本気
灯夜は自分の言葉が雫に届いていないと悟った。
(くそっ!)
悪態を吐きながら、必死に暴れる。結界を破らなければ、今度こそ雫は死ぬ。
「ヴィネカルト・オゾカテ・プディクス。デアルト・カボン……」
黒夜は淡々と呪文を唱えていた。
そこで気付く。
(まさか、遅延魔法まで使うきか!?)
遅延魔法とは、一度唱えた魔法を時間差で発動させるものだ。そのため相手の裏をかいた奇襲を掛けやすく、形成逆転も狙える非常に強力なものだ。ただ、使いどころが難しい上、相手に気付かれた場合は、逆に自分が不利になってしまうというリスクを伴う。
黒夜は雫が混乱していることを見越して、この策を思いついたのだ。
すでに、一つ目の術は完成していた。それでも詠唱を止めないのは、遅延魔法のカモフラージュと詠唱が続き、隙があると思い込ませることだった。
案の定、雫は駆け出そうとしていた。
好機を見つけた黒夜は行動に出る。一瞬にして、雫の後ろをとった。
(瞬歩か、まずい!)
雫が避けることはまずない。
灯夜は体が引き千切れるかと思うほど暴れた。僅かに鎖にひびが入る。
そして、黒夜が術を放つ瞬間、灯夜を捕らえていた鎖が弛んだ。そこへ、持てる力を注ぎ込み、鎖を引きちぎった。
自由になった体に慣れる前に灯夜は疾風の如く駆けた。
瞬歩。
一気に雫との距離を詰め、雫を抱きかかえる。
灯夜に気付いた黒夜は、本当に少しだけ腕の位置をずらした。お陰で、傷一つ負わずに雫を助け出すことができたのだった。
灯夜、黒夜が使った『瞬歩』とは高速歩行術のことだ。多くの武道家が使うもので、最速の移動法の一つとされている。これも習得するのに相当な鍛錬が必要とされる。
黒夜は視線の先に何もないこと分かっていながら、前を見続けた。だが、しばらくすると、横を向き、不機嫌そうな顔をした。
「……どうして助けた」
その瞳に映るもう一人の自分に問いかける。
「……嫌だったからだ」
そう答えたのは灯夜だった。その灯夜の腕の中には雫がいる。
腕の中にいる雫が目を開いた。酷く驚いているようだった。
「大丈夫?」
視線を雫に向け、問うた。
「え、ええ。なんとかね」
雫は何とか答えた。
「そう。……少しここにいて」
「でも――」
遮るように上着を雫にかけて立ち上がり、黒夜に向き直った。
「何を言っても無駄みたいだな」
灯夜が纏う雰囲気を感じ取って、黒夜が言った。
「……」
灯夜は何も答えない。代わりに睨みつけてやるだけだった。その瞳には、以前の灯夜はいない。冷徹に相手を滅ぼすためだけに、殺気を燃やしていた。
「口で言っても駄目か。……気が進まないが、それなら体に教えてやる」
二人は今、本当に敵同士となった。
ピリピリした空気が漂い始める。張り詰めた空気は重く、息をすることさえ困難だ。
灯夜は相手の威圧感に畏怖を覚えた。自分と対等、もしくは強者と対峙した時に感じる感覚だ。とても懐かしい。
黒夜も同じ感覚を味わっていた。これは、父や師と対峙した時によく感じていた。だが、その時とは少し違う。それは相手が灯夜だからだった。
そんな感覚を吟味している時間は長くは続かなかった。示し合わせたかのように駆け出した。
同時に拳を繰り出す。
繰り出された拳を空いた手で掴んだ。両手が塞がると、蹴りが飛ぶ。それもまた相打ち。蹴りは二人の前でぶつかり、静止している。力が拮抗している証だ。
一旦離れ、次の攻撃に移る。
両手を軽く広げ、前傾姿勢をとった。その体勢から繰り出されるものは、『赤華鳴動』。
黒夜も全く同じ格好。まさに鏡合わせ。地を蹴りだすタイミングもぴったりだった。
パァーーン!
手を叩き合わせた音が響いた。音では判断できないが、五発掌呈を放っている。それも全て相打ちだった。
二人に焦りはない。様子見といったところだ。これからが本当の攻防。
黒夜が乱雑に無詠唱魔法を放つ。
灯夜は必要最低限の動きでそれを避ける。
立ち上る煙に視界が一瞬遮られる。次に視界が開けた時には黒夜の姿はなかった。だが、どこにいるかは予想はついている。
「同じ技が二度も通用すると思うな」
灯夜は振り返りもせず、後ろ回し蹴りを放つ。
「は、そんな事は分かってるよ」
そう言って、しゃがみそれを避けた。
足に溜めた力を爆発させ、アッパー。
ガン!!
灯夜は完全に腕が伸びきる前に、黒夜の拳に思い切り頭突きをかました。腕が完全に伸びきらなければ、威力は半減する上、額は体の中で最も硬い部分の一つ。受けるにはうってつけだ。更に、避けて隙を作るよりは、少しのダメージで済むためこの行動にでたのだった。
鈍い音が部屋に響く。
灯夜は額で黒夜の拳を受け止めながら、腕を振り下ろした。
黒夜は頬を掠めつつも辛うじて避けた。しゃがんでいる以上、こちらの方が不利、そう判断し、あっさり距離をとった。
灯夜は軽く頭を振ってから黒夜を見る。
「まさか自分と戦うのが、こんなにやりにくいとはな」
黒夜は言って、肩を竦めた。
「考えてることが同じだと、迂闊に踏み込むことも出来ない。おまけに――」
灯夜は黒夜の言葉を無視して、襲い掛かった。
一見、黒夜はただ話しているだけのようだったが、あれは不意打ちのタイミングを計っていただけだった。灯夜はそれに気付き、先手を打ったのだ。
「っと」
黒夜は上手く避ける。
「余計なおしゃべりはいらない」
そう言いながら、攻撃の手は休めない。
凄まじい攻防。
舞い散る葉が如く舞、風の如き一閃を放つ。肌が触れ合っては離れ、離れては触れ、つかず離れず、一進一退の激闘に昇華していた。
「ちっ」
黒夜が僅かに押されていた。堪らず距離を置き、無詠唱魔法。
黒夜には肉弾戦だけでの戦いになると、勝利することは容易ではなかった。なぜなら、主人格である灯夜にどうしても力の比率が偏るからだ。そうなると、灯夜にあって自分にないもの、つまり『力』を駆使するしかなかった。これで、灯夜と黒夜の形勢が逆転される。条件としては五分。いや、黒夜の方が有利といえる。
黒夜は距離を置きつつ、攻撃を仕掛ける。しかし、大技は出せなかった。このことは、灯夜も気付いているはず。そう、黒夜自身に『力』がそう残っていないことを。結界から抜け出せた事や古代魔法を使ったこと、それらの事柄から容易に想像できるからだ。
黒夜が使えるのはせいぜい上位の術を一回に、下位のものなら三回ほどだった。その限られた範囲の中で戦うしかなかった。それでも、黒夜にアドバンテージがあるのは変わらない。
灯夜は悩んでいた。どう戦えば勝てるのかと。恐らく、黒夜は大きな術を使えない。それでも、多少なら『力』を使える。これでは、自分が絶対的に不利だ。その形勢を逆転させるには……。
お互いの思惑を胸に抱え、最後の攻防が始まろうとしていた。
やっと灯夜の出番が回って来たんですが、次回には決着がついてしまいそうです(笑)。残り僅かの戦闘をお楽しみ下さい。




