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進む日の振袖 前編

 年明けて、一月。

 年末年始の様々なイベントを終え、三が日も明けた街は今日もめまぐるしく動いている。

 そしてそれは笹本呉服店もまた然り。

「引っ切りなしにお客さん来ますね……」

 閉店後の店内、隆臣はちゃぶ台の前にうなだれていた。

 昨日から営業している笹本呉服店だが、先月とは比べものにならないほど客が来る。商売繁盛、実に素晴らしいことだが、市乃のいれてくれる茶をゆっくり飲んでいる暇も無かったのは少し残念だ。

 向かいに座る市乃が小さく笑う。

「言ったでしょう? 覚悟しておいて下さいねって」

「まあある程度は覚悟してましたけど……。なんかやたらと質問多いのがしんどくて」

 団体でわさっと来たと思えば、簪どこですか赤い花のありますか足袋の履き方わかりませんこんな感じの髪型に付けれるやつって何ですか━━矢継ぎ早に投げかけられる質問に、体ちょっと分裂しねぇかなと割と本気で思ったのは一度や二度ではない。

 市乃は市乃で着物のレンタル客の対応に追われているので助けを求めるわけにはいかず、それでもどうにか捌けたのは自分でもよくやったと思う。

 隆臣は短く溜め息をついた。

「成人式ってこんな熱意に溢れた行事だったんですね」

「人生の区切りですからねぇ」

 言いつつ市乃はほわんと小さな欠伸をした。隆臣程では無いにせよ、流石に疲労は来ているらしい。

 眠そうな顔を見ているとこっちにも睡魔が忍び寄って来る。しかし眠るわけにはいかない、今日はまだ予約の客が来るのだ。

 隆臣の思考と見事にリンクしたように、店の扉が開く音がした。

「ごめんください」

「はい」

 市乃が頬をぴしゃりと叩いて駆けていく。

 隆臣はレンタルの呉服がある部屋に回り、明かりを点けて手早く座布団を準備した。

「こちらへどうぞ」

 市乃に連れられてやって来たのは、老婦人とやや小柄な女性。祖母と孫か、気の強そうな目鼻立ちが二人ともそっくりだ。

 座布団に座り、━━途端に老婦人は甲高い声の雷を落とした。

「美穂、何ですかその座り方は! きちんと正座くらいなさい、みっともない!」

「へーへー」

「またそんな返事を……! 少しは女の子らしくなさい!」

 突如として始まった説教に、隆臣はただぽかんと口を開けることしかできなかった。市乃も市乃で全く同じ表情になっている。

「つかさぁ、店屋でんなデケェ声出すあんたもあんたっしょ。店員さんびっくりしてるし」

「また口答えをして! すいませんねぇ店員さん」

「あ、いえ……」

 市乃は立てた手を軽く振り、表情を仕事用に戻した。隆臣も開いた口を引き結ぶ。

「本日はお着物のレンタルと窺いましたが、成人式用のものでよろしいでしょうか」

「ええ、この子が今年新成人ですので。記念の時くらい華やかなものを着せようと思いまして」

「それはおめでとうございます。色などはもうお決めになられていますか?」

「何か青系統のものをお願いします」

「青、ですね……」

 ややあってレンタル用呉服の箪笥から市乃が取り出したのは、色も柄も様々の三枚の着物だった。パステルカラーの水色、鮮やかな原色の青、落ち着いた藍。どれも違った雰囲気だが、総じて目の前の彼女に似合いそうな着物だ。

 婦人は興味津々といった様子でそれらを眺めている。

「青というとこの辺りになります。いくつか見繕いましたが、いかがでしょうか」

「この藍色の着物、綺麗ですね……。じゃあこれでお願いします」

 きっぱりと言い放った婦人に、隆臣は危うく「は?」と声を上げるところだった。

 どうしてこれを、という訳ではけして無い。深い藍色に大きめの花が咲き乱れ、身に纏えばぐっと大人っぽく見えることだろう。

 だがしかし―――何で全部あんたが決めてんだ?

「……お孫さん、一度当ててみますか?」

「ああ、この子なら大丈夫ですよ」

 市乃の問い掛けさえ奪い、婦人はにこりと笑う。

「あ、少しお手洗いお借りして構いませんか?」

「どうぞ。廊下の突き当たりにありますから」

 そそくさと場を後にした婦人の背を、隆臣はしばし呆然と見送った。

 聞こえよがしな溜め息が重く這い、出所である孫娘はベリーショートのくせっ毛をガシガシと掻いた。ボーイッシュな服装も相まって、どこかスポーツ少年のような印象を覚える。

「すいません、うちのばーさんちょっとエキセントリックで……」

「あ、いえ……。それよりも、お着物ですが……」

「それでいいです。勝手に変えたら後々面倒なんで」

 既に諦めきっているように藍の着物を一瞥し、目を伏せた孫娘。その横顔がささやかに歪む。

「……自分の好きな着物じゃなくていいんですか?」

 思わず隆臣の口から滑り出た問いに、孫娘は眉根を下げて口元にぎこちない笑みを作った。

 すると、顎に手を当てて何やら考え込んでいた市乃がゆっくりと声を発した。

「お孫さん、また明日お一人でこの店に来ることは可能ですか? 明日でなくとも、成人式の日までに」

「え、……はあ。明日なら来れますけど」

「でしたら明日、着物以外を決めましょう。生憎と今日は帯や小物の揃えが少なくて、このお着物に合うものが見繕えないんです」

 最後に作られた完璧な微笑の中にどういう企みを秘めているのかを、隆臣は薄々ながらも感づいた。台詞にささやかに棒読みが滲んだことも。

 案の定、手洗いから帰ってきた祖母は営業スマイル全開で完全に言いくるめられていた。


 三十分後。

 新春の嵐が去った笹本呉服店、隆臣は恒例の事務作業に勤しんでいた。

 今日は凄まじく客が多かったため、打ち込むこともいつもより格段に多い。売上をまとめ純利益を出しレンタルの予約を整理し、最後にエンターキーを一際音高く叩いて隆臣は長い溜め息をついた。

 凝り固まった肩をほぐしていると、市乃がそっとマグカップをちゃぶ台に置いた。

「あれ、マグカップ?」

「お正月のセールでいい色があったので、つい買っちゃいました」

「へえ……。何か甘い匂いですね」

 軽く息を吹いて冷まし、口をつける。

「あ、美味い。何ですか? これ」

「しょうが湯です。飲んだことなかったですか?」

「初めてです」

 しょうがの風味をふんわりした甘さが包んで、喉の奥がじわりと温もってくる。しばらく啜っていると、市乃はほうっと安堵の息を吐いた。

「良かった。鈴原さん今日少し咳してたから、体温めた方がいいかなって思って。我が家、風邪の時はいつもこれなんです」

 とはにかむような極上の笑みを向けられては、若干目を伏せて「……ありがとうございます」と呟くしかない。

「いつも悪化するまで放置してるんで、ちょいちょいこじらすんですよね」

「上司として義務づけます。こじらさないでください」

「はい」

 笑いながら答えると、市乃はよろしいとでも言わんばかりに鷹揚に頷いた。妙に芝居がかった仕草につい吹き出してしまう。

「……笑わないでくださいよ」

「すいません、なんか微笑ましくて」

 拗ねたように唇を尖らせるのがまた愛らしい。

 聡明で凛とした仕事中とのギャップに、改めて市乃の仕事に対する熱意を思い知らされる。

「それはそうと、さっき『帯や小物が見繕えない』って言ったの、嘘でしょう?」

「あ、バレてましたか」

「微妙に棒読みだったんで」

 くすぐられたイタズラ心を発揮してみると、市乃は頬を赤く染めて俯いた。衣紋を抜いて見せたうなじまで微かに上気している。見事に期待通りの反応だ。

 にやつく口元を覆い隠す隆臣に、市乃はか細い声を届けた。

「仕方ないじゃないですか、演技なんて滅多にしないんですから……」

 潤んだ黒瞳を向けられ、辛抱堪らず隆臣は喉の奥で笑い声を漏らした。

 眉尻を下げてむくれた市乃が隆臣のカップを奪い取る。

「もうしょうが湯没収します」

「あ、ごめんなさいごめんなさい。調子乗りました」

 即座に詫びを入れると、市乃はむくれながらもカップを差し出した。それでもまだ中っ腹なようで、あからさまに目を合わせようとしていない。

 この人がここまで拗ねるの見るのも初めてかもな、などと地味な感慨が込み上げてくるがそれを口に出すと今度こそしょうが湯を没収されそうだったので思考の時点でせき止めておき、代わりに自然と手が伸びた。

 市乃の前髪の生え際辺りに手を置き、ぽん、ぽんと撫でてみる。

「ごめんなさい」

 市乃はびっくりしたように目をしばたたいて、更に一刷毛頬の色を鮮やかにしてから小さく頷いた。

「……あんまりからかわないでください」

 そんなことを上目遣いで言われるとどうしたものやら。今度は隆臣が小さく頷く番だった。

 離した指先に名残惜しい市乃の髪の滑らかさを意識から切り離すように、隆臣は話題を他愛ないものに変えた。

後半、主役二人が何故か甘々になっていますね・・・。

ちなみに市乃さんの仕草、言葉は全て天然です。無意識のうちに相手を翻弄します。最強です。

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