わんたじー
2012 年ごろの作品です。時代感が古くてすみません。
飯を食い終わり、おれはいつものように煙草に手を伸ばした。一緒に暮らしている妹がその様子を凝視しているのが不審だった。
「なんだよ」
「煙草、吸うの?」
「吸うよ、吸っちゃうよ」
ちゃぶ台のうえのマルボロボックスを手に取った瞬間、あたりが真っ暗になった。おれは顔を上げた。暗闇の中に、たちまち青空と草原が現れた。ちゃぶ台がない。煙草も消えた。妹は? というか、ここはアパートじゃない、どこかの、真っ昼間の、草原だ。
「うわあ!」
「……ゃん」
「どぅわあああ」
「……ちゃん」
「なんじゃこりゃ! どこだここ!」
「お兄ちゃん!」
「やべえ! なんだ! 北海道か!」
「お兄ちゃんってば!」
声に気づいて、おれはあたりを見回した。妹の声だった。しかし姿はない。
「お兄ちゃん、びっくりした?」
「京子か?」
「そうだよ。びっくりした?」
「した。しちゃった。お前、どこにいる?」
「わたしはアパートだよ。お兄ちゃんが今いるのは、わたしが作った仮想ファンタジーワールド」
「え?」
「ファンタジーワールド!」
「わんたじー?」
「ファンタジーワールド!!」
「なにそれ……」
「お兄ちゃんさ──」
「ちょっと待て、京子、お前どこでしゃべってる?」
京子の声は天から響いてくる。
「アパートだよ。お兄ちゃんがいるのはファンタジーワールド」
「え?」
「ファンタジーワールド!」
「ふぁんたじー?」
「それそれ」
おれは立ち上がって、尻に着いた砂ぼこりを払った。「北海道じゃないの?」
「ふふん」妹は自慢気だ。「北海道みたいだけど、違います。この世界はわたしが作りました。そして、お兄ちゃんはわたしのファンタジーワールドに転送されました」
「え、なんで。マジで? なんでよ」
「煙草に触ったから。お兄ちゃん、煙草やめたいっていってたじゃん? だから、煙草に触るとファンタジーワールドに転送されるという発明、『わたしのファンタジーワールド2012』を仕掛けておいたのです」
「お前……お前……」おれはわなわな震えた。「馬鹿じゃないの? なにしてくれてんの。駄目だよね、これ」
「え?」
「犯罪っていうか、転送しちゃ駄目だよね?」
「え?」
「なんだっけ? どこだっけ、ここ」
「ファンタジーワールド」
「駄目だよね?」
おれに叱られて、妹はへそを曲げた。
「……とにかく、お前の馬鹿さ加減はもういいよ。戻して」
「なにが?」
「なにがじゃないよ。アパートに戻せよ」
「知らない」
「おい、戻せって。困るだろ、これ」
「わたしじゃ戻せないし。お兄ちゃんが煙草やめたいっていうからだし。知らないし」
「なに? なんて?」
「知らねっし」
「戻せないっていわなかった?」
「知らねっし」
「ねっしってなんだよ。言葉遣いちゃんとしなさい。お前、戻せないところにお兄ちゃんを転送したの?」
「しちゃったし。っていうか、クエストだし」
「なに?」
「クエストだし」
妹によると、なにかしらこの世界でイベントこなすと、アパートに帰れるらしい。
「……わかった。で、なにすればいいんだよ」
「知らねっし。そういう時は普通、街で聞きこみだし。っていうか、通信きりまーす」
「うわ、馬鹿、京子!」
京子からの声はそれで終わってしまった。
仕方がない。おれは草原の中を歩き始めた。遠くに、街らしき影が見えるのである。
「まったく、京子の発明にも困ったものだな」
京子の発明好きは、近所に『発明好きの京子ちゃん』として知れ渡るほどなのだ。
おれは草原を歩き──すぐつくだろうと思った街に、六時間ほど(体感)歩いてたどり着いた。
「遠いよ、なにこれ」
なんか、おばさんが歩いている。あの、とおれは声をかけてみた。
「ここはサムルージの街だよ」
「サムルージっすか」ネットだったら、「W」をつけたくなるネーミングだ。
「ここはサムルージの街だよ」
「了解っす。ここ、あれっすか。クエスト的な……」
「ここはサムルージの街だよ」
「……クエスト的な──」
「サムルージの街だよ」
あ。
なるほど。
あいつのイメージするファンタジーワールドってこんなだ、確かに。
おばさんを無視して、こんどは猫を追いかける少年の前に立ちはだかった。どこからどうみても、外人っぽい服装をした日本人の少年だ。グラはうまくできている。
「やぁ、少年」
「ここはサムルージの街だよ」
「いや、そうじゃ──」
「ここはサムルージの街だよ」
「作りこめよ!!」
おれは天を振り仰いで叫んだ。
返事が返ってくる。
「お兄ちゃん、ヒントヒント」
「いや、ちゃんとセリフ考えとけよ」
「そんなのいいから、ゴンザレスっていう村人さがして。その人がクエストの依頼主なんだよね」
「ゴンザレス? どこにいるの?」
「さぁ、それはお楽しみに♪」
「うざいよ」
ゴンザレスは街を歩き回って、すぐに見つかった。
ほとんど裸みたいな毛深い中年男性だ。女性用下着を身に着けている。
「ぷふー!」
空から吹き出し笑いが響く。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、股間見て、ゴンザレスの股間見て」
見ると、睾丸の片方がパンティーからはみ出している。
天から吹き出し笑いが響く。
「ぷふー!」
「くだらなすぎるよ! 下ネタじゃねえか!」
ゴンザレスは心なしか死んだような目をしている。
「勇者さま」深紅のブラの位置を直しながら、ゴンザレスがいう。「偉大なるハルノブの息子、タカハシ。そなたにお頼みが申します」
「お願いがある、みたいなことだな?」
「タカハシ。そなた……」
「ごめんね、ちょっと待って。おい、タカハシってなに?」
「うちのクラスの委員長なんだけど」
「知らないよ。おれ、タカシなんだけど」
「主人公の名前、タカシにしようか、タカハシにしようかって迷ったんだよね」
「じゃ、タカシにしろよ。どうしてタカハシ選んだんだよ。つか、なんだ、その委員長のタカハシって。そいつ、男? お兄ちゃん、許さないぞ」
「そういうのいいから、続けて」
「ごめん、もうひとつ。ハルノブって誰?」
「いいから」
ゴンザレスは手持ち無沙汰だったのだろう、下着の股下を伸ばして、金玉を隠そうと試みていた。
不覚にも吹き出した。
「ぶっ」
「勇者タカハシよ。実はわたしの娘が、悪い魔王にさらわれて……」
それを取り戻して欲しいという話らしい。
すごく面倒くさかったが、しょうがない。噴水を横目に、武器屋らしい建物に入ってみた。
「ちす」
「いらっしゃい。長ネギあるよ」
「あれ? 武器のお店ですよね?」
「武器屋だよ、長ネギは5ゴールドから」
「から? 定価じゃないの?」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、ミク、初音ミク!」
天の声が聞こえてる。
「あー……。そっか。確かにな。ニコ厨だもんな。親父さん、ひのきぼう、とかないっすか」
「ないよ! あるのは長ネギと天空の剣、12800ゴールド」
バランス悪いな、と思ったが、本気でめんどくさかったので、町を出てフィールドに出た。
草原を歩いていると、みぃみぃと声が聞こえる。
足元を見ると、仔猫がいる。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、どう?」
「やべー。可愛い」おれは仔猫を抱き上げる。
「うまくできてるっしょ? それ、敵だよ。経験値たまるから殺して」
「あ? 嫌だよ」
「殺すと、エフェクト派手なの出るよ?」
「いらねーよ。この可愛さで十分だよ」
「あ、仔犬だ」
「可愛くできてるっしょ? それ敵だよ」
「あ、リスだ」
「それ、アイテム落とすよ」
「そのハムスター……」
「殺せるか! いい加減にしろよ。なんで敵が可愛らしい小動物なんだよ」
「お兄ちゃん、そんなんで大丈夫? つぎボスだよ」
「もうか。いや、飽きるの早いからそろそろだろうなとは思ってたけどな」
洞窟を進むと、ゴンザレスが現れた。
「よくぞここまでやってきた、勇者よ」
「ゴンザレスじゃん。なんで?」
「違うよ」天の声がする。「魔王なんですけど」
「キャラ使い回すなよ。どうして手を抜いちゃいけないところで手を抜くんだよ」
女性用下着を身に着けた、毛むくじゃらのゴンザレスはおごそかにいった。
「勇者タカハシよ。そなた、妹にドキっとして、火照る体をみずから撫で回し、欲望を慰めているであろう?」
「えー」
「慰めているであろう?」
「いいえ」
「嘘を申す出ない。そなた、妹にドキっとして、火照る体をみずから撫で回し、欲望を慰めているであろう?」
「いいえ」
「嘘を申す出ない。そなた、妹にドキっとして、火照る体をみずから撫で回し、欲望を慰めているであろう?」
「えー」
「いやだー、ロドリゲスなにいってんだろ」天の声がはしゃいでいる。
「ゴンザレスだよ。魔王だろ!」
「お兄ちゃんはなに? え? そうなの? 妹、萌え? なの?」
「うぜぇよ」
どうにか魔王を倒して、おれはアパートに帰ってきた。
それからは説教タイムである。
「……要するに結論としてはだ、お兄ちゃんを、わんたじーわーるどに送りつけていけません。返事」
「はい」
「よろしい」
おれは煙草を手に取って、火をつけた。
「あっ」