六章 氷竜地竜と侍従長 後半
「地図の端っこにあったけど、ここだと魔物に襲われそうな……。となると、態とかな」
「ほうほう。それを見抜くとは、やるな、お主」
二竜と手を繋いで歩いているとはいえ、後ろから追い付くとは、中々の健脚なようだ。教会の関係者だろうか、初老の男性は、白を基調としたゆったりとした服を着用していた。
「エルシュテルーーですか?」「ほう。よくわかったな。集会所の外では、なるべく控え目にするようにしている」「北に行くほど厳しいと聞いていましたが、中央寄りのここらでも、何かあるのですか?」「知ってるとは思うが、信徒が少ないところでは、教会ではなく、こうした集会所を共同で使うことがある」「ああ、それに、教会関係だけでは食べていけないので、表向き禁じられている副業も熟していると」「色々と柵があるってことさ。どっちかって言うと、わしよりも子供を二人連れている、お主のほうが色々とあるみたいだがな」
警戒、はしていないわけではないが、好奇心のほうが勝っているようだ。集会所までは今少し掛かるので、情報を引き出す為にも会話を続けるとしよう。
「集会所に魔物を引き寄せて、街の被害を防ごうとしているのですね」「正解。ここの管理人は、『結界』が使える奴がなるって決まってて、街に合図で知らせたあとは、魔物を引き付けつつ、自分の身を守るってわけさ」「ここへは、管理人をしているという方に用件があってきました」「あいつに? 親戚ってわけじゃないよな。ってことは……」「当ててみて下さい。もし当たったら、竜の雫を十個、進呈します」「おうおう、いいねぇいいねぇ、そういうの、嫌いじゃない。って言ってもなぁ、竜信仰と管理人の仕事以外じゃ、思い付くもんなんてないからなぁ」「集会所に着いてしまいますね。時間がありませんよ?」「くそぅ、駄目だ! よしっ、借りた金を返しに来た! でどうだ!!」
到着すると、自然に扉が開いて、
「人をあくどい金貸しのように言うのは止めないか、このすっとこどっこいが」
と思ったが、勿論違って。部屋着のような恰好をした、こちらも初老の男性が現れる。
「ふんっ。客を連れてきてやったんだ、ありがたく思え」
二人の様子からして、気の置けない間柄のようだ。言葉に棘はあるが、表情がそれを裏切っている。となると、こちらも面倒を省いたほうが良さそうだ。
「フィフォノ様に、ゲルブスリンク様。『隠蔽』を使ったあとで、二竜爆誕でお願いします」「だーっいーっ!」「『千竜王』こそ、人種で遊んで、楽しんでいるような気がします」「「「っ!?」」」
これ以上わかり易いものはないので、フィーとリンに「人化」を解いて、本来の姿に、竜になってもらう。ん? どうやら、扉の向こう側にもう一人居たようだ。はっきりとは
確認できなかったが、シアやガルと同周期くらいの少年が奥に引っ込んだ。
「ちょっと待った、少年! 街の危機じゃないからっ、合図を送ろうとしないで!」
少年は怖じ気て逃げたのではなく、その目には決意の光があった。一応、二竜を見上げて、対処をお願いしておく。
「ーーそう、ですね。竜が相手では、街に知らせないほうがいいのかもしれません」
逃げても無駄だと悟ったのか、それとも僕の、演技じゃない言葉を信用してくれたのか、扉から出て、初老の、二人の男性を守るように立つ、何だか雰囲気のある少年。才能の塊、とでも言うべきか、〝サイカ〟の里で見てきた子供たちに似ているところがある。
「この、阿呆。子供が大人を守ろうとか、少しは弁えんか」
「こっちも、すっとこどっこいか。態々出てこんで良いものを」
然あれば、男性たちの後ろまで引っ張られる少年。申し訳ないが、居た堪れない少年の顔を見て、笑いが込み上げてきてしまった。
「あー、非礼というか、悪戯をお詫びします。僕は、竜の国の侍従長で、ランル・リシェと申します。こちらの二竜は、先に言葉にしたように、氷竜フィフォノ様と、地竜ゲルブスリンク様で御座います。ボーデンさんのお店に寄ってから、こちらへ来ました。集会所の中で、僕の話を聞いていただけたなら幸いです」「「「…………」」」
ああ、駄目か。この世界の神秘と、「魔王」が現れたとあっては、こうなってしまうのも無理からぬところではあるが。では、仕方がない、ここは竜に倣うとしよう。二竜に「人化」してもらって、スナとナトラ様のように、ずんずかずんずかと勝手に入ってゆく。
「集会所は、談話には適していないようですね。二階の部屋はどうでしょう?」
各種教会が使用するとあって、長椅子が正面に向かって配置されているので、このままだと床面が一段高くなっている内陣には、フィーとリンが立つことになってしまう。それだと色々と具合が良くないので、階段を見つけたので、竜の歩み、継続である。
「フィフォノ様とゲルブスリンク様に何かお出ししなくては、あ、と、そうだ、お供え物を……」「落ち着かんか。そんな何日も過ぎたものをお出しするつもりか」
見回して、待機所か準備部屋か、丁度良い部屋があったので、壁に寄り掛かっている椅子さんに仕事をしてもらおうかと思ったら、少年に先回りされる。大人たちよりも先に、竜の威圧と「魔王」の悪意を跳ね返すに至ったらしい。まぁ、悪意というか、竜といる安心感からか、竜と行動するときは、ちょっと羽目を外す傾向にあるかもしれない。
「三竜の服があるそうですが、見せていただけますか?」「っ! お、そ、そうです、そちらも……」「あ~、もう良いわ! わしが服を持ってきてやるから、お主は菓子でも用意しておれ」「菓子~、菓子~」「これしかありませんが」「ぐっ、それは私の好物の……」
ちらりちらりと見られたので、何か言って欲しそうだったので、焼き菓子を手にする男性を安心させてあげることにする。
「フィフォノ様とゲルブスリンク様は、『味覚』の能力を獲得したばかりですので、様々なものを食べていただきたいと考えています。竜に、自分の好物を食べていただける機会など、百生に一度もない幸運、是非にもその機会を逃さないでいただきたい」「…………」
僕の言葉で安心し過ぎたのか、とぼとぼと遣って来て、木の器を差し出してくる。卓はないので、僕が受け取って、二竜に勧める。少年を一瞥すると、やはり聡明なようだ、リンが背負った、ヴィッタが詰め込まれた袋を下ろす手伝いをして、地竜が座る椅子の斜め後ろに置く。ああ、そういえば、里で習ったっけ。大乱後は、お客の荷物は、従者が立つ場所に置くのが作法だと。さて、聞きたいことは幾つかあるのだが、どれからにしようか。
「ん~、やっぱり、名前からかな。御二人とも、もしかしなくても名乗らないようにしていますか?」「…………」「ぎくっ。と言葉にでもしておこうか。わしのほうが問題ないから、先に名乗っておこう。カイスフィーリス・エイルクロリナだ」「ーー恰好いい名前ですね」「そうだ。恰好良い名前だ。こんな御大層な名前なんて、わしは望んでいなかった。だから、わしのことはエイルとでも呼べ。ーーふぅ、わしの家系は、人が好いだけが取り柄でな、平凡を絵に描いたような奴ばっかりだった。わしは、若い頃にすでに自分の才能を見限っていて、家系の善良さを恃みに、教会に潜り込んだのさ。それから、故郷の、この街に空きが出たと知って、余生を過ごすには持ってこいと、戻ってきたってわけさ。ってわけで、お主の番だぞ」
くっくっくっ、とエイルさんは、人の悪い笑みを浮かべる。抗し切れないと観念したのか、仏頂面で男性がぼそりと名乗る。
「ナッシュ・ブリグス」「ーー普通ですね」「それ、どうした、竜名を名乗らんか」「竜名、ですか?」「ほうほう。噂の侍従長も知らないとは、良かったじゃないか、ナッシュ」「はぁ、そこの、あほんたれが言うように、私には真名、とは言いたくないので、正式名、とでもしておきましょうか。ナッシュ・ブリグス・エキア・グラニブレスト。竜名は、エキア、になります」「僕が聞いたことがないとすると、若しや、あちらの大陸、マースの出身なのですか?」「そういうこったな。然し、侍従長は〝サイカ〟なんだろ。竜名のことは教えられてないのか?」「いえ、僕は〝目〟ですよ。以前、兄さんが言ってました。『マースのことを教えると、マースに行きたがる者が必ず現れるから、敢えて言わないようにしている』と」
里としては、〝サイカ〟は大陸で活躍してもらわないと困るのだ。名声やら収入源やらと理由はあるが、大陸間の航海は、凪の海を避けなければならないので、未だ危険と隣り合わせなのだ。〝サイカ〟に、そんな危険を冒させるわけにはいかない。
「幼い頃に、こちらの大陸に来たので、覚えていることは殆どありません。父から聞いたことですが、グラニブレストがマースに居た頃の貴族の家の名で、百周期続くと、竜名を名乗ることが出来たそうです」「ということは、竜人の子孫とか、そういうわけではないのですね」「はい。竜から、名の一部を戴きます。一応、竜の巣穴の前で儀式を行うそうですが、はは、竜に許可を頂いているわけではありませんので、権威付けのようなものです」「つまり、あれか、『ふんっ、竜名も戴いていない木っ端貴族めが、出しゃばるでないわっ!』ってな感じで使われるわけだな」「さぁなぁ、覚えていないから、好きに想像するが良い。はっきりと覚えているのは、エキア、という竜名が、フルスエキアリアという水竜から戴いたということと、シーソニアくらいのものです」「……シーソニア?」
いや、これは、どうなのだろう。謎娘、と言えるくらいには、秘密がありそうな女の子の姿が脳裏を過ったが、彼女の正体の手掛かりがこんなところで得られるのだろうか。
「シーソニア、というのは、こちらの大陸でのミースガルタンシェアリと同等の知名度を誇る名です。有名な理由は単純で、竜人の子孫だからです。竜名を名乗る家は、結構ありますが、竜人であると公に認められたのは、シーソニアだけです」「ですが、それだけでは、ミースガルタンシェアリと同等の、とはいかないでしょう?」「はい。シーソニアは塒に篭もるーーという言葉があります。シーソニアは他国を攻めず、他国もシーソニアを攻めないという、暗黙の了解を示唆する言葉です」「ほうほう。それは、シーソニアとやらが強過ぎるので、特別扱いして、閉じ込めるって寸法か?」「あんぽんたんの癖に、相変わらず良い勘をしてからに。そう、シーソニアは特別でした。彼らは、主に調停役を担っていました。シーソニアの調停に従わない者は、悪だと見做されるほどに、彼らは大陸に於いて、重要な役どころでした」
少年が運んできた葡萄酒を一口、ナッシュさんは話を続ける。
「事実なので、先に暴露しておきますと。竜信仰というのは、ここの管理人の仕事を得る為に、教会の関係者でないことを示す為に吐いた、方便です。三竜の服を依頼したのも、それっぽい雰囲気を出す為です。
ああ、そうでした、この街に来る前に、マースから来たという者から、聞いた話があります。シーソニアには、直系のお姫様がいるそうですが、現在行方不明だそうです。その者は、言葉を濁していましたが、大陸を揺るがすほどの問題に発展することになるかもしれないと、仄めかしていました」
ーーはぁ。百に聞けば、真相っぽいものを教えてくれるだろうか。僕が係わると分別が怪しくなる百なら、ぽろっと口から零しそうではあるが、まぁ、だからこそ、女の子の秘密に立ち入るのは控えるとしよう。仮に、動くことがあったとしても、それは今ではない。
思惟の湖に潜りそうになったので、浮上すると、僕を、もとい僕の手元を見るナッシュさん。視線を下げると、二竜が、ばりばりむしゃむしゃ。二竜が静かだったのは、これが理由だったらしい。ちょっと可哀想だったかもしれない。竜信仰でなかったナッシュさんが、見るから肩を落としている。最後の一枚に手を伸ばして、二竜の視線がぶつかっていたので、半分に割って、あ~ん。何だか、目的を忘れてしまいそうだ。
「序で、ということで、二人に聞きたいことがあります。その前に卓をーー」「僕が持ってきます」「いえ、大丈夫です。フィー、お菓子を頂いたので、その分、働きましょうね」「すーきー」「「「ーーーー」」」
魔法を使った素振りはなかったが、卓がふよふよ~と漂ってくる。当然といえば当然だが、三者とも、フィーの、竜の言葉遣いに面食らっているようだ。卓に東域の地図を置いてから、まだだったことに心付いて、少年に尋ねる。
「まだ、君の名を教えてもらってなかったね」「僕は、メルエル・ガーナです。ガリシュ村の出身です。あの……、ちょっと待っていて下さい」
一瞬、顔を曇らせて、それから部屋を出ていくガーナ。見た目通りに機敏でもあるようで、葡萄酒を口に含むと、味わっている間に戻ってくる。ごっくん、と安物のお酒を飲み下すと、少年が一冊の古びた本を差し出してくる。
「最後のページに、古い地図があります。何かの役に立てばと」
「どうだろう。古語擬きの本だから、真偽は怪しいところですが」
古語擬き、と聞いて、手紙屋のことを想起させられる。はて、ちょっと抜けたところのあるミニスさんは、無事に兄さんのところに戻れただろうか。誰かに騙されてなければいいけど。などという酷いことを考えながら、本を開くと、果たして竜語だった。中央では、フィスキアの暗号でしか見ることがなかった竜語だが、東域では二度目ということになる。
「これは、竜語ですね」「竜語、ですか?」「そう。古語時代の、始めの三十周期ほど、使われていた言語です。ーーにしても、これは興味深いことが記されていますね」「おいおい、侍従長。そんなぱらぱらと、ほんとに読んでるのか?」「これは速読の一つの方法です。四行、一緒に見ているんです。大まかに理解して、必要なところがあれば、意味まで理解するようにしてます。兄さんなどは、本当に、ぱらぱら~と見るだけで、殆どを理解していましたが、『疲れるのであまり遣りたくない』と言ってました」
地竜であるリンなら、「凍結」が使えるだろうか。これほどの状態の良さとなると、聖語が使われていた可能性もあるので、せめて「保護」くらいは、魔法が好きなフィーでもいいので、後で掛けてもらおう。
「ああ、これが件の地図ですね」「こらこら、侍従長。読み終わったんなら、わし等にも教えんか」「ーーこれは竜語が使われていた時代の、歴史書のようなものなので、話しても問題ないでしょう」「問題がありそうな場合は、話さないということでしょうか?」「真実を知ること、現在に影響があるか、そこらを加味して、〝サイカ〝や〟目〟は、判断することを求められています。早い話、責任を負いたくなければ、〝サイカ〟の里に送れ、或いは知らせろ、ということです」
本を卓に置いてから、精々雰囲気が出るようにと、声を低くして話し始める。
「ーー三王。聖語時代の終わり。下位語を用いていた人々は、群雄割拠、では味気ないので、竜攘虎搏ーーも意味は異なりますが、まぁ、三王ーー三人の王が竜で、他が虎ということで、あっさりと決着がついて、古語時代が始まります」「ほうほう。その三王とやら個人が、超絶強かったーーとかではなさそうだな」「そうですね、能力が優れていた、ということではありますけど。聖語時代の、下位語を用いていた人々は、概ね平和だったようですね。領内、という言い方が正しいのかどうかわかりませんが、領内ではそうでないところもあったようですが。軍備、に差があったようです。わかり易く言うと、騎士と一般人くらいの差があったということです。戦術や戦略に留まらず、武器の優位性まで、一人ではなく、優れた三人の王が居たことも、決着を早める要因になりました」
似たようなことを繰り返す人種を憐れむような感じで、溜め息交じりの声を出す。
「で、問題が起こりました」「だなぁ、三十周期で、いや、三十周期も持ったと言ったほうがいいのか」「この三王。自分たちを神格化してしまいました。自分たちが作った言語を、竜語と言ってしまうくらいですからね。さて、人間が神になったら、何をするでしょう? 技術というものは、流出するし、発展させなければ、追い付かれます。三王が逃亡することになったのは、晩年だったそうなので、エイルさんの言うように、よく持ったほうですね。先に言ったように、優れた能力の持ち主ではあったようです」
これが、この本に掛かれていた大まかな内容である。新奇な発見ではあるが、だからどうした、で済まされてしまうものでもある。歴史に興味がある人間からすれば、垂涎の品だが、それ以外の人々となると、一時の話題程度にしかならない代物であるということだ。この時代の人々もまた、知的好奇心を満足させることは出来ない。日々の生活で手一杯なのである。竜書庫の役割に鑑みて、各地にもっと……、って、今は、竜と一緒に未来を旅している場合ではなく、ガーナのことである。一瞬ではあるが、顔を曇らせた少年。好奇心が強い少年であるだろうに、僕の話を素直に楽しめていない節がある。
「ガーナ。これは君が持っていた本じゃないよね」
嘘を吐くのはーー正確には、上手く嘘を吐くのは、自分で思っているよりも難しい。幾ら聡明といっても、少年であるガーナに、その技術や能力が備わっていないのは仕方がないことで。市井人になら嘘を吐き通すことも出来たかもしれないが、僕に目を覗き込まれて、抵抗する意思すら叩き折られて、序でに二竜もじぃ~、ということで、体が、いや、心だろうか、力が抜けたことがわかる。
「ガリシュ村かーー」
エイルさんは、ぽつりと口にする。リンが服を調達する為に訪れた村には、老人しかいなかった。その村の出身であるガーナ。
「ナッシュさん。ガーナは、どういった扱いになっているんですか?」
「この街は、発展し、安定した。受け入れるだけの余裕はありますが、それだけです。ガーナが、私の後任として、ここの管理人なる可能性は、あるにはあるでしょう。ですが、他の職となると、余程の強運にでも恵まれない限り、道は閉ざされています」
何故だろう、兄さんの背中を思い出した。運命だったのか、ただの偶然だったのか、僕は兄さんと出逢った。だからどうしたということもない。気紛れ、でも何でもいいんだけど、僕は試して、差し出してみたいと思った。
「ガーナ。ガリシュ村であったこと。すべてを僕に話す気はあるかな?」
道がないのなら、それを造るのは、それを創るのは、誰だろうか。意思があるだけじゃ足りない。動かなければならない。ただ、始まりは、動かしてもらう、ことでも構わない。自分の足で歩いているのだと気付いたとき、空に手を伸ばすことの、本当の意味を知ることとなる。
「ーー僕は、僕は……間に合いませんでした……」
少年の凍った表情から、止め処なく涙が溢れる。
「……いつからだったか、何が原因だったのかわかりません。誰も教えてくれませんでした。ザリアも、寂しそうに笑うだけで、誤魔化すように僕の頭を撫でるだけでした。
優しかったお爺ちゃんもお婆ちゃんも、いつからか、僕に辛く当たるようになりました。でも、それは僕だけではなくて、村の若い人たちは皆、物語の中の悪い代官みたいな、村の老人から、酷い目に遭わされていました。
一度だけ、ザリアが、こう漏らしました。『一つ、釦を掛け違えただけだったのに』と、後悔しているようでした。ただ、何となくですが、周りの大人たちの雰囲気から、ザリアが原因でこうなっているのだということがわかりましたーー」
幾度、少年を苦しめたことだろう。ガーナに降り掛かった出来事を、思い出してしまったのだろう、いや、僕が思い出させたのだ、それでも少年は、再び向き合って、硬くなってしまった言葉で話し続ける。
「もう、どうにもならないと、ザリアを中心に、老人たちに、村長に反抗することにしました。それは、上手くいくはずでした。でも、失敗しました。裏切り者がいました。何故、裏切ったのかわかりません。自分だけが助かろうとしたのかもしれませんし、脅されていたのかもしれません。
僕は、偶然知ることが出来ました。どうにか出来るのは、僕だけだった。僕だけ……だったのに……。……間に合わなかった、間に合わなかったっ!! ザリアがっ、ザリアが!! あんな奴らっ、あんな獣にも劣るっ!! ……なのに、なのに、間に合わなかったのに、助けられなかったのに、ザリアは僕を見て、笑ってぇぐぅ! あいつらっ、あんな奴らぁっ皆殺しに……」
これ以上零れてしまわないように、強く、深く抱き締めて、ガーナから言葉を奪ってしまう。穏やかそうに見えた少年。いや、実際に、優しい子だったのだろう。それが、僕の内まで炎で猛らせるほどに、炎竜をも焦がす炎を抱えてしまった。
「僕には、ザリアさんの気持ちはわかりません。でも、ガーナの話を聞いていて、ガーナの想いに触れて、ーー僕なら、こう思ったでしょう。
助けに来てくれて、ありがろう。
巻き込まれないように、早く逃げて。
どうかな、ガーナ。ザリアさんの笑顔に、それ以外の何かはあったかな?」
代わりにはなれないけれど。優しく抱き締めて、ザリアさんがそうしたように、ガーナの頭を撫でてあげる。
「…あ、……あぁ、うぅああぁーっ」
再び溢れて、涙も、後悔も何もかも、行き場もなくて、ただただ、焦がして焦がして焦がし尽くして。ーーどれだけ経ったのか、これからも身を焦がすであろうものを、今だけは吐き出すことが出来たのか、残り火のようになってしまった少年に、一つ、道を創ってあげることにする。
「ナッシュさん。ガーナが居なくなっても、問題ありませんよね」
きょとんとしたナッシュさんだが、僕の言葉の意味を正しく理解して、彼も少年の将来に心を痛めていたのだろう、目だけは笑いながら、深刻そうな演技をする。
「問題? あるに決まっています。ガーナが居なくなっても、殆どの者は気にしないでしょう。これは由々しき大問題です」「そうですね。大問題です。何が問題かというと、ガリシュ村から遣って来た人は大勢いるだろうに、僕は、ガーナにだけ、新たな道を示そうとしている。これが、どういうことかわかるかな?」
ナッシュさんに乗っかって、問題の摩り替えを行って、細かなところを打っ棄ろうとしたのだが。幼い頃の僕とは違って、覚悟が伴った瞳を向けられる。
「僕一人だけが、それを掴む、可能性があるのなら。ーーそれに見合うだけの、何かをしなければならない。ということだと思います」「うん、そういうこと。運、というものは、人生で重要なものだけど。これは僕の好みだけどね、何の代償もなく労苦も研鑽もなく、自ら望むこともなく、詰まらないだけの幸運を手にして、それに甘んじる者が、僕は大嫌いなんだ」「うぐっうぐっ、耳が痛いっ耳が痛いぞっ、侍従長!」「こら、エイル。この、すってんころりんが、茶化すな」
二人が場を和ませてくれている内に、荷物から大陸の地図を取り出す。然く、知識を総動員する。僕が知っている限りを尽くして、可能である範囲で、死なない程度の困難を配置してゆく。ーーふぅ、何だか遣り過ぎた気もするが、まぁ、気の所為だろう。
「先ず、ガーナ。この地図は、翠緑王が制作したものです。これを、どう見ますか?」「この地図は、……たぶん、本当の意味で、大陸の正確な地図だと思います。貴重、というだけでなく、危険でもあると思います」「そうだね。そんな大変なものを持って、ガーナ、君は旅立たなくてはならない。言うまでもなく、これは僕のお節介だ。僕のお願いを聞かなくたって構わない。選べる範囲でなら、君はいつでも自由だ」「…………」「地図の裏を見るといい。行くべき場所と、遣るべきことが書いてある。それらをすべて熟すには、早くて半周期は掛かるだろうね。でも、問題は時間じゃない。許可なくこれらの国々を旅することになるのだから、捕まれば碌でもない目に遭うだろう。危険は竜盛り、下手をしなくても、殺されることもある」「ーーはい」「竜の国に辿り着いたからといって、当然、幸運が約束されているわけではない。ただ、選択肢が増えるということだ。んー、そうだね、君と同周期の少年で、僕の弟子で、ガルという子がいる。彼は竜舎で学んで、その後に僕の部署で仕事をしている。ガルはストーフグレフ王に直訴し、僕に認められれば、という条件で、王の配下として働くことを許された」「う~わ~、世の中には怖いもの知らずな餓鬼がいるもんだな、聖竜~聖竜~」「……それは、何かのおまじないですか」
ガルを例えに引いたのは間違いだったかもしれない。上辺の事実だけを語ったら、何だか才気が溢れ捲った少年のようになってしまった。然あれど、王弟となると、余りにも現実離れしていて、糅てて加えて王様の悪口まで言ってしまうだろうから、まぁ、これはこれで良しとしておくか。
「たぶん、これでも足りないだろうね。そこは工夫して、何とかするように。ーーガーナ。これを手にしたら、もう後戻りはできない」
竜の雫を五個、掌に乗せて差し出す。一呼吸、間が空いたのは、躊躇したからではないだろう。この子は、本当に優しい子なのだ。ーー少年は、ガーナは竜玉を手にした。ならば、もう遠慮する必要もない。
「ガーナ。何をしているのかな?」「え?」「どうしてまだここに居る。何故まだ旅立っていない」「……っ!」
僕の言葉で、自分がどういう立場にあるのか心付いたらしい。少年は、少ない時間で、何をすべきなのか、最初の、選択をした。
「エイル様。気に掛けてくださって、ありがとうございました」「ほうほう。わしは大したことはしとらんさ。こやつが真面に指導しとるか見とっただけだ」「ナッシュ様。お世話になりました。それと、誓いを破ってしまうことになり、申し訳ございません」「そう、だね。誓いを破ったのなら、罰を与えなければいけない。メルエル。これよりは神に祈ってはならない。すべてを自分の力と意思で乗り越えていくんだ。ーー誓えるか」
跪いたガーナは、二竜に頭を垂れる。
「はい。メルエル・ガーナは、生涯を懸けて、その誓いを守り通すことを、フィフォノ様とゲルブスリンク様の御前にて誓約いたします」
静かな、然し、ひりつくような熱のこもった言葉だった。
「「ーーーー」」
……仕方がないので、フィーとリンの魔力を借りて、氷竜と地竜をつんつんする。僕の意図、というか真意に心付いた二竜が、少年の気概に応じてくれる。二竜の魔力に取り巻かれても、地竜のように不動を貫くガーナ。
「だーつー」「誓約を聞き届けた証しとして、地竜と氷竜が『加護』を授けました。努々(ゆめゆめ)怠らず、自らの願いに、邁進すると良いでしょう」
昔に抱いていた、白竜の心象を行ってしまうくらいに、一礼した少年は、颯爽と、華やぐ未来に向かって歩いていった。エイルさんとナッシュさんが、懐かしさと、憧憬だろうか、苦さが混じった優しい笑顔で見送っていた。
「そろそろ良いでしょうか」「……はっ、な、何でしょうか?」「お代わりを、お願いします」「……は?」「たーっりーっ!」「……うっ」
ーーこの二竜は。しんみりとしていた空気が台無しである。
「フィー。リン。残念ですがお菓子はもう……、あるのですか?」「っ!」「ぎくっ!! という言葉を体現したような、そんなあからさまな恰好をするな、ナッシュ」「いやっ、然しっ、あれは秘蔵のっ!?」「秘蔵、ということであれば、代価を支払います」
ばさり。
服を捲ったリン。目を閉じるのが遅れたので、お腹にくっ付いている竜の雫を視認できてしまった。
ばっさばっさ。ばっさばっさ。
音と魔力の感じからして、リンを真似たフィーが、竜のお肌を奮発しているようだ。って、何か言葉が適切ではないが、では造語を創るべきか悩まなくてはならないとーー。
「侍従長は、何をしているんだ?」「そうでした。竜の裸に欲情する性質、でした。気を付けなければいけません」「「…………」」
ちょっと待って、リン。それどこで、って、そうか、竜は身に享ける魔力から、それなりの情報を得ている、とスナだったか百だったかが言っていたけど、うん? う~ん、それってつまり、僕が竜の裸に悶々(ごにょごにょ)だってことが、大陸に在る全竜の共通認識だってこと……、こと?
「これから御二人の知識と知恵を拝借いたしますので、先ずは秘蔵のお菓子を二竜に供出、ではなく、お供えしてください」
二竜と二人の目が、侍従長苛めな輝きを宿していたので、強制的に仕切り直すことにする。然てこそ二竜が食べ終わるまで、情報収集、もとい世間話へと洒落込むのだった。
「いえ、さすがに竜の雫を代金としていただくのは」
「そうですか。それでは、これであれば問題ないでしょう」
そう言って、リンが取り出したのは、腰の辺りにくっ付けていたらしい、二つの石。じっくりと見てみると、本当に真ん丸で、寸分違わず、という言葉ですら裸足で逃げ出しそうなくらい、二つの真球は、見た目も大きさもそっくりだった。いや、それだけではない。今の僕ならわかる。魔力的にも同質なのだ。恐らく、密度とか耐性とか、その水準で均一なのではないだろうか。
「リン。これは貴重な、いえ、大切なものではないのですか?」「大切か、と問われれば、そうなのかもしれません。ですが、これを持っていると、新しい石玉が作れません。この石玉には、地竜の、地の属性の魔力が強く根付いています。身に付けているだけでも慢性病に効果があります」「それは、二つの石玉を持っていないと、効果は発揮されないのではないですか?」「その通りです。フィフォノの得意なことは話したので、この石玉を作るに至った過程の話をしましょう」
そういえば、僕の背中をぐりぐりしたあとだったか、永く塒で見詰めていた、とリンは言っていたが、やはり地竜の特徴か特性に関係があるようだ。
「大した話ではないので、そのように畏まられると困ります」
「はい。では、葡萄酒を頂きながら、それとなく耳を傾けます」
僕に倣って、フィーも、ごきゅごきゅごきゅごきゅごきゅ。うん、ほんと、この竜は遠慮がない。
「ーーずっと、見詰めていました。見詰める先には、二つの石がありました。何か、切っ掛けがあったわけではありません。ただ、似たような二つの石が、同じでなかったことが許せなくなっていきました。
ひとつひとつ、同じにしていきました。形、大きさ、重さ、色合い、性質、魔力ーー竜の能力の及ぶ限りに、違いをなくすことで、心安くなっていきました。千周期、或いはもっと経ったでしょうか、二つの石玉が『共鳴』しました。ある一定の水準を超えることで、『共鳴』は成るようです。
『共鳴』を知ったあとは、我慢ならなくなりました。同じでないことに。塒を左右対称にしました。整っていないことが許せませんでした。それから、すべてが問題なくなってから、眠っていました。そして目を覚ましたら、そこは別の洞窟の中でした」
ーーん? あれ? 話が脱線、いや、奇妙な方向に辿り着いてしまったのだが、どういうことだろう。
「夢遊病ーーなんてことはないだろうし、眠っている間に移動させられた、ということ?」「そういうことになります。先に話した通り、そこは左右対称の塒ではありませんでした。外に出ると、実際、塒とは異なる場所でした」「聖語使い、は可能性が低い、のかな。となると、残りは、ーー竜」「そうなのでしょう。『千竜王』と同様の結論に至りました」「あ、そうか。目を覚ましたのは、『千竜賛歌』のとき?」「塒でないことに、初めは戸惑い、少し遅れてしまいましたが、『千竜賛歌』には参加しました。その後、おかしな動きをする魔力に気付きました」「ああ、フィーも塒とは違う場所にいたんだ」「なーんー」「それからフィフォノに話を聞きに行ったのですが、まさか話が通じないとは、いえ、意思疎通に難があるとは思いませんでした」「その後は一旦別れたーー、いえ、フィーも『甘噛』や『味覚』を獲得していたということは、一緒に居たのですか?」「そうなります。フィフォノの塒を片付けながら、魔力から得た情報が興味深かったので、フィフォノと一緒に属性を抑えるところまでやりました。その後、元の塒を確認して、移動させられていた洞窟を調べる為に戻ったのですが、そこでフィフォノが飽きて、ぐでんっ、となってしまったので、『千竜王』が再訪するまでは、洞窟を左右対称にしていました」
ーーと、今、何かが引っ掛かった。ぐでんっ、と言ったリンの口調が可愛かった、のはそうなんだけど、いやいや、そうじゃなくて、着目すべきは、フィーが飽いたあと、塒ではなく洞窟のほうに居た、という部分だ。
ここまで二竜と一緒にいて、疑問に思ったことがあった。イリアやリーズのように、僕を、「千竜王」を強く求めてこなかった。フィーとリンが他竜と異なっていると考えるより、洞窟にいることで「欲求」などの影響を、あまり受けなかった、と考えるほうが理に適っている気がする。態々二竜が移動させられたということは、洞窟に何かがある、或いは施してある、といったーーって、そうか、リンが調べたと言っていたので、聞けばいいのか。
「洞窟を調べた結果は、どうでしたか?」「そう、ですね。結論から言うと、エタルキアの仕業だと思います」「暗竜エタルキアーー。そういえば、居るんだか居ないんだかわからない、おかしな反応しかない、みたいなことを百が言っていたけど、以前からそうだったんですか?」「休眠ーーに近い眠りでしたが、聖語時代の後期辺りだったでしょうか。その頃に何かあったような気はしますが、覚えていません」「え……? もしかして五百周期以上眠っていたんですか?」「それが、どうかしましたか?」「ああ、いえ、人の尺度でものを考えていたので、ちょっと驚いてしまいました」
尺度、というか、もう、規模が違うというか。竜に傾いている、という自覚はあるが、こういうところは人の常識から抜け切れていないようだ。いや、そうではない、抜け切らないように、留まっていられるように、快いからと、僕が僕であることを失ってはならない。流されるだけでは「千竜王」の思う壺ーーというのは違うだろう。「千竜王」は、そんな些末なことになど、興味の、意識の一欠片たりとも零すことはないだろう。
「では、何かあるかもしれないので、洞窟の場所を教えてもらえますか?」
リンにペンを差し出すと、きゅっ、と半円を描き込んで、きぃぃゆゅぅ~~、とゆっくり対称の半円を描いて、真ん丸にした。ふぅ~、と額の汗を拭って。一仕事を終えた、とても満足気な笑顔だった。然ればこそ、フィーは地竜からペンを奪い取ってーー。
「てーっそーっ」「「「「…………」」」」
止めて! 塗り潰さないで! と言いたかったが、ご機嫌な氷竜に掣肘を加えることなど僕に出来ようはずもなく。リンの白丸の、三倍くらい大きな黒丸が、地図に、どでんっと降臨あそばされました。と、そこで、古びた本が視界に入る。
……あ、仕舞った。ガリシュ村に行って、本を返してくるーーという任務を入れ忘れた。いや、というか、この本の出所を聞いていなかった。ーーああ、ガーナは、そこら辺のことも、僕から出された課題とか、思ってしまったんだろう。
「この地図は、現在の四つの地域と違って、三つの地域? でしょうか、今とはだいぶ異なっているようですね。二人は、この古地図について、何か知っていることはありますか?」「いえ、私は知りません」「話だけは聞いたことがあるな。元々、東域は、エタルキア様とフィフォノ様とゲルブスリンク様の土地だったって」「そのようです。聖語時代から、三つの地域は、三竜の名で呼ばれていたようです」「これは、下位語のようですね。この大きな三つの文字列が、三竜の名前ってことなのかなーーと、これは?」
兄さんから習ったことの一つ、頭の中で二つの地図を複数の手段で重ねていると、普通に重ねただけで、あからさまとも言える点が浮かび上がってくる。
「これは、重なっているようですね」
コウさんが制作した地図に、古地図の国境線ーーではなく、地域の境界線を引いてゆく。どちらの地図も、複数の線の接点ーー東域の中心は変わらないが、それ以外で、境界線が交わる箇所が四つある。果たせるかな、内二つは、フィーとリンが居たという洞窟。
「洞窟は、中央よりも北側に、同じく、中央から左右に、等間隔で離れていますね。残りの二つは、中心点の上下に。線で繋げば菱形になりますね」
話しながら、線で繋いでゆく。まだ確定ではないが、意図せずこのような、くっきりとした形にはならないだろう。然し、そうなると、二竜はいつ、塒から洞窟に移されたのかが重要になってくるのだが。
「この古書には記されていませんでしたが、東域が現在のように、四つの地域に分かれたのが何時か、誰かわかりますか?」「こういうのは、エイル、物知り爺、とか嘯いていた、ほっかむりの出番だろう」「誰が、ほっかむり、だ! はぁ、古語時代の地図は見たことがある。三王とやらが居たのなら、そのあとで四つの、今のように分かれたと考えるのが自然だろうがーー」「そうですね。もしこれに何者かの意思や思惑が絡んでいるのなら、決めてかからないほうがいいのかもしれません」
竜にも角にも、時期は措くとして、そうなると残りの二箇所の特定から始めるべきだろうか。
「んーなー」「え、そうなんだ。そうなると、フィーの言う通りかな。こちらが一角として、特別な意味合いを持たせるとなると……、……あの、その、リン様? 窓の外に、でっか過ぎる岩が見えるのですが、どうにかして頂けないでしょうか……?」
リンは、構わず手を、ぶんっ、と振り上げたので、二竜の魔力で地竜の腕をぐるぐる巻きにしながら、怒りを鎮めていただく為に、全力で阿る、もといフィー語を訳すことにする。
「リン様っ、リンさんっ、リンちゃんっ! フィーはこう言ってます! 菱形の下の交点からは、変な魔力が感じられたと! よくわからない魔力だと! というわけで、ここにエタルキア様が居るのではないかと愚考した次第であります!」
どっす~ん、と遠くに何かが落ちる音がした。エイルさんとナッシュさんの二人は、先に地震を起こした存在に思い至ったようだが、目線で黙るように訴え掛ける。
「その可能性は高いと思います。ただ、ここに三竜を配置したとなると、こちらの北側の、菱形の上の交点にも、竜を配置しているのでしょうか」
上下の二点には、行ってみないとわからないかな。と結論付けようとしたところで、
「おっ、あれあれ? これはーー」
エイルさんは地図を手に取って、顔を近付けて、じぃぃ~と穴が開くほど見詰めて。
「そうかそうか! そうだったのか、まったく、気付かないなんてどうかして、はっはぁ、そういうこと……」「リン様の……」「リンちゃん、が良いです」「……リンちゃんの準備は万端のようです」
僕のお願いを聞いてくれた地竜は、振り上げた手を、くいっくいっと。すぐに話しますか、それとも人生終了しますか(訳、ランル・リシェ)? と見せ付けるリン。
「私を巻き込むでない。とっとと話せ、負けギザマル」
「まぁなぁ、話すけど、話すけどな。少し長くなるから、ちょっと待ってろ」
葡萄酒の容器を持って、部屋から出ていくエイルさん。ちょっと、と言っていたが、がたっ、とか、ごとっ、とか家探ししているような音が聞こえてくる。ナッシュさんが気付いて、腰を上げようとするが、時すでに遅し。戻ってきたエイルさんは、二竜の前に、秘蔵の品を差し出す。竜眼が輝いた瞬間、ばりばりむしゃむしゃぼりぼりがつがつ。
「侍従長は、葡萄酒はあんまり好きじゃないのか?」「美味しい酒なら大丈夫ですよ。そうじゃないものは、必要じゃないときには飲みたくないですけど」「人のものを勝手に飲み食いして、何という言い草。きっと、フィフォノ様とゲルブスリンク様が竜罰を下してくださるでしょう」「こーとー」「はい、あ~ん。ん、秘蔵と言うだけあって、これは美味しいですね」「そら、さっさく竜罰が下ったようだぞ。おっと、わしにも罰を与えて下さるのですかな、あ~ん」「欲しい、のでしょうか?」「……はい。頂きます、あ~ん……」
とまれ、二竜も人に馴染んできたようなので、秘蔵のお菓子が食い尽く(りゅうにじゅうりん)されるまで、閑談の時を過ごす。
「実は、わしは地図のここ、ヴァリシュタの出身でな、といっても十歳になる前にこっちに来たから、大まかなことしか知らんのだがな」「移住した、ということは、何かあったのですか?」「そうだな。何かはあったんだろうが、親父たちは教えてくれなかった。当然、以前よりもひもじくなって、それでも変わらず人が好いだけの親父たちに愛想を尽かせて、王都の教会に潜り込んだ。ーーと、これは関係ない話だったな。でだ、答えから言っちまうと、この、上の交点は、百周期前くらいまでは重なっていなかったんだ」
エイルさんはペンで、もう一本の、別の線を書き加える。
「ここは、湿地帯ですか?」「そうだ。現在、湿地帯は、グラムブル国の領土となっているが、百周期前くらいまでは、ムーセリン国とアリスバッハ国が二等分していた」「戦で勝利して、獲得したーーといった単純なことではないようですね」「まぁ、目的は単純だった、とも言えるがな。グラムブル国は、二国から湿地帯を金で買った。利用価値のない辺鄙な場所だからな、合意の下に割譲された。で、その後に判明するわけだ。そこの湿地帯にいた魔物は、風土病の薬になるってな」「なるほど。二国としては、取り返したいでしょうね。でも、グラムブル国と二国は、隣り合っていても別の地域にありますね」「そういうことだ。取り返すには、戦争を仕掛けなけりゃならない。だが、仕掛ければ、グラムブル国だけでなく、彼の国の地域の、別の国々まで相手にする羽目になる」
地域外の敵には、越境してくる国には、地域の国々が纏まって対処する。東域の、地域ごとの結び付きが強い故に定着した、習わし、のようなもの。それを利用したグラムブル国は、狡猾とも言えるが、無論、それだけで済むはずがない。いくら地域内の同胞意識が強くても、利用されて喜ぶような者がいるはずがない。然も、地域内では、幾らでも争うことが出来るのだから。下手をすれば、複数の国から同時に報復されることになるだろう。
「リン。どうかした?」「後で、にするので、進めてください」
考え込んでいたので聞いてみたが、二人の前では言い難いことだったのだろうか。後で話してくれるようなので、今は地図上の、四角形から三角形へと変化した交点に、ある意味、これ以上ないくらいにわかり易くなった図形について皆に諮る。
「上の交点がなくなると、残りの三つは、正三角形になりますね。そして、その重心は、図らずも、と言っていいものか、東域の、地域を分ける中心点。ーー地図で見ると、ここらには山があって、然し、中心点の近くには国の表記がありませんね」「中心点の近くは、左右の地域に接することになるから、攻められると地域の支援を受け難いから、そこら辺は手付かずのままーーみたいなことを昔、聞いたことがあったような?」「ここに何かある、みたいな話や伝承、吟遊詩人、お伽噺でもいいんですけど、何かありませんか?」「人を寄せ付けない場所なら、エタルキア様の棲み処、などの噂などがあってもおかしくないところですが、特段何かを聞いたことはありません」「不思議、と言えば不思議だが。地図で見なけりゃわからない、日々の生活とは関係ない、利益にならない、とか、そこら辺が絡み合って、忘れられた土地になったのかもしれんな」
さて、貰える情報は搾り取った(もらった)ことだし、ここらでお開きだろうか。
「その箱の中には、エタルキア様の服も入っているのですか?」「はい。そこは侍従長殿にお任せいたします」「エタルキア様と逢えるかわかりませんし、竜信仰の象徴として、一着は残しておいたほうが、いいかな?」
エタルキアが、他の古竜のように十歳くらいの容姿とは限らないので、ボーデンさんに仕立て直してもらうのは、時期尚早か。
「ずっこいな」
箱を持って立ち上がった僕を、エイルさんが上目遣いで見てくる。
「確かに、ずるずるですな」
何だかんだで仲が良いナッシュさんも、不信感、というより不貞腐れた顔で見上げてくる。まぁ、彼らの気持ちもわからないではないが、戻ってくるという保証はないので、そこら辺は諦めてもらわないと。
「わし等から情報だけせしめて、あとはほったらかしとは、いいご身分だことで」
「あとで顛末を教えてくれたとて、竜罰は当たらないでしょうに」
うわ、二人だけでなく、二竜まで僕を見上げてくる。ねぇ、邪竜なの? やっぱり邪竜なの(四者の視線に耐えられなかった表情捏造士、ランル・リシェ)? と竜眼には逆らえない、というか蔑ろには出来ないので、いや、正直に言おう、竜に失望されたくないので、まぁ、ここで妥協することが失望に繋がるとは思えないのだが、竜は振り返り捲り、と。
「……読んだら焼く、という条件で、あとで手紙を送ります」「まったく、最近の若者はなっておらんな。んなの、当然のことだ」「侍従長殿は、遍く竜に、そして今は、フィフォノ様とゲルブスリンク様の、魔力の祝福を与えられていることを、もっと自覚したほうがよろしいでしょう」「……ナッシュさん。本音は?」「もっと敬老の精神をもって、老人を労わりましょう」
竜信仰を隠れ蓑にしているナッシュさんから、至極真っ当なことを言われてしまった。老人ーーと言えば、その容姿から忘れそうになるが、老師。コウさんの魔法が、いみじくも効果が発揮されるかわからないので、急ぐことに如くはないのだが、そうだった、老師もそういう意味ではあまり信用が置けないのだった。スナ達の調査が終わったら、一気に決着をつける必要があるかもしれない。ナトラ様に言われた通り、危機感の欠如、というより時間に対する感覚だろうか、望まぬ方向に進まない為にも、定期的に精査をーー紙にでも書いて、明文化しておいたほうがいいだろうか。
「ボーデンさんのところまで、食べ歩きしながら行くので、美味しいお店の情報をください」「ほうほう。食いもんのことなら、わしに任せとけ」
出涸らし、と言えるくらいに情報を、と言いたいところだが、この辺で勘弁してあげよう。見ると、リンは石玉を見詰めて、踏ん切りが付かないようだったが。
「ほーんー」
ぱしっ。とてとて。ぱしっ。
もう少し丁寧にしても、と思えるくらいに荒っぽく、リンから石玉を奪い取って、ナッシュさんの両手に叩き付けるように置く。でも、地竜の未練を断ち切るには、これくらいやらないと駄目だったかも。取り返すことも出来たリン。もしかしたら、これまで、何かを失う、という体験をしたことがなかったのかもしれない。竜から奪える存在など、この世界にはいなかった。いや、いない、と言うのは言い過ぎだろう。然し、竜の殆どは、それらを幾らでも反故にすることが出来た。ーーとと、不味い不味い。思惟の湖に潜っている場合じゃなかった。未だ見詰めているリンの手を取って、自分から握ってきたフィーの手も、優しく包んで。謝辞を述べてから、部屋を辞したのだった。
「来ち……まったか」
扉から僕たちが入ると、視線を下に、頭にやった両手をぐしゃっと握って、苦悩というより諦めの表情を浮かべるボーデンさん。ぱらっぱらっと、髪の毛が作業台に落ちたが、うん、見なかったことにしよう。
「フィーとリンの服だけ貰ってきました。エタルキア様の服と同じで、大人、というか、成人ならぬ成竜? を想定していたんですね」
「はは、そりゃそうだ。竜が子供の姿だなんて、想像できるほうがおかしい」
ボーデンさんは、僕を見ていない。その双眸は、作業台に置かれた箱から、一時たりとも逸らされることはなく。恋人との別れ、いや、古き友との再会だろうか、苦痛でも葛藤でもなく、然りとて祝福というわけでもなく、くすんでしまった何かは、周期浅い僕にはわからない領分だった。僕が脅したことなど切っ掛けに過ぎない。今の彼の頭からは、僕たちの存在すら消え去っているかもしれない。このまま立ち去ろうとしたが、声が掛かる。
「部屋はあるから、泊まっていってくれ」「ーーわかりました」
服を着る対象が近くに、目に見える場所に居たほうがいいのだろうか。ボーデンさんは身動ぎ一つしないので、二階に上がって自分たちで探すことにする。弟子たちが住んでいた部屋だろうか、泊まれそうな部屋はすぐに見つかった。店内と同じく、汚れているわけではないが、長く使われていなかった所為か、湿っぽい、つんっとした臭いがしたので、
「『浄化』みたいな魔法があったら、使ってもらえないかな」
窓を開けながら、二竜に頼む。既視感なのか何なのか、晴れた空を見上げると、ゆくりなく魔法使い(おんなのこ)の得意気な顔が、ふっと僕の心を温めたので。竜にも角にも、よくわからないものを否定しながら、フィー、だけでなくリンにも、ちょっとまだ信頼し切れない二竜に言葉を掛ける。
「あ、遣り過ぎないでね」「遅かったようです」「とーっうーっ!」「…………」「フィフォノだけに任せるのは地竜の沽券に係わるので、幾種類かの付与魔法を掛けておきましょう」「……フィーとリンの魔力に満たされているからか、初めて来た部屋だというのに、翠緑宮の居室のような安心感があるね」
僕の居室や翠緑宮の屋上ほどではないが、この部屋も魔力的におかしな場所になってしまったようだ。行使された魔法は知覚できないが、雰囲気が変わったことはわかる。二竜はさっそく、六つある寝床の下調べ、というか、品定めを行う。竜にとって、寝床は、寝心地は重要な要素なのだろうか。……うぐっ、ラカの感触と匂い、いや、心地と言うべきか、僕にずっとくっ付いていた風竜の不在に、隙間風のような寂寥感と喪失感に苛まれてしまう。「未来の風をこの手に」作戦の為には、しばらく離れる機会を設けたほうが得策と、実行してみたが、これは不味い、僕のほうが耐えられないかもしれない。フィーやリンは、スナやラカほど僕に接触してきて(たましいをふれあわせて)くれないので、ん~、いや、どうだろう、嫌われることはないと思うが、二竜との過剰な接触は控えておいたほうが賢明だろうか。
「リン。後で、と言っていたけど、どんなことかな?」「判断は『千竜王』に任せようと思ったので、黙っていることにしました。先程の上の交点、湿地帯の、周辺の地域の名称を見てください」「地域? ーーあ、……あはは、どうして気付かなかったんだろう。ゲルブスリンク山地とフィフォノ高原って書いてあるね。ということは、諍い、とやらは、この湿地帯、えっと、古地図だとヴァリシュタ、新しいのだと、グラムブル国の領土だけど、名称はないか。諍いは、三国でなく、二国なの?」「グラムブルとムーセリンの間で起こっています。アリスバッハは、準備を整えて、機会を窺っているという感じでしょうか」「漁夫の利ならぬ炎氷の利……と言ったら、あとで酷い目に遭わされそうなので、風地の利……いえ、それも少し違うようなーー」「「…………」」「えっと、ごめんなさい。邪竜が側転したのを目撃したような、そんな目で見ないでください」
諍いの理由はわかった。いや、話を聞く限り、表向き、と言っていい情報に過ぎないようだが。まだまだ疑問点は多い。二竜から、聞けるだけ聞いておこう。
「百周期前に割譲したのに、今更動いたのには、何か、動くだけの変化があったってこと?」「風土病の薬になる魔物とやらは、疾うの昔に絶滅しています」「はーなー」「往時、グラムブル国には、幾つかの派閥があって、奪い合いになったそうです。一周期と経たず、件の魔物はいなくなって、以後、三国の間で何度か、要らなくなったのなら湿地帯を返せ、いや、返さない、みたいなことがあったけど、何故かグラムブル国は、湿地帯に固執して、有利な条件でも返すことはなかった。とフィーが言ってます」
フラン姉妹風味で言ってみる。振り返ってみると、サンが一人で喋っていたのは、あれはあれで見応え、ではなく、味があったような。この先、二人には、また変化の兆しが現れるかもしれない。いや、こちらの案件は、スナとナトラ様に任せてある。氷竜地竜、って、フィーとリンも氷竜地竜だったか、氷地の報告を聞くまでは、過度の心配、もとい気を回すのは控えておこう。
「ーー何故フィフォノは、それほどまでに精通しているのでしょう?」「それなんですが。意地悪竜なフィーは、教えてくれません」「いーっんーっ!」
えっへんっ、なフィー。みーと違って、不機嫌な顔だが、それはそれで魅力満天なわけなので、……溢れそうになった何かを必死に抑え込んで、フィーをぎゅぎゅぎゅ~とする為に動き出していた体を、炎竜と氷竜に止めてもらう(ゆうざいかくてい?)。
「ーーフィフォノの秘密部屋に答えがあるような気がします」「秘密部屋、ですか?」「フィフォノの塒に赴いたとき、最深部だけは入るのを止められました。片付けを最後まで出来ないことは、身が固まるほど心残りでしたが、それで理性を失っては、地竜の名が泣きます」「竜にも秘密にしたいことはあるでしょうし、フィー。『フィーの秘宝』のことは、あとでこっそり教えてくれるかな?」「だーかー」「…………」「って、フィーは教えてくれなかったからっ、まだ作りかけの石玉をふよふよさせるのは止めてくださいっ!」
作りかけと言っても、やはり手慣れているのか、形はすでに真ん丸である。魔力的には同一ではないので、「共鳴」には至っていないようだ。ナトラ様といいリンといい、どうしてこうも実力行使が大好きなのか。いや、おかしな言い様になってしまったが、地竜は皆、こんな感じなのだろうか。「騒乱」後、疫病について調べた際に逢った地竜は、理性と悟性の塊のような存在だったので。何というか、市井人が想像する、正に叡智を具えた生物種の頂点、という印象そのままだったので、彼の竜が例外かはわからないので、地竜への評価を下すのは先延ばしにすることにしよう。
「らーねー?」
フィーが目敏く発見したようだ。弟子の忘れ物だろうか、スナよりも色味が薄い氷眼には、興味の欠片もなく、地竜にぽいっとする。盤と、箱に入った駒。フィーとは対照的に、竜棋を受け取ったリンの石眼が、初めて玩具を与えられた子供のように輝く。リンの寝床に座ると、フィーは僕の膝の上にーー足を置いて、転っと半回転すると、合っ体っ、と肩車。くっ、これはリンへの有利な条件ということか、フィーの太股の感触を堪能することで僕の集中力や判断力といったものを低下させることを……げふんっげふんっ。
「駒の動かし方を教えてください」「ん? 身に享ける魔力から、伝わっていない、ということはありませんよね?」「伝わっています。間違いや不正は少ないほうが良いので、齟齬などがないように確認したいだけです」「わかりました。勝負は、幾つか定跡も覚えて貰ってからにしましょう」
と、気軽に受けてしまったことを、夜空の星を見ながら、後悔しまくることになるとは露知らず、懇切丁寧に指導して。竜と人では、時間の概念が違うのかなぁ、などとも思ったけれど。何かを失う、ことだけでなく、負けること、も初めてだったのかもしれない。負けず嫌いは竜並み、って、リンは竜だから、それに竜が負けず嫌いだなんて風評はないので、これは二重に間違っているのかな。……とそんなことを考えたのは、何局前だったか。ヴィッタのやけ食い、というより竜食い(大食いの最上級の言葉)のリンを何とか説得して、勿論手加減はなしで、氷竜風竜落ちで、仔炎竜みたいなぽっかぽかな笑顔を見てから倒れたので。フィーが落っこちてきたり、まだ寝かせない、みたいなことをリンが言っていたりしたようだけど、まぁ、今日も色々あったけれど、終わり良ければすべて良し(きょうもあしたもあさってもりゅうりゅうびより)、ってことで、竜と違って限界な僕は、気絶するように目を閉じたのだった。
ぐりぐりぐり。ぐりぐりぐり。
「…………」
……うつ伏せの、ぐいっとして、露出した肌色を隠して、動かない体は、痛いのは地竜で、氷竜のお尻に釘付けで……、ーーいや、申し訳ない、寝起きということも手伝って、頭が氷竜地竜だったようだ。
ぐりぐりぐり。ぐりぐりぐり。
「おはようございます、リン」「おはようございます、『千竜王』」
体を持ち上げると、僕の予想以上の寝相の悪さだったので、お尻だけでなく、色々なところがあれだったフィーの服を整えてあげる。
ぐりぐりぐり。ぐりぐりぐり。
「……もしかして、もう一勝負、したいのですか?」「気付いてしまいました。『千竜王』に苛められて、痛めつけられて、振り回されて、遊ばれて、弄ばれて、貫かれて、弄られて、しゃぶり尽くされて、この身と魂が凌辱されるような体験は、振り返ってみれば、……嫌いではありませんでした」「…………」
朝っぱらから、勘違いしている人がいたなら、自分から竜のお口に飛び込んでいってください。然もありなん、勘違いなど微塵もしていない僕は、敗北もまた学びの機会である、と竜棋から刻苦勉励した地竜の心境を慮って、ぐりぐりを甘んじて受け容れる。……うん、まだ何かおかしいので、頭に炎竜氷竜がたんまり(かつをいれよう)。
「ふぅ~、二つ音には、まだ至っていないかな」
地竜から解放されたのは、深つ音をだいぶ過ぎてからだったから、この時間の起床も已む無し。ぐりぐりを終えると、僕から離れる地竜。背中に、ぺたりとくっ付いてきて欲しいとか思ってしまった、期待してしまった僕は、駄目な奴なのだろうか。これは不味い。ラカと一緒に(にちじょうになって)いた所為で、感覚というか嗜好、もとい思考が麻痺しているのかもしれない。
「さて、仕立て直しが終わるのと、戦いが勃発するのと、どちらが早いかな」
いや、これは不謹慎だったかもしれない。介入することを決めているとはいえ、戦争を、国同士のいざこざを、軽々しく扱うのは良くなかった。フィーとリンが居ても、彼らが守護を謳っている竜だとしても、史を繙けばわかる、嘗て僕が経験したように、正しい道を見失って、破滅まで突き進んでしまった人種の例は枚挙に暇がない。
「旅立ったようです」「……は?」
理性が僕の頭から旅立とうとしていたので、逃がしてなるものかと、欲望の軍勢を嗾けて、強制送還させる。フィー語を解する僕なら問題ないと思っているのか、追加情報はないので、一呼吸で。渦を巻くように意識を巡らせて、ここにいない人物と、採り得る可能性を拾い集める。
「もしかして、ボーデンさん、逃げましたか?」「もしも、そうだとしたなら、それもまた答えということでしょう」「う~ん。どちらにせよ、時間が掛かるのなら、彼の弟子だった人の店に行って、間に合わせ、というのは失礼ですが、服を調達しましょうか」
軽く揺すってみたが、フィーは起きなかったので、リンと一緒に一階に下りる。すると、もわっ、と熱のようなものが肌を転がっていった。この感覚、というか感触は、よく馴染んだものだ。里では、当たり前のように皆が、望む先に向かって走っていた。
まだ冷めていない、名残のようなものが漂っていて、作業台の上には紙が一枚あって。
「旅に出るから、捜すなーーと殴り書きしてあります」
読み上げたリンと、僕の視線は、同じ方向に向けられていて。仕立て直された服が置いてあって。ふぅ~、と溜め息一回、職人の心情を思い做す。
「あれだけ色々言っていたのに、いざ向き合ってみれば、体が、魂が求めていたのか、夜もすがら我を忘れるほど炎竜の虜になって。完成してから氷竜に熱情を冷まされてしまって。悩んでいた分だけ、苦悩していた分だけ、これまでのすべてが跳ね返ってきて。居た堪れなくなって、でも、ここには僕たちがいるから、隠れ竜してしまったと」
まぁ、リンが言っていたように、それもまた答え、ということだろう。結果論かもしれないが、彼を堰き止めていたのは彼自身だったのだ。ひとつひとつ積み重ねて、何より心を錆び付かせてしまった。ふと、ベルさんの姿を思い起こしそうになるが、竜にも角にも、ボーデンさんのように、竜から逃げることだけはすまい、と心に刻むーーいや、結構逃げ捲っているような気がしないでもないが、知らぬが邪竜。
はぁ、何だかなぁ、という気分ではあるが、ボーデンさんに紛う方なき感謝を、サクラニルとエルシュテルに、あとはアニカラングルにも彼の道行きを祈っておこう。
「じゃあ、リン。フィーの分もお願いね」「竜の裸が見たいのなら、見ても構いません。慣れてしまったほうが、良いのではないですか?」「えっと、どうだろう? こう、異性、ではなく竜への、憧れ、みたいなものは、夢見る少年のように、ずっと持っていたほうが、いいような?」「そうですか。では、妄想するのも、発情するのも自由なので、人種の少年のように、赤面しながら待っていてください」
うん、リンはきっと、人種の少年とやらについて、誤解しているようだ。思春期の男は、一日に百回発情する。と里で臆面もなく師範(二十代の女性)が、多感な周期頃の僕らをもにょもにょな気分にさせていたが、……いや、何処に辿り着いても僕の負けな気がするので、もうこの話はここまでにしておこう。
リンを見送ってから、作業所の奥へ、食堂を探す。竜は食べなくても問題ないが、二竜は、食べる、という行為が気に入ったようなので、十分な食材があれば、手料理を振る舞うというのも悪くないだろう。ボーデンさんの血色は良かったから、外食していないのであればーーおっ、見たことのない食材が幾つかあるようだが、問題ないだろう。
「肉は、ないか。小麦粉があるし、時間があるかわからないから、以前クーさんが作っていた汁物にするかな」
小麦の質も、氷焔が、というより、コウさんが入手していたものより粒が粗く、色も濃いが、竜には毒は効かないし、いやいや、これはボーデンさんに失礼だ。氷焔と行動を共にしてから、食事情に恵まれていたので、口が奢っていたかも。竜の雫も使い捲って、銅貨を持つことさえなかった子供時代に比べれば、金銭感覚もおかしくなっている。慣れ、というものは恐ろしい。竜意、もとい留意しておかなければ。
「乾燥肉もないし、煮込めば味は染み出してくるけど、もう一味欲しいな」
魔法使いの発明で、昔より肉の保存が利くようになっている。「荒砂」と言って、砂の中に肉を埋めておくと、保存だけでなく旨味まで増すのだ。「荒砂」の高級品に「粒砂」というものがあるのだが、本末転倒、というわけではないが、この「粒砂」は肉より高価いのだ。然も、「荒砂」と違って、一度しか使えないという、正に贅沢品。まぁ、コウさんは、自分で作ったらしい「粉砂」を使っていたので、あの味を思い出すと、せめて「粒砂」くらいは……はぁ、留意とか言っておいて、さっそく贅沢な思考に流れている。料理の腕は人並みなので、創意工夫で補わないと。僕の血……って、いやいや、そうじゃなくて、魔力は……うぐっ、だからそういうことでもなくて。変だなぁ、僕ってこんなに安易に結果を求める性格だったっけ。
「フィフォノ、好い加減しゃっきりしなさい」「で…も…」
振り返ると、椅子に座らされているフィー。いつもの不機嫌な顔に、眠気と相俟って、罅が入った氷みたいなんだけど。
ーー凍った花。然し、柔らかな心象が、フィーを飾り立てている。
クーさん作の服に比べると、貴族趣味が、いや、クーさんが遊び心を表現しているとするなら、ボーデンさんは古き良き伝統を、といったところだろうか。さすが本職だっただけあって、細かいところまで作り込みが凄い。クーさんは欲望が駄々洩れ(アレ)な感じだったが、勿論それは非常によろしかったわけだが、彼は竜の威厳を念頭に置いていたのだろうか、格調高いものに仕上がっている。
ーーリンは。これは、隙がない。紙一枚、水一滴すらも入り込む余地がないほど、かっちりと決まって、いや、極まっている、と言ったほうが正しいだろうか。然し、退屈さは微塵もなく、竜が具える、幻想と憧憬はしっかりと醸されている。
「フィーも、リンも、よく似合ってるよ。『凍結』は無理かな? 『保護』か何かの魔法は掛けた?」「フィフォノが『凍結』を使いました。言葉遣いと異なって、見本となるような、熟練と言って良い、魔法の使い手です」「実は、正統派とか? 完成されたものを崩すようなことはーー創意工夫とか、そういうことはしないのかな?」「ね…で…」
寝起きの所為か、フィー語に切れがない。まぁ、いつもの罵詈罵詈な悪口雑言よりこっちのほうが断然増しなのだが、でも、フィー語を解せるのは僕だけなので、氷竜のあるべき姿を理解する為にも、慣れるよう努力するべきだろうか。
「リンの石玉のように、違いが見つからないように、魔力を無駄なく使うことが、美しさに繋がる。とフィーの言葉を脚色してみました」「それはわかります。フィフォノの魔法には、美しさがあります。ただ、そうであるが故に、戦闘には向いていません」
戦闘には不向きだと、リンは判じたようだが、それも使い方しだいだろう。竜棋でのリンが良い例だった。一枚落ちの時点で、僕を負かすことが出来たはずなのに、弩外道、もとい戦略戦術を駆使した僕に振り回されて、指し手を乱されることになった。
「はい、出来ましたよ。そういえば、クーさんは料理名は言ってなかったっけ。小麦のもちもちとした食感を楽しんでください」「それでは、さっそく頂きましょう。竜を見守り導く『千竜王』の施しに感謝いたします」「……何だか、僕に祈っているような感じになっているね。ーーサクラニル様、糧の上に知識と想像力を、今日もまた、積み上げる機会を与え給え」「もーねー」「え? フィーにも祈りを捧げろって? ーー今日も氷が冷え冷えでありますように、石がかっちかちでありますように、……あれ、何か違うような」「凄く美味しいわけではありませんが、何故だか心安くなる味です」「はは、ありがとうございます。塩加減が良かったかな」「料理を作った者が、感謝の言葉を口にする、というのは面白いです。『味覚』の能力をより良く知る為に、料理をしてみるというのは有益な手かもしれません」「ひーみーっ!」「あ、うん、お代わりだね。一竜三杯までだから、慌てずに食べてね」「昨日の焼き菓子で学びました。ほぼ無制限に食べられるからといって、食べ過ぎるのは良くないと、ーー人種が言うところの、味わう、ということからやってみましょう。この小麦のもちもちは、その都度汁に付けると、味に違いが出ます」
和やかな食卓。二竜とも余さず三杯食べて、リンが片付けの手伝いをしてくれる。フィーは魔法で水を出したり乾燥させたりと、一家に一竜欲しい便利竜として活躍していた。
「リン。動きはあるかな?」「お互いに斥候を放って、慎重に行動しているようです。生き死に、場合によっては国の命運が懸かっているのですから、人種に鑑みて、予想より遅れているのは当然だったようです。あと半日、早くて夕刻、夜を跨ぐのであれば、明日の朝となるかもしれません」「不測の事態、というものは、慢心さんや油断さんの大好物なので、ぼちぼち近くまで移動しておきましょうか」
もっと、まったりとしていたいところだが。穏やか過ぎて目的を忘れてしまいそうなので、早目に店を出ることにする。二竜の服が入っていた箱の中に、フィーとリンは、それぞれ三個ずつ、竜の雫を置いた。一個でも構わない、と事前に伝えたので、どうやら二竜とも服が気に入ったようだ。
「そちらは逆の方向ですが、何処に向かうのでしょう?」「野暮用、と言うと、ちょっと違うかな。趣味とか好みとか、嗜好の領分だろうし、何かしら情報が得られるかもしれないので、確認に行ってみようかなと」「……?」
もったい振った言い方をしている内に、目的地に到着。尚又、この街に来たときと変わらず、目的の人物もそこに居た。まるで一日を巻き戻したかのように、木陰に薄縁を敷いて座っている御大。穏やかに笑っている、その目に一瞬だけ宿ったのはーー。
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、服は手に入れることが出来たようじゃの」「ええ、お陰様で。御大は、どこまでわかって(・・・・)おられたのですか?」「んん? 何のことかの?」「当然、生き字引を自称する御大なら、ボーデンさんの事情は知っていましたよね。それ故に、ただ僕たちを向かわせるだけなら、意味がないということもわかっていた。そして今、フィーとリンを見て、驚くことなく、興味の視線を投げ掛けてきた。これらを線で繋ぐ、最も簡単な理由は、フィーとリンが竜だと見抜いていた、ということになるのですが、如何でしょう?」「ふぉっ、ふぉっ、若いのに大した……」「というわけで、この御大の正体は竜だと判明したので、二竜とも、息吹を浴びせちゃってください」「つーなー」「わかりました」「ふぉっ! こっ、こら!? 勘違いするでないわっ!!」「だそうなので、息吹は空に、お願いします」「「ーー?」」
え? という文字と疑問符を顔に書いて、僕を見上げる二竜。手を繋いでいるので、左右から僕の顔に向かって十字息吹。
「ぼーっ」「んーだーっ」「ひぃいぃっ??」
まぁ、そうだとは思っていたけど、間近で見た竜の息吹に驚いているということは、御大は竜ではなかったらしい。途中で止めてくれる、なんてことはなくて、二竜は息吹を、きっちりと吐き切ったのだった。
「……やはり、化生の者であったのかのぉ」「……もしかして、フィーとリンではなく、僕を視て、真相に辿り着いたのですか?」「リシェ、だったかの。おんしは、隠しているようで、隠し切れておらんかった。昔から、魔力には敏感での、おんしは、明らかにおかしかったのじゃ」「ーーここのところ、僕にも変化があったけど、その所為かな? んー、竜にも角にも、御大は、街に来た者であれば大抵が通る、この場所で、穏やかな見張り、をしているのですね」「正解じゃ。おんしが話し掛けてこんかったら、息子に伝えにいったじゃろうな。じゃが、追い出すのも監視するのも無理なことはわかっておったからの、目的を達成してもらうよう動いたというわけじゃな」
もう引退しているようだが、恐らくは街の有力者だったのだろう。危険だとわかっていて、それでも動いたということは、それだけこの街を愛しているのだろう。
「フィフォノ様とゲルブスリンク様を連れているとなると、おんしは、噂の、竜の国の侍従長ということになるのかの? 南の魔力と何か関係があるのかーー」
もう隠す必要はないのか、鋭い、探るような視線を向けてくる。魔力に敏感、と言うだけあって、かなり距離があるというのに「発生源の双子」の魔力放出に気付いていたらしい。然あれど、そこまでが限界のようだ。中途半端にわかってしまう分、始末が悪い、とも言えるが。
「そんな目を向けてくれるな。わしは、ただの耄碌爺じゃよ。竜や竜人に勝る見識など持ち合わせておらん。ただ、街に危険があるというのなら、知っておきたいと、そう思っただけじゃ」「魔力の発生源は、僕たちが何とかします。失敗しても、被害はその国だけで済みますが、大失敗したら、人種が滅びるかもしれませんが、概ね三つのどれかに落ち着くと思われるので、エルシュテルに祈らなくても大丈夫ですよ」「聖竜~聖竜~、つまり、わし等に出来ることなんてないわけじゃな。それはそれで落ち着かんが」「……エイルさんも使っていた、そのおまじないのようなもの、御大が広めたのですか?」「ふむ。良いじゃろう? わしが流行らせた。とはいえ、若者は使ってくれんがのぅ」
ああ、しょぼくれてしまった。まったく、晩周期だというのに、忙しい御大である。
「ガリシュ村には行くのかの?」
答え合わせ、なのかどうか、終えたので、そろそろ木陰からお暇しようかと思ったら、御大が何気ない調子で尋ねてきた。
「村の上空を通ることになるかもしれませんが、何かあるのですか? 御大ならば、竜が係わることの意味を、ご存知だとは思いますが」「時間がないのなら、勧めはせんよ。ただ、ザリアやガーナ、他の者たちの、一連の経緯を知りたいのなら、消化不良が気になるというのなら、それこそ、竜だというのなら、当人たちから聞くのも、有り、じゃと思っただけだの」
飄々(ひょうひょう)としているが、はぁ、食えない御大である。竜を利用しようなど、傲慢極まりないが、御大がその意味を理解していないはずがないが、彼はそれでも口にした。
「ああ、御大は、怒っているのですね」「ーー村は、街の近くにあるからの。親交もあった。じゃが、このままなら、もう二度と係わることはないじゃろうな」「もう一声、ください」「……裏切り者、のことは知っているかの?」「ガーナから聞きました。その様子ですと、この街にもガリシュ村にも、その人物は居ないようですね」「確たる証拠はないがの。息子が調べた範囲で、じゃがな、盗賊だか野盗だかの、ならず者たちに拾われて、その後、足取りから村に向かっているかもしれないと、言っておった」「領主には、もう報告したのですよね」「ーーそこは、大丈夫じゃ。わし等が、どうにかする」
フフスルラニード国でもそうだったが、他国で勝手に動くと、面倒な問題に発展することがある。今回の「発生源の双子」のように、世界の危機となれば、竜の傲慢さで押し通すことも是とする場合はあるが。「スリシナ街道」や「氷雪の理」のように、一方的に、相手が納得できる形で解決できないとなると、はてさて、どうしたものやら。
「フィーとリンは、どう思う?」「りーしー」「正直に言うと、人種の罪人と罪人がどうなろうが、興味はありません。ただ、『千竜王』が動くというのなら、そちらを優先します」「……お土産として、街の特産のお菓子は如何でしょう? 気紛れでも構いませなんだで、ときどき街を見に来てくださるのなら、その度に、特別製のヴィッタを、たんまり差し上げましょう」「「っ!」」
ああ、食べ物で釣るとは、本当に、炎竜で燃やしても氷竜で凍らせても、食えない御大である。彼の、仲間、とやらも情報収集に協力しているのだろうか。先に、あえて付け加えなかった「拷問事件」をまた遣らなければならないのだろうか。氷の属性も他の属性と同等と言っても、フィーは、「吹雪」は使えるだろうから、ああ、何だか嫌な予感が。
「手紙は書きませんよ」「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、ナッシュたちに送る手紙に、序でに記してくれれば構わんて」「僕もリンも荷物を持っているから、お菓子の袋はフィーが持ってね」「えーがー!」
いきなり食べ始めるフィー。仕方がないので、二竜に引っ張ってもらう形にする。そうすることで、氷竜に近付いた地竜も、ばりばりむしゃむしゃ。……って、味わって食べるんじゃなかったんですか。まぁ、そんなことしていると、フィーにぜんぶ食べられてしまうから、致し方ないとは思うけど。然てしも有らず、御大に挨拶をして、ここから飛び立っても構わないのだけど、二竜が食べ終わるのに、もう少し掛かりそうなので街の外までえっちらおっちらと歩いてゆく。
ぱしっ。
小さな音がしたので見てみると、リンが小石を手にしていた。氷地競争を終えたようなので、お菓子の袋を回収しながら、何の変哲もない石の、魔力を探ってみる。
「それは?」「御老体に付けていた石です。この街の石に魔力を流し込んでおきました。おかしな動きをしていた者には、石を付けてあります」「……付けてある、だけですか?」「破裂させることも出来ます。必要な情報は手に入るでしょう」
……破裂した石に、情報。それって「吹雪」と「治癒」のーーいや、これ以上は聞かないほうがいいのかもしれない。などというわけにはいかないので、リンに尋ねる。
「御大と、その仲間たち以外に、怪しい者はいたのかな?」「街から離れた者が一人。村に向かっています。破裂させますか?」「いえ、今は止めておきましょう」
普通にならず者を全滅させてしまいそうなので。それだけなら構わないのかもしれないが、彼ら以外の、周囲を巻き込む可能性がある内は、慎重になるべきだろう。
「ところで、『千竜王』。何故、リンちゃん、と呼んでくれないのですか?」「え……?」
ガリシュ村について想定を行っていると、リンが唐突に尋ねてくる。そういえば、エイルさんとナッシュさんとの歓談で、リンが願っていたが、あれは冗談で……、いや、今ならわかる、リンは直截的で、本心をそのまま打ち明ける傾向がーー今のところはだが。すると、何故かフィーまでご立腹で、僕に要求してくる。
「だーっいーっ!」「リンちゃんと同じで、フィー、じゃなくて、フィン、がいいの? え? フィフォノじゃなくて、改名したい? いえ、そんなこと僕に言われても。リンちゃん、そんなこと出来るの?」「竜の改名など、聞いたことがありません。ゲルブスリンクーーという名を、好んでいるわけではありませんが、これは竜の、存在を定義するものの一つでもあるのです。だからこそ、『千竜王』が愛称を付けてくれることを、竜は、あれほどまでに望んでいるのです」
……そんな大切なことだなんて考えず、竜の国に戻るのに尽力してくれたのに、思い付き、ではなく、発意のままに愛称を付けてしまった竜の皆様、心からごめんなさい。いや、然あらぬ、皆は喜んでくれていたので、以後に親愛か愛情を籠めて呼べば、問題はない、はず。だといいな。
「う~ん? 愛称として呼ぶ分には問題ないのかな? じゃあ、これからは、フィンって呼ぶね」「すーきーっ」「え? 改名した名前は、ではなく、名前の候補は長過ぎるので、フィン、で我慢してね」「長い、とは、どのような名前なのでしょう」「百文字以上、あります。ーーそれが竜の名前だからなのか、記憶できてしまいました」「それは災難、と言って良いのでしょうか。『千竜王』にとっては、祝福のような気もしますが」
何も言わずともフィンが竜になってくれたので、リンの魔力を貰って、一緒に竜頭まで飛んでゆく。これまでの鍛錬の成果か、自然に魔力を使えるようになったーーと言いたいところだが、僕の意識の変化と「千竜王」の影響もあるのだろう。その変化は、一気にくることもあるので、油断は出来ない。
御大が言っていたように、街とガリシュ村との距離は近いので、すぐだった。石を付けているという、ならず者の位置をリンが確認するまでもなく、フィンの竜眼が捉える。
「とーかー」「くっ……。意識してしまうと、まだ駄目かな。村に近付いているらしいけど、見えない……」「もう、村に入りました。時間はないようですので、あれ、をやっても良いでしょうか?」「ああ、定番、ですね。建物は壊してしまっても構いません。人的被害、いえ、人的影響がないのであれば、思いっ切りやっちゃってください」
然も候ず、竜頭から飛び出して、リンも竜になると、二竜とも羽搏くのを止めた。きりきりもみもみきゅーこーかーなのだー、と頭の中で、みーの竜声を再現、いや、再燃のほうがいいだろうか。村で一番大きい建物に向かって、誰も見ていないんだから、きりきりとかもみもみとかしなくてもいいのに、うぐぅ、何度も経験しても、大丈夫だとわかっていても、垂直落下なんてものは、怖いものは怖い。
盗賊、というよりは野盗だろうか、家を囲うように迫って、住人は全員ーー村長の家だろうかーー避難完竜したようだが、抵抗する手段がないのなら、大した時間稼ぎにもならないだろう。
ばっぎぃぃん。
二竜は、建物を粉砕した破壊音と共に舞い降りると、真面に聞けば、魂まで吹き飛ぶだろう咆哮を放って、自らが如何に矮小な存在であるかを思い知らせる。
「はーっずーっ!!」「ゲルブスリンクである!!」「「「「「!?」」」」」
うわぁ、凄い。避難所としての役割も兼ねていたのか、頑丈そうだった建物が木っ端微塵に吹き飛んだ。強制的に魔法で守られた老人たちと野盗たちが、可哀想、というより憐れなことになっている。見ると、魔力で活性化させられているのか、気絶することすら許されず、二竜の威圧に打たれて、がたがたと震えながら、引き攣った顔で放心していた。
建物の横、もとい建物だった残骸を踏み潰して、二竜が爆誕。魔力を貰って、竜頭から飛び出して、二竜に繋げた魔力の縄で減速。老人たちの前に降り立つと。
「なっ、なんじゃ、ふざけよって! 何者じゃ、お主ら! 誰の許可を得て、村に立ち入っておる!」「そうですか。許可は貰えないようなので、立ち去るとしましょう」
如何様な理由にしろ、竜の威圧を跳ね返して、反射的に叫んだ老人ーー村長だろうか、彼の難詰に僕があっさりと、笑顔で応じると、ぎょっとして前言を翻す。
「まっ、まぁ、今回だけは、仕方がないから、許してやらなくもない」
竜を眼前に、村長は尊大に、上位者の振る舞いで言って退ける。
「ーーーー」
人間、ここまで厚かましくなることが出来るらしい。現在の村の状況ーーつまり、現実を受け容れられないが故に、精神の均衡を保つ為に、ここまでひん曲がってしまったのだろうか。家というか、もはや廃墟の中には、見事に老人だけしか居ない。全員が全員、村長のように捻じ曲がっているわけではなく、後悔と絶望だろうか、或いは諦観か、ただ息をしているだけの、死人のようになっている者も幾人かいた。
然ても、野盗のほうだが。二十歳くらいの、人相は普通の、というか、野盗になり切れていない、という表現も何だが、彼が裏切り者で間違いないだろう。二十人くらい居る野盗の後方、建物を攻めるときには、安全圏となっていただろう場所に。未だ心を立て直せていない他の野盗たちとは違い、目に強い光を宿らせて、打算を巡らせているらしい髭面の男がいた。二十半ば、といったところだろうか、ただの勘だが、リンの石が付いているのは、彼ではないだろうか。然ても、それは後で確かめるとして、ゆっくりと向き直る。
「あなたが、頭、ですか?」「……ぁあ、ああっ、そうだ!」
僕の問いに、吃りながらも威勢だけで返す。背格好はオルエルさんに似ている、などと言ったら、筆頭竜官にどやされるだろう。周期と体格は同じくらいだが、現役の冒険者で通りそうなオルエルさんと違って、どっぷりとした感じの、締まりのない体。心も贅肉だらけなのか、彼の表情だけでなく、それは手下にまで滲み出ているようで。見回すと、野盗、というより、こそ泥、と言ったほうがお似合いの、みすぼらしい集団。ディスニアたちのほうが、まだ風格があった。ーーふぅ、気は進まないが、事前に用意していた策、もとい提案の一つを、まぁ、やるだけやってみようか。
「ガリシュ村を標的にしたのは、あの青年の提案に因るものですか」「な、なっ、そんなこと……」「煩わしい。さっさと答えないか」「ひゃぁ! おっ、お助けをっ!?」
二竜がやってくれなかったら、魔力を借りて僕がやろうかと思っていたが、フィンとリンが魔力放出で威嚇して。さすがにここまでの弱腰はどうなのだろう、尻餅を搗いた頭は、手足を使って器用に後退る。
「ぬっ? お前っ! サムジュか、よくも……」「煩わしい。と言ったのが聞こえなかったのか」「うぅ、ぐ……」
何だか板に付いてきてしまった、毎度ながらの、竜の威を借る侍従長。上下関係、はどうでもいいとして、場を仕切っているのが誰かを思い知らせることにする。
目立った特徴のない青年ーーサムジュは、唇を噛んで、村長を見返すことが出来ず、項垂れていた。裏切り者と、唾棄されることになった青年。後悔など通り過ぎた、すべてを消し去ってしまいたい、なかったことにしたい、そんな、本人すらどう扱っていいのかわからなくなってしまったーー塗り潰して切り刻んだ、縺れた想いの果てでの行動だったのだろうか。純朴そうで、あまりに不釣り合いで、然し、過ちは過ちで、それは取り返しがつかないことでーー。
はぁ、彼に自分を重ねていないで、未来の自分の姿だとか、おかしな予感を抱いていないで、提案を行うことにする。
「野盗の皆さん、このガリシュ村に住んでください」「「……は?」」
頭と村長の、間の抜けた声が唱和する。見澄ますと、碌に手入れも出来ていないのか、荒れ放題というか、植物の生命力にも屈服しているというか、遠からず廃村となるのが誰の目にも明らかなーーこんな風景の中で人生を終えることを、彼らは望んでいなかっただろう。もう元には戻らない。なら、歪であろうと、噛み締めて生きてもらう。
「本来であれば、選択肢の一つ、として提示するところですが、あなた方には、そのような余地はありません。このまま、人のものを盗んで、奪って、ーー見ると、大して儲けも出ていない、一時の快楽すら得られない、そして、捕まれば命はない、いつかくる終わりまで怯えて生きてーー」「っ!」「何か、言いたいことが、言わずにはいられない、そんな言葉があるのかもしれませんが、もう手遅れです。すでに事の経緯は領主に伝わり、あなた方に鉄槌を下す準備は整っています」
言い含めるように、理解できるように、ゆっくりと説明したが、野盗たちは覚束ないようだ。彼らの多くは、選択肢などなく、学ぶ機会は与えられなかった。搾取されない、生きるのに必要なものさえ、その人生に於いて、手にすることが敵わなかった。
「ち、ちくしょーめが! もっとわかりやすく言いやがれっ!」
口角泡を飛ばす、と言いたいところだが、議論になっていない、僕の一方的な物言いなので。でも、切歯扼腕、と言えるくらいには、自身の境遇に、ここまで来てしまった、そうなってしまった運命を呪うかのように。行き場のない想いを、野盗たちは抱いているようだーー一人を除いて。僕と視線を合わせないようにしている、リンの石が付いているだろう男は、残しておくと厄介の種になるだろうから、連れ出す算段を付けておかないと。
「ガリシュ村の皆さんも。あなた方と無関係な僕が、今、何故ここに居るのか、何故このような提案を行っているのかわかりますか? ーーそれは、僕を動かした、誰か、がいるということです。あなた方を助けたい、いえ、彼の、或いは彼らの、最後の慈悲というべきものが、選択の余地を残したのです」
村長の前に、ガーナが置いていった古書を抛る。彼を含めて、反応を返す者は村人はいない。然あれど、そのまま地の国の住人になってもらっては困る。二竜から魔力を貰って、ぱんっぱんっぱんっと三回、手を叩く。反射的に、でも何でも、全員の顔が上がったのを確認できたので、邪竜も逃げ出すくらい明確に、断言して、命令してやる。
「わからなくても、半分くらいは、趣意くらいは伝わっただろう。お前たちが助かる唯一の道は、僕だけが知っている! だから、耳かっぽじって、よ~く聞きやがれ! 死にたくなけりゃ、僕のいうことを聞きやがれ!」「「「「「…………」」」」」
うっ、似合っていないのが自分でもわかって、かなり恥ずかしいのだが。粗野な人間っぽく振る舞ってみたが、竜にも角にも、僕の言うことが本当なのかーーそこに考えを巡らせるところまでは持って行けたので、具体的な話に移る。
「この村で生きれば、時間、を得ることが出来ます。そこでゆっくりと、これまでと、これからのことを考えてみるのも、悪いことではないと思います」
頭と、居回りの野盗を見回して、彼らに語り掛ける。
「ーー荒れた村を、人が住める、住んで心地好いと思える場所にしていきます。それは誰でもない、あなたたち自身の手で行っていくのです。そうすることで、あなたたちの心に、何かが、芽生えるかもしれません。ですが、あなたたちには生活を営むだけの知識や技術がない。それらは、この村でずっと生きてきた彼らから得てください。
但し、彼らが老人だからと、甘やかしてはいけません。逆に、抑圧するのもいけません。彼らとは対等に付き合ってください」
次は、老人たちに向き直って。こちらは選択ではなく、宣告だろうか、自分たちが招いた結果を、刻み付けるように言葉にしてゆく。
「あなたたちは、死ぬまで、生きる為に、体が動く限り、働いてください。本来であれば、息子や孫に慕われた、穏やかな余生を過ごせていたのかもしれません。でも、それは、あなたたち自身で壊してしまった。誰かの所為にしたくても、誰かの所為にしても、今在る現実は変わりません。変えられたかもしれない、すべての可能性を塗り潰して、あなたちの現状はあるのです。
この、ガリシュ村は、あなたたちのものでした。でも、いずれ、あなたたちのものではなくなってしまいます。それでも、残せるものもあります。あなたたちが、それを残すことが出来れば、ーー帰ってきてくれるかもしれません。故郷とは、忘れ難い、失うことが出来ない土台のようなものです。あなたたちが居なくなったあとーーになるでしょうが。
罪滅ぼし、などと言うつもりはありません。犯した罪は消えません。それでも、人として生きなければならないのだとしたらーー。ここから先は、各々で考えてみてください」
すすり泣く声が聞こえる。重たい空気が、老人たちだけでなく野盗たちにまで圧し掛かって。続きを話す雰囲気ではないが、これからのことを話さなくてはならない。
村長の肩を掴んで、頭の許まで無理やりにでもーーと思ったが、気力も尽きたのか、とぼとぼと抵抗なく付いてくる。
「あと、サムジュさん。来てください」「え……?」「早く」「はっ、はい!」
純朴な村の青年ーーそのままの印象だが、彼もまた踏み外してしまった。彼だけは、他の者たちとは境遇が異なるので、別の役割を与えたほうがいいだろう。
「サムジュさんには、交渉役を担ってもらいます」「こ、交渉役? で、でも、僕にそんなこと……」「出来るか出来ないか、ではなく、決定事項として、やってもらいます」「う……」「サムジュさん、周りを見てください。老人と、男しか居ません。人の心というものは、荒んでいってしまうものです。老人たちが居なくなったあと、あなたたちだけで生きていっても、そこで終わりです。それ故に、外部から人を受け容れる必要があります。零れ落ちてしまった者たちや、行き場を失った者たち、そんな人たちを迎え入れるーー準備から始める必要があるでしょう」「そんなことが、サムジュに出来るとは思えんが」「っ!」
村長が凄むと、一歩退きそうになるサムジュだが、ここより後がないということがわかったのか、踏み止まって、正面から老人の眼光に抵抗する。
「そうですか? 僕は、サムジュさんなら出来ると思っています。何故なら、そうしなければいけない、からです。人を鍛える、最大のものは、人です。周期を経て、忘れてしまいましたか? 若者であった頃の自分には、何もありませんでしたか? そうではないでしょう。
ーーガーナと会いました。彼と会わなければ、彼を育んだ村だと知らなければ、僕はここへ遣って来ることはなかったでしょう。こうして失ってしまう前に、あなたたちは、確かに何かを残していたのです。彼だけでなく、街の、あなたたちに係わってきた人も。そうした繋がりが僕を動かして、今、という機会を生み出したのです」
ガーナの名を聞いて、最後の糸が切れてしまったのか、項垂れる村長。頭も、サムジュも、僕の提案に否やはないようだ。勿論、今はーーだが。未来まで縛れる、そんな能力は、影響力は、僕にはない。コウさんも言っていた、責任とは、当人にしか取ることが出来ない、大切なものなのだと。彼女ほどは無理だとしても、あとは彼らを信じることだけ。
「ーーーー」
ぶっはぁ~。と内心で盛大に溜め息を吐く。二竜の服を調達するだけのはずが、あれよあれよという間に、面倒なことに巻き込まれてしまった。いや、僕が自分で選択したことなのだから、それこそ、僕の責任に於いて、というやつである。
これも経験。と思いはしても、向いてないなぁ、というのが率直な感想である。何より、……疲れた。何でこう、聖竜水準で、気を回し捲らなければならないのか。さて、ここまでやって、しくじるのは本意ではないので、もう一頑張りといこう。
見上げてみると、退屈そうではないが、僕の演技が楽しめた、というわけでもないようなので。フィンとリンの、竜の魅力を見せ付けてみようか。
「フィフォノ様。ゲルブスリンク様。『人化』していただけますか」「かーしー」「わかりました」「「「「「っ!」」」」」
僕の演技、みたいなものから学習したのか、フィンか、或いはリンの演出だろうか、巨大な光が収束するように、僕の両脇に溢れて、光花が咲き乱れるかのように、生命の誕生の瞬間のように、二竜が顕現する。
「「「「「…………」」」」」
老人たちも野盗たちも、竜の神秘と憧憬に取り巻かれて、自然と涙する者まで居て。
「…………」
遣り過ぎ。と喉元まで言葉が遣って来たが、そこまでの勢いではなかったので、ごっくんっと一息に飲み込んでしまう。ふぅ、二竜の服も、幻想的な演出に一役買っているようだ。子供の姿であろうと、人々は竜の威厳の前に、魂を挫かれて、平伏す者さえ居る。
にぎっ。もにっ。
僕の手を同時に握ってこなければ、完璧だったかもしれないが、これはこれで世界、もとい竜の法則かもしれないので、いないいない竜。
「そうですね、一人、誰か、小間使いが欲しいですね。ふむ、では、あなたにしましょう。付いてきてください」「お、俺? え、そっ、ちょっと、待っ!?」
用は済んだとばかりに歩き出すと、慌てて僕たちを追ってくる男性。多少無理やり感はあるが、悪くはない、自然な演技である。振り返って確認したいところだが、まぁ、やれるだけのことはやった。ここからは、彼らの物語であって、脇役は退場である。
「野心が隠せていませんでしたよ。あなたを残してしまうと、後で脱走して、不和を生じることになるかもしれないので、竜にも角にも、連れ出すことにしました」
「お~、さすが竜人様は違いますねぇ~。御見逸れしました」
十分に離れてから話し掛けると、さっそく阿ってくる。
「俺って、結構役に立つんですよ。頑張って働くんで、以後、よろしくお願いしまっす!」
そして、流れるように売り込んでくる。然ても、どうしてやろう、こいつ。
「あの場では、面倒なので名乗りませんでした。僕は、竜の国の侍従長、ランル・リシェです。噂くらいは聞いていますよね。僕と、そしてフィフォノ様とゲルブスリンク様の役に立ってくれるほどの活躍を、確約してくれると、そういうことでいいんですよね?」
僕と二竜で、じじぃ~と見てやる。思いっ切り、邪竜も嫌がるくらいに見てやる。
「お、おぉ~、どうかどうか、命だけはご勘弁を! 竜にも角にも、一度使ってみて、要らなかった捨ててくれて構わないので、よろっ!」「なるほど。命だけを勘弁すれば、何でもやってくれるというわけですね」「う、うぉ、ちょっと待て! その周期で脅し慣れ過ぎていないか!? って、そうか、竜人だから、何百周期とか何千周期とかのお爺ちゃんとかかっ!」「騒がしいから、もう少し声を抑えてください。僕はまだ、十六周期しか生きていません。それと、あなたの使い道は最初から決めてあるので、ああ、勿論拒否権はあるので、僕の話を聞いてから判断してください」
素なのか演技なのか、僕の言葉を聞いて、さっそく方針転換を決めたらしい。
「そぅ、そないですか? では、自分の未来を明るくする為にも、情報を売りたいと思うのですが、如何でしょう?」「フィンとリンちゃんは、ガリシュ村で何があったのか、知りたい?」「いーかー」「そこまで興味はありませんが、『千竜王』がそれを目的に彼を連れ出したのでしょうから、『千竜王』の意思を尊重します」
中々手強い、とか言ってはいけないのだろうが、リンの、人種への歩み寄りは遅々として進まない。これまで地竜を見てきて、幾つかわかったことがある。人種へ向けるものよりも、遥かに多くのものをフィンに、竜に向けているのだ。つまり、人種は二の次、ということ。逆にフィンは、自儘に振る舞っているように見えて、仔炎竜水準でじゃばじゃば吸収していっている。ただ、人種、というより、僕にか、愛娘とはまた違った、強い感情を注いできているので、その正体を見極めようとしてはいるのだが、こちらもまた意外なことに、フィンはかなり上手く本心を隠している。
「では、話してください」「がってん! まぁ、訳あって、あいつらんとこに厄介になってたんだけど、頭使うとこは俺が担当してた。サムジュの奴も、頭の命令で、俺が事情を聞き出すことにした。罪悪感って奴なのかねぇ、酒を飲ませてやったら、ぜんぶ吐き出したーーって、吐き出したのは、げろげ~ろじゃないですぜ」「……普通に喋れないんですか?」「い、いゃ~、この喋り、駄目ですか? じゃあ、なるべく普通で頑張ってみます。すぅ~はぁ~すぅ~はぁ~、良しっ!」「…………」「ザリアって女が原因っていうか、根本みたいです。すんっごく優秀だったみたいで、両親が村の外に、娘の才能ってやつですか、花開かせようって、泣かせるじゃありませんか。でもでも、村からしたら、有能な人材が出ていくのは損失だし、早々上手い好機なんて転がってないし、何より危険だってことで、話は纏まらないで、こじれるばかり。で、やっちまった。と言っても、まだこの頃は穏便だった。ザリアの両親を閉じ込めて、監禁して、考えを改めさせようとしたんだけど、……うん? そういえば、旦那。そんなに優秀なら、〝サイカ〟が迎えにくるんじゃないんですか?」
話が途中で飛ぶ。エンさんに比べれば増しだが、もう少し頑張って欲しいところではあるが、すぐに変わるものでもないので、こちらで合わせないといけないだろう。というか、旦那って、周期が下の者に使うのはどうなのだろう。利益を与える者、と思われるのは、後々の事まで考えると、明確に拒絶しておいたほうがいいのかもしれない。
「里と東域は、横断するに危険な草の海を挟んでいるだけでなく、南北、それと西よりも距離があります。訪れる選定者も少なく、〝サイカ〟や〝目〟の推薦も限られています。それ故、本当に見込みがある者でないと推薦されないので、東域の出身者は優秀な者が多い、と言われています」「へ~、なるへそ~」「そんなことより、話の続きをお願いします」「うっしっし、わかりま~っ」
エクも、「竜患い」ではあるが、その能力の高さに偽りはない。同期には、もう一人、東域出身者がいたが、カレンとエクを除けば、二番目の成績だった。因みに僕は、「よくわか欄」の中の最高位、などとエクに囃し立てられて。というかエクも、その「よくわか欄」の次点だと、皆に見られていた、というか煙たがられていたのだが、当然悪友は、小心者の僕と違って、何処飛ぶ風竜とばかりに、まるで気にしていなかった。
「ま、こうなると、当然村は二つに割れるってわけで。言うなれば、村長派とザリア派の対立って格好になっちまった。サムジュが言うには、本人にそのつもりがないのに担ぎ上げられて、それでもどうにかしようって間を取り持とうとしてたってさ。でも、まぁ、小娘だから仕方がないのかねぇ、人間の悪意って奴がまるでわかってない」
ふっ、と冷えた、最後の言葉の意味を探ろうと視線を向けると、仕舞った、という表情で、ぱしんっ、と自分の頬を叩いた。
「痛た…、てわけで、おっと失礼。ーーザリアって女は、わかってなかった。自分の価値って奴を。サムジュが言ってたのを聞くと、ザリアは、いい女って奴だったらしい。素直で優しく、立ち居振る舞いが美しい……って、何すか、旦那?」「いえ、『いい女』の基準が意外だな、と思っただけです」「くっくっ、旦那も周期頃って奴ですかい? 俺も若い頃は見た目重視だったんすけどねぇ。何十人と付き合ってれば、本当にいい女って奴がわかってきまっさ」「……よく見ると、髭面ですけど、きちんと整えれば、女性受けしそうな顔ですね」「旦那は……って、いやいやいやっ、話っ、話の続きっと!」
にゃろう。あからさまに話を逸らしやがった。里では、異性に騙されないだけの知識は詰め込まれたが、逆に、異性を篭絡する為の手法は、条件に適合しない者には、一切施さられることはなかった。〝サイカ〟や〝目〟は、王族や貴族に近付くことが多い。そこで間違いを犯さない為には、これが最適である。というようなことを師範の一人が言っていた。何でも、あまり慣れ過ぎてしまうと、擦り寄ってくる女性の、臭い(うそ)、に気付かなくなる、ということらしいが。残念なのかどうなのか、それだけの経験を積んでいない僕には、未だわからないことである。
「サムジュも、遣られちまった口で、当然ザリア派だった。が、派閥の天辺がわかってないんじゃ、劣勢になんのも当然で。お負けに、原因もザリアなんだから、こじれるのも当たり前ってことっす」「ザリアさんが原因だったのなら、決定的な対立にまで行かないのなら、彼女には、対立を止めるだけの手段は、幾つかあったでしょうね。ーー難しいでしょうけど」「そういや、サムジュが言ってたなぁ。結局、ガーナが正しかったって」「そういうのは、個人だけでなく、周りの影響もありますからね。そして、周囲こそが、他人に預けて、もっとも無責任になれる。ザリアさんは、降りられなくなってしまったんでしょうね。村が好きだったからこそ、在るべき手段を採れなくなってしまった」
二竜を見ると、聞き役に徹している、と言いたいところだが、相槌一つ打つことなく、会話に絡むつもりもないようなので、そっとしておくのが正解か。
「引き金は、ザリアの両親の死だった。自殺だったのか殺されたのか、それさえわからない。最後までどうにかしようとかしちまってた分、覚悟って奴が決まっちまったのかもな。
勝算はあった。若いのはぜんぶ、ザリアのほうに居た。で、旦那も知ってる通り、サムジュがやっちまった。ザリアがどうだったか知らんが、サムジュはこう思っちまった。対立がなくなったら、ザリアは村を去ってしまうんじゃないだろうか、ってね。思い出して、酔いが醒めちまったのか、泣きじゃくって大変でしたよ。自殺までしよとするし、やるんなら一人寂しく迷惑の掛からないとこでやってくれってのに……」「では、お聞きします。ガリシュ村を襲うように提案したのは、サムジュさんですか、それともあなたですか?」「うぎっ、ぎぃ、……だ、旦那、勘弁してくださいよぉ」「別に、責めているわけではありません。ただ、聞いてみただけです」「……聖竜~聖竜~」
御大。語呂も悪くないし、案外流行っているようですよ。はぁ、追及したところで今更なので、聖竜に免じて誤魔化されてあげるとしよう。
「サムジュは見なかったが、ガーナって餓鬼は、見ちまった。いい女って奴が捕まって、どうなるか、旦那だってわかるでしょう? それなのにガーナは、どうしてそんな選択をしたのかねぇ、ザリア派の連中だけじゃなくて、村長派の、端っこの仕方がなく従ってた奴まで、策を練って、村から追い出した。
残ったのは老人だけ。飢えて、苦しんで、寂しく死んでいく。ま、そんなことをガーナが望んじゃいないってことは俺にだってわかんだけどなーー」
これらの事情は、すべてサムジュから聞き出したというわけではないだろう。街で情報を集めて、自身で吟味を行った。きっと、何処かにリンの石がくっ付いているんだろうけど、視認できる範囲には見当たらない。ーーふぅ、彼は合格と言っていいだろう。然てこそ僕の勝手ではあるが、邪竜の目に、条件に適ったので始めるとしよう。
「ガーナ。あの子は、いい子です」「へ? ま、まぁ、異論はありませんぜ」「ガーナは、旅立ちました。僕が指示した場所に行って、課題を達成してもらいます。早くて半周期、この大陸を巡ってもらうことになります」「そ、そぉ~んなことになってるんで?」「あなたも知っている通り、大陸を巡るのは危険です。許可も得ず、他国に立ち入るのですから、下手をすれば命はありません」「……嫌な予感しかしないっぽいのですが」「先程も言いましたが、拒否権はあるので、竜にも角にも、聞いてください」
いつも通りに、彼に遠慮する必要は皆無なので、先ずは揺さ振ってみようか。
「あなたの野心は、竜並みですか?」「うぅ、ぅぐ、いきなり急所とは、旦那、やるじゃないで……」「で?」「……ふしゅるる~、たくっ、おっかない人だなぁ。五歳のとき、王様になるって言って、親父に打ん殴られた。十歳のとき、王様は無理っぽいから、大臣になるって言って、初めて女と付き合った。十五歳のとき、大臣も無理っぽいから、男爵になって、それから有力貴族に取り入って、伯爵くらいまでなら、と思って、手始めに貴族の娘をこましたら、暗殺されかけた。二十歳のとき、金があれば何でも好き放題ってことに気付いて、一攫千金を狙ったら、……やばい奴らに追われることになった」「やばい奴らって……」「いや、そこはもう本当に勘弁してくださいっ! 思い出したくもないっ! 炎だか氷だかの冒険者が、壊滅させて、打っ壊してくれたので、首の皮一枚繋がったってことっす!」「…………」
ああ、世の中、広いようで狭いですよね。人の縁を辿っていけば、二十人で大陸を一周する。なんてことを言った人も居るくらいに、縁は異なもの竜のもの、竜へと繋がって(であいがまって)いるのかもしれない。
「で、二十半ばくらいの周期に見えますが、今はどうですか? 〝目〟である僕に勝てそうですか?」「……ちぇっ」「〝目〟や大臣、貴族を、知恵者ーーとしてみましょうか。あなたは、知恵者に勝てますか?」「ふんっ。さぁ~てねぇ~」「知恵者に勝つ、有力なものの一つが、経験です」「そ、そぉ~んなもので?」「勿論、経験の種類によります。知恵者にない経験をする必要があります」「……で、でで?」「経験を積んだ知恵者には勝てません。ですが、この大陸に於いて、それを成すことが出来るのは、〝サイカ〟か大商人だけです」「というとというと?」「……いえ、少しは考えてください。経験を積んだとしても、知恵が不要というわけではないのですから。ーーガーナは、今、何処にいますか?」「え、ええぇ~? 俺にも、あっちこっち行ってこいって、旦那は、そう言うんですかい?」「ガーナは、いい子です。思わず僕が、力を貸してあげたい、と動かしたのはーーそうですね、彼の資質、いえ、魅力と言ったところでしょうか。ただ、僕の予想では、その良性の魂の所為で、竜の国へは辿り着けないと思っています」「…………」「そこで犠牲の羊……ではなく、ガーナの足りない部分を補うような、そんな人物が同行したのなら、彼の旅にも、竜の祝福が降り注ぐのではないかと、思った次第です」「旦那。本音、隠すつもり、あっち向いて竜、ですかい」「ガーナは、すでに旅立ちました。運、というものは重要なもので、あなたには、ガーナが草の海に入る前に合流してもらいます。それが敵わなかったなら、僕の、ギザマルの爪の先にも満たないくらいの期待を裏切ったなら、ーーあとは好きにしてください」「ーーっ!」
ガーナに渡したのと等しく、竜の雫を五個差し出す。
「お、俺が、盗んで、どろんっするとか思わないんで?」「先程も言いましたが、物事を考える習慣を身に付けてください。竜の雫には、無論、その持ち主だった竜がいます。つまり、持ち主なら、竜の雫が何処にあろうと、特定できるということです」「……監視、ですかい?」「はっはっはっ、僕たちは、そんなに暇じゃありません。自分が、僕や竜の監視対象になれると、それほどまでに価値があると、どうして思えるのでしょうか?」
燻って、炎は見えなくなっても、それでも燃えることを、火種だけは失わなかった男が、純然たる眼差しを向けてくる。
「悔しいですか? 半周期経ったら、僕はガーナのことを思い出すでしょうね。彼のことを心配して、何処にいるのか、竜に頼んで調べてもらうかもしれません。でも、あなたのことは思い出さないでしょうね。ーーでも、竜の国に遣って来たガーナは、あなたのことを話してくれるかもしれません。まぁ、そんなことよりもーー」
ぎしりっ、と竜の雫を砕かんばかりに力を籠めて、竜玉を掴み取る。ガーナの旅に裨益するようにと、彼の野心に火を点ける。僕を利用できるか判断してからのつもりだったのだろうが、応えはわかっているが、あえて尋ねることにする。
「どうします? 名乗っていきますか?」「ふんっ。ガーナから聞きやがれ。そんで、俺の力が欲しいと、頭を下げてきたらーーそんときに名乗ってやる」
ああ、足音に聞き覚えがある。聞こえなくなるまで、情景に漂っていると、
「らーいー」
うん、フィン。すべてが台無しになるくらいの罵詈ん罵詈んな悪口雑言をありがとう。ただ、これまでで一番口汚かったので、もしかしたら、彼に竜の祝福を送った(たびのぶじをいのった)……とかならいいのだけど。そこまで氷竜を理解できていないので、今は願望に縋るとしよう。
「話の間、食べるのを我慢していたので、休憩してから飛び立ちましょう」
地竜がヴィッタを差し出してきたので、竜のお願いを断れない感じなので。まだ試してなかったので、十五回噛んでみる。
「……うぅごぁあぁ~~っっ!!」
まるで僕の人生を予知しているかのような、苦難ばかりの、しみったれた現実の味がした。でも、それも僕の物語、僕の願いと想いで形作っていくものだと、ごっくんと飲み下した。挑戦者なフィンが、再び、ぶっぱぁ、とリンにぶっ掛けて大惨事。まぁ、服には魔法が掛けられているので、二竜のお願いを達成する前に、水場で一服でもしようか。
「ーーふぅ」
名無しの男は旅立っていった。楽しみが増えた、そう思っていいのだろう。実際にそのときがきたら、どうだっ、とみー張りに踏ん反り返る彼に、心から助力を乞うとしよう。ははっ、そのとき彼がどんな表情を浮かべるか、見物である。
「リンちゃん。もう一つ、ヴィッタを貰えるかな」「『千竜王』の頼みは、断り難いです」「つーちー」
フィンもご所望のようで、皆で現実の味を噛み締め、ぶっぱぁ……。
「……フィン。態とだよね」「やーだー?」
どうやら、皆で仲良く水浴びする為に、僕と地竜で、氷竜にぶっ掛けてやらなければならないようだった。って、逃がすものか!
「リンちゃん! 万能結界!」「無理を言ってはいけません」「めーっなーっ!」
この後、逃げられそうになって、フィン語を訳して、リンに伝えて。「半竜化」した地竜が自爆して酷い目に遭わされるのだが、地形が変わってしまったのだが、それはまた別の話である。