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竜の国の侍従長  作者: 風結
15/16

八章 千竜王と侍従長 前半

「あれ? この魔力はーー」

 鋭く、射抜くようで、それでいて暖かい心地。眼下に望むも、この高度ではさすがに無理か、と思っていたら、百が尋ねてくる。

「テルミナが()るな。特使か何かであろう。方向からして、帰りようところか」

「ふふりふふり」

 あ、スナが悪い顔をしている。一応、抵抗はしてみよう。

「ナトラ様。先にアランたちと合流しますか?」「構わないです。急ぎではないので、見物しているです」「フィンとリンちゃんは、フフスルラニード巡りを……」「ユミファナトラに倣って、『千竜王』観察を楽しむとしましょう」「だーつー」

 きりきりやもみもみをせず、百が降下してゆく。街道に竜影が掛かって、先んじて振り仰ぐテルミナ。彼女が下馬すると、追行していた馬車から十人ほどの兵が。

「リシェ様っ!!」

 百が「人化」して、僕たちが地上に降りると、仔犬のように一目散に駆け寄ってくるテルミナだが。どばんっ、或いは、どどんっ、でもいいだろうか、当然、そこに立ちはだかる氷竜が一竜。愛娘が大好き過ぎる父親にできることは、黙認だけであった。

「初めまして、テルミナ様。私は、ラールの娘で、スナと申しますわ。お見知り置きの程を、ですわ」「……っ!?」

 完璧、という言葉が、恥ずかしがって炎竜の後ろに隠れてしまった。子供っぽさの内に醸される、優雅で気品のある振る舞いに、﨟長けた微笑み。女性であるテルミナが見惚れてしまったくらいだから、まぁ、スナは僕の娘ではあるけど、男でも女でもないので、彼女が竜の魅力に囚われてしまったとて無理からぬことだろう。

「り、リシェ様の娘……? スナ……?」

 ひゃっこい娘は、(じゃりゅう)愛娘(たからもの)は、世界の法則のように追い打ちを掛ける。

「はいっ、スナですわ! 母様のヴァレイスナからもらった、スナ、という大切な名前ですわ」「か…母様……?」「むふふー、それでテルミナ様は、どのようなご用件なのでしょうか、ですわっ」「り……」「り?」「リシェ様なんてっ、幸せになってしまえ~っ!!」

 はぁ、これも僕が悪いんだろう。スナに尻拭いをさせてしまった。最後まで人の良さを発揮したテルミナだが。もう少し人を疑ったほうが、と思わなくもないが。まぁ、あっちっちーとかひゃっこいで視野が狭くなっているのだろうから、これ以上は何も言うまい。

 ーー矢を番えた。そう思えるほどの、射殺さんばかりの視線が僕を穿つ。ああ、彼には見覚えがある。僕より一つか二つ周期が上の青年。魔弓を拾い、テルミナに駆け寄った兵士で、僕を射ようとした彼女との間に立ちはだかって、止めてくれたりもした。今もテルミナの側に居るということは、普通の兵士ではないということだろうか。

「ああ、すみません。ちょっと来ていただけますか」「むっ、何が!?」

 冷え冷えなスナの魔力は、ちょっと凍えそうだったので、むっつりな風竜の魔力を貰って、青年をぐるぐる巻きにして、強制的に引き寄せる。異変に振り返った年嵩の騎士らしき男性に頭を下げると、了承してくれたようで、青年を置いてレイドレイクの一行は去ってゆく。

「えっ、エルムンド!? 私を残していくとはどういうことだ!! は……うなぁ?!」

 慌てた青年が僕たちを見て、ぎょっとする。ナトラ様の悪戯だろうか、六人の子供が角を生やしていれば、仰天しても仕方がないことではあるが。見回してみると、街道を行き来する人々は僕たちのことに気付いていないので、複数の魔法が使われているようだ。もう逃げないだろうと、魔力から解放する。

「あなたも知っている通り、こちらが『ミースガルタンシェアリ』様。ヴァレ……ではなく、スナと、僕にくっ付いているのがラカ。右から、ナトラ様とフィンとリンちゃんです」

「…………」

 ヴァレイスナは、スナの母親という設定なので、百以外は愛称での紹介である。未だ、精神を立て直すことに成功していない青年を観察してみる。衣服(チュニック)だが、質が良い。謁見の際は、外套(ウプランド)でも纏えば問題ないだろう。予想はしていたが、彼の振る舞いや判断から、貴族の、それも上流階級に属した者ではないかと思っていたが、確信は深まった。

「……私を、クルイット・スカージットと知っての狼藉か」「いえ、あなたのことはまったく存じ上げません。ただ、情報が欲しいので、残ってもらっただけです」「は……?」

 斯かる扱いを受けるのは初めてなのか、目が点になる青年ーースカージットさん。然ても、まだ確定ではないが、彼は動揺しているようなので、幾つか段階を省いてみよう。

「スカージット殿は、テルミナのことが好きなのですね」「なっ!? 何をっ、いや、そのようなこと、許されるはずもない!」「何故、許されないのでしょう?」「……身分が、異なる。私と彼女が結ばれることなど……絶対に、ない」「テルミナが『レイドレイクの豪弓』で、身分に差があっても……」「勘違いするな。そういう意味で言ったのではない。知らないようだからもう一度名乗るが、私はレイドレイク国の第二王子、クルイット・スカージットだ」

 ん? と、ああ、そういうことか。スカージットさんは、督戦隊を率いていたのかもしれない。戦闘では、「レイドレイクの豪弓」の指揮下に、部下として従っていたのだろう。強がって僭称している、というようには見えないが、確認はしておこう。

「えっと、王家はスフール、では?」「スフール、スカージット、それとテルミナのスカーブがある。ここまで言ってしまったので説明するが、テルミナのスカーブは神官としての役割を兼ねている。特に、『レイドレイクの豪弓』と王位を継ぐ可能性がある者が……、叶うはずもない」

 君らの一族は真面目過ぎる。とカスルさんがテルミナに言っていたが、スカージットさんも該当するようだ。ふむ、彼の言い様からすると、王族内の恋愛は禁じられているようだ。それは他家に、他国に嫁ぐから、といった通常の理由だけではなく、また「豪弓」の役割以外にも、別の何かがありそうだ。らしくないとは自分でも思うけど、テルミナに勘違いさせてしまったのは、僕の所為なのだから、少しばかりお節介をしてみようか。

「なるほど。その程度の障害で諦めてしまうーースカージット殿の想いとは、その程度ということなのですね」

 その程度、という言葉を繰り返して、強調して、彼を挑発する。衝動に任せて、僕に食って掛かろうとするが、ちょっと演技が過ぎただろうか、見透かされてしまったようで、逆にスカージットさんは冷静になってしまう。

「貴殿の意図はわからない。然し、善意からだということはわかる。今は回りくどいことは止めてくれ」「これは、失礼いたしました。それでは、僕は〝目〟ですので、助言させていただきます。ーー結果があるということは、原因があるということです。あなたは確認しましたか? 決まっていることだからと、伝統だからと、仕来りだからと、調べることなく諦めてはいませんか?」「な、何を……言っている?」「ああ、うじうじと、面倒臭い人ですね。よし、決めました。簒奪しましょう」「は……?」「大丈夫、問題ありません。『魔毒王』とか呼ばれている僕と六竜が協力するので、成功間違いなしです。これでスカージットさんは王として、堂々とテルミナを王妃に迎えることが出来ます」「……き、貴殿はっ! レイドレイクの分断を狙っているのか!!」「ぷぷ。ーーちょっとだけ、迷いましたね?」「……くっ!」

 真面目な人を揶揄(からか)うと楽しい、とは聞いたことがあるけど。カレンよりも融通が利かない彼で、もっと楽しみたいところだけど、ここらが潮時だろう。

「いえ、安心しました。否定したとはいえ、国と天秤に掛けられるほど、彼女を大切に想っているのですね」「……っ」

 お~、凄い。仔炎竜(みー)の三段重ね。初々しい、なんて上から言えるほど、(こな)れていない僕だけど、こちらまでこそばゆくなってきてしまう。本当に一途に彼女だけを慕ってきたのか、これ以上は完全に僕が悪者になりそうなので、さっさと本題に入ってしまおう。

「幾つか、理由はありそうですね。四度の聖伐の失敗で、王権が弱まっている。それ故、『レイドレイクの豪弓』が必要。血が濃くなる、というのもあるのでしょうが、僕が予想するに、恐らく、過去に何かがあったのだと思います」「過去?」「はい。本来、必要のないことを、敢えて禁止しているのであれば。ーーあなたの親の世代か、もっと前か、そうしなければいけないほどの、何かがあったのだと思います」「…………」

 心当たりがあるのだろうか、スカージットさんが押し黙る。

「長く続いてきたからといって、覆せないわけではありません。誰かが、自分の都合で決めたことになど、従う必要はあるのでしょうか。ーーこんなことを僕が言うのも烏滸がましいですが、テルミナは、危うい。国の為に、レイドレイクの為に。家族の為に、民の為に、最後まで走り抜けてしまいます。誰かが、支えてあげなくてはなりません」

「……忠告として、聞いておこう」

 ざっと、振り返って、僕たちに背を向ける。いや、別に恰好いいな、とか思っていませんよ。ただ、こういう生まれ持った、という奴だろうか、教育だけでは得られない資質のようなものを羨ましいとーー、

「父様が迷惑を掛けたですわ。地の国の土産という奴ですわ」

 まさか内心まで見られているわけじゃないよね。と愛娘に疑義を抱いてしまったが、まぁ、仮にそうであったとしても問題ないーーと言えるほどに達観はしていないので、隠し事はまだまだしていたい周期頃である。って、そんな愛情の深さを確かめている場合ではなく。スナが魔法球をぽいっとすると、やはり弓兵で目がいいのか、スカージットさんは繊細な手付きで捕球する。

「それは、回数と安全性を考慮した魔法球ですわ。一回の飛行距離は、街の端から端まで、三十回程度で、使用後に砕けるようにしておいたのですわ」「ありがたく頂こう。お礼に、もし私が王となることがあれば、スナ様を守護竜として祀らせる故、是非レイドレイクにお越しいただきたい」「ーー気が向いたら、行ってやるのですわ」

 先に、資質、と言ったが、スナから良い返事をもらうとは、王の資質も具えているらしい。そのときには、僕が付いていくと面倒なことになりそうなので、スナ一竜、いや、一竜だけだと寂しい(どうちゅうひま)かもしれないので、百とラカも一緒に、「最強の三竜」で押し掛けるのもいいかもしれない。などと妄想に浸って緩んでいたら、ナトラ様の総括のようなものが、僕の良心をぐさりと突き刺してきた。

「噂では、ヴァレイスナは浮気相手ということになっているです。『スナ』がヴァレイスナの子供ということは、浮気の相手にまで子供が居て、百竜はーーミースガルタンシェアリは、それを容認しているという構図になっているです。純真、かどうかは知らないですが、恐らくは初恋の、初心な乙女に、どろどろな竜関係を見せ付けるとは。リシェ殿ほど無慈悲な存在を、僕は知らないです」

 ぐふっ……。いや、事実なのかもしれないこともあるのかもしれないけど、何だろう、未だにナトラ様が僕に厳しい。然てだに終わってくれればいいのに、リンは、たぶん、ただの好奇心からなんだろうけど、火に炎竜を投げ込むような暴挙に出てしまう。

「『千竜王』の本妻であるミースガルタンシェアリは、実際のところ、浮気などというものを許すのでしょうか?」「ーー灼こう」「たーけーっ」「えっと、フィン。これ以上拗らせるのは、お願いだから止めて」「問題なかろう。今代は、斯様な命運だっただけのこと」

 ぐっ……、フィン語を解したわけでもないのに、微妙に正しい答えを返してくる百。見ると、……うわぁ、やばい、ひゃっこい(ごっかんのまじゅう)が参戦する前にーーからんっ。

「ぴゅ?」

 前触れもなく、ラカの角の前、風髪を通した髪飾りが、素朴な、(かわ)いた音を立てた。風竜は、髪飾りに触れていなかったので、対になるもう一つの髪飾りを持っているギッタが合図、というか警告を発したのかもしれなくて。

「ラカ。ギッタが近くにいるはず。魔力を辿れる?」

「ぴゅ~。勿論なのあ。あこの風はばっちい」

 ばっちい? ああ、ばっちり、か。ひしっと僕に抱き付いたラカにーー一人と一竜に、がしっと掴まる五竜。ーー五竜は、付いていきたそうな目で邪竜(ぼく)を見ていた。僕は、そっと目を逸ら、ごふっ……、……すことに失敗した。五竜のおねだりに、十個の御目目(おめめ)の、竜の上目遣いには、邪竜だって聖竜に転生してしまうわけで。六竜発射、というか、僕がもう邪竜ならぬ毒竜な感じがしないでもないが、ラカが友人の危機かもしれない状況に、本気の高速移動だったので、色んなものを堪能する間もなく、視界がぶれたと思ったら、もう到着していたので、

 べりっ。ぶんっ。ぽひょっ。

 ふぅ、何を置いても身の安全が最優先ということで、ラカを投げ付けて、ギッタの守護竜になってもらう。

「「っ!?」」「ぴゃ~、あこっ、あこっ、あこっ!」「おぉ~う、ラカちゃんと竜と、……余計なものが降ってきたー」

 いや、僕を見て、気分を盛り下げないで欲しい。って、いやいや、先ずは状況の確認からである。とは言っても、想定していた中で、……というか、恐らくは、危機的状況まで考慮していたことが馬鹿らしくなってしまうようなーーこんな裏道じゃ、日常茶飯事な出来事だったわけで。いやさ、周期頃の娘さんには、暴力に依る根源的な恐怖と、何より(みさお)を破り兼ねない乙女の危機ーーなのかもしれないけど。無論、常人を超えた魔力量の少女には当て嵌まらないので、竜にも角にも、真相を知る為に、男二人の矜持に問い掛けてみる。

「こんな子供ではなく、もっと自分の周期に見合った女性に声を掛けるべきではないですか?」「しっ、失礼なことを言うな! こんな餓鬼なんか相手にするわきゃないだろ! 俺たちゃ、ぶつかってきた礼儀知らずに、世の中の厳しさってやつをじっくりと教えて……」「いえ、良く見てください。『人化』した風竜と、きゃっきゃうふふな可愛い女の子。本当にあなたの守備範囲外なのでしょうか?」「っ!」「兄貴っ、兄貴っ! 隠さなくてもいいんだぜ! 仲間は皆知ってるからな、嘘吐かなくても大丈夫だぜっ! あ、俺は、むっちりなお姉さんが好きだけど」「義弟よっ! ばらして、って、皆知ってるのかよ!?」「あら、むっちりなお姉さんとやらは、こんな感じですわ」「うひょ~、お姉さんっ! 理想そのまんまっ、一目惚れですっ! 結婚してください!!」「ふふっ、私と結婚したいのなら、こちらの父様の許可を得ないといけないのですわ」「お義父さんっ! 俺に、いや、僕に娘さんをくだざびゃぐぼぁ~っ!!」

 おかしい。こんな流れになるはずじゃなかったのに。竜にも角にも、スナ、もといレイを、理想の姿、と言っていたので、美的感覚というか嗜好というか、愛娘を好いてくれた分だけ手加減をして、氷竜二竜(スナとフィン)の魔力をもらって打っ飛ばす。

「ギッタ。絡まれて、困って、どうしようかなぁ~、と思いながら、ついつい髪飾りに触れてしまったのかな?」「びゅ~、困ってはなかったけど、迷ってはいあ。ここのところ、魔力の制御が上手くいってなかったから、遣り過ぎて、殺しちゃうかもしれなかったかあ」

 ラカの口真似をして、誤魔化そうとするギッタ。然ても、僕は嫌われているので、もう少しくらい嫌われても問題ないーーような気もするので、少女の心根に迫ってみよう。

「は? ……へ?」「気付きませんか、彼女の魔力に。あなたたちを傷付けまいと、心が、魔力が乱れていたので、髪飾りに触れた際に、伝わってしまったんでしょうね」「びゃ~、じじゅーちょーこそ気付え。ラカちゃんがぽよぽよじゃなかったら、逃げちゃってたかもしれなー」「えっと、何を言って……」「ぴゃ~、おじさんは……、って、ない?」「あ、その、な……、風竜の物真似なのか、ちょっとだけ可愛いとか思っでぇ!?」

 びゅごっ。

 いや、生理的に受け付けなくても、一応褒めてくれたのだから、そこまでしなくても。と思ったが、カレンにあっちっち(おねつ)の純情無垢な少女なら、周期が上の男の趣味嗜好に、毒気に当てられてしまったとしても仕方がないだろう。ーー僕も気を付けなければ、って、手遅れ……なんてそんなことないからっ、竜も呆れているとかそんな事実はないーーはずだから!

「ラカ。ギッタは、手加減がない感じで、男性を風で吹き飛ばしたけど、風竜から見て、風の専門家から査定して、どうだった?」「ひゅ~。乱れてるけど、嵐のあとの風だから大丈夫なのあ。風が繋がれば、前よりもっと強く、深く吹けるようになう」

 嘗ての、スーラカイア国の双子には、その機会がなかったのかもしれない。或いは、それが敵わないほど、遠くまで引き裂かれてしまったか。風を、魔力をーーラカがそう捉えたというのなら、ああ、何だろう、魂の近くまで風が吹いている。

 見えないから、背中にいることに気付けなかった。忘れていたから、触れられていることに気付けなかった。果ての空まで、一緒に風になれなかった、あなたたちのことをーー。

 へっぽこ詩人の、憧憬の欠片が浮かび上がってくる。それは風を伴っていてーーいや、違う、これは(ことば)などという不明瞭なものではなく現実的な風竜(ここち)。源泉の魔力に、ーー橋渡し? 千風の、ラカに注がれた魔力が繋いでいる、繋がれているのは、僕の内側だけじゃなくて、外側にーーどごっ。

「……痛いよ、スナ」「自覚するですわ、父様。そこの娘以上に、不安定で厄介なのが、今の父様ですわ。何より、今、意識と感覚に、ずれ、があったことに気付いてますわ?」「ん……と、そういえば、殴られたのに、意識のほうはまったく安定……していたような?」

 何というか、殴られたのに、自分のことではない、他人事だったようなーー今から考えると、ちょっとぞっとするような、乖離というか重要なものが外れたというか。竜にも角にも、スナが居ないところでは、外側への干渉は控えるとしよう。

「ということで、ラカへの判決をお願いいたします」「竜穴ーー奈落で、僕たちの言う事を聞かず、崩壊するかもしれない水準の攻撃を続けたです。ギッタ殿。今日一日、そこの罪竜を解放しないようにするです」「ぴゅっ!?」「りょ~のかいか~い! あたしがラカちゃんの毒抜きをしてあげるよ~」「実際、リシェ殿の魔力は、竜にとって毒と表現することも可能です。感染力は、絶竜的な水準です」

 ……うん、僕は何も聞かなかった。そういうことに決定ということなので、とぼとぼと歩いていって、しゃがんで、頭をぺしぺしする。反応はない、ただの屍のようだ。などということは勿論ないので、声を掛ける。

「ラカが風竜だと知っていたことと、六竜の顕現にあまり驚かなかったことを説明してください。死んだ振りを続けるのなら、六竜を(けしか)けて、擽りの刑に処します」「…………」「……間違えました。噛み付きの刑に変更します」「…………」「……えー。そこの一緒に死んだ振りの弟分さん、ご意見をお聞かせいただけますか」「ふっ、兄貴はな、小さい子供に何をされても怒らない、すっげぇ紳士なんだぜ」「はぁ、もういいです。情報料を支払いますので、何でもいいので教えてください」

 何だか馬鹿らしくなってきたので、ぺしっと銅貨を一枚、地面に置く。すると、諦めたのか、それともこれ以上性癖、もとい趣味嗜好を暴露されたくないのか、死人(仮)が滑らかに喋り始めた。

「ーー風竜だと知ってたのは、王都の上空を飛んだあと、『人化』って言うのか? それを見たからだ」

 見た? それはまた意外な、いや、慮外なことを。なので、銀貨を一枚、ぺしっ。

「竜に驚かなかったのは、……一昨日、竜と会ったからだ。……あんな、(おぞ)ましい体験をしちまったら、……はは、もう竜がわらわら湧いたくれぇじゃ驚かねぇよ」

 まだ若いというのに、兄貴分さんが黄昏れていた。余程酷い目に遭ったらしい。僕が二竜と行動している間、フフスルラニード国に滞在していた四竜を見ると、皆で竜頭をふりふりと振り振竜ーーげぷんっ。……やばい、そろそろ僕の頭があれなので、幾ら「竜のふりふり」が可愛過ぎたとしても、暴走しないように魂を縛り付けておかないと。

「何が、あったのですか?」「そこの、子供の姿の竜じゃなくて、大人の姿だった……暗竜の……ひぃっ!?」「兄貴っ! しっかりしろだぜっ! 俺だって、思い出したくなんてねぇけど、兄貴と一緒ならできる! 一緒に乗り越えようだぜ!!」「義弟よ!!」

 ひしっ、とか抱き締め合っている、ねちっこい兄弟愛みたいなものはどうでもよくて。暗竜って、もしかしてエタルキアーー?

「『結界』に触れたので、内に入れたです」

 ナトラ様が言い終わらない内に、魔法剣が閃く。手荒い再会である。相変わらず色んなものを素っ飛ばしてくれるが、アランの言行には大抵意味があるので、全竜から魔力を貰って、振るわれた五撃を片手で弾く。

「ふむ。全力で五回、放ったにも拘らず、余裕で捌かれてしまったか。漸く届いた一撃でさえ、今のリシェには通用しまい」

 ん? あー、ちょっと待って下さい? アランは、情報を引き出し易くする為に、力を信奉する輩には力を、ということで手加減した攻撃を放ったーーとかではなく、いやいや、ほんと、少し待って、よしっ、先ずは事実確認からだ。

「ユルシャールさん。驚いているということは、アランの言葉は本当なのですか?」「はっ、……あ、そうですね。私には、五撃どころか同時にしか見えませんでしたが、アラン様の言葉は正しいと思われます。それと、追加情報ですが、漸く届いた一撃、なる私では見ることも敵わなかった一撃を放たれたアラン様は、翌日まで指一本動かせませんでした」「あー、もしかして、四竜だけでフィンの塒に遣って来たのは、アランが倒れたからですか?」「そうだな。我は同行したかったが、竜の方々の邪魔になってはと、諦めた」

 まぁ、ベルさんの判断は正しいと言えるだろう。人種を伴っていれば、ナトラ様やスナが配慮をしてくれるだろうが、「エルフ」であり「英雄王」であるベルさんだけだと、悪い意味で、竜と同等の待遇となってしまっていたかもしれないから。と、何だろうか、ベルさんは、「エルフ」の里に侵入して、どっかりと居座っている邪竜を見るような目を向けてくるのだが、ぐぅ、ここは知らん振り(いないいないりゅう)はしないほうが良さそうだ。

「どうかしましたか、ベルモットスタイナー殿」「たった数日で、ここまで変貌を遂げようとは……。勝てるーーと強がるのは、大言壮語は控えるべきだな」「は……?」

 は……? 何ですと? ふぅ、いや、ちょっと待って、って、待って待って言い過ぎである。でもお願い、ちょっと時間をくださいっ。……ふぅ~、では足りないので、ふぅ~、はぁ~、うんっ、良し! つまり、あれだ、人類最強っぽいアランとかドゥールナル卿とかエンさんとか、更にクーさんやエクリナスさんの支援を得て、ああ、それに、それまでの損傷が蓄積していたから、ということも相俟って、やっとこ取り押さえることに成功した「英雄王」さんが、勝てるかどうかわからない相手って、はっはっはっ、そんな奴がいたら、どんな化け物なんだか。ーーああ、うん、ごめんなさい。こんな化け物です(しょぼくてすみません)。

「…………」

 塒でフィンに読み聞かせた物語。強くなり過ぎてしまった魔獣使いの主人公の物語があったが、まさか自分が同じ境遇になるとは。でもなぁ、僕は主人公って柄じゃないし、精々脇役がいいところだろう。主人公ってのは、コウさんやアランのように、周囲に影響を与えて、諸共に引っ張っていけるような人じゃないと。

「強くなった、と言っても、それは竜の魔力を貰って、扱えるようになったからで……」「それだけ変質しておきながら、自覚がないのか……?」「は……、えっと?」

 魔法使いと呪術師に顔を向けると、役に立たない、もとい貴重な判断材料を提供してくれる。

「リシェ殿の、何かが変わった、といった漠然としたものは感じますが、アラン様やベルモットスタイナー殿が気色取られたようなものは、私にはとんとわかりません」

「大きな違いは感じられないが、以前より危うくなったような印象がある」

 然のみやは、最後にアランが誤解を助長(ばくだんをとうか)してしまう。

「リシェの強さに並んだと思ったが、逆に差が広がってしまった。まだまだ先に、潜ることを恐れてはならないか」

 止めて! 悲壮な決意とか固めないで! とか声を大にして叫びたいところだったが、アランの親友として、吐きそうになった(たましいのぜっきょう)を飲み下す勢いで、無言を貫く。うん、これはもう駄目だ。覆すことは不可能。こうなれば、あと出来ることは、全力で話を逸らすことだけである。然てこそ頭を抱えてぶるぶる震えている兄貴分さんに、再度のご登場願うとしよう。

「暗竜、と言っていましたが、エタルキアではなくスタイナーベルツ様のことだったんですか?」「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、もう、暗竜って竜の中じゃちょっと地味だよな、とか言ったりしないので、魔法で耳元で囁くのは勘弁してくださいっ!」

 魔法というのは、精霊魔法のことだろう。それを竜の力か能力と勘違いしたようだ。う~む、ただ、ここまで怯えているとなると、ベルさんの素行に問題があるかもしれないので、後の友好の為にも、詳細を聞いておいたほうがいいかな。というわけで、精霊に悪戯されてしまったような、ちょっと困った表情をしているベルさんに視線を向ける。

「この者たちが我にぶつかってきたあと、『治療費を寄こしやがれ』と言ってきたので、服を切り刻んでやった。許してくれ、と言ってきたので、許してやる代わりに、質問をした。一般の人種が何を考えているのか興味があってな、尋ねてみようと思ったのだ」

「酷いぞ! 酷いんだぞっ、そちらの暗竜様は! 小市民の心を抉る質問を、遠慮なんて不味そうなものはごっくんされて、ずばこんずばこん突き刺してくださるんだ!」

 微妙に(へりくだ)った非難をしているが、当然兄貴分さんの腰は引け捲っている。ーー真っ裸の男二人に、真剣な顔で尋ねている「エルフ」。いや、想像力さんだと汚されてしまいそうなので、妄想力さんにーーあ、逃げた。なので、知らぬが竜。然し、また、か。この兄貴分さんは、ベルさんにぶつかることが出来た。ラカの「人化」を目撃したことといい、何か特技か特性でもあったりするのだろうか。

「大したことは聞いていない。逆に、生きていて辛くないか、とか親身になって聞いてやったつもりだが」「ギザマルだってなぁ、健気に精一杯頑張って生きてるんだぁ~っ」

 ベルさんなりに、人種に歩み寄ろうとしてくれたのかもしれない。竜にも角にも、精神的な傷への慰謝料と、口封じの意味を込めて金貨を置くと、兄貴分さんの表情が一変した。

「ーーあんたたちは、俺たちの国を、フフスルラニード国を守ってくれるのか?」

 意表を突かれた、というか、虚を突かれた、というか。切り替えが早いというか何というか、こんな顔も出来るのか、と兄貴分さんの評価を改める。

「いえ、僕たちは大陸の、中央の国から遣って来ました。東域の何処の国にも肩入れすることはありません」「そうかーー。だけどよ、竜がこれだけ居んだ、それに竜と一緒にいるあんたたちも相当なもんなんだろ。金貨はいらねぇから、俺が聞いた話を、俺たちの国を守れる奴に伝えてくれ」

 彼自身は心付いていないのだろうか。ラカとベルさんの事例。聞いた話、とやらも、きっとその(たぐい)に属するはず。兄貴分さんが自国を愛しているのは本当のようだし、ここまで危機感を抱くとなれば、僕たちの今後に係わることかもしれないので聞いておいて損はないだろう。

「あんたは、エクーリ・イクリアという若い男を知っているか?」「…………」

 何故だろう。もう一言たりとも聞きたくなくなってしまった。いや、だがしかし、そんなわけにはいかない。雇用者責任として、「竜患い」で耳が汚れようと、受け止めなくては。はぁ、あとでスナに優しく耳掃除をしてもらおう。いや、偶には、百にお願いしたら、やってくれたりなんかしちゃったりしてくれるだろうか。って、良案とか、今日実行してみようかな、とか考えている場合じゃなくて。

「ええ、知っています。それで、彼は何を仕出かしたんですか?」「あいつはーーイクリアって男は、宰相の、リズナクト卿と会っていた」「ーーリズナクト卿、ですか?」

 意外、ではあるが、有り得ないことではない。エクなら、そのくらいのことは平気でやる。それに、リズナクト卿が敵と決まったわけでもない。「発生源の三つ子」の問題。それを解決するのを邪魔しないのなら、敵であっても構わない。それらは、この国の、フフスルラニード国の問題で、基本的に僕たちとは関係ない。のではあるが、エクが係わっている時点で、きっと面倒なことになる。あの「竜患い」は、自分の楽しみの為に手を抜くことはない。然あれど、この件には、まだ一つ厄介な事柄が含まれている。ある意味、エクがそれらのことを解決していないことを願っているのだが、はてさて、悪友は何処まで深く食い込めているだろうか。

「リズナクト卿は英雄なのか? この国を救ったのか?」「レイドレイク国の聖伐を阻止した、ということであれば、成果と言えるでしょう。『レイドレイクの豪弓』である第二王子を討ったことも同様。ただ、当然、犠牲はありました。リズナクト卿の領民と、人によっては、レイドレイク国の将兵も犠牲に含めることでしょう」「あっ、すまねぇ、そういうことが言いたいんじゃねぇ。リズナクトの旦那は英雄なんだろ、フフスルラニードを売るなんて、裏切ることなんてないよな?」「売る、とは穏やかではありませんね。敵を欺く為に嘘を吐いた、などが考えられますが、今少し、詳しいことを教えてもらわないと判断が付きません」「俺は馬鹿だから、全部はわからなかった。だけどよ、わかったことがある。リズナクトの旦那は本気で怒ってた。レスランの王様が自分を裏切ってたってこと、ぜってぇ許さねぇって顔してた。頼む……、出来るんなら、旦那を止めてくれ。出来ないなら、王様か騎士団に、伝えてくれ……」

 ちらとアランを見ると、首肯してくれたので、兄貴分さんに声を掛ける。

「僕たちは、フフスルラニード国を救ったりなどしません。ですが、リズナクト卿がこの国を滅ぼす為に暗躍するなら、それを止めることは確約します。つまり、あなたは役割を果たしました。あとは任せてください」「っ!」

 一瞬、表情が緩んだが、自らの無力を思い知ったのだろうか、俯いて歯を食い縛って耐えていた。確認はーーする必要はないだろう。兄貴分さんと弟分さんは、リズナクト卿の領地の出身なのかもしれない。そうであるなら、領民から様々に、リズナクト卿の、英雄の話を聞いて育ってきたはず。英雄の裏切りーーか。嘗て夢見た、憧れた存在は、彼らの内で如何様な変化を遂げたのか。

「御二人が現在、どのような境遇にあるのかは知りませんが、今よりも良い場所に辿り着けるように。その為に使ってください」

 銅貨、銀貨、そして金貨を拾って、兄貴分さんのポケットに捻じ込む。それから、弟分さんにも同額を。

「感謝はしねぇ。……だが、ずっと先、もし、あんたがまた東域に遣って来て、困ってたら、ーー助けてやる」「おうっ、そんときを首を洗って待ってろだぜっ!」

 ……弟分さんの言葉の意味はおかしいが、彼らの心意気は受け取った。東域の、地域性という奴だろうか、妙に素直なところがあって、根底には矜持がある。竜にも角にも、六竜と七人となった大所帯で、寂れた裏道から出る。まぁ、人数的には大所帯と言えるほどではないが、大魔力群とでも呼べそうな異質な一行であるのは間違いないだろう。

「ベルモットスタイナー殿。ここから、あのお店まで案内できますか?」「それは問題ない。が、少し掛かる」「構いません。それまでに方針を話して……」「ふむ。それは後でも良いだろう。その前に、リシェの冒険譚を聞く義務が私たちにはある」「えー……」

 残念ながら、六竜と六人も居るのに、誰も味方してくれなかったので、嘘を吐こうとするとフィンとリンがひとつひとつ訂正していったので、洗い浚い白状させられるのであった。



「父様単独で風っころを泥酔。氷っころと共闘して、ナトラを撃破。最後は、熾火と相打ちですわ。それから当然っ、氷対決は私の圧勝で終わったのですわ!」「どーぎー」

 フィンの突っ込みも何のその、えっへんな愛娘を見せびらかしたい気分なので、って、駄目だ、言葉がおかしくなっている。抜けそうな魂を体に戻さないと。

 前回と同じく「山彦」にお邪魔して、「竜の落とし物」は、食べたことのないフィンとリンのお口に、あ~ん。然ても、「リシェの小冒険(なんかいろいろありました)」の情報は搾り取られたので、表向きは陽気な氷竜にお願いする。

「スナ。これからの各自の行動を割り振ってくれるかな。『発生源の三つ子』の纏まった説明は、明日ってことで」「わかったですわ。先ず、私がやることに、ナトラ、付き合うですわ」「問題ないです」「そこの王様とーー魔法使いは……」「いえっ、除け者にしないで、お願いですっ、連れていってください!」

 またぞろ何かあったのだろうか、自身の無力を噛み締めながら氷娘に懇願する変魔さん。配下の痴態が目に余ったのか、アランが助け舟を出す。

「スナ様。未熟な者の視点は、ときに助けになることもあります。スナ様に比べれば、ギザマルの糞にも劣るとしても、万全は期するべきかと思います」「……えっと、アラン?」「ふむ。敢えて事実を、ではなく、敢えて対象を貶めることで同情を引くという遣り方をーーリシェから学んだのだが、上手くできたか?」「っ!!」

 ぎっ、と凄い目で魔法使いに睨まれる。不味いなぁ、アランの調子が戻って、僕では手に負えなくなる。これから大変だっていうのに、せめてユルシャールさんが味方だったら少しは軽減されたかもしれないのに。はぁ、変魔さんを見ないようにして、スナを促す。

「次は、そこの熾火ですわ。私とナトラと、風っころは問題ないですわ。み~()()す、とか呼ばれたくなかったら、土っころと氷っころの魔力にさっさと()れろ、ですわ」「…………」「熾火は、相方の呪術師と一緒に、二竜を連れて王都巡りでもしてくるですわ」「その任、(しっか)と承りました」「…………」

 百味の信徒として請け負うエルタスさん。反面、炎竜面とか言ったら可愛そうなので、むっつりな顔も可愛い百を無言で眺めていたら。どうしよう、僕の可愛い娘が、とっても良いことを思い付いた顔をしていた。

「ふふりふふり、熾火で駄目なら、ちょろ火と交替するですわ? あの仔炎竜(ちょろちょろ)、才能だけは一丁前(いっちょまえ)ですから、そこの灰よりも役立つかもしれないですわ」「……よう言うた。言うに事欠き、この薄ら……」「前から気になってたんだけど、百って炎竜なの?」

 炎氷(どっかん)する前に割り込むことにする。序でなので、これまで敢えて尋ねなかったことを、そろそろいいだろうかと、信頼関係も築けたことだし、ずばっと踏み込んでみる。

「……主よ。気でも違うたか」「父様は正常……とは言えないかもしれないですが、言っていることはおかしくないですわ」「えっと、スナ。もう少し父親を気遣ってくれると嬉しいんだけど……」「父様と同じ疑問は、私もずっと持っていたのですわ。熾火は、竜の魂。全竜の内に在りますわ。正確には、私と風っころの内にはもうないので、在った、ですわ。ちょろ火が新竜として生じて、熾火を除外乃至隔離したですわ。ーーひゃふっ、最後は父様に譲りますわ」「……ありがとう。というわけで引き継いで、最後に重要かもしれないことを聞くんだけど。みー様は、炎竜だったけど、仮に、風竜だったとしたら、というか、風竜だっとしても、百は炎竜として自我に目覚めたのかな?」「……は? な、何を言うておる、主……?」「いえ、もしかしたら、百は、自分から可能性を狭めているかもしれないから、いつか言おうと思ってたんだ。勿論、炎竜として、確固たる存在として在ることは、大きな利益があると思うけど、現状足りていない、満足していないのであれば、少しでも手を、翼を伸ばすのは、悪いことじゃないと思うんだ」「ふふんっ、そこの燃え滓は、父様の言葉が理解できていないですわ」「はいはい、百にとっては大変なことかもしれないんだから、そんな嬉しそうな顔で言わないように」

 スナを見ると、視界にもう一竜の氷竜が。あ、あ~、これはどうなんだろう。でも、まぁ、思い付いてしまったので、聞いてみるとしよう。

「フィン。スナと百は、ひゃっこいだったりあっちっちだったりしてるんだけど、フィンは百のことを、炎竜のことを、どう捉えているのかな?」「よーっふーっ!」「えっ! あ、でも、そんな……」「主よ。包み隠さずに言うが良い」「……いえ、さすがにそれはーー。でも、そうだね、言っても大丈夫そうなところで、一つだけ言ってしまうと」

 無難なほうの言葉とはいえ、一呼吸分、覚悟を決めさせてもらう。さぁ、どどんと言ってやれ(訳、ランル・リシェ)、といつもの不機嫌そうなお顔でえっへんなフィン。

「そこに居たら、それだけで殴りたくなる存在、それが炎竜ーーだそうです」「のーりーっ!」「然かし。氷筍より増しと思うていたが、所詮氷竜ということか」

 これは、駄目かなぁ。氷竜に反発して、炎成分が増してしまった百では、万能竜とかに進化するのは無理筋だろうか。いや、全属性竜か、全竜? 万竜? う~ん、いい呼び名が思い浮かばない。などと悩んでいたら、炎嫌いの氷竜はさっさと次に進んでしまった。

「そこの呪術師は熾火に付きっ切りでしょうから、そっちの暗竜は、土っころと氷っころの見張りと歓待でもしてやるですわ」「人種について学んだ故、ゲルブスリンク様とフィフォノ様の案内役、恙なく務められるよう努力いたします」「それでは、肩車役を交替しましょう」「ねーっらーっ」

 ひょいっとリンに投げられたフィンは、くるりんぱっと回転すると、斜め後方から、ぽすんっ。さすが英雄王。難しい角度からだったのに、難なく対応していた。亡くなった伴侶との間に子を成したとは聞いていないが、千三百周期を巡っているだけあって、子供……もとい竜の扱いも問題ないようだ。炎竜団の面々は、ちょっと不安だが、まぁ、何かあったとしても良い経験になるだろう。……なるよね? なってくれたらいいな。せめて、大きな被害だけ出さなければ、あとは何とかなるだろう。

「最後は父様ですわ。私とナトラと、風っころは、検分は済んでますわ。あとは父様が双子の検分をするですわ。それとーー、仕方がないですわね、風っころは『おしおき』中ですので、一緒に連れてけ、ですわ」「「ぶーぶー、おーぼー……」」「ひゃっこい?」「ひぃぃっ! なんのなんのっ、ラカちゃんっ、ラカちゃんっ、あたしたちにはラカちゃんが居るんだから!」「そうっ、そうっ、ラカちゃんが居ないときに『おしおき』されそうだけどっ、いつまでもあたしたちが遣られっ放しだと思うなー!」

 はぁ、止めておけばいいのに。カレンが相手でもスナには役不足だというのに、然ても然ても、いったいどんなひゃっこい目に遭わされることになるやら。

「ひゅー。前までなら、わえはこんに勝てなかっあ。でも、りえに『風降』を教えてもらったかあ。今なら、勝てないこともなー」「ふふん、強気な発言ですわね。風っころは、その言葉が自身の、如何なるものを拠り所として生じたものか、理解してますわ?」「っ! ナトラ様っ、リンちゃんっ、二地竜結界(がんばりゅう)!」「ぴゅー。わえは事実を言っただけなのあ」「何を慌てているですわ、父様」

 え、え? あ、ああ、僕の早合点だったようだ、が。ラカも、ぽやんぽやんでも竜だから、闘争本能みたいなものはあるんだろうけど。スナの言葉にあったーーラカの変化は、「未来の風をこの手に」作戦の為には必要なものなのだろうけど、くおぉ、やばいっ、ぽふんぽふんな表情のラカの新たな一面に、胸のどきどきが止まらない!?

「はい。あ~ん」「あ~ん、ですわ」

 竜にも角にも、氷竜を膝の上に乗せて、愛娘の機嫌を取っておく。然ても、愛娘には何処まで見透かされているだろうか。これから、というか、今日もやることは盛り沢山なんだけど。大切な娘を最優先に行動できない駄目な父親を許してください。と懺悔の代わりに、竜も赤面するくらい娘を甘やかす父親なのであった。



「隠れ家にしても、もう少しいいところはなかったの?」「ひゃひゃっ、この寂れ具合、この情緒がわからねぇなんてなぁ。遣り直しだ、もー一回生まれ直してこい」「そうだね、そうすればエクと同期にならないから、遣ってみるのも悪くないかも」「ぴゃ~っ!」

 男二人のどうでもいい会話を他所に、とても有意義なことをしてくれる風竜。埃っぽかった部屋の空気が、ラカの魔力を含んだ心地好い風に吹き払われる。割れた窓から見える空は、曖昧な色彩で、綺麗な夕焼けまであと二歩、というところだろうか。

「お~と、『白竜の双巫女』も一緒なのかい」「やっぱりじじゅーちょーの親友か。会うなりラカちゃんのお尻をもみもみな変態さんだー」「もはやじじゅーちょーと心友か。大変で変態な、でれれんな顔付まで一緒だー」

 「竜患い」のもみもみは続いて。まぁ、姉妹の侮蔑の言葉くらいで止めるエクじゃないんだけど。そろそろラカが「天の邪竜(エク)」を吹き飛ばしてしまうので、気になっていたことを探ってみる。ラカのお尻付近の魔力。そこから魔力の流れを辿ってみるとーー一箇所に、いや、二箇所か、そこで風が滞っている。これが原因で、お尻の辺りに風の隙間ができてしまっているようだ。ラカの背中の、人種に翼が生えるとすればここなのではないか、と思える場所を、ペルンギーの宝石の真っ白な服の上から、さわさわとなぞってみる。

「ひゅるんっっ!?」「わっ、な、何!?」

 びくんっ、とギッタにくっ付いていた風竜が体を震わせると、連動して少女まで体を跳ねさせていた。見ると、驚いている、というより焦っている、といったほうが近いだろうか、風竜はこれまで見たことのない顔をしていた。僕に見られていることに心付いたラカは、竜速(ちょっぱや)でぽふんっと少女の肩口に顔を(うず)めてしまう。

「リシェよ。そういうこったなぁ、夜に、二人っ切りになってからやってくれ。俺にだって、羞恥心くらいはあるんだぜ」「「ーーーー」」

 ギザマルの糞より臭いものってあったっけ。とか考えてしまいそうになるくらい、姉妹からすんごい目を向けられてしまいました。あと、エク。そこに居なくても殴りたくなるような下卑(げび)た目で僕を見るのは止めろ。まぁ、それはよくないけど、鱗にも尻尾にもいいことにして、もしかして背中の二箇所、あの部分は、風竜の「いいところ」だったりするのだろうか。……っ、いやいやいやいや、も一つお負けで、いやっ、仮に擦って魔力放出だったとしてもそれは未来の風っぽい作戦が成功したあとのことでスナの冷たさとか思い出したのは本当のことだけど風もきっと気持ちいいだろうとかも思って……げぷっ。

「エク。ーー報告」

 いや、涎なんか垂らしてないけど、さり気なく口元を袖で拭き取って、激闘の果てに聖竜を打ち破った邪竜の顔で悪友に尋ねる。はぁ、一瞥しなくてもわかる。ラカの魔力がつんつんしていた。今は、魔力に干渉するのは止めておくのが賢明か。

「報告、報告ねぇ。要るのか?」「僕はね、エクは届かなかったんじゃないかと予想しているんだ。そして、そうであるなら、それ自体が答えとなる」「ちっ。……ちっくしょーめがー! 里長でもっ、アルンさんでもないってのにっ、この俺が! この俺が!!」

 舌打ちしたエクは、耐え切れずに絶叫する。跪いて、呪うように散らかった床に手を叩き付ける。そんな悪友を見て、ーー心底どうでもいいような声を掛ける。

「サンとギッタが怯え、ではなく、驚いているから、下手な演技は止めろ。時間がもったいないから、さっさと話せ」「ちぇー」

 何事もなかったように、すっくと立ち上がったエクは、口直しならぬ手直し、って、それだと意味が違うけど、床を叩いた手をラカのお尻に持っていって、

「「死に晒っしゃ~~っっ!!」」「ぽきょ~~っ」

 双子大爆発(しまいでぼっかん)。エクは吹っ飛び、壁にぶつかったので、再びラカに風を吹かせてもらう。態とらしい叫び声からして問題ないだろう、治癒魔法中の「竜患い(ばか)」が戻ってくるまでに、姉妹に話を聞くことにする。

「僕が二竜と行動している間、二人は別々に、単独で動いていたのかな?」「くっ、この邪竜め! 心の中を読んだのかっ、読んだのか!」「かっ、この風竜殺しめ! 氷竜と炎竜だけじゃ足りないのかっ、足りないのか!」

 何だろう。二人の罵倒に慣れてしまった所為か、いや、フィンの壮絶な罵っ詈罵っ詈の悪口雑言で耐性ができた所為なのか、逆に心地好いくらいのーーげふんっげふんっ。いや、そんな嗜好はないので、話の続きをば。

「ユルシャールさんなら、そうすると思っただけです。二人は『白竜の双巫女』、ではなく、『白竜の姫巫女』として、いえ、『巫女姫』のほうがいいかな……」「「…………」」「いえ、二人も周期頃なんですから、邪竜も怯えるような、そんな目で見ないでください」「「ーーーー」」「話を続けると。二人は、『双巫女』としてフフスルラニード国では有名になったので、『隠蔽』や『結界』、あとは『幻影』とかかな、それらの魔法を使わないといけなくなりました。つまり、ばれて面倒なことになりたくなければ、嫌でも魔法を向上させなくてはならなくなります。短期間の内に、二人の魔力がそれだけ安定したのは、ユルシャール師範の然らしめるところ、ということになりますか。因みに、僕の予想だと、二人がそのことに気付いたのは、すべてが終わってからのことだったーーと?」「「ふんっ!」」

 がしっ。

 どうだろう。リンが居たら合格点を出しただろうか。姉妹は同時に、挟むように僕の膝を蹴ってくる。ラカの魔力を貰っていないので、体がやばやばなのでーーでも、そうであるからこそ丁度いいと、瞬間的に、僕の内側の「千風」の魔力を発してみる。

 ぴゅるっ。……といった感じの、思ったより全然薄っぺらい風だったんだけど、それなりに緩衝材となってくれたので、ぴりっと少しだけ痛みが走った程度で済んだ。さて、エクも戻ってきたので、今度こそ報告をーーと思ったら、

 こんこんこんこんこんこんこん。

 きっちりと七回。この律儀な叩き方には覚えがある。翡翠亭のメッセンさんだけでなく、これもまた東域の地域性なのか、彼も几帳面だった。エクに気に入られたっぽい警備隊長のベレンさんである。僕に向かって歩いてきていた悪友は、足音を立てずに扉の前まで行って、声を落として問い掛ける。

「ーーリシェが一番大好きな竜は?」「…………」

 ……この「竜患い」は、なんつー悪友戯(ふざけ)た、問題しか起こらない質問をしているのか。符丁なのか合い言葉なのか、扉の向こうの相手はもう誰かわかっているんだから、そんなことする必要はないというのに。扉の向こうのベレンさんもそれがわかっているのか、溜め息一回分の時間を置いてから、答えが返ってくる。

「ふっ、彼の御仁は全竜が大好きなので、優柔不断の浮気者には決められっこないさ」

「良しっ! 完璧な答えだ!」

 いや、もうどうでもいい。うん、ほんと、どうでもいい。何だか、あれだ、老師の言行を思い出したので真似してみよう、倣ってみよう、そうしよう、そうしましょう。

「岩はないかな。人種の頭をかち割る為の、岩はないかな」

 天祐、だけでなく竜祐もあったのだろう、居回りを探してみると、何ということでしょう、大きさといい形といい、正に鈍器となるべく生じてきたような岩が転がっていたので、手に取ってみると、まるで運命だったかのように吸い付いて手に馴染んだので、ゆっくりと持ち上げると、当然ながらエクはいなかったので、鈍器から弾に進化した岩を右手に持ち直して、魔力に干渉しないとかさっき決めたばかりだけど、ラカからごりゅごりゅ魔力を奪って、ギッタだけじゃなくてサンも引き寄せてぎゅぎゅぎゅ~な我慢竜には悪いんだけど、風竜からごぎゅごぎゅ奪って、ふぅ~、せーのっ!

「滅びろ、『竜患い(ばかやろう)』」

 岩をぶん投げた。隠れ家の壁に当たった瞬間、岩が纏った風が伝播して、建物自体を吹っ飛ばす。見通しが良くなったので、岩の軌道を変える。魔力を辿った刹那に、視線を空に持ってゆく。上空の魔力に反射した、中空からの視界で遁走するエクの姿を捉えて、彼の向こう側は山だったので。

「ラカ、手伝って」「ぴぃ~やぁ~~っ??」「『風降』(もど)き、四方位発動ーー邪竜風竜破(スート)

 あ、不味い、制御に失敗した。見ると、視線の先の、山の上部が消失していた。うん、済んでしまったことは仕方がない。エクが居るだろう場所まで飛んでいって、とんっ、と着地。うしっ、上手くいった。

「一度、試しておこうと思ってたんだけど。出来れば、こう、純粋な衝動で力を使ったらどうなるかとか。さすがエク、僕の最高の悪友、敢えてその機会を提供する為に、危険な役目を自ら買ってくれるなんて」「ったく、強くなったってぇーのは一目見てわかったけどよぉ、もしかすっと、アルンさんより強くなったんじゃねぇか」「力だけなら、兄さんより上かもね。でも、それが戦いなら、僕はまだ勝てないだろうね」「だよなぁ、あん人って、里長とは違った意味で、底知れねぇからなぁ」

 瓦礫の中から、にゅっ、と手が伸びてきたので、掴んで引っ張り出してやる。見澄ますと、巻き添えで幾つか家が壊れていたが、周辺は廃墟なので問題ないだろう。何でも、水道か何かを敷設する為の拠点になるとかで、まぁ、さすがに僕も、城下の直中でぶっ放したりなどはしない……? いやいや、うん、しませんとも、思い留まりましたとも。

 風竜が悲鳴を上げるくらい、無理やり魔力を強奪して。ラカの全力の、半分の半分の、もう半分、くらいかな。竜にも角にも、この程度なら、「千竜王」の差し響きはなかったように思える。他にも幾つか、試すことと確認することがある。それらは紛う方なく重要なことなのだけど、今は何をおいてもしなくてはならないことがある。

「ラカ様、ラカ様、ラカールラカ様。誓いの木を持ち出さなくても、大抵のことなら風の下僕となって、喜んでいたしますので、ーーん?」

 遣って来た双子と風竜だったが、姉妹の視線は僕ではなくて、勿論エクでもなくて、ベレンさんに向けられているかと思ったが、それも違って。ベレンさんと、鎧は着ていないが、様相からして騎士だろうか、六人随っている。僕らの視線も彼にーー少年に引き寄せられる。ーーアラン? 違うことはわかっていたが、親友の魔力を、気配を想起してしまった。

「初めまして、風竜様、『双巫女』様、イクリア殿。私は第三王子、レイズル・スフールと申します」「ひゃっひゃっ、で、これは?」「不埒者に名乗る名など、持ち合わせていません」「…………」

 エクが指を差した、これ(ぼく)、を愚直なまでに真っ直ぐな双眸が射抜く。

 ……廃墟とはいえ、自国の建物を破壊されて、自国の山を吹き飛ばされて。そこに立っていたのがまったく悪びれていない人間だったとして、いや、その、僕のことなんだけど、邪竜とか呼ばれないだけ増しだったのかもしれないけど。ーー時と場合を考えよう。僕の人生に、あと何十回か必要になるであろう言葉を魂に刻み付ける。然てしも有らず、初っ端から失敗してしまった。いや、いつものことだろう、とか言わないで欲しい。ふぅ、ベレンさんが連れてくるかもしれない人物と対するときは、竜の同行者ーー上位者として振る舞うつもりだったのに、いきなり頓挫(とんざ)してしまった。まぁ、こうなってしまったからには、致し方ない。エクの支援を得て、ベルンさんが捜し出したフフスルラニード国の正統なる後継者に対して、竜の国の侍従長として、悪意の竜盛り邪竜盛りで接するとしよう。

「ところでレイズル坊や、随分とまぁ、偉そうだね」

「なっ!? じ、侍従長殿! 如何にあなたといえども、非礼が過ぎますぞ!」

 ふむ。激高したベレンさんとは違って、小動(こゆるぎ)もしない。十二か十三歳といったところか、気配はアランに似ていたが、容姿はユルシャールさんを彷彿とさせる。穏やかで誠実そうな、二枚目、ではなく、美少年といった形容が当て嵌まる少年。女性的な美しさも垣間見えるが、王子と名乗った以上、紛う方なく男なのだろう。ふと、気になって見てみると、周期が下の美々しい少年を前に、双子は色めいた雰囲気をーーなんてことはまったくなくて。いや、逆に、そういう感情が欠片も表に出ていないことに危機感を抱かないでもないが、これは長い目で見たほうがいいだろう。って、いやいや、今は姉妹の行く先を案じている場合ではなく、レイズルのことである。

「取り替え(チェンジリング)ーーのことですか」

 先制攻撃を喰らう。いや、別に闘っているわけではないが。ーーそうでもないか、レイズルからしたら、王子として立つ為の、最初の戦いなのかもしれない。……そうあるようにエクが仕込んでいそうで心底嫌になるのだが。見ると、諸悪どころか全悪とでも言ってしまいたい悪友は、にやにやしながら首を振っていた。どうやら、レイズルは取り替え子の可能性に、自ら辿り着いたようだ。出自を疑うなど、自身の存在を否定するような、事実なのか真実なのかを受け容れるのに、如何程の苦痛を伴ったか。それを(おくび)にも出さない少年を前に、ざわめいていたベレンさんと騎士たちが押し黙る。

「然かし。王子を名乗るだけあって、覚悟はあるようだね。でも足りない、全然足りない。僕が知っていることにすら、辿り着いていない。まだ目隠しをした状態なのに、もう歩き始めてしまって、大丈夫なのかな?」

 当然、先ずやることは、相手の否定からである。然も、有利な状況を利用しての、嘘や捏造、何でもあり。韜晦(とうかい)や搦め手など、そんな気は毛頭ないらしい、正面からの、揺るがない双眸。瞳の強さに、純粋さに、面影のようなものに触れて、搦め取られそうになって。薄ら笑いを浮かべながら、軽々と受け流す。

 言うなれば、英雄の気質、と言ったところだろうか。里長や兄さん、ドゥールナル卿にアランといった人々と接していなければ、臣下の礼を取っていたかもしれない。然し、里長やアランのような、底知れない気配、或いは違和感のようなものは感受できない。アラン水準だと、まだまだ僕には荷が勝っているが、はぁ、それでも、子供と言えども油断できる相手ではない。彼の為ーーなんて言うのは烏滸がましいけど、そもそも僕の助けなど要らなそうな感じだけど。ーー魔法使いの王様を、側で見てきてしまったから。一緒に歩くと、決めてしまったから。消えない面影が心に優しく溶け切るまでは、出来ることは最大限、しておくとしよう。

「ベレンさんと、他の方々も。あなたたちには、レイズル坊やが第三王子であるとの証拠が、王を継承する正統性があると、ーーそこに微塵の疑いも持っていないと、今ここで誓うことが出来ますか?」「そ、それは……」「「「「「……っ」」」」」

 すでにレイズル自身が疑義を呈している。ーーふぅ、氷竜と雷竜を心象。逃げ場をなくして、忠誠心を試す。生半な答えでは、絶対に正解に辿り着けない、本当に嫌な、卑怯な言い方をする。と自分でも思うが、フフスルラニード国の現況に鑑みて、この程度のことを乗り越えられないのなら、蜂起など、簒奪など、余計な混乱を撒き散らすだけなら、今ここで諦めさせる、いや、叩き潰す。

「ーー私が何者であるのか。それはもう、重要なことではありません。私が、王子として、王弟である叔父を排すると、自らと、愛するこの国の為に、そう誓ったからです」「そうだね。でもそれは、何処まで行っても自分勝手な覚悟に過ぎない。すべての責任を一人で背負ってしまった、傲慢な人間の考えに過ぎない。実際に、今ここにーーここにすら、レイズル坊やに従ってくれる、同じ目をした者は一人もいない」「「「「「…………」」」」」

 見回すと、少しはレイズルの覚悟を見習って欲しい、とか思いたくなる、というか、ぶちまけたくなる大人たちの弱腰に。一言くらい言ってやりたい気分になったが、刹那に消し飛ばされる。悪意、かと思ったが違った。ときにそれと見紛うことのある、別のもの。少年特有の怖いもの知らず、などと言ってはいけない。炎竜と氷竜を混在させたかのような、手を伸ばすことを躊躇わない、理想を追い求める、愚か者の眼差し(きらめき)。

「私は歩きます。一番前を。確かなことは何もわからない。なら、信じさせます。何も決まっていないのなら、誰にもわからないのなら、自分にすら嘘を吐いて、その嘘を一生、信じ続けます。それは間違っているのかもしれない。ですが、皆が信じてくれるのなら、それはきっと正しいことであるのだと、最後まで、咎のすべてを背負い続けます。私が倒れたあとも、誰かがその先に向かって歩いてくれるとーー信じています」

 最後に振り返って。自分が何者であったとしても一緒に歩いてくれるのかと、果ての空を焦がすような、灼けるほどの眼差しを注ぐ。

「「「「「はっ!」」」」」

 全員が一斉に臣下の礼を取る。邪魔をするな、と彼らに先んじて片膝を突いた「竜患い」を蹴飛ばしてやりたいところだったが、悪友に釣られて忠誠を誓ったような形になってしまった騎士たちが可愛そうだったので、ここは見忘れることにした。ああ、聖王に恩義があるというベレンさんは、涙腺崩壊したような、傍目を憚らないぼろ泣きである。周期を経ると涙脆くなると聞くが、おっさんたち、もとい壮年期の大人たちが集団で泣いているのを見ると、申し訳ないがちょっと引いてしまう。

「それで、話は纏まったのかな?」

 ゆくりなく建物の陰から、初老の小柄な男性が現れる。

「リズナクト!?」「「「「「っ!!」」」」」

 騎士たちは即座に抜剣して、レイズルの前に出る。僕はというと、ちらっ、と見てみると、ぷいっ、とされてしまった。旋風(つむじかぜ)なラカは、僕にリズナクト卿の接近を教えてくれなかった。というか、邪魔をした? 油断していない今の状態の僕なら、気付かないということはないはずだが。

「自国の宰相を呼び捨てとは、けしからんな。騎士団の俸給を減らすことを検討すべきだろうか」「「「っ」」」

 給金は、とっても大事である。こんな状況だというのに、うっかり反応してしまった数人の騎士のことは、見なかったことにする。

「リズナクト! 何故ここが……」「(わめ)くでない。少しは年寄りを労わらんか」「うっ……」「それに、だ。武器も持っていない老人一人に、剣を持って威嚇、魔獣すら怖がるような憎悪に歪みまくった目を向けるなど、恥ずかしいとは思わんのか?」「……っ」

 役者の、或いは格の違いと言うべきか、あっさりと遣り込められてしまうベレンさん。周囲を探る必要などなく、リズナクト卿は一人で遣って来たのだろう。彼の思惑は、予想できる。問題となるのは、彼が何処まで知っているかなのだが、竜にも角にも、今は余計な茶々を入れるのは得策ではないと、双子の横まで下がって傍観者となる。

「ご無沙汰しております、レイズル様」「私を、様付で呼ぶのですか?」「おかしいでしょうか? 第一王子と第二王子が行方不明であるなら、後継はレイズル様であらせられるーー」「弑逆のっ、レフスラに与しておいて、何たる言い草か!!」

 騎士の一人が、二人の会話に割って入るが、ベレンさんが制止する。のだが、孕んだ怒気は、叫んだ騎士以上だったようで、殺意を隠さず問い掛ける。

「状況が不利となったとわかったら、即座に裏切りか。あなたは、そんな方ではなかったはずだが、貴族共と馴れ合っている内に、戦士としての魂を失ってしまったのか」「戦士? 私は自身を戦士だなどと公言したことはなかったはずだが」「…………」「私はただ、領民を守る為に、この国を守る為に戦っただけだ。ーー王弟であったレフスラ様は、多くの領民を失って疲弊した領地を、支援してくださった。然し、王は、レスラン様は、何もしてくださらなかった」

 足音がすると、自然と道ができる。騎士たちの最前まで、一歩一歩確かめるように歩いてきたレイズルは、気負いもなくフフスルラニードの英雄と向き合う。

「父が、何もしていないはずがありません。もし、していなかったとしたなら、それだけの理由があるはずです。貴卿は、何を知り、何を求めようとしているのでしょうか?」

「何を、と聞かれましたが、恥ずかしながら、私にも本当のところはわかっておりません」

 嘗て、「精霊の住み処」で痛苦を語ったリズナクト卿の、枯れた表情に。あのとき違和感が生じたが、これがその正体だったのかもしれない。

「ーー一言。一言だけで良かったのです。私に謝罪するのでも、逆に、嘘を吐いても、居直っても良い、良くやったと、一言声を掛けてくださったのなら、レフスラ様に恩義があろうとも、レスラン様に生涯尽くしたことでしょう……」「三城のーー、支城での一件。貴卿は、何を見、何を知ったのでしょう?」「……支城には、三つの部隊が詰めておりました。そちらの、侍従長殿が言っていた、三つの罠。私は、往事、そのことを知りませんでした。然し、部隊の一つの長が、罠の全容を知っていたのです。そう、その者は、レスラン様の命で動いていたのです。領民を失って帰還した私を見て、その者は引き攣った笑みを浮かべていました。数少ない、残った信用が置ける者を見張りに、その者の部屋に押し入りました。剣を突き付けた私の、本気以外の何物でもない、……いえ、狂気に歪んだ醜い行状に、その者は洗い浚い吐き出しました。ーーそこらのことが知りたかったら、もう掴んでいるであろう侍従長殿から聞いてください」

 語りたくないのか、語る気力もないのか、失った夢の残骸を眺めるような視線を僕に向けてくる。

「愛する国の為に戦った。領民の犠牲は無駄ではなかった。ーー情けないとは、自分でも思う。ただ一人、認めて欲しかった方から、何も……なかったのだ。ーーレイズル様。私の処刑を。レフスラ様を利用して王家を簒奪しようと企んだ、愚か者を罰してくだされ。然すれば、日和見の貴族なぞ、(こぞ)ってレイズル様に(なび)くことでしょう」

 最初から決めていたのだろう。失敗するのなら、すべての罪を背負って、恩義あるレフスラの命だけでも救おうと。フフスルラニード国に被害を与えまいと。力尽きるように座ったリズナクト卿は、掌を上にして床に置いて、(こうべ)を垂れる。ーーこれで、兄貴分さんとの約束は守ったけど、まぁ、これは僕の勝手だけど、レイズルが判断を誤るようなら介入も辞さない、と覚悟を決めたところで。まだ僕は、この少年を、いや、この周期の少年たちの成長速度を舐めていたらしい、すべてが杞憂だったことを知る。

「わかりました。私の権限に於いて、リズナクト卿ーーあなたに死罪を申し付ける。ベレン、引致(いんち)をお願いします」「……はっ、仰せのままに」

 割り切れない。そんな感情を隠し切れないベルンさんと、騎士が一人、宿敵ーーとなるはずだったリズナクト卿を立たせたところで。夕食に、何が食べたいかお願いするような気楽さで、レイズルは連行される寸前の宰相に声を掛ける。

「ああ、そうだった、ベレン。リズナクトには、十分に鋭気を養ってもらわないといけないので、快適な軟禁場所を用意してください」「……リズナクト様?」「……っ」

 レイズルの変節に、揃って間抜けな顔ーーと言いたいところだったが、リズナクト卿だけは心付いたようだ。ベルンさんと騎士の腕を振り払って、雷に打たれたが如く片膝を突く。再び拘束しようと彼らが動き出す前に、少年は王の言葉を紡ぎ出す。

「フフスルラニード国は、愛する母国は、危機にあります。周辺国は、今は手を引いていますが、父王亡き後、それを知った国々は、必ず蠢動することになるでしょう。それに対して、若輩の、何の成果も成していない王では見縊られ、侮られ。私一人では、私一人の力では、どうやってもこの流れに抗うことは敵いません」

 空気が変わった。エクが遣らかさないように、風竜のつんつんの魔力を拝借して、悪友をぐるぐる巻きにして、細やかだが、歩き始めた少年の手伝いをする。

「だからこそ、皆の力が必要です。フフスルラニード国のすべての民に、力を借りたい、私を助けて欲しい。その、すべての中には、勿論、リズナクトーーあなたも含まれています」「ーー汚名を一生背負いましょう。すべてはこの国の為に、王の為に捧げます」「あ、いや、ですが、リズナクトは死罪と……」「はい。その通りです。罪は裁かれなくてはなりません。よってリズナクトには死罪を申し付けました」「「「「「…………」」」」」

 まだ気付けないようだ。レイズルを護衛、或いは随行しているくらいだから、それなりの地位にある者たちであるだろうに。なるほど、これはリズナクト卿を失うわけにはいかないわけだ。そんな騎士たちを見て、レイズルは悪戯好きな少年のように、にかっと笑う。

「私が戴冠すれば、事情を知ったフフスルラニードの民は、きっと喜んでくれるはずです。そうなれば、恩赦を行うことになるでしょう。罪は裁かなくてはならない。ですが、この火急の折り、リズナクトを、英雄を失うわけにはいきません。実利で言えば、ここで英雄を失わば、他国から一層、組み易し、と見られてしまうことになります」

「「「「「ーーっ!」」」」」

 もはや疑う者は誰一人としていないようだ。騎士たちは、リズナクト卿と同じく片膝を突いて、未来に輝くであろう光を幻視したのだろうか、魂を震わせながら忠誠を誓う。ーー末恐ろしい少年である。彼の振る舞いからして、古事に倣ったのではなく、自ら恩赦を行う方法を考え付いたようだ。……いや、別に、内の王様は、魔法以外は末恐ろしくないので良かったとか、そんなこと、少ししか思ってませんから。

 ぎろり。

 えー……。少年とは思えない、壮絶な眼差しを向けられてしまう。何故だろう、レイズルなら、この聡明な、というより賢明な少年なら、僕が演じた役割くらいわかっているだろうに。またしても周期が下の少年に嫌われて、或いは憎まれて、……どうだろう、竜の国に辿り着いたガーナも、その旅路の過酷さから僕を嫌うことになってしまうのだろうか。

「ーーーー」

 非常によろしくない未来を想見していると、もはや嫌悪というか邪竜な水準なのか、僕らには一言もなく、去っていくレイズル。

「なんか、じじゅーちょーの所為っぽいぽい」「やっぱ、じじゅーちょーは、世界の天敵っぽいぽい」「二人とも、傷口に海竜の息吹をぶつけるのは止めてくれるかな」

 フフスルラニードの面々が立ち去って、余韻など軽々と引き裂いて、僕の良心まで突き刺してくる双子に、傷心だけでなく焦心にも駆られているので、小さな抵抗だけしてみる。

「そりゃなぁ、相手は噂の『魔毒王』。で、実際見(まみ)えてみたら、こりゃ(ひで)ぇーーあ、これは駄目なやつだ、って本能的に悟っちまって。毒王リシェは、すべてを知っている上に、生かすも殺すも気分次第。国家の命運が懸かっているというのに、楽し気に、薄ら笑いすら浮かべて。愛する国を守る為とはいえ、絶望的な戦いを強いられて。

 ああっ、何て可哀想なレイズル坊や! 愛する家族を失った少年に立ちはだかるは、世界最恐の悪! 世界最低の敵! 負けるなっレイズル! 倒せっ毒王! 頼もしき仲間と共に! 世界の平和の為にっ、正義の王太子よっ! いざや立ち上がらん!!」

 馬鹿が吠えて、阿呆が喜ぶ(いいかげんにしやがれ)。とか言いたくなるが、無視が一番効くだろうから、思惟の湖に顔を付けて、エクの言ったことについて思考を巡らせる。

「「…………」」

 僕を罵倒する好機だというのに、同類に見られたくなかったのか、馬鹿(エク)に同調しない双子。うん、まったく正しい判断である。エクの話は誇張とはいえ、……誇張だよね? まぁ、レイズルの気持ちはわかるような気がする。ーー竜の国での、同盟国を相手にした防衛戦。スナから、まったく想定していなかった複数の竜の、襲来の可能性を知らされて、己の不甲斐なさを思い知った。竜の国が滅びるかもしれないという、底のない恐怖。

 コウさんは眠っていて、僕は遠く、東域にいて。今もまた、竜の国にとっては危機かもしれないというのに。以前ほど慌てていないのは、目を閉じただけで浮かんでくる、心から信頼している人たちがいるからだろう。体の内側に生じた温かいものを感じていると、最悪の時機で悪友が話し掛けてくる。

「こら~、リシェ~、いいこと教えてやっから、さっさとこれ解け~」「僕に言うより、魔力を貸してくれているラカに言ったほうが早いと……」「ひゅー」

 風竜からの魔力が途絶えた。どうやら、スナ水準で魔力を完全に制御下に置いているようだ。エクが解放されてしまったので、竜にも角にも、愚痴でも言ってみる。

「はぁ、エクが何も教えてくれないから、レイズル坊やーーではなく、レイズル様のすべてを、必要以上に否定しなくてはならなくなってしまった。レイズル様が利発な少年だったから良かったものの、そうでなかったら計画ごと潰れていたかもしれないのに」

 まぁ、計画が頓挫したとしても、エク的には問題なかったのだろう。傍観者であるべきと、自分で言っていたのに、その領分を超えてしまった。ただ、そこは、ベレンさんに、僕たちを利用するように、と言ってあるので、きっと問題はない、はず。と、ここで思考が中断させられる。エクがいつも以上に楽し気な顔をしていたからだ。不吉さんが握手を求めてきたので、そんなものでは足りない、引き寄せて、ぎゅっと抱き締めてあげてから、悪友を睨み付ける。

「ひゃひゃっ、リ~シェ~、ほれほれ、さっき言った、いいことってやつを教えてやんよ~。双子との距離、見てみ~?」「……は?」

 仕舞った。想定外のことを言われて、午睡中の風竜並みに呆けてしまった。ぐっ、一瞬で切り替えて、何か企みがあるのだろうが、先ずは素直に、姉妹を見てみるとーー。……あれ? いつも微妙に、僕から距離を取っている二人だけど、もしかして心の距離という奴だろうか、半歩、更に遠ざかっているような。

「そんで、次っ次~。リズナクトな宰相とベレンな旦那、リシェのこと、何て呼んでた?」「……ああ、そういえば、二人とも、侍従長殿って、ーーあれ? 二人は前はどうだったっけーー」「で、最後だ。レイズルな王太子は、あの聖王っぽい、背中が痒くなって仕方がねぇ、いい子過ぎて何度苛めたくなったかわかんねぇ、あの聖少年がだ、虚勢を張るしかなかったーてぇーんは、ーーちょっと溜飲が下がったから、褒めてやろう」「…………」

 最後は地が出たっぽいけど、エクにしては、わかり易い説明だった。

「僕に慣れているはずのサンとギッタが、半歩。ベレンさんたちは、呼び名で、心理的な障壁、かな。そして、アランを想起してしまった、魔力的にも優れていたらしいレイズル様は、ーーあ、そうか、初対面ってことも相俟って、正に、邪竜顕現……みたいなことになってしまったと?」

 ぺりっ。ぽいっ。ぽすっ。

 エクがラカを抛ってきたので、僕と視線を合わせない、氷竜水準の(フィンのような)お顔もまた格別な風竜を受け止めると。ぶわっ、とラカから風が溢れて、僕の皮膚を引き剥がした。

「っ!!」

 ……ような気がしたが、違ったようだ。一瞬の衝動に、駆け抜けた衝撃に、恐ろしい心象を抱いてしまったが、鱗にも尻尾にも、強風なラカも悪くないので、ぎゅっとして風の感触を楽しんで……、

 べりっ。ぽっすんっ。

 おかしい。どうしてラカは、エクの為すがままになっているのだろう。ギッタに投げようとして、寸前で巻き込むようにして、目標をサンに変更する「天の邪竜」。

「少しは増しになったみてぇだな。それでもまだ(ひで)ぇが。これまでは、周りにいた竜様たちがどうにかしてくれてたんだろうけどよ、今の風竜様は、ぽぉんぽぉんだから、何もしてくれてねぇぞ」「えっと、つまり、自覚なく魔力を放出、或いは纏ってしまっていたと? それとーー、……そんなに僕、変わった?」「自覚したんなら、ちょっと抑えてみ? リシェの意識も結構影響してるようだしな、もうちょい、人間側に寄って来いや」

 ーー人間側、か。確かに、竜に傾いていると、受け容れ過ぎていたのかもしれない。人種に、いや、人間にーー。竜を、そして人をーー、……っ!

「っ……」

 ぐおぉ、いや、ちょっと待って、違っ! 何だか最近、おかしいぞ、僕! 人を想って、何故だか女の子の笑顔に、心が緩んでしまったとか、隣で、僕まで笑顔になっている姿を心象なんて、はっ、そうかっ、みーが居ないからおかしいんだ(よくわからないけどよくわかったのだー)! 良しっ、これで組んず解れつ、竜と人の完全な形にーーげぷっ。

「ーーなぁ、絶交しようぜ」

「ーー別にそれでもいいけど。その前に、竜の雫分の情報をちゃんと置いてけ」

 ちょっと人が苦悩している(こわれたかけた)だけで、如何にも僕が悪いような、変な演技をするんじゃない。悪友の流し目が気持ち悪くて、まるでギザマル千匹に体を這い上がられているかのような悪寒が走る。

「竜の雫分ねぇ。そうさなぁ、じゃあ、リシェ。そろそろ風竜様がぽこんぽこんな理由の一つに、気付け」「理由のーー一つ?」「まどろっこっしいから、もうちょっと言ってやる。俺は、リシェの目論見(もくろみ)通り、聖王とかの魔力を覚えた風竜様と、関係者の捜索と確認から始めて、だ。それから、風竜様の魔力が影響したら不味いってんで、双子と行動されられねぇからよ、ひゅるひゅるひゅるる~、って感じで、ずっと風竜様と居たんだぜ。朝は角磨きから、あ、そうだ、勝手にラカ箱借りたかんな……」「ふきゃーーっ! ラカちゃんが汚されてしまったーー!!」「むきゃーーっ! やっぱりじじゅーちょーの親友(どうるい)かーー!!」「というのはさておきおっき。『精霊の住み処』でラカちゃんが寝床の査定をしなかったのは変だと思ってたけどー」「そういうわけだったのかのっか。ラカちゃんを扱き使う気、ただ働きさせる気、満々だったのかー」

 怒っているのか楽しんでいるのか、感情の起伏が激しい、というか、何やら忙しい双子である。僕にアランに、エクにまで慣れてしまうとは、適応力に優れてーーと言いたいところだが、その評価は、愛娘(てんてき?)と仲良くなるまで取っておくことにしよう。と決定したところで、ギッタの言葉に聞き捨てならない単語があったようなーー?

「ーー、……」

 ……ただ働き? あれ? 今、何かが引っ掛かった。そうして、思い至った瞬間に。「竜患い」の面目躍如か、先んじて、理由の一つ、を嫌味たっぷりに言われてしまう。

「ひゃっひゃっ、リシェ、お前、保護者失格だなぁ。お小遣いが貰えなかった風竜様は、捨てられた仔竜みたいだったぞ」「びゅー」「って、不穏なことを言うな。捨てられた仔犬……と言い直すのも、何だか罪悪感がーー」

 って、今は、拾ってください、と書かれた紙が貼ってある大きな箱に入っている王様(こいぬ)仔竜(こねこ)の妄想をしている場合ではなく。……ふぅ、いや、大丈夫ですよ、ちゃんと捨竜と捨王は拾って帰ったので……げふんっげふんっ。

「そうだった。ラカは竜の雫を持ってきていないんだったーーん?」

 ゆっくりゆっくりと遥かな時に揺られて育まれるのです。王様な魔法使い(こいぬというよりはこねこ?)を思い出したからだろうか、まだ竜の国を造っていたときに聞いた言葉が脳裏に、明確に再現される。それと、ナトラ様。多くは空を漂っている、とラカについて語っていた。元々の塒と、もうなくなってしまった風の塒。そういえば、風城には、竜の雫は見当たらなかった。となるとーー。

「ラカは、竜の雫を持ってきていないんじゃなくて、持っていないーーのかな?」「ぴゃー」「そーゆーこったなぁ、実は貧乏風竜様だったって……」「ラカは、聖語時代の前の、魔具のようなものを持っているから、価値がわかる人に売れば、大金持ちは無理だったとしても、小金持ちくらいにはなれると思うよ」「ぴゅー」「ほうほう。まー、そんなこった。風竜様のおやつとか串焼きとか、俺が買ってやってたからな。ふっふっふっ、もはや風竜様の胃袋は俺の思いのままってわけだ!」「ーーエク。遣らかしてないよね。はぁ、というか、逆か。遣らかしてないわけないか」「おう、串焼きの親父さんだろ? 何の肉、使ってるか、俺が侯爵の息子だって証明してやったら、素直に教えてくれたぞ」

 エクは、出自を明らかにしていない。いや、一応は聞いたことがあるけど、当然信用など出来ない。それと同時に、本当に上位貴族の子倅(こせがれ)とか、あったりしそうで嫌なのだが。然し、今回の件に関しては簡単だ。エクは、フフスルラニードの三大貴族の、侯爵の屋敷に忍び込んだ。その際、幾つか有益なものを、ちょろまか(はいしゃく)してきたのだろう。未だに問題になっていないということは、公にされたら困るものが交じっている、と。

 竜にも角にも、始末だけはきちんと付けなさい。そうすれば、三周期以内に、笑いながら死ぬことにはならないだろう。ーー昔、というほど昔ではないが、コウさんのことを、記憶を刺激したからだろうか、〝サイカ〟の里から旅立つときの、師範の言葉が情景と共にーーああ、そうか、こんなにも鮮明なのは、あの少女のーー白竜の化身のようなサナリリスの所為か。うん、あのときの、拳の痛み。もうとっくの昔に治っているのに、何だかじくじくと痛んできたような。

「おおっ、そーだったそーだった、あと一つ教えてやんぜ~。ーーそう、答えは侍従長だ!」

「……は?」

 何かを誤魔化したいのだろうか、或いは何かの比喩で、僕に原因(わるいところ)があるとか? エクは無駄なことをするけど、竜にも角にも、頭の片隅にでも置いておこう。

「ふぅ、必要なくなったら、ちゃんと返しておくんだよ」

「何だよ、師範みてぇなこと言うな。変なこと思い出しちまったじゃねぇか」

 言いながら、ちらりちらりと僕を見てくる。変なこと、とやらが何か、明らかに聞いて欲しそうな雰囲気だったので、そこは我慢するとして。然ても、相変わらずこういったことには勘が働く悪友である。絶対に拗れるであろう、この先の予定、だけでなく、解雇のことも見据えて、(あらかじ)め言っておくとしよう。

「連れていかないからな」

 竜にも角にも、念押しをしておく。必要なら、竜の尻尾で打っ飛ばすも、角で突き刺すも、ああ、いや、ラカーーあと百も突き刺すのは無理かな? とまぁ、そんな感じの腹積もりでいたら、素直過ぎて、ギザマルも謎舞踊でお出迎えしてしまうくらいの、ぐんにゃりした言葉が返ってくる。

「心配するな。王城には付いていかないし、王宮にも付いていかない。それからまた、王城には付いていかないし、竜の国にも付いていかない」「…………」「「ーー?」」

 フラン姉妹には何のことかさっぱりだっただろうけど、僕のほうはーーぐうの音も出なかった。この先の、想定しておいた僕の行動を、すべて言い当てられてしまった。そして、追い打ち。僕の態度から、自分の言葉が間違っていないことを見取られてしまった。

 別に勝ち負けを競っていたわけじゃないから、別にいいんだけど。と負け惜しみを言ってみる。うご……、別に、を二回言ってしまった。まぁ、兄さんじゃあるまいし、エクはそこまで狙ってやったわけじゃないだろう。単に、僕が駄目駄目だっただけで。

「……たくっ、エクは何処まで知ってるんだ?」「なんだ、知らなかったのか? 俺はな、何でも知ってるんだよ」「そうなんだ? じゃあ、エクに聞くよ。僕が一番大好きな竜って、誰?」「氷竜様と風竜様だ」「……え?」

 まさか答えが返ってくるとは思わなかったので、ちょっと、ではないくらいに吃驚。

「ギッタさんや。一番と言いながら、二竜も居るのは、どういうことかのぉ」「サンさんや……って、ちょっと変な言い方になってるけどーーととっ、続きを……ごほんっ」「いえ、もう続けなくてもいいけど」「それはのぉ、一番にも、色々とあるということじゃよ」

 双子の会話を止めようとしたけど、ギッタが興味深いというか不思議なことを言ったので、今後の参考に、もとい後学の為に、って、どっちも似たようなものだがーー。

「ほっほっほっ、本妻と愛人、どちらにも一番はいるものだて」「ひょっひょっひょ、現地妻、なるものも忘れてはいかんなぁ」「…………」「これこれ、間違っておるぞよ。そこは愛人ではなく愛竜と言わねばならんぞよ」

 エクまで加わったら、もう手の付けようがない。事態の打開には、最強の一撃(スナ)が必要だけど、時間帯からして半々というところだろうか。魔力を探ってみると、ふにょふにょした魔力(もの)が。何かと思って視線を向けると、サンの肩口に顔を埋めている風竜だった。

「氷竜様は、他にフィンちゃんもいるねー」「風竜様は、他にリーズちゃんもいるよー」「てことはてことは、一番が四竜もっ!?」「いやさいやさ、発想の転換が必要さっ!!」「四竜どころか全竜が一番ってことは結局結局っ??」「じじゅーちょーが最低ってことかもねかもねっ?!」「ほうほう。そうなっと、次のリシェの二つ名の候補は何にすっかね?」「『最低男』? 『卑俗王』?」「『最下層』? 『好色漢』……『好竜漢』?」「逆に、『愛竜』とか率直なのが効きそうだなぁ」

 さすがエク。それが一番嫌だ、というか恥ずかしい。まぁ、三人には勝手にやってもらって、夜のこともあるし、そろそろ風竜との間の隙間風を、ぽっかぽかにしたいのだが。

 そぉ~。ぺしっ。

 然り気なく手を伸ばしたら、風の尻尾で叩かれた。

 そぉ~。ぺしっ。

 残念。到頭学習してしまったようだ。お尻に向かった手も叩き落とされる。

 そそぉ~。ぺしっぺしっ。

 今度は両手で、片方は漏斗を心象、僕の特性を利用したにも拘らず、あっさりと迎撃されてしまう。

「…………」「ひゅー」

 仕方がない。こうなったら必殺の、他人任せ、である。むんずっ、と掴んで、がばっ。僕が四度目の敗退を喫している間に、エクがラカの覆い(フード)を被せてーー垂れ耳風竜の完成。と遊んでいる場合ではなく。好い加減、エクから情報を搾り取らないと。

「ラカは三人を。わけて重要なのは聖王の魔力。先ず聞くけど、あの場に居た(・・・・・・)聖王と、レイズルの血縁関係はどうなのかな?」「風竜様によると、だ。聖王とレイズルは親子だな。そんで、王妃とは血が繋がってねぇな」「ひゅ~。本当だお」

 エクの言葉を聞くなり、サンとギッタが渋面になって呻いた。周期頃の少女にとっては、信じ難い、或いは受け容れ難いことだったのかもしれない。

「ええ…、ちょっと待って、ちょっと待って。あの場に居たのが、せーおーとおーひじゃなくて、王弟と奥さんだったらさ」「おお…、あいやしばらく、あいやしばらく。つまり、レイズルってば、王弟とおーひの間の子供ってこと?」「むむ…、いやっいやっ、王弟が浮気しただけってことも?」「なな…、でもっでもっ、第三おーじにレイズルがなってるってことは?」「どゆこと?」「どーゆーこと?」

 推測が行き詰まった姉妹の視線がエクに。当然、悪友が、注目を浴びたこの美味しい状況で遣らかさないはずはないので、どうしたものかと対策を練っていると。僕と同じことを考えたらしい、姉妹は、最終兵器なのか秘密兵器なのか、「垂れ耳風竜」を構えて、「竜患い」に攻撃を仕掛けた。

「ふふっ、最強竜のラカちゃんには、嘘は通じないっ!」「へへっ、『竜患い』も嘘の納め時ってやつだっ!」「ぐくっ、なんと卑劣な! ぽらんぽらんな風竜様の風眼を誤魔化すことなど、ーーまぁなぁ、実はできなこともないんだけどな」

 途中で興醒めして、素に戻ってしまうエク。まぁ、わからないでもない。悪友からしたら、予想通りで、その部分では楽しめなかったのだろう。

「びゅ~。わえは嘘か本当か、わかるのあ」「……それは、難しいかもね。ラカの言葉を疑うわけじゃないけど、ーー一つ、遣ってみようか」

 またぞろ双子が騒ぎ出さない内に、エクが遣らなかっただろう、わかり易い形で示すことにする。僕が味方をしなかった所為で、逆風なお顔になってしまった風竜に問い掛ける。

「竜の国は、西方の国の一つである。ーーさて、ラカ。僕は本当のことを言っているかな、嘘を言っているかな」「ぴゅ~。りえは意地悪なお」「え、どゆことどゆこと?」「ほ、どなことどなこと?」「竜の国は、中央にあるから、西方の国じゃない。でも、東域から見たら、西方にある国の一つとなる。また、それだけでなく、東域の西、ということなら、南方も北方も含むこともある。つまり、自分の内で立ち位置を、視点を変えて話すだけで、ーーまぁ、何が言いたいかというと、僕やエクのような卑怯……いえ、卑怯でいいんだけど、何だかエクと一緒くたにされるのは非常によろしくないというか……」「そう、つまり、俺やリシェのような根性の捻くれ捲った、ひん曲がり過ぎた奴のこたぁ、純風様には毒ってわけだなぁ」

 勝手に同類にされてしまったが、強く否定することが出来ないのは何故だろう。ここまで言ってしまったので、もう一歩、先に進んでみようか。「未来の風をこの手に」作戦の、最終段階の、一歩手前にーー。

「僕は、ラカが大好き。というわけで、ラカ。僕は本当のことを言っているかな、嘘を言っているかな」「……ひゅー。嘘を言ってう」

 ほんの少しだけ、迷ったラカ。酷いことをしているという自覚はある。でも、僕の為に、僕の所為で、嘘を吐いてくれたというのなら。沸き立つものを抑えて、言葉を紡ぐ。

「ーー正解。僕が、ラカが大好き、というのは嘘だよ」「ぴゅっ……?」「以前は、僕はラカが大好きだった」「…………」「でもね、今は、大好きーーそんな言葉じゃ足りないくらい、言葉になんて出来ないくらい、ラカのことが好きなんだ」「ぴゅっ、ぴゃ……」

 僕の内の、温かな風を伝えようと、笑顔に乗せて。風瞳が花の色に染まったかと思ったら、残念、もっと見たかったのに、ぼふんっ、とサンにぎゅぎゅぎゅ~である。姉妹で風竜を、ぎゅ~、としてあげるのかと思ったら。ーー双子は、まるで満面の笑みを浮かべる氷竜を見てしまったかのような顔をしていた。その凍り付いた視線の矛先は、僕ではなく、僕の後ろが標的なようで、

「ひゃっこい、ひゃっこい、ひゃこひゃこ、ひゃっこい。ひゃっこい、ひゃっこい、ひゃこひゃこ、ひゃっこい」

 謎歌の題名は、「断罪」ならぬ「氷罪(ひゃっこい)」だろうか、抑揚のない声が、果ての山脈から砕氷(はんけつ)が響いてくる(くだされる)。それだけでなく大地がぴしぴしと、竜鱗のような模様を描きながら、氷に覆われてゆく。ああ、空が何だか、氷の粒だろうか、きらきらしてるんだけど。地上の僕たちに差し響きがないように、愛娘が怒気(まりょく)を上空に向かって放ってくれているのかもしれない。どばどばな氷竜のお陰でわかり難いが、一緒に行動していた地竜と王様と魔法使いの魔力を感知する。なので、地竜の魔力をお借りして、土下寝水準で、上から下に魔力を落として、意思表示をーー懇願に切願、哀願と嘆願ーーと、最後のはちょっと違うが、って、そんなことに構っている場合じゃない! お願いしますっ、ナトラ様! いやっ、アランか! 氷竜と結構仲良しな地竜よりは、こちらのほうが期待できるやも!?

「「ひゃっぽいひゃっぽいひゃぽひゃぽひゃっぽい~ひゃっぽいひゃっぽいひゃぽひゃぽひゃっぽい~ぷ~りゅ~ぷりゅぷりゅぷりゅっぷりゅ~ぷ~りゅ~ぷりゅぷりゅぷりゅっぷりゅ~ひゃぽっひゃぽ~ひゃぽっひゃぽ~ぷぷぷ~りゅりゅりゅ~ぷぷぷ~りゅりゅりゅ~」」

 あ、振り切れてしまったフラン姉妹が謎舞踊を始めてしまった。然しものラカも、スナの魔力を遮断することは出来ても、恐怖の軽減までは(ぽやんぽやんでも)無理だったらしい。ああ……、サンとギッタに片方ずつ手を握られて、強制回転謎舞踊中(ガリトラップ)の風竜の顔が無風になっている。

「規定の大きさの岩と氷を、三個用意。正面から衝突させる。一回目は、ナトラの勝利。二回目は、スナ様の勝利。三回目は、お互いに竜加減を忘れてしまったのか、岩と氷が消滅してしまった故、引き分け。一勝一敗一分けで、勝負は持ち越しとなった」

 どばんっどばんっ、と王様の足下に魔力を叩き付けると、余裕がなくて無作法になってしまったが、親友の危機に、竜の勘気を恐れずにアランが仲裁に入ってくれたーーのだろうか? 見ると、というか、さすがに気になって恐々(こわごわ)と振り返ってみると、ナトラ様が膨れほっぺだった。というか、アラン。持ち越し、とか怖いこと言わないで。決着でいいから、引き分けでいいから。国が滅びるかもしれない水準の、氷岩合戦とか金輪際中止ということで決定!

「見た目は問題ないけど、……スナもナトラ様も、魔力がーーぼろぼろ?」

「氷岩角上の争い(スナトラスソーラ)、とでも言っていれば良いですわ。減魔症の初期症状ですわ」

 さすがアラン。大人げなく全力で、負けん気を発揮してしまったことに忸怩たる思いがあったのか、仔炎竜を負んぶする(おとなしくなる)氷竜。ーーと、みーがスナの背中でわたわたする様を想見して、にやにや……ではなく、百が現れないかと見回してみたが、ふぅ、幸い、これ以上の面倒は回避できたらしい。ナトラ様の魔力を借りて、魔力縄を一巻き、反動で地竜をぽいっと抛る。スナと同じく、竜省というか内省中なのか、為すがままに、アランに捕竜される。

「…………」

 いつものように後ろから抱えられて、ぶぶ~、と不満げな地竜の鼻息。冷静ではあるようで、併せてほっぺが、ぷしゅ~。

「リシェ殿が悪いです」

 直球だった。本心ではないのだろうが、それでも言わずにはいられなかったのか。スナは、ナトラ様を連れ出した。僕とアランは、話をする必要もなくーー僕の心の準備の為にも、本当は話したかったんだけどーー決定事項だったけど。喪失に慣れていない、などというのは違うのかもしれないけど、竜のほうはそうもいかなくて。

「ふむ。私が決めたことなので、ナトラも納得してくれた。ただ、譲歩は必要だった。途中で止める権利と、私がそれに従うことを確約させられた」「……僕も大概だけど、信用って、難しいよね」「それを得ようと、誠実に行動しているはずが、何故が失ってしまう、不思議なものではある」「……アラン様。冗談は一星巡りに一回だと、私と約束してくださったではないですか」「リシェ。ユルシャールが苛める。助けてくれ」

 ……僕にどうしろと? 初対面の頃より表現の幅が広がったというか、無茶振りに拍車が掛かったというか。これは王様が、相手の心情を理解できるようになったということだろうか。まぁ、僕に関しては、最初っから一貫して、怪しいところなんだけど。

「ユルシャールさんだけやることが決まっていませんが、ああ、いえ、誰かのお手伝いをしてもらうことになるとは思いますが、そうですね、エクの補佐とかどうでしょう?」「いえ、居ない方のことを持ち出されても、反応に困ってしまいます」「…………」

 あ、ほんとだ。「天の邪竜」を利用して(けむ)に巻こうとしたら、邪竜しか残っていなかったとさ。って、嘆いている場合ではなく。盛大に溜め息を吐きたいところだが、アランの手前、懈慢の心で我慢慢我(そろそろやすみたい)。いくら悪友でも、竜の目と魔力を盗んでとんずら()くのは無理だから、氷竜も風竜も地竜も、みんなみんな僕の味方ではないらしい。三竜の心情を見切ったエクは、さすが……と褒めたくはないので。次に会ったら覚えてろよ! と負け惜しみを言っておく。まぁ、エクのことだから、僕が竜の国に帰るまでに、あと一回か二回くらい、嫌がらせの為に現れるだろう。

「ふむ。準備は整った」「私も、魔力が整いました」

 あとは夜まで、何もなければいいのだけど。と無理なことがわかっていても、言いたい周期頃というか竜々頃というか。()る気、もとい()る気満々のアランと、不利な条件(ハンデ)とかそういうことだろうか、魔力が(はい)になるまで()ってやる(訳、ランル・リシェ)、と当然の権利とばかりに王様と共闘するらしい魔法使い。ああ、そういえば、エンさんは、カレンと双子を相手に戦ってたなぁ、とか現実逃避をしている間に、すたたー、と脱風竜の勢いで姉妹は去っていって。当然、もう氷竜も地竜も姿を消していて。

 竜に魔力を貰えないのに、僕にどうしろと? あれ、さっきも何か似たようなことを思ったような? いや、そんことを考えている暇もあらばこそ、いやいや、確かにもう一段、力の使い方に馴染んだほうがいいのかもしれないとか思わないでもないがぁあっ!?

「ちっ。外しましたか」

 この旅で、鐘も撞木の当たりがら、いいのか悪いのか、豊かな経験を積んで、柄が悪くなってしまった変魔さん。正々堂々なんてものは邪竜にぶつけてしまったらしい、ある意味、この旅の一番の被害者が、竜に好かれない鬱憤を晴らし捲竜(しっととかさかうらみとかはしてはいけません)。

 然く始まってしまった戦いは、魔力を奪われない為に遠巻きに見物する百と、フィンとリンが並んで壁の向こうから、三竜が顔を出していて可愛いとか思ったのが最後、死地に叩き込まれて。「エルフ」と呪術師が「侍従長苛め」に荷担して、いや、もう「侍従長折檻」とかのほうがいいだろうか、三竜に見られているからだろうか、もうわけわからんちんでもわけわか竜でーー、……。……、ーーここに、侍従長退治(だいせーばい)が相成ったのであった。



 抜き足差し足忍び足。お負けで竜の足ーーいやっ、誘惑に負けてはならない! 頑張竜っ、僕! 目的を履き違えてはならないっ、真っ暗な部屋の中、何故かそれなりに見えてしまっているので、ぷにぷになフィンの足裏が堪らないーーごふんっごふんっ。

「ーーーー」

 解禁、ということで。双子の魔力の検分が終わったので、風竜は「ふみふみ」を堪能中。って、逆か、姉妹が風竜を「ふみふみ」で挟ま竜。……いや、壊れている場合じゃない。まだきっと、宰相(クーさん)水準ではない、と確信は持てないようになんてなってないけぇどごっ!!

 どっかんっ。ごろんごろんっごろごろごろごろっ。

 うごぉおぉ……、大丈夫っ、悲鳴は出さなかった、いや、床を転がっているから意味はない、と気付いた刹那に。「光球」が四つ灯って、夜這い、ではなく誘拐が失敗した侍従長の痴態を白竜の下に晒す。って、そうだった、ラカは居ないんだった。

「僕の魔地(トラップ)に引っ掛かったです。竜の雫を十個、寄越すです」「ひゃふっ! 父様っ、娘への愛情が足りないですわ! どうして私の魔氷(トラップ)に引っ掛からないのですわ!」

 そんな無茶な。持ち越されたらしい勝負は、地竜の勝利にて竜も巣穴に帰ったようだーーというか、ばればれだったらしい。一応、「隠蔽」「結界」「幻影」と、それぞれ三回唱えてから侵入したのだけど、効果はなかったようだ。

 見ると、フィンが相変わらずの寝相の悪さで。氷竜の世話は慣れたものなのか、母親、というより、兄や姉か、愛する弟妹(フィン)を、ーー窓から投げ捨ててしまった。……どうやら、寝ている間に、フィンから(あんよ)の一撃を喰らってしまったらしい、リンの額の真ん中が少し赤くなっていた。寝床は六つ。窓際の空いている寝床がラカで、隣が百だろう。空寝は止めたようで、炎竜は起き上がると燻ったような表情で手を横に振った。

 ぷすんっ。

 ああ、僕が窓から侵入してくると思ったのか。魔炎(トラップ)が解除される。扉の外側から、漏れ出てくる皆の魔力を貰って、鍵を開けたまでは良かったが、(みんな)に気付かれないように氷竜を誘拐するという目的は果たせなかった。

「深つ音に、皆にも協力してもらうから。ナトラ様、それまでにラカを回収しておいてください」「わかったです。寝るにしても中途半端なのでーー」「良い物を見付けました。時間まで、一勝負といきましょう」

 竜棋を見付けてしまったリン。と言いたいところだけど、竜の探査能力からして、とっくに発見していて、機会を窺っていたのだろう。フィンは竜棋に見向きもしなかったから、僕以外で、自分の実力を測りたいのかもしれない。

「えっと、一応、助言を」「何です?」「何でしょう?」「お互いが、守勢になったら、竜拳で負けたほうが攻めるようにしてください」「わかったです」「わかりました」「あと、二竜とも長考の気があるので、フィン、お願いね」

 寝惚け竜のフィンがふよふよ~と戻ってきたので捕まえて、寝床に置かれた竜棋の横に、ぽとっと飾る。すると、竜顔の長さくらいの、氷棒が出現する。

「い…に…」「三つ数えるごとに、少しずつ先端から砕けていくようですね。だいたい、三十数えるくらいかな。全部砕けてしまったら、負けーーとなってしまうと、急かされてしまうので、一回だけ全部砕けても大丈夫に。つまり、一回だけ、二本分の時間、考えることが出来るってことですね」「良いのではないか。我も地竜対決を観戦するとしよう」

 遣って来た百は、フィンの反対側に陣取る。ーー未熟な炎竜。これは仔炎竜(みー)のことでもあり、古炎竜のようで新炎竜(びゃく)のことを指す言葉でもある。

「百。そこは違う、とか、そういう狙いか、とか、そう思ったとしても、口にしたら駄目だよ」「わかっておる」「ああ、あと、助言とかも……」「わかっておる、と言うておろう。然様に言いよるなら、我も付いてゆくぞ」「それじゃあ、行ってきます」

 それは困るので、アランに倣って、氷竜を後ろから持ち上げて、ぎゅっとしてから。窓から、すぃ~と飛び出して、空中散歩の開始である。

 城下街の明かりがぽつぽつと見える。主要な場所以外は、完全に闇に沈んで、優しい空気が漂い始めた時間帯。八つ音から、一つ時と半分くらいだろうか、空に星がなければ、行く先を見失っていたかもしれない。

「はぁ、僕も窓から飛び出してしまう側になってしまったんだね。竜とかアランとかエンさんの側に」「…………」

 ふむ。この程度の話題では乗ってきてくれないか。過剰接触で愛娘の感触を堪能したいところだが、駄目過ぎる父親認定されない為に(手遅れとか、そういう指摘は要りません)、この度は言葉を用いるとしよう。

「炎よ、燃えろ」「…………」「氷よ、冷えろ」「……それはどうかと思いますわ」「だよね。冷やす対象がないから、結果がわからないし。で、どうだったかな?」「何もないですわ。それは聖語ではなく、周囲への干渉もないのですわ」「まぁ、そうだとは思ってたんだけどね。異言語力(ゼノグラム)は、その場に居る相手の言葉を話すことが出来る能力。この場に、ヴァンは居ないから、僕も聖語は刻めない、と」「可能性がないわけではないですわ。父様は、一度、聖語を刻んだのですわ。であれば、よくわからない父様のこと、その内、聖語を刻み始めて、聖語しか刻めなくなって、意思疎通が誰ともできなくなるのですわ」「…………」「他には、適用範囲を広げる、とかですわ。そこに居なくとも、何処かに居る、居ることを知っている、そういった出鱈目なことは父様の得意分野ですわ」

 「飛翔」も「浮遊」も使わず、手足をだらんとさせて、僕に抱えられている。力なく、竜頭も下がっているので、視線は光の船が浮かぶ闇海へと。目的地はそう遠くないので、船団を幾つか発見する。などと空中散歩を楽しんでいる場合ではなく。切っ掛けを得ようと、更に言葉を継いでゆく。

「異言語力があれば、聖語の習得が早まるのかな。そうなると、師となる可能性があるのは五……」「聖語使いの二人。ラン・ティノと八聖とかいうのの一人。ラン・ティノと一緒に居る、イオラングリディアも候補になりますわ。あとは、父様が懸念を抱く、小娘の祖父。最後に、本来ならここに、熾火が加わるのですわ」「全部、言われてしまったね。ーーその百だけど。百に直接言おうかと思ったけど、スナに聞いたほうがいいような気がしてきたんだよね」「熾火が、燃えることが出来ない、ということですわ?」「うぐっ、……お見通しですか」「わからいでか、ですわ。あれは、敵になるかもしれないのですわ。当然、調べて、絞殺ならぬ考察しておきますわ」「はいはい、怖いこと言わないで。ーーこんな言い方もあれだけど、百って、今回思ったよりも知識面に於いて、役立ってくれてないと思って。竜の魂である百なら、奈落と、三つの洞窟のことを知っていてもいいはずなのに。最初は、竜の叡智を、特定の個人の利になるようには開示できないとか、そういう縛りがあるのかな、と思ってたんだけどーー」「父様の結論で合ってますわ。能力があることと、それを使えるかどうかは、別のことですわ。別に、あの失火を擁護したいわけではありませんが、あの不審火の内には、ーー竜の魂はないのですわ」「ああ、やっぱりそうなんだ。竜の魂を具えた竜は、ある意味、才能の塊のようなもの。そして、みー様は、実はスナと同等の才能を持ち合わせている、稀有な存在であると?」「これまで私は、炎竜であるのに、みーを何度か褒めてきたのですわ。それが答えですわ。逆に、熾火のほうは、只管扱き下ろしてきたのですわ。それが答えですわ」

 うん、答えは得たし、これ以上は止めておこう。高度を上げ過ぎた所為か、地上の星は薄くなって、心細くなって。腕の中の冷たさが心地好くて、それでもまだ駄目だと、我慢して我慢して、髪飾りの雪の結晶に、接吻(キス)をするだけに留める。

「ひゃんっ!?」「……え? どうしたの?」

 だらん、としていたスナの四肢が凍った。固まったのではなく、ゆくりない出来事に属性が暴走してしまったのだろうか、言葉通りに、氷に覆われてしまっていた。

 かりっ。

「ひゃふんっ??」「あ、仕舞った……」

 態とじゃないですよ? 無意識って奴です。未必の故意ーーとはちょっと違って、欲望に負けてしまったというか、欲望が駄々洩れになってしまったというか。雪の結晶を噛んでみたら、今度は愛娘の氷が剥落してしまったので、魔力を貰って、

「ひゃあぁ……」

 敏感になっていたらしい竜娘のことは一先ず措いておいて。地上に落ちたら危ないかもしれない氷片を砕いておく。

「…………」「ーーーー」

 下を見ていたので、上を見てみる。良かった。断頭台みたいな感じで、氷の刃が準備完竜とかそんなことにはなっていないようだ。

「ーーーー」「…………」

 でも、僕の主観では、凍り付いた時間が冷え冷え(はんけつまぢか)だったので、雪の結晶を()めーーたりなんてことしたら、フフスルラニード国が消滅し兼ねないので、動きそうになっていた頭とか舌を、聖竜様に千回謝る勢いで、ぐるぐる巻きにしてがちがちに固めてしまう。

「父様は、魔法剣の作り方を知ってますわね」「えっと、うん、知ってるーーと思ってるけど、正解がどうか確かめたことはない、かな?」「何故、疑問形ですわ?」「そ、それは、心に疚しい気持ちがあるから、誤魔化したかったからではないかと?」「ーー特別なものにしたかったのですわ。魔法具を超えた、ーーそうですわね、父様?」「魔宝、とかはどうかな? 魔法、と同音だけど、発音は違うから間違わないと思うけど?」「ひゃふ、好い加減、変な喋り方は止めるですわ?」

 ぐっ……、そう言うスナは、疑問形でーーこれは僕を試しているのだろうか、いや、悪戯っ竜なスナは、単に僕を苛めているだけかも。って、そっちのほうが不味いんだけど。

「……はい」「魔宝である、この髪飾りは、所有者と魔力的に繋がっているのですわ。もう一つの感覚器ーーと言えばわかりますわ?」「え? でもそれなら、魔力か何かで保護を……」「ひゃふ?」「……していたのは当然だけど、僕の特性で無効化してしまったと」

 魔宝と言うくらいだし、スナもあまり怒って(まりょくもつんつんして)いないから、機能が失われたとか、そんなことはないようだ。ただ、これ以降、髪飾りに触れられない、というのは嫌なので。

「ゃ……」

 ラカの風ですら、重く感じてしまうくらいに軽く、優しく、結晶の表面に熱を伝えてゆく。残炎、もとい残念。まだゆっくりと飛ぶことが出来ないので、目的地にーー王城に到着してしまった。見ると、正門に二人の立哨と、角灯の明かり。さすがに空まで警戒範囲には含めていないようで、僕たちには気付かない。「結界」も魔力的な処置も、この甚大な魔力の影響で行使できないだろうから、今回は事前も事後もない、完全な無断侵入である。「結界」と、その先の、床の抜けた部屋。この先に、三つの命が、(くびき)に、魔力に囚われている。運命、なんてものがあるとするなら、何てものを用意するのかと、罵りたくなってくる。

「特に、変わったような感じはないかな、と!」

 うわ、いきなりか。予測はしていたので、危なげなく、「結界」を破壊しようとした魔法攻撃を阻止する。

「何故、止めるのですわ」「それは、スナが、僕にでも止められる攻撃を放ったからだね。スナが本気になれば、僕には止められない。止められないので、『結界』は破壊されてしまって、『発生源三つ子』の一人である、魔力体の子が、世界に還ってしまっていただろうね、と!」「父様は、そちらを選ぶべきですわ」「っ! っ!?」「今、この『結界』が壊れれば、すべての問題が解決するのですわ」「っ!! っ?!」「あの娘の師匠と同じことをするなんて、馬鹿げているのですわ」「さすがにちょっ! 体がもっ、むぅりなぁ!!」「ーーーー」「…………」

 ふぅ、汚れるとか何とか気になんてしていられない、床に仰向けになる。

「痛い、痛い、痛い。体中が痛いよ。折角、感覚を誤魔化していたのに」「父様のことですから、断言はできませんが、本来、『封緘』をそのように使うべきではないのですわ」

 燃えるようだ、という比喩が、本来の役目を果たせず、紛う方なく僕の体が燃えていた。

「制御して、痛みを幾分かだけで良いので、残しておくのですわ。あと、痛みを炎と譬えるのを止めるですわ。ほら、叩いてやりますから、氷だって冷たい(いたい)ことを思い知るですわ」

 いや、ほんとに叩くのは止めて、と言いたいところだったが、有言実行の痛娘(ひゃっこい)にお願いしても無駄なことはわかっているので、痛みを受け容れつつ、心象を行う。

「最初に来たときはわからなかったけど、遺体の魔力……というか残留魔力? なんか錆びて、というか、寂れている?」

 その間に、気になったことを尋ねてみる。あに図らんや愛娘の驚きの成分を散らした表情も可愛い……のは本当のことなのだけど、今は竜の魅力に冷え冷えの場合じゃなくて。

「本当に、父様の能力は突っ慳貪(つっけんどん)ですわ。少しは自嘲しろですわ」「えっと、なんか、自重が自嘲になっているような気がしたんだけど……」「下の遺体は、年寄りのものですわ。これはナトラも同意見ですわ」「年寄りーー?」

 また一つ、面倒な謎がーーなどとは言ってはいけないのだろう。ただ、これまで出揃っている欠片を集めてみれば、大局には関係なさそうなので雑談はここまでにしておこう。

「あら、神経が集まっている場所は、無意識に守っているようですわね」

 背中が熱かったので無理をして立ち上がると、手首から先とーー触れてみると、痛みはあるが熱は感じないので、顔は焼けていないようだ。

「あー、これは、服を脱いだら、凄いことになってそうだね」

 体の半分以上が火傷。それだけでも致命傷水準だろうが、もう、何処が悪いのかわからなくなるくらいに、五回分くらいの死が圧し掛かっている。はぁ、よくもまぁ、生き残れているものだと感心するが、自分で選んだこととはいえ、ここまで追い込むのが正しかったのか、百回くらい自問したい気分である。

 「侍従長苛め」でぼこぼこ(ふるぼっこ)にされた。遣ろうと思えば、僕の特性で逃げ出すことは出来たけど。というか、事情を(さと)る、だけでなく(さと)るも(さと)るも捧げたいくらいのアランと、やはり王としての資質を具えているのか、洞観(どうかん)したベルさんの二人と違って、ユルシャールさんとエルタスはーー。はぁ、そんなに恨みを買っているのだろうか。一回分くらいの死傷は、魔法使いと呪術師に因るものだった。エルタスは現在、魔法も呪術も使えないので、投石をしてきて、後頭部に直撃。投擲物に関するリシェの回避能力はそこまで高くない。城街地で護衛されていたときの、クーさんの言葉を思い起こす。魔力が介在しない、物理攻撃ーー特に不意を衝いたものは、今以て僕にとっては弱点のままである。

 死地に身を置かば、新しい力に目覚める。なんてことを期待していなかったかというと、嘘になるのだけど。竜の雫を十個差し出して、串焼き三本ーーというところだろうか。割に合わないことこの上ない。僕が気付いていない内に、何かいい感じの能力が備わっていたとか、そんな僥倖に……、そんなもっけの……、たなぼた……、魔法使いの笑顔……、……うん、僕は疲れているに違いない。竜にも角にも、王様の顔には、「みー様印」をばこんっと捺しておく。空を見ても、星は答えを与えてくれない。ふぅ、きっと、僕はそういう星回りじゃないから、拾えるものだけ拾ってゆこう(きっとそれがちかみちになる)。

「スナは、どうすればいいか、わかっているんだよね」

「何ですわ。中途半端な聞き方をするなですわ」

 愛娘に言われたので、素直に、赤裸々に、言葉にする。

「『三つ子』の、魔力体の子を助ける方法を、スナだけが知っている。他の誰も彼も、竜だって、たぶん神々だって、わからない。態々邪魔をしなくても、スナが力を貸してくれなければ、救えない。いえ、一人を犠牲にして、世界を救える。そして、きっと、世界にとっては、そちらのほうが正しい。

 僕は、悪い父親だね。大切な娘に、間違ったことをして欲しいと思ってしまっている。ただ、僕が正しいと信じていることを、スナなら認めてくれると信じているからーー」

 これほどに惜しいことが、人生にどれだけあるのだろうか。魂を引き剥がして、氷竜から遥かなる一歩を、距離を取る。振り返らない氷娘の、背中は小さくて。それを嬉しく思ってしまったことに罪悪感を抱くだけの、細やかな隙間だってなかったから。

 進んでいこう。前に向かって歩いていても、遠ざかっていたから。走っても追い付かないことはわかっていたから。声のない声を、上げるときを、間違ってはならないのだから。

 死よりも苦しいことがあると、へっぽこ詩人が最後に遺した言葉が頭を、体を満たしてゆく。見ず知らずの、と言ってしまって、それほど不都合のない子供。それも肉の体を持っていない魔力体。そんな、いつ消えてもおかしくない儚い存在なんて、スナよりも大切なわけがない。スナの想いより、優先させなければならない理由なんてない。ああ、でも、ごめん。僕はスナを裏切れない。僕が知らなかったスナが、僕の前に居る。遥かな星霜を巡ってきた竜だって成長する、そしてーー、弱く(つよく)なってしまうこともある。強く(よわく)なってしまったから、スナを丸ごと抱き締めよう。それが父親のーー僕だけの特権だから。

「ごめん、スナ。というか、意地悪だね、スナ」

 娘の特権を先に行使されてしまったので、僕のほうから動くべきだったのに遅れてしまったので。謝ったり責めたり、いや、もうそんなことなんてどうでもよくてーー。

 ーー、……。

 生きている意味。そんなものが、あるのかどうかなんてわからない。触れた瞬間に失われてしまう、確かなものを、僕は手に入れてしまったから。

 ……、ーー。

 伝えることが出来ないのなら、どう伝えればいいのだろう。する必要はないのに、したいと思ってしまった心は、何処へと旅立つのだろうか。僕と氷竜の答えは今ここにーー。

 ぱっきぃぃぃぃん……。

「…………」

 ……スナが壊れた、どうしよう。いや、言葉が半分くらい間違っている。凄く綺麗な音だったけど、腕の中に居たスナが割れてしまった、どうしよう。スナの欠片を集めようにも、もう落っこちて霧散してしまっているので、……どうしよう。

「何してるですわ。とっとと帰るですわ」

 見ると、ちょうど(くるり)な愛娘がいて、ひやりと笑っていたので。魂が一つになっていた所為なのかどうなのか、こんな簡単な魔法にも気付けなかったので。何か、どうでもよくなってしまったから、きっと僕の負け。勝ったのに負けてしまった、愛らしの氷竜。

 言葉通りに、とてとてと歩いて出口に向かう愛娘。僕と違って、スナは覚悟を凍らせてしまったようだが、それもまた一つの答えということで。早く追い付いてきて欲しそうな足取り。足跡の、残った魔力まで、僕を待ち焦がれていたから。魔力を重ねながら、この世界で一番意地悪で(ぼくをいじわるにさせる)、愛しい氷の許にーー。はぁ、とっとと、は無理そうなので、親子でゆっくりと夜の散歩と洒落込んで、手を繋いで、皆のところに戻るとしよう。


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