過去
灯夜の意識は遠のいていく。
「……ごめんね、灯夜」
その言葉は雫だけのものではない、静流のものでもあった。
「これで、終わりにしてあげる」
灯夜にかかる重力が加速度的に増していく。灯夜は抵抗しない。あるいは、できないのかもしれない。今、心に渦巻いているのは後悔と絶望だった。
また、自分は大切な人を失った。救えなかった自分を恨む。だが、そんなことはもうどうでもよかった。もうすぐ全てが終わる。
すでに意識は朦朧とし、口の中にある血の味も、痛みも感じることはない。自分は死んでしまったのかもしれない。でも、そんなことを考えられるってことは生きてるのか。などと、そんなことを冷静に考える。
時間は動いているようで、止まっていた。いや、もしかしたら、戻っているのかもしれない。
ふいに過去の出来事が鮮やかに甦る。
現在から過去へと、流れ始める。懐かしいものもあれば、悲しいこともあった。これを全て見終えたら、死ぬことは分かったし、自分が走馬灯を見ていることも分かった。
過去に遡る途中、一つの映像がやけにゆっくり流れた。
それは母との記憶だった。
母は優しかった。誰にでも分け隔てなく愛をくれる、そんな人だった。
その母は自分を産んでからというもの、病気がちになったらしく、表に出ることはあまりなかった。それでも、母と話ができるだけで、自分は満足していた。ただ、一時の間、病気の治療のため、母と離れることとなった。
治療の甲斐あってか、母は元気を取り戻し、以前と変わらぬ健康体になった。その時は母が元気になったと喜んだものである。
しかし、そんな日々は脆くも崩れ去る。家に戻ってからというもの、母は日に日に弱っていったのである。その頃から父に疎まれ始めた。
毎日のように見舞いに行き、言いつけを守った。母はきっと回復する。そう信じていた。
いつもと同じように見舞いに訪れ、話をしていると、急に母が黙り込んだ。何度も声を掛けたが、返事はない。
その時、母はすでに亡くなっていたのだ。
すぐ後に父が入ってくると、母を見て怒りながらこう言った。
お前が殺したんだ、と。
幼かったこともあり、その言葉の意味は分からなかったが、冷たい響きだけは理解することができた。
父は、お前は呪われている。呪われた『力』を持った子だ。お前のせいで母が死んだのだ、とも言った。
不思議と勝手に涙が出た。そして、唐突に理解した。自分が本当に大切にしていた人を失くしたんだ、ということに気が付いた。
その後は、自分に近寄るもの全てに不幸が訪れ、誰も灯夜に近づかなくなった。周りの人間は灯夜を忌み嫌い、呪われた子として扱うようになる。
最初は味方もいた。だが、それもすぐに消えた。
ある日のことである。いつものように灯夜は一人で遊んでいた。そこに大人たちがやってきて自分を罵った。なぜ、まだこんなところにいるのか、生きているのか、と。毎日のように繰り返される呪詛の言葉に、我慢の限界に達した。
こんな世界、消えてなくなればいい。自分が呪われてるというのなら、その言葉通り全てを呪ってやった。
体中に力が漲ったかと思うと、その力はなんの前兆もなく爆発した。爆発は辺りのものを全て呑み込み、灯夜だけを残して消し去った。その時のことは、灯夜は覚えていない。
そのことがあったせいで、味方もいなくなり、家からも追い出され、現在のような状況になっている。そう、灯夜は今まで孤独の道を選び、たった一人で生きてきた。
自分が呪われていることを知った。
その後、全てを奪った父を憎んだ。
父や自分のことを忌み嫌った連中に復讐を誓った。
なにより、何もできなかった自分の無力さを呪った。
そして、今また自分は大切な人を失くそうとしている。
(……そんなのは嫌だ)
そんなことを思える自分がおかしくて、つい笑みがこぼれる。心の奥底で燻っていたなにかに火がついた。
奥歯を噛み締めると、口の中に血の味が鮮やかに甦った。
体はガタガタで、いつ壊れてもおかしくない。それでも、全身にありったけの力を漲らせ、立ち上がろうとする。
自分にはなす術がなく、目の前で死んでいった母を思い出す。
(今度は、あんな結果にはさせない)
一度失われた光も、今なら取り戻せる気がした。
「……嘘。どうして立ち上がれるのよ」
片手を膝の上に置き、中腰の格好になる。完全に立ち上がれるまで、あと少しだった。
「どうして立ち上がってこれるのよ!」
雫から驚愕の色が消えない。右手を頭上にかざし、思い切り振り下ろす。
頭上から凄まじい威力の衝撃波が灯夜を襲うが、歯を食いしばり、これを耐えた。結局、灯夜は片膝すらつくことはなかった。
その様子に雫は戦慄を覚えた。
「……僕は確かに、呪われているかもしれない」
誰に聞かせる訳でもなく、そう呟く。
「そんな『力』を持っているかもしれない。その『力』で、君を傷付けてしまうかもしれない」
灯夜は俯いたまま、下を向いている。
「だけど。それでも。僕は君を助けたいんだ」
そう言って、自分を奮い立たせた。そして、下に引き寄せられる頭を上げ、静流を見つめた。
相変わらず、その瞳に色はない。
ふと、幼い少女の顔が頭をかすめた。だが、今はそのことに気を取られる訳にはいかなかった。少しでも気を抜けば、膝から崩れ、意識を失ってしまいそうだからだ。
崩れ落ちそうになる膝に無茶をさせ、今度こそ完全に立ち上がる。そこから、重い一歩を踏み出した。