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39歳バツイチ子持ちだが、まわりの女に煽られる。  作者: 崎ちよ
第4章  お父さん、奇襲さる
20/32

第20話「野中と笠原」

「まいったな」

 私は誰にも聞こえないような声で呟く。

 会議場には、大隊長、副大隊長といった大隊の幕僚と本部と三人のナンバー中隊長がそろっていた。

 そしてゲスト席のようなところに私は座っている。

 そんなことはあまり驚くことはない。

 正反対の席にいる人物。

 まるで詰問を受けるような位置に笠原先生が座っていたことに、私の心は乱れていた。



 魔女狩りは急展開を見せた。

 まず伊原から「笠原先生が書いたらしい」という噂を聞いた。

 どうも学生達の間で噂が流ているらしい。

 そういうフリーマーケットの販売会に彼女がいたという目撃情報があったようだ。

 それからカウンセリングの日に正直に彼女に聞いた。

 ――趣味で小説かかれていますか?

 と。

 あの表情は、まさに奇襲を受けた時の顔。

 人によって受ける衝撃は違うものかもしれない。

 あの日私が経験した、敵の声が陣地の後ろから聞こえてきた時にしてしまった、そんな表情だった。

 一瞬にして血の気が引いていた。

 目が開かれ、口が半開きになる。そして唇は一瞬でカサカサに。

 数秒後彼女は「はい」と答えた。

 ――例の流行しているお話ですよね。

 と彼女は確認した。

 それからどうして書いたのかを聞いてみた。

 ――小説家志望なんです。

 ――BL……そういう趣味が若い頃からあって。

 ――遊び心で書いた小説の評価が高くて……ずっと続きを書いてしまった。

 私は確認のため、ひとつ気になることを聞いてみる。

 ――頭山は、カウンセリングに来たことありますか?

 と。

 彼女は「頭山さんは来たことありませんが」と答えた。

 私はてっきり彼女が頭山がゲイであることを知っているものだと思っていた。

 内容は読んでいないが、きっとそういうものを題材にしたんじゃないかと。

 すると察しのいい彼女はみるみる顔が青ざめてきた。

 ――まさか、頭山さんは。

 と絶句したあと、みるみる塞ぎこんでしまった。

 ――あの、今さらですが……わたしだけかもしれませんが、そういう妄想なんです……ないってわかっていて、でもそういう風に妄想して……そういうのが楽しいというか、確かに実在するひとがそう見られてたら嫌悪感があると思いますし……まして、それが気にしていることだったら……。

 泣きそうな表情をみせまいと彼女は顔を伏せた。

 私は情けないがおろおろするだけで、何もできず見守ることしかできなかった。

 ギュッと結んだ口。

 彼女は「カウンセラーとしての資格はない」と言った。そして、この一連の騒ぎの原因は自分にあると、自ら副大隊長に名乗り出ていた。

 そういう経緯で、この件をどう処分するか。

 副大隊長の発意で詰問会議が開かれることになった。



 会議はこのBL小説の内容が少年学校とその人物を特定できるかどうかというのが焦点になった。

 その点は全国に陸軍少年学校は五ヵ所あるということ。

 内容を確認した一中隊の副官であり女性将校である日之出中尉からすると、地名などは入っておらずこの学校だと特定はできないという結論に至った。

 ただ、お堅く気難しい副大隊長は実在の人物をモデルにしたことも問題視していた。

 そう笠原先生が自ら告白していたから。

「軍内部の人間がモデルの人間に対し、無許可で文章を出していたことに問題がある……しかも猥褻な部分もあるそうだが」

 副大隊長が口を開いた。

「しかし、規則上なにも問題はないんですよね」

 口を開いたのは坊主頭の第一中隊長である佐古少佐。

「こうやって騒ぐことの意味がわかりません」

 と言葉を続けた。

「倫理上の問題だ」

「倫理上ってなんですか?」

 副大隊長と中隊長は同じ少佐。

 だが五〇代の少佐である前者の方が大先輩であり、力関係は三〇代の中隊長の方が弱い。

「猥褻な話を、しかも学校をモデルにして、内部の人間が書くことだ」

「……ですが」

「上が……参謀本部が騒ぎ出している」

 参謀本部が騒ぐ?

 それは大げさだ。

 どうも参謀本部に「軍隊内を風刺した猥褻な読み物が出回っている」というタレコミがあったらしい。

 まあ、最近は軍もSNSといったネットには神経をとがらせているご時世。

 だが、批判とかそういうものじゃないから、たいして騒ぐことではない。

 軍隊をモチーフにした小説なんて、そこらへんにゴロゴロしているし。

 参謀本部もそんなことをいちいち気にするはずもない。

 とりあえずこういうことがあったんで注意してね、ぐらいの気持ちで文書を出したぐらいだろう。

 ああ、この副大隊長のことだ。

 お上の文書を金科玉条のように持ち出して騒いぐタイプなのだ。

 組織の中で確かにそういう役回りは必要なんだが。

 このじいさんは、どうも引っ掻き回す癖がある。

 そんなの黙殺でいいじゃないか。

 ……といっても、私はまわりにいる少佐クラスを差しおいて、ここでしゃしゃり出るのもおかしいので、今は静観。

「仰々しくこういう会議を開くとか……無駄だと思います、」

「口が過ぎるぞ、佐古少佐」

 少し怒気を含む声で言ってから副大隊長が佐古少佐を睨みつけた。

 会議室が静まりかえる。

 嫌な緊張感だ。

「申し訳ありません……私がこの学校を辞めることが責任を取ることになると思います」

 笠原先生は力強く、ゆっくりとしゃべった。

 先生、それは困る。

 いなくなると困る。

 中隊長たちが口を開こうとするまえに、私は声をだしていた。

「あのー」

 私は手を上げる。

「実は私も協力したもので」

 できる限りいつものように軽々しく言った。

「私も処分して頂いてよろしいでしょうか」

 笠原先生ははっとした顔で私を見る。

 一番奥の、深々とした椅子に座っている大隊長であり少年学校長であるダンディーなじじいがニヤっとした。

 まったく、そういうことか。

 じじいにやられた。

「私の願望がですね……いや、まあ、そういう性癖もありまして……それを満たすために先生に依頼をしたところ、このようなことになりまして、ああ私、書いていませんが原作者ということで」

「お、お前」

 副大隊長の禿頭に血管が浮く。

 悪い人じゃないんだけど、すぐ怒るだよね。このじいさん。

「ですから、元々そういう猥褻ものを要望したのは私ですので、どうぞ処分して下さい」

 大隊長がフムゥと独特のため息をついた。

 先生がいなくなるのは困る。

 なぜか、エニシの「……パートナーを作った方が博三のためだって思うんだけど」という声が聞こえる。

 あの、何気ない一言。

 喉がカラカラと渇く、あの一言。

 私は、そういう感覚とは別の緊張感も感じながら大隊長をじっと見た。

 ほんの数秒。

 でも長い沈黙に感じた。

「隠蔽する」

 大隊長はそれだけ言って立ち上がった。

 立ち方が妙にダンディーな五十歳。

 副大隊長とは対照的に白髪混じりの髪はふさふさしている。

「現役の軍人がそういうことに関わっていた……まして清廉潔白な人物が必要とされる教官職にある将校が」

 清廉潔白。

 そんな建て前の言葉に場が白けた。

 実際この学校にいつ教官陣はポンコツの巣窟である。

「めんどくさい、それにどうでもいい」

 ニヤッと笑う大隊長。

「副大隊長、すまんが忘れろ、もしこれが揉めたらすべては私の責任だ……まあ、上はもうどうでもいいことにしているだろうし……ああ、副大隊長が大人しくしていれば、騒ぎにはならない」

 ははっと爽やかに笑う大隊長。そして副大隊長の肩を叩く。

「それに、まかり間違って野中大尉がゲイだから処分した……と誤解された場合、今のご時世クビがぶっとぶ案件だ、いらんリスクは回避したほうがいい」

 そう言って、なんだかよくわからない会議は終了した。


 会議の後。

 ――よくもまあ、ぬけぬけと処分処分いいやがって。

 と副大隊長にわき腹を小突かれた。

 私の過失は上司の過失にもなる。

 昇任枠や昇給枠その他もろもろの査定が大隊全体として落ちる。

 それに懲戒処分の手続きをする副大隊長がとても面倒くさいことになることは間違いない。

 隠ぺいなんて組織ですれば問題だろう。

 だが、この案件にしてみれば規則に触れるのは「品位を保つ義務」ぐらいだ。

 そんなこと言ってみれば、エロ本が置かれている当直室や風俗行く兵隊も処分するべきだろう。

 そんなどうでもいいことで騒ぐのもなんとも軍隊らしいところなんだが。

 なにせ、部内をモデルにしたネット小説が問題になることなんてなかったから、どうすべきか誰も答えのないまま、上から下まで無駄に騒いだだけだと言える。

 ただでさえ、問題児――主に職員――が多い学校だ。

 こんなことで大げさにする必要はない。

 副大隊長としても、ある意味自首されてしまった手前、無かったこともできなかったんだろう。

 責任をとれる立場というのは指揮官のみ。

 そういう立場でもないので、あんな茶番の会議を開いたのだろう。

 大隊長の「隠蔽する」のひとことをもらうために。

 びびりと思われるかもしれないが、幕僚というのは責任がとれない。

 指揮官に判断してもらう必要があるのだ。だから、こんな茶番でも軍隊としては常識的な行動だった。

 まあ、そんな文化の違いについて先生と話している。

 あれから一週間ほどたって、私はいつものようにカウンセリングに来ていた。

「まあ、あれのおかげで私はバイだという噂が学校内に蔓延しているようですが」

「それは……」

 消え入りそうな声のごめんなさいが聞こえた。

「別に、恥ずかしいことじゃないので」

 私は両手を組んで肘をテーブルについた。

「勝手な事を言う奴なんか放っておけばいいんです」

「はい」

「だから、先生も知らぬ存ぜぬで押し通してくださいね」

「……はい」

 いかん。

 元気を出してもらおうとしているのに、先生はどんどん声が小さくなり涙目になっていっている。

「野中さんは、私のこと嫌いになりましたよね」

「え? いや」

「あんな風に野中さんを書いてしまったんですよ……」

「まあ、フィクションですよね」

「でも、それでも」

「た、確かに正直言うと、先生からこんな感じで見られていたのかと、少しだけショックでした」

 先生は俯く。

 まずい、余計なことを言ってしまった。

 元気を出してもらわなくては……。

「いやそんなに意外でもありませんでしたよ」

 先生は俯いたままだ。

「だって、意外と先生大胆だったりしますから……ほら、プールで」

 あの大胆な水着を思いだす。

 先生に好意をもった男なら眼福どころではない。

「セクハラです」

 よし、少しは元気がでてきた。

「しょうがない、男ですもの」

「……」

「私は目のやり場に困りましたから」

 はははっと笑ってまた言い過ぎたことに気づく。

 すると先生はまた俯いてしまった。

 やっちまった。

 あれ、何がだめだったの?

 なんか余計なこと言ったっけ?

 私がどうしようどうしようと慌てふためいていたら、俯いた顔の下から小さな声が聞こえてきた。

「あれは、創作する上で別次元の人間で、野中さんとはまったく違って……」

「え、ええ」

「本当なんです」

「わかりました、わかりました」

「男性としての野中さんが……デートしてもデートって言ってくれないし……プールでも一緒に泳いでくれないし、いつも相手をしてくれないから」

 涙目の先生は立ち上がりテーブル越しの私に詰め寄ってきた。

「エニシさんは綺麗ですね」

「あ、え?」

「どうして、あんなに素敵な人とお付き合いされているんですか」

「いや、付き合うとかそういう次元じゃなくて友人なんです、ええ友人」

 『ちゃんとしたパートナーを作った方があなたのため』エニシの声が私の言葉に重なる。

 なあ、本当に私はパートナーを作ってもいいんだよな。

 そうなると、もうできなくなるけど。

「そうですか、よかった」

 もう一寸、彼女は私に近づいた。

「ちょっと意地悪な気分で作っちゃったんです、あの話……なんだか、よくわからないんですが、野中さんにイライラして」

 また体が近づいた。

「落ち着きましょう、ええ、イライラするのはやめましょう、ええ」

 彼女の顔は赤い。

「こんな私でも、嫌いじゃないですよね」

 ――そろそろちゃんとしたパートナーを……。

 あの時、そう言われた瞬間の喉の渇きと喪失感よりも、更にひどくした感覚が広がる。

 喉の奥の乾いた粘膜に、直接風がかかり痛い。

 不意に襲われたその感覚から逃げるように、目の前の先生の肩を掴む。

 ほっそりとして、すぐにこわれそうな。

 でも女性的に柔らかいな感触。

「どうしてかばってくれたんですか?」

 彼女はじっと私を見ている。

「先生にはまだお世話にならないといけないから」

「カウンセリング?」

「カウンセリングも受けないといけません」

「も、ですか?」

 彼女の濡れた唇が目に入る。

 そしてまた、喉の渇きがひどくなる。

 ガタっ。

 テーブル越しに無理やり先生を引き寄せたため、先生の椅子が動いてしまい壁に当たった。

 お互い息が荒くなっているようだ。

 ――ちょっと意地悪な気分で作っちゃったんです、あの話。

 笠原先生の小さな声。

 ――私にああいう態度をとったのも、お前へのあてつけだと思う。

 あの伊原との夜、私が頭山に言った言葉。

 声が頭の中に響いている。

 違う、当てつけじゃない。

 私はそう繰り返した。

 だいたい、誰に対して私が当てつけるというのだ。

 私は邪魔なテーブルを横に動かし、彼女を自然に抱き寄せた。

「助けてくれてありがとうございます」

 先生はそう言って、目を閉じる。

 閉じた瞬間小さい雫が目尻に集まっていた。

 私は痛いほど喉が渇いている。

「先生……」

 私もゆっくりと目を閉じた。

 そして彼女の唇に、空気越しに温もりを感じるほどに近づいて……。

「ピンポーン! 入りまっす!」

 ガチャ。

 私たちは慌てて体を引き離す。

 お互いにおろおろする。

 私は無駄に髪の毛を整えてしまうぐらい。

 扉から顔を出したのは頭山だ。

「いやー、頭山どうした! お、元気か?」

 と私。

「どうしました、頭山さんっ!」

 と笠原先生。

「よかったー、なんか意識が飛んでいたから、いやーお昼のカレーのせいですね、食堂のカレー海軍に負けねえぞってぐらいスパイシーですから」

 と私は棒読みで言った。

 お昼がカレーだった場合、午後の仕事は眠くなる、でも美味しいからみんな大好き。

 これ軍人の常識。

「よかったー、ちょっと体が熱くてボーっとしてしまっていたから、やっぱりカレーのせいですよね」

 棒読みの笠原先生がうなずく。

 夏はカレー、香辛料が体をぽかぽかさせてくれる。

 そうだ、そうだ、昼食のカレーが悪いのだ。

 香辛料マジックである。

 体を離した勢いで私はすこしバランスを崩していた。

「俺も笠原先生にカウンセリングしてもらおうかと思いまして……あれ? 副長いらっしゃってんでしたか、いやーすみません、お邪魔して」

 こんなにしゃべるやつだったか、こいつ。

「ええ、もう先生俺のことは気にしないでください、例の件はさすがにショックでしたけど、ぜんぜん気にしないでください」

 笑顔の頭山。

 ぜんぜん気にしないでくださいを連呼。

「先生、俺ショックだったんですよ」

「す、すみません」

「あーでも、これでチャラにさせてもらいますから、副長をお借りしますね」

 ぐいっと私の腕をひっぱる頭山。

 ハッと息を飲む笠原先生。

 あ、ご趣味でましたね……なんとなくその瞳の奥に光るものを見てわかるようになりました。

「待て、まだカウンセリングが終わっていない」

「いいから」

 強引な頭山。

 先生、なぜそこで生唾を飲むんですかっ!

「あの、まだ野中さんと話すことが」

 なぜか葛藤した表情の先生。

 ぐいぐい引っ張る頭山。

「先生、これでチャラにするっていいましたよね……いや、ショックだったんですよ、ショック」

「あ……」

 私は羽交い絞めにされ拉致された。

 こうして無理矢理、カウンセリング室から出て行くことになった。



 あからさまに軽蔑した眼差しを向けてくる頭山。

「お天道様も高い位置にある時分に何をやっているんですか」

「な、何もやっていない」

 毅然とした態度をとろうとしたが失敗した。

 いや、うそ。

 見栄をはるそんな余裕さえもない。

「空気がピンク色でした」

「ま、まて、そういううわさを立てたら笠原先生に迷惑がかかるから冗談でもやめなさい」

「冗談で抱き合いますか」

 まじかよ。

 えええ。

 いや、あれは抱き合ったというか、慰めたというか、本能的に男は狼さんになりそうだったというか……。

「……見た?」

 あきれた顔の頭山。

 何度も言うが、大先輩にして上司たる私に世間様一般的にこういう人を馬鹿にした顔は見せない。

「もうふたりの慌てようを見たら、想像できますよ」

 かまかけましたか、頭山くん。

 情けない。

 こんな若人に振り回される自分も情けないけど、なんつうかおじさん悲しいよ。

「でもよかった、あそこで行為を行っていたら、いろんな意味で手遅れでしたね!」

 あんなところで行為をするわけないだろう。

「バカモン、私がそんなことするわけ無いだろう」

「ほんとですか?」

「あんなところでやるのは、さかりついた歳じゃないと」

 そりゃそうだ、ゴムもないし、どうやってしろって。

 一瞬にしてジト目になる頭山。

「……いや、私はキスのことを言ったんですが」

 ぶは。

 吹き出す私。

 頭山よ、どうして君は奇襲ばかりする。

「お、お、お前な、キ、キスだよ、キス、行為ってキスのことだよ、なんで職場で、それ以上のことを……それこそ処分ものだぞ、処分もの」

 キスだって、淫らな行為扱いで処分になります。

 ……くっそ。

 でもふと疑問。

「っていうか、どうして頭山は私のことをそこまで心配までするんだ」

 あれ、まさか。

「『まさか私のことをすきなんじゃないか、すまん、私は異性愛者なんだ』」

 私の声真似をして頭山が言う。

「……っく」

 なんでこいつは毎回毎回私の心を読むんだ。

 なんか、センサー埋め込んだ? もしかして宇宙人?

「なわけないでしょう」

 ため息をつく頭山。

「じゃあなんなんだ」

「友情ですよ、友情」

 友情?

「伊原か?」

「ええ、さまよえる子羊ちゃん……伊原です」

 伊原……。

 頭山と付き合っていると思っていた。

 でも、彼はゲイでそうではない。

 それでも伊原は頭山を好きだと……でもあの夜、彼女は私に……。

 そんなことを考えるうちに、頭山の友情という言葉が脳内を支配していく。

 友情。

 友情。

 友情……。

 その言葉が反芻される。

「副長との関係を深くしてやろうと努力しているんですが」

 いつもの軽口。

 私はジッと、彼を見た。

 彼は一瞬口を閉じぎゅっと結ぶ。

 わざと軽く言ったのはよくわかる。

 頭山はゆっくり口を開いてからしゃべりだした。

「俺は伊原に幸せになってもらいたいだけなんです……友として、恋人になれなかった俺ができることを精一杯してあげたいんです」

 ああ、ひっかかっていたのはそこか。

 それが重かったんだな。

 過去、ふたりに何があったかは知らない。

 それを友情とまとめていることは理解できる。

 ……なんというか私とエニシとは全然違うけど、なんとなくその気持ちがわかるから。

 だが、それは頭山の罪滅ぼしなんだろう。

 それは違う気もする。

 私とエニシにはない要素。

 だから、そこだけすごく違和感を感じた。

 あ……いや。

 いや、違うな。

 そうか、そうだ。

 私は羨ましいんだ。

 ああ。

 同期という大切な友人を、今ここにもっている彼らが羨ましいんだ。

 私の友。

 エニシのことではなかった。

 ストンと落ちる友情という言葉。

 あの陣地と共に消えていった同期。

 彼に「逃げるな、臆病者」と言わさせてしまった。

 ……もしかしたら、あれを受けた私よりも、死ぬ間際に友として最低な言葉を言ってしまった彼の方が辛いんじゃないだろうか。

 あんな言葉を言わせてしまった、私の行動のせいで。

 友情は自分も相手も縛り付ける。

 気付かないうちに。

 でも、時が経つにつれ緩むこともあれば、さらに締め付けることもある。

「そうか、伊原か……いや、伊原も頭山も幸せだな」

 私はつぶやく。

 それでもふたりは悪くない縛り付け方じゃないかと思った。

 何を言いだすんだと、いまいち理解できない顔の頭山。

 そうだ。

 わからないだろう。

 君たちは幸せだと言っていることなんて理解できないだろう。

 できる君たちは幸せなんだ。

 なにがあったかは知らない。

 お互いにお互いを傷つけた過去があるのかもしれない。

 でもこうしてふたりはいる。

 うらやましい。

 ほんとうにうらやましい。

 なあ、どうやったら、罪滅ぼしができるんだ。

 だれか教えて欲しい。

 もう、私の友はここにはいないのだから。

 俺の罪滅ぼしを。

 だれに、どうすれば。


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