狼
「どうしてお前が『力』を使えるんだ……」
驚きの色を隠しきれず黙り込んでいる犬神に代わって、灯夜が言った。
(そういえば、灯夜は使えないんだったな。……あの時は、家の半分を跡形も無く消し飛ばしたからな。そのショックで忘れちまってるだけだろう。それと、この世界にある法則なんか、俺の前では意味を成さない)
再び、頭の中に声が届く。この会話は灯夜にしか聞こえていない。
「……僕には使えないって、どういうこと?それに消し飛ばしたって……」
灯夜の疑問に答えは返ってこない。黒夜は沈黙したままだった。
灯夜もそれ以上、口を開けなかった。この戦いを見守ることしか、今の灯夜にはできない。改めて、自分の無力さを知った。
「……どういうことだ。月代、お前は『力』を使えないはず。なのに、なぜ使える?」
灯夜と同じことを口にする。
「お前には関係ない。知る必要のないことだからな。そんなことより、続きだ」
黒夜は不機嫌そうに言った。
しばしの思案の後、犬神は言った。
「……そうまでコケにするなら、とことんやってやる!」
両手を頭上に掲げ、手を組み合わせる。
「血よりも赤き閃光よ、光球となりて、我が障害を砕け!」
組んだ手を緩め、円を描くように腰の辺りまでゆっくりと腕を下ろしていく。下ろしていった手からは、火球が出現し、その総数は十二個にもなった。
黒夜も鏡に映したかのように、犬神と全く同じ動きをする。
「紫電の雷よ、光球となりて、全てを薙ぎ払え」
黒夜の手からも、紫色の雷を纏った光球が生じる。
照準をずらすためか、犬神は走り出した。
黒夜は相変わらず止まったままである。
犬神は走りながら、相手の隙を作るため無詠唱の魔法を使い始めた。上下左右から止まることなく、攻撃がなされる。その動きは、俊敏で隙は見当たらない。エリートとなるべく、教育を受けてきただけのことはあった。だが、そんな攻撃も黒夜には、かすりもしない。全ての攻撃を紙一重でかわしている。その動きには、余裕すら感じることができた。
犬神にとって誤算ではあったが、計画にはなんの支障もなかった。自分の作戦が順調に進み、笑みすらこぼしている。
確かに黒夜は、全ての攻撃をかわしているが、お陰で周りからは煙が多く立ち上っている。
かわされた攻撃は床に当たり、小さな爆発を起こし、煙を立てていた。それが積み重なり、今ではすっかり黒夜は煙の中に包まれ、視界を遮られている。これが犬神の狙いだった。あとは、煙の中に向かって火球を叩き込むだけである。
煙で視界を遮られた状態で、四方八方からの同時攻撃をかわすことなど、不可能なことだ。ただ、相手が普通の人間であることが、この攻撃が決まる絶対条件だった。
全ての準備が整った犬神は、最後の言葉と共に『力』を解放した。
「これで終わりだ!フレイムストーム!」
犬神の周りに浮かんでいた火球が、黒夜に襲い掛かる。
「サンダーボール」
煙の中から光球が飛び出し、次々に火球を打ち落としていく。火球を打ち落とす度、爆風が生じる。
全ての火球が消え去る頃には、黒夜を覆っていた煙はすっかり晴れていた。
犬神は愕然とした。計画通りに進んでいたはずが、いとも簡単に破られた。必ず成功すると信じていた者にとっては耐え難い、屈辱だった。
「どうしてだ。なぜ、上手くいかない。僕の計算は間違っていなかったはず。なのに、どうして、お前は立ってる。どうして、あの攻撃がかわせたんだ!」
「簡単なことだ。お前の放った火球が、俺に届く前に煙が少しだけ揺れる。無風状態のこの部屋で、煙があれほど揺れることはない。だから、すぐにお前の放った火球の生む風が、煙を揺らしているんだと分かった。あとは、それを打ち落とすだけだ。簡単なことだったぜ?」
くっく、と喉を鳴らして笑う。
「それに、お前みたいに分かり易い奴の心を読むことなんて、造作ないことだからな。何をやろうとしてるかなんて、すぐに分かる」
軽薄な笑みが犬神の勘に触る。
「そんなばかな!僕がお前なんかに負ける訳がない。劣っているところなんて、ありはしないんだ!」
気が狂ったように叫びだす。
「そうだ、負けるはずがない。負けてたまるか。今度こそ終わりにしてやる!」
犬神は、この底の知れない少年に恐怖していた。
「地下に眠りし灼熱の焔!」
右手にどろどろとした真っ赤な焔が具現化される。全てを呑み込もうとする意思が宿っているようだった。
「燃え盛れ紅蓮の炎!」
左手には激しく燃え盛る炎が具現化された。大気を吸った炎は灼熱の炎となり、美しく輝く。
「混ざりて、全てを焼き尽くせ!」
両手を組み合わせる。二つの炎が交じり合おうと、手の中で暴れ狂っていた。
「ブレズスパイラル!」
らせん状に交じり合い、竜巻のように回転し、辺りを焼きながら、暴虐の炎が黒夜に向かってくる。
黒夜は避ける素振りも見せず、炎を見つめ立ち尽くしている。
犬神と黒夜の間にあった距離は、瞬く間にゼロになった。凄まじい爆発と共に、辺りのものは焼かれ吹き飛び、焼滅した。