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進む日の振袖 後編

 日は明け、翌日。

 暮れの陽が山際に沈むか沈まぬかの頃に、件の孫娘はひょっこりと現れた。

 出迎えたのは調度店じまいで土間に出ていた隆臣で、不安げな表情で店内を覗く孫娘に笑いかけた。

「いらっしゃいませ。昨日の方ですよね」

「あ、はあ……」

「どうぞこちらへ」

 孫娘を案内しつつ、隆臣は奥に向かって呼びかけた。

「笹本さん、お客様です」

「あ、はい! 今行きます」

 隆臣が部屋に着くと時を同じくして奥の襖が開き、着物を抱え帯を抱えで大荷物の市乃が満面の笑みを見せた。

「いらっしゃいませ、ご無理言ってすいません」

「いえ……」

 相手の緊張感を根こそぎ削り取る効果を持つ笑顔を向けられ、ややぎくしゃくしてはいるものの孫娘の顔にも笑みが浮かぶ。

 隆臣は市乃から荷物を奪い取り、畳に置いた。本振袖は男手にもずしりとくる。

「今日は帯や小物を決めるということで、まず一度お着物を合わせてみましょうか」

「あ、じゃあ俺姿見取ってきます」

「お願いします」

 孫娘に軽く会釈し、部屋を後にする。姿見は襖一枚隔てた、隆臣と市乃がいつも休憩を取る部屋の壁に立てかけてある。

 五分としない内に市乃に呼ばれ、隆臣は姿見を抱えて部屋を戻った。

 見るとそこには藍色の振袖を身に纏った孫娘が、もじもじと照れ臭そうに立っていた。

 思った通り、落ち着きつつも洗練された色が雰囲気を引き締め、ぐっと魅力を増している。姿見を孫娘の前に設置し、「どうですか?」と言葉を添えて市乃の元へ下がる。

「綺麗……です、ね。シックな感じ……」

「お着物はこれでとお伺い致しましたので、ここから合わせましょう。お客様はどんな雰囲気にしたいですか?」

「え、これと似た感じで合わせるんじゃ……」

 困惑した様子の孫娘が、声をワントーン落とす。

 市乃は柔らかく笑いながらも瞳に強い光を湛え、一字一句はっきりと答えた。

「今決めるのは全て、お客様の成人式のためのものです。着るのはあくまでお客様―――似た感じでも、真逆でも、私達はその全てを叶える努力をさせていただくまでです」

 若干の間を置いて、孫娘の表情がひび割れた。

 あなたはどうしたい?

 要約すればただそれだけ、しかしそこに込められた意味は彼女にとってはどうしようもなく絡み付く命題なのだろう。

 重い沈黙が床を這うように流れ、それを破ったのは、孫娘の喉から出た笑い声だった。

「……おせっかいなんですね、店員さん」

「申し訳ありません、性分なんです」

 孫娘はふうと溜め息を一つ零した。自分の姿を眺めてもう一つ。

「あたし、男っぽいでしょう?」

 答えを求めている訳ではないと悟り、隆臣は沈黙を貫いた。

「昔は大人しいオンナノコだったのに、ばーさんに無理矢理引っ張り出されて髪切られて外でやりたくもない運動やらされて、それがやっと面白くなってきたと思ったら今度は『女の子らしく』って。女の子らしくなりたかったのにあんたがこうさせたんだろっつったら逆ギレして、馬鹿の一つ覚えみたいに自己正当化して……」

 語尾が鋭くすぼまっていく。

「レール敷かれるだけならまだしも、そのレールがねじ曲がってんですよ? こっち行ったら違ってたからあっち行こうって気まぐれなガッタガタの道のりを、自分が歩くんじゃなくあたしに差し出して。……この着物だって、着てみたかったことは着てみたかったし、綺麗だけど、着せ替え人形みたいに……」

「着せ替え人形が嫌なら、あなた自身で選べばいい」

 市乃の言葉に、孫娘は顔をしかめて溜め息をついた。だから、と口を開こうとしたのだろう、だがその言葉は市乃によって遮られた。

「着物は勝手に変えると後々面倒だからとはお伺いしました。ならば、着物以外を選べばいい。先程申し上げたでしょう? 帯や小物、と」

 ふっくらした桜色の唇に、再び笑みの形が浮かぶ。

「着物はけしてそれ単体で着れるものではありません。こと振袖となると、色や柄で様々な組み合わせがあります。着物をあくまでベースとして捉えて、そこから広げていけば、雰囲気も何もかも全く違って見えるんです」

 私が今着ているものだってそうです、と市乃は自分の着物を指し示した。白地に濃いピンクの椿、締めている帯は微かにラメの入った紺。帯揚げにワンポイント蛍光がかった黄緑を挿し、全体的に明るい印象を持たせる。

 確かにこの帯一つとっても、ラメを抜けばしっとり落ち着いた感じになるだろうし、もう一色入れればよりカラフルに快活な雰囲気を醸し出すだろう。

 孫娘も同系等の思考にたどり着いたらしく、こくりと頷いた。

「決められたベースでも、そこから広がる世界は無限ですよ」

 もう一度頷いた。

「それではお客様。どのような雰囲気にしたいですか?」

 孫娘は心のスイッチを入れるように強く唇を噛んだ。もじもじと胸元に触れ、ゆっくりと市乃と隆臣を向く。

「か……可愛い感じに、なります、か? あと、……ちょっと、色っぽく」

 頬や耳がほんのり赤い。

「勿論なりますよ」

 表情筋がとろけているのではと思うほどほわほわとした市乃に、孫娘が照れ臭そうにはにかむ。なんと華々しき光景か。

「まず帯から決めましょうか」

「あ、はい」

「いろいろ見繕ってみたので、気に入った色や柄があったら当ててみてください。まだ他にも種類はありますから、こんなのがいいというのがあったら出しますから」

 市乃が言っている間に隆臣は帯を並べ、ふと見上げた孫娘の姿に率直な感想と意見を述べた。

「お客様のお着物、落ち着いた感じなので帯で色を外すのもいいかもしれませんね。映えると思いますよ」

「そ……そう、ですか?」

「ええ」

 真剣な顔で帯を選びはじめた孫娘は、しばらくして一本を抱え上げた。中心は原色の黄色、端にかけて段々とグラデーションが入り、鮮やかな橙に染まっている。施されている刺繍は大小の鞠。

「これ、当てたいです」

「はい」

 市乃は帯を受けとると、孫娘を姿見の前に立たせて肩から帯を流し、軽く巻いた。

「どうですか?」

「は、映えてる、と……思います」

「そうですね。補色に近いですから、明るい感じに見えますよ」

「じゃあ、これでお願いします」

「はい。では、次は帯揚げを見ましょうか」

 鈴原さん。呼ばれて意図を酌み、隆臣は箪笥からいくつか帯揚げを見繕って出した。可愛くて色っぽい感じ、それをそこそこ見立てることができるくらいには成長している。

 二人の元に持って行くと、市乃は帯揚げを見て、指で小さく丸を作った。綻んだ顔が言わずとも「いいですね」と語っている。

「あ、先に帯きちんと締めておきますね。少しお腹膨らまして下さーい」

 市乃は慣れた手つきで孫娘の帯を締めた。男物と違い、女物の帯は幅広で位置も高い。基本的に腹部は全面が締め付けられるため、市乃でもたまに食欲が失せるときがあるという。

 孫娘はこれまた真剣に帯揚げを選び、淡く輝く真珠色のものを手に取った。

 帯締め、草履とゆっくりじっくり決めていき、時計の長針が半周する頃には、孫娘は艶やかに華やかに彩られていた。

「お綺麗ですよ、お客様」

 市乃に言われるも、慣れぬ服装に孫娘は何度も姿見を見ては眉尻を下げている。余程不安らしい。

「ね、鈴原さん」

「ええ。よくお似合いです」

 ふしゅうっ、と湯気でも出そうな程に頬を上気させ、孫娘は俯いた。ギャップというものの効果がありありと分かる、実に愛らしい姿だ。

「では、この装いで決まりということでよろしいですか?」

「・・・っはい! お願いします」

 強く頷いた孫娘を、市乃は微笑ましそうに見つめていた。


   ***


 そして、迎えた成人式当日。

 美穂━━孫娘━━は、成人式の行われる市民会館のエントランスホールの柱の後ろに隠れていた。

 慣れない。こんな格好で人前に出るなど、間違いなく七五三以来だ。

 あーもーいい加減腹括れよ! 苛立ちが心の中でパチパチと弾ける。大会前、試合前にももちろんかなり緊張するが、それとはまた別種の緊張が足をすくませている。

 つまるところ、恥ずかしいのだ。

 薄く化粧をして、華やかな着物を着て、・・・それが周りにどう見られるのか。今までの立ち振る舞いに今更後悔が湧く。

 だって従いたくなかった。抗うしかなかった。自分をぐちゃぐちゃに決められるのが我慢ならなかった。まるで実験でもされているみたいで。

 全て誂えられたお人形みたいで。


 ━━決められたベースでも、そこから広がる世界は無限ですよ。


 ふ、と頭をよぎった。確か店主の言葉。

 見透かすような瞳を持った、美しい女主人の言葉。

 唇を噛み締め、美穂は強く頬を叩いた。

 今日は成人式。大人になるまさしくその日。ならばいい区切りではないか。

 帰ったら、あの人に言おう。ちゃんと言おう。

 宣戦布告してやる。

 強気で勝ち気、そして照れるときは照れる。今のところ、わかっているのはこれだけ。今のあたしの世界はこれだけ。

 あたしはあたしの世界を広げていくんだ━━そう言おう。

 美穂は得意げに笑って、内股小幅の一歩を踏み出した。


   ***


「お疲れ様でした、鈴原さん」

「いやー、やっと終わりましたね……」

 朝からの着付け仕事で戦場と化していた笹本呉服店に

は、束の間の静けさが訪れた。

「夜にはまた忙しくなりますからね」

「ふい……」

 ちゃぶ台にうなだれた隆臣の頭に、ぽふ、と軽いものが乗る。

「この間のお返しです」

 よしよし、と華奢な指が髪を撫でるのがくすぐったくて、隆臣は苦笑した。

「眠くなります」

「仮眠取っていいですよ」

 働いたご褒美のような慰撫が心地好い。市乃の耳が微かに赤いのはこの際あまり突っ込まないことにする。


 まどろみに落ちて行く、進む日の夕方だった。

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