名前
今、灯夜たちはF組の前に立っている。
ここに入らなければならないにも関わらず、入る気になれなかった。自分の第六感が危険だと告げている。それでも、前に進むしか道は切り開くことはできない。重くなった手で扉を開け、入っていった。
入ったと同時に扉が一人でに閉まる。灯夜を除く全員は入ってきていない。驚きはしなかった。
扉が閉じられ光を失った部屋は真っ暗で、辺りはおろか自分の姿すら見えない。まるで、自分という存在が闇に飲まれ、消え失せたようだった。ただ、ひたすらに闇が広がり同化している。
不思議と気分は落ち着いていた。安堵すら覚えるほどだ。
とりあえず、なにも見えないが手探りで進んでみることにした。辺りに気を配りながら、進む。何も手から情報を掴むことは出来ない。虚しく空を切るだけだった。
「やっと来たか。待ちくたびれたぜ」
暗闇のどこからか声がする。その声はひどく聞き慣れたものだった。
首だけを動かしてみるが、どこもかしこも闇だった。その闇の中に、辺りの暗闇よりも一層場所ががある。そこを凝視していると、不意に火が灯った。
蒼い色をした、小さなロウソクのような火だった。それが近付いてくると共に、闇の中から一人の少年が姿を現した。
その少年の指には蒼い火が灯っている。暗闇で見た火の正体だった。
「初めまして。……とでも言うべきか?」
顔には、シニカルな笑みが広がっている。
灯夜は言葉を発することできなかった。目の前には、毎日見ている顔がある。
「はは、驚いてるようだな」
また沈黙。驚くのも無理はなかった。
灯夜が今見ているのは、自分自身だった。ただ、姿形が同じというだけではない。自分だと認識してしまう自分がいる。もう一人の自分、としか言いようがなかった。そう分かっていても、訊かずにはいられなかった。
「……お前は誰だ」
「おかしなことを言う奴だな。まあ、いい。教えてやる。俺はお前だ。灯夜も分かってるはすだ」
あくまで簡潔。嘘を言っているようには見えない。事実その通りだった。否定しようとしても、それができなかった。
「俺の名は……黒夜。そう、お前が夜という闇に月という名の火―光―を灯す存在なら、俺はその光でできた影。世界を黒に染める漆黒の夜そのものだ」
黒夜の言っていることは、嫌というほど理解できた。あの頃の自分と、近いものを感じているからかもしれない。
鋭すぎる切れ目。真ん中にある黒い瞳には、憎悪の光が宿っている。余裕のある口元に、隙のない身のこなしは、威圧感さえ感じさせる。今の灯夜とは、似ても似つかなかった。
「それは分かった。でも、どうしてここにいる。僕になんの用だ」
灯夜の目の鋭さが増した。
「灯夜に会うためにきた。お前の目を覚まさせるためにな」
「……目を覚まさせる?」
「そうだ。今の灯夜には、あの頃と違って殺気や破壊衝動も感じられない。何より、あれほど嫌ってた他人とも交わろうとしてる。忘れたのか?俺たちの目的を」
口元からは、笑みが消えている。
「忘れる訳がない。一度だって忘れたことはないよ」
「いや、灯夜は忘れてる。だから、思い出させてやるよ。親父が俺たちのことをどんな風に呼んだかを。扱ったかをな。俺たちは、あいつに復讐しなければならない。俺たちのことを“呪われ―」
「黙れ!その名で僕を呼ぶな!」
目一杯の力を込めて叫んだ。叫ぶというより咆哮に近い。
灯夜の怒りに呼応するように、黒夜の指に灯った火が爆発的に膨れ上がる。大気を飲み込んだ火は、炎と化して燃え上がった。炎は灯夜の呼吸に呼応している。
「そうだ。それでいい。やれば出来るじゃないか。あの頃に比べれば、まだまだだけどな」
満足げに言った。
「……そうだ。俺にはもう一つ、やることがあった。あのむかつく野郎を潰さないとな。ギャラリーは灯夜しかいないが、いいだろう」
そう言って指を鳴らす。
一瞬のうちに暗闇は消え、元あった教室へと姿を変えた。いや、元の教室に比べ広い。空間が広げられているようだ。
突然の眩しさに目を細める。目が光に慣れ始めると、ぼやけていた視界がはっきりとした。
教室の隅に座り込んでいる人影が見える。おそらく、蒼崎ゆかりに違いない。焦点の合っていない瞳は、宙をさまよっている。完全に放心状態だった。
近寄って確かめようとするが、止められた。
「おい、どこに行くんだ、灯夜。見ていけよ。あいつに話しかけたって無駄だ。精神がぶっ壊れてるからな。話すことなんかできないぞ」
黒夜の言っていることは正しかった。あんな暗闇の中で、精神を保っていられる人間など、そうはいない。
ゆかりのことは気になったが、今は動くことができなかった。
黒夜の前には、なぜか犬神が立っていたのだから。
遂に黒夜が登場してしまいました!長かった〜。自分としては、黒夜は好きです。これからの活躍期待して下さい!