第14話「エロ親父とプール」
金沢の海岸沿いにある娯楽用プール。
これだけ海水浴場がある地域なのに大きなプールがある。
わざわざプールなんぞに行く必要性がまったく感じられない。
それでもこの日は大勢のお客さんで賑っていた。
天気も良く日差しが少々きつい。
家族会。
この前飲みにいった時、エニシから大量のタダ券をもらっていた。
なぜ持っているのかというのは聞いていないが、とにかく、使い切れないのであげると言われた。
さっそく次の日にこれをどうしようかと将校室で話し合って、伊原の発意で中隊将校の家族会をしようということになった。
一般企業から見れば、奇異な世界かもしれないが、家族ぐるみで……というのが軍隊の習わしだ。
それが良いか悪いかといえば、良いところもあり悪いところもあるとしか答えきれないが。
伊原が中隊長に話すとそれはいいと乗ってきた。
そういうわけで満場一致の家族会。
ついでに券をくれたエニシとか、ゲストで笠原先生を呼んだらどうだろうと中隊長が言ったので、声もかけたところ、ふたりとも来ることになっていた。
プールサイドを歩きながら、それにしても賑やかだと思った。
独身の伊原や頭山、笠原先生、それにエニシは単独で来ているが、中隊長や他の二人の小隊長は家族で来ていた。
ちょうど小学生ぐらいの子供たちが合計して五人。
子供がいるだけで賑やかになる。
溢れ出す子供のエネルギーは半端なく。さっきから、頭山や伊原がお兄ちゃんお姉ちゃんになって子供の相手をしている。
むしろ、引っ張りまわされていると言ってもいい。
逆に、いつもこの子たちを面倒みている小隊長の奥さんたちは、少しゆったりして安堵できているようだ。
私も家族同伴。
つまり、娘の三和が来ている。
娘も伊原とかに混じって、子供たちの相手をして、プールの中で水を掛け合っている。
まあ、来るまでにひと悶着あったのだが連れてきて良かったと思う。
水着を買ってくれ、と言う娘に付き合って水着売り場に行った。
父娘で買い物。
楽しくできると思っていたが大間違いだった。
苦痛以外何者でもない。
考えて欲しい、あのヒラヒラしたものや、際どいものまでが吊るされている売り場で、それを選ぶ娘を待つ父親の姿を。
まず目のやり場に困る。
それに周りの目も痛い。
おっさんはあの場では浮くのだ。
そんな中、ビキニタイプの水着を娘が見せてきたときは「まだ早い、やめなさい」と真面目に答え、娘にいじわるく笑われた。
それ以外は淡々と物色していた娘はセパレートタイプのシンプルな水着を選んで今に至る。
伊原は競泳用の水着でも着てくるんじゃないかと思っていたが意外と可愛らしい、タンキニタイプでパレオも巻いているやつ――こういう言葉はエニシがさっき教えてくれた――を着ている。
ちなみにエニシはシンプルなオレンジチェックのワンピース。
まあ、華やかなものだ。
最初、笠原先生や伊原に可愛い可愛いと連呼されて娘は赤くなっていたが、そのうち普通に話しをしていた。
学校のこととか……私の文句とか。
そのうち、子供パワーが炸裂してきて、若いものはみんなそっちに引っ張られていったが。
そうして今はひとりになっていた。
私がプールサイドに椅子を置いて、炭酸飲料を飲んでいる。
水には入らない。
どうしてもTシャツを脱ぎたくないからだ。
あの戦争で負ってしまった肩の銃創は生々しく、人様に見せるようなものではない。
そうしているうちに笠原先生が横に来た。
彼女は小さい花の絵柄が散りばめられた薄い配色のビキニに近いセパレートの水着を来ていた。
座る私に屈んでから話しかけくるのだが、胸の谷間が強調されるものらしく、どうも目のやり場に困る。
普段は、大人しめの服を着ている先生だが今日は何故か大胆だった。
女性というのは水着になるとどうしてこうも大胆になるものなのだろうか。
その違いについて私は理解できなかった。
「三和ちゃんって想像以上に可愛いですね」
「そりゃ、先生は私しか知らないんですから、この顔があんな娘を持っているなんて連想できないでしょう」
私は笑う。
「前の奥さん似なんですか?」
少し考える。
即答できない。
似ているといえば似ているが、もちろんそっくりではない。
唇、耳……それは違う。
目……たしかに似ている。
体系は娘がヒョロっとしているのに対し、絵里はセクシーすぎるぐらいだった。
「まあ、あの唇と耳は私に似ているが、他は母親似なんですかね」
奥さんはお綺麗だったんでしょうね、と先生は呟いて立ち上がった。
「私にはもったいないぐらいでした」
太陽光に先生の茶髪に伝わる水のしずくが少し反射した。
「あ、でも先生の方がずっと美人ですよ」
いつものように軽く言う。
「セクハラです」
先生の常套句。
「褒めてるんですよ」
「伊原さんも、すごく女性っぽくなってきたし、あのエニシさんもすごく美人だし……」
ため息をつく。
「野中さんは冴えないおっさん」
普通は傷づくようなことを平気で言う。
「どうして、そんな女性が取り巻いているんですかね」
「そりゃ、仕事でいっしょなだけで」
「……はあ、もう……わかって……」
ぼそぼそと聞き取れないぐらいの小声で何かいったと思ったら「泳ぎましょうか」と私の手を引っ張っていった。
プールサイドで引っ張られる途中、込み合った中でビキニの女性とぶつかった。
私はやわらかい感触があったので、飛びのくように離れ、あわてて「すみません」と侘びを入れる。
「あ、指導官」
薄緑色の縞々の柄のビキニ、笠原先生以上に目のやり場にこまる大きな胸。
いつもの制服姿からは程遠い姿の長崎ユキだった。
「セクハラです」
笠原先生のそれとは大きく違い、軽蔑と嫌悪感が入り混じった声だった。
「まて、私が何をした」
「いやらしい目で、今見ました」
「あのなあ」
長崎は私を無視して、先生に「学校の二年、長崎ユキです」と自己紹介をする。
「今日は友達とプールに来たんですが、中隊の方がお揃いですね」
「家族会をやっている」
「そうなんですか」
興味もなさそうに長崎は答える。
社交辞令で聞いているだけです、そんなことはどうでもいいんですが……そんな感じで淡々としたしゃべり方をしていた。そして、長崎は先生の方を向く。
ちらっと先生の胸を見てニヤッと挑戦的に笑った……ような気がした。
長崎のそれに比べると笠原先生はやや控えめなのだが、そんなもので張り合うのだろうか。
いや、わからんが、とりあえず空気が悪くなった。
先生もムッとした顔をしたので、なにやら女の戦いが始まってしまったのかもしれない。
「笠原先生は普段地味な感じがするのに、水着はエロいんですね」
「な……」
先生はパクパクと口を開いたり閉じたりするが、声がでない。
いや、確かに。
私もそう思ったけど、ここでいうなよ。
ああ……。
なんとも緊張した空気が重い。
「副長ー、ばさっと泳ぎませんか? いやー子供が元気でちょっとのんびり水に浸かりたいんですよー」
元気な声いっしょに伊原の長身が現れる。
パレオから伸びた筋肉質の細長い足。
タンクトップのようなものを着ている上半身もすらっとしている。
「お、長崎じゃないか」
「こんにちは」
ペコリと長崎が頭を下げる。
「伊原少尉も来られていたんですね」
「今日は、中隊の家族会だからな」
「はあ」
私は友達と泳ぎに……などそういう会話があって「暑いから早く水に入りましょう」と私の手を引っ張る。
なんとなく、伊原と先生の間に何か目配せがあったような気がする。
ようわからんが。
「こんなに冴えないおじさんのどこがいいんですか?」
長崎は伊原に話かける、そして彼女の全身を見た後に少し笑った気がした。
「良いも悪いも、自分の上司だからな」
うん、上司とのスキンシップだ。
と伊原は言った。
「わかりません」
長崎は私をちらっと見て「だって、学生の水着姿をいやらしい目で見るような人ですよ」と言う。
そんなにおじさんをいじめないでくれ。
「あのなあ長崎、それは自意識過剰っていうやつだ、副長は大人だから、子供を見てもなーんとも思わない」
そうだそうだと私は首を縦に振る。
「そうですか、それは失礼しました」
彼女はそう言った後に、じっと年上の女性二人を見てため息をつく。
「では友達も待っているので行きます」
そう言うと踵を返した。
「あ、また月曜に別の案件で指導受けに行きますので、よろしくお願いいたします」
あれだけ私を馬鹿にするようなことを言ってて、ぬけぬけと仕事の予約までとるとは、たいした学生ではある。
「なーんか、刺々しい学生ですね」
先生が、遠ざかる長崎を見ながら言った。
「まあ、学校でもそういう感じだから、慣れてはいるんだが」
「まったく、優しいから学生になめられるんですよ、副長は」
伊原が呆れた声を出す。そして、私のTシャツの袖を引っ張る感覚があったので、そちらを見てみると、先生の手だった。
そして目が会う。
「で、どっちと泳ぎます?」
意地悪そうな顔で先生が言った。
そりゃみんなで……。
仲良く遊びましょうよ……と私は言おうとしたが、躊躇してしまった。
だって、なんか逃げたら殺す。
そんな脅しを受けているような気がしたから……。
ランチでコーヒーを飲みすぎたせいかトイレが近い。
お昼の後というのもあって、どこのトイレも込んでいた。
一番プールから遠い、ちょっと細長い通路を行ったところに向かった。
さすがに人は少なかった。
間に合わなかったらプールにジャボンしてもなあ、と下劣極まりないことを考えながら歩く。
すると、お手洗いから出てくるとさっきと同じビキニに薄いカーディガンのようなものを肩からかけた長崎がいた。
「あ、指導官」
何やら聞いたことのある台詞。
じっと私を見据える目。
なんとなく心の中を読まれていないか心配になったので、少し慌てた。
プールでちっこしてもまあいいかもなんて冗談でも考えたことがバレたら、もう生きていけない。
長崎という子はそんな超能力でもあるんじゃないか? と思うぐらい学生にしては冷静で落ち着いた雰囲気をもつ学生なのだ。
……たまに、いきなりキレるが。
「さっきは失礼しました」
失礼と思うなら、最初から言わなければいいのに。
と思う。
「謝りたかったんです、ちょうど会えてよかった」
いや、だから最初から言わなければ謝る必要もないだろう。
彼女は通路にあるベンチの隣にある自販機をじっと見た。
「奢ってもらってもいいんですよ、日ごろのお礼を受けてあげます」
とても学生が指導官に言うべきでない言葉を口にする。
大人の意地として受け入れられない。
だが、その見据える目が怖くてベンチで腰掛けてジュースを飲んでいた。
ただおごるだけじゃ脅しに屈した気がしたので、自分の分も買った。
ついでに買ってやったんだぜ……というシチュエーションにした。
「なんで、学生の私に言いなりになってしまうんですか? どうしてそんなにダメ人間なんですか?」
唐突なところはうちの娘やエニシに似ている。
「いきなりなんなんだ」
「さっきから、私をチラチラ見てますので」
彼女は胸の谷間の部分を指差す。
「あのな、学生は学生らしい水着を着ろっと言いたいだけだ」
……何気に認める様な発言をするなよ自分。
いや、子供の胸にしては大きいな、大変だなと思っただけだ。
だいたいこいつ、三和とひとつしか歳が変わらんのだぞ。
ペタンとした三和の胸を思い出し私はため息をついた。
……ああ、いずれあの子もこんな風に……母親と同じような体型に……変な虫がついてきたら、お父さん鬼になるから、悪魔に魂売るから。
なんて考えて意識が跳びそうになるところを、長崎の声で呼び戻される。
「どこらへんが、学生らしくないんですか」
「お、おう」
なんの話だっけ。
上目遣いで私を見る長崎。
ああ、学生らしい水着を着ろっていったんだ。
長崎がいやらしい目で私が見ていたと思い込んでいたから。
……わかったそういうことか。
こいつ……私を冷やかしているんだな。
きっと別の学生がどっかで盗撮なんかして……私を貶めようとしているに違いない。
ならば! もっと毅然と対応しなければ!
「まず、水着が小さい、もっと隠れるものを着なさい」
落ち着き払った大人の声。
完璧だ。
「どうしてですか?」
「よからぬ考えもった若い男がよってくるぞ、君にそういう気はなくても、そういう気があると思われてもしかたがない」
「そういう気?」
「端的に言うとエッチだ」
「それは、レイプをする人間の言い訳といっしょですね」
「はあ?」
「ミニスカートを履いているから誘っていると思ってレイプした、女性がひとりで歩いているからその気があると思ってレイプした」
「なんの話だ?」
「女性に対する偏見を言っているです、男性視点の凝り固まった世界の一例ですね」
「お、おう」
私は黒ぶち眼鏡のレンズ越しに鋭い目つきをした長崎から目を離した。
情けない。
情けない大人。
「指導官はないんですか?」
「なにが?」
「こういう私を見て、よからぬことをしようとすることは」
なんだかグイッと距離を詰められた気がした。
目が怖い。
「ない」
私はかぶせて「断じてない」と二回言った。
つまらなそうに長崎はペットボトルのジュースを飲む。
「あ」
こぼれた。
と呟くので見てみると、口の端からジュースが垂れ、胸の谷間にそれが流れた。
言うまでもなく心配したから、視線を追わせただけである。
「おい、ガキじゃないんだから」
「何か拭くものもってません?」
「あとでシャワーで洗ってくればいいだろう」
「女性が困っているのに、助けることもできないなんて、ダメな人」
「あーもう、はいはい」
私は、そっぽを向いて、自分の首にかけてあるタオルを彼女に渡した。
ごそごそごそと拭いている音が聞こえる。
「あのなあ」
水着の内側をタオルで拭いている。
私はそっぽを向いたままだ。
どうせ、隙間から見たとか、そんなクレームをつけてくるに違いない。
私は大人。
百戦錬磨である。
子供が仕掛ける罠なんかにかかるわけがない。
「ありがとうございます」
タオルを差し出してきたので、自然と受け取ろうと手を伸ばした。
だが、すぐにそれが意味することを考え、体ごと跳び退けるようにして拒否をした。
「いらん、捨てといてくれ」
あぶない。
めっちゃ罠にかかるところだった。
長崎の目は悪戯心でキラキラしている。
こ、こいつ……。
「ほんとうにダメですね、指導官」
私はジュースを飲み干したので早くこの場から立ち去ろうとベンチから腰を浮かす。
彼女はさっきのタオルを小さくたたんだ。
廊下にゆらりと立つ姿が一つ。
「不潔」
長崎よりもさらに感情の無い声。
「なにやってんの、野中さん」
陰がさして、目がすわっている。
三和、悪いことは言わん。そんな顔をしているとブスになるぞ、ブスに。
ギロっと目が動き、次の標的――長崎――を見た。
「あ、学校祭で野中さんにまとわりついていた、胸がおっきくて髪の長い二年生の人」
「ま、まとわりついてなんか……」
長崎の言う言葉を無視して娘が近寄ってくる。
おい娘、暴力はいかん。
私は娘が長崎に暴力をふるったら庇おうと身構えた。




