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39歳バツイチ子持ちだが、まわりの女に煽られる。  作者: 崎ちよ
第5章  お父さん、決意す
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第23話「三和とお父さん」

 家に帰りつくとキャミソールに短パンというラフな格好をした三和がいた。

 だいぶ見慣れた風景になりつつある我が家の夜。

 娘が来てすぐの頃は違和感を感じていた風景。でも、最近はあまり感じなくなっていた。

 慣れ。そして、別の違和感を感じる様になったからかもしれない。

 この子がいなくなっていたら……という怖さ。

 何も言わず母親の元に帰ったら、私の目の前からいなくなったら……私はどんな顔をしていればいいのだろうか……と。

 私はそんなことを思いつつ寄り道して帰る父親なのだから、矛盾していると思う。

 少々わがままなのかもしれない。

 欲というのは怖い。

 手放して諦めていたにもかかわらず、こうしてもう一度手に入れたら、また別のものを欲しくなる。

 どうしようもない人間だと思う。

「ただいま」

 私がそう声をかけると、娘はトコトコ近づいて来た。そして、犬のように服の匂いを嗅ぐ。

「だいぶ早いんだ」

 時計を見ると二十一時前、いつもの『飲みに行くから』と言って家を出るときに比べれば早い帰宅時間。

 さすがに伊原とサシで飲んで二次会まではいかない。

「一次会で終わったから」

 娘はじっと私を見る。そして理科の実験のように、自分の鼻の前で右手を軽く仰いいだ。

 お父さん、アンモニア臭ですか?

 それとも二酸化硫黄。

「そんなにお酒臭くない」

 どうした、三和。

 いつから匂い鑑定士になった。

 父親ソムリエか?

 ……気持ち悪いと言われるので、最近はそういうことを口にしない。

 成長するお父さんなのだ。

「あまり飲まなかったよ」

 私はそう言って笑った。

 あの店の雰囲気と、あの伊原を前にしてガブガブ飲める環境ではなかった。

 娘はまた私の顔をジッと見る。

 しばらくして口を開いた。

「女のひとの匂いがしない」

 私は一瞬ドキっとした。

 もちろん顔に出ていると思う。

 相変わらず脇が甘い私。

 でもやましいことはない。

 断じて。

 うん。

 さっき道端で伊原に抱きつかれただけだから。

「うそ……少しだけ香水の匂いがする」

 もう驚きませんびびりません、だってお父さんにやましいことはありませんから。

「たぶん伊原だな、あの背の高い女の人だよ、プールで話しただろう」

「ふーん」

「隣に座ったら匂いが移ったんじゃないかな」

 ……私は余計な嘘をついてしまった。

 後ろめたくはない。

 後ろめたくは……。

 そんな私のちょっとした葛藤を無視して、娘は「加齢臭酷いから、早くシャワー浴びて」と言って奥に消えて行った。

 私は苦笑する。

 そして、娘に言われた通りバスルームへ直行した。

 耳の裏を百回擦ろう。

 うん。



 シャワーを浴び、娘と同様に短パンTシャツ姿でソファーに腰掛けていた。

 風呂上がりに飲もうとした炭酸水のグラスを片手に。

 冷房はそこそこ効いている部屋だが水分を取ると汗が吹き出てしまう。

 できれば上半身裸でいたいが、今月の初めにそういう格好でうろちょろしていたとこを娘に散々罵倒され、ちゃんと服を着ることにしている。

 すでにグラスの中身は空っぽになっていた。

 もう一杯注ごうかと思ったが、やめた。 

 なんだか喉がひどく渇いていたが、先に話すことがある。

 すでに酔いも醒めている。

「三和」

 私はできる限り神妙な声を出した。

「話があるんだけど」

 彼女はクッションをお腹に抱えたままソファーに寝転び、テレビ番組を見ていた。

 顔を向けることなく、足を組み替える。

 私が話をしている時、娘がどこか体を動かすのは一応聞いているというサイン。

「お父さんな、異動をすることになった」

 娘は寝転んだまま「ふーん」と言った。

 ひとことも相談せず私が決めたこと。

「九月中旬には横浜なんだ」

 あと二ヵ月ほどしかない。

 しばらく無言のまま、時間が流れる。

「横浜」

 娘はそれだけ言って、テレビから目の前のクッションに視線を移した。

 私はなんとなくそこで言葉を切ったまま、テレビの液晶画面に目を向ける。

 いつもと代わり映えのしないバラエティー番組。

 スピーカーから聞こえるわざとらしい笑い声が響く室内。

 もう会話は終わったかなっと思った頃合い、娘は唐突に質問をしてきた。

「いつ、帰ってくる?」

 視線はクッションのまま。

「いつ帰ってこれるか……わからない、出張じゃないんだ、異動だから短くても二年」

「……二年」

 私の言葉を娘は復唱する。

「このアパートは?」

 抑揚のない声での質問。

「出払うことになる」

 同様にふーんとだけ娘は言った。

「どんなお仕事?」

「三和にはよくわからないと思うけど、遠征旅団という部隊で中隊長をやることになった」

「遠征旅団……中隊長」

 私は三和に視線を移す。

 娘は相変わらずソファーを見ていた。

「外国に行くかもしれない」

「外国」

 娘は寝転んだままソファーの上で動き、私に背を向けた。

「三和はお母さんのところに帰るか……それとも近くでアパート借りてひとりで暮らすか……」

 そう私が言ったところで、娘は私の言葉を遮る。

「それは野中さんが決めることじゃないし、心配することじゃない」

 視線を合わせることなく、そう言われた。

「そうだな」

 私はそう言って三和から視線を外した。

「そう」

 娘は頷く。

 安堵。

 失望。

 寂しさ。

 そんな感情が胸の中でぐるぐると混ざっていく。

「正式に決まったらまた言うよ」

「うん」

「準備があるだろうし」

「うん」

 私は炭酸水が入ってたグラスに口をつける。

 ほんの一滴だけ残っていた水分が唇に触れ、なんともいえない感触を味わった。そして、空だったことを忘れていた自分に苦笑する。

「お母さんに連絡しておく」

 三和はそう言って立ち上がる。

 クッションをギュッと掴んで無言のまま、私と目を合わせることなく自分の部屋に向かった。

「三和」

 私はどうして声をかけたかわからない。

 とっさだった。

 なぜか声が出てしまった。

 娘は振り向いた。

「いや、なんでもない」

 結局何も言えなかった。

 やはり何で呼び止めたのか、何を言おうとしたのかもわからないまま、私はソファーに座ったまま頭を抱えた。

 上手く言葉が出せない歯がゆさを感じながら。


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