別れ道
戻ってきた灯夜は辺りに漂う、重苦しい空気に怪訝な顔をした。
「なにをやってたの?」
夕子が訊ねてくる。
「少し試したいことがあって」
そのまま歩き出そうとする灯夜を犬神が止める。
「待て。一体どこに行くつもりだ?また、当てもなく歩き回るのか?」
「いや、行く場所は決まってる。僕は二年C組に行く」
静流のことを考えていると、自然とその場所が浮かんできた。
「僕たちを騙そうとしているんじゃないだろうな」
「そんなことをする意味がない」
灯夜は即答する。
「私は信じられません。大体、あなたは怪しすぎます」
「私もそう思う。それに、会った時から気になってたけど、なんで、あんたはここにいるのよ」
疑惑の眼差しを向けてくる。
灯夜は言うか、言うまいか迷ったが、結局言うことにした。
「僕は神凪を連れ戻すためにここに来た」
全員、息を呑むのが分かる。
「や、やっぱり信じられないじゃないか。そもそも、僕はお前みたいな奴がリーダーみたいなことをやってること自体、気に入らなかったんだ。誰がお前なんかについていくか」
「だったら、勝手にすればいい。僕は僕の道を行く」
そう言い切ると、犬神に一瞥を投げ、背を向けた。
灯夜と彼らの道はここで完全に分かれたかに見えた。
しかし、それを円と夕子が止める。
「ちょっと待ってよ。月代、神凪のところに行くんだろ?」
円は灯夜の前で手を広げ、立ち塞がった。
夕子は後ろから抱きつき、灯夜の動きを止めている。
「やめとけよ。お前だって、なにされるか分からないんだ。一人で行くのは危険すぎる。だから、行くな。私たちと一緒に来い!」
真っ直ぐな瞳には力がある。
前だけでなく、後ろからも声がする。
「そうだよ。今まで私たち一緒にやってきて、上手くいってたんだよ?だから、今度もきっと上手くいく。帰り方も見付かるよ。ね、だから、一緒に帰ろう」
かすれ声になっていた。
人間、極限の状況に陥ると本性が出るというが、もし、それが本当ならいいと思った。
最後の最後であったが、彼女たちにも、こういった他者を思いやる気持ちがあったことを嬉しくも思う。こんなことを思う自分は甘いと感じるが、それもいいと思った。
だが、彼女たちの願いを聞き入れることはできない。自分には静流を連れ戻すという約束、そして、静流を助けたいという想いがあった。
いつの間にか、そんな想いが自分の中に芽生えていた。それはどうして芽生えたのか分からない。
想いとは、気付かぬところで芽生えることを若い灯夜は知らない。ただ、今、静流を助けなければ、二度と救い出すことが出来ないことだけは分かっていた。
「ごめん。それはできない」
腰に回されている腕の力が緩む。次の言葉が出る前に、その腕の中から逃れた。
空を切る腕にもどかしさを感じながら、夕子は背中を見つめることしかできなかった。
「待て、月代!止まれ!でなきゃ、力尽くで止める!」
声はむなしく響くばかりだ。
「ごめん」
「だめだ!どうしても行くって言うなら、私も連れて行け!」
それも叶えられぬ願いである。この立ち塞がる少女を、危険な目に遭わせることは出来なかった。
じっと見つめ合う二人。それも長くは続かなかった。
円がゆっくりと腕を下ろす。
「……本当に行くのか?」
横を通り過ぎたところで言ってくる。背中は重なっていないが、背中合わせのように見えた。
「僕は行かなきゃいけない」
「……そうか。分かった」
すっかり声は沈んでいる。今にも泣き出しそうだった。
「……ここでは想うことで『力』が生まれる」
「え?」
理解できていないようだが、構わず続ける。
「みんなの想いを一つにして、美術準備室に行って。そこに大きな鏡がある。その鏡に向かって、もとの世界に帰ることだけを望み、考えるんだ。そうすれば、きっと元の世界の帰れる」
話している最中、灯夜はずっと前を向いたままだった。円は顔を見ることはできなかったが、灯夜の優しさは見えた気がした。
「それって―」
言い終わるのを待たず、灯夜は歩き出した。自分が向かうべき場所へ。
「……月代、必ず神凪連れて帰ってこいよ」
円は聞こえるか、聞こえないかの声で言うと、灯夜に背を向けた。そして、灯夜が教えてくれたことを無駄にしないよう、ここにいる全員を無事に帰すと、密かに誓ったのだった。