第15話「笠原先生とダメ男」
無言のままローキック。
痛い。
あ、こっちかあ。
「ストーカーに捕まっちゃだめ」
「ストーカー!?」
げし。
引き続き私を蹴る三和。
「学校祭の時にじーっと見つめていたり、付いていったりしていた」
「長崎が?」
げし。
「うん」
返事と同時に蹴りやがった。
長崎がベンチから勢いよく立ち上がる。
その挙動で胸が揺れる。
やはり大きい……。
一学年しか違わないのに三和とは大違いだと今更思う。
食べ物か。
遺伝か。
もちろん男としての興味ではなく、大人として変な男に声をかけられないか心配してのことである。
うん。
「そんな訳がないだろう、なんでこんなおっさんにストーカーする必要がある……意味がわからん」
娘は何も答えることなく、ジーっと静かに敵対心を燃やす目で長崎を睨んでいる。
「あなたは誰なの? いきなり来て私をストーカー呼ばわりするなんて、失礼……だいたい、こんな加齢臭プンプンのダメオヤジを追い回すような物好きがどこに……」
「娘」
三和はボソッとそう言った。
「娘?」
娘は何か意を決したようにして、私の腕を掴んで「パパ」と言いながら抱きついた。
その平たい上半身の骨があたる。
「パパ」
「そう、パパ」
初めてパパと言われてみてわかることがある。
とてつもなく恥ずかしい、そして痒い。
ああ痒い。
「まあ、一応本物の娘だ」
――こんな大きな娘がいるなんて……既婚者だったなんて、ぼっちなダメ人間じゃなかったの。
と長崎は呟いている。
娘は私の腕にますます絡まり。
「ラブラブだから、邪魔しない」
と言う。
「違う、違う……指導官はそんなんじゃない、例え娘さんがいたとしても、きっと臭い汚い汚物と言われているはず……そんなにべったりなんかできる人じゃない」
微妙に合っているんだが。
「いっしょにお風呂」
気持ち悪いぐらいに甘えるように娘が言った。
「ありえない、ありえないわ」
そんな、指導官見たくもない……と呟きながら、彼女はその場から逃げるように立ち去っていった。
……いったいなんなんだ。
私は頭を掻いて、今の若い子はみんなそうなんだろうか……なんてオヤジ臭いことを考えてしまった。
「エロ親父」
三和は私の腕の肉を抓るとそういう言葉を吐き出した。そして、汚いものを触ってしまったかのようにそこから飛び跳ねる。
「伊原さんも笠原さんもエニシさんもいるのに、今度は学生に手をだすなんて最低、不潔、汚い、汚物」
ひどいことを言う。
「意味がわからん……同僚と友達だ、それに長崎は教え子のようなものだ、手をだすとか……三和も変な漫画とかに影響されて、妄想がすぎると思うぞ」
ローキック。
暴力反対。
娘の部屋を掃除したときに、薄い雑誌のような何かを片付けたお父さんである。
「えっち」
「はいはい」
「エロリスト」
「それは言いすぎ」
「スケベ親父」
「もういいだろ」
「よくない」
私はため息をつきいて廊下の先を見ると、エニシがゆっくりと歩いてきていた。
「親子仲良くしてるわね」
「ラブラブ過ぎてどうしようかと思っていたところだよ」
ローキック。
我が娘ながらなかなかいい蹴り方をする。
「お風呂入ってるんだ」
エニシがニヤニヤしている。
「やっぱり、エロ親父ね」
私は違う違うと慌てて言うが、ふふんと鼻で笑われる。
「エニシさん、冗談でもこんな人とお風呂なんか入らない、あの女を撃退するために言っただけ」
「あら、面白くない」
……面白い面白くないの世界じゃないだろう。
「ところで」
「ところで?」
「あなたの胸の大きな教え子ちゃんが、悪そうな男達にナンパされていたんだけど」
「そりゃ、あんな水着を着ているから悪い」
「それだけ?」
「あのな、今日はプライベートなの、面倒臭い事はしたくない」
「へー」
ああ、もう。
「わかった、ちょっと行ってくる、三和、お前も気をつけなさい……ひとり行動は謹んで、エニシさんとみんなのとこにいっしょに戻るんだぞ」
「いやいや、お兄さん、この子は私の身内なので、そういうことされたら困るんですよ」
――声をかけただけだからいいじゃねえかよ。
呆れるぐらいにありふれた言葉を吐いている。
金髪、ピアス、タバコ臭い、そういうそれっぽい若者が四人。
偏見で人を見たくないが、どうしてもそれが気になる。
お堅い軍隊に居れば、こういう感じの子はあまりいない。
周りは見て見ぬふりをして、早足に通過している。
まあ、仕方がない。
こんな馬鹿に関わる方が馬鹿だということはよーくわかっている。
「おい、いいかげんに」
はあ。
クダラナイ。
男が私の肩を掴もうとした。
わたしは間合いを一気につめる。
相手の顔と私の顔がグッと近づいた。そのため男の手は空振りになり、宙を泳いだ。
数センチ低い男に対し、私は少しだけ見下ろす感じになる。
「そろそろ家族で遊ぼうとしていたところなんで、失礼したいんですよ、お兄さん」
喧嘩を売っているわけではない。
穏便に済ませようとして、よーく聞こえる距離に来ただけだ。
「やろうっ!」
別の男が私の腕を掴んで引っ張ろうとした。
クダラナイ。
間合いを詰めた。
さっきの男と同じように手が泳いでいる。
「このクソおやじ!」
もう一人の男が私にペットボトルの中の液体をひっかけてきた。
甘ったるい臭い。
濡れるTシャツ。
べったりと貼りつく感じが気持ち悪く感じた。
クダラナイ、そして面倒くさい。
「ふざけんなよっ! てめえ、俺は金沢じゃあ、有名な……」
男の言葉が止まる。
目線が私の体に向けられていた。
おいおい、おっさんのスケスケTシャツ見て欲情してんじゃないのか、この男の子は。
それぐらい、私の肩口を凝視していた。
「……なんだてめえ、そんな傷見せつけて、俺を脅してんじゃねえよ」
どこの傷だ。
肩か、腹か、胸か。
「まったくどうしてくれるんだ、おっさんこの傷、恥ずかしいしコンプレックスだし」
私はグイッと間合いを詰めた。
男が私の首根っこを掴もうとする。
そのたびに間合いを詰め、どんどんプール際に追い詰めていった。
もう、面倒くさい、ああ面倒くさい。
このガキども。
ひとりの男がじゃんけんみたいなグーを握って振りかぶってきた。
笑いたくなる様な殴り方。
吹き出しそうになったので我慢しようと頭を下げる。
なんだか頭上で風を感じたので頭を勢いよく上げてみた。
びっくりした顔の汚いぼさぼさ金髪ガキ。
私は耳元に顔を近づける
「あ!」
鋭い声でびっくりしたような声をだす。
男はその声に反応して腰をくの字に曲げる。そしてそのままプールサイドから落ちてしまった。
勢いよく上がる水しぶき。
私のTシャツが本格的に濡れてしまった。
そんな私を見てなぜか怯える男達。
まったく。
見せたくもないものを。
私は胸に刻んだ小さなシャレコウベが並んだ入れ墨を見た。
自分が殺したと認識している敵の数分あるそれを私は手で抑えた。
若気の至り。
あの戦争で兵士たちの間で流行った入れ墨だ。
知っているひとは知っている、そんなしろもの。
私は男達を見る。
「び、びびってねえからな!」
そう言って掴みかかってくる男。
一歩遅れたもうひとりの男も何か煽るような事を言っている。
まあ、理解できない言葉なので割愛。
「くっそ!」
私はスッと横に避ける。
ちょうど私の踵あたりがプールサイド際だから、後ろには下れない。
その代わり、ずいっとさらに間合いを詰めた。
プールサイドにそって動く私。そして、下がる男。
が、男は何かに躓いたため、プールサイドで不思議なダンスを始めた。
私は笑いそうになるのをこらえる。
自爆にしては本当に滑稽すぎた。
私は男に背を向ける。
ドボン。
また水しぶきが、ちょっと大きめのがふたつ上がった。
ダンス野郎が仲間の手を掴んで道連れにしたらしい。
私は、ため息をつく。
少し怯えているように見える長崎に手招きをした。
「さあ、逃げようか」
私は動かない彼女の手を引っ張った。
「トラブルは避ける、決して反撃なんかしない、それが大事」
一応学校の教官としてトラブル回避を教えることも必要だ。
少し説教地味た声でそんなことを言いながら、小走り逃げることにした。
「それで、ラブレターの送り主にふられたんですね」
笠原先生のカウンセリング。
落ち着く個室で向かい合う先生と私。
「よくわからないんですよ……それが」
私が密かな楽しみにしていたラブレターは、突然の幕切れとなった。
あ、認めます。
枯れたおっさんの楽しみでした。
十代に戻った気分になりました。そして、悲しい思いをしました。
最後の手紙。
――幻滅しました。
――格好が良いあなたは、私の憧れる人ではなくなりました。
「本当に意味がわからないんです」
わからない。
どうしてダメな男を好きになるのか。そして、私にラブレターをくれた相手とまったく接点を持つことなく、一方的に遮断されてしまった理由を知りたいと思っていた。
先生はため息をつき「きっとダメ人間しか好きになれない人だったんでしょうね」と言った。
「助けたい症候群」
聞いたこともない症例を先生は口にする。
「なんですかそれ?」
「ダメ人間を助けたいって思う……女性に多い恋愛の症候群のひとつですよ」
「はあ」
「ああ、私がいないとだめな人、うっとり」
なぜか棒読み。それに対して私の反応も棒読みになる。
「はあ」
自ずと私の「はあ」も棒読みになってしまった。
「そういう感じですかね」
「あの、それは私がダメ人間だという前提ですか」
「ええ」
先生、ひどい。
統合士官学校出た帝国陸軍大尉ですよ。
一応……。
いや、まあ同期はもう中佐になってるんだけど。
……うん、まあ、ダメ人間だよな。
世間一般さまから見れば。
「ひどい人では、ご飯から排泄までぜーんぶ面倒みたいと思うぐらいの重症な人の例もあるんですよ」
うんドン引き。
だから正直に感想を言った。
「私は、そういう感情、理解できませんが……先生はどう思います?」
もちろん先生も同意してくれると思った。
「少しわかる気もします」
わかるんかい!
私は少し意地悪な顔をして口をひらく。
「排泄の面倒」
つい、そこだけ特出しして言ってみた。
「……野中大尉、わかっていってますよね」
怖い。声が怖い。
「冗談です」
ここは大人しく引き下がる。
いや、言い過ぎた。
反省しています。先生怒ると怖いから、ほんとマジごめんなさい。
そういう光線を体全体から出してみた。
すると先生はため息をつき口を開く。
「ただ、男の人のダメなところを垣間見てしまうのも、ちょっとした優越感に浸れるというか……そこを補完できる自分が存在することに快感を覚えるんですよ」
「はあ」
薄い反応なので、先生は少し嫌な顔をする。
「男の人だって、そういうのありません?」
困っている女性を助ける……そういうヒーローに憧れはあったかもしれない。
目を覚ませ男なら、鍛えろ……そういうフレーズの歌を十代のころ聞いて、とりあえず腕立て伏せをした記憶はある。
「ドラマとかアニメとか、そこに出てくるヒーロって、困っている人を助ける、ダメな人を助ける、そういうのが盛り上がりません?」
先生はそう言って私を正面から見つめた。
「なるほど」
とりあえず、そんなことを言ってしまう私。
「でも、あまりいい例はないんですよ」
先生は眉をひそめた。
「お互いに補完し合えるならいいじゃないですか」
「そういうのってだんだんと一方的になるし……人間って甘えだすと際限がないんですよ、しかもその甘えさせることに快感を感じてしまうからどんどん深みにはまって……負のスパイラルに陥っちゃうんでしょうね」
ふと思う。
私がPTSDがひどくなり、絵里に暴力を振るったことがある。
それでも、彼女は私を愛し続けてくれた……私が拒絶するまで。
いや、あの拒絶は私だったのか、彼女だったのか。
そこは曖昧で覚えていないのだが。
……そもそもその境界が明確ではないのかもしれない。
そう思うと、うまくいろいろなものが壊れてしまう前に別れることができてて、よかったということなのだろうか。
負のスパイラルに陥る前に。
まだ傷が浅いうちに。
そう思った瞬間、あの『愛しています』という絵里の声が……今までは『怖く』感じてしまった、そして罪悪感に襲われるあの声が、すうっと頭に入ってきた。
「どうかしました?」
すっきりした。
乗っかっていた何かが消えたというか、ふわっと軽くなった自分に気付いた。
「あ、いや、先生、ありがとうございます」
「ん?」
首を傾げる。
「今の話で、別れた妻との間にあった……わだかまりみたいなものが、私ひとりの身勝手なものなんですけど……なんというか、すうっと飲み込めました」
「助けたい症候群?」
「そう、それです」
私はあの魚市場のフラッシュバックから始まったPTSD、それに続く私の暴力、入院先での絵里とのやりとり、それから別れ、ずっと私に乗っかっていた……いや、今も乗っかかっている罪悪感について話をした。
「苦労されたんですね」
先生は目を細めて言う。
「苦労させたのは私で、苦労したのは絵里の方なんですが」
「違いますよ、ずっと自分を責めていることに対して……苦労されてますね、と言ったのです」
……。
ふと感じる。
なんで、私はやったことを自分自身で許しているんだ、と。
絵里に、三和に、あんな思いをさせたのに、自分だけ救われているのか……と。
「そんな野中さんは心のため池があふれそうで怖いんです、だって、ため池にどんどん水を溜め込もうとしているから」
自責。
「……こういうのは絵里に悪いと思っています、でも、私は今、なんとなく晴れました……うん、なんというか勝手にというか……一方的に」
池の水は溢れる前にひいた。
でも、私がやったことは、今、ここで、ひいてしまっていのだろうか。
すっきり、忘れて、自分の罪を……なかったことにしていいのか。
「まだ、あの戦争のことは晴れていませんし……野中大尉は、逆にひどくなっているときもありますよね」
肩の傷がチリリと痛む、そして胸の入れ墨が痒くなった。
「慌てずに、治しましょう」
私は窓の外を見る。
なんだか、朝日を受けた朝のように日差しを眩しく感じた。
自分を責めながら、でもなんか救われた。それが、許せない自分をなだめつつ、煽りつつ。
「ただ、私はそういう痛みは消さない方がいいと思うんです……生き残ってしまった人間、無駄に部下を殺してしまった人間なんですから」
私は思ったことをそのまま口走る。
逃げるな。
忘れるな。
自分の罪を。
何かが覆いかぶさってくる感覚。
いつもの。
いつものあれが、やっぱり出てきた。
「野中さん」
「だから……」
いいんだ、このまま飲み込まれれば。
私はそれくらいのことをしたんだから。
同期に、戦友に、妻に、娘に。
「野中さん」
強い口調で、じっと先生は私を見つめた。
「もう、いいじゃないですか」
先生は私の手を握っていた。
少し震えているのかもしれない。
「何年も、何年も自分を責めているじゃないですか」
「でも」
先生は掴んだ手に力を入れる。
それとは対照的に、とても優しい声でゆっくり言葉を紡いでくれた。
「わかりました……慌てず、ゆっくり、ゆっくりと、やっていきましょう、ね、ゆっくりと……」
私の手の甲に乗っている彼女の暖かいその手は、蒸し暑い室内にも拘わらず、むしろ心を落ち着かせてくれた。
数分だろうか、いや、数十分そのままの状態が続いた。
発作を起こしたような呼吸をしていた私。
冷静に、それが落ち着いたとわかったとき、私は立ち上がった。
大丈夫です。
それをいうために、私は帰る間際にはいつものように馬鹿話をする。
だから、同じように今日も軽口をたたいた。
「ところで、先生は大丈夫なんですか?」
「何がですか?」
「ダメ男」
「ダメ男?」
訝し気な顔をする先生。
「先生は助けたい症候群にはまりそうなので」
私は笠原先生の彼氏になりそうな人の顔を浮かべる。
ダンディでそれでいて隙のある……でも、彼女をしっかりリードしそうな男性を。
こういう才女には、それにふさわしい男性が付くんだろうなと少し羨ましくなりなった。
「……さっきも言ったように、その気持ちはわかります……もしかしたら、私はまっちゃうタイプかもしれませんね」
先生は少しうっとりとした口調で言う。
彼女の想い人は少々ダメ男なのかもしれない。
この人が惚れるような男……。
それがいったいどんな人なのか……私はなんとなく興味が沸いた。
反作用的に、彼女はほんとうにダメな男にひっかかりそうだと思う。
その時は、なんとかまともな男とくっつけるようにするのが、おっさんの責務なのだ。
少々おせっかいでも。
それが、この恩を返す機会なんじゃないかと私は思った。




