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約束

 踏み出した足は床を抉り、クレーターのようにくぼむ。静流だけを見つめ、ゆっくりと歩く。

 雫は灯夜が動く度、肩をぴくりとさせている。

 灯夜は歩きながら、静流に向けて、言葉を投げ掛ける。

 「……神凪、君は僕と同じ道を歩もうとしてる」

 静流に反応はない。

 「世界を拒絶して、一人になろうとしてる」

 これ以上進めば、本当に死んでしまうかもしれなかったが、口を開くことも、前に進むことも止めなかった。

 「僕は、神凪にそんな道を歩んで欲しくないんだ」

 「なによ!なにも知らないくせに、知ったようなこと言わないで!」

 雫の声は静流の叫びでもあった。

 雫の手から、またしても衝撃波が放たれる。その一撃の威力は灯夜の意識を奪うには十分だった。

 しかし、灯夜は一歩も下がらない。二人の想いを受け止めるためだったのかもしれない。

 灯夜は倒れなかった。否、倒れる訳にはいかないのだ。

 再び足を動かす。二人との距離は確実に近づいていった。

 「あんな思いをするのは、僕だけでいい。神凪には笑っていてほしいんだ」

 目がかすみ、前が見えない。それでも進む。

 一歩一歩の距離は大したものではない。しかし、積み重ねれば大きな一歩となる。

 灯夜はついに静流の目の前まで、辿り着くことができたのだった。灯夜には見えていないが、静流の瞳に微かな変化があった。

 「僕と一緒に帰ろう」

 再び、頭の中に少女の顔が映し出された。どこかで見たことのある少女だった。

 そう、あれはいく当てもなく、一人、公園のベンチで座り込んでいる時のことだった。

 少女はどこからともなく現れた。

その少女のことは知っていた。親同士が顔見知りだったらしく、何度か見かけていた。母が生きている頃は遊んだこともあったが、家を追い出されてからは、会うことすらなくなっていた。

 母から、その少女は自分の幼馴染と聞かされ、女の子だから守ってあげるよう言われていた。

 その少女は自分を見つけたので、会いにきたらしい。少しばかり会わないうちに、少女は少し大きくなっていた。

 その日を境に、少女は自分を見つけ出す度、遊びの相手をさせてきた。泣くことも多かったが、その分、笑い、楽しんでいるように思えた。

 数日が経ったある日。その日も少女は泣き出し、それは止まることがなかった。詳しい理由は分からなかったが、どうやら一人になりたくないようだった。

 自分はどうしていいのか分からず、泣き止むまで待つことしかできなかった。

 本当は言ってあげたいことがあったのに。助けてあげたかったのに、それができなかった。

 あの泣いていた少女と静流の顔が一瞬同じものに見えた。そこで、あの泣いていた少女が幼い日の静流だということを思い出した。

 灯夜はゆっくりと手を差し伸べる。いつの間にか、自分にかかっていた重力が消えている。

 静流の瞳の光は輝きを取り戻しつつあった。

 灯夜はあの日、言えなかったことを口にする。

 「一人で寂しい時や、悲しくて泣きたい時には僕が傍にいて、ずっと手を握っていてあげる。どんなところにいても、必ず見つけて、助け出してあげる。そして、君を守るよ。……だから、泣かないで。君には僕の分まで、笑っていてほしいんだ」

 静流から伸びてくる手を優しく包み込んだ。決して、離れていってしまわないように。

 静流の瞳に急速に光が集まり、やがて一つの強い光となった。

 「……月、代君……?」

 「……うん。そうだよ」

 「私、夢を見てた。何もない夢だった。暗くて何も見えない。そんな夢。一人になるのかと思って怖かった。でも、助けてくれたね」

 「なんとかね」

 肩をすくめて見せる。

 その仕草を見た静流が笑みを見せる。

 「ありがと。……それと、ただいま」

 そう言って、抱きついてきた。

 灯夜はおぼつかない足でそれを支えて言った。

 「おかえり」

 緊張の糸が切れたのか、静流は大粒の涙を流し始めた。

 灯夜は飛ぶことに疲れた小鳥を休ませるよう、そっと抱きしめ、動かなくなった。その間中も手は離れることなく、繋がっていた。

 雫はそんな光景を、ただ黙って見ていることしかできなかった。

 次第に落ち着きを取り戻した静流は、胸に顔を埋めたまま言った。

 「……ねえ、さっきの約束、ちゃんと守ってくれる?」

 「うん。必ず守るよ。だから、泣かないで」

 そう言うと、胸の中から顔を覗かせて笑った。その表情は泣き笑いのようだ。

 静流が胸から離れるのを待って、横を見る。そこには、俯いたままの雫がいた。

 「……雫」

 静流が声を掛けるが、返事はない。

 床には、いくつもの水滴が落ちていた。おそらく涙だろう。

 雫は泣いていた。静流が灯夜とこの世界を去るということは、自分が消えるということでもあった。雫はこの世界でしか生きて行けないのである。

 二人はそのことを理解していた。ただ、灯夜だけは理解しようとしなかった。

 雫に空いている手を差し出す。

 「え?」

 顔を上げる。予想通り泣いているようだった。

 「どうして?」

 雫は困惑している。

 「僕には神凪を連れて帰る、って約束があるんだ。それに、さっきの約束も君に向けたものでもある」

 「……でも、私は静流の裏の存在。ここを出れば、私は消えて、あなたと会うこともなくなるのよ。なのにどうして?」

 自分で言うのが辛いのか、目を伏せている。

 「それでも、僕は構わない。僕は裏とか表とかじゃなくて、君をもう一人の神凪だと思ってる。それに、もし、本当に君が裏の存在でしかないとしても必要なんだ」

 言っている意味が理解できないのか、きょとんとしていた。

 「僕は雫と静流、この二つが揃って、初めて本当の神凪になるんだと思う。だから、二人とも一人にはさせない。傍にいて助けるって。そして、守る。そう約束したじゃないか」

 雫はしばらくの間、差し出された手を見つめていたが、やがて手を重ねてくる。

 そして、灯夜を見て笑った。

 その笑みはさっき見た静流の笑みとそっくりだった。二人が本当の意味で一つになれた瞬間だった。

 そんなやり取りをしていると、突然遠くの方でなにかが崩れる音がした。教室だけでなく、この世界全体が揺れているようだ。

 「……まずいわね」

 呟く雫には焦りの色がある。

 「なにがまずいの?」

 「私たちがこの世界ではなく、現世の世界を選んでしまったことで、この世界が滅びようとしているの」

 「それは確かにまずいな。早くここから脱出しよう」

 灯夜は二人と手を繋いだまま、走り出した。

 「どこか、あてはあるの?」

 走ったまま静流が訊いてくる。

 「うん。美術準備室に行く。あそこにある鏡を使って、元の世界に帰るんだ。あれを使って、この鏡の世界に来ることができたんなら、戻ることだってできるはず」

 二人を安心させるように言った。

 だが、これは賭けだった。本当にあの時と同じように、世界が繋がり、元の世界に帰れる、とは言い切れないのである。

 二人もそのことに気付いている様子だった。それでも自分を信じ、ついてきてくれるのは不思議と悪い気はしなかった。

 その会話以降、三人はただひたすらに走り続けたのだった。



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