付いたということは、フラン姉妹の状態は良いようだ。見回すと、竜以外では、ユルシャールさんはいつも通りに、何か、にすら気付いていないようで。ベルさんとエルタスなら、ここは「英雄王」である「エルフ」に聞いたほうがいいか。
「ベルモットスタイナー殿。戦のあとには何がありますか?」「ーーああ、論功行賞か」「くっ、力の王様に負けた!」「ぐっ、力の王様に勝てなかった!」「……すべてを一人で行おうとせず、頼ったり任せたり、それは己の評価を下げるものではないと学んだ。もっとマギに任せて、頼っていれば、異なる道もあったのやもしれん」
勝利者の権利というやつだろうか。馬鹿にした、もとい敗北を認めた双子の頭を撫ぜて、我が子を褒めるように慈しむ。人類への、いや、人への歩み寄り。この旅で得たものを、同行者であった僕たちに示そうとしたのかもしれない。
「アラン。お願いできる?」「ふむ。旅の間、リシェに任せて楽をさせてもらった故、それくらいは引き受けよう。警備隊長は、この度の継承戦争で、重要な役割を果たしている。授爵も含めて、私にとってのユルシャールのような役割を命ぜられるかもしれない。今ここで論功行賞に言及すれば、警備隊長の知るところとなり、良からぬ結果にはならぬだろうが、心胆に迷いを生ずることとなる。あと、この関連のことを話すなら。聖王は、三大貴族をレイズル王子に討たせようとしている。三大貴族の、これまで権益を持っていた場所が空くこととなる。論功行賞に都合が良い、というだけでなく、恐らくは、新たな国造りを行えるよう、レイズル王子の為に聖王は整えていったのだろう。些か遣り過ぎの面は否めないが、同時に、中途半端でもある。自身の、未来の姿とならぬよう教訓を得た」
きっと、竜の国に帰っても、僕とアランの関係は続いていくと思う。ーー自分には解決できない無理難題を、僕に押し付けてくるなんてこと、なんてこと……、って、こんなときに、頭を抱える自身の姿を想見して落ち込んでいる場合ではなく。旅の終わりが近いからか、まだ一番の難題が残っているというのに、感傷的になっているのかもしれない。
「ベレンさん。忙しくなりますよ。王城から、なるべく離れるよう、民に伝えてください」「……今すぐに、でしょうか」「別に、レイズル様への嫌がらせではないですよ。責任とは等しく在るべきだ。今回は、僕たちがどうにかしますが、フフスルラニードの民にも、この度の一件が如何に危険なものであったのかを、実感してもらいます」
フフスルラニード国の人々には当事者意識が欠けている。これで、レイズルの行いの、正当性や意義の、一助となるはず。それだけでなく、周辺国への言い訳、という言い方も何だが、軍を退かせたのだから、入り込んでいるであろう間者に、見せ付ける必要がある。まぁ、実際のところは、竜ですら全力を傾けなければならない事態になるかもしれないので、「結界」等、他に気を配っている余裕などないのだ。
べりっ。ぶんっ。
毎度の如く、スナがラカを窓の外に投げて。姿を隠していない白竜の竜頭に乗り込んでゆく。竜頭の最前には、「双巫女」のサンとギッタが。王城の周辺域、最低限離れなければいけない範囲を明示する為に、円周を二周する。
ひとりひとりに声を掛けたいところではあるが、この一件を丸く収めて、すぐに再会するのだ、大袈裟にする必要はないだろう。でも、まったく何もないで別れるのも何なので。
「ベルモットスタイナー殿。アランを始めとして、無茶をしてしまう人が現れるかもしれないので、その経験を活かして、見極めをお願いします」
ともすれば、一番無茶をするかもしれない「エルフ」にお願いしておく。世界を救うことと引き換えに伴侶の許へ向かえるとなれば、喜んで死地に飛び込んでいってしまう。その懸念が払拭されていないので、釘を刺しておく、という意味もある。せめて、マギさんとの再会が成るまでは自重して欲しい。
「一番無茶をする人間から言われたのなら、聞かぬわけにはゆくまい。『最大限の努力と、最小限の妥協』ーー渡す言葉が他人のもので悪いが、マギの口癖だ。……マギと似たところがある…リシェ(・・・)になら、役立つかもしれん」「ありがとうございます、ベルさん(・・・・)」
竜に似ている。そんな風に思った。驚いて、風が吹けば、周期の深みを湛えた笑みに。自然と目が引き寄せられたところで、がしっ。
「衝撃の~、双子蹴りっ!」「鮮烈の~、姉妹蹴りっ!」「合格点を上げましょう」
リンのお墨付きである蹴りが、同時に僕の膝に。油断したところで、と言いたいが、今の僕ならそれでも躱せてしまうのだが、そんな野暮なことはしない。というか、喋りながら蹴ったらばればれなので、それ以前の問題なのだが。まぁ、双子も僕が避けるとは思っていなかったーーということを見越した上で遣っていたのなら、いや、さすがにそこまでは無理か。
こっ。
親友失格を何とか免れる。須臾の間、反応が遅れてしまったが、アランと拳を合わせる。丁度腕が伸び切ったところで、お互いに緩めた拳が当たって、小気味よい音を立てる。
「「ーーーー」」
アランと瞳を合わせて、誓う。親友同士の間に、言葉は要らない。と、それっぽく言ってみたが、僕とベルさんの遣り取りを見て、自分には向かないと、或いは畏まったのは苦手だと、恥ずかしいと、こんな方法を選ったのかもしれない。次に、アランはナトラ様と。想いを交わした地竜は、僕と竜以外を「結界」で地上へと移動させる。
「ナトラ。土っころ。『結界』は張ったですわ」「態々尋ねなくても、ヴァレイスナならわかっているです」「雰囲気、という奴ですわ。そこの氷っころがわかっていないかもしれないから、というのもありますわ」「んーっだーっ」「はいはい。本番前なんだから、二竜とも、遣り過ぎないでね」
きっと、二竜にとっては、これが遣り過ぎではない範囲に属するのだろう。
ずどっごばぁ~~ん!
「二氷竜絶球」とでも呼ぶべき、鮮烈なる暴虐の「氷球」が二地竜結界にぶち当たって。……うん、これは補修ではなく、建て直す必要があるようだ。王城の半分が瓦礫と化す。
「地下に居るので、平らにしたほうが良いです。ゲルブスリンク、協力するです」
「土の属性なので主動となります。上から魔力を乗せてください」
きっと、二竜にとっては、これが遣り過ぎではない範囲に属するのだろう。
ごどっごぎぃぃぃっ!
いや、僕は何も見なかった。いやさ、嘘はいけない。ばっちりと見てしまったので、見忘れることにしよう。動揺しまくりで、二度も同じことを思ってしまったが、竜にも角にも、非常に見晴らしがよくなって。これで「揺籃」を成す間に、建物の瓦礫が落ちてくるとか、そんな心配をしなくても良くなった。
ぽんっ、という感じでラカが「人化」したので、
どしっ。どしっ。
同時に、ぶつかるように飛び込んできた氷竜と風竜を魔力で迎え入れる。二竜が「浮遊」を使ってくれているようなので、そのまま任せることにする。
にぎっ。合っ体っ。にぎっ。ぷいっ。
うん、竜々で賑やかなのはいいことである。リンは右手を握って。フィンは肩車で、片足ずつ、氷竜と風竜へ。僕と視線を合わせないように、百は左手を、ぎゅっ。ぷいっとしたナトラ様は、小さな岩を、ごつんっ、とぶつけてきた。
「ーーあれは、フフスルラニードの侍従長の遺体なのかな?」
見下ろすと、先ず目に付いたのが、人型の、乾いた砂のようなーー。回収するのは無理だろう。死に場所を求めた彼なら、文句は言わないだろうが、少しだけ遣り切れない、というか、遣る瀬無い心持ちに。
「知ってますわ? 人種を燃やし尽くすと、その人種だったものは、世界に散らばるのですわ。その膨大な数の小さな欠片は、こうして見える範囲でも、数十から数百個もあるのですわ」「炎に纏わる話なれば、我が語るべきものだ。奪うでない」「ふんっ、ですわ。熾火に、こんな気が利いたことが言えるはずがないから、代わりに遣ってやったのですわ」「近くに、居過ぎた所為であろう。あの者が元々持っていよう魔力は、留まることが出来ようはずもなく、魔力的に乾いていったのだ。竜の近くで死んだ人種とも、また違った反応ではあるがーー」
氷竜に対抗したわけではないだろうが、竜の魂である百が教えてくれる。
「あれは、魔法の良い媒介になりそうですわね」
やめて。今、浸っていたところなんだから、そういうことを言うのはやめて。まぁ、いつも通り、と言っていいものか、ぐだぐだな感じで二地竜が平した地面に降りる。「星降」でも落ちたかのような、半球状の陥没。締固めでもしたかのように、地面は安定している。魔力的な処置も施されているだろうから、地盤の問題はこれで片付いた、と。
「…………」
おくるみに包まれた二人の赤子。角が生えていたりなどはしない。人間か竜人の可能性が高まるが、竜と竜との間の仔は初めて、という話なので、断定はできない。
「やっぱり、完全にはわからない?」「父様を調べている、あの娘の気持ちが少しわかるですわ。幾つかが混じって、今の状態を成している、この魔力を、あとから調べるなんて、氷竜が炎竜の炎を食べるようなものですわ」
「えっと、つまり、有り得ないくらい難しい、ということかな」
ぶー、と愛娘の肯定の鼻息。
「というわけで、百からお願い」「何故、我からなのだ」
拗ねたみーに似ているな、と思ったが、声に出すのは控えておいた。代わりに、偽りのない笑顔を。角の、若草色のリボンを手に、祈りを込めるように。
「ーー先約を果たそう。失敗など許さぬ。我の魂を、汚してくれるな」
近付いたようで、離れた魂。それは、知ったが故の、距離感。その素地は出来上がって。求めるものが大き過ぎる炎竜に、きちんと向き合うのは、これからの課題だろう。
「先ずは感謝を。多く在る、地竜の中から僕を選んでくれたことに。良くも悪くも、一つの言葉で表すのなら、楽しかった、です。これからも、楽しみたい、です」
百は南に、ナトラ様は北に。僕が指示を出して、位置を調整する。
僕のほうこそ千の感謝を。ややもすれば、竜に没頭しそうになる僕の、歯止め、と言っては失礼になるけど。親友と地竜との触れ合いは、新しい視点を僕に与えてくれた。
「リンちゃん、と呼んで欲しいのは、『千竜王』だけです。呼ばれなくなるのは寂しいので、皆と一緒に遣り遂げましょう」「せーんーっ!」
がしっ、と僕の頭を抱え込むようにしたフィンの足に魔力を練り込むと、すぽんっ、と地竜が氷竜を引っこ抜いて、ずるずると引き摺ってゆく。二竜は、百の背後に。リンは、「共鳴」が成るように見定めて、その為の魔力の補充を、全属性を高い水準で扱えるフィンが行う。
二竜は、エタルキアの為に東域に残ると、いや、これからも東域に在ると、役目を果たすと、二竜で決めたらしい。弟と妹、と言ったら、やっぱり失礼になるかもしれないけど。兄さんとは違った形での、楽しい一時を過ごすことができた。
どごんっ。
「ゆんっゆんっゆんっゆんっゆんっゆんっゆんっゆんっ!」
この時機に、遣り過ぎは良くないので、程好い魔力を風竜に贈り物。横にスナが居るからどうなるかと思ったら、僕の首に手を回して、波打ちながらぐるぐると回り始めた。ときどき氷竜に当たりそうになっているのだが、というかスナが防いでいるのだが、もしかしてラカは態とやっているんだろうか。これからの氷竜と風竜の関係がちょっと心配だ。
「ぴゅー。わえはわからなー。……だかあ。りえがわかるようにすう」
諦めないと、教えてくれないと許さないと。始めは、求めるだけだった。出来なければ、諦めていた。ーー何だろう、右半身が風で溢れる。ーー未来の風? 風竜が何かしたわけではなく、僕の内側から吹いてきた衝動は、半翼は、双翼の片翼は、何処ともしれない空に舞い上がっていった。
風の尻尾を梳って、先端の白い髪を風に散らす。スナよりも前に逢っていた、いや、見つけていたかもしれない白竜。触れるのが、繋がるのが当たり前であったかのように、失ったものを取り戻すかのように、風を閉じ込めたくて堪らなくなった。風は自由だと、何よりも願っているのに。一緒に風になれない僕がどうするかは、魂を懸けて、いずれ見極めなければならない。
自分のほうから手を放したラカは、ふよふよ~と西に。魔力の、力の質の所為だろうか、四竜では一番遠くに配置される。
残った東には、氷竜が。水竜ではない所為か、やや炎竜から離れたところに配置される。僕にとっての、四大竜。最も安定する形。場の魔力が静まるには、スナが、氷竜が離れる必要がある。
「ーーーー」「ーー何もないのなら、僕のほうから言おうか?」「せっかちですわ。そんなんじゃ、竜に逃げられますわ」「でも、竜に逃げられても、スナだけは残ってくれるよね?」「可能性が残っている内は、ーー待っているのですわ」
僕が僕でなくなる可能性。それは、単純に僕が死んだ、というだけでなく、僕が失われて、「千竜王」だけが残ったということも含めて。ばればれである。場合によっては、「千竜王」の力を借りるかもしれないと、奪うかもしれないと、見抜かれてしまっている。僕が夜に紡いだ、「千竜王」との語らい。僕がまた一段、変質してしまったことに、愛娘が気付かないはずがない。氷娘は、たぶん勘違いしているだろうけど、それを言うと、本当に怒られそうなので、今は黙竜である。
かぷっ。じゅるっ。
「美味しい?」「……一口で我慢しろとか、どれだけ邪竜ですわ」
僕の血を魔力操作で球形に、五つ作って。あ~ん、と口を開けた五竜に向かって弾き飛ばす。影響が出ない程度に少量、僕の血を摂取することで魔力的な洞調律を得られるかもしれない。とスナは言っていたのだが。うっ、皆の顔が、いや、ラカ、配置場所から動いちゃ駄目だって。整地した地面を乱すことを懸念したナトラ様が迷っている間に、「氷球」が風竜に直撃。くるくると縦回転しながら、元の位置まで戻っていった。
「じいぃぃ」「……何ですわ」「スナを見詰めて、期待していただけだよ」「…………」「これまで僕は何度も言ってきたけど、スナからはちゃんと言ってもらったことはなかったんじゃないかな、なんて思って」「……わかってないですわね、父様。父親から娘には当たり前のことでも、娘から父親へは特別なことなのですわ」「じゃあ、その特別、今はくれないの?」
ぽこんっ。
スナが離れると同時に、「氷球」が僕の頭に当たる(おしおき)。背を向けた氷娘が、転と振り返って。きっと氷竜は、自分がどれだけ優しい顔をしているか、僕の胸を締め付けているか、気付いていない。
「困った父様。愛しい娘がいないと、本当に駄目駄目ですわ。遣る事やって、きちんと戻ってくるのですわ。優しい娘が、ご褒美に、父様が待ち望んだ言葉を呉れてやるのですわ」
罪作りな愛娘は、ひやりと笑って、追憶の彼方へと僕を連れ去って。今に至る道は、氷竜から始まったのかもしれない。「千竜王」ではない僕。見つけて、引っ張り上げてくれたのは兄さんだったけど。その核は、僕という魂が花開いて、結実したのは、あの瞬間ではなかったかと。ああ、そうだ、僕の物語はあそこから、あの出逢いから始まったのだ。
左半身が氷で満たされる。予感はあった。ラカがそうだったから、失われない為に凍り付いた半翼が、双翼の片翼が、遥かな時の狭間を染め上げてゆく。
「ーーーー」
「結界」の前に立って、前を見据える。先程と同じく、見えるのは、侍従長の遺体と、おくるみの双子だけ。ここで僕が感知できないのなら、それで終わり。自己満足ーーを得られずに、世界は救われる。本来、遣らなくていい危険な行為。下手すると、世界がやばいことになる。「双子」ではなく「三つ子」だった。知った瞬間に、世界は救われた。魔力体の子を諦めればいいだけだった。「双子」だけなら、大した影響はない。
一人を犠牲にしなければ助からない世界なぞ滅びてしまえ。ーー僕は弱いなぁ。駄目です、老師。あのとき、クーさんの問いに、最後まで悩み続ける、と。そして、今もまだ、僕の内に答えはない。ーー一人を救って、世界も救う。それが正しい答えに近いと、あのときは言ったけど。
うん、ぶっちゃけ、世界なんてどうでもいいや。紛う方なき本心である。こうして実際に、その場に立ってみると。本当に守りたいものが、そんなに多くないことに気付く。切り捨ててしまえるものの多さに愕然とする。老師は、コウさんを選んだ。僕が選ぶのはーー。
大切な竜を、人を護る序でに、世界も護る。まぁ、僕が持てるのは、所詮この程度で。ずっと藻掻いてきたのが僕だから。今更変える必要もない。ここに僕が居るからーーあ、エクが、兄さんが言っていたことの意味が、今、やっとわかった。なら、もう迷うことはない、僕が、これからも歩いていくのだ。その為に、僕は顔を上げてーー。
ーー見た。
わかった。おくるみの双子の上に、浮かんでいる。衝動的に動いていた。
「「「「っ!」」」」
「結界」を壊した瞬間に、魔力が世界を焦がした。世界魔法を使ったコウさんのときと同じように、感情ごと揺さ振るような魔力に抗って、魔力体の子をこの手にぃおごぁ!?
ごぅんっ。
「ごがぁあぁっ……ぃぎあぁっ!!」
構うな!! 先ずはっ、維持だ! 「揺籃」を、薄過ぎて、今にも壊れそうな殻を、痛みを、存在を消し去ろうとする絶望なのか空虚なのかを踏み砕いて、儚い膜のような「揺籃」を確かなものにする。
「はぁ、はぁ、…うぐぅ」
……危なかった。「三つ子」に抗う為に、放たれた四大竜の魔力が、僕に集まった刹那に、這い上がってきた。衝動なのか魔力なのか、神経を辿って、頭部まで。首辺りまで遣って来たところで、噛み砕いた。あれに頭を穿たれていたら、きっと終わっていた。まぁ、終わっていなくても、というか、まだ始まりだというのに。よろしくない感触が。
「…………」
見澄ます余裕などない。なのに、はっきりとわかる、液体が流れていっている。きっと酷いことになってるんだろうなぁ、と笑えてくる。鼻血はまだいいとして、目や耳からも出血していれば、見れたものじゃないだろう。一瞬、ぼんやりとしてしまった。これはこれで綺麗だな。などと、コウさんの金色の波濤とは異なる、淡銀の衝動が逆巻くのを見ながら思って。でも、色彩は違っても、溢れてくるもの(ほのかなあたたかさ)は同じで、この魔力を僕が、受け容れられないはずがない。
「百竜! 手心など要りません、『千竜王』に応えたいのなら、全力で遣りなさい!」「せーっんーっ!!」「フィフォノは、そのままユミファナトラに! ヴァレイスナは、感情が乱れて魔力が過剰になっています! 抑えなさい!」
幸い、リンとフィンの声が届く。僕の体の内で暴れていた四大竜の魔力が、リンが指示を出すごとに穏やかになってゆく。
ぞっ……。
……抉り取られる、心地がした。「揺籃」を強化しようとした間際に、突き落とされる。いや、突き上げられたのかもしれない。或いは、挟まれて、潰されたのかもしれない。
ぐっ! 何で今っ!?
「千竜王」のものではない魔力が、ガーナを取り込もうとした魔力が。今度は僕を取り込もうとしているのか、遥かな底からーーいや、これに、底なんてあるのだろうか。須臾、触れた、その隙間に。不意に、理解する。今在る、世界の異変は、「千竜王」が齎したものではない。数々の魔力異常も、延いてはコウさんも、この魔力が影響を与えていたのか。
「邪魔を……するな!!」
僕が喰った魔力を、痕跡すら残さず、すべてを叩き付ける。僕の意思が及ぶ限り何処までも覆い尽くして、二度と悪さが出来ないように蓋をする。
「何ですわっ、今のは!?」「わからないです! でも、場は安定したです!」
然も候ず。竜にとっては、当たり前の魔力となってしまっているから、浸食されてしまっているから、気付けないのかもしれない。これでやっとーー、
ぱきんっ。
ーー世界が壊れる音がした。いや、違った。世界、というにはちっぽけなものが、僕が罅割れた。コウさんのときのように、体に罅が入ったのかと思ったが、どうやら、もっと深刻なようだ。然のみやは、「揺籃」の膜なのか殻は、薄っぺらのままーー。
ぱりんっ。
ああ、決断しないといけないようだ。呼んでもいないのに、勝手に足許まで来ている心象。そんな風に揺らいでしまったから、「千竜王」は、もうすぐ至近にいた。
ぱんっ。
いや、至近、などという言葉では温い。もう僕と重なっていて。
きぃんっ。
「ーー竜共よ。我に力を……、……はぁぐぅ…ぐああああああああぁぁっっ!!」
「「「「っ!?」」」」
砕けろと、あらん限りの力で、拳で額を殴る。然し、そんなことに意味はない。飢える、存在に懸けて、叩き潰すのでは足りない、拒絶ではない排除で、僕より上手くやるであろう「千竜王」を、僕という僕で染め上げて、
「ーーっ」
僕は馬鹿か! いやっ、馬鹿だ!
りぃんっ。
もう、壊れてはいけないものが壊れてしまったことが、わかる。ーーわかってしまう。認めたくはないが、これが最後かもしれない、竜と交わす、最後の言葉かもしれない。だのに、……だのに、その最後に、僕ではない「千竜王」の言葉を、そんなことが許せるか、許せるはずがない、命が消し飛ぼうとも、
ばぎんっ。
一緒に在った竜に、僕のすべてでーー。
「どうやら、まだ足りないようだからーー。皆……、やって」
微かに残っている感覚で。竜の心を動かせるようなーー、
「僕からの……お願いだよ」
どごぅんっっ!!
ーー僕の中心の、真ん中の、何かが壊れたような気がしたけど、音は聞こえなかったから、実感もなくて。そんなことよりも、目に焼き付けないはずがない。
こんなときだというのに、スナの尻尾を撫でてみたい、とか思っている僕は、デアさんも超えてしまったのかも。ラカは、初めて見たけれど、凛々しく、はなってないかな、ぽやんぽやんなのは変わっていない。あー、百は、泣きそうな顔になって。ナトラ様にも迷惑を掛けてしまった。リンとフィンも、最後まで付き合ってくれて、ありがとう。
「半竜化」した六竜は、僕のお願い通りに、力を尽くして。
からんっ、からっ、からっ、かららんっ。
落ちていって、砕ける音だろうか。妙に鮮明な、消失が響いて。
百の魔力が僕を重ねて、スナの魔力が僕を解して、ラカの魔力が繋いで、ナトラ様の魔力が紡いで。ひとつ、だけで良かった。一度だけ、四つの魔力が、僕を奏でたから。
ごとんっ。
これまでと違って、何だか、酷く現実的な音がした。
ごどっ。
「……あ」
見ると、「揺籃」を持ったアランが倒れたところだった。まぁ、そうなると、先の音は、僕が倒れた音だったわけで。僕に飛び付こうとしたラカが、ナトラ様に捕まって、竜になった風竜は、アランたちを乗せて、奈落に向かって飛び立ってゆく。
「ーーっ、……っ」
冷たいのか、温かいのか、わからない。ただただ、申し訳なさで一杯だった。涙を拭ってあげたいのに、手は動かなくて。あと出来ることは少しだけだから。
「……っ、父様っ!」
ああ、良かった。聞こえた。僕の体、よくぞ頑張った。スナの声が、僕で響いた。僕の所為なのだろう。悲痛な声でも、ぼろぼろと涙を流した、愛しい娘の顔でも。僕にとっては、すべてが宝物で。炎竜は、氷竜の後ろで僕を睨んでいる。百の願いは、これからでも叶えられるのだから、柔らかな炎で包んでくれもいいだろうに。
「私がっ、間違って! 一竜にっ、許さないのですわ!」
ありがとう。なんて言ったら、スナの心に、残ってしまう。そんなことを考えてしまったから。きっと僕は、本当に馬鹿なのだろう。
「……ごめんね」
動いてくれた手が、氷竜の頬に。ああ、綺麗な顔に血が付いてしまった。落ちていく手を、スナが握ってくれたけど、僕が、僕から放れていくように、沈んでいって。やっぱり地の国なのかなぁ。浮かんでいくのではなく、落ちていくのは、……いやいや、最後に考えるのがそんなことなのはーー、とぷんっ。
何かを失いながら、潜っていって。境界を越えた僕は、最後の賭けに勝ったことを、知ったのだった。
…………。……、ーー。ーーーー。ーー。……。
……落ちていった。はずだったが、漂っているような。
暗竜のお腹の中なのか、真っ暗で何も見えない。そう思ったら。
仕舞った。すべてが透明に、丸見えになってしまって。
ただただ圧倒的な空間のようなものがあって。そこには。
体がない。だから感覚もないはずで。頭もないから。
考えることだって出来ないはずだから。心とか魂とか。
そんなものを強く自覚することで耐えようとするんだけど。
力が入らない。それよりも、ここは何処で、僕は何をしていたんだっけ。
ーーーー。ーー、……。…………。……、ーー。
ここが何処かは重要じゃない。僕は機会を得たから。
それが何かは思い出せないけれど。何かをしないと。
それだけはまだ失っていないから。だから、心とか魂とか。
薄れていくから、気付いた。ここは失っていく場所だと。
考えるごとに、思う度に、解けていってしまう。だったら。
思い出せない。大切なものを。僕が僕であった意味を。
……、ーー。ーーーー。ーー、……。…………。
時間が過ぎ去った気がする。途方もない。それでいて。
時間だって、ここにはないだろうから。そんなものにも意味なんて。
でも。何もないから。残っているものもあって。
消えないものが消えてしまっても。消えないとわかっているから。
ーー、……。…………。……、ーー。ーーーー。
もう。何もなくて。わからない。わからない。わからない。けど。
ぎゅっと。握る。何かで。ここは怖いのかどうかも。わからない。
だから。ぎゅっと。ぎゅっと。握って。ぜんぶ。
なくなって。しまうくらい。ぎゅっと。にぎって。
…………。ーーーー。…………。ーーーー。ーーーー。…………。
そうしろと。何処かで響いている。失ってしまった。何かが。
もう。残っていない。なくなって。欠片よりも遥かに。
少ない。何かを。分からない。何かに。ーー受け容れた。
「げぼぉあぁっ」
……酷い声だな。と思った。それが自分の声だと気付いて。碌でもないな。と思った。
ーーどうやら、血を吐き出したようで。無為の余韻を引き摺りながら、のんびりと眺めていたら。
凍って。砕けて。さらさらと風にーー。
僕のことよりも。先ず、氷竜のことを思い出したことが、こんなにも嬉しいだなんて。
「ス…ナ……」「っ!? 父様っ!!」
取り戻していっている。いや、馴染んでいっている。のほうが正しいだろうか。僕は僕に馴染んで。ふんっ、我の言うた通りであろう(訳、ランル。リシェ)、と強がっているような百の顔が、波のように僕の魂を揺らして。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。と声に出してみても、やっぱり、痛い」
痛い、を、好き、に変換しようと思ったけど。ほんとに痛くて、ちょっとそんな余裕はないから。体は動かないから、目だけで愛娘に訴える。
「ーー体の、根幹部分だけは、何とか保っていますわ。それ以外は、ずたぼろですわ」
魔力診断だろうか、スナの言葉で、命だけは拾ったことを知る。よくは覚えていないし、どうしてそうなったのかもわからない。「千竜王」の内側に入り込んだのか、「千竜王」にとって、僕が死ぬのは都合が悪いのか。まぁ、どんな理由だろうと、皆の居るところに帰ってこられた。今は、それだけでいい。
「さっきから『封緘』を使おうとしているんだけど、凄く痛い。スナから魔力を貰えないかと試しているだけど、もの凄く痛い」
やめて。にんやりと笑うのはやめて。でも、今は、見たくなかった者に、声を掛ける。
「会いたくない、と思っていた人物に会って、清々しい気分が台無しです」「それに関しては私も同感です。然し、国を預かる者として、好き嫌いなどしていられません」
ベレンさんの顔を見るに、止めたけど無駄だった、ということのようだ。レイズルが何をしに来たか、考えるのも億劫だったので、喋るまで待っていると。
「王城を壊した弁済を受け取りに来ました」
……そういうことは、一言、感謝の言葉を述べてからにすべきだろう。そうすれば、ギザマルの爪の先くらいは、優しく接しようと努力したかもしれないというのに。
「宝物庫か、居室の机の、二重底でも探してください。宝の地図か何かが、出てくるはずですから」「…………」
聖王なら、復興の為の資金を残していったはず。僕の真意を掴めていないのか、仏頂面になっているレイズルに、スナは、ぽいっと抛る。
「持ってけ王様、ですわ。そこの熾火を事後処理に置いていくので、さっさと話を済ませるのですわ」
革袋を受け取ったレイズルは、紐を解いて、中身が袋一杯の竜の雫だと知ると、さすがに度肝を抜かれたようで、
「っ、……氷竜様の御厚意、感謝いたします」
声を詰まらせて、氷竜に一礼した。まぁ、現実主義のレイズルなら、修繕費よりもだいぶ多い金額は、他国への懐柔へと用いることになるだろう。これで周辺国の連携を崩してやれば、国を立て直す時間は稼げるはず。
スナに角で、もとい爪で突っつかれたので、さっそく行動に移るレイズル。おくるみの双子を抱き上げて、あに図らんや、少年らしい裏表のない笑みを浮かべる。
「魔力量は多いですが、同じく、魔力量が多い者なら問題ないでしょう。双子の面倒は、弟……」「弟妃様は駄目ですよ」「何故ですか」「はいはい。そんな凄まないでください。双子には、当然、親がいます。親権は、勿論、二親にあります」「これだけのことをしたのです。親権は措いて、養育権は我が国が保有したとて、邪竜との誹りは受けないでしょう」
聖王が言っていた通りに、本当に強情な子だ。竜の国の侍従長の沽券を守る為に、無様を晒さないよう痛みを堪えているが、好い加減早く飛び立ちたいので、まぁ、ここまで嫌われていれば問題ないか、と遠慮なく弱点を突かせてもらう。
「レイズル様は、双子を弟妃様に預けたいのでしょう。ですが、お優しい弟妃様は、双子の二親が現れれば、当然、お返しになるでしょう。また、哀しい別れを、弟妃様に味わわせるおつもりですか?」「っ、わかった。乳母の経験のある者に任せるとしよう」
僕の顔なんて見たくもないのか、すっすっすっと、双子を起こさないように、静かに早足で立ち去ってゆく。僕からすると、レイズルは周期が下の少年という感じだが、彼からすると、自分と然して変わらない周期の男で、僕に対抗心でも持っていたのかもしれない。竜にも角にも、嫌われていたことに理由を付けてみたけど、まぁ、それだけではないとは思うんだけど。あ、スナが僕の背中の下に、もぞもぞと潜り込んだので。
「百。誰かが残っていないといけないから。『ミースガルタンシェアリ』である百より適任……」「皆まで言わずとも、わかっておる。主は早う、我が友を起こしに行くが良い」
僕の体に負担を掛けないように、ふわりと浮き上がったと思ったら、そこはもう氷竜の竜頭の上で。近くなった空を眺めながら、卑近な問題の解決を愛娘にお願いする。
「ごめん、スナ。体が何か、凄く冷たいから、冷気は控えて」
ぶぶぅ~。と可愛い娘の鼻息。娘の魔力を拒むなんて、僕は何て酷い父親なのだろう。などと浸っていないで、回復に努めなければいけないのだが。
「あら、早いですわね。もう、来たですわ」
横になっていても、寝ていても辛い。昔、老師範が、そんな愚痴を零していたが。同じ姿勢でいると、悪寒だけでなく吐き気まで催してくるので、自分のものじゃないような体を持ち上げて、胡坐を掻く。
ーー二竜。氷竜と風竜だろうか。同属性でないことに、ちょっと驚いた。「人化」した二竜は、スナの竜頭に着頭。僕と同じく胡坐を掻くと、掌を表に、膝に手を置いて、頭を下げた。……全身が、ずくんっずくんっと、僕のことが嫌いな仔炎竜が暴れ回っている感じだが、ぼんやりと眺めているのもここまで、顔を上げて、笑顔を無理やり作る。
「我はタガルハネルタ。こちらは、伴侶であるフィキュナスラインです」
「言葉だけでは足りないと。人種の礼儀にて、感謝と謝罪を、どうかお受け取りを」
二十歳くらいの容姿となると、古竜でないと概算、ではなく、見当を付けるが。体の状態の所為なのか、能力がなくなったのか、あやふやではっきりとしない。いや、むっとなんてしてませんよ。二竜は、美男美女で。「千竜王」とか内に在るっぽいのに、何で僕は十人並みなんだとか、……はぁ、まだ頭がぽんこつなようなので、一呼吸で、必要な欠片を拾い集める。然て置きて、先ずは安堵する。
「ーー良かった。姿が見えなかったから、出産と同時に命を捧げてしまったのかと思っていたけど。二竜とも、無事だったんだね」
一番の懸念が消えて、一安心。二竜は目を瞠ると、同時に頭を下げた。って、いやいや、そんなことしなくてもいいからっ。僕は慌てて二竜の顔を上げさせる。
「えっと、二竜は、魔獣種の大陸の竜だよね。幻想種の大陸の竜より活動的だと聞いていたけど……」「ふふりふふり。父様、何が言いたいですわ?」
然ても、まだ頭が鈍いという自覚はあるので、世間話から入ったら、釣れたのは愛娘でした。って、そうではなく、視線で二竜に助けを求める。
「一つには、我々が『欲求』の影響を受けていないからでしょう」
父娘の遣り取りに、くすりと好意的に笑ったタガルハネルターーガル……ではあれなので、ルタにしよかーールタは、意外なことを言った。
「え? それって、魔獣種の大陸に戻っていたということ?」
「御明察。それでは、今回の私たちの行いを告白する」
聖王が、魅力的、であると言っていた風竜。あの王様は、豊満な女性が好みなのだろうか。ぽやんぽやんなラカと違って、豪奢、ではなく艶やかだった。女性体であるフィキュナスラインは、ナスラは、僕の願いも空しく、さっそく本題に入ってしまった。
「私が身籠もっていることに気付いたのは、五十周期ほど前のこと」「ということは、もっと前から子を宿していた、ということですわ?」「はい。ヴァレイスナの言う通り、私たちが多く睦み合っていたのは百五十周期前なので、そのときの公算が大きい」「正確ではありませんが、竜が竜人を産む際も、同周期身籠もるのだと聞いているので、間違いはないと思われます」「竜人で、人が身籠もったなら、どうなりますわ?」「その場合、多くは竜の力に耐え切れず、流産するようです」「それ故、大陸での竜人の数は少なく、シーソニアの一族だけと見られている」
僕がまだ本調子でないと察してくれたスナが、代わりに応対してくれる。そうでなくとも、初心な少年には踏み込み難い内容の話なので、黙竜になって大人しく聞いていよう。
「それで、『三つ子』であるとわかったあと、何故、魔竜王マースグリナダに助力を乞わなかったのですわ?」「私たちの能力の及ばぬところ。子が三竜であることに気付いたのが、出産の三日前。それから、伝手のある竜に相談や助力を願ったが、このままでは対処できないだろう、との結論に至った」「魔竜王は、温厚であると伝わっているので、協力はしてくれたでしょう。ですが、魔力体の子まで救ってくれるとは思えませんでした」「そこで、父様に懸けることにしたですわ?」「はい。タガルハネルタと相談して、一日を切っていたが、ーー一竜でも失うなど、どうしても耐え切れず……」「そうして飛び立ったのですがーー。我が身重のフィキュナスラインを乗せて飛ぶことになってしまったのです」
過去を悔いるルタ。上手くいったからといって、後悔が、恐怖が、引き攣れるような焦燥が消えることはない。彼を責めることなど出来ない。それだけ切羽詰まっていたのだろう。恐らく、飛び立ってからーー後戻りできないところで気付いた。間に合わないことに。風竜であるナスラなら間に合った。でも、彼女は出産間近で、まともに飛ぶことが出来なかったのだろう。そのときの絶望は如何許りだったか。
「大陸に到達したあと、迷いました。初めて訪れた大陸で、不案内だったので……」
「え? あ、ちょっと待ってください。ルタとナスラは、幻想種の大陸に来たのは初めてなの?」「ルタ?」「ナスラ?」「あ、あ~、ごめん、勝手に愛称を付けちゃったんだけど……」「いえっ、その愛称、頂きました!」「ナスラ! ああ、ナスラ! 悪くない!」
どうやら、魔獣種の竜も、愛称を付けると喜んでくれるらしい。って、話が逸れてしまったが、それどころではない。ここは重要、非情ではなく非常に重要なので、確実に明白に竜も頷くくらい開けっ広げにしないといけない。いやいや、だから落ち着け、僕。内心がこれ以上おかしくなる前に、ずずずいぃぃ~~と尋ねてしまおう。
「初めて、ってことは、もしかして、〝サイカ〟の里長とは関係ないの?」「里長、とは誰のことでしょうか?」「私たちが利用することになってしまったのは、フフスルラニードという国の王だけのはず」
ぶっっはああぁぁぁぁ~~っ。と内心で、どでっかい安堵の溜め息を吐く。いやはやまったく、全竜を集めて、一竜ずつ抱き締めていきたい気分だ。って、いや待て、早まるな、僕! 里長が関係ないにしても、まだ謎は残っている。それを解き明かすまでは、油断してはならない。後回しにしても意味はないので、直球で質してみよう。
「そもそも二竜は、どうしてフフスルラニード国に、聖王を選んだ、というより、選ることが出来たのかな?」
断言はできないが、東域で二竜を助けるに適う人物となると、聖王ただ一人だろう。竜の国まで辿り着ければ、コウさんが何とかしただろうが、それが出来ないとなれば、彼らは唯一の正解を引き当てたということになる。
「それが、わからないのです。間に合わないとわかっていましたが、それでも『千竜王』を目指して飛んでいたところ、この東の地域の真ん中辺りで、なにがしかの力を受けたのです」「そうして、落ちた先がフフスルラニード国。逸れたルタが戻ってくるまでの間に、私の前に現れた、この国の王は、驚嘆すべき能力を備えており、すべてを整えてくれた。『千竜王』や魔法王を利用すると聞いて、迷いはしたものの、この子には代えられないと、決断した」「我は表に出ないほうが良いと思い、周囲の環境を整え、『結界』の補助をすることにしました。媒介となる人種を用いても、魔力体の子を留めるのは、至難の業でした」「『千竜王』が仰った通り、命を捧げる覚悟だった。だが、何とか命を拾い、『竜の残り香』で回復を図ろうと、ルタは私を連れて、塒まで戻った」「申し訳ございません。本来なら、我らも協力するところ。辿り着いたときには、事が済んだあとでした」
聖王は、実態は、あんなだったわけだけど、確実に僕より上であることはわかった。彼と同じ立場になったなら、右往左往するだけで僕には何もできなかっただろう。ただ、今は、そんなことよりも何よりもーー。
「ーー暗竜エタルキア」「「?」」「あなたたちの子を守った、竜の名前です」「「っ!」」
奈落で感じた、あの心地は間違いではなかった。優しい竜であると、直感した、暗竜の気配。四十万の、人間の命を守る為に動いた暗竜なら、きっと、苦難の同胞に手を差し伸べた、はず。然し、そうなると、本当に、エタルキアはどうなってしまっているのか。暗竜の能力なのか、特殊な状況なのか、ただ、東域の三竜の頂点の竜だとしてもーー。
「ひゃふ。何ですわ、父様。エタルキアが私より上だとか、そんなことを考えていますわ?」「はは、スナには隠し事ができないね。エタルキアの、古竜の固有の能力だと思うけど。ーーいずれ、エタルキアにも逢ってみたいと、そう思っただけだよ」「答えになってないですわ。父様は、好い加減、娘だけで満足しているが良いのですわ」
ぷんぷんの愛娘には悪いんだけど。フフスルラニード国から竜の国に戻る際に協力してくれた竜たちもグリングロウ国に遣って来るから、更に竜々な日々になること請け合いなんだけど。
「ーーふぅ」
兄さんとエタルキア。不思議と、どこか似ている気がしたのだ。エタルキアのことは、兄さんに委ねることにしたが、今も考えは、対応は変わらない。四十万の魂を解放するには、コウさんの魔法が必須なので、竜の国で静観、兄さんの要請待ちということになる。
「そういうわけで、『千竜王』に我が子を託したく思います」「…………」
……何か、とんでもないことを言い出した。って、そういうわけって、どういうわけなのか。見ると、ルタだけでなく、ナスラまで、決定事項(訳、ランル・リシェ)、という覚悟と、寂しさが混じった表情で、一心に、竜心に見詰めてくる。どうしよう、僕は竜の頼みを断れない感じなので、二つ返事で引き受けてしまいたい気が、ずくずくと湧いてきてるんだけど。でも、ちょこっとだけ我慢して、彼らが決断に至った経緯を、事情を聞いてみよう。
「私は、フフスルラニードに落ちるとわかった瞬間、『人化』した。これは、賭けだった。竜の姿で産んでしまえば、世界自体が危うくなると直感していた。また、竜の力が、やはり妨げになると思ったので、魂を尽くして、竜の能力を制限するような処置を施した」「…………」
……いや、「三つ子」が竜である可能性を知ってから、そういう事態もあるとは思っていたけど。今回もまた、世界は色々と滅亡の危機に瀕していたらしい。まぁ、それ故に、里長が裏で動いているのではないかと邪推してしまったわけだが、いやさ、どうだろう、コウさんなら世界を救うことは出来たかもしれないが。ただ、そのときには、魔力体の子は助からなかっただろう。本当に細い、今にも切れそうな糸を手繰り寄せて、あの子は可能性を繋いだのだ。あとは、コウさんが、どうにかしてくれる……はずだが、本人に尋ねたわけではないので、一抹の不安は残る。
「今、我らの子に問題はないようですが、人種の姿となった、竜として不自然な状態から、何があるかわかりません。恐らく、何かが起これば、我らでは対処は敵いません。どうか、『千竜王』。御身と魔法王、ヴァレイスナを始めとした竜が在る地である、竜の国で我が子を育てて頂きたい」「わかりました。あとで、もう一度フフスルラニード国に行って、レイズル様から受け取ってきましょう。ーーただ、それには一つ、条件があります」「「っ」」
あ、失敗した。言い方が悪かっただろうか。二竜から、真剣過ぎる眼差しを向けられてしまう。これは、さっさと誤解を解いてしまわないと。
「一周期に一度、必ず竜の国に遣って来て、三竜の子を抱いてやってください」「っ! いえっ、お許しいただけるのなら、一星巡り、一巡り、いいえっ、毎日でも!!」「それではさっそく、竜の国に移住を……」「スナ。『氷絶』をお願い」
きぃぃぃぃんっ。
間違えた。ルタは氷竜なのだから、「氷絶」じゃなくて「炎輪」か何かをお願いすれば良かった。というか、何だろう、魔法は僕に効かないはずなのに、何だか寒いんだけど。凍死していないから、それなりに防げてはいるようだけど、やっぱり僕の体に異変が生じているのだろうか。
「一周期に一度にしたのは、罰です、『おしおき』です。致し方なかったと、わかってはいますが、方々(ほうぼう)に迷惑を掛けたのも事実。大陸に帰って、必要なら、魔竜王にも此度の一件を伝えてください」「ーー父様。マースグリナダにまで、手を出すつもりですわ?」「えっと、手を出す、とかそんなことじゃなくて、今、世界規模で、異変が起こっているようだから、いずれ力を貸してもらうときが来るかもしれないから、伝手は作っておこうかと思って」
後ろ暗いところなど、仔炎竜の炎ほどもないというのに、何故か言い訳めいた言葉を連ねてしまう。ぶーぶー、と鼻息な娘の、趣意を看取したのか、ルタとナスラが立ち上がる。
「二竜の時間を邪魔してしまい、申し訳ございませんでした」
「『千竜王』と諸竜に感謝する。次は、『千竜王』の子が見られることを期待している」
爆弾なのかどうなのか、余計な一言を残して、気を利かせた二竜が大陸に向かって飛び立ってゆく。お望み通りに、僕と二人切りになった氷竜だが、竜にも角にも、座っているのも辛くなったので、ゆっくりと横になる。
「言いたいことはたんまり、山ほど、竜ほどありますが、今は眠って、体の復調に努めるのですわ」「うん、そうする。あと、冷気は、ちょっと骨身に沁みるので、控えてもらえると……」「今の父様の状態からすれば、私の魔力、冷気など、仔炎竜の炎ほども損傷を与えられないのですわ。眠ったら、じょばじょばと凍気を詰め込んでやるので、とっととさっさとつっつと、ひゃっこいで眠るのですわ」
心が通じ合った父親と娘。なので、仔炎竜を心象。体の中心辺りで、ほやほや昼寝でもしていてもらえば、きっと大丈夫だろう。すぐに眠れるかな、なんて思った瞬間に。みーにとってのコウさん、ラカにとっての僕、最良の寝床なのか安心できる居場所なのか、ころりと、机から落ちた竜玉のように、気を失うように眠りに就いたのだった。
「あれ? もう夜?」「風っころと一緒にするなですわ。父様の負担にならないように飛んだのですから、もっと健気な娘を褒め称えるのですわ」「あ、そうだ。すっかり忘れていたけど。スナから、聞きたい言葉があるんだけど。戻ってきたんだから、今でもいいよ」
見上げた夜空に星はない。情調はないが、この機を逃してなるものか。僕だって今回はかなり頑張ったのだから、氷竜からご褒美が欲しい。
僕が待ち望んでいた言葉を、やっと愛娘から聞けるとーーそう思ったら。
「……私は言ったですわ。『きちんと』戻って、と。ぎりぎり戻ってきたような感じでは、氷竜だって、炎を食べてしまいますわ」
おかしな譬えは、それだけ動揺しているということだろうか。体はまだ酷い状態だが、スナの冷たさは、優しい心地で、僕を温めてくれる。大丈夫そうなので、やってみると、スナの魔力を貰えたので、歩いていって、寂れた色の角に寄り掛かる。
「もう、竜の国の山脈を越えてるんだね」「どうしてわかったですわ?」「自分たちで造った国だからね。見た瞬間に、そう思った。触れた刹那に、スナだとわかるのと同じだね」「…………」「もしかしたら、僕の大切な娘は、ちょっとだけ恥ずかしがり屋さんなのかもしれないと、思ったりしなかったりした、今日この頃ーー」
冗談めかして言ったのだが、怒るわけでもなく、反応がないんですけど。いや、そっちのほうが断然怖いから、氷竜様っ、角をすりすりさせて頂くので、何卒御慈悲をば!
「父様も知っているでしょうが、私も、人種との関係について、少しだけ、少しだけですわ、悩んでいたのですわ」「うん。僕を不老化させようとしたり、距離を置いてみたり、僕に冷たくなったり、僕を殺そうとしたり、色々あったけれど、今も僕と一緒に居てくれる。僕は欲張りのはずなのに、スナが側に居てくれるだけで、満たされてしまってるんだ」
答えの代わりだろうか、スナは降下してゆく。夜に囁く、光の宴。イリアかリーズが伝えたのだろうか、翠緑宮が目印に、闇に浮かぶ光船となって、僕らを迎えてくれる。長かった、などと顧みている場合ではない。それは、コウさんを目覚めさせてからだ。
「お帰り、リシェ」「ただ今、戻りました、老師」
二竜は遠慮したのだろうか、老師は階段に腰掛けていた。彼は、杖を持っていた。魔法使いとしての自覚が芽生えたわけではなく、杖を必要とするほど衰弱しているのだろう。
「心配してくれるのはありがたいけれど。コウが目覚めれば、私の寿命も少しは延びるだろうから、そんな、老人を甚振る『魔毒王』のような目を向けないでくれるかな」
ちくしょう。この魔法使い(おうさま)の師匠、何処まで知っていやがるのか。心配して損をした。なんてことは勿論ないんだけど。普通に接する、ということの難しさを思い知る。
「グリングロウ国では、何かありましたか?」「幾つか、仕事が滞っているようだけれど、予備魔力として残していたコウの魔力は、まだ余裕があるから、大きな問題は起こっていないよ」「ーーイリアとリーズは、どうでした?」「何故だか知らないが、二竜は私を頼ってね。やっぱり間違えたかもしれない。『千竜王』の師匠とやらが、彼らにはよっぽど効果があるのか。竜の国にとっては、ーー損よりも、益のほうが大きかったよ」
老師は、いまいち信用できないので、カレンからも聞いておいたほうが良さそうだ。二竜を褒めるのは、それまでお預け、ということで。ーー世間話をしている間に、辿り着く。見慣れた、コウさんの居室。はぁ、忘れ物とか、仕事の残りとか、何度届けにきたものか。
「強い魔力は、体に障ります故、あとはお任せいたします、氷竜様」「まだ持つようですから、聞いてやらなくもないですわ」「次は年寄り同士、竜茶でも飲みながら、思い出話に花を咲かせましょう」「ひゃふっ、竜には寿命なんて知らぬが竜ですから、いつでもいつまでも、私はぴっちぴちですわ」「それは失礼いたしました。それでは、先に休ませて頂きます」
老人は怖いもの知らずである。などという言葉を聞いたことがあるが、スナ相手に怯まないとは、さすが僕の師匠。邪竜王は兄さんなので、邪竜大臣か邪竜団長くらいの称号なら、って、今はそんな阿呆なことで悩んでいる場合ではなく。
「スナ。何か異変はある?」
扉を開けて、部屋に入りながら尋ねると、呆れた声が返ってくる。
「父様、まだ鈍いままですわ? 扉に掛けられた魔法、部屋に施された魔法、この居室自体を強化している魔法、魔力の流れを制御している魔法。他にも幾つも、竜が暴れ回る勢いで、ぶっ壊れたですわ」
あー、僕にはまったくわからなかったが、スナの竜眼には壮絶な光景が展開されていたらしい。それを遣った当人が気付いていないのだから、呆れられるのもむべなるかな。
「これは、クーさんかな」「中々の出来栄えなので、九十点ーーと言いたいところですが、私の等身大人形だけがないので、三十点にしてやりますわ」
魔布を掛けられたコウさんの横には、みーと百の人形が。ラカとナトラ様の人形まであって、炎竜の横に、一竜ずつ寝ている、というか飾られている? コウさんがスナを苦手としているのはクーさんも知っているので、スナちゃん人形は宰相の居室にでもあるのかもしれない。
「…………」
然ても然ても、幸せそうな、呑気そうな、ちょっと馬鹿っぽくもある、幼い少女の寝顔。そう思えるくらいに、普段の生意気だったり勝ち気だったり……って、いやいや、このまま挙げていけば夜が明けてしまうので、これくらいにするとして。そんな王様の、魅力的でもある欠点が抜け落ちて、見ていると、不思議なもので、この愛らしい生き物は、僕が知っている王様ではないような気がしてきて。
「どっこいしょっと」
女の子を見ないように、寝床の端に腰掛ける。勿体ぶっても仕方がないので、みーの人形と繋がれている手に触れようとしたが、何故だか禁忌を犯すような、衝動的に何かが込み上げてきたので、スナの竜眼を誤魔化すように、肩に触れる。そう、触れただけなのに、擽ったいような、魔力が踊り回ったような、不思議な感触。
不意に、皆で巡った旅の記憶が。寝起きの、ぼんやり娘に、短いようで長かった、様々な出逢いやごたごたを、聞かせてあげよう。
「ーーふぅ、コウさん。色々と話したいことがあります。先ずは……」「あの娘なら、素っ飛んでいったですわ」「……は?」「一刻も早く、みーに会う為に、『空降』まで使ってますわ。速過ぎて、中継の竜鱗だけでは追い切れないですわ」「『空降』? 『空降』じゃなくて?」
無慈悲な王様の所為で、何だかどうでもいい気分になってしまったので、そこまで気にならないけど、何となく尋ねてみる。
「『空降』のほうが語呂が良いので、そう呼んでますわ。とは言っても、まさか実際に使っている者を見ることになるとは思ってもいなかったですわ」
「転移」や「空移」と似た、越境魔法だろうか。どんな魔法なのか愛娘に尋ねようとしたが、氷眼が極寒のように白けていたので、うん、機会があったら、直接コウさんから情報を搾り取ろう。あのちゃっかり娘、まだこんな魔法を隠し持っていたとは。ああ、そうか。あの残念っ娘は、今回の一件での、自身の行いを、魔法を責められると思って、とんずら放いたのかもしれない。勿論、みーを安心させてあげたいとの、優しさからの行動でもあるのだろう。でもなぁ、知らない仲でもないんだし、一言くらいあっても良かっただろうに。はぁ、戻って来たら、ずごんばこん抜いてやらないといけないだろう。くっくっくっ、目隠しを超える、新たな「やわらかいところ」対策を披露しないといけないようだ。
とんっ。むにゅっ。
駄目っ娘のコウさんのことを考えていたら、両肩を押されて。お腹の上に、着いてない娘が座って。じっと見詰めてくるかと思ったら、つつつっと視線を逸らしたり、ぎんっと睨み付けられて、美味しく食べられてしまうのかと思ったら、喉に何かが詰まったかのように苦し気な顔をしたり。何だかよくわからないので、フィンと同じように、足に魔力を練り込んであげる。
「ひゃふんっ!? って、何するですわっ、父様!」「何、と言われても。氷竜の『いいところ』を擦ったら怒られそうだったので、同属性のスナなら問題ないかと思って」「問題ありまくりですわ! 父様はいったい、氷竜を何だと思ってますわ!」
それはまた、答え難い質問を。……ん、あれ? この感じ、というか、魔力の感触は、ーー風竜? スナは心付いていないのか、僕のお腹の上でもぞもぞ動きながら、魔力が制御できていないのか、寝床だけでなく部屋まで凍り始めて。融けてしまうのではないかと心配になってしまうくらい、熱を帯びた視線が降ってきて。
「……一度しか言わないのですから、心して聞くが良いのですわ。私は父様がだずぼがぁあっっ??」「り~~え~~っっ!!」
ごんっ。
見えた。見えてしまった。ラカのくるくるっとした角が、スナの頬骨の辺りに当たって、……酷いことになってしまった。もしかしたら、二度と巡ってこないかもしれない重要過ぎる場面を邪魔されたのかもしれないけど、東域から全力で飛んできたであろう風竜を責めることなんて出来なくて。
「…………」「びゃ~っ! こんっ、止めるのあ! こんこんっ、止めるのあ!」「あー……」
でもそれは、僕の都合なので、愛娘は無言で風竜のお尻を凍結中。ラカのお尻を撫で撫でして、氷を落としてから。ーー総仕上げである。「未来の風をこの手に」作戦の成否は、ここからに懸かっている。
「ラカは、僕が『これからずっと、風を吹かせないで』と言ったら、その通りにしてくれるかな?」「ぴゅ? りえ?」「スナはね、僕が『これからずっと、氷を作らないで』と言ったら、その通りにしてくれるんだよ」「ぴ…ぴゃ? こん、本当なお?」
ラカに見られて、一拍、すぐに反駁する愛娘。
「ちょっ、ちょっと待つですわ、父様! 父様は氷竜というものを勘違いしてますわ!」「ね。スナは完全否定しなかった。最後には断るのだとしても、そのことについて考えてくれたし、迷ってもくれた」「ひゃぐっ……」「……こん、凄いのあ。凄く変なのあ」「誰が変竜ですわ。父様も、娘を誑かして、何がしたいのですわ!」
スナには、ちょっと酷いことをしてしまったかもしれないが、比較対象があると、わかり易くなるので。愛娘への仕打ちは、これからうんと優しくして、時間を掛けて返していくことにしよう。
「ラカに、何をしろ、とか、何かして欲しい、とか、そんなことを言うつもりはないよ。ただ、そうだね。僕は『もゆもゆ』だけど、もしかしたら、もっと上位の、『もゆんもゆん』とかになるかもしれない。だから、ラカがちょこっとでいいから、僕との関係を考えてくれたら、それだけで満足なんだけど」「……ぴゅー。考えておう」
顔を見られたくないのか、ぽふっと僕の肩口に顔を埋めてしまう。スナは僕のお腹に座っているので、横入りのラカと竜々で、大変なことになっている。
「どう? スナを退屈させなかった?」
ラカに悪戯しそうだったので、愛娘に問い掛ける。「騒乱」のあとの、あの光景の中で。スナの予言は当たって、本当に大変だったけど。何度も死に掛けたけど。氷竜を飽きさせないという約束だけは守れただろうから、今は満たされた気持ちで一杯なんだけど。
「厄介ですわね。後悔、というものは、後にならないと出来ないのですわ」「もう疲れたし、今日は、コウさんは帰ってこないだろうから、ここで一緒に眠っちゃおう」「ーー何を誤魔化そうとしているのですわ」「えっと、そんなことないけど……」「まったく、娘を大好き過ぎる父様を持つと、苦労するのですわ」
力が抜けた氷娘は、ぽとんっとラカの上に落ちて、愛を囁くように耳元で。
「ーーにういま、じいくきろすに」「え……?」
え? って、ちょっと待っ、今のって、聖語!?
「お願いっ、スナ! 異言語力は駄目で、わからなかったからっ、もう一回! もう一回!!」「ひゃふっ、一度しか言わないと、事前に予告しておいたですわ」「うぐぅ……。というか、聖語が刻めるなんて、知らなかったんだけど」「あら、知らなかったですわ? 隠し事がある竜のほうが、魅力的なんですわ。私のことをすべて理解しようだなんて、千周期、早いのですわ」
まったく、捕まえたと思ったら、するりと逃れてしまう、僕の大好きな氷竜。きっと、千周期経っても、氷娘のすべてを知ることなんて出来ないだろう。
「さゆろ。ないはなろ、にえろはいせさのろ」「え、え~……」「この風っころ、エルフルではなく、きちんと聖語を刻んでますわ」「…………」
……竜に化かされた気分である。スナだけでなく、ラカまで聖語を刻めるとは。竜は本当に神秘の生き物である、って、何か違うような。
「そら、半分空けるのですわ、風っころ」「ぴゃ~。わえはりえのお願い聞いたんだから、今度はりえがわえのお願い聞く番なのあ」「私が恩竜だと言うことを、すっかすかの頭は、もう忘れたですわ?」「ひゅー。風は前に吹き続けて、振り返らなー」「ひゃっこい! 良い度胸ですわ。好い加減、風っころは身の程というものを弁えるのですわ!」
うん、違ったようだ。僕の上でぎゅうぎゅうしている氷竜と風竜は、僕が知っている、僕が大好きな竜で。知らないのは、当たり前のことで、ひとつひとつ知っていけるから、愛しくて。ーー羽搏いた、翼が。これは、予感なのだろうか、スナとラカから片翼が、双翼となって、遥かな空をーー。掴み損ねた心象が、伸ばした両手が、そのまま氷竜と風竜の上に落ちて。
「ひゃふ……?」「ぴゅ……?」
一緒に僕を見てくれたのが嬉しくて。何故だか僕を見て惚けている二竜を、まだわからない未来のことなんかよりも、ずっとずっと大切な、この腕の中にあるスナとラカを、確かな想いを繋いでいる二竜を。
「ーーーー」「「っ」」
何を言ったらいいのかわからなかったから、想うままを言葉にして。明日からも竜日和で忙しくなると、期待に胸を膨らませながら、今日も竜と一緒の一日を終えるのだった。
ひゃふ、続くかも、ですわ。