表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/34

16.福留くんと甘いものを食べる、の巻①


「昨日は大丈夫だったか?」


 その次の日の朝、事務所に着くと上司の秋山課長から声をかけられた。朝の早い時間は、着席している人がまばらだ。

 仲川魚屋で税務署員を追い払ったのは昨日の出来事だった。

 電話で簡単に報告はしていたけれど、詳しく話した方が良いだろう。


「大丈夫だったのですけれど……どう説明したら良いのかなぁ……」


 歯切れ悪く答えた私に「どうした?」と尋ねてくる。長年のカンで人の見る目があるようで、私が何か隠していると見透かされているような気がする。


(昨日あったことを正直に話そう)


「仲川魚屋に抜き打ちで来ていた税務署員に……。つい、税務調査は任意だろうが、と怒鳴りつけてしまいました」


 小さい声で言ったはずなのに、私の声が事務所の空間をすり抜けていく。

 同僚たちがギョッとした顔つきになった。福留くんはデスクから立ち上がり、私の元へ駆け寄って来る。


「真島さんは税務署員に挑発されていたんです。お客様を守ろうと必死で……」


 福留くんのフォローを半分聞いて、秋山課長は静かに首を振った。


「たとえ、挑発されていたとしても感情的になることは良くないな。信頼関係で成り立つ仕事だ。感情的になったら負けだと思いなさい。いいね」


 福留くんと私は二人してシュンとなる。


「……そうですね」

「すみませんでした。以後気を付けます」


 謝罪をして、その場を離れようとする。福留くんが何か言いたげな顔だったけれど、「気にしないで」という合図を目で送って一直線に自分のデスクまで戻った。




 案の定、噂話はすぐに広まった。

 昼休みの時間、廊下で向かい側から歩いてくる社員が小声で話している。私が数メートル先から近づいていることに気づかないまま。


「聞いた? 真島が税務署の人に怒鳴ったって」

「聞いた! 女じゃねぇよ。あいつ」

「さすが税理士様だよな。資格があれば強気に出られると勘違いしているんだろうな。……っ」


 私が歩いてくるのを見て、噂話がピタリと止まる。口火を切った社員が「ヤバッ」と小さく漏らした。


(自分がまいた種だけどさ。税理士様って言われるのは良い気分じゃないなぁ……)


 ──感情的になることは良くないな。


 頼りになる上司の言葉がズシンと落ちてくる。喉まで出かかった反論の言葉が腹の底へ引っ込んだ。

 私は意識して口の端を持ち上げた。


「私は女で税理士ですけれど、資格を持っているからと強気だったかもしれないわね。……でも、それ以上言うとセクハラで訴えようかなぁ」


 にこーっと笑う。イメージは杉原さんの営業スマイルだ。彼女の笑顔を見て、何も言えなくなったのを思い出して再現してみせた。

 セクハラという言葉が効いたのか、笑顔の圧力が大きかったのか。

 二人はたじろいで一歩下がる


「うっ、軽い気持ちで言ってしまっただけだ!」

「……すまん!」


 言うことだけ言って、回れ右をして走り去っていく。


(まったく。軽い気持ちで言った言葉に傷つく人はいっぱいいるのよ!)


 青木会計事務所の監査担当は大きく二つに分かれる。税理士の資格を持っている者と持っていない者だ。資格取得はそう簡単ではなく、(ひが)みが出てしまうのかもしれない。


(女じゃない、か……。本音を聞いちゃったなぁ。でも、可愛げがあって、守ってあげたくなるような女性じゃないといけないのかな?)


 給湯室でコーヒーの粉を多めに入れて、ポットからお湯を注ぐ。昼の眠気覚ましには濃いブラックコーヒーがいい。


(きっとそうだ。世の中の男性は可愛げがある女性がいいんだ。私には遠いなぁ)


 心を落ち着かせるように、コーヒーの香りの湯気を吸う。

 息を吐き出すと、大きなため息が漏れた。


「あ、真島さん」

「……あぁ。福留くん」


 ドアの隙間から頭を覗かせた福留くんを見て、現実に引き戻された。大きなため息を聞かれてしまったようだ。


「あの……」

「どうしたの?」


 私が話を振ると、おずおずといった雰囲気で話し始めた。


「真島さんがよかったらなんですけれど。今度、酒粕さけかすのケーキがあるカフェに行きませんか?」

「酒粕のケーキ?」


 聞き慣れない反応を見せた私に説明をしてくれる。


「日本酒の酒粕で作られているそうですよ。日本酒の酒造メーカーとコラボしたお店が新しくできたので、行ってみたいなぁと」


 仕事モードの呪縛が一瞬にして解かれる。

 お酒なら全般が好きだ。飲み会ではビールをちまちま飲むことが多いけれど、日本酒、ワイン、焼酎は守備範囲である。好きなものの話になれば自然と笑顔になる。


「面白そうだね、酒粕のケーキって。行ってみたい!」


 私の表情を伺っていた福留くんは、返答を聞いてホッとしたように微笑む。


「ありがとうございます。それでは土日の二時か三時ごろにしましょうか」

「どちらでも大丈夫だよ。楽しみだなぁ」


 仕事で頭がいっぱいだったのが、休日のことを考えると午後の仕事も張り切っていけそうだ。

 福留くんセレクトならお店も外れはないだろう。


(どんな雰囲気のお店なんだろう。ケーキのおいしさも大事だけど、また行きたいと思えるお店かな?)


 期待は高まっていく。二人で出かけるのは合羽橋散策以来だ。福留くんとカフェに行くことは、料理講座の延長でしか考えていなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ご自由に書き込みください↓
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ