六章 氷竜地竜と侍従長 前半
「皆様、おはようございます」
穏やかな朝に相応しい、ギザマルも二度寝したくなる笑顔で、ストーフグレフの民に挨拶をする。部屋に浮かんでいる無数の「窓」の向こうから、清々しい一日の始まりを飾り立てる、香しくも爽やかな返答がある。
「で、出た!? 『魔毒王』だ!!」「隠れろ! 魔毒をうつされるぞ!?」「朝っぱらから、何て不吉な!」「ちきしょーっ! 何処に居やがったんだ! 賞金の金貨百枚取り損ねちまった!!」「のうのうと厭らしい笑みを貼り付けて、卑陋なること甚だしい!」
とまれ、朝っぱらから嘘を吐いてみたけど、騙されてくれる人はいないだろう。現実は罵詈雑言の嵐。然ても、一日しか経っていないというのに、僕の二つ名は悪化の一途を辿っているようだ。序でに、僕が捕まることなんてないという確信でもあったのか、アランは一日限定で、僕を賞金首にしてしまった。生死不問とか手配書に記されていたようだが、誰の差し金だろう。残念ながら、追求する間もなく朝を迎えてしまった。
然あれど、今の老紳士や官吏やお堅い職業の人まで、教養が感じられる言葉での面罵が交じっているのが、竜の国との違いだろうか。グリングロウ国では、学び、を重視している。わかり易い形で、識字率を上げることは出来るだろうが、知識層の成熟には、十周期以上の期間を要するだろう。エーリアさんが〝サイカ〟に至れば、当然彼は竜の国から飛び立ってゆく。捷路を探し続けて人材不足を嘆くより、やはり育成に本腰を入れるのが本道か。
「父様。物思いに耽っていないで、始めるですわ。ひゃふっ、風っころの奪還なんてしなくても、放っておけば勝手に後ろから吹いてくるですわ」
深つ音に僕を捕まえた愛娘は、「窓」の向こう側ーー壁に寄り掛かって、父親を思惟の湖から引っ張り上げる。アランは、スナに賞金を渡そうとしたようだが、これは魔法具の小盾のお礼も兼ねてのことだろう(何やらアランは、小盾が甚く気に入ったようだ)、まぁ、竜と人との価値観との相違から、竜娘が固辞したのは想像に難くない。
「あー、あー、聞こえますか? というわけで、世間の皆様、お騒がせして申し訳ございませんが、昨日のことで僕は気分を害したので、宣戦布告させていただきます。これよりストーフグレフ国と僕との間で、戦争を押っ始めようではありませんか」「「「「「っ」」」」」「「「「「っ!!」」」」」「「「「「!?」」」」」
昨日の遁走劇の、精神的損傷の所為か、未だやさぐれた、竜ぐれた気分だったので、騒がしくも姦しいストーフグレフの民を絶句させてみる。ひやりと、愛娘が微笑んでくれたので、今なら僕は、世界をも敵に回せる。という大言壮語もしてみたいところだが、竜言竜語もしてみたいところだが、うん、本当に深刻な事態になっては不味いので、お楽しみ(ふくしゅう)も程々にしておこう。
「戦争には大義名分が必要ですよね。さすがに僕も、気分を害したというだけで、宣戦布告をするほど暇な人間ではありません。ただ、困ったことに今回は、その大義名分があったりしてしまうんです。というわけでーー。
ーーストーフグレフ国の末姫であるクリシュテナ様に告ぐ! 風竜ラカールラカを即刻、竜刻解放せよ! 一切の遅滞も遺漏もなく果たされよ!」
精々雰囲気が出るようにと、大仰に演技をする。アランなら様になるだろうが、邪竜には似合わないだろう、と思っていたら、何故だか凍り付くストーフグレフの民。……じろり、と愛娘を見ると、ふわり、と笑みを返してきたので、父親の敗北決定。このままだと、スナの過剰演出でおかしな方向に行き兼ねないので弥縫策、ではなく代替案を提示する。
「ーー然し、風竜の感触……ではなく、風竜との別れを惜しむ気持ちは重々承知しているので、交渉に応じましょう。まぁ、交渉が出来れば、の話ですけどね」
計画は二つ用意してある。「遠見」に割り込める余地を残してあるのだ。王様を百とするなら、七十五アランですわ。とスナ的には、障害は高く設定したようで、魔法使いでも殆ど無理、という水準になっているようだ。ん~、アランを単位にするのは、人間には酷じゃないだろうか。戦闘力だと、市井人どころか騎士まで、一アラン以下になりそうで、聞くのが怖くなってしまう。はぁ、戦闘に限らず他の能力まで、王様は僕のことを、百アランどころか百二十アラン、更には百五十アランくらいに見積もっていそうなので、背後の竜、で済めば御の字、竜地の千竜となっていないことを願って止まない。
「はっはー、繋がったー」
愛嬌のある顔が部屋の中心にある「窓」に現れた、というか映った。「窓」ではなく、現実の窓の外を見ると、僕と二、三周期下の少女の「窓」が並んでいた。さすがにここら辺は、氷竜に抜かりはない。まぁ、スナの想定を超えてくるようなら、彼女の要求を呑むつもりだったが、やはりそこまでではなかったらしい。僕に倣ったのだろうか、椅子に座って、そしてこちらは当て付けだろうか、彼女の膝で風竜がぽやんぽやんだったので。
「ラカ。口元にお菓子の欠片がくっ付いているよ。美味しかった?」
「ぴゃ? わえはまだまだ食べられのあ」
鎌を掛けてみると、あっさりと自白する風竜。僕が大変なことになっている間、クリシュテナ様と仲良く食べ歩きでもしていたのだろうか。然あらば、ご内心、を使いたいところだが、ちょっと語呂が悪いので、「姫様ご安心」作戦の開始である。
「どうやら、僕の負けのようです。クリシュテナ様、どうか、風竜ラカールラカと末永くお幸せにーー」「大ー丈ー夫ー。ラっちゃんはー、幸せの海にどっぷりたっぷりだよー」「ぴゃーっ!? りえっ、りえっ! 待つのあっ、りえっ!」
スナの悪戯、いや、どうやら本気で愛想を尽かしたのか、交渉終竜ということで、僕が映った「窓」を消そうとしたようだが、はてさてどうやったのか、ラカの魔力操作だろうか、消滅寸前で「窓」が復元される。
「はっはー、侍従長の魂胆は丸見えだよー。ラっちゃんで満足できなくてー、クリシュテナの初めてっぽいの、奪うつもりなんだよー」
アラン張りの無表情で、交渉開始ーーなわけなのだが。
「くっ、おいたわしや、クリシュテナ様!」「将来、美人ーーになるかもしれない姫様を!」「触り心地が良さそうなクリシュテナ様を独り占めとは!」「『魔毒王』め! 風竜様の風上に置いてはいけない奴だ!」「姫様がお幸せになるのなら、涙を呑んで祝福しよう」 民に愛されているのは間違いないのだろうが、二女や三女と異なって、微妙な評価なので、何というか口を挟み難い。才能ほどには容姿に恵まれなかったようで、美しいと可愛いを足して、五で割った、というところだろうか。アランの許可の下、城下に普通に出歩いて、民に親しまれているようなので、一風変わった性格が好まれているのだろうか。
「こほんっ。冗談はさておき、クリシュテナ様の深意を明かしていただけないでしょうか?」「むー。侍従長はもうちょっとー、考えてみるんだよー」「ひゅー」
クリシュテナ様に乗っかって、僕に言いたいことでもあるのか、同調するラカ。時間は限られているが、竜にも角にも、要求通りに考えてみよう。ああ、あと、ラカールラカ平原の由来となった竜であるラカの本性とか、クリシュテナ様の着飾らない言葉とか、色々と問題がありそうなので、スナにお願いして、ストーフグレフの民には音声が届かないようにしてもらう。
「おー、これはやばばー、ラっちゃん協力するんだよー」「ひゅー。わえは中立なお」
ーー想定される要求は幾つかあるが、見るべきところは前段階だろう。恐らく、クリシュテナ様は、僕やアラン、そして竜相手に勝てるとは思っていない。
「あれだけー、クリシュテナとお菓子っこしたのにー、そんなに『もゆもゆ』の具合がいいんだよー?」「ぴゅー。そんなことないお?」「ラっちゃん、嘘吐きな風付きだよー」
つまり、勝つことが目的ではなく、状況を作ることに腐心しているということか。ストーフグレフの民の目がある場所ーーそこで僕、というより、アランか。王様の不利益にならないよう、認めざるを得ない、そんな配置にするにはーー。
「破られてる破られてるー、クリシュテナの大事なものー、破られ捲りなんだよー」
「ひゅー。薄過ぎなのあ。ほのとこんみたいな苛め竜だから、少しだけ助けてあげう」
求めるところは、折衷案。アランの性格上、ただ頼むだけでは無理だろう。不利は否めないとしても、勝てるところまで持っていく、いや、若しやアランが僕に丸投げすることまで想定しているとするなら。
「おー、愛しのラっちゃんー。でもー、無理っぽいんだよー」「びゅ~。わえが風で補強したら、なおが岩で壊してきあ」「じゃー、ラっちゃんはー、全力でやっとくんだよー」
炎竜下暗し、でいこうか。ある程度受け容れることを前提で練ってみよう。アラン相手なら通用しないだろうが、僕のような人間の相手をしたことがないだろう、経験不足かもしれないクリシュテナ様なら、上手く嵌まってくれるかもしれないーー。
「ぴゅっ!? なおっ、それは卑怯なのあ! なっとーっ、それは反則なのあ!」
「はっはー、ナっちゃん怒ったからー、クリシュテナは全面降伏なんだよー」
ずがんっ。
破壊音が耳を劈いたので、「窓」を見てみると、竜足、もとい竜肢、いや、竜脚のほうが正しいだろうか、紛う方なく地竜の脚が、一人と一竜の後ろに映っていた。脚が持ち上がって「窓」から消えると、そこにはアランと、ユルシャールさんではなくファングさんが居た。どうやら、魔法や魔力ではなく足を使って探し当てたようだ。これは逆に想定外だったのかもしれない。竜にも角にも、これでスナの出番はなくなったようだが。
ごつん。ずがんっ。
「お兄様ー、とっても痛いんだよー」「ゅ…」
手加減された拳骨と、脚加減なしの踏み付け。ラカが避けなかったのは、クリシュテナ様を巻き込まない為だったのかもしれない。というか、それがわかっていて、ナトラ様はーーあ、体重を掛けて、ぐりぐりと風竜を磨り潰そうとしているようだった。
「リシェ。頼む」
僕への丸投げ。まぁ、アランはクリシュテナ様の企みを看破した上でやっているんだろうけど。王様が楽をすることを覚えるのはいいことだとは思うんだけど。僕へと負担がくる流れはどうにかならないなぁ。
「クリシュテナ様。嘘で僕に勝てると思うのなら、嘘を吐いて構いません。クリシュテナ様は、僕たちと旅がしたいのですね?」「クリシュテナは女に生まれた、いいことも悪いこともあるんだよー。クリシュテナは侍従長が気に入った、でもー、一緒にいる時間がないとー、本当のところはわからないんだよー」「そうですか、では、僕のことを知ってもらう為に、勝負をしましょう。それでは、アランの後ろに控えている青年をご覧ください」「むー? 見たことあるけどー、名前は知らないんだよー」「知ったほうが有利になると思いますが、彼の名を知らなくても問題ありません。勝負の内容ですが、彼には妹が居ます。本日の、四つ音までに捜し出してください。ああ、これを見ているだろう妹さんは、家から出ないようにお願いします」「むむー、逃げ回らないってことはー、特殊な場所にでもいるのかなー」「僕の表情から読み取れると思っているのなら、時間の無駄ですよ」
ぽやぽやな風竜に似て、ちょっと惚々(ほけほけ)とした印象のあるクリシュテナ様だが、これまで見たことがない真剣な表情で見返してくるので、にっこりと笑ってあげる。
ぐりぐりぐり。ぐりぐりぐり。
「……アラン。そろそろ止めてあげて」「ふむ。ナトラ、あまり効いていないようだ。それに交渉は終わった」「……?」「ふむ。こればかりは受け容れないといけないか。リシェが負ければ、旅立ちを一日遅らせて、リシェとクリシュテナの婚約を王宮で……」
ぱっきぃぃぃぃん。
……「窓」がぜんぶ砕けた。砕けました。砕けてしまいました。三度確認したので、間違いなく、絶竜的に木っ端微塵です。竜が踏んでも、ここまで壊れないってくらい、清々しいまでの散りっぷりでした。
「……、ーー」
ーーあれ? おかしい、いつの間にか逃げ道が塞がれてる? いや、ちょっと待って、そんなつもりはまったくなかったんだけど、そういえば以前、百が似たようなことを言ってたっけ。好意を寄せられて、勝負を持ち出して、思わせ振りに? ……あれ? あれれ? これってーー。もしかして、また遣らかびぃっ!?
「ーー四つ音まで、私は父様で遊ばないといけないようですわ。楽しみですわ。壊しても、きっと父様なら大丈夫ですわ」「ぃぎっ?!」
駄目だ! 部屋が真っ白だ! どばどばどころかじゃばじゃばだ! 気体でも液体でもなくてっ、触れたら魔力に還元してしまいそうな! 白いどろどろなっ、確実にむやみにそこはかとなく! やばくてやばくてやばやば過ぎるものがっ、べぎょべぎょと蘇った半分腐ったギザマルの大軍のように迫ってくる!!
これはもう終末の宴だと、窓から逃げようとしただぶぅっ!?
「ーー同じ過ちを二度繰り返すは、態とと見做すべきか。そうだな、主の自由だ、そう、主の自由、そうであろう、主の自由」「ぅびっ??」
うぐぁ、窓から溶岩が流れてきて、何か色んなものが蒸発している感じなんですが、地の国から這い上がってきた炎獣と氷獣が二匹、僕の精神は美味しく食べられてしまったのか、もう驚くのも面倒になってきて……。
「ぴゃ~~っ! り~え~っ!」「……っ」
地竜から逃避してきた風竜と死に物狂いで風でぐるんぐるんになって、炎竜と氷竜から命辛々死地みたいな窮地な炎氷地からの逃避行ならぬ逃飛行が、今まさにここから始まるのだった。
ラカに追い付ける存在はない。だから、飛んでいる間、僕らは自由だった。
「びゃ~っ、りえっ、りえっ、りえっ! また来あ!」
そう、自由に逃げ回っていた。あれ? 何か表現がおかしいような気がするが、そこは知らぬが竜。物を飛ばすだけなら音の六倍でーーみたいなことを空の妖精であるスナが言っていたが、飛翔体が遣って来る度に、漸増して物体も大きくなっているということは、ナトラ様も結託、ではなく協力しているのだろう。始めはラカの風で防げていたのだが、スナが言っていた物理法則とやらで、風は散らされて、それでも直線的にしか飛んでこない間は脅威とはならなかったのだが、当然氷竜地竜が改善を施さないはずもなく。誘導できるといっても、速さが速さだけに範囲は限られていたのだが、複数の物体をくっ付けて直前で弾けて面攻撃するようになってから、そろそろ土下寝を考える頃合いかと、ラカの竜頭で練習していたら。
ご~ん。ご~ん。ご~ん。ご~ん。
恐らくスナがやったのだろう、大空で四つ音の鐘が鳴ったので、これで終竜。などと勝手に安堵していたら、うん、きっと最後の攻撃なのだろう、これまでで最大のものが襲撃。命の危機にあったからだろうか、地上からの魔力を感知すれば即ち予感は確信に変わる。
「ラカ。あれは避けられないから、正面から向かってくれる?」「やあ!」「そんなこと言わないで、僕を信用してくれないかな?」「むい!」「僕は魔法を無効化できるんだから、ね?」「だえ! りえはわかってなあ! あれはそういうものじゃなあ! 魔力にも法則があう! 風の果てまで一緒に逃げう!」「じゃあ、仕方がないね。最後の手段ってことで、ラカ、『人化』して」「ぴゃあっ! りえなんえ! もう知らなー!」
ラカは鋭敏、というより卓越した感覚で、自らの能力の限界を見極めることが出来たのだろうけど、風竜は一つ、致命的な過誤を犯している。僕を侮っている、と言い換えてもいい。投げ遣りになって「人化」したラカを抱き締めて、空の高みより、世界の高みより、果てを忘れた魂より、粛然たる狭間の風に揺られながら、地上を見下ろす。
「……『千』?」「ラカには、そう見えるのかな? 自棄になったラカを、『千竜王』は可愛いだなんて思わないだろうから、僕は、まだ、僕だよ」「……りえに、風の祝福お」
ああ、やっぱりか、失われていない、僕の内に在る。ラカが吹き込んだ、風の塒の魔力。何処に在るのかわからない。なのに応えている、ラカの祝福に歓喜している。まったく、本当に「千竜王」は厄介だ。
ーー、……。
まるで僕という存在が僕に重なったような、存在の重み。それに圧迫されたのか、飛翔体は何事もなく僕らを通り過ぎてゆく。当たらないものが当たらないのは当然のことで、そこに意味など必要ない。知らなければならないと思えば、知ることが出来ない。知ってはならないと思えば、知ってしまう。然し、それもまた、僕の意思に介在した、ささくれの一つに過ぎなかったのかもしれない。
「やだなぁ。『千竜王』のことなんか知りたくないっていうのに」
遠ざけて良い時期が過ぎたことを識る。いや、わかる、というのが適当だろう。わかってしまう、それは、残酷なことなのかもしれない。何一つ、挟み込む余地はない。近くなった、或いは遠くなった。それはここに在るから必要なことでーー。
「あ~、やめやめっ」
馴染んだら危険だと、頭を振って、よくわからないものを追い払う。曖昧じゃないのが恐ろしい。クーさんに、人でなしとか碌でなしとか人じゃなしとか言われて、過集中ーー竜の領域とか認識していた頃は、幸せだったのかもしれない。事実というものが、残酷という言葉すら無残にしてしまうことを、思い出してしまう。
あ~、何だかもう、むがむがする。この衝動を何で誤魔化そうかと考えて、美味しそうなものが腕の中に在ることに心付いたので。
「ラカ、風頂戴っ、ラカの風が食べたいっ、ラカを食べたいっ、ラカをも……」
「氷でも食ってれば良いですわ」
がこっ。
巣穴に置き忘れてきた容赦さんを、スナは迎えに行くべきだと思う。序でに、容赦さんに添い寝していた情けさんも一緒に連れ帰ってくれれば尚良し。
がこっ。がこっ。
「ごえん、ズナ。ぼうの口ばそんあ大きうなあかあ、そえくあいえ勘えんしえ下ざぁ」「風っころも口を押っ広げるですわ」「ぴゃ…ぴゃあ~」
がこっ。がこっ。がこっ。
「びゃびゃっ、びゃびゃっ、びゃびゃっ!?」
僕を見て、氷くらいなら大丈夫だと、凍える者は氷竜をも掴む、との心境で氷を頬張ったラカだが。僕の口腔の氷と違って、冷気なのか何なのか、白い煙のようなものがもあもあと溢れ出ているのだが、大丈夫なのだろうか。
「ーー父様。何ともないですわ?」「うぶ、なんどもなあよおだえお」「もう良いですわ。ぺっ、するですわ」「ぺっ」「父様と風っころの口に入れたのは、同じもので、ちょっとした特殊な氷ですわ。煙が出なかったのはーー、何をしたですわ?」「何をした、と聞かれても、何もしてない、としか答えられない、かな?」「普通の人間が食べたら、普通に死ぬので、普通ではない魔法を準備してましたが、普通に無駄になったですわ」「ぷっ」「あ、風っころ、勝手に捨てるなですわ」「びゃ~っ! りえっ、りえっ、りえっ!」
父親を毒殺、もとい氷殺しようとするくらい冷え冷えなのだろうか。愛娘の願いなら何でも叶えてあげたいところだが、人体実験の類は遠慮して、いや、せめて事前説明くらいはして欲しい。あとは、さすがにもう自覚はあるので、普通、を繰り返して、僕が普通じゃないことを強調しなくても大丈夫です。
「百とナトラ様の機嫌は、どうかな? 炎は食べられそうだけど、岩はちょっと」「その発言もどうかと思いますわ。熾火はともかく、ナトラの意趣返しの対象になっているのは風っころだけですわ」「びゃ~、岩は食べたくなー!」「意趣返しではなく、仕返しくらいだと思うけど」「どうだか。恩知らずな風っころは『おしおき』くらいは覚悟しておくですわ」
スナと協力、或いは共闘して僕たちを撃ち落とそうとしたくらいだから、風竜の振る舞いに腹に据えかねた、ではなく、ひとかたならぬ想い、でも違うような、まぁ、先に思いっ切り風竜を踏ん付けたし、狙撃でも怖がらせたし、少しは溜飲が下がったことだろう。
「スナの様子からすると、僕の勝ちだったのかな」「危ない橋も一度は渡れ、と言いますが、渡り過ぎて感覚がおかしくなってますわ?」「クリシュテナ様は、こういうことには慣れていないだろうから、思い込みを利用しただけなんだけど」「思い込み、とはまた。再会した場所に、皆が出てきた家に居るはずがない、などとまぁ、よくもそんな賭けに出られたものですわ?」「賭け、というのも少し違うかな。クリシュテナ様は、七十五アラン以上だからね、サリフラさんーー対象を何処に隠しても見つかってしまう。工夫すれば工夫するほど、細工をすれば細工をするほど、人の思惑が介在する分だけ、答えに近付かれてしまう、そんな気がしたからね。僕としては、一番確率が高い方法を選っただけなんだけど」「選んで風竜を掴む、とか言いたくなりますわ」「ぴゅ~?」「選れば選り屑、とか言われないだけ……」「選んで氷風を抱く、というのは駄目ーーん?」
ラカの風を貰って逃げ場を失わせて、スナの魔力を掴んで引き寄せて。ぼっ、とお空にでっかい炎が咲きましたーーって、前もそんなことを思ったような。
「うわ、『爆縮』? さっさと降りてこい、と催促されているのかな」「『爆縮』は、熾火には無理ですわ。みーならいずれ、あの娘が余計なことをしなければ、使えるようになるですわ。これは魔力を導火線とした、ただの燃焼ですわ。熾火なりに、ちょっと手の込んだことをしてみたつもりなのですわ」「ひゅ~。なおとほのが移動してう」「どれ、王城に向かってますわ。謎娘のほうは、サリフラの家に入っていったので、愚痴と負け惜しみ祭りですわ」「もしかしたら、アラン以外に負けるのは初めてだったのかもね」
わかってないですわ(訳、ランル・リシェ)、だけだと思ったら、わかってなー(訳、ランル・リシェ)、と二竜からじと目で見られてしまった。
「えっと、他人で、初めて負けた相手だから、自分を負かした相手だから、執着というか意識されるということくらいなら……」
千回、竜に蹴られろですわ(訳、ランル・リシェ)、お負けに、千回、竜に舐められお(訳、って、いやいや、よくわからない後ろめたさから、妄竜になっている場合ではなく。
ぽいっ。
あ。あ~。いや、助けてくれるよね。いやいや、助けに来てくれるよね。いやさ、うん、自分でどうにかしよう。って、そんなこと出来るくらいならっ! お願っ、スナ様! どうかどうか、千回謝るので、千回角磨きの撫で撫でなのでっ、助けに飛ぼうとしている風竜様だけでも放してやってくださいませんでしょうかっ!!
「こんっ、こんっ、こんっ! 『もゆもゆ』が、『もゆもゆ』あ!」「…………」
……こうして、愛娘による人体実験の第二弾が実行されたのだった。ああ、あと、クリシュテナ様には甘心して貰えなかったかもしれないので、「姫様ご安心」作戦は失敗と相成ったのであった。
「あら、助けてやったのですわ?」「さすがに見て見ぬ振りは。ただ、もう二度と遣りたくないですね」「……えっと、助けてくれないと死ぬまで邪竜な呪いを掛けてやる、とか脅してしまって、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
本当に反省しているので、三回謝る。というか心情的には、千回謝りたい気分である。
王宮で僕が落ちるのを目撃したユルシャールさんは、「浮遊」で上昇。時機を合わせて、自由落下。僕を掴んだ後、「浮遊」で減速。
「いえ、別にそこまでの感謝は必要ありません。私も、自分の命は大切ですので、捕まえ損ねるか、減速が間に合わない、と判じたなら、手を離すつもりでしたし」「竜にも角にも、ラカ。誓いの木を上げるから、しばらくユルシャールさんにくっ付いていてくれるかな?」
ぽすっ。
「っ!?」「びゅー。それ、何なお」「ああ、これは新しく作った、僕の故郷のお守りみたいなもので、一度だけ、何でもお願いを聞いてあげる、というくらいの……」「我慢すう。わえは我慢すう。『地竜の呪い』より酷くても、我慢しまくう」「っ、っ」「えっと、誓いの木、どうしようか?」「ぴゃー。風の中に仕舞うのあ。りえ、手を離しえ」「っ??」
言われた通りに小さな木片から手を離すと、すぅー、と言葉通りに、風に包まれるように消えてしまった。好奇心から、風の迷子、もとい迷木となった周辺を手で探ってみたが、魔法ではないようで、無効化を含め、何の応えも兆しもなかった。
「スナは、どう?」「ーー何処にあるのかは、わかりますわ。ただ、手は、魔力は、今は届かない、ですわ」「~っ、~っ」「う~ん。同じ風竜である、リーズだったらどうかな?」「蓋然性、との言葉が使えるのは、父様のほうですわ。真面そうに見えて、やっぱり風竜だった中風には、無理ですわ」「っ?!」「あはは、服の中に手を入れられてたの、気付いてた?」「姑息にも、魔法と属性で隠してやがったですわ。逆に、そうでなければ気付かなかったかもしれないですわ」「…………」
がくり。
「ん?」「ひゅー。気絶しあ。もう放してもいー?」「え? 本当に?」「うー」「風で運んでくれたりは……」「やあ」「せめて風を貸して……」「むい」「…………」「だえ」「……もしかして、怒ってる?」
答えずに手を離した、というか、風を引っ込めてしまったので、慌てて変魔さんを抱き留める。って、うわっ、これは香水、いや、魔香だろうか、魔法使いからいい匂いが漂ってきたので、うっかり投げ捨ててしまいそうになった。
「魔香が欲しいのなら、竜地ーー暗黒竜の、ダニステイルの銀嶺に頼めば、侍従長の名を出せば、たぶん分けてくれますわ」「銀嶺ーーというと、称号? それとも役職?」「金鷲。銀嶺。銅貨。一族に貢献している家に、名誉として称号を贈っているようですわ。魔香の素材は高価なものが多いのですわ。ですが、この家系の者たちは、素材を自分たちで集めることで安価で提供しているのですわ」「……竜の国の中で、スナが行ってない場所ってある?」「心配しなくても、北の洞窟には行ってないですわ」「炎竜の塒に行ったら、どっちが不味いのかな?」「他属性が濃厚な場所では、ーーそうですわね、魔力の効きが悪くなる、とでも言っておきますわ。私がずっと居ると、属性の飽和状態が崩れて、『竜の残り香』の効果がなくなると思いますわ」「ぅぐ、……はっ?」
良かった。運ばなくていいようだ。意識を失った人間の運び方は、もちろん里で習ったけど。正直に言うと、竜以外は運びたいと思えないので、思えなくなってしまっているので、いや、正直、という言葉を使ったからには、正直に言おう。竜に興奮して気を失うような奴は、ギザマルの群れに、ぽい捨てされて当然である。然こそ言え、命の恩人に不義理なことはするべきではないので、同病、ではなく、同類相憐れむ、そうではなく、同族嫌悪、って、だから違って、
「あの、私にそのような趣味はないのですが」
くたばりやがれ。
「っ、ととっ」
ちっ、残念。支えていた手を離したのだが、体勢を立て直してしまった。
ふよふよ~。がしっ。
「そら、風っころには仕事を与えてやるですわ。残りの者たちを、とっとと荷物置き場まで連れてくるですわ」「ぴゃ~、り~ぇ~」
風の法則とばかりに「もゆもゆ」に帰巣しようとした風竜だが、氷の法則なのか、冷たく遇ってしまう氷竜。これは貫禄の、いや、対応の差だろうか、ラカは僕よりもスナの言うことを聞いているような。ただ、三竜はラカに厳しい傾向にあるので、風竜を甘やかす方針を、基本的には変えるつもりはないのだけど。
然ても、ぶんっ、とお空の風竜となったラカから視線を外して、転と見回してみると。四面を壁で囲われたーー無駄な空間のように思えるが。城壁が聳えて、反対側では、王城が迫り出すように、奇妙、というか、用途不明のーーここはもしかして。
「魔法部隊のーー練魔場?」「ええ。ここと、私の領内にある森がそうなのですが。練魔場、というのは?」「老師が一度、シャレンを連れていくときに口にしていたんですが。えっと、スナ。付与とか補助とか対策とか、そんな感じのものが施された場所なのかな?」
ダニステイルの情報となると、どこまで話していいのかわからないので、スナに任せることにする。
「そうですわね。『結界』に属性、魔力の調整など様々ですが、魔法を安定させる、という効果を求めて、シャレンを連れて行ったのですわ」
「魔力の安定を促すーーことなど、出来るのでしょうか?」
ユルシャールさんが疑義を抱いたということは、やはり心象が関係しているのだろうか。技術に依らず、心象を旨とする現在の魔法は、後進への指導が難しい。だからこそ、危険性だけでなく、治癒術師の一族によって指導方法が確立されている、ということも考慮して、竜舎の子供たちへの魔法学習として「治癒」を選んだわけだが。
「魔力を安定させる。言葉だけなら簡単そうな気がするけど。干渉した、その結果として、心象を乱してしまうーーと、そういうことに繋がってしまうのでしょうか?」「はい。魔法使いの課題の一つですね。痛みや感覚というものは、自己申告で、相手に伝え難い、伝わり難いものなのですが、心象となると、更に厄介となります。同種の魔法でも、教える側によってーーそれだけでなく教わる側との相性もまた重要になってきます」「う~ん。スナ、わかり易くお願いできるかな?」「父様の望みに沿って話してあげますわ。ダニステイルはダニステイルであること、つまり、魔法が使えるのが当然という環境にあることによって、魔法を習得し易くしているのですわ。練魔場は、特別な場所である、という心象を抱かせることによって、より効果を高めているのですわ」「ということは、直接的な効果はーー、えっと、対象の魔力や魔法を安定させるような付与や魔法はないってこと?」「ひゃふっ、面白いことに、ダニステイルはやっていますわ。それなりに効果がある、という水準ですが、それでも、成長速度で通常の魔法使いと倍以上の開きがあるのですわ」
スナが両手を、水を掬うように前に出すと、「転送」だろうか、ころころっと飴玉くらいの大きさの、濁った赤い玉が四つ現れた。
「これは?」「……どうやっても、赤以外の色にならないのですわ」
いや、聞いたのはそういうことじゃないんだけど。まぁ、スナ的には、炎を連想させる色は、趣味や嗜好から、或いは心象として受け容れられないのだろう。
「これは、魔工技術を採り入れたものですわ」「魔法陣ではなく魔工技術ということは、人間の影響、干渉自体を避けようとしている、ということ?」「あら、父様。核心をずばり、ですわ」「魔法が使えない僕からすると、積み重ねによる技術というのは、理解し易い分野だからね」「この玉を両手に持つことで、そこそこ効果がある、という水準ですが、まだまだ改良の余地はあるのですわぁ……っ」
赤関係の言葉を使うと、スナが拗ねてしまいそうなので、魔玉、とでも名付けておこうか。心の赴くままに、魔玉が乗ったスナの手を、僕の両手で包み込んで、
「ありがとう」
逃がさないように。見開かれたスナの氷眼と僕の眼差しで、ふわりと繋げて。僕以外の居場所など与えてあげない、そんな独占欲で搦め取ってしまう。
「竜の国では子供たちに魔法を教えようと思っている。この魔玉があれば、魔力が安定して、魔法の習得が容易になるだけでなく、魔力が不安定な子供たちの、安全性まで高まって、魔法への親しみが湧いて、慣習的になれば、魔法の国としてグリングロウ国の特殊性を出す為の、手助けになってくれる」
答えに至る道にある、ひとつひとつに、スナの優しさに触れていって、もう何処にも行けないようにしてから。僕は悪い父親なので、大切さの裏返しで、愛娘に意地悪をする。
「この魔玉は、僕の為に造ってくれたんだよね?」
スナがやってくれたことに気付かないはずがない。などと言えるほどに、良い父親にはまだなれていないけど。僕にできる、特別、を氷娘に贈り物。
「……な、何のことやら、さっぱりですわ」
さすがはスナ。僕の眼差しから逃げられないと悟ると、そのまま前に歩いてきて、ぽすんっ、と僕の胸にーー。
「こほんっ、こほんっ。どうやら皆さんが遣って来たようですね」
にゃろう。気を利かせたつもりだろうか、父娘の触れ合いを邪魔する不届き者が空咳をすると。完全無欠に魔法使いの存在を忘れていたので、不意打ちになって、繋がっていた魂の感触が、するりと零れていってしまう。
「ラカの竜頭までお願いね」「……ですわ」
まだ腕の中の、僕の可愛い氷竜を放したくないので、言い訳、ではなく、当然の権利として、やっと素直になってくれたかもしれない(すなおになれない)大切な竜と、「浮遊」でゆっくりとーー僕は全力で踏ん張った。
「あっ」
気付くのが遅れたユルシャールさん。さて、どんな心情からだろうか、スナはナトラ様の魔法なのか属性なのか、破壊魔の行いに干渉するつもりはないようである。スナの魔力を貰って、一塊になって、まぁ、地面を思いっ切り踏み付けているので、様にならないことこの上ないが、贅沢は言ってられない。
「「っ!?」」
然ても然ても、亀裂が入った地面から、上空の風竜目掛けて、僕らは発射するのだった。
「……リシェ殿といると、対応力が鍛えられます」
幸い、軽傷で済んだようだ。皮肉なのか感謝なのか、或いは両方ともか、ラカの竜頭にどかっと座って、治癒魔法中のユルシャールさん。魔力操作がわずかに遅れて、膝を少し擦り剥いたようだが、竜の国に来た当初なら全身を強打していただろうから、格段の進歩と言えるだろう。まぁ、本人がそれを喜んでいるかは、望んでいるかは別の話ではあるが。
「然し、危険感知能力は、あまり向上しておらんな。魔法方面に特化しているが故の弊害か」「いえ、通常の人間は、こんな短期間では然う然う能力が跳ね上がったりなどいたしません。対応力については、慣れ、の部分が大きいと思われます」
ラカが翼を馴染ませ始める。竜頭の真ん中に移動しながら皆を見ると、まだ朝早いので、眠たそうなフラン姉妹。それと、信徒が寝惚けていては百の汚点になると思っているのか、しゃっきりとしたエルタスは、いつも通りに炎竜に侍っている。予定より出発は早かったが、準備は整えておくよう前日に伝えておいたので、問題はなさそうだ。然てしも有らず、残りの一人なのだが、相変わらず隠し事が苦手、というか、感情の制御が下手というか、顔にでかでかと書いてある英雄王。ただ、直接尋ねるより、内容如何によっては、地竜を挟んでからのほうが話し易いだろうか。
「ナトラ様。何か懸念でもおありですか?」
僕たちを強制発射させたのは、心に余裕がなかったからーーというのは、ナトラ様の表情からして、半分くらいは間違いないようだ。
「失敗したです。『遠見』に映ってしまったです」
分析が得意で明瞭さを旨とするナトラ様だが、本当に後悔して、胸の痞えとなっているのか、言葉が足りず曖昧模糊としていたので。クリシュテナ様たちが映っていた「窓」の情景を思い起こしてみると、然したる苦労もなく答えに行き着く。ちらと見ると、自分が係わるよりも僕に任せたほうがいいと判じたのか、アランにもお願い(・・・)されてしまったので、毎度のことながら、誰かにとっては都合のいいかもしれない嘘を吐くことにする。
「そういえば、『窓』の向こうでは、風竜がでっかい竜の脚に踏まれてましたね」「びゅー」「うっ、……です」「『ふみふみ風竜』ーーいえ、『踏み躙竜』事件としましょうか。事件を目撃したストーフグレフの民は、吃驚したかもしれませんね。あんなことをする竜とは、仲良くできない、とか思ってしまうかもしれません」「ぴゅー。わえの所為じゃなー」「…………」「はは、ラカは言いたいことがあるだろうけど、実は竜になって踏んだのは、とても良い判断でした」「……どういうこと、です?」「『窓』で見ていたストーフグレフの民は、あの竜の脚が、誰のものであったか、わからないということです。ここで何もしなければ、あの脚がナトラ様のものであると、守護竜としてアランの近くに在るだろう竜の仕業だと思うことでしょう」「事実なので、仕方がない……です」「というわけで、あれは好物であった『竜の落とし物』をラカに食べられてしまって、恨みに思っていたスタイナーベルツ様がやった、ということにしましょう。それで構いませんか、スタイナーベルツ様?」「ははっ、構わぬよ。我の守護竜が迷惑を掛けたようだが、基本的には我とは関係がない故、幾らでも責めてやってくれ」
嘘、と言うと聞こえが悪いので、欺瞞、とでもしておこうか、僕の創作に乗っかって、笑顔を浮かべるベルさん。心境の変化だろうか、常にあった陰に、光が差し込んだような、そんな印象を受けた。この流れなら、ベルさんに振ってもーー、
「であれば、主。その旨を伝える為に、一旦王城に戻りようか」
ああ……、たぶん親切心、というか、ただの確認なのかもしれないが、理由はそれぞれにせよ、他の皆のように百も黙っていてくれれば良かったのだけど。アランが大切に想っている、民との軋轢を心配して、心揺れていたナトラ様は、気付かずにいたというのに。僕の好みからしても、あとから心付く、ということにしたかったのだが、うぐっ、アランのお願いを果たすことが出来なかった。
「ふふりふふり、炎竜なのですから、多くを期待するほうが間違っているのですわ、父様」「ーーむ?」「そこの王様は、口頭で伝えたか手紙を残したか、ナトラの為に、スタイナーベルツに確認を取らず、すでに対策を講じていたのですわ」「ーーぬ?」
まぁ、そういうわけである。失敗、というほどではないが、出来ればアランの手落ちを隠してあげたかったのだが。些細なことではあるが、何故それが起こってしまったのか、聡明な地竜は気付いてしまうから。
「ごめん、アラン。失敗した」「ふむ。リシェが失敗したのであれば、致し方ない」
スナがこれらの機微に疎いはずはないので、愛娘が明かすことを選んだのなら、男の立場というか心情が理解できる僕がするのは、話を逸らすことだけである。
「ベルモットスタイナー殿も、何か懸念がおありですか?」
話し難いことなのか、地竜を間に挟んでも、話し始めるまで三拍ほどの時間が必要だった。決意と、ーー困惑だろうか、相反するものが同居しているように見えるが。
「ーー一族に強要などできないが、我は示したいと思ったのだ。人と係わるべきではないのか、人との距離を縮めるべきではないのか、……我が元凶であったというのに、厚かましいとわかっているが、それでも我は、ーーあれからずっと、我個人というだけでなく族長の立場からも考えていたのだ」
人と、向き合うことを。自身の内の、拭うことを自らが許さなかった、呪い、と言っても過言ではない瞋恚の炎を。アランの手助けがあって、どうにかベルさんに差し出すことができた。千周期の間、ベルさんを許さなかったのが誰であるのか、誰であったのか、彼に心付いてもらうことが出来た。「騒乱」では成し得なかった、僕が望んだ結果ーーん? 何だろう、決意さんが困惑さんの後ろに隠れてしまったみたいな、そんな表情で僕を見ているのだが。余程話し難いのか、今度は十拍ほどの時間を掛けてから、族長の役目を果たす為だろうか、困惑さんを押し退けて決意さんが再び前に、屹立するのだった。
「そこで気になったのが、アレのことだ」「アレさん、がどうかしましたか?」「率直に聞くが、侍従長はアレを貰ってくれるのか?」「はい?」「っ」「えいっ、です」
機先を制したナトラ様は、スナの背中に飛び乗って、両腕を首に回して、合っ体っ、ではなく密着、いや、捕獲という表現のほうが正しいだろうか。
「ベルモットスタイナー殿とは向きが違いますが、後の面倒を省く為にも、僕もリシェ殿に言っておくことがあるです。ラカールラカ、話が終わるまでは音を超えないように飛ぶです」「ひゅ~。わかっあ」「……ラカールラカが素直だなんて、何か悪いものでも食べたです?」「りえ。なおが苛めう」「ラカも最近、周囲のことに色々と気付いてきたみたいなので、ナトラ様もラカを褒めてあげてください」「僕が悪かったです。ラカール、っとと、はいしどうどう。ヴァレイスナ、暴れるなです」「馬ではないですわっ、父様と同じこと言うなですわっ」
一応言っておくと、僕と違って、ナトラ様は「はいし」を入れているので、熊扱いならぬ竜扱いはしているのだが、まぁ、今のスナには何を言っても無駄か。いやいや、暴れる氷竜に振り回されている地竜で、竜々な光景に和んでいる場合ではなく。皆は僕の普段の行状に、溜め込んでいたものでもあったのだろうか。聖竜に説教を喰らう邪竜のようで、何だか居た堪れないのだが。
「ベルモットスタイナー殿。続けるです」
一連の流れは、スナにとって都合が悪かったのだろうか、ベルさんよりもナトラ様のほうに反応していたようだが。竜にも角にも、愛娘が大人しくなったので、話の腰を折られて気勢を殺がれたものの、何とか立て直したようで、地竜に促されて話を再開する。
「アレのあれは、軽く見えるかもしれないが、『ハイエルフ』は、人の一生の何倍もの時間を費やして、想いを紡いでゆく種族なのだ。アレは一目惚れだったようだが、『エルフ』の想いとは、千周期を閲しようと揺るぐことのない炎なのだ……」「ベルモットスタイナー殿。その言い方では、恐らく、リシェ殿には通じないです」「ーーと仰ると?」「一族の者を想う気持ちはわかるです。でも、もっと全体を見て、話してみるです」「ーーーー」
あれ、おかしいな。何だか深刻な空気が漂っているような気がするのですが。僕の気の所為ならいいのだけど、ラカが知らん振りをしてしまうくらいの空気なので、というか、僕は〝目〟のはずなのに、この先の展開がまったく読めないんですけど。
「仕方があるまい。であれば我が……」「引っ込んでろですわ、焼け木杭」「……どんぞ氷が知らぬ、レイドレイクの『豪弓』から言い寄られよった主の過ち、聞きとうないのか?」「今すぐ直ちに矢庭に可及的速やかに即刻竜刻話すですわ」
ぐぉ、炎氷が仲良し(?)だ。同じ竜眼で僕を見てくる。二竜が協調するのはいいことなのだが、僕を断罪するときにしか発揮されないのはどうしたものか。って、ナトラ様も便乗して、三竜眼で見るのは止めないで……ごふんっごふんっ、止めてください。
「ぴゅー? わえが串焼き食べ放題中のとき、りえはお店の中で二人で仲良くしてあ」
……事情を把握していないらしいラカは、事実っぽい真実を、ミニスさんのことを匂わせる発言をしてしまう。あ、逢い引き(デート)を御破算にしたことが気に入らなかったのか、今度はギッタが、にまりと笑う。
「昨日、ラカちゃんと髪飾りを買いに行ったら、じじゅーちょーが居て、ティティス姫を愛人にしようと、見た目も愛らしいティティスちゃんの秘密を暴いてた」
「「「「「…………」」」」」「…………」
次から次へと出てくる疑惑に、炎氷が親友になってしまう前に(りそうがげんじつになるとそれはきっとあじけないものなのです)、僕は洗い浚い白状、ではなく、一連の経緯を邪竜さんも嫌がるくらいに、竜頭竜尾有竜無竜懇切竜寧に説明するのだった。
「ーー、……」
然てこそ僕の独演会が終了したわけだが。いや、そもそもこれって、何を目的に行われているのか、未だにわからないんですけど。僕を糾弾するだけなら、もっと違った遣り方になるだろうし、面倒を省く為、というナトラ様の言葉が鍵となるはずだが。
「で、主よ。テルミナにはどう応ずるのだ?」「え? どうって、偶々命の恩人になって、条件に当て嵌まっただけなんだから、テルミナさんなら僕よりも相応しい人と、いつか結ばれるんじゃないかな」「「「「「ーーーー」」」」」
え、あれ? 何だろう、皆の反応がおかしいのだが。
「あー、何だかわかってきたような気がするー」「わかわかー」「サンに、ギッタよ。この素知ら主に、言うてやるが良い」「おっけー」「おけおけー」
総意、というより、誰も反対する者がいなかったので、炎竜の加護を得た双子が息吹を吐く。
「古の時代。じじゅーちょーは、ありとあらゆる女性に嫌われていた」「男性だって、うっかりしてると妊娠させられちゃうから、近付かなかったほど」「人に嫌われる。それはじじゅーちょーにとって当たり前のことで」「当然のことで、うじうじしながら無駄無駄でぐだぐだな永劫の時間を過ごして」「そうして闇の底で震えているのがお似合いのじじゅーちょーに」「神々しいカレン様が手を差し伸べてしまわれた」「お優しいカレン様は、大嫌いなじじゅーちょーを、人の世界に引っ張り上げて」「その憐れみを勘違いしたじじゅーちょーは、ちょっと最近天地が引っ繰り返って」「モテモテみたいなことになったけど、異性に嫌われるのが当たり前だったじじゅーちょーは」「男としての自信なんて微塵もなくて、劣等感はヴァレイスナ連峰より……」「ぎろり」「ひゃっ、ひゃっぽい!? り、竜の国の山脈より高くて」「異性から自分が好かれるはずないって、自分の心を偽って、みみっちぃ矜持を守る為に」「相手を受け容れる度量なんて、ギザマルの爪の垢より少なくて」「近付かなければ、気付かなければ、傷付かないで済むから」「平気で、好意を寄せてくれた相手を蔑ろに、尊厳を踏み躙って、気付かない振りして、無視して」「遠くない未来に、後ろから、ぶすっと遣られて」「永眠してしまう、じじゅーちょーなのであったーー」「完」
二十点。要点が纏まっておらず、構成も悪いので、話に一貫性がない。……などと言える雰囲気ではないので、フラン姉妹が語った事実、もとい事実っぽいものについて、考察を深めなければならないわけだが。然のみやは、これは「同調」なのだろうか、サンとギッタは淀みなく交互に語っていたが、自己を確立したあとでも姉妹の絆は響き合って、失われることはないということだろうか。
「一応、リシェ殿を援護しておくです。リシェ殿の心は、人から竜に傾いているです。それが顕著になったのは、僕とラカールラカ就中風竜と出逢ってからです。リシェ殿は、すでに僕以外の地竜と面識があって、そして風竜の魔力を享けることで、四竜という安定した状態になったです」「そういえば、竜の国に二竜招いて四竜になれば、属性が安定するって、コウさんや、スナも言っていたよね」「ナトラが言っていることは正しいですわ。父様が自重なく、竜に積極的になればなるほど、人の想いに、人の存在に、鈍感になっていくのですわ」「竜の国ではヴァレイスナが、東域に来てからはラカールラカが、リシェ殿にくっ付いていたことが大きく傾けたです。……リシェ殿が、竜を可愛がり過ぎたり、甘やかし過ぎたりしたのも一因です」「ぴゅー?」
そうなると、止めは「千風事件」だろうか。昔の僕なら、千回も口付けされたら、大変なことになっていたはず。然し、今に至るも、当然のように風を享け入れて、海のように、大地のように、僕の土台となっている。
「凡そ理解した、と思う故、確認をしておこうか。もう一度聞こう、侍従長は、アレを貰ってくれるのか?」「えっと、アレさんの好みに合ったというだけで……」「主よ。言い訳はよい。細かいことはあとで考えよ。貰うか貰わないか、或いは決められず迷っているなら、わからない、と答えよ」「え、あ、それは……、答えは決まってるけど。その、今の僕が、人と結ばれるっていうのは、想像できないというか、たぶん無理だって、完全にそうだってわけじゃないけど、だから、その……、えっと、アレさんは貰えません」「そう、か。致し方あるまい。アレには我から伝えておこう」「ふむ。であれば、クリシュテナも貰ってはくれないのか?」「えっと、それは、……はい」「あれあれれ? アラン様、ちょっと残念に思っておられるのですか?」「最近、義弟とでも友情は育めるのではないかと確信を深めていた。だが、運命の天秤は傾かなかった。クリシュテナには私から伝えておく」
うぐ、どうしたものか、自分の心を整理できない内に、何だかどんどん先に進まされているような。いや、これは言い訳だ。違和感はこれまで幾度も感じていた。
テルミナさんにクリシュテナ様、それとアレさんのことはよくわからないが、皆僕にはもったいないくらいに魅力的な人たちでーーああ、違う、この考え方がいけないと、言われた、指摘された、警告されたばかりだというのに。僕という存在を卑下することは、僕に好意を寄せてくれた人に失礼になる。ーーそこまでわかって、漸く辿り着いた。
「ひゅ~。りえの風は、こんとわえとほのに吹いてう」「ラカちゃんが言うなら、そうかもかも」「ラカちゃんが言うなら、そういうこともかもか」
そう、なのだろうか。ラカの言う風即ち恋情ということではないだろう。僕の風が向かう先に、スナとラカと百が在って、これは僕の望みなのだろうか、優しく吹いているのは確かなんだけどーー。
「主の風とやらが、必ずしも人に吹いていないとは思わぬがな」
「そう、ですわね。油断ーーはしてはならないのですわ」
ぼふんっ。
炎竜に氷竜が同じて、お互いが顔を見合わせた瞬間、魔力というより属性がぶつかり合ったのか、弾けるように距離を取る二竜ーーとナトラ様。ん? 空耳だろうか、スナと百がぼそっと、我が友、とか、あの娘、とか、聞こえたような気がしたのだが。う…ん? いやいやっ、そんな風に聞き取ってしまったのは僕の願望とか、心の奥底のよくわからないものの発露とか、そんなこと竜だって知りませんからっ。あれ? ちょっと待って、何だかよくわからないが、魔法使いの笑顔を思い出した途端の、この心臓だか魂だかが、ぎりぎり締め上げられているっぽいのはーーはっ、そうか! みーの爛漫笑顔をずっと見ていないから、仔竜と一緒の女の子のことまで特別な感じになっているわけか、なるほど、そうか、そういうことか。……あー、駄目だ、今は、何かぜんぶが、真面に機能してないことがわかったので、一旦風竜のお口にぽいっとしてしまおう。きっと、風は遥かに、高く高く遠くまで運んでくれるはず。
「…………」
竜にも角にも、まだまだ頭が混乱していて、昔のことまでは無理なので、最近のことだけでも顧みてみると。……イスさんやユルシャールさんに嫉妬して、嫌味なことをしてしまったような。ああ、機会があったら、二人には謝っておこう。
「リシェ殿のことですが、先ずはヴァレイスナからやるです。何か訂正や意見があったら、ヴァレイスナだけでなく、皆も口を挟んでくれて良いです」
スナにしては珍しい、手心を加えて欲しいのか、ナトラ様の頭を撫で撫で。いや、手に魔力を集めているようなので、もしかしたら脅しているのかもしれない。
「ヴァレイスナは、リシェ殿を氷殺しようとしたり空からぽい捨てしたりと、ーーリシェ殿は、何故それだけのことをされたのに、普通にヴァレイスナと接しているです?」
話の途中で疑問が生じたようで、好奇心を抑え切れなかったのか、或いは人のことをーーアランのことを知りたかったのか、ナトラ様は率直に尋ねてくる。
「それは勿論、スナを信用も、信頼もしているから。ーーそれに」
世界のすべてが雪で覆われていたとしても。雪の結晶の一つたりとて、穢れたものなんてないから。胸に溢れてきたのは、そんな情景だったから。そのままの想いを言葉にする。
「スナに殺されるなら、それはそれでいいんじゃないかと思ってるから」
どこまで落ちていくのかわからない。どこまで拡がっていくのかわからない。そんな心地で氷竜に差し出して。心のままに笑みを浮かべることが出来た。
「「「…………」」」
「……リシェ殿の、竜を蕩かせる、優しい笑顔の理由が、少しわかった気がするです」
あ、不味い。あまり評判のよろしくない、自然な、素の、無防備の笑顔を見られてしまったのだが。あれ? クーさん曰く、無遠慮、だったり、みーが「むりゅむりゅ」になったりと、散々な感じだったのだが。竜の感性がおかしいのだろうか、スナも百も、あとラカも、僕を直視できない感じなのだが、これはどう判断すればいいのだろう。
「話がずれたので、戻すです。あとで話すことも、これと関連したことなのですが、要点は、『千竜王』の影響についてです。ヴァレイスナは、『千竜王』を調べていたはずです。好奇心や求知心というだけでなく、リシェ殿に差し障りが生じるかなどです。それは三周期、或いは五周期、十周期と費やして、研究していくはずだったです。
でも、その予測は外れたです。もう少し落ち着け、というくらいに、リシェ殿は突っ走っていったです。変態……ではなく、竜への偏愛を窘めようか悩むほど、……竜とあっちっちだったりひゃっこいだったりひゅるるんだったりしたです」
言葉の選択に、竜ですら迷ったらしく、三竜がおかしな比喩、というか表現になっていた。地竜が話を続けようとしたところで、「千竜王」に一家言あるのか、炎竜が割り込む。
「我が言うた通りであろう。『千竜王』への考察が、根本が間違っていたからと軽率短慮に、主を危険に晒そうなど……」「百竜。物凄い勢いで墓穴やら竜穴やらを掘っているので、そこら辺で止めておくです」「ぴゅ~。ほのはもうちょっと、こんのこと知ったほうがいー」「…………」
地竜だけに留まらず風竜までとあっては、炎竜も炎を飲み込んでしまったようだ。竜の魂とはいえ、零歳の百には、あと、属性的に反発しがちな氷竜とあって、評価を歪めてしまっているようで。僕や「千竜王」への執着心のみならず知識がある故の齟齬など、これらの問題解決には長い時間が、失敗を繰り返しながら経験を積んでもらうという、ある意味、特別ではない普通のことが必要になるだろう。
「とはいえ、想像が及ばないのは仕方がないことです。ヴァレイスナは、『極氷水』を千周期掛けて研究したです。長期間、一つのことと向き合う。そうすることで得られるものの多さに、人種だけでなく竜も、思い至らなくても仕方がないことです。
一言で言うならーー確立されている、です。基礎の上に、果てしなく積み上げられているです。危険そうに見えたとしても、それはただの演出です。壮絶な試行錯誤の末に、どれだけ繊細に組み上げられているのか、似たようなことをしてきた僕でも、頂を見上げるのが空恐ろしくなるほどです」
スナに乗っかったナトラ様は、実際に空を見上げて。見下ろして微笑むと。
「ここらは、僕が何を言う必要もなく、リシェ殿とヴァレイスナで、もう少し上手くやるです」「余計じゃないお世話も要らないのですわ」「そう言わず、竜付き合いということで、受け取っておくです」「ひゅ~。こんは氷なのに、深いところから吹いてきて、もあもあで温めてくれるのあ」「ひゃふ。もう、勝手に言ってろ、ですわ」
永い竜生でも、手放しで竜たちに褒められたのは初めてだったのか、不貞腐れたような愛娘が可愛過ぎるのだが、どうしたものか。今すぐ抱き締めて、撫で撫でしたいところだが。手をわきわきさせられないので、心をわきわきさせてみようか。って、いやいや、真剣なのか重要なのかする話の途中なのだから、我慢のし過ぎで竜になるまで我慢我慢。
「それでは、本丸に、竜丸に突貫です。ーーリシェ殿。東域のスーラカイアの双子は、下手をすると人種が滅びてしまうかもしれない深刻な事態です?」「え? それは勿論。あと、コウさんの魔法も絶対というわけではないので、そこらの兼ね合いにも注意しないと」「僕たちには、竜たちには、今回のことは深刻、と呼べるほどの事態ではないです。積極的に解決に係わる、奔走する、などというつもりはなく、リシェ殿やアランに協力する、という体を取っているです」「そうですわね。人種のことは人種でどうにかするのが、在るべき姿、という奴ですわ」「はっきり言うです。リシェ殿には、危機感が足りないです。ラカールラカと角磨きをしたりヴァレイスナへの贈り物を調達したりと、そんなことをしていないで、のんびりなどしていないで、人種の危機と真剣に向き合うです」
これはーー、ナトラ様の真意がわからない。竜は当事者にはならない、と言っておきながら、協力者の枠を超えて事態の解決を僕に求めている。いや、当然、言葉通りではないのだろう。アランを始めとして、人種との係わりから、当事者になれない、なってはいけない焦りから出た発言ーーなどと考えてみるが、感情が否定する。
「ふむ。そういうことか。私もそれは気になっていた」「どういうことでしょう、アラン様。確かに、ちょっとあれなところも、いえ、ちょっとではないくらい、ありましたが、リシェ殿は命懸けで取り組んでいたように、私には見えたのですが」「命懸け、というところを否定するつもりはない。これは、立ち位置、の問題と言って良いだろう」「立ち位置、ですか?」「ふむ。リシェの立ち位置が、ナトラやスナ様ーー竜の側にあるのではないかということだ。親友ゆえ、敢えてきついことを言おう。リシェは、人類が滅びたとしても仕方がない、許容できない事態ではない、そう思っているのではないか」「え……?」
そんなことはない。直後に発すべき言葉が、透明な何かに飲み込まれて、いや、痕跡すら圧倒的な喪失に耐え切れず、抹消なのか消滅なのか、言葉さえなくなってしまって、何処かに還ってしまった。
「あとはリシェ殿が自分で消化するーーとここで終わっても良いのですが、もう一つ、認識を新たなものにしてもらう為に、言っておくです」「ーー、……っ」
うぐっ、まだ半分も呑み込めていないというのに、地竜はまだ追加する気でいるらしい。
「今、竜は、嘗てないほど塒の、外の世界に、人に興味を持っているです。その要はリシェ殿です。こうして、大きな軋轢が生じることなく竜と人が、融和、と呼べるほどの関係を築いているのは、リシェ殿を中心として動いているからです。これは他の誰でも、百竜でもヴァレイスナでも、アランでも翠緑王でも無理なことです。百竜にヴァレイスナ、僕とラカールラカ。エイリアルファルステとランドリーズを含めた二十一竜。これから係わってくるかもしれない竜も、リシェ殿を通じて人と係わっていくです。リシェ殿は自覚しておくです。リシェ殿を介さず、竜と人が交わったのなら、破滅的な結果を齎すことになり兼ねないです」「主はもう、逃れられないのだ。欠くことなど出来ぬ。竜の求めが主を創る。結わえられた魂は、引き剥がすことなど能わぬのだ」
見ると、百の言葉に反発するかと思ったが、炎竜の認識は事実に沿ったものなのか、スナは何かを考えているようで。
「リシェ殿がいなければ、竜は人と、ここまで係わっていないです。勘違いしてはいけないです。竜は、そんなに易い存在ではないです。それを感じさせないようにしているのは、すべてリシェ殿の責任です」「ひゅ~。『もゆもゆ』がなければ、『ほくほく』で満足して、わえも寝床を探してなー。一番悪いのは、りえなお」
ラカにまで太鼓判どころか竜判を捺されてしまったのだが。何処まで行っても、「千竜王」が付き纏う。僕という存在は、どれだけのものなのだろう。僕の内に「千竜王」がなければ、「もゆもゆ」ではなかっただろうし、「千竜王」の魂に拘っている百は、ただの人間である僕に、見向きもしなかったかもしれない。ラカは、一番悪いのは、「千竜王」ではなく、僕、だと言った。ーーその通りだ。僕は悪い奴だ。「千竜王」を嫌って、詰って、毛嫌いして、罵ってきたというのに。「千竜王」を使って、利用して、天地が引っ繰り返っても、炎氷が仲良くなっても、出来ないことをしている。狡だ。卑怯だ。でも、だからどうしたというのだ。人は平等ではない。偶々なのか天の配剤なのか、手にしたものを使って、何が悪い。……ああ、そうなんだよなぁ。結局は、納得できるかどうなのか、なのだ。今在るものを受け容れられるかどうか。
これまで幾度も、僕と竜の、竜と人との、間に生じるもののことに、喜ぶと同時に頭を悩ませて、満足すると同時に心を痛めてきた。手を伸ばして、ずっと求めていた。手が届いてしまったあとのことなんて、憧憬に包んで忘却したまま。手が届かないことは、優しさでもあった。何一つ、知ることなく、夢を見続けていられる。でも、僕は知ってしまった。優しさの先にあったものを。納得、なんてどうでもいい、邪竜にでも食わせておけ。僕が求めているのだ。違えることなく見詰めているのだ。
ああ、何だろう、これは何処から遣って来た、降って(わいて)きたものなのか。
炎を綯うて、一寄と傍らに灯らぬことはなく。
名残や坐すがり、氷の酣に面影は失わず。
喪失は風の萼と、寄る辺なき梢に留まらず。
地に直なり、送る先にも足搦に迷うことなく。
僕はもっと、自由に振る舞っていい。竜すら置き去りに、心のままに羽搏いていい。誰に許されていなくとも、たった一つ、失うことなく抱いていられるのならーー。
ごちんっ。
「「「「「っ!」」」」」
ナトラ様が咄嗟に「結界」で足場を作ったようで、竜頭が消失しても大きな被害は出なかったのだが。
「ひゃ…ごっ……」「びゅ…びゅ~」「…………」
直撃、というか、竜撃なので、とっても痛そうなのだが。竜にも角にも、赤くなっている患部を、痛いの痛いの天竜~(おそらのむこう)、ということで撫で撫でしてあげる。
途中で氷風に弾き飛ばされて、ごちん、しなかった炎竜が、僕の手が届かないところでむっつりしている。最初に我に返ってしまったので、客観視できてしまったので、行動を決め兼ねているようだ。
「えっと、ナトラ様。何があったのでしょうか?」「く、ふ? です?」
正しく理解したいので、地竜に質してはみるが。状況からして、僕を拒絶する為だったのかもしれない、子供のように、確とアランに抱き付いているナトラ様。
「ていやっ、です」「えいやっ、です」「「…………」」
一人と一竜の関係が、見ていてもどかしかったのだろうか、ナトラ様が逃げられないように、サンとギッタは王様地竜に抱き付いて、一塊になって(りゆうづけして)しまう。
「……ラカールラカの『千風』よりも、焦がれるような衝動が竜撃です。『結界』も反射的にーー、理屈とかそういうことではなく、……暴発竜だった、です。リシェ殿がとことん悪いです」「父様が滅法悪いですわ」「主が極めて悪い」「りえがいっぱい悪ー」
僕が四竜に逆らえるはずもなく、竜の果てまで僕が悪いことに決定。竜にも角にも、暴発竜でスナと、「人化」したラカが、僕のことしか眼中になかったのか、思いっ切り角を氷風してしまったので、僕が原因のようなので、絶賛過剰撫で撫で中。まぁ、竜にも角にも、「竜発事件」とでもしておこうか。
「竜は、易い存在ではないーーか」「ベルモットスタイナー殿。何か気になることがあるのでしたら、是非にもお話しいただきたい」
ちょっと前のめりな感じは否めないが、僕にとって逆風っぽい流れを変えたくて、「エルフ」の星霜に鍛えられた見識に期待しまくりなのだが。話すの止めようかな(訳、ランル・リシェ)、って、いやいや、そんな嫌そうな顔してないで、侍従長を助けると思って、どうかどうかお願いいたします! と僕の内心の、哀訴嘆願が実ったのか、助っ竜が現れる。
「何か、面白そうな匂いの、予感がしますわ。迷っているくらいなら、話してしまうですわ」「そう、だな。近付こうとするなら、知ってもらう必要もあろう。人より長く生きている分、竜とは異なる視点で、我の知識と経験を語るのは悪いことではなかろう」
スナの後押しが効いたのか、ベルさんは、古木の幹や枝を見詰めるようにーー話し始めようとして。仲良く僕にくっ付いていた二竜だが、氷竜は隣の風竜が気になるのか、後押しならぬ後引き、って、それじゃあ意味がおかしくなって、いやいや、なんかいい感じの造語を捻り出そうとしている場合ではなくて。
「風っころ、竜になって、とっとと東域まで運べですわ」「びゅ~。わえばっかりじゃなくて、こんが飛べばいー」「風竜の癖に、飛ぶことより父様を優先するなんて……」「びゃ~。わえと違って、こんは竜よりりえを選んでるんだかあ。もうちょっと鷹揚に構えて、譲ってくれてもいいのあ」「ひゃふっ! こぉんの、風っころっ、良い度胸ですわ!」
……ん? あれ、今、ラカが何だか重要なことを言った気がするのだけど。
「ぴゃ~っ、ぴゃ~っ、ぴゃ~っ!」「止めんか、おちゃの氷。我が運んでやる故、欲深風の世話でもしておれ」「ひゃっこい! 風っころの世話係はナトラですわ!」「違ー。わえがなおの面倒を見てぶゅっ!?」「尖った岩を、高速回転させて、口にぶっこむです」
う~む。何とも竜竜竜である。ごめんなさい、と、お願いします、の両方の意味を込めて、ベルさんに軽く頭を下げる。
「『亜人戦争』のあと、人種が復興に取り掛かってから、我らに危害が及ばぬよう、人種の記憶の風化を助長、記録の削除ーー廃棄などを行った。今でもわからぬのだが、その頃の人種は、精霊魔法に対する耐性を失っていて、五十周期ほどの活動で、一応の成果を収め、我らは隠れ里に戻った」「聖語時代の前の人種ーーというと、スナ、何かわかるかな?」「最近の、外が騒がしかった頃ですわね。見に享ける魔力から、多少のことは伝わってきましたが、塒から出ることはなかったので、詳しいことはわからないのですわ」
種の存亡を懸けた戦いも、氷竜にとっては、騒がしい、程度のものでしかなかったようだ。それはナトラ様も同様だったようで、自然と皆の視線は竜の魂である百に向くが。ちょうど竜になったところだったので、声を掛けることにする。
「百……」「びゅー。わえにも聞くのあ」「……ラカは何か知っているのかな?」「ひゅ~。人種は魔具のようなものを使ってあ」「あー、魔法具ではなく魔具。そして、後の世に残って、伝わっていないということは。危険なものだったのかな?」「ひゅ~。完全な適合は無理だっあ。でも、使わないと生き残れないから、使ってあ」「そうなると、人種が勝利したあとに使わなくなったのは、使用者にとって、だけでなく、為政者にとっても危険と判断されたのか」「ぴゅ~」「その後、聖語が台頭して、魔具擬きは……、どうなったのかな?」「ひゅ~。わえの寝床にあう」「……は? ーーへ?」
……ほ? ーーな?
「ーーそこのところ詳しく」「ぴゅ~? 風でふあふあしてたら、『たぷたぷ』に捕まっあ。あっちの大陸まで運ぶお駄賃でくれあ」
竜にも角にも、全然詳しくないが、幾つかわかったことはある。「たぷたぷ」は十番なので、順位の高さから人種ーーかどうかわからないが、魔具を管理乃至所有していた者から、譲り受けたようだ(せかいからほうむりさった)。魔具擬きを使っていたのかどうかはわからないが、ラカを捕まえることが出来たのだから、相当な能力の持ち主だったのだろう。というか、人を乗せて飛ぶのはフラン姉妹が初めてかと思っていたが。ラカの様子からーーまったく気取ることは出来なかった。近付き過ぎて、見えなくなっていたのかもしれない。僕が思っている以上に、風竜は豊かな経験を積み上げてきたーーというか、ラカは、僕の常識なんて、するりと吹き抜けていく、そんな風竜だってこと、知っていたはずなのに。
「風っころ。取り引きですわ。これから、すっごく優しく接してやるので、その魔具擬きをぜんぶ寄越すのですわ」「騙されるな、ふつつ風。嘘吐きは氷竜の始まりであろう」
嘘は世の宝、とか言いたくなってしまったが、面倒なことにしかならなそうなので嘘吐き(ぼく)は黙っているとしよう。と決めた瞬間に、まったく予測していなかったので、風竜からの贈り物に、素っ頓狂な、もとい風竜語で返事をしてしまった。
「ぴゃ~。わかっあ。ぜんぶ、りえに上げう」「……ぴゅー?」「「「「「…………」」」」」
……やばい、どうしよう、凄く恥ずかしい。風の権化であるラカなら可愛い、もといーーじゃなくて、ぽやんぽやんだけど、邪竜な侍従長では、邪愛い……ごぷんっ。
「と、謎が解けたところで、ベルモットスタイナー殿。話の続きをお願いいたします」
おかしな造語は聖竜に食べて貰ったので、誤魔化し完竜である。皆して、胡散臭過ぎるものを見る目をしているが、聖竜が味方の今の僕に怖いものなどない。ぺちょんっ、と背後から聖竜の騙し討ちを喰らってしまったが、くそぅ、やっぱり味方は邪竜だけか!
「以後、百周期ごとに、我と選抜した『エルフ』数人で大陸を巡り、人種を知り、脅威となるものはないか、確認していた。我らが人種の言葉を解するのも、そのような理由による。ーーと、ここまでが前置きだ。
我らが竜の国へ庇護を求めるまで、竜を目撃したのは一度だけであった。それも、大陸を巡っている最中のことだったので、ロンデギヌスを始めとして、古き『ハイエルフ』ですら見えたことがない、奇跡的な邂逅ーーであったのだが」
どうしたのだろうか。今にも雨が降り出しそうな曇り空、といった表情のベルさんに鑑みると。竜は、そんなに易い存在ではない、と言ったナトラ様の言葉を証明するような出来事があったのだろうか。古い記憶を掘り起こしているのだろうか、彼方の空を見遣りながら「エルフ」は言葉を継ぐ。
「それは、聖語時代の後期だった。後戻りできないという聖語の、最後の輝きだったのかもしれない。二百人の聖語使いによって、大聖語とも言うべき壮大な術が組み上げられた。百人ずつ、二交代で、二巡りを掛けて作り上げるーー恐らくは、聖語時代での最大火力を誇るであろう攻撃。彼らは、その術を『竜殺し』と呼んでいた。読んで字の如く、聖語使いたちの目的は、竜を倒すことであった。
人種は、恨むべき敵であったが、彼らの純粋な、懸命な姿に、ーー今だから言うが、いつしか私も期待するようになっていた。最後の日、最後の交代を終えて、疲労の極致にあっても、誰も彼も皆、子供のように目を輝かせていた。
ーーそして、そのときは遣って来た」
皆が聞き入る中、空から大地へと向かったベルさんの視線は、炎竜の竜頭で遮られてしまったが、竜を透過した重たい声が地面まで落っこちていってーー。
「どごんっ、ーーだった」「……何が、でしょう?」「でっかい。そう、それはでっかい岩が飛んできたのだ。構築していた聖語が完膚なきまでに破壊された。あまりに集中していた為、巣穴から地竜が出てきていたことに誰も気付かなかったのだ。そして地竜は、何事もなかったかのように、巣穴に戻っていった」「「「「「…………」」」」」
何という結末だろうか。まぁ、巣穴の前で大聖語なる術を組んでいれば、そうなるのも無理からぬことではあるが。
「うおぅ? ナトラちゃんの魔力が?」「さおぅ? ぷるぷるしてる感じ?」「ふむ。ナトラの魔力は正直だ」「…………」
ああ、どうやらナトラ様は、昔から破壊魔の素質十分だったようだ。
「僕は悪くないです。塒の前で二巡りも騒いでいたです。人種のやることだから大目に見ようと思っていたです。でも、二巡り目に大合唱まで始めて、角にきたです」「えっと、ベルモットスタイナー殿。謎合唱というのは?」「ーー彼らは、気力も体力も尽きかけていた。然し、術の完成は間近。自らを奮い立たせる為に、ラン・ティノが作詞作曲したという『聖語は努力の賜物』を誰ともなく歌い始め、魂の兄弟とも言うべき高揚感がーー」
瞼の裏に刻まれているであろう、遠い日々の情景に思いを致したのか、往時聖語使いたちに満ちていたであろう期待感がーー絶望の、混迷の色に染まって。ベルさんは聖語時代の終幕を語るのだった。
「聖語使いたちの間で、その日は、『落日』と呼ばれることになった。『落日』を境に、聖語使いは、凋落の一途を辿ることとなった。追い詰められると、人は何かに縋るものなのか、『破滅の鐘』なる宗教が伸張して、『落日岩』は彼らの聖地となったようだ」「聖語は、いずれ行き詰まったんでしょうけど、崩壊を早めたということは。ナトラ様は、人種の歴史を大きく変えてしまったということになりますね」「ふむ。歴史とは、些細なことで流れが変わる河のようなもの。今、生きている者の少なくない数は、ナトラの行動によって生まれてくることが適ったと見て良い」「逆に、生まれてこれなかった者も、少なくない数、居るってことになりますけどね。とはいえ、それは責められるべきことではありませんが」
未来に対して負っている責任があるとするなら、種を途絶えさせるくらいのことである。罪で裁かれるとしても、それは現在生きている者が行うことであって、未来の人間が裁くことではない。係わり、それ自体を罪にしてはならない。まぁ、運命、というものをどう解釈するかは人それぞれではあるが。
「主よ、自覚しておるか?」「え? 何を?」「主は、先の、竜の領域へと足を踏み入れてより、人らのことを、人種、と呼んでおるぞ」「えっと、う…ん? そう、かな?」
どうだっただろうか。自覚はないが、百やスナの顔を見る限り、炎竜の言葉に間違いはないようだが。無意識だったということは、境を越えてしまったということだろうか。
「っ!」
引き摺り込まれるような、何かが奪われるような、その先には当然、「千竜王」が在って。幻視してしまった。僕が育った、この大地が、今居るこの世界、そのものが「千竜王」の存在の余韻で。「千竜王」に取り込まれるとか同化とか、そんな水準ではない、ああ、やっぱりそうだ、「千竜王」は、「千竜王」は、駄目なやつだ。戦うと、思った瞬間に負けている、どうにもならないもの。認識すらしてもらえず、始まる前から敗北している。
「熾火。竜の魂だからと、いつまでも見逃してもらえるなどと思わないことですわ」「氷柱。我と其方とでは辿り着くべきところが異なる。我を排除したとて無意味だということを知るが良い」「百もヴァレイスナも盛るな、です。それと双子はそろそろ離れるです」
スナやラカの、十倍くらいの羞恥心を持っていそうなナトラ様は、疾うに限界を超えていたのか、もぞもぞとフラン姉妹を押し遣って、名残惜しそうに、のろのろとアランから離れる。だったらずっとくっ付いていればいいのに。などと思うのは下世話、ではなく老婆心、でもなく余計なお世話だろう。人と竜にも、適切な距離というものがある。僕にくっ付いている氷竜と風竜がどうかというと、最適解だと言わざるを得ないわけだがーーごふんっごふんっ。
それとなく百の角にすりすりしている魔法使いや、腹這いになって全身で炎竜を堪能している呪術師は、紛う方なく不適切であると言えるのだが。まぁ、二人とも「治癒」は使えるし、遣り過ぎれば百の炎に焼かれる(おしおきされる)だろう。
「ーーふぅ」
前回と同じく、東域には百に乗って向かうことになったので、到着まで、それなりの時間があるだろう。おざなりにしていた僕が悪いのだが、説教みたいな感じで、皆してぽんぽんと投げ込んできてくれたので、僕の行状だったり「千竜王」だったり竜竜竜だったり、面倒なので一緒くたにして、氷風に塗れたまま思惟の湖へと飛び込むのだった。
「ぴゅ~? りえ、居う」
湖の底から浮上してきて、ぷかりと水面に顔を出すと。潜り過ぎた所為か、いまいちはっきりとしなくて、ぼんやりとして、ラカの、いう、という言葉の意味に辿り着けず、頭に浸透しなかったのだが、逆にそれが良かったのだろうか、僕にも届いたーーわかった。
「居るね。二竜、『人化』している、この感触はーー古竜?」
何も見えない。何も感じない。そのはずなのに、わかる。ただ、わかってしまう。竜が居る。竜が居るのだ。ーー体の内を、何かが巡っているような心地。
「どうですわ、ナトラ?」「今、やっと感覚に引っ掛かったです」「私も、父様の後だったですわ」「ふむ。居る、と言われてみれば、居るような違和はある、気がする」
馴染むような、それでいて心苦しいような心地がじれったく、一旦手放して、意識を逸らす為、残りの面々に顔を向ける。
「我の内に在る大精霊が、竜の気配を感じ取ったようだ」「周囲に竜が居られるこの状況では、私には不可能です」「同じく。この魔力濃度で感知できる理由がわからない」
見た目が同周期の三人が答えると、さて、残りの二人はどうだろう。
「くお~、おーさまは~」「ふお~、『探査』も『感知』も教えてくれなかったから~」「むお~、梨の礫で竜の息吹~」「二人とも、こういうときは、魔法を使うよりも、型に嵌めてしまうよりも、純粋な魔力を、できる限り遠くへ放つ心象を行うほうが、良い結果を得られることもあります。と、未だ何も知覚することが出来ない魔法使いからの助言です」「おっおっおっ、なんかなんか~」「片っぽは、氷竜っぽくて~」「ほっほっほっ、そやねそやね~」「もー片っぽは、地竜っぽい~」
素直であることが功を奏しているのだろうか、ユルシャール師範の的確な指導で、二竜の属性を探り当ててしまう双子。……もしかして老師、指導方針が間違っているのではないだろうか。個を自覚し始めた双子。今のところ、姉妹の能力が累減する様子はなく、それどころか累加している部分もあるような。まぁ、フラン姉妹については、スナとナトラ様に経過観察をお願いしてあるので、件の氷竜地竜に意識を向ける。
「主よ。呼び掛けようか?」「僕たちを待っているようだから、直接向かおう」
この感覚からして、二竜は草の海の海岸ーー丘の上空にいるようだ。お出迎え、なのだろうか。初訪ではなく再訪時に接触の機会を設けたとなると、目的は那辺にあるのだろう。魔力の感じからして、敵意を向けられてはいないが、然りとて友好的かと問われると、返答に困るところ。何というか、興味を持たれているような、好奇心がうずうずなーーこれは「千風事件」の「欲求」の影響を考慮したほうが良さそうだ。
「では、僕が前に出ましょう。皆さんは、ナトラ様の後ろに。スナとラカは、一応警戒してもらえるかな」「ーー熾火。氷竜と地竜ということは、フィフォノとゲルブスリンクの二竜ということで良いですわ?」「そうさな。東域の三竜と呼ぶべき、左右の二角で間違いなかろう。エタルキアのほうは、相も変わらずおかしな反応しかないがな」
べりっ。ぽいっ。
「えっと、ラカはくっ付いたままでも問題ないんじゃ……」「ふふりふふり、私が断竜の思いで父様から離れたのに、風っころだけくっ付けておくなどと、どうして思ったですわ?」「びゅー。こんとかなおとかみたいな変な感じじゃないから、問題なー」「あー、二竜とも、ラカに悪気はないから、氷漬けと岩漬けは勘弁してあげて」
風竜は災いの元、との格言が広まりそうな今日この頃ではあるが、でも、ラカがラカっぽくないのは非常によろしくない気もするので、風竜に真意を尋ねるとしよう。
「ラカ。変な感じ、というのは、スナやナトラ様のように強くないってこと?」「違ー。おのとげうは、おかしな感い」「……は? あ~、えっと、東域の『最強の三竜』だから、弱いわけはない?」「古竜なのですから、ナトラや風っころのように、特徴ーー特性やら個性やらがあるかもしれないから、油断するなってことですわ」「特徴が突き抜けたヴァレイスナには言われたくないです」
竜眼ではもう見えているようだ。二竜は、百の進路に視線を向けながら話している。
危険かもしれない。然し、いまいち危機感や警戒心が芽生えないのは、やはり相手が竜だからだろうか。竜が僕に危害を加えるはずがない。呼吸をするより自然に、根付いてしまった、僕自身を構成している、失わせることが出来ない大切な何か。僕の人間の部分で、強く自覚しなくてはならない。大きなものの横にいると、知らず知らず引き寄せられてしまうのだ。流されるだけでは、気付くことも出来ずに、「千竜王」に引き摺られ、引き裂かれてしまうことになるかもしれない。
「随分と、着古していますわね」「継ぎ接ぎだらけです。二竜がともにそうであるとするなら、人種から入手した可能性が高いです」「可能性ということなら、一竜がそういう、物を大切にする性格で、もう一竜が着るものには頓着していない、ということもあるだろうけど……あ、見えた。う~ん、着慣れているという感じはしないね」
全裸でないのはありがたいことだが。古竜であるし、みーのように、いや、竜は服を着るという習慣がないのだから、心配りだけでなく心添えといったことまで考えておく必要があるか。然ても、二竜との邂逅、というか対面まで、特にすることもないので、見た目の分析やら予測やらを行ってゆく。二竜ということで、ラカとナトラ様との出逢いが思い出される。二竜のように、性格に大きな隔たりがあったりするのだろうか。
「ーーーー」
然ればこそ、先ずは氷竜に視線が行ってしまうのは仕方がないことで。氷竜フィフォノは、スナより細く短いものの、似たような、いや、少し青味が強いだろうか、寂れた色の角を、左右の竜眼の上の、生え際辺りに二本生やしていた。ーーん? 不機嫌そうな顔をしているが不機嫌ではない? 眠たそうなのに頑張って起きているラカーーみたいな感じがして、不思議と親しみが湧いてしまった。ゲルブスリンクのほうは、うん、やはりナトラ様に似ている。知的な雰囲気があって、ここからでは角の存在は確認できない。
「ーーと」
百は二竜の前で停まろうとして、僕たち、というか僕と二竜の視線の高さを合わせる為に、わずかに高度を下げた。恐らくは偶然だろう、図ったような時機で二竜が前に出て、魔法か属性の能力を使っているのだろうか、スナとラカの対応が遅れて。
「みーんー」「それでは『千竜王』、行きましょう」
フィフォノは右腕、ゲルブスリンクは左腕。「甘噛」を使っていないかもしれないので、二竜の魔力を借りて対処すると、それ以外が疎かになってしまうのは仕方がないことで。
「え?」
両手に竜、もとい両手が竜で、お空に飛び立つ侍従長。いや、落下は措くとして、「浮遊」で運ばれるくらいなら慣れてしまったので、慣れさせられてしまったので、恐怖心はないのだけど。ただ、何というか、いまいち状況が読めなというか把握できないというか。
「びゃ~~っっ!!」「ちっ、私としたことが遅れたですわ」
こらこら、竜娘が舌打ちなどしてはいけません。などと叱る暇もあらばこそ、「転移」のような速さでラカが僕の胸にぺったんと、背中にスナがべったんと貼り付いた。
「びゃびゃびゃびゃびゃびゃびゃびゃびゃ~~~~っっっ!!」
ラカの先制攻撃、というか、専有攻撃、というか、「もゆもゆ」の危機(他竜の魔力の影響で寝心地が悪くなる)を嗅ぎ取って、膨大な魔力を放出して、僕にくっ付いた三竜を吹き飛ばそうとしでぇっ!?
「良い度胸ですわ、風っころ! 私を排除できると思っているなら遣ってみるですわ!!」
後ろから前からどうぞ、って、そんなこと考えている場合じゃなくてっ! 左右だっでべっ??
「なーっのーっ!!」
「仕方がありません。ここで属性を解放しないと、余剰魔力がすべて私に来てしまいます」
死法、ではなく四方から、絡み合った膨大な魔力の渦が天を衝く勢いで立ち昇って。何だか牢獄に囚われた気分で、竜絶なる光景に魅入っていると。外側の「結界」が破れたのか、自身を守る為なのか、或いは単なる八つ当たりか、百が僕と四竜に息吹を浴びせ掛ける。然ても、四竜解放、どうやったら終わらせられるのだろう。
「ぴゃ~ぴゃ~ぴゃ~ぴゃ~っ!」「これは、氷竜が二竜いる所為でしょう。相乗効果でしょうか、地と風の属性が予想以上に圧迫されています」
均衡が崩れたようだ。ゲルブスリンクの所見が正しいのか、首を捻ってナトラ様を見ると。そこには、魔鏡を覗いて、わくわくがどきどきな地竜のお顔が。好奇心が勝ったのか、僕と視線が重なっても、絶賛分析中のアランの守護竜(よのなかにはりゅうよりたいせつなものもあるのです)。然てしも有らず、このままだと風竜と地竜がやばそうなので、右側と、背後の魔力を探ってみると。気付いているはずなのに、まったく緩めるつもりがない氷竜たちに鑑みて、僕がどうにかしないといけないようだ。ーー然う、自然と思ってしまったのは、「竜発事件」のあとからの、僕の内で生じた変化の所為だろう。どう言ったらいいのか、ーーこれまで手に持っていたものが、手に繋がって、自身の一部になってしまった、そんな感じだろうか。
「「「「っ!?」」」」
困ったことに、どうやったのか、自分でもわからない。ただ、すぐ近くに、四竜がいるので、たぶん出来るんじゃないかな、とか安易な気持ちからやってみたのだが。
「う~ん、ちゃんと上手く食べられたようだね」「ひゅー。りえにまた食べられあ」「これは、あまり気持ちの良いものではないですわね」「こ…と…」「魔力の残滓すらないようです。これは、起こり、そのものを吸収したということでしょうか」
これで一段落、かと思ったら、そういうわけにもいかず、与し易いと、或いは同族嫌悪的な何かを感受したのか、ラカがフィフォノを威嚇していた。
「びゅ~っ!」
両手を高く挙げて、襲い掛かるような恰好のラカ。動物が自分を大きく見せる為に、このような行動を取ることがあるようだが、本能的なものだろうか。
「なーっんーっ!」
両手を左右に大きく広げて、受けて立つ恰好のフィフォノ。と、何だろうか、フィフォノの言葉が僕の内で重複した。いや、違う、反響? これは……?
ごすっ。
あ、ラカの手が出た。
べちっ。
そして、当然というべきか、フィフォノの手も風竜を打擲。
「「…………」」
睨み合いは長く続かなかった。ラカが縦に回転して、伸ばした両手で、ごずっとやると。フィフォノは横に回転して、広げた両手で、べぢっと報復。
「「ーーーー」」
お互いを不倶戴天の敵と認識したのだろうか、それから二竜は、同時にぎゅるるんっと高速回転。回転が速すぎて、玉のようになった二竜は、周囲を飛び回りながら、ごつっごつっ、とぶつかり合っていた。風玉と氷球の、熾烈なる削り合いーーのはずなのだが。
「……何というか、凄いのは凄いんだろうけど、和んでしまうのは何故なんだろう」「氷竜の角汚しですわ。ひゃっこくないのですわ」「う~ん、でも、このままだと二竜とも、本気になってしまうかもしれないので、ーーやってみようかな」
百のときは上手くいかなかったが、経験を積んだ故か、或いは「竜発事件」を経た為か、手の延長線上に、すぅっと。魔力に引き寄せられるかのように感覚が、欲求が竜を搦め捕る。馴染んだラカの魔力を容易に捉えて、その心地を忘れないよう心象を深めて、フィフォノも捉えて。ぐっと、ぶつかりそうだった二竜を、縄が撓るような心象で引き離す。
「ぴゃ~?」「てーすー?」
不可視の縄で捕まえて、ラカをぐるぐ~ると縦に振り回す。フィフォノは横にぐるぐるる~。僕に振り回されていると自覚しているからだろうか、一気にやる気も意欲も敵意も喪失してしまった風竜氷竜が大人しく、というか若干楽し気にぐ~るぐるされているのだが、まぁ、どうにかはなったのだが、これでいいのだろうか。
「竜にも角にも、ゲルブスリンク様に質問です。フィフォノ様の言葉には、発せられた言葉以上の、ーーそうですね、省略された言葉があるような気がするのですが、そうしたものを感受したことはありますか?」「それはーー、ありません。発音から感情を読み取るだけで、明確な言葉として響いたことはありません」「そう、ですか。じゃあ、スナ、これを持って、ラカを振り回しておいて」
昔、というほど前じゃないけど、手を突っ込んで、ぐっぱぐっぱしてしまったコウさんの魔力体に似た感触の、不可視の縄をスナに渡してみると。
「っ、ていっ」「ぴゃー」
縄を掴めなかったスナは、即座に魔力の縄、いや、紐を放ったらしく、八つ当たりだろうか、ラカを倍の速さでぶん回していた。愛娘の気が晴れるまではラカに耐えてもらうとして、ぐいっとフィフォノを引き寄せて、両手でぱしっと捕まえる。然ても然ても、「浮遊」を使っているわけでもないのに、スナの魔力を借りて宙に浮いて、ゲルブスリンクの魔力でフィフォノを受け止めて。フフスルラニード国でラカの魔力で鍛錬していたときよりも格段の進歩を遂げているわけだが、明らかに「千竜王」の影響というか「千竜王」に対する認識の変化というか、そういうものが関係しているので素直に喜べない。
「きーじー」「うん、フィフォノ様の言葉、さっきより深くに入ってきた、かな。なので、一つ。ーーフィフォノ様。フィー、と愛称で呼んでもいいですか?」「やーなー!」
や、のあとに言葉が凝縮されている。な、のあとにも凝縮、いや、これは……氷? 凍っているような、硬いのに柔らかいような、でも、馴染んだ心地。なら、僕にわからないはずがない。心に浸して、昇華するような心象で、再構築ならぬ結氷。
「ーーーー」
僕は、フィフォノーーフィーの求めに応じて、先ずは右手を差し出す。すると、不機嫌そうな、でも、何だが愛くるしくも見える顰めっ面で、ぽふっとーーお手。次は、左手を差し出して、きびきびとした動作で、ぽふっ。最後に両手をくっ付けて差し出すと、竜顔を、ぽふんっと乗せてくる。ふむ、これは「お手」ならぬ「お顔」、とでも名付けようか。
「いーっんーっゅ!?」「びゃっ!?」
ごっちん。
仕舞った。フィーの要求に過たず応えることが出来たので、気を抜いてしまった。愛娘が振り回していた武器が、僕の胸に飛び込もうとした氷竜に直撃。う~わ~、凄い音がしたんだけど、大丈夫だろうか。まぁ、竜だから問題ない、はずだけど、さすがに可哀想なので、ラカの脳天とフィーの肩を、痛いの痛いの天竜光竜~、をしてあげる。
「スナ。どんな『おしおき』がいい?」「手が滑っただけですわ」「じゃあ、僕も親馬鹿が滑った(きわまった)ってことで、スナには、ラカ係をお願いするね」「冗談は炎竜だけにするですわ。巫山戯るのは風竜だけにするですわ」「ぴゃ~、りえっ、こん?」「「…………」」「ぴゃっ、りえっ? こんっ!?」
今度は、ラカが僕に飛び込んで来ようとしたので、スナの魔力を貰って、父娘で風竜を雁字搦め、もとい千氷搦め(ぐるぐるまき)にしてしまう。蓑虫ならぬ風虫ーーん? これだと虫と虫でちょっと諄いような、いやいや、今は造語の出来栄えを気にしている場合ではなく。
「えっと、では、フィーとゲルブスリンク様。僕を連れていこうとした、用件、というか要望を、皆の前で話していただけますか?」「はい。わかりました。『千竜王』と見えた瞬間に溢れ出した、凶悪な『欲求』の余波に振り回されてしまいました。もう慣れました、いえ、慣れたと思いますので、『千竜王』の、皆様の了承を得る為にも、協力を仰ぐ為にも、目的を話しましょう」「だーかーぅっ!?」
諦めることなく、フィーも僕に飛び込んできたので、氷虫一丁上がり(ぐるぐるぐるんっ)。然のみやは、両手に竜虫ーーだとぐじゅぐじゅのべよべよん(エンさんのばかやろう~)なので、竜の虫で百の竜頭に移動。
「皆様に竜の雫を三つずつお支払いしますので、『千竜王』を売ってください」「持ってけ泥棒ー!」「掻っ攫ってけ地竜ー!」「『魔毒王』を押し付けることになるのですし、逆にこちらから金銭をお支払いすべきでは?」「御方様の害にしかならないのは、これまでの振る舞いではっきりした。只で持っていって構わない」「らーねー」
意外にお茶目な地竜と、物凄く口汚い氷竜。そして毎度の侍従長苛め。然ても、同じ氷竜であるのに、スナとはだいぶ性格が異なっていそうなフィーなのだが、もしかして、口数、ではなく、言葉を省略しているのは、平地に波瀾を起こさないようにする為の、本能的なものなのだろうか。寝た風竜を起こす、ことにはなってしまっているようだが。「魔王」ですらどん引きしてしまうくらいの口の悪さなのだが、まぁ、相手は竜なので、じきに慣れるだろう。然ても、直近の問題としては地竜の冗談ーーの割には、表情は真剣で、真面目そのものなのだけど。
「えっと、ゲルブスリンク様。僕を売って欲しい、というのは本気で言っているのですね?」
「はい。目的の達成には、それが一番の近道であると判断しました」
スナや百だけでなく、ナトラ様もラカも、イリアやリーズまで。僕たち、というか僕に配慮してくれていたようで、忘れそうになっていたが、そうだった、彼らは竜だった。人種の常識になど縛られる必要のない、生物種の頂点。ーーではあるのだが、ゲルブスリンクに悪意があるわけではなく、また威厳はあっても傲慢さは看取できないので、ナトラ様が言っていたように、僕、或いは「千竜王(ぼく?)」が係われば、軋轢を生じさせずに済みそうだ。
「僕の協力が欲しいのでしたら、金銭ではなく、言葉でお願いします」
「ーーそのほうが良いようです。炎竜と氷竜に睨まれたら、地竜は形無しです」
どんな凄い顔をしているのかと二竜を見てみたら、ぷいっ、とされてしまいました。因みに、この問題の本質、というか成り行きが予測できていない風竜は、ぽやぽやでした。
「ゲルブスリンク山地とフィフォノ高原にある国の間で諍いが起こりました。どういうわけか、お互いが氷竜と地竜の守護があると主張していて、遠くない内に一悶着あるようです。人種の小競り合いに竜が出しゃばれば、どうなるかはわかっています。これまでなら人種がどうなろうが気になどしませんでしたが、『千竜王』ならいみじくも対処してくれるのではないかと考え、フィフォノを連れ、参った次第です」「本当にそれだけですわ?」「いえ、それだけではありません。人種の悶着は、序で、のようなもので、『千竜王』のことを知るのに適していると判断しました」「ふふん、つまり、本来の目的は、父様以外には教えるつもりがないですわ?」「はい。他竜に教える理由が見当たりません」
う~む。スナとナトラ様は仲良し(?)になったが、炎竜氷竜と違って感情が表に出ない分、こちらの氷竜地竜の間の溝を埋めるには時間を要するかもしれない。
「スナはもう、わかってくれているよね」「残念なことに、父様の心を世界で一番理解している娘は、でっかい溜め息を吐いてやるのですわ」
むっはぁ~、と可愛らしい、とは言えないけど、可愛い娘の溜め息なので、僕の魂がほくほくになってしまうのもむべなるかな。
「あら、熾火。素直に敗北を認めますわ?」
「ふん。好きな相手には意地悪をする、などという傾向が人種にはあるようだが、主は我に対して意地悪なのでな、主の心を最も理解しているなどと、言うつもりはない。であるが、明言しておこう。主の魂を余すことなく受け容れているのは、我のみであると」
炎竜氷竜には心と魂を理解してもらえたようなので、あとは引率者を決めることする。
「アラン。見ての通り、二竜には引率は任せられないから、お願いできるかな」「ふむ。ナトラも力を貸してくれる故、問題ない」「ラカールラカくらいは、どうにかしてやるです」「ーーぴゅ?」
不穏な空気を鋭敏に感じ取ったらしい、日向ぼっこでうとうとしていた風竜の目が、ぱっちりと開く。
「すみません、アラン様。私たち……、いえ、私にも理解できるよう説明をお願いします」
居回りの様子から、自身の言葉を訂正する変魔さん。そろそろ僕という存在を理解して欲しいところではあるのだが、一番の常識人ーーであるかもしれない彼には難しいのかもしれない。竜が好きだと言った僕の言葉の、本質的な意味を理解してもらえていないようだ。
「ふむ。リシェは竜を放っておけない。リシェはリシェではあるが、同時に機能のような存在でもある。ミースガルタンシェアリ様がそうであったように、リシェもまた、その役目を果たそうとしているのだ」
誤解です。何が誤解なのかよくわからないけど、竜にも角にも、言っておかなくてはならない、確実にアランは誤解している。というか、止めて。そんな大層な幻想を僕に重ねるとか、事実っぽいもので僕をぶっ飛ばすとか、本当に止めて。
世界の魔力の調整はコウさんでないと出来ないのだが、まぁ、アランが言っているのは別の事柄であると察することは出来るのだが、本当にどうしたものか。でも、この先の選択に変更はないので、愛娘だけでなく破壊魔様にもお願いすることにする。
「スナ、それとナトラ様。もっとラカをぐるぐる巻きにしてください」「ぴゃ!? りえの魔力はねちっこいから抜け出し難いのあ!」「ナトラ。私たちの拘束は、抜け出せると、大したものではないと、言われてるですわ。ちょっとばかり、思い知らせてやる必要がありますわ」「同感です。ラカールラカを撃ち落とすのは、後の楽しみにとっておいて、今は『結界』を縒って作った『結界糸』の実験台にしてやるです」「なおっ、止めるのあ、なっとーっ、止めるのあ!」
ラカはこれで逃げられないだろうから、フィーの拘束を手で触れて解いてあげると、
「ほーっんーっ」
転と、それに捻りも加えて、合っ体っ! むっふんっ、と偉く満足気なお顔をしていらっしゃる氷竜。みーだけでなく、フィーにとっても、僕の乗り心地は一等賞だったようだ。然し、僕以外にはフィー語を解することが出来ないからといって、言いたい放題である。特に炎竜氷竜が解してしまったら、即刻竜魔大戦勃発である(とういきのぼっかん)。
「ラカ。フフスルラニード国で、聖王や王妃の魔力を覚えてもらったよね」「ひゅー。忘れあ」「先ず、行うのは『発生源の双子』の調査だから。僕は役に立たないので、調査が終わるまでの間、フィーとゲルブスリンク様と行動を共にしようと思う」「父様が役に立たない、ということはないですわ。特に、致命的な事態に陥った際、父様以外では止められないのですわ」「そこは大丈夫。スナが大好きだからね……ではなくなくて、スナを信頼しているからね」「『千竜王』は、竜たらし、なのでしょうか?」「そこは間違いないです。同じ地竜として助言しておくです。下手に気を許すと、一気に持っていかれるです」
竜たちが仲良くなる切っ掛けになっているようなので、僕の、竜に対する振る舞いを論評するのは控えておこう。
「父様。わかってますわ?」「うん。わかってるよ。スナの鱗の欠片は持っているし、竜笛もある。必要があれば駆け付ける、というか、翔け付ける? それに二竜が居てくれるから、危ないこともないだろうし……」「氷柱よ。主は、わかっておらんぞ。どうにかせよ」「熾火は調査に役立たないので、放置していきたいところですが、『ミースガルタンシェアリ』は役立つので、氷も融ける決断で、やっぱりこっちに来るですわ」「そのほうが良いです。フィフォノとゲルブスリンクに百竜を交ぜたら、面倒になること請け合いです」「百が来るということは、エルタスさんも来るということだから。呪術師としての知識が必要になることがあるかもしれないので、あと、竜の魂である百の知識も有用だろうから、そこら辺はお願いね、百」
氷地に冷静に返されて、ぷすぷすと不完全燃焼していた百を宥めようと試みるも、ナトラ様の「結界」があって触れられないので、効果は半分といったところだろうか。
「では、ナトラ様。『結界』を解いていただけますか。あと、僕の荷物をお願いします」「そこは問題ないです。リシェ殿の『結界』への出入り、『結界』の内に居る際の影響など、強制的に経験を積まされたので、もう普通に飛び出してもらって大丈夫です」「じゃあ、行ってくるね」
大丈夫ということなので、百の竜頭をすりすり、ラカに直接風を送り込んで、スナを持ち上げて、ーー言い訳してみようかな。追い掛けて、は来ないだろうけど、愛娘をナトラ様に、ぽすっと手渡す。ふよふよ~と漂ってきた荷物を受け取って。それから、親しき仲にも礼儀あり、ということで、アランに手を差し出す。
「たぶん、アランの言う通りだから。竜のことを任せるね。……あと、竜の民のことも」「余計なお世話じゃ~」「邪竜の施しじゃ~」「ふむ。やっぱり、私だけでは無理だ。リシェ、頼む」
握手をして。あっさりと前言を翻して、頼まれてしまったが、親友として応えないわけにはいかない。これはーー、アランの調子は戻っていると判断して良さそうだ。
「はい。ーーナトラ様。『最強の三竜』に対して『おしおき』をする権限を、移譲いたします」「「「…………」」」「なるほど、です。僕の言うことを聞かなければ、あとでリシェ殿に告げ口をするということです。あちらの大陸では、地竜のイオラングリディアが恐れられているようなので、僕もやってみるです」「「「ーーーー」」」
「おしおき」云々は言葉の上でだけのことで、実は伴わない、と言いたいところだが。僕が竜を想うくらい、竜にも想われていると、信じることにしよう。
「とーだー!」「って、首っ!? ちょ、まっ、首絞ばっでぇ!!」「それでは、『千竜王』をお借りします。一応、返す予定ではあります」「「「っ!!」」」
あ~、さっそくナトラ様が「結界」で、ゲルブスリンクの言葉に激発仕掛けた三竜を多重積層型結界(がちがちがち~ん)。ゲルブスリンクは、ナトラ様より言葉は丁寧かもしれないが、言葉の選択というか我の強さだろうか、協調性は今一つなようだ。まぁ、竜らしいと言えばそうなんだけど。これまでもそうであったように、僕と、人種と係わるのであれば、そこら辺を少しずつ直して、いや、考えてもらう為に、骨を折る、だけでなく場合によっては角を折る必要があるだろう。
「フィーは肩車が気に入ったようなので、しばらくこのままを希望しているので、僕たちを運んでいただけますか?」「それは、構いません。ですが、フィフォノだけでは不公平です。先ず、それを正していただきたい」
相変わらず、僕たちらしい騒がしい別れ方だが。フィーの魔力を借りて、器用に僕の首を絞めてくる氷竜の足を緩めながら、ゲルブスリンクに頼むと、謎掛けのような要求をされてしまう。竜の求めを蔑ろにできない僕は、遠ざかっていく百の竜影を眺めながら、竜と離れる虚無感に苛まれながら、頭を回転させようとするーー直後に答えに行き着く。僕がフィーにして、ゲルブスリンクにしていない、大切、かもしれないこと。
「ナトラ様は、なよっちぃ、のが好きでなかったり、強そう、なのが好きと言ったりしていましたが、ゲルブスリンク様も同様でしょうか?」
「同属性とはいえ、古竜ですので、嗜好は人種と同様に異なります。『千竜王』に、先入観に囚われて欲しくないので、これ以上の発言は控えておきます」
基本的には微笑を浮かべているが(アルカイックスマイルだが)、ある意味、百より素直で、スナより隠すのが下手なので、幾つもの手掛かりを得ることが出来た。嗜好は異なる、発言は控える、といった言葉や仕草からは、ーーナトラ様とは嗜好が異なるが、自分からは言いたくない、と受け取れるが、風竜に似た気質も感じられるので、この解釈で間違っていない気がする。
「それでは、ゲルブスリンク様の愛称は、リン、にしましょう」「…………」
あれ? もしかして間違えてしまったのだろうか。むっ、とした顔で、目を逸らしたリンは、半円を描いて、ふよふよ~と僕の後ろにーー、
「見てはいけません」
と言われてしまったので、振り返りそうになった体を元に戻して、同じく振り返りそう、というか断然振り返る気満々だったフィーに手を伸ばして、頬に手を当てて、正面の東域を向かせると。
ぐりぐりぐり。ぐりぐりぐり。
「…………」
ぐりぐりぐり。ぐりぐりぐり。
……痛い。どうやら、僕の背中に頭を、角を擦り付けているようだった。竜にとって大切な角を使っての意思表示となると、リン、という愛称が余程気に入ったのだろうか。逆に、気に入らなかったので、不満の表明とかでないのを祈るばかりだが。
フィーの頬をすりすりして、肌理細かな、愛娘に勝るとも劣らない氷肌にーー、いや、劣るとも勝らない、という表現のほうが、くぅっ、この甲乙付け難い、冷え冷え~具合は、忽せにはできない非常に由々しき問題と捉えて、至上命令と……ごふんっごふんっ。
ぐりぐりぐり。ふよふよ~。
「リン。どうかな?」「何一つ、問題などありません」
気が済んだのか、喜びの謎行為を終えて、正面に戻ってきた地竜に尋ねると、本来の姿に、竜になるリン。ナトラ様は、ちょっと亀に似ていたが、甲羅のように見えた鱗の厚さ、防御の度合いの違いからだろうか、ずんぐりむっくりとはしているが、力強さを感じる、通常の竜に近い身躯。飛ぶのが苦手なのか、或いは他の理由からなのか、翼を使わず、「飛翔」で移動しているようだ。足が地面、もとい竜頭を踏み締めていられるのはありがたいのだが、「飛翔」で移動するなら、竜になる必要はないような?
「よーうー」「いやいや、フィー。そこまで言わなくても」「フィフォノは、何と言っているのですか?」「えっと、リンは、遠くない内に、と言っていたけど、具体的にはどれくらいなのかな?」「話を逸らしました」「うん、話を逸らした。フィーは、気に入っている僕のことも、気の利かない愚図、とか、邪竜のほうが増し、とか、普通に罵倒してくるので。でも、それも愛情表現の一つだと、受け容れようと頑張っているところです」
実は、愚図とか邪竜とかは控えめな表現で、実際はもっと酷いのだが、さすがに口にするのは憚られるので、お為ごかしのような発言になってしまったのだが。察してくれたらしいリンは、ぶふぅー、との鼻息一つで、僕の明け透けな話題転換に乗ってくれる。
「早ければ明日、戦闘が開始されるかもしれません。ですが、両軍の位置は魔力で捉えてあるので、そのときが来れば、お伝えします」「となると、先ずは、服、ということになりますね」「服、ですか?」「リンは、スナや百、ラカやナトラ様の着ている服を見て、どう思いましたか?」「そうですね。随分と人種の社会に馴染んでいる、と思いました」「そーじー?」「はは、フィーは、服を着る、ということよりも、自分より上等な物を使用している、ということが気に入らないようだね」「見栄えをよくする、ということは、人種にとっての、礼儀に欠けている、ということの改善に当たるのでしょうか」
リンの竜頭が動いたので、今は配慮が成されていない状態なので、地竜の魔力を借りて、足を、体を固定する。向かっている東域の北側を、ぐるりと見渡したようだが。
「どうかしましたか?」
「いえ、いずれ話すことになると思いますが、これは慣れる必要があるようです。永く塒で見詰めていた(・・・・・・)所為か、この世界が、外界が居心地悪く感じてしまいます」
何かあるようだが、いずれ話してくれるようなので、無理に聞き出すようなことは控える。恐らくは、竜の魂の影響を受け難くなって、古竜が得た特徴ーー能力や個性に関することだろう。竜を、魂を形作る大切なものだけに、竜の下にも三周期。時間はあるようなので、本題、ではなく卑近なことから尋ねるとしよう。
「その服は、何処で手に入れられたのですか?」
二竜の様子から、これら継ぎ接ぎの服を大切にしているわけではないのは、容易に知ることが出来たのだが。そうなると、この見映えのしない、というより、はっきり言うと、この襤褸を竜に渡した者の意図が那辺にあるのか、そこが気になってしまうのだが。
「フィフォノを迎えに行ったあと、最初に見つけた村で調達しました」「村の様子はーー、何かおかしなことはありましたか?」「そういえばーー、人種の老人しかいませんでした。村の規模に比して、人口は少な目で、手入れが行き届いていないように見えました」「単純に過疎、というわけでもないでしょうし、何か理由がありそうですね」
この時代、人の行き来は簡単ではない。関所に通行税に、国々の法に、思惑や対策。面倒なだけでなく危険もあるので、商人ですら隣国までしか手を広げないのが殆どである。況して居住地を変えるとなると、それまで積み上げたものを失うのに等しい、負債を課せられることになる。要は、一番下の地位から、最下層から遣り直すことになるのだ。無論、竜の国ーーほどではないとしても、例外はある。都や街が発展すれば、人手が必要になることもある。領主の判断で、村の若者を移住させるなどの措置が取られたのかもしれない。そうなると、残された年寄りたちは、堪ったものではない。
「服は、村人から買ったのですか?」「はい。竜の雫を渡したら、『これじゃ、足りないねぇ』と言われたので、別のところで調達する、と言ったら、よくわからないことを言い出して、村で一番大きな家に行ったあと、この二着の服を持ってきました」「それは、また……。その人は、他に何か言っていましたか? こうまでして使っていたのだから、この服は大切なものだったとか、取っておいた理由とか」「もう要らない、捨てるものだったようです。『捨てるのも面倒だった』といったことを言っていました」
元々貧しい村で、若者もいなくなって、投げ遣りになっているのだろうか。仮にそうだとしても、僕に出来ることなんてない。グリングロウ国から離れているので、多少の干渉なら許されるかもしれないが、たとえ正しい行いであったとしても、他国に手だししていい理由にはならない。下手をすれば、国家水準の問題にまで発展することになる。
「そうですね。その村の近くに、街などはありますか?」「あります。騒動を起こすと、『千竜王』が逢ってくれないかもしれないので、構わず突っ込んでいったフィフォノを捕まえて、街を避けました」
何もないところよりも、係わりのあった場所に。そのほうが人について学ぶのに適しているかもしれない。申し訳ないが、彼らにはフィーとリンの教材になってもらおう。その序でに、ちょっとした手助けくらいなら、これもまた二竜にとって良い経験となるかもしれない。
「それでは、その街まで向かって貰えますか」「問題ありません。すでに向かっています」「あ、静かだと思ったら、フィーは、眠ってしまっていたようですね」「会話ーーというものは、楽しいものだと知りました。フィフォノ相手では、ずっと独り言ちているようで、空しさも感じていました」
竜頭から眼下に見ると、平均的な街より、やや小さ目だろうか、それでも活気はあるようで、上空から見ていても、不思議とそれが感じ取れてしまう。その一因となっているのは、緑、だろうか。森を切り開いたのではなく、樹の種類や配置は、人の手が加わったものだと知れる。アラン一行は、フフスルラニードに、南側に飛んで行ったが、僕たちは北側に、中央からはあまり離れていない……、地図は、まぁ、後ででいいか。
ぐでんっ。
「ととっ」
「目を覚ましていません。やはり、風竜とは同族嫌悪的なものだったのでしょうか」
肩車なフィーが、体を後ろに倒してしまったので、足を掴んで重心を前に。眠っているとはいえ、竜が体勢を崩すというのは、逆に凄いことなのかもしれない。みーですら、肩車されているとき、こんな無防備な状態にはならなかったというのに。フィーにとっては、初めて言葉が通じた相手なので、それだけ心を許しているということだろうか。
「降りる前に、フィーを起こしてあげてください」
「わかりました。『人化』で人の姿になります」
試みに、風竜よろしく魔力をフィーに注ぎ込んでみたが、両手をだらんとした降参な体勢のまま、ぴくりともしなかったので、リンに頼んだわけなのだが。駄目だとわかっているのに、欲求とは、好奇心とは邪竜の息吹ほどにも抑え難いもので。「人化」したリンの魔力を、それだけでは何もなさそうなので、フィーの魔力も一緒に、地竜に、どごんっ。
「けぴっ??」「ごふっ……」
どごんっ、と「竜のずどん」をされてしまいました。角違いで、みーとはまた違った痛みが、ずきずきと。好奇心は竜をも殺す、とは言うけれど、好奇心さんは、邪竜も殺してしまうくらい凶悪なものであったらしい。まぁ、でも、リンの可愛い声が聞けたので、好奇心さんには、逃げていった求知心さんを捕まえる序でに、僕の体に戻ってきてもらぶぅっ!
「やーなー?」
「竜のずどん」で僕と分離したフィーは、遠慮呵責なくリンにぶん投げられて、奇跡的な時機で再っ合っ体っ! って、いやいや! 下は街なので、そんなでっか過ぎる岩を落とされてしまったら、壊滅よりも毀滅な感じで、「魔毒王」だって「魔薬王」と、って、なんか語呂が悪いーー、
「一度、死んできましょう。そうしましょう。それが世の為、竜の為になると判断しました。この選択に、悔いはありません」
ぶんっ。
ああ、そうだった。ナトラ様に鑑みて、地竜の性質にもっと思いを致すべきだったと、竜の祭り、地竜の祭り。
本日は晴天。なれど、晴れときどき大岩、と相成ったのでした。
「出来心だったんです。邪竜が障ったんです。どうかどうか、リン様、ご寛恕を切に望む次第であります」
地面に仰向けになった僕を覗き込む地竜に、邪竜の欠片もないくらいに、虚心坦懐を越えた竜心竜壊な気分で誠心誠意ならぬ竜心竜意ぃいぃぐぅっ、
「いーっんーっ!」
って、ぐあっ、絞まる絞まる! いや、駄目っ、そのままばたばたばたんばたんっしないでっ!?
「ぅぎっ、って、暴れないでフィー! ぼかぼかは、止めて!? せめて、ぽかぽかにして!」「もう良いです。見ていて、馬鹿らしくなってしまいました」
僕の体の上で、落ちないように器用に駄々っ竜状態だったフィーに、拳大の、真球のような、表面が滑らかな二つの石が直撃して、弾き飛ばす。……いや、ほんと、地竜は、遠慮とか手加減とか、大地の下に埋めてきてしまったのではないだろうか。
「やっぱり、まだ街は騒がしいようですね」「だ…か…っ」
竜にも角にも、フィーを抱っこして戻ってきてから、リンに話し掛けると。文句を言おうとした、というか、言い捲った氷竜の周囲を、二つの石がふよふよと漂って、威嚇する。
「ナトラ様の性質は、岩、に近いと言っていましたが、リンは、石、なのかな?」
「どうでしょう。そのようなことを自覚したことはありません。あったとしても、今は変質しているような気がします」
尻尾にも鱗にも、リンは落ち着いてくれたので、街道を見澄ます。そこそこ大きな地震だったが、この地方では珍しくないのか、そこまでの騒ぎにはなっていない。街に向かって落とされた、でっか過ぎる岩は、フィーが咄嗟に作った、それなりにでっかい氷板を叩き割った。然し、氷竜は、氷板を斜めに配置したので、大岩は軌道をずらして、街から離れた森に落っこちたのだった。フィーなのかリンなのか、「結界」か「隠蔽」を使ってくれたようで「大岩落下」事件を目撃した人はいなかったようだ。いや、「大岩氷板」事件としたほうがいいだろうか。
「それで、『千竜王』。これからどうするのでしょう」「ん~、そうですね。急ぎということでもないですし、迂遠な方法でいきましょう。角だけを隠して、子供の振りをしてもらえますか」「わかりました。フィフォノ、任せます」「リンよりもフィーのほうが魔法は得意なんですか?」「どうでしょう、それはわかりません。ただ、フィフォノは、魔法を使うのが好きなようです。ただ、少し、おかしな感じはありますが」「それはーー、聞いてもいいことなんでしょうか?」「らーねー」「ああ、ごめんごめん、フィー。じゃあ、フィーに直接聞くね。フィーの得意なことと関係あるの?」「でーもー」「え? そうなんだ……。あとでスナやナトラ様に聞いてみよう……」「『千竜王』は、皆が言っていた通り、意地悪だと確信しました」「えっと、除け竜とか、そんなつもりは……。フィーは話してもいいと言っているので、フィーの特徴というか得意なことと、それに伴う弊害、ではなく不利益ーーみたいなことについて話します」
街を歩く際、抱っこでは目立つので、フィーを下ろして手を繋ぐ。然てまたもう片方の手をリンに差し出して。握ってくれるまで、地竜の機微を楽しむ、ではなく、竜の心地で待ち続ける。「欲求」の残滓が響いているのだろうか、初対面以降は僕との接触を控えていたようだが、竜と疎遠、ではなく、余所余所しいなんて僕が許さないので、もとい我慢できないので、……ちょっと僕の心の中がおかしくなっているようだが、軸はぶれていないので、何も問題ないということで。
「『千竜王』は、卑怯です。邪竜も恥ずかしがって、塒に帰ってしまいます。『千竜王』は、ヴァレイスナとの睦み合いから、ラカールラカとの魔力感応まで、どれだけ罪深いことをしたのか、もっと真摯に反省しなくてはなりません」
これはーー、軽く考えていたわけではないけど、甘く見ていたかもしれない。可愛くなっているリン……ではなくなくて、気恥ずかしさに戸惑う、竜ーーでなくとも、強制的に、ここまでの想いで縛ってしまったことは、もっと気に掛けなければならなかった。リン以外の、いや、地竜以外の竜は、欲求に結構正直だったので、いやさ、これは言い訳だ、僕のほうで認識を改めないと。でも、まぁ、思い切り、というのは必要なので。
「では、説明を終えるまでに、お願いします。リンが言ったように、僕は意地悪なので、手を繋いでくれなかったら、もっと酷いことをしてしまいます。酷いことをして欲しかったら、態と手を繋がないという手もありますが……」「…………」「ほーんー」「……フィーは魔法が得意です。正確には、魔法が、ではなく、魔法を使うのが、好きです。そうして魔法を使っていると、すべての属性の魔法を使えるようになりました。各々の竜の属性には及ばないものの、他属性では届かない領域まで到達しました。すべての属性、と言いましたが、実は、その『すべて』には、氷の属性も含まれているのです。つまり、他の属性の魔法より得意であるはずの氷の魔法、それだけでなく氷の属性まで、他属性と同程度まで威力や性能を落としてしまっていたのです。フィーは、魔法だけでなく、属性の力も、ある意味、均一に発生させることが出来るようです。ただ、『人化』した竜には効果があるでしょうが、スナのように竜に損傷を与えられるほどの威力はないようです」
リンは、中々手を繋いでくれなかったので、説明を引き延ばしていたが、そろそろ「酷いこと」の内容を考え始めないといけないかな、と頭を高速回転させようとしたところで、やはり勢いは大事なようで、しゅばっ、と竜速で僕の手をがっしりと握った。
然てこそ準備は完竜ということで、両手に竜で、木陰で薄縁を敷いて涼を取っているお爺さんに話し掛ける。
「こんにちは。僕たちも木陰にお邪魔してもよろしいですか」
「ああ、構わん構わん、入っておいで。わしのお気に入りの場所ではあるが、わしのものというわけではないからの。とはいえ、こやつは、わしが植えたものでもあるんじゃが」
お爺さんは、そう言って、孫の頭を撫でるように、立派な樹の幹を優しく摩る。
「そうなのですか? 若しや、この街に緑が多いのは、御大の仕業、いえ、尽力によるものなのでしょうか」「いやいや、仕業、のほうで合っとるよ。もう、随分と昔になるか、わしが子供の頃、街は殺風景でな。その頃は街の人々も荒んでいて、わしの目には、その味気ない景色がいけないような気がしてならなかったのじゃ」「ですが、木を植えるとなると、大人たちに反対されませんでしたか?」「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、そりゃもう、何度となくこっ酷く叱られたわい。余計なことをするな、そんなことしてないで働け。などと口だけならまだ増しで、折角植えた木を引っこ抜く奴さえいたもんじゃ」「それでも、諦めなかったんですね」「不思議よのぉ。若い頃の情熱というやつは、炎竜の息吹にだって負けんもんでな、仲間たちと一緒に、大人たちが懲りるまで続けてやったのさ」「景色が変わって、街も変わりましたか?」「ふぉっ、ふぉっ、わしらの勲章じゃよ。変わったのではない。わしらで変えたんじゃ。わしと仲間たちだけが手にすることが出来た、今も続く、取るにならない証しは、変わらずここにある」
お爺さんは拳を胸に当てて、強い言葉で言い切る。のだが、恥ずかしいことを言ったという自覚が芽生えたようで、好好爺然として話を逸らしてきた。
「それで、こんな老い耄れに何の用かの。昔話に付き合うてくれた礼に、この街の生き字引が何でも教えて進ぜよう」「それでは、御大に紹介いたします。こちらはフィーで、こちらがリン。僕は、商人の父と各地を巡っている、見習いのようなもので、リシェと申します。父から言われて、親戚であるこの竜たちを引き取ってきたのです」「ふむふむ、その服は見たことがあるな。ガリシュ村の子供たちのお下がりだの」「さすがです御大。ですので、詳しい事情は秘密ということで。この竜たちの服を新調したいと思っているのですが、ああ、金銭の心配はないので、良いお店を紹介していただければと」「そうかそうか、この子らは不遇、っと、立ち入ったことを聞いてはいかんな、この街の地図じゃ、持っていきなさい」「はい。ありがとうございます」「とーうー」「御老体。感謝いたします」
地図に印を付けてから渡してくれる。見ると、商店街の一等地、といった感じの場所に、その店はあるようだ。フィーやリンを御大にくっ付けて、僕以外の人間と触れ合ってもらいたいところだが、「甘噛」や他の能力について尋ねていなかったのを思い出して、そのまま木陰からお暇することにする。
一度だけ振り返る。景色、ということなら、自然と、違和感なく溶け込んでいる御大の姿こそ、彼らにとっての、最高の証しではなかったかと。不意に、竜の国の風景と重なって。都も街もまた、生き物である。という兄さんの言葉を思い出した。
「聞き忘れていました。二竜は『甘噛』や『味覚』など、あと、属性の制御は問題ありませんか?」「『千竜王』は、自然の法則のように嘘を吐いています」「……はい。嘘はいけないことですね。いけないん、ですけど、嘘も方便、という言葉もありまして、事実を知ることが、必ずしも良い結果と結び付くかというと、そうでもないわけでして……」
うわぁ、そんな真っ直ぐな眼差しで見られると、心疚しい、ではなく、心苦しくなってくるのですが。フィーも便乗して僕を見てくるが、氷竜の不機嫌な顔は、慣れてしまった所為か、何だか和んでしまうので、逆効果である。
「地図を見ると、商店街、と呼べるものは二つあるようですね。この規模と、場所からして、最近発展して人手が必要になった、とかではないような気がしますが。店や商品を見ても、交易で栄えているといった感じでもないけど、活気があるのは、この街の、或いは領主がやり手なのかな?」「『千竜王』が求める水準は問題ありません。ただ、竜と人の違い、種族的な差から、慣れる必要はあるようです」
フィーも、そしてリンも、これは会話の技術、というより経験だろうか、気にすることなく自分の都合で話しているのだが。エンさんと、あとラカもかな、経験を積んでいるので、僕のほうで合わせていれば、フィーは無理そうだが、リンは改善されていくだろう。
「地図からすると、あのお店ーーで間違いないはずなんだけど」
地図を下げて、二竜にも見えるようにする。
「人種は、周期を経ると、様々な能力が衰えると聞いています」「はは、そうですね。でも、御大は……ん? 今、『聞いています』と言っていましたが、誰かから聞いたのですか?」「最近、と言っても、人種からすれば、何百周期は、昔、ということになりますが、塒の前に本を置いてゆく人種の女がいました。女が言うには、竜と仲良くなる為、と言っていましたが、その女が老いて死ぬまで、十回、話をしました。着ていた服からして、女は裕福だったのでしょう。『もし、私の子孫が遣って来たら、本を返してやってください』と言っていましたが、もしかしたら、すれ違っていた(・・・・・・・)かもしれません」
それはまた、上手い遣り方と言っていいだろう。実際に、竜の気を引くことが出来たのだから。その女性の目的が気になるところだが、今は、ここで突っ立っていると、不審者まっしぐらなので、妙案でも何でもなく、普通の行動を取ることにする。二竜を連れて、僕らの動向を見ていたであろう、向かいのお店に歩いてゆく。
「ここは……、食料品を売っているお店なのでしょうか?」
「あははっ、他所から来た人には、そう見えても仕方がないね。これは、この街の特産品ってやつでね、とはいっても美味しいものじゃないから、他所の人には勧めてないわ」
肝っ玉母さん、といった感じの三十半ばくらいの女性。性格も見た目通りといったところ。肝っ玉さんが言うように不味いのだろう、土色の、食欲が失せるような色合いの、根っ子のようなものは、どう見ても美味しそうには見えない。然は然り乍ら、どんな味なのか興味はあるし、二竜の「味覚」をーーいや、最初に不味いものを食べさせるのもどうかと思うが、まぁ、これも竜生経験というやつで。
「では、一口ずつ、三人分、お願いします。幾らですか?」「頑張って、一人、二口ずつにしな。それで、銅貨一枚だよ」「それは、安過ぎませんか?」「あははっ、これはそういうものなのさ。昔、飢饉があってね、飢え死にしそうになったとき、街の外の何処にでも生えていた、これーーヴィッタを食べようとしたんだけど、あんまりの不味さに、死人だって吐き出すようなものだったんだけどね。人間、追い込まれると何とかしちまうもんで、思いっ切り我慢すれば食べられる、くらいの味にはなったのさ」「その飢饉のことを忘れないように、街の人たちは、今でもときどきヴィッタを食べている、というわけですか? はい、二人とも、あ~ん」
肝っ玉さんから受け取って、素直な二竜のお口に、ぽとっ。僕も口に入れて、一人と二竜で、もきゅもきゅもきゅもきゅ。序でに、もきゅもきゅもきゅもきゅ。……まだ噛み切れない。不味い、不味い、不味いけど、何とか我慢できる程度ではある。
「骨があるのさ。十回噛んだら、飲み込むんだよ。十五回、噛んだら駄目だよ。竜だって逃げ出す不味ぅ~い汁が出てくるからね」
ごっくん。
十二回噛んだので、邪竜も逃げ出すと思うので、素直に従うことにする。然し、天の邪竜か、或いは、知的好奇心か、二竜はそのまま噛み続けて。
ぶっぱぁ。ごっくん。
「は…っみ…っ」「…………」
いつもの不機嫌な顔が、十倍増しのフィーは、不竜な感じで盛大に吐き出して。然しもやは、リンは石瞳をきらきらさせて、繋いだ手を、もにもにもにもにと催促してくる。
「……お金は支払いますので、この竜が背負えるような袋か何かに、これ以上は入らないってくらい、ぱんぱんにヴィッタを詰め込んでください」
「……変わった子だねぇ。味覚がおかしんじゃないのかい?」
まぁ、でも、これで、向かいのお店の情報を貰う為に、代金に色を付ける必要はなくなったので、良しとしよう。地竜の然らしめるところ、この草なのか根っ子なのか、土っぽい味を、ナトラ様同様に、リンも気に入ってしまったようだ。
まるで太陽のようだ。と言いたくなるくらい、みーを彷彿とさせる、満足愉快に夢満杯のリン。普段怜悧な地竜の、ほくほく顔も悪くないのだが、というか、ちょっと視線が釘付けで、引き離し難いのだが、竜も投げ出す勢いで、どうにか肝っ玉さんに視線を戻す。
「予想外の恩恵に浴してしまったわけですが、もう予想は付いていると思いますが、この竜たちに着せる服はないかと尋ねたら、あのお店を紹介されたわけですが、色々とご教授ください」「紹介されたってことは、他所の人にでも聞いたのかい? あの店、ボーデンさんがやってた仕立屋は、ここらじゃ有名な仕立物師の店だったんだけどね。三周期前に、突然畳んじまったのさ」「その様子では、店を閉めた理由はわからず仕舞い、なのですか?」「そうだね。皆理由を聞いたし、続けるように説得もしたんだけどね。頑として譲らなかったわ。ボーデンさんの弟子だった仕立物師が別のところで店を開いてるから、そっちに行くといいわよ」
代金を払う序でに、地図とペンを差し出して、店の場所を教えてもらう。
「あら、店には行くのかい?」「はい。紹介されたので、一応は行ってみようと思います」
不思議そうに尋ねる肝っ玉さんに答える。リンが言うように、御大がぼけぼけさんである可能性はあるが、なにがしかの意図があってのことかもしれないので。まぁ、どちらかというと、興味深い昔話を聞かせてくれたので、そのお返しみたいな感じで、御大に乗せられてみよう、という次第。
「店の中に、一人、男がいるようです」「奥に、道具が少し見えますが、使えそうですか?」「手入れは、しているようです。そうなると、引退ということではないのでしょうか」
さて、扉が開かなければ、二竜の魔力を借りようと思ったが、がちゃ、と普通に開いてしまった。ぎっぎっぎっ、と役目を果たしたのは何星巡り振りだったのか、ゆっくり寝かせろ、とばかりに扉さんが不平不満を述べる。三周期前に店を畳んだというので、草臥れた店内を予想していたのだが、商品や仕事道具などがないだけで、埃が積もっていたり汚れていたりといった寂れた雰囲気はない。体裁さえ整えれば、すぐにでも店を再開できそうな感じである。
「この竜たちの服を仕立てて欲しいのですが」
「見ての通りだ。店はもう閉めている。帰ってくれ」
のっそりと出てきた男は、五十格好といったところか、頑固な職人然とした、打切棒な調子で言うと、奥に戻ろうとするので、駄目元で会話を続けることにする。
「お店は、いつでも再開できそうですね」「俺の弟子だった男が、別のところで親方をやっている。そいつの弟子が、親方になるとき、ここを譲るつもりだ。わかったら帰れ」
取り付く島もない、ということなら、出し惜しみなしに最終手段といこう。
「フィフォノ様。ゲルブスリンク様。ちょっと、この不愛想な男性を魔力で驚かせてあげてください」「んーなー」「わかりました」「ひっ、ひぃ!?」
然しも無し、というわけにはいかず、フィーが魔法を解いて、二竜が魔力を駄々洩れにすると、これ以上髪の毛が抜けたら不味いだろうに、何十本か抜けてしまいそうになるくらいに吃驚している男性ーーボーデンさん。
「ご覧の通り、素材として、これ以上の存在はない、二竜です。どうです? 創作意欲は、というか、職人魂は炎竜のように、ぼうぼうになりませんか?」
壁に貼り付いて、竜に襲われたような顔をしていたボーデンさんに尋ねてみると、彼は不思議なことを言った。
「……フィフォノ様と、ゲルブスリンク様。御二人の服なら……無理だ。ーーもう作った(・・・・・)。もう一度は作れない」
嘗て店ではそうしていたのだろうか、ボーデンさんは近くにあった椅子を持ってきて、作業台の前に座った。
「まさか本物が来るとはーー、聞いてきたのか? いや、違うか、服はあっちにあるのだから、知らずに来たのか?」
要領を得ないので、一人でぶつぶつ言っているボーデンさんに質すことにする。
「ボーデンさんが作ったという、二竜の服は、今、何処にあるのでしょう?」「あ、ああ、そうだな、説明しないとわからないか。ーー今から、五周期前くらいだったか、エタルキア様とフィフォノ様とゲルブスリンク様の着る、いや、着せる服を作ってくれと依頼があったんだ」「それはーー、本物に、三竜に渡すことを想定していたのですか?」「……ああ、依頼主は、竜信仰の、集会所の管理者だ。そこの管理者になったときに、本気かどうかしらないが、『三竜がいつ訪れても良いように準備を整えておく』と言っていた」
ーー竜信仰。全力で回避する為に、ボーデンさんにお願いする。
「今、こうして二竜の実物を見ました。嘗て作ったという三竜の服より、より良いものが作れると思いますが、作っては頂けないでしょうか。当然、報酬は弾みます」「……無理だ。あの頃より良い作品なんて作れない。どう足掻いたって、もう……無理なんだ」
それでは困る。東域の竜が大好きかもしれない人たちは、アディステルのあの人たちとは違うかもしれないが、その可能性は低いかもしれないので、って、動揺しまくりなのか、しれない、ばかり繰り返していないで、もっともっと食い下がらなければならない。
「二竜が頭を下げて頼んでいるというのに、まさか断るなどということはしないでしょうね。あなたの事情なんて知りません、出来るか出来ないか、ではなく、暇しているくらいなら、今すぐ作ってください」「っ!? と、というか、そ…そう、あんたは何なんだ!? 御二人と手を繋いでいる、釣り合わない感じの、貧弱で貧相なあんたは何なんだ!」「……竜の国の侍従長、ランル・リシェです」「……また、浮気か?」
あー、この正直者のボーデンさん、どうしてくれよう。
「作ってくれるんですか、くれないんですか?」「ちょっと待った! 人の話を少しは聞け! 無理だと言ってるんだから、事情くらい聞け!」「仕方がありませんね。事情くらいなら聞いてあげます」「……何で俺が、下手に出て、人に話さなきゃならないんだ」
ぐちぐちと文句を垂れているボーデンさん。まぁ、浮気を疑われて、苛ついて強気に、理不尽な行いをしたというわけではなく、……いや、まったくそうした意趣が含まれていなかったというわけではないのだが。こうしてボーデンさんを追い込んだのは、御大の思惑に乗ってみようと思ったからである。生き字引、と自ら言った御大なら、ボーデンさんが店を畳んだ理由も知っているはず。そうであるのに、僕らを店へと向かわせたのはーー。
「さっきも言ったが、もう……無理なんだ。俺はずっと、今より良い作品を、良い作品をーーと技術も感性も磨かれていくものだと思っていた。三竜の服を仕立てたあとからだったか、……そこで止まっちまった。
どれだけ作っても、どれだけ精魂を籠めても、前以上の作品は作れなかった。それだけじゃない、耐えられなかった、……どんどん衰えていっていることがわかっちまったんだ。手が動かなくなる前に、心が力を失っちまった。何もできなくなった。ーーこんなの、こんなちっぽけな人間の悩みなんて、竜人のあんたにはわからんだろうな」
僕に向けた眼差しと、僕に向けた言葉と、ーー二つのものは等量ではなかった。職人の技術となると、想像するしかない。登り詰めた場所から、引き摺り下ろされるのは、どれほどの苦痛が伴ったのだろう。いや、苦痛ではなく、空しさだったのかもしれない。ボーデンさんの目には、それともまた違う、言葉に出来ない何かがあるような気がした。
「では、譲歩しましょう。管理者から服を貰ってくるので、二竜を採寸して、仕立て直して貰えますか?」「ーー嫌だ。と言っても聞かんのだろうな。わかった、やってはみる。ただ……手が動かなかったときは、心に…何もなかったときは、……諦めてくれ」
ボーデンさんは、作業台を厳しい顔で見詰めて、動かなくなってしまったので、店を辞すことにした。地図を取り出そうとすると、これまでと同じように、リンが率直に所見を述べる。
「人非人という言葉があります。『千竜王』を人として扱うのは、止めたほうが良いのでしょうか?」「……いえ、もうしばらくは人として扱ってください。おかしなことになっていますが、まだ人を止めるつもりはないので。ーーそれに、一見の、他人である僕が、彼の心に火を入れる為には、これくらいのことはしないといけないと思ったので、大部分は演技なので、そこら辺を考慮していただけると助かります」「そういうものですか。人種は、竜よりも随分と面倒な生き物のようです」「…………」
う~む、これは、二竜に付いてきて正解だったかも。二竜が自身の価値観をもとに行動したら、何だろう、衝突以外の結果を想見できないのだが。勿論、係わったら負け、というやつで、竜が石を蹴飛ばして、人種の大敗北で終わるしかない。むぅ、甘く見ていたかもしれない。思った以上に、二竜は学んでくれない。スナやナトラ様が例外で、実は、通常の古竜は、二竜のような独善的、もとい自分本位なのが普通なのだろうか。いや、これは人間の視点で見過ぎだろう。竜と人は対等ではない。人間が家畜に対して、同等だと思わないように、僕という存在を介さなければ、ナトラ様が言ったように、竜は竜らしく振る舞って、何者の掣肘を受けることもない、それが当たり前の、自然な、そういう生命なのだ。生物種の頂点。当たり前だったこれらのことを、竜と馴染んでしまって忘れ掛けていたことを、再度身に刻み込む必要があるだろう。
「のーこー」「うぅわ、駄目だって、フィー。そんなギザマルだって腹を壊してしまうようなことを言っちゃあ……」「何故でしょう。フィフォノから、有り得ないくらい侮辱されたような気がしました」「えっと、フィーの話は、半分の半分の半分の半分の……あと百回くらい半分に聞いてくれると、丁度いいと思うんだけど」「一度、フィフォノが何を言っているのか、一字一句違うことなく、聞いたほうが良いのかもしれません」「とーがー」「いえいえいえいえいやんいやんいやんいやん、止めてっ、言ってもいいなんて、そんなこと言うのは止めてっ! そもそもフィーの言葉を正しく理解しているということを証明することは出来ないんだから、絶対僕も一緒に恨まれるから!」「『千竜王』が困っている姿を見ると、嬉しくなってしまうのは何故なのでしょう」「こっちも止めてっ、苛めっ竜はスナだけで間に合ってるから、リンまで僕で遊ぼうとするのは止めてっ!」
何故だろう、竜の国を造っていたときの、みーに嫌われていた頃を思い出してしまうのだが。そういえば、スナに出逢う、というか再会するまでは、こんな感じの、落ち着かないような心境だったっけ。そう思えば、これもまた竜との付き合い方の一つだと、……納得できなら良かったんだけどなぁ。
果たして、集会所に辿り着くまで、二竜の間で只管気を使って、精神を摩耗させる、竜が好き過ぎて、どちらかの味方にはなれなかった、駄目駄目な僕なのであった。