雫
「くそっ!ここもだめか」
灯夜は崩れた瓦礫の山を見て悪態を吐く。
「しょうがないわ。もう、あちこち崩れてるみたいだから。まだ道が残っているだけマシよ」
なだめるように静流が言った。
「でも、これ以上時間がかかると、道がなくなってしまうわ」
雫の言う通りだった。
軽快に走り始めた灯夜たちだったが、あちこちで瓦礫の山々に遭遇し、引き返すといったことを繰り返していた。
『力』が使えないことも災いしていた。灯夜は最初から使うことができないので、関係のない話だったが、どういう訳か静流たちまで使えなくなっていたのだ。おそらく原因はこの世界の崩壊にある。
そんなこともあり、かなりの時間をとられていた。
「ここにいても仕方がない。別の道に回ろう」
二人が頷くと、再び走り出した。
灯夜たちは二階の廊下から一度通ってきた道を引き返し、角を曲がる。その先にある階段を上り、四階を目指した。
「よし、ここはまだ崩れていないみたいだ」
三人は階段を駆け上がった。
運よく、三階から四階までの階段も残っていた。その階段を半分ほど上ったところで、突然階段が崩れた。
崩壊に巻き込まれないよう、駆け抜ける。難を免れた灯夜は上から下を見下した。
視線の先には、雫が一人立っていた。
灯夜たちとの距離は直線にして三メートル弱。高低差を考えると、更に距離は伸びるだろう。雫が、こちらに飛び移るには遠過ぎる距離だった。
どう声を掛けていいのか分からなかった。
永遠とも思える時が過ぎた。遠くからは絶え間なく、瓦礫の崩れる音がしている。
「……やっぱり、こうなったわね。二人とも早く行って」
「なに言ってるの!諦めちゃだめよ!」
静流の叫びがこだまする。
世界の崩壊は止まることなく続いている。
「いいの、静流。私はこうなる運命だったのよ。私が、あなたと一緒に肩を並べて歩くなんて無理だったの。少しでも期待した私がばかだったの」
自嘲気味に言う雫の姿は見ていて痛々しかった。
「少しの間だったけど、こうして静流と一緒にいることができてよかった。ひどいこともしちゃったけど、一緒にいて楽しかったわ。ありがと」
哀しそうな笑顔を見せる。静流は俯いてしまった。
雫は灯夜の方に向き直る。
「灯夜もありがと。あなたは、こんな私にも手を差し伸べてくれた。本当に嬉しかったわ」
雫の目に涙が浮かぶ。二人とも本当に涙もろいと思った。
「本当にありがと。静流のこと―」
任せたから、そう言うつもりだったが、目の前の出来事に声を失う。灯夜が後ろに下がったかと思うと、突然走り出し、飛んできたのである。
静流と雫は呆気にとられていた。
「……どうして。どうして戻ってきたのよ!私のことはいいって、そう言ったじゃない!」
涙が頬をつたうが、気にしようとしない。
「どうしてよ!私なんかいなくても同じなのに。あなたには静流がいるのよ。なのに、どうして……」
気付けば、大粒の涙を流している。灯夜は雫の肩に手を置き、言った。
「さっきも言ったじゃないか。二人がいて、初めて一つになるって。君がいなきゃだめなんだ」
見上げてくる瞳は子供のようだ。
それに、と付け加える。
「約束したじゃないか。助けるって」
反論しないことが、雫の答えだった。
突如として、浮遊感が雫を襲う。よく見ると、灯夜が自分を抱きかかえていた。
「振り落とされないように、しっかり掴まってて」
それだけ言うと、返事を待たずして加速し、地面を蹴った。雫は慌ててしがみつき、目をきつく閉じた。
一瞬の浮遊感とともに、風を受ける。そう感じた次の瞬間には体に重みが戻っていた。恐る恐る目を開けてみると、そこには灯夜がいた。
「二人とも無事に戻ってきてよかったわ」
静流は安心しきっていた。
灯夜が頷いて見せ、雫もそれに倣う。
抱きかかえられた腕の中から抜け出し灯夜を見た。
「あの、さっきはごめん。またあんなこと言って。……それと、ありがと」
照れているのか、途中から顔が横に向いている。
「別に気にしなくていいよ」
横を向いたままの雫に言った。
「それじゃあ、もう行こう。ここも、いつ崩れ出すか分からないからね」
余韻に浸る時間もなく、再び三人は駆け出した。