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静流

 四階に着く頃には三人とも大きく息を切らしていた。特に灯夜の消耗は激しかった。傷が癒えるのを待たず、ここまで駆け抜けてきたからだ。体は鉛のように重い。

 しかし、灯夜はそんなことで音をあげるような男ではなかった。今も痛みに耐え、進んでいる。

 三人は廊下に出る。真っ直ぐに進めば、美術準備室はすぐそこだった。

 灯夜は嫌な予感がした。しかし、こんなところで迷っている時間はない。意を決して走り出す。

 先頭から灯夜、雫、静流の順番になっている。

 走っていると、灯夜の目にひびの入った床が飛び込んできた。悪寒を感じ、背中から嫌な汗が噴き出す。

 瞬間、灯夜は逆走し始めた。驚き、止まる雫を無視し、静流に駆け寄ろうとする。

 (くそっ)

 見ると、静流がいた床は崩れた。足場を失った静流は落ちるしかない。

 灯夜は走る。このままでは間に合いそうになかった。

 (間に合え!)

 大きく床を蹴って飛び、頭から突っ込んだ。

 間一髪のところで静流の手を掴むと、その重みで腕に稲妻が奔り、軋んだ。歯を食いしばり、これに耐える。

 下を見てみる。先程崩れた瓦礫のお陰で、その下にあった廊下まで砕けていた。手を離して助かる可能性はなさそうだ。

 「だ、大丈夫?」

 痛みを紛らわすため、話題を振った。

 「なんとかね。月代君の方こそ大丈夫?」

 「僕は大丈夫」

 静流を引き上げようとするが、腕に上手く力が入らなかった。

 雫は二人を助けようと、駆け寄ろうとする。それを灯夜が制した。

 「来るな!」

 灯夜の大声に思わず足を止める。

 「来ちゃだめだ」

 「どうして!」

 余計な心配をされそうで、あまり言いたくはなかった。だが、ここで言うことを躊躇えば、雫が来ることは必至だ。

 「……ここは脆くなってる。あまり振動を加えると崩れるんだ」

 息を呑むのが分かった。

 「……今度は、私がこんなことになるなんてね。このままじゃ、月代君まで危険な目に遭わせることになるわ。私のために命を賭けることなんてない。……さあ、手を離して」

 淡々と言う。その声から感情を読み取るのは難しかった。

 「だめだよ。そんなことできない」

 「分かって。こうするしかないの。一人を助けるためには」

 腕に力を入れる。ひいていた痛みが甦る。静流の体が少し上がった。そのまま引き上げようとすると、左手があった床の部分が崩れる。体勢を崩し、静流の手を放しそうになった。

 静流の命の綱は、あまりに細かった。

 灯夜は苦痛に顔を歪めている。それを見た静流はある決心をした。

 急に腕が揺れ始める。下を見ると、静流が腕を揺らしていた。

 「なにをやってるんだ、神凪!やめろ!」

 聞く耳をもっていないのか、やめようとしない。

 「いいからやめろって!手が離れる!」

 「……それでいいの。私に出来るのはこれしかないから」

 顔は下を向いたままである。

 「なに、ばかなことを、言って、るんだ」

 静流が腕を揺らす度、激痛が走る。徐々に激しくなってくる痛みと、揺れに耐える。

 床が崩れ、剥き出しになったコンクリートや鉄柱が腕に当たり、いくつもの傷を作る。握力も落ちてきていた。それでも灯夜は離そうとはしない。

 パラパラとコンクリートの雨が降ってくる。静流は、そんなものを気にすることなく、揺らし続けた。

 不意にコンクリートの欠片に混じって、生暖かいものが頬に当たった。空いている手で、触れてみると、それは赤い血だった。

 すぐさま上を見上げる。そこには腕から血を流しながらも、必死に自分の手を掴む灯夜がいた。

 「……どうして。あなたは、どうしてそこまでするの?手を離せば、楽になるのに。どうして、離そうとしないの?」

 そんな静流の言葉がおかしかった。

 さっきの雫を思い出す。雫も自分に同じようなことを言っていた。やはり、神凪は神凪なのか、と思うと急におかしくなったのだ。

 「簡単なことだよ。約束したじゃないか。この手を握っていてあげるって。だからだよ」

 「そんな理由で……。約束はなかったことにして。だから離して。私のせいで、あなたまで死なせたくないの」

 「それはできないよ。この手を離してしまうことは、簡単にできる。でも、離してしまったら、僕の魂まで手放してしまうことになるだろうから。……もう、大切な人を失いたくないんだ。僕は今まで人を裏切ったり、傷付けてきたかもしれない。でも、約束だけは破ったりしない。昔、僕はそう誓ったんだ。だから、僕が決めたことを守らせて欲しい。それでいいかな?」

 そう言われた静流は首を縦に振るしかなかった。本当は灯夜と一緒に生きたかったから。

静流の返事に大きく頷いて見せた。

 灯夜は一つ深呼吸をした。目を閉じて精神を集中し、力が溜まるのを待つ。十分に力が溜まった瞬間目を見開き、力を腕に集中させた。

 「あがれええええ!」

 見る見るうちに、静流の体は上がっていった。

 静流が床に手を掛け、上がってくると同時に手をとったまま走り出した。

 「雫も走るんだ!早く!」

 その言葉に慌てて走り出す。

 灯夜と静流の後ろからは、床が盛大に崩れ始め、後を追って来る。全速力で崩壊から逃げる。危機一髪のところで、美術準備室に転がり込んだ。

 教室の中は、世界と切り離されたように静かだった。崩壊の音もやけに遠くに聞こえる。先ほどまでの出来事が、嘘のようだった。三人の荒い息使いだけが響いている。

 しばらくして息が落ち着くと、静流が言った。

 「さっきは、ありがと」

 「いいよ。そんなことくらい」

 「そうね。約束なんだから、当たり前よね」

 雫は、いたずらっぽく言った。

 「ここまで来るのに、随分遠回りしちゃったわね」

 静流が言った。なにか感慨深いものでもあるようだ。

 「そうね。でも、もう終わり。私たちは前に進むのよ」

 灯夜を挟んで、二人は見つめあった。そして、一つ頷くと目線をこちらによこして言った。

 「約束」

 「守ってくれるんでしょ?」

 二人して意地の悪い笑みを浮かべる。

 灯夜は居心地の悪さを感じ、視線を宙にさまよわせた。

 そんな灯夜を見て、二人は満足そうにしてまた笑う。そして、それが終わると、雫は急に真面目な顔付きになった。

 「……それじゃあ、そろそろ行きましょ」

 「うん。そうだね」

 「灯夜とは、ここでお別れね」

 雫は前を向いたままである。

 「どういうこと?僕たちと一緒に行くんじゃ……」

 「それは行くわ。ただ、もう会うことはない。私は消え、静流と一つになるの」

 灯夜は声を掛けられなかった。こればかりは、どうしようもなかった。

 「そんなことはないわ」

 静流が真っ直ぐに雫を見た。

 「消えるんじゃない。私の中に留まるだけ。そして、私と一緒に生きていくの。雫がいないと、本当の神凪静流にはなれない。……そうでしょ?」

 灯夜はその言葉にはっとした。そして、少し笑った。

 「そうだったね。二人が揃って神凪になるんだね。だから、ここでお別れって訳じゃないよ。雫」

 目に涙をためながら、雫は笑った。

 「そうね。そうだった。……また会いましょ。灯夜」

 その言葉にうん、とだけ答えると、鏡の前に立った。

 目を瞑り、元の世界に帰りたいと強く念じる。すると、鏡が光りだした。眩いばかりの光だ。目を開け、その輝きを焼き付ける。

 三人の心は一つになっていた。

 「じゃあ、今度こそ帰ろう。僕たちの世界へ」

 灯夜がそう言うと、三人は手を繋いだまま、鏡の中に消えていった。

 後には静寂が残るのみだった。

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