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第27話「野中少佐と戦場」

 私はエニシの本名を知らない。

 歳はいくつなのか。

 どこで生まれたのか。

 親はいるのか。

 大学は行ったのか。

 バーテンダー以外の仕事はしているのか。

 私は知らない。

 むしろ、知ろうとすることがとても野暮な気がしていた。

 知っていることは、触れ合うときは背中が弱くて、カフェイン中毒かというくらいにコーヒーが好きで、お香は白檀が好み、そしてお酒にはめっぽう強いということ。

 私と彼女の関係は『少年漫画とかにでてくるような友達』ということで、ふたりの認識は一致している。

 彼女には年上のパートナーがいて、愛し合っているそうだ。

 そのパートナーとの生活については何度か聞いたことがある。

 そのことを話す時、彼女はとても幸せそうな顔をしていた。

 足の不自由な六十歳前後の女性。

 彼女達は同居し、出勤前と寝る前には必ずキスをする。

 朝食はパンばかりで、エニシがサラダとか、ちょっとしたおかずを作って食後にはコーヒーを入れる。

 パートナーの女性はそのコーヒーにウイスキーを垂らすのが日課らしく、これにはエニシも「困っている」ということだった。

 また、足が不自由といっても、別に介護をしているようなことはないようだ。

 それ以外は精力的な女性であるらしく、ライターとして――いろいろな依頼を受けているらしい――現役で、経済的に困ることはないという。

 エニシは「家族と恋人を足したもの」という。

 私が「なぜ、二で割らないんだ?」と聞いたところ「倍なの、倍」と、うれしそうに答える。

 二十歳以上は年齢差のある、家族であり恋人であるふたり。

 そう。

 エニシの大切な居場所。

 エニシのいるべき場所。

 そんな彼女と私の関係。

 世間一般から言えば、ただのセックスフレンドとしか見えないだろう。

 ただ、私達が「友情」といっている。

 格好つけていっているわけではない。

 別なのだ。

 私と彼女の場合、別なのだ。

 彼女にとって別なのだ。

 彼女の家族であり恋人であるパートナーは、私達の関係を承知しているらしい。

「あの人は性欲がないのよ」

 性欲がない――心で繋がっている――最初はよく恥ずかしくないことを涼しい顔で言えるものだと、少しだけバカにしたようなこともあった。

 少しの嫉妬と、そんなことあるはずがないという羨望。

 でも今は違う。

 彼女と体を重ねるたびに、パートナーの話を聞くたびに認識する。

 本当にそのふたりは心が繋がっていると。

 そうとしか思えないような関係だと感じるようになった。

 理由はわからない。

 本当に肌で感じる。

 そういうふたりを。

 そうなると我々は性欲だけの関係なのだろうか。

 ――ただ、誤解しないで欲しい、あなたは私の性欲処理の相手じゃないから。

 私達は恋人ではない。

 でも、ただのセックスフレンドでもない。

 ただの友達。

 自分にはそう言っているが、正直、そうではない気もする。

 そうだという気もするが。

 なんだろう。

 よくわからない関係。

 ――少年漫画とかにでてくるような友達。

 やはりこれが一番わかりやすい表現なのかもしれない。

 自然体でいれる関係。

 気を張らない関係。

 端的に言えば不倫なのかもしれない。

 相手に許可をもらっているとしても。

 その事について、彼女はもちろん罪悪感もあり、何度かやめようとしたこともあったようだ。

 でも、やめることができない。

 自然と罪の意識は薄まり。

 しだいに求めるものに渇きを覚える。

 なぜか離れられない。

 不思議な関係。

 決して世間に胸を張ってはいえない関係。

 体を重ねても、キスだけはしない関係。

 彼女は求めていた関係。

 私は求めていたと思っていた関係。

 この絶妙なバランスで成り立っていたふたりの関係。

 そのバランスを崩してしまった。

 モスクワに行こうとする前に。

 自分のため。

 自分のわがままのために。

 少しだけ……少しだけ期待をして。

 私は終わらせてしまった。

 いや、違う。

 終わりにしようと決めて。そして実行した。

 そう。

 私が一歩前に出るために。

 私のひとりよがりだったかもしれない気持ちのために。

 崩れることを覚悟した上で踏み出した一歩。

 後悔だらけの人生だった。

 でも。

 エニシに対しては。

 それが例え自己満足だったとしても。

 関係が崩れてしまった今でも。

 この一歩に後悔はない。


□■■□


『野中! もういい! 退()がれ!』

 怒鳴るような声――無線を拾うスピーカーの音が割れるぐらいの音――がスピーカーから聞こえる。

 大隊長である横尾の戦闘指導だ。

「まだ帰って来ていない二小隊(にしょうたい)掌握(しょうあく)して下がります」

 私はそれだけ答えると「無理をするな」とだけ横尾は言った。

 軍隊の通信というやつは形式ばった通話方(つうわほう)があることはあるが、横尾という男はそういう常識をぶっとばして話をする。

 まあ、私もそっちのほうが好みなのだが。

 横浜とモスクワでの猛特訓といえる訓練の中で横尾の考え方は兵士達に徹底して叩き込まれていた。

 通信ひとつとってもそういうものがあるのかもしれない。

 大隊の兵士たちは最初は戸惑っていたが、形式にとらわれず無駄なく話すことに慣れていた。

 実際効率がいい。

 狭い指揮装甲車の中であっちこっちに伸びたコードをたぐるようにして、私は無線機のマイクを置いた。

 無線機内蔵型の装甲車帽もあるが、私はあまりそれが好きではなかった。

 だからマイク式の無線機で通話し頭には普通の鉄帽を被っている。

「中隊長! 一小隊の怪我したやつらと、やられたのを回収できましたっ!」

 半開きにしている扉の外で中隊の先任上級曹長(センニン)が叫ぶ。

「よくやった! 負傷者は早く下げろ、遺体は放置するなっ!」

「了解!」

 叫んですぐに、車両の上部から重機関銃の重たい射撃音が聞こえる。

 『距離一〇〇〇(セン)、敵徒歩兵数名、たぶん斥候! ビビッて隠れましたっ!』

 重機関銃を撃っている古谷(こたに)伍長が車内電話を通じて報告してきた。

 おいおい、もう敵の先端(さきっちょ)がすぐそこに来たってことか。

 思ったよりも追いつかれるのが早い。

 こりゃ、本格的にやばい空気だ。

「予備陣地に移動しろ! すぐに敵の砲弾(クソダマ)が飛んでくるぞ!」

 私は指示しつつ、ふと左手で左ポケットの中にある物を掴んだ。

 敵に見られた。

 居場所がバレた。

 つまり、すぐに砲弾を落ちてくということである。

 数回接触してわかったことだが、やつらはとにかくそれが早い。

 だが、これ以上は下がれない。

 音信不通の二小隊が孤立中。

 軽歩兵補助服を装備している軽装甲歩兵化部隊である番号(ナンバー)小隊のうち、一小隊と三小隊それから、火器小隊――大きめの対戦車ミサイル装備している――は手元にあるが……。

 大隊長は「退がれ」と言ってくれたが、我が中隊が下がれば、あとひとつしか抵抗線はない。

 まだだ……まだだ。 

 だが、敵の勢いも凄まじい。

 そろそろ覚悟の時かもしれない。

 覚悟……。

 はは覚悟か。


「たまらんな、これは」

 横尾がボヤキ気味に言った。

 通常の大隊長と中隊長の間なら、統率の問題になるので決して言わない台詞(セリフ)

 指揮官は孤独……とはよく言ったものだ。

 こういう厳しい状況に置かれた時こそ、責任を一人で負い、そして孤独になる。

 ただ同期である彼と私の関係は、その孤独を少しでも和らげる効果があったかもしれない。

「無事ではすまんだろう……」

 私も地図を見てため息をつくように言った。

 最初は遠慮していた。

 同期と言っても、大隊長と中隊長。

 中佐と少佐。

 ふたりだけであっても、他の誰かに聞かれていないという保証はない。

 だから私は当初敬語で話していたが、いつのまにか階級関係なくタメ口で話すようになっていた。

 横尾が「公式には上下関係、でも裏で同期の大隊長と中隊長の仲がいいところを知れば、兵士は安心する」と言ってそうすることを望んだからだ。

 それにしても。

 戦術のお勉強をそんなにしていない私でもわかる『やばい』現状。

 地図の上に乗っている赤い符号。

 モスクワ南部。

 ありえない状況が記入されていた。

 敵を示す赤い部隊符号――部隊を種類と規模をあらわしたもの――がありえない場所に、ありえない兵力で描かれているからだ。

 ありえない。

 そう思う時点で奇襲されていることになるんだが。

 本当にありえないから仕方がない。

 敵の空挺師団を示すマークが四つ。

 地図の上にどっしりと居座っていた。

 モスクワの南。

 ロシア帝国の領内に。

 そして横尾と私をますます不安にさせる青い符号。

 モスクワの周りにある、小さな符号たち。

 味方を示す青い部隊符号――師団の戦力に対して三分の一程度である旅団のマーク――がふたつあるだけだった。

 そのひとつが帝国陸軍の遠征旅団。

 五月五日。

 あの戦争と同じ日にソヴィエト連邦軍は東進を開始した。

 モスクワの五〇〇キロ東に流れるヴォルガ川を防衛線として準備していた我々――ロシア帝国及び反コミンテルン連合軍――との間で戦闘が始まった。

 国境より西の制空権は圧倒的に有利な(われ)側。

 地上戦闘が主になろうとしていた時、連合軍は敵の主作戦正面がヴォルガ川岸からモスクワまでが最短距離の二〇〇キロで西に真っ直ぐ伸びるアフトダローガ・ヴォルガ道沿い突破を企図していると断定。

 予備を含めその正面に戦力転用を図り、短期間のうちに決戦を行おうとした。

 緒戦で制圧した敵の航空機。そして、敵の地対地ミサイルや火砲といった遠距離火力を多大な犠牲を出しつつ空爆で破壊したという戦果も影響したのだろう。

 それにロシア帝国としては、決戦を早期に行い、努めて早く戦闘を終了させ、国土の戦火による被害を最小限に抑えるのが狙い……むしろ願望だった。

 そして、十日、モスクワ南部の対空火網を構成した対空部隊が次々と特殊部隊の襲撃により撃破されたという一報が入った。

 もともとソヴィエト側になびいていた州にあった基地。

 予備の航空部隊を投入したが、敵の最新鋭戦闘機部隊がその正面に集中しており、あっという間に壊滅した。

 こうして制空権を得たソヴィエトはその隙を最大限利用し、合計四個師団クラスの空挺降下がモスクワの南二〇〇キロの位置にあるヴォロネジ、クルスクの近郊に行った。

 連合軍に激震が走ったのは言うまでもない。

 それは我々の喉元に後ろからナイフを突きつけらのと同じことを意味した。

 制空権の獲得、レーダーと対空火器の発達している現代戦ではありえない、できるはずがない空挺部隊の投入。

 そういう油断が、大部隊の空挺降下を許してしまった。

 この時、それを迎い撃てる戦力はすでに無く、少なくとも敵の侵攻を遅滞ぐらい期待できる戦力――ロシア帝国の一個旅団とわが帝国陸軍の遠征旅団だけだった。

 この正面に敵を撃破できるだけの戦力を転用するには、少なくとも五日間の猶予は必要あった。

 そこで連合軍最高司令官が二つの旅団に与えた任務は、モスクワに続く二経路をそれぞれが押さえ、敵の空挺師団を五日間阻止することだった。

 遠征旅団――その隷下の我ら第三混成大隊も含め――は一五〇キロの縦深(じゅうしん)を活用して、敵を遅滞をすることになった。

 それは我々が嫌がらせのような襲撃、伏撃を織り交ぜた遅滞戦闘の日々を送ることを意味した。

 私の軽歩兵補助服――人よりも一回り大きいサイズで全身を覆う、動力アシスト付きの装甲服――化中隊は、その特性を活かし伏撃や襲撃を繰り返し、敵の足を鈍らせる役目。

 敵の側面に大きく回りこみ、ヒット&アウェイを繰り返す。そして、敵が準備をして攻撃したときには後方に下がって『スカ』させる。

 言うは易し。

 行うは……。

 時間を稼ぐために、一五〇キロという地形、そして兵士の血と汗を犠牲にする。

 だから横尾は「たまらんな」と言っていたし、私も同感だった。

 

 

 もともとそんなにうまくはいかないと思っていたが、そこまでひどい状態ではなかった。

 一応、予定の時間まで稼ぐことはできた。

 だが、五日間で転用できるという味方の反撃部隊の準備が遅延しているため、更に持久することが求められることになった。

 敵も馬鹿じゃない。

 西から南へ兵力を転用させないように、少ない兵力で死に物狂いの攻勢が行われているらしい。

 そんな事情はどうでもいいが。

 一五〇キロという地形をうまく使って時間を稼いでいたが、それも使い切ってしまった。

 もう物理的に(あと)がない。

 今までは損耗がでるような戦闘を避けつつ、敵の速度を落としてきた。

 だが、一五〇キロの地形を使いきった今は、それを使って時間を稼ぐことはできない。

 あとは本格的な戦闘によって時間を稼ぐしかない。

 それは、我々の出血を強要させられることを意味した。

 このだだっ広い平地では、どうしても防御正面幅を大きくすることを避けられず、縦深のない配置――三個大隊を並列――するという不利な態勢で、正面から来る敵を迎え撃つことになった。

 私は大隊の正面の守備と、遊撃部隊による敵の足止めの任務を与えられた。

 こうして二小隊を伏撃部隊として派遣していた。

 だが、敵の先端戦力と当たるころには前に出していた二小隊とは音信不通になってしまった。

 ――負傷者を見捨てるな。

 ――戦友の遺体を放置するな。

 そんな私の訓示に対し、中隊の兵たちはよくやってくれている。

 もう五人も死なせてしまったが、なんとか負傷者も含め後送できているのは彼らの言葉では尽くせない労力のお陰である。

 それに不思議と『絶対に見捨てない』という雰囲気は彼の士気を上げるのにも効果的だったようだ。

 こんな負け戦の空気の中でも活気があるのは、中隊長冥利に尽きると言ってもいいだろう。

 だが、あれから進展はない。

 二小隊とは音信不通のままだった。

「中隊長……二小隊は、無事でしょうか?」

 副官の上野中尉は独特の掠れ声で、その皺の深い顔を更に深くして聞いてきた。

「ああ、きっと戻ってくる、安井は大物を狙っているんだよ」

 二小隊長の安井中尉。

 遊撃、空挺、格闘なんでもできる下士官あがりの将校。

「大物?」

「敵の大隊長か連隊長あたりを狙っているんだろう……そうじゃないとこんなに遅くなることはない、必ず帰ってくるよ」

「見捨てはしない」

 銃声、砲弾の音が雷のように鳴り響く。

 いつまでそれに耐えれるか、正直言って不安だった。

 だが、決してそのような態度はとらないように、冷や汗をかきながら笑顔を向けるしかできなかった。

 根が小心者だからしょうがない。

 小隊長が顔面蒼白になって、逃げだした戦場を見た。

 そして、逃げ出した自分を知っている。

 中隊長が笑顔で踏みとどまっている姿を見た。

 逃げたくとも逃げれない自分を知っている。

 ……まったく……胃が痛いじゃないか。

 横尾、お前も辛いだろう。


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