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15.抜き打ち税務調査の巻

 

「はい。青木会計事務所の真島です」


 鳴り響く電話を取ると、すぐに返答があった。


『真島先生か! 仲川魚屋だが、すぐに来てほしい!』


 私の担当先の仲川魚屋からの電話だ。いつもなら世間話をしてから本題に入るところなのに、緊迫した喋り方だった。


 携帯電話からかけてきているのか、電波が安定しない。受話器の中からガサゴソと物音が聞こえる。


「仲川様。今から伺いますが、どうされましたか?」


 落ち着かせようと、冷静を装いながら内容を(たず)ねた。

 受話器を耳に挟み、スケジュール帳に素早く目を走らせる。予定は空いている、大丈夫だ。


『税務署の人が来て、帳簿をひっくり返しているんだ!』


「税務署が……? 今から行きます!」


 私が発した「税務署」という単語で、事務所の雰囲気は凍りついた。皆、手を動かしながらも静かに聞き耳を立てているようだ。


 税務署が絡むと、提出物の誤りの指摘や、税務調査──税金の申告漏れ等を帳簿上から洗う調査の依頼が入ったりして、あまり良いことは起きない。というわけで、税務署から電話が入ったら、目上の人に連絡するように言われている。


 あいにく、真っ先に報告するべき所長が外出中。


「真島、どうしたのか」


 私の異変を察したのか、第一声を放ったのは、私の直属の上司の秋山課長だった。私は上司のデスクのところまで早足で歩く。


「秋山課長! 仲川魚屋様のところに税務署が来て、帳面をひっくり返しているようです!」


「税務調査なら、まず会計事務所に連絡が来るはずだが……。急に来たということか?」


 秋山課長は眼鏡の端を指で摘まみ上げた。


「そのようです。すぐに行かなくっちゃ」


 今にも飛び出しそうな私を、秋山課長は引き止めた。


「ちょっと待て」


 皆の予定が書いてあるホワイトボードを一瞬見て、福留くんに顔を向ける。


「……福留! 福留ならスケジュールをずらせるだろ? 一緒に着いていけ!」

「は、はい!」


 福留くんは素早く立ち上がった。


「何があるかわからない。仲間がいれば、助けにもなるだろう。行ってこい!」


 冷静な上司がいると頼もしい。私は口元をキュッと引き締めた。


「……そうですね。福留くんを借りて行きます! 福留くん、行くよ!」

「はい!」


 バタバタと社用車に乗り込んで出発した。




 税務署は税金に関して強い権力を持っている。

 会計事務所にとって税務署は本来は敵ではないと思うが、会計事務所の対応を誤れば、払わなくても良い税金の支払義務が発生する可能性を秘めている。だから気を抜けない。


 仲川魚屋のお客様駐車場に灰色の車が止まった。


「着きました」


 福留くんはギアをパーキングに入れて、カチャとシートベルトを外す。


「福留くん、運転ありがとう」


 一大事なのに安全運転をしてくれたことに感謝。もし私が一人だったら、不安でイライラしていたかもしれない。


「いえいえ。行きましょうか」

「そうね。おじさんが待ってる」


 カバンを後部座席から取って、福留くんと一緒に入口に回る。

 軒先には青いテントが付いていて、テントの上部には達筆な文字で「仲川魚屋」と書かれている。ショーケースにはお惣菜が並び、発泡スチロールには新鮮な魚が入っている。


 入口の透明なガラス戸を開けると、息を切らせた仲川魚屋のおじさんが飛び出してきた。おじさんは撥水性の高そうな紺色のエプロンと白い長靴の服装だった。


「先生! すぐにこっちに来てほしい」

「はい!」


 店の奥の事務所に着くと、一人の税務署員が帳簿をめくっているところだった。三十代後半くらいで、お目にかかったことのない税務署員。


「仲川魚屋さんの担当の、税理士の真島です。税務調査ということでよろしいでしょうか」

「そうだよ! 見てわからないのか?」


 税務署員は帳簿を置いて、私を睨みつけてきた。


(そりゃあ、見たらわかるけど……)


 不快感を覚えたが、丁寧な口調を崩さないように気を付ける。


「急に来ていただいても困ります。まずは担当の会計事務所に連絡いただいてからでないと。私も立ち会えないですし」


「急に来ては困るというのは、何かやましい物でも隠しているんじゃあないか?」


 口を動かせば斜めに歪むのはこの人の特徴なのかもしれない。


「そんなことは……」


「ほら、研修費と書いてあるが、魚屋がどんな研修に行くんだ?」


 帳簿の一部を指差しながら、私の言葉に被せるように言った。


 私と税務署員のやりとりを聞いて、人の良い魚屋さんはおろおろとしている。福留くんも不安そうな顔で成り行きを見守っていた。


「研修と嘘を書いて、わざと会社の利益を少なくしてはいないか? 脱税だと発覚すれば、より多くの税金を徴収されることになるぞ」


 さらにニヤリと口を歪めた。

 話が通じない。温和に話そうと決めていたが、頭の中の糸がプチンと切れる音がした。


「……税務調査は任意だろうが。うちの顧客に勝手なことをしやがったら許さない。仲川魚屋には、青木会計事務所の税理士、真島ゆりがついているんだよ!」


 大声で怒鳴ると税務署員は「うっ……」と言葉を詰まらせる。


 魚屋のおじさんは小さくガッツポーズをきめた。

 驚いて目を見開いたのは福留くん。視線が合いそうになって、直視できずに下を向いた。


(あわわ、言ってしまったぁ! 私ってばなんてことを……!)


 言った後で後悔する。言葉遣いが汚いし、啖呵(たんか)を切ってしまった。これでは福留くんが引いて当然だ。


「で、では。また、日を改めて伺います。その時は会計事務所に必ず連絡しますので、私はこれで」


 後ずさりながら、税務署員は素早く荷物をまとめながら言った。返事を聞かずに逃げ去っていく。


「逃げ足の早い野郎だ。……先生、すごい迫力だね。女とは思えない」


 魚屋のおじさんは感心したように言って、お礼だという魚の入った袋を差し出してきた。二重に透明な袋に入っていて、保冷剤も入れてある。


「……ありがとうございます」


 なんと言っていいのかわからず、お礼だけを言った。流れで魚を受け取ってしまったが、慌てて聞き返す。


「この魚は?」

真鯛(マダイ)だよ。塩焼きにしてもおいしいし、煮付けでもいい。めで()()、なんてな!」

「そんな……高価な魚を受け取れません!」


 おじさんのギャグは耳から耳へと通り過ぎて、首を振って拒否をする。


「野郎が来て、もう閉店時間だ。今日中に売り切るつもりだった魚なんで、貰ってくれるとありが()()


 おじさんは言ってから、ギャグになっていたと気が付いて、眉の片方を器用に持ち上げてドヤ顔をする。

 受け取るしかなさそうだ。


「大事に食べさせていただきます。ありがとうございます」

「先生がいると思うと頼もしいな。ハハッ」


(ほとぼりが冷めるまで待つしかないか)


「恐れ入ります……」


 顔が赤くなるのを感じた。




 仲川魚屋をガラス戸を開けて出ると、沈黙していた福留くんが口を開いた。


「真島さんカッコよかったです。何も助けにならなくて、すみません」

「恥ずかしい。顧客の利益を守ろうと必死だったの。女捨ててるよね」

「僕はそんなことは思わないですけど……」

「無理に気を遣わなくていいのよ。よし、帰ろっ!」


 数歩進んでから、私は「あっ」と声を漏らしてから福留くんの顔を見る。


「福留くん助けて!」

「どうしましたか?」


 泣きそうな声に、福留くんは何事かと心配そうに聞き返してくる。

 気づいてしまった。私にとっては一大事だ。


「……真鯛の調理を教えてください」


 大事に食べると言った手前、料理をしなくては。でも、調理法がわからない。塩焼きと煮付け、どちらもおいしいと言われても料理初心者には両方難しいに決まっているじゃないか。


 福留くんは呆気にとられるように口を開くと、クスッと笑った。


「そんなことですね。もちろんいいですよ」

「助かる! 食べ物を無駄にするところだったよ!」


 今日も福留くんの優しさに甘えてしまう。

 福留くんが動き出すより前に、「帰りは私が運転するよ」と言って運転席に素早く回る。


「あ! 僕が運転しようと思っていたのに……」

「いいの。発車するよー!」


 晴れ晴れとした気持ちでエンジンをかけるのだった。

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