捨て身と完璧の裏側
雫は霊符を出し、『力』を込める。
命を吹き込まれた霊符は一振りの刃となった。しっかりと握り締め、黒夜に向かって走り出した。
一見無謀なような作戦だが、最も有効な手だった。離れて戦えば、強力な術を食らってしまう。現在の雫ではそれに対抗する『力』がなかった。しかし、接近戦に持ち込み、相手に詠唱する暇を与えなければ、強力な術は打てない。雫も条件は同じだが、こちらの戦法の方が遥かに勝機が増すと判断したのだった。
一気に距離を詰め、刃を振り下ろした。
黒夜は振り下ろされた刃を腕で止めようとするが、その瞬間、寒気が背筋を奔った。咄嗟に飛び退く。
スパッ。
腕を見てみると、障壁を張ったにも関わらず服だけが切れていた。あそこで飛び退かなければ、腕は真っ二つになっていたに違いない。
黒夜は受けることは考えず、避けることだけに専念することにした。
次々に襲い来る斬撃を避ける。それでも雫は手を休めない。振り下ろした刃を切り返し、なぎ払う。一つの流れかと思わせる程、雫の攻撃には隙がない。嵐のような攻撃が黒夜を襲った。
剣舞。剣舞。剣舞。
黒夜はかわし続ける。どれも紙一重。いつ当たってもおかしくない状況だ。
雫は一度黒夜から離れる。いや、離れるしかなかった。
黒夜は知っていながらも、敢えて訊く。
「どうした?随分息が上がってるじゃないのか」
言われた雫は肩で息をして、今にも倒れそうだった。
出血している上に激しい動きをしたことにより、その反動で体が硬直し始めたのだ。
そんな雫を休ませる程、黒夜は優しくなかった。
「鋼のごときその体―」
詠唱を始める。
雫はここに留まる訳にはいかなくなった。重い体に鞭打って、駆け出す。
黒夜はすぐさま詠唱を止め、目の前の剣舞に集中した。先程に比べ、明らかに速度、正確性、『力』の密度が減少している。この程度のものなら、難なく避けることが可能だった。
雫もその事に気付いている。これでは倒せないと。反撃されると。
カウンターが来る前に再び距離をとった。作戦を練る必要がある。しかも、この短時間で、最も有効な手を。
雫、そして、静流もそうだが、彼女たちは決して『力』が強大だからという理由だけでトップクラスになれた訳ではない。術の精度、密度、制御方法から始まり、体術、戦略、学業などの様々な分野において優秀だったからこそ、現在の地位があった。その中でも彼女たちが最も得意としたのは戦術。いかなる状況下においても、冷静に最善策を瞬時に考え出すことだった。
今こそ、その実力を発揮するときだった。一瞬にして、相手の癖や性格を考慮に入れ、反撃の一手を叩き出す。
(よし!)
現時点で自分が出来る最善策を練り終わった。そして、すぐさま実行に移す。
必ず成功する。自信はあった。
軽く深呼吸して呼吸を整え、動き出した。
わざと大振りで刃を振るう。
ガギィン。
黒夜はそんな攻撃を片手で受け止めた。体力を削られた雫には、自分の障壁を破る『力』が残っていないと判断したからだ。そして、そのままカウンターを食らわせる。
不意に雫が笑った。
霊符に込めていた『力』を抜く。『力』を失った霊符は二人の間に舞った。
その瞬間、雫は再び『力』を注ぎ込むと同時に防御結界を展開した。
「破っ!」
「なにっ」
目の前で舞っていた霊符が光を放ち爆発した。
爆風に巻き込まれ、雫は吹き飛ばされる。そして、壁に激突した。いくら結界を張ったとはいえ、あの距離からでは全てを防ぐことが出来なかったのだ。ただ、それに見合う成果は期待できるはずだ。
ゼロ距離での捨て身の攻撃。それが雫の考えた手だった。
(はあ、はあ、やったわ。どうやら、成功のようね)
片手、肩膝を地面に付けながらそう思った。
その瞬間。
一筋の閃光が雫を襲った。完全に油断していた雫に避ける術はない。
「っ!!」
激痛が奔る。だが、叫びは上げなかった。閃光の道筋を目で辿り、元凶を睨みつけた。その元凶の男は自分を見下している。
「残念だったな。さっきのものといい、この作戦といい、本当に良くできた作戦だった。なのに、どの攻撃も先を読まれ、俺には届かない。どうしてか分かるか?」
雫は答えない。その反応も予想していたのか、黒夜は気にせず続けた。
「お前の作戦がいつも完璧過ぎたからだよ」
一呼吸置いて、
「そう、お前はいつ如何なる時も最善の策を違わず選び取る」
「それが、どうしたって言うのよ」
黒夜の勿体付けた言い方に雫は声を荒げた。実にらしくない行動だ。
「そういえば、言い忘れてたな。策を違わず選び取る。それは、常に完璧な作戦を練るということ。完璧とは、それ故に看破されやすく、危険を孕んだ策だってことをな」
雫は絶句する。
黒夜はそんな彼女を無視して続ける。
「お前の行動は全てマニュアル通りなんだよ、優等生君。……ま、俺と戦いの経験の差が有り過ぎるのも原因だけどな」
雫に視線を投げ掛けた。
全ては黒夜の言う通りだった。雫は実戦経験がほとんどない。戦略は書物と実技練習でしか学ぶことが出来なかった。そのせいもあって、雫の戦術はどこまでいっても基礎の応用でしかなかった。生きた戦術とは言えないのだ。経験の浅い者同士ならそれで十分に戦える。しかし、黒夜と戦うには足りなかった。
一方の黒夜は違った。書物は勿論のこと、生き残るために何でもしてきたのだ。黒夜にとって戦いとは、生死をかけたものだった。
その戦いは幼い頃から始まっていた。最初に行われたのは鬼ごっこ。その内容はとにかく逃げ回ることだった。追ってくるのはSPといったプロが相手だった。それも相手は家に必要のない自分を殺す気で追ってくる。幼少の少年には地獄のような日々だった。力を付けるまで、逃げ回る毎日。寝ている時ですら、辺りの気配を探っていたほどだ。そして、いつしか力を付けた灯夜と黒夜は戦うことを始めた。驚異的なスピードで強くなり、他を圧倒するまでになっていた。その力は憎悪が与えてくれたものだった。同時に人々は恐怖し、自分に近づく者もいなくなっていった。
そのような過酷な日々を過ごした黒夜と雫では経験の差が出るのは当然のことだった。
黒夜は突然に動き出した。
雫はその動きに反応できない。
動くことの出来ない雫のわき腹にきつい一撃を食らわす。
メリッ。
嫌な音がした。
雫が宙を舞い、懐に忍ばせておいた霊符も散る。
黒夜は無造作に霊符を掴み取り、
「忘れもんだ。受け取れ」
そう言って、『力』を込めた霊符を投げつけた。
雫は消えそうな意識を何とか保ち、防御結界を張る。その結果は歪で不安定なものだった。それでも盾にはなる。
爆発。
「まだまだ終わりじゃないぞ」
無詠唱魔法。
光弾の雨が降り注ぐ。
「くっ」
雫は耐え続ける。最後の一手を打つために。
地面には雫の血が滴っている。辺りには煙が立ち込め、視界は塞がれていた。
「ライトニングスロー」
その言葉と共に煙が微かに揺れた。そこから一筋の光が見えた。
雫は半ば反射的に右に避ける。だが、光は肩をかすめ、皮膚を抉り取っていった。