笑顔
すいません!最終話にするつもりが、伸びてしまいました。次回こそ最終話になります。
誰かに髪を撫でられている。そして、なにか生暖かいものがあった。それはやわらかく、懐かしいものでもあった。そんなことを意識の狭間で感じる。もう少しの間、そうしていたかったが、目を開けることにした。
目を開けると、目の前に静流の顔があった。自分を慈しむように髪を撫で続けている。まるで、幼い子供を寝かしつけるようだ。
そこにきて、ようやく自分が、静流の膝の上で眠っていたと知った。
「おはよ」
頭の中がぼんやりして返事をする気になれず、頷くだけにした。
起き上がろうとすると、全身に激痛が走る。再び、静流の膝の上に頭を乗せた。
「大丈夫?あまり無理しないほうがいいわ」
心配そうな顔で覗き込んでくる。
「大丈夫だよ。少し驚いただけだから。それより、ごめんね。重いでしょ?」
「ふふ、大丈夫よ。そんなこと気にしなくていいわ」
そういう訳にもいかず、起き上がろうとする。今度は慎重に体を起こした。
体を起こすと、異常がないか軽く動かしてみる。痛みはあるものの、特におかしなところはなかった。許容範囲内と言える。
頭も大分すっきりしてきた。後ろに手を置き辺りを見回す。別段変わったことはない。見慣れた風景だった。ただ、変わっているのは、外の景色だった。雨は止み、いくつもの円柱型の木漏れ日が、差し込んでいる。幻想的な景色だ。
灯夜はその景色を見て、自分たちが、無事に元の世界に帰ってこれたことが分かった。自分たちが帰って来れたなら、夕子たちも、きっと無事に違いない。そう思った。
その考えは間違っていない。
「……帰って来れたんだね。僕たち」
「……ええ、そうよ。帰って来たの、元の世界に」
静流の言葉で、自分が帰って来たのだという実感がわいた。
そこで、灯夜は一番肝心なことを思い出す。
「雫は!雫はどうなったの?」
静流は答えない。胸に手を置くだけだった。
「……そんな」
「大丈夫よ。月代君。雫ならここにいるわ。ここで、生きてるの。私と一緒にね」
灯夜は安堵した。
「そっか」
他の言葉はない。それ以上の言葉は、必要のないものだった。
灯夜は立ち上がり、埃を払う。鏡に布をかけ直すと、静流のほうを向いた。
「それじゃ、帰ろうか。神凪」
「そうね。行きましょ。……灯夜」
「え?」
聞き慣れない単語につい反応してしまった。
「なに?どうかしたの?灯夜」
「だから、神―」
神凪と言いかけて止められる。
「神凪じゃなくて、静流。そう呼んで」
「どうして?」
「雫は呼び捨てだったでしょ?だから、私にもそうして貰わないと不公平よ。それとも、私には呼んでくれないの?」
静流は、どこか楽しんでいるように見えた。実際、灯夜で遊んでいるのかもしれない。
「それは……そうだけど」
「じゃあ、決まりね。私のことは静流って呼んで。私は灯夜って呼ばせてもらうわ」
「……分かったよ。そうする」
「それじゃ、呼んでみて」
予想外の展開に灯夜は焦った。なにか静流には逆らえない。かなり躊躇ったが、結局呼ぶことにした。
「……静流」
静流は灯夜の反応に、納得していなかったようだが、なにも言ってこなかった。
突然こんなことを言い出したのには、理由があった。もちろん、そう呼んで欲しいことや、呼びたいという想いはあった。それとは別に、雫が存在していたことを灯夜に覚えていて欲しかった。そこで、雫が灯夜を「灯夜」と呼び捨てにしていたことを思い出し、使うことにしたのだ。そうすることにより、自分の中に雫が、いるとも実感することができた。
灯夜が歩き出す。
(なにしてるの。今よ)
雫の声が聞こえた。それはすぐに消え、もう聞こえなくなる。ただ、背中を押してくれた気がした。
(余計なことばっかり)
笑って、お節介な少女に感謝した。
教室を出ようとした時、手に触れるものがあった。振り返ると、静流が手を握っている。口を開こうとしたが、遅かった。
静流は駆け出した。
「さあ、灯夜。行こう」
振り返ってそう言うと、とびきりの笑顔を見せてくれた。それは、灯夜が初めて見る、静流の本当の笑顔だった。