再会
灯夜は静流の待つあの場所へ一人で向かっていた。全てを終わらせるために。
近づくにつれ、そこに静流がいるという確信は強まっていった。
そして、遂に二年C組に辿り着いた。灯夜の考えた通り、この場所と静流のことを思い浮かべながら進めば、以前までのように迷うことはなかった。
ここにやって来るまで、様々なことがあった。長いようで、短かった時間も終わりを告げようとしている。
灯夜は開け放たれた教室の中に入っていった。
足を踏み入れた瞬間、扉が閉まる。軽い既視感に襲われるが、立ち直る頃には、教室が教室でなくなった。
机や黒板、窓までも消え、真っ白な四角い空間が姿を現す。その空間に一際目立つ存在があった。静流と雫である。
寄り添った二人は肖像画から抜け出た絵のようだ。その姿は美しく、そして、脆さがある。
「邪魔者も消えて、ようやく二人きりになれたわね」
声を発しているのは雫だと、すぐに分かった。どんなに姿形が同じでも、あの違和感だけは消えないからだ。
「本当は彼女たちのことなんてどうでもよかった。きっと今頃は灯夜の言う通りにして、元の世界に帰っている頃よ。灯夜のことを置き去りにしてね」
歪んだ笑みを見せる。
「別に僕はそんなこと構わない。それより、今は神凪のことだ」
「あら、嬉しいこと言ってくれるのね。前みたいに冷たくされるのかと思ったわ」
軽口を叩く雫を軽く無視し、話の本題に入る。
「僕と一緒に帰るんだ、神凪。こんなところにいちゃだめだ」
その言葉に二人は俯き、黙り込んだ。
近づこうとすると、怒気を含んだ声が聞こえてくる。雫のものだった。
「……どうして。灯夜もどうして、そんなこと言うの。あなたなら、分かってくれると思ってた。あなたなら、支えてくれると思ってた。なのに、結局あなたもみんなと同じなの!?」
肩を震わせながら、声を張り上げる。
灯夜は眉一つ動かさなかった。
「悪いけど、今の神凪の想いは聞けない」
「どうして!」
「僕にはそれが、本当の願い―想い―とは思えないから。神凪、君は心のどこかでここにいてはいけないと思っている。元に戻りたい、そう思ってる。僕には、そんな気がするんだ。だから、今の神凪の望みを叶えてあげることはできない」
言っている灯夜もなにか辛いものが込み上げてきた。こんな感情はすでに捨てたはずだったのに。
重苦しい沈黙が部屋を支配しようとし始めた時、雫が口を開いた。
「……分かるの?」
途切れ途切れに聞こえて、意味がよく分からなかった。それでも、雫はなにか言っている。
その雫の声は唐突に大きくなった。
「あなたに、私のなにが分かるって言うのよー!」
雫の顔は悲痛に歪んでいる。
その叫びと同時に右手を突き出した。
その瞬間、手から衝撃波が放たれ、灯夜を襲った。まともにくらった灯夜は吹き飛ばされ、壁に激突する。あまりの威力に灯夜の体は壁に沈んだ。
「がはっ!」
腹の中にあるものがこみ上げてくるが、必死に耐える。ここで中身を戻せば、呼吸困難に陥り、あの世行きはほぼ間違いなかった。
めり込んだ壁から無様に崩れ落ちると、口の中に血の味が広がった。肋骨も何本か持っていかれたかもしれない。
手を動かし、触れてみる。どうやら大丈夫そうである。自分の頑丈さに感謝しつつ、手を床につき、体を持ち上げる。だが、床から手を離すことはできなかった。
両手と両膝を床につけ、四つん這いの格好になる。そのまま動くことができない。首だけを動かし、二人の神凪を見据えた。
「随分な格好ね。でも、私を怒らせた灯夜が悪いのよ。灯夜があんなこと言わなければ、私だって、こんなこと……」
暗い顔を見せるが、それも一瞬だった。
「今からでも遅くない。私たちと一緒にいるって言えば、許してあげる。だから、灯夜。私たちと一緒にいましょ。でなきゃ、あなたここで死んでしまうことになるわ。私はそんなことしたくないの」
この鏡の世界にいる限り、彼女たちが圧倒的に有利。なにかは知らないが、相手は強力な『力』を使える。それは先ほどの攻撃で分かっていた。
生き残るための手段は彼女たちに従うことだけだった。
「……僕は」
それは分かってる。
「神凪と」
生きていなければ、いけないって。死んだら意味がないってことも分かってる。
「一緒に」
だけど。それでも、やっちゃいけないことだってあるんだ。誰がなんと言おうとも、僕は僕の選んだ道を行く!
「元の世界に戻る。それが、神凪だけじゃない。僕の想いでもあるから」
言った。言ってしまった。これで、もう後戻りはできない。後はやるだけだった。
灯夜の返事に、雫は笑い始めた。ただ、瞳には怒りの色が見える。
「……ふふ、おもしろいことを言うのね。灯夜がまだそんなことを言うのなら、教えてあげる。私たちがそんなこと、望んでいないってことをね」
この部屋に入ってから、座ったまま、ぴくりとも動かない静流に近づく。後ろから包み込むように抱き、耳元でなにかを囁いた。
すると、静流はふらふらと立ち上がり、こちらに視線を向ける。
その瞳は無機質なものだった。
そんな静流の異変に気付く。
「……まさか。彼女になにをした」
「そう。そのまさかよ。でも、勘違いしないで。私が無理やりなにかをした訳じゃないわ。静流が望んでこうなったの。私の言ってること、やってることは全て、静流の意思よ。彼女の代わりに私がやっているだけ」
灯夜は心の中で自分を罵った。なぜ、静流の異変にもっと早く気付くことができなかったのかと。
雫と同じはずの表情はどこまでも無表情で、機械のような冷たさがある。瞳に光を見ることができない。
(意識をなくしているのか。……いや、違う。辛うじて、まだ意識はある)
目を注意深く見ると、微かだが、光が宿っていた。
完全に光が消え、意識を失っていたら手のつけようがないが、まだ意識はある。それはいつ消えてなくなるか分からない。時間との勝負だった。
「さあ、静流。私たちの邪魔する灯夜から、私たちの世界を守りましょう」
「……」
雫の言葉が引き金になったのか、右手を上げる。
灯夜は体勢を立て直すため、全身に力を入れ立ち上がろうが、思うように体が動かなかった。
(まずい。また、あれをくらったら)
その先は考えないことにした。ただ、一つ言えることはこれ以上の傷を負えば、立ち上がることが、困難になるのは確実だった。
相変わらず、灯夜は立ち上がることができずにいた。立ち上がることを諦め、その体勢のまま、先ほどの衝撃波を横に転がってかわすことだけに神経を集中させた。
だが、灯夜の行動は無意味に終わることになる。
自分の勘だけを頼りに、相手の攻撃のタイミングを計る。ここだと思うところで、灯夜は横に飛ぼうとした。
しかし、灯夜が飛ぶことはなかった。
真正面から来ると思われていた攻撃は真上から襲ってきたのである。
床に叩きつけられると同時に床が抉れた。しかも、今度の攻撃は衝撃波ではない。上から押しつぶされているようだ。
おそらく、周りの重力が増えていっているのだろう。徐々に灯夜の体は床に沈んでいく。やがて、指一本動かすことができなくなった。
「どう、灯夜。動けないでしょ?」
くすくすと笑う声は遠く、どこか悲しげだ。
視線だけ動かして、静流を見捉える。瞳に宿っている光は消えつつあった。もはや一刻の猶予もない。
体中に力込め、無理やり立ち上がろうとする。体の節節が悲鳴を上げているが、全て無視した。床に手をつき、立ち上がる。
雫はそんな灯夜を悲しい目で見ている。そして、また静流に耳打ちすると、右手を上げた。上げた手を振り下ろすと、灯夜は再び床に叩きつけられた。
ピチャ。
そんな音を立てて出てきたのは血だった。
静流の瞳から光が消えていく。もはや、静流の瞳には何も映っていない。そんな無感情な目を、灯夜は倒れる直前に見たのだった。